レッスン331「私の意志はあなたの意志なのですから、いかなる葛藤も存在しません」
主役などというものは存在しない。
人生には主役なんてないんだ。
誰もが登場人物にすぎない。

リー・ストラスバーグ

レッスン331です。
「私の意志はあなたの意志なのですから、いかなる葛藤も存在しません」が今日のレッスンです。
まず、特別解説エゴってなに?をご覧ください。

「実在」と「実在の不在」
この世界では、天国に実在する生命、愛、真理、平安などが反映されるに伴い、影が生じて、実在の不在である、死、恐れ、虚偽、葛藤という対極が存在するように見えることになるということをこれまで何度も述べてきました。
光の不在である影や闇が実在性を持たないことなら、簡単に理解できます。
愛の不在である恐れについても、なかなか現実に恐怖を脱するという域に到達できないにしても、知的な理解ということであれば、もし恐れている状態が愛で満たされて恐れが消え去ることを想像してみれば、恐れが愛の不在なのだろうと理解できなくはありません。
生命と死
これに対して、死は、この世界で誰もが免れず、仲間たちの死に直面するので、死は実在しないと言われても、確固たる事実に目を瞑る欺瞞を強いられるように感じて、信じられないという反発が湧いてくるものですが、ひとつの生物の身体を構成する細胞が生滅を繰り返すことでその生き物が存続し、全体の一部分だけを短期的に切り取ってみてはじめて死があるように見えるだけだし、機械等の電池や燃料というエネルギー切れ状態から類推すると、生命エネルギーが欠乏し不在となった状態を死と呼んでいるだけで、死が生命と同等の積極的な実在性を持ち合わせていたり、死が生命を損なう死神のようなイメージで実在性を持っているわけではないということは何となくわからなくはないということになります。
このように、死はあくまでも生命が去った状態を意味するので、生命、愛等が実在し、死や恐れが錯覚だということなら抽象的に理解できるという感覚までなら把握できなくはありません。
精神と物質
しかし、これが精神と物質となると話が変わってきます。
精神と物質では、物質のほうは精神よりも確固たる実在性を持っているように思えるので、精神の不在に名前をつけたものが物質だとはとても思えません。
実在の影も、この世界での具体性を増して濃度、密度を増すほど、時間的遅延と空間的延長を伴い、光と闇のように、光が射せばすぐさま闇が消え去るという一方通行的な優劣関係に基づく排除の達成までの即時性が失われるようになります。
このバッファーの最たるものが物質です。
実在の不在が物質という隠れ蓑を得ると、天国に実在する概念と同等の積極的実在性を持ち合わせる真の対極であるかのごとき様相を呈することになります。
神の子の不在としての私たちエゴ
私たちの本質である神の子は大いなる自己である一なる霊ですが、この世界では、影として、小さな自己であるエゴが宿る無数の身体が生み出され、私たちは、本当に自分がエゴ・身体=個別の霊である魂であると思い込むようになります。
私たち自身にとって、自分が本当は実在である神の子の影だということは、なかなか理解しがたく受け入れがたいことです。
実在が持つどんな顔も、すべて相互互換の関係にある
しかし、実在、つまり、神の子が持つ属性は、すべて一なる愛の発露なので、すべて相互互換の関係性にあるという特質があります。
つまり、光、愛、生命、平安、霊、真理、永遠、神聖さ等々、すべてがひとつの愛の神の持つさまざまな顔であり側面なので、それが実在するものか、実在の不在が影として形をとり姿を現しているだけの虚無かは、抽象性のある一なるものに分類できるかどうかだけで区別できます。
つまり、形があり具体性を持ち多数であるものは実在であるはずがないということです。
私たち人間は、形を持ち、個別具体的な多数の存在であり、一なるものではありません。
私たちは人間という体験をしている大いなる霊
その意味で、私たちが自分だと思っている特定の名前を持ちさまざまに具体的な属性を帯びた個性を持った身体である人間、人の子は、実在するものではなく、実在の影である、つまり、私たちの読む物語の登場人物と同じくらい架空の存在だということです。
ただし、架空のキャラクターである私たち人間というアバターの人生を体験している生命があることは紛れもない事実です。

私たちは、霊的な体験をする人間なのではなく人間という体験をしている霊なのであり(テイヤール・ド・シャルダン)、それも、個別の魂として多数存在する霊ではなく、ひとつの大いなる霊であるというのが真理です。

Lesson 331
There is no conflict, for my will is Yours.
私の意志はあなたの意志なのですから、いかなる葛藤も存在しません。
1. How foolish, Father, to believe Your Son could cause himself to suffer!
大いなる父よ、あなたの子が自分自身を苦しめることができると信じるなんて、なんと馬鹿げたことでしょう。
Could he make a plan for his damnation, and be left without a certain way to his release?
神の子が自分を地獄に落とす計画を立ててしまったのに、彼が解放される確かな道もないまま彼が放っておかれることがありうるでしょうか。
You love me, Father.
大いなる父よ、あなたは私を愛してくれています。
You could never leave me desolate, to die within a world of pain and cruelty.
あなたが私をひとりきりに捨て置いて、苦痛と残酷さに満ちた世界の中で死なせることなど決してありえません。
How could I think that Love has left Itself?
どうして私に、大いなる愛がそれ自体の許を去るなどと考えられるでしょうか。
There is no will except the Will of Love.
愛という大いなる意志のほかにはいかなる意志も存在しません。
Fear is a dream, and has no will that can conflict with Yours.
恐れは夢であり、あなたの大いなる意志と矛盾するどんな意志を持つことも夢にはできません。
Conflict is sleep, and peace awakening.
葛藤は眠りであり、平安こそが目覚めです。
Death is illusion; life, eternal truth.
死とは幻想であり、生命こそ永遠の真理です。
There is no opposition to Your Will.
あなたの大いなる意志に反対するものなど何もありません。
There is no conflict, for my will is Yours.
いかなる葛藤も存在しません。というのも、私の意志はあなたの意志だからです。
2. Forgiveness shows us that God's Will is One, and that we share it.
赦しは私たちに、神の大いなる意志はひとつであり、そのひとつの意志を私たちは分かち合っているということを示してくれます。
Let us look upon the holy sights forgiveness shows today, that we may find the peace of God.
赦しが今日示してくれる神聖な光景を見ることで、私たちが神の平安を見出すことができますように。
Amen.
アーメン

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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