レッスン333「赦しがこの地上での対立という夢を終わらせる」


A peacemaker is not merely someone who protests against the war;
ピースメイカーとは、単に戦争に抵抗する人を言うのではない。

he is one who is inwardly so yielded to Christ in spirit and purpose that He can be called a "son of God."
ピースメイカーとは、彼が「神の子」と呼ばれうるほどまで、内面において本当に自らの霊と目的をキリストに明け渡した者を言うのだ。

Where he goes, God goes and where God goes, he goes.
彼の行くところには神が行き、そして、神の行くところには彼も行くのだ。

He is fearless, calm, and bold.
彼には、恐れはなく、穏やかで大胆だ。

Peace emanates from him the way light and heat radiate from fire.
平安が彼から生じて道を照らし、炎から熱気が生じる。



Francis Frangipane, The Three Battlegrounds
フランシス・フランジパン



対立大いに結構。
正反対大いに結構。
これも一つの自然の理ではないか。
対立あればこその深みである。
妙味である。
だから、排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、これといかに調和するかに、心を労したい。

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松下幸之助



人生には平和と調和だけがあってほしいとあなたは思うだろうか。もし人生に衝突のときがなく、解決すべき問題がないとしたら、なんと退屈な世の中になってしまうことだろう。私たちは困難を乗り越えて成長していくのである。もし、問題を解くことが社会勉強の過程であまり意義がないとするならば、事実上、人生のレッスンは受けられないことになる。
しかし、平和と調和が、理性と感情の礎として残っていれば、問題は「測り知ることのできない」ほどの力で解決できる(訳註・・・おそらく、この文章は「人知では到底測り知ることのできない神の平安」(新約聖書、フィリピ書四章7節)からきているのであろう)。



Napoleon Hill
ナポレオン・ヒル(「思考は現実化する」343ページ)

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この世に平和をもたらす努力をしないことを助言する。

努力をすれば、古く廃れゆく運命の幻想を持続させることになる。

子どもが古くなったおもちゃに飽きて片づけるようにしなさい。

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イエス・キリスト(Paul Ferrini ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」209ページ)

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平和がないのに、彼らが「平和だ」と言って私の民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。

エゼキエル書13章10節



Do not suppose that I have come to bring peace to the earth.
私が地上に平安をもたらすために来たと思ってはならない。

I did not come to bring peace, but a sword.
私は平安をもたらすためではなく、剣をもたらすために来た。

For I have come to turn a man against his father, a daughter against her mother, a daughter-in-law against her mother-in-law
なぜなら、私は人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからである。

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Matthw10:34
イエス・キリスト(マタイによる福音書第10章34節



I have come to bring fire on the earth, and how I wish it were already kindled!
私は地上に火を投ずるために来た。私がどんなにその火がすでに灯されていたらと願っていることか。

But I have a baptism to undergo, and what constraint I am under until it is completed!
しかし、私はその前にまずは洗礼を受けなければならない。私はなんとはやる気持ちで洗礼を受け終えるのを待たねばならないことだろう。

Do you think I came to bring peace on earth?
あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。

No, I tell you, but division.
そうではない。私はあなたにはっきり言っておくが、分裂をもたらすために来たのだ。

From now on there will be five in one family divided against each other, three against two and two against three.
今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分裂するからである。

They will be divided, father against son and son against father, mother against daughter and daughter against mother, mother-in-law against daughter-in-law and daughter-in-law against mother-in-law.
父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれるのだ。

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Luke 12:49
イエス・キリスト(ルカによる福音書第12章49節



Jesus said: “people may think that I have come to bring peace to the world.
イエスは言われた「人々は、私が世界に平和をもたらすために来たのだと思っているかもしれない。

They do not know that I have come to sow division upon the earth: fire, sword, war.
彼らは知らないのだ。私が地上に分裂の種を蒔き、火と剣と争いをもたらすために来たことを。

When there are five in a house, three will be against two and two against three, father against son and son against father.
一家に五人の家族がいるなら、三人は二人と、二人は三人と、父は子と、子は父と反目し合うであろう。

And they will stand, and they will be alone and simple”.
こうして、彼らは対立して、彼らは孤独で無知蒙昧になるであろう」

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The Gospel of Thomas(16 Not Peace, but War )
イエス・キリスト(トマスによる福音書



あなたは慰めを得るためにここにいるのかね? としたら、あなたは来るところを間違った。それこそイエスの言わんとしたことだ。彼は言う。
「人々は、私が世界に平和をもたらすために来たと思っているかもしれないが、彼らは、私が地上に分裂を、火を、剣を、戦いをもたらすために来たことを知らない。」



OSHO(「愛の錬金術 隠されてきたキリスト」上巻82ページ)



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新しい秩序へと変わってゆく前に、混乱はきちんと認識され、体験されることが必要である。



Hermann Hesse
ヘルマン・ヘッセ

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While you are proclaiming peace with your lips, be careful to have it even more fully in your heart.
あなたが平安であれと口先で宣言するなら、自分の心の中によりいっそう深い平安を抱くことを大切にしなさい。



Francis of Assisi
アッシジの聖フランチェスコ



 過ちをおかさない人はいません。わざとであろうと、そうでなかろうと、たがいに衝突することはよくあることです。あらゆる衝突が止められると考えるのは、おろかしいことです。人間としての自分の弱さをよく知らない人だけが、そのような地に足のつかない高邁な理想を追い求めるのです。そして、自分の人間らしさを受けいれられない人が、どうして自分の聖性を受けいれられるでしょうか。

 過ちはこれからもあるでしょうから、過ちをおかすたびに、ありがたく思うようにしてください。過ちは、修正をもたらしてくれる贈り物です。あらゆる小賢しいはからいや欺瞞を表面に浮上させてくれる、その機会を祝福してください。心の暗い場所をのぞきこむ機会に感謝し、その中身を意識的検証の光の中に持ちこんでください。
 あなたが過ちをむりに正当化すると、それにしがみつき、何度も自己弁護をくりかえすことになります。莫大な時間とエネルギーのむだです。もしあなたがそれをしていることに気づかなければ、一生それをやりつづけ、それが人生の目的になってしまいます。

 むしろ過ちを告白すれば、すべての時間を言い訳にあてる必要がなくなります。自分のごまかしを認めれば、過去という限界に縛りつけられることもなくなります。あらゆる衝突をオープンに認めてください。兄弟のことをよく思えないのであれば、彼にそう言って、宥しを求めます。それは相手を台座にのせてまつりあげるということではなく、自分が自己嫌悪と絶望の底なしの穴に落ち込まないための方策なのです。それはあなたが恐怖心や不正直さ、罪悪感を持たずに生きるための薬なのです。この薬を飲んでください。友よ、前にもわたしはこの薬をさしだしましたが、もう一度、さしだします。
 この世界がくもって見通しが悪いのは、あなたが過ちを認める勇気を欠いているからです。あなたが兄弟とともに演じている、見せかけ、ふりのゲームのせいです。兄弟よりも自分のほうが倫理的で正しい、ということがありえると、あなたは本気で信じていますか。

 あなたにできることは、せいぜい、自分の過ちを隠す能力を磨くということくらいでしょう。それは悲しいことですし、自己欺瞞のゲームです。それをやめてください。
 兄弟を信頼してください。あなたよりも上にいるのだと判断するのではなく、隣にならんでいる対等な相手なのだと認めてください。兄弟があなたを非難するとき、彼は自分自身をも非難しているのです。
 自分自身に対し、告白します。また伴侶や、上司、路上の見知らぬ人に対しても、告白してください。人にどう思われてもいいではありませんか。あなたは革命的な教えを伝えているのです。あなたの告白によって、ほかの人も自分自身の過ちを、あわれみをもって見てよいのだとわかるのですから。

 自分の過ちを認める人は、人々への燈台のようなものです。その人は、自分の闇のマントを脱ぎ捨てたのです。その人を通じて光が輝きます。その心が、透明で、真実が楽々と流れ出るすき通った通路になっているからです。
 兄弟はすぐに、この人は信頼できるとわかり、その手をとろうとします。このような人は真の司祭です。自分自身の罪を宥したので、それを他人の罪にも及ぼすことができます。この人の権威は外部からではなく、内部から来ます。宗教的な権威者と世間で認定されているわけではありません。でもそのもとへ来る人はすべて、この人こそ力のある人だと知り、信頼し、自分を打ち明けます。

 これが告解ということの真実です。どんな男でも女でも聴聞司祭になりえます。わたしの名前をかたってあなたがたに伝えられている、いかなるうそも信じないでください。常識を働かせてください。
 もしあなたが、うそを許容できなくて宗教に背を向けてしまったのだとしたら、それを恥じることはありません。ごまかしを教え、自分だけを権威者とし、罪悪感を植えつけるような教会に対しては、わたしも背を向けるでしょう。

 そうした偽りの教えを拒否するのは、正しいことです。しかし、聖職者の衣をまとった世俗的な偽善者への怒りがあるからといって、わたしと直接に交流することをやめないでほしいのです。他人に教えられたことをすべて忘れ、自分のハートの中にいまある真実だけに思いをめぐらせてみてください。そのハートの中で、あなたとわたしは出会います。わたしの教えや生涯を嘲るような見かけだおしの建物の中でではなく。

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イエス・キリスト(Paul Ferrini ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」81ページ)












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レッスン333です。

「赦しがこの地上での対立という夢を終わらせる」が今日のレッスンです。



まず、エゴってなに?をご覧ください。


今日のレッスンは、前に続くふたつのレッスン

レッスン331「私の意志はあなたの意志なのですから、矛盾などありません」

レッスン332「恐れがこの世界を束縛している。赦しは、この世界を解放する」

を統合するものです。


実在と幻想との原理的な関係性

実在するものの反映と、実在するものの反映に際して生まれる実在の影、実在の不在に名前をつけて観念化したものという二極の対立状態がこの世界には存在します。

この対立を解消する手段が赦しです。

赦しは、真理の光に照らして世界の幻想性に気づくことです。

実在するのは真理のみであり、幻想は実在しないので、真理と幻想の間には葛藤があるように見えていても、その葛藤は実在しません。

また、実在するのは真理のみであり、幻想は実在せず、幻想同士の間に見た目の相違は確かにあるにせよ、幻想の中でより真理に近いまっとうな幻想とより虚偽に近いでたらめな幻想の差異や程度差による等級があるわけではないので、幻想と幻想の間の幻想同士の葛藤も錯覚です。

だから、幻想同士の間には葛藤はありえても、真理と幻想との間には、葛藤のごとき状態があるとしても、それは相互に打ち消し合う葛藤のように見えているだけで、実は一方通行で真理が幻想を消す作用のみを持つのだから、葛藤ではなく真理の不徹底状態だということです。

真理と幻想との間には葛藤はありえないということになります。

幻想を真理で照らせば消え去るし、幻想同士の葛藤は真理の下にもたらせば消え去ります。


7.「Truth does not fight against illusions, nor do illusions fight against the truth.
 真理が幻想に対抗して争うことはないし、幻想が真理に対抗して争うこともありません。

 Illusions battle only with themselves.
 幻想は、ただ幻想同士で戦うだけです。」

「9. See how the conflict of illusions disappears when it is brought to truth!
 真理の下にもたらされて、幻想同士の争いが消滅してゆくのを見てください。」(T23-1 相容れない信念


実在と幻想の原理的な関係性はこの通りです。



私たちは幻想世界にどう向き合うべき?

それでは、私たちが幻想世界での葛藤に向き合うに際してのスタンスはどうなんでしょうか?

人と争わず、意見は控えて我慢して平穏な生活を送るのが望ましいのでしょうか。

社会の対立や葛藤を解消するために、反戦運動等の社会運動をしたりボランティア活動をすべきなのでしょうか?

戦争や社会的な葛藤を目にして心を痛め、戦地で苦しんでいる人がいるのに、自分は平和な場所で気楽に過ごしていて申し訳ないと罪悪感を抱き、何か自分にできることがあるのではないかと、スピリチュアルに関心の向く私たちは思いがちです。

たしかにそのような思いが原動力となってさまざまな社会改革等が進んできたし、よりよい社会に進化するのは事実です。

けれど、自分の罪悪感を解消するために、紛争や葛藤を悪とみなして、悪い世界や社会を改善するために挑戦しようというのは、心の中に新たな葛藤を抱えることになります。



対立、葛藤は悪なのか?

私たちは、ともすれば、対立、葛藤を存在してはならない悪とみなして、消し去ろうとします。

当然、理不尽な戦争や葛藤による深刻な被害は目を背けたくなるのも当然であり、このことからすれば、対立や葛藤を歓迎し受け入れるなんてどうかしているというふうに素朴には思えます。

しかし、対立、葛藤による不幸な結果は解消すべきものではあっても、葛藤そのものは起こるべくして起こってくるものでしかなく、良いも悪いもありません。

そして、葛藤は癒されるべきものであって攻撃して打ち滅ぼすことのできるものではありません。

葛藤を癒すには、まず対立、葛藤を歓迎し受け入れることが必須です。

そして、世界は内心の反映なのだから、癒されるべき葛藤は自分の心の中の葛藤です。

そして、心の中の葛藤を解消するうえで、単に自分の心の中でああだこうだと思いを巡らすよりも、実際に葛藤を生じる誰かとの関係性に飛び込んで、ぶつかり合うことが癒しにとって非常に有益なのは言うまでもありません。

放っておいても聖霊が積極的に闇狩りに乗り出してくれるのではなく、私たちの側で聖霊に自分の闇をさらけ出して光を当ててもらうことをしなければなりません(レッスン107「真理が私の心の中で誤りを修正してくれる」)。



『私は平和ではなく、剣をもたらすために来た』

さて、冒頭のマタイ福音書の聖句について、テキスト第6章1節では、
「If the Apostles had not felt guilty, they never could have quoted me as saying, "I come not to bring peace but a sword. "
 もし使徒たちが罪悪感を抱いていなかったなら、私の言った言葉として『私は平和ではなく、剣をもたらすために来た』と引用することなど彼らには決してできなかったはずです。

 This is clearly the opposite of everything I taught.
 この言葉は明らかに、私が教えたすべてのことと正反対のものです。」(T6-intro,1 キリストの十字架刑の真の意味とは?、15.)

と述べられています。


たしかに、イェシュアは、マタイによる福音書第26章52節では、捕らえに来た兵士から自分を守ろうと剣を手にした弟子に対してつぎのように諭す平和主義者です。

Then Jesus said to him, “Put your sword back into its place. For all who take the sword will perish by the sword.”
イエスは彼に言われた。「あなたの剣を鞘に収めなさい。なぜなら、剣を取る者はみな、その剣によって死ぬからである。」
Matthew 26:52 (English Standard Version)
マタイによる福音書第26章52節

イェシュアは新約聖書全般を通じて一貫して非武装、平和を説いており、奇跡のコースでも徹底して攻撃の放棄と平安を唱導しています。

剣をもたらすために来たという言葉が平和を説くイエスの教えと表面的に相容れないことは確かで、マタイによる福音書第10章34節等の聖句は、平安を教えるイエスの言葉として矛盾するものと捉えられることが多いところです。


他方で、奇跡のコースと同じように、イェシュアの声を記したという「イェシュアの手紙」(マーク・ハマー著 マリディアナ 万美子 翻訳 ナチュラルスピリット刊)では、次のように、イェシュアの語った言葉として述べられています。



「私は火と剣を携えてくる」

この言葉は、実際に私が言った言葉であり、

それは、私の目的が昔も今も幻想に心酔する人類の意識を切り離すことであることを強調している。

あなたも知っているように火のシンボルの意味はつねに変容とされてきた。

物質を燃やすことによって、新たなるもののためにスペースを創ることができる。

剣は・その刃にあたったものを切り裂く。

ひとつのものを幾つにも切り裂く。

剣で切った者を誰でも間違いなく止めてしまう。

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イエス・キリスト(「イェシュアの手紙」165ページ)



イェシュアが意図したことは?

はたしてどちらがイェシュアの言葉だったのでしょうか。

それを解明することはできないし、解明することに意味もありません。

私たちは、平安を学んでいるのであり、正しい歴史的な事実を解明することを学んでいるわけではありません。

私たちは歴史家ではなく、地上を歩んでいた時にイエスが語った言葉が実際のところどちらであったかを解明しなければならないわけではないし、そんなことに関心を向けることで学びの焦点をぼやかしてしまうのは有意義などころか害にしかなりえません。

私たちがすべきなのは、奇跡のコースの言葉に疑問を呈したりせずに頭から信心するということではなく、イェシュアを師として学ぶ者として、イェシュアの真意を理解したいと望むことだけです。


神の平安に達することが最終目的なのはもちろん

まず、「平安の君」(Jesus the Prince of Peace)であるイェシュアが最終的にもたらそうとするのが剣による争いではなく、天の平安であるのは当然のことです。





けれど、本レッスンが述べるように、平安に至るうえで、葛藤を白日の下にさらして光を当てることが避けて通れないプロセスであるのは事実です。


「1. Conflict must be resolved.
 対立は解消されねばなりません。

 It cannot be evaded, set aside, denied, disguised, seen somewhere else, called by another name, or hidden by deceit of any kind, if it would be escaped.
 もし対立から脱しようとするなら、対立から逃げようとしたり、保留にしたり、否認したり、偽装したり、どこかほかの場所に見ようとしたり、別の名前で呼んだりして、いかなる種類の欺瞞で隠そうとしていてはなりません。

 It must be seen exactly as it is, where it is thought to be, in the reality which has been given it, and with the purpose that the mind accorded it.
 対立は正確にありのまま、それがあると思われている場所で、対立に与えられた現実味と心が対立に与えた目的とともに、見られなければなりません。

 For only then are its defenses lifted, and the truth can shine upon it as it disappears.
 というのも、そのときにのみ、対立の防御が解かれ、対立が消え去るために、真理が対立を照らすことができるからです。」


反骨精神の塊であり、当時の社会体制からすれば反逆者であったイェシュアです。

そんなイェシュアが弟子である私たちに羊のように従順な僕(しもべ)となることを求めたりはしないはずです。

そこで、私たちも、奇跡のコースをありがたがって、偶像として崇め奉る過ちを犯さないよう、あえてテキスト第6章1節のイェシュアの言葉に異議を呈してみましょう。イェシュアが、「私の言葉を否定するなんて、けしからん!」なんて立腹すると思うでしょうか。きっと喜んでくれるはずです。


表面だけ穏やかで柔和な平安仮面を被ってみんなばらばらで腹の底では毒念が渦巻き、各人の心の中では大戦争が起こっている偽りの平和をイェシュアがもたらそうとしたはずがありません。

顔と腹の底が食い違う表面だけの柔和さは、彼が最も嫌った偽善でしょう。

「3. This aspect can grow angry, for the world is wicked and unable to provide the love and shelter innocence deserves.
 この仮面は、世界は悪意に満ちており、無垢な者が受け取って当然のはずの愛や保護を世界が与えることができていないといって、腹を立てることができます。

 And so this face is often wet with tears at the injustices the world accords to those who would be generous and good.
 だから、この清純な顔は、この世界が優しく善良な者たちに押しつけている不当な仕打ちについて、しばしば涙を流して濡れています。

 This aspect never makes the first attack.
 この仮面が自分から先制攻撃を仕掛けることは決してありません。

 But every day a hundred little things make small assaults upon its innocence, provoking it to irritation, and at last to open insult and abuse.
 しかし、毎日のように、その潔白さに対して、たくさんの些細な事柄が小さく襲いかかっては、とうとう最後には、臆面もなく侮辱したり罵倒したりするまでこの側面を苛立たせます。」(T31-5 ふたつの顔



偽りの平安は打破せねばならない

キリスト降誕後の世界の歴史を振り返ってみると、マタイによる福音書第10章34節の言葉の通り、キリストの教えが世界に対立を生み出し地上に平和ではなく剣をもたらす結果になっていることが事実であることは否定できません。

皮肉ではなく、すべてのなりゆきを見通す聖霊の英知を持っていた当時のイェシュアが自らのもたらす神の「預言」がその後の世界に対立と争いをもたらすことになるのを「予言」したのだとすると、平和ではなく剣をもたらすためにきたという言葉は、単純に冷厳な未来予測を告げただけのものだと理解できます。

エゼキエル書13章10節「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言って私の民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。」

イエスは、この偽りの平和、イェシュアの生きた時代のローマの平和、剣の力によって葛藤や紛争を抑え込んだ表面的な平穏状態を意味する力による平和(パックス・ロマーナ)を打ち壊し、これとは対極の愛による平和(ヘブライ語の「シャローム」)を築くために剣と火をもたらしたのだといえるでしょう。




私の人生の中で、私の心を私が望むような形で尊重してくれない人には、あまり心を開くべきではないと感じていた時期がありました。私を傷つけたと私が感じた人に対して怒りを感じていましたが、その怒りの感情と向き合って、神に解放してあげる代わりに、私はその怒りの感情を否定しました。これは奇跡のコースを学ぶ人たちが陥りがちな落とし穴です。怒りを感じていたならば、それを意識の上に持ってこないと、それは行き場がありません。すると、それは自分自身を攻撃するエネルギーになったり、無意識のうちに他の人を攻撃するという結果になります。



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マリアン・ウィリアムソン(「愛への帰還」161ページ)

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Let us pray for peace, joy and love.
さあ平和と喜びと愛のために祈りましょう。

We are reminded that Jesus came to bring the good news : ‘My peace I leave with you, my peace I give to you.’
私たちは、イエス様が「私は自らの平安をあなたがたに渡して、私の平安をあなたがたのもとに残しましょう。」と福音をもたらすために来られたことを思い出します。

He came not to give the peace of the world which is only that we do not harm each other.
イエス様は、私たちがお互いに害を加えないという形だけの世界の平和を与えるために来られたのではありません。

He came to give the peace of heart which comes from loving — from doing good to others.
イエス様は、心の奥底からの真の平安を与えるために来られたのです。それは、愛に満ち溢れることから、他者によきことをなすことから生じる心の平安です。



Mother Teresa
マザー・テレサ

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対立、葛藤を避けて真の平安には辿り着けない

イェシュアの役割が、平和な地上世界という幻想を生み出すことではなく、幻想を去らせて真の世界に到達して天国に神の子を帰還させる目的を果たすことであることに照らせば、この目的を果たすうえで、地上にありながら天の平安を知るために対立を体験することが必要であれば、イェシュアは復活までの種蒔きとして、あえて剣をもたらしたといえるかもしれません。

ルカ福音書に言う「火」は愛の炎を意味し、「洗礼」はヨハネによる洗礼を意味するのではなく、十字架刑とその後のイエスの肉体の「復活」ではないコースでいう「復活」、私たちの神の子としての目覚めのときを意味すると考えれば、偽りの平和を壊してすべての葛藤をあぶり出して表裏のない真の平和を生むための土壌を耕すことをイェシュアは計画し、実行したといえるのかもしれません。

夢見る状態から脱して目を覚ますことが要点なのだとしたら、心地よい平和な夢をもたらしたのでは、安楽な夢の世界にさらにどっぷりと浸かって安住させることにしかならないだろうことは言わずもがなのことです。


必要なのは幻の平和、表面上の平和ではなく、平安の実現を妨げている要因、心の葛藤、つまり分離幻想を解消することだけです。

そして、この心の葛藤を解消するためには分離を前提とした妥協ではなく、愛による結合という奇跡が必要なのであり、そのためには、分離、対立を光の下にもたらしてそれらが錯覚であることを明らかにすることが必要です。

このテーマを深掘りするには、OSHOの「愛の錬金術 隠されてきたキリストーー上巻」67ページ~がとても参考になると思います。




OSHO(「愛の錬金術 隠されてきたキリスト」上巻)





はてしない物語の後半でどんどん現実の記憶を失ってエゴの権化となって権力を得て王座に就こうとする主人公バスチアンに対して、アトレーユは表面的に平穏な友好関係を守るのではなく、友に憎まれることがわかっていながら、友を守るために、あえて敵となって戦います。


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「The truth itself needs no defense, but you do need defense against your acceptance of the gift of death.
 真理そのものはいかなる防衛も必要とはしません。しかし、死という贈り物をあなたが受け入れてしまうことに対してあなたが防衛を必要としているのは確かです。

 When you who are truth accept an idea so dangerous to truth, you threaten truth with destruction.
 真理にとってそんなにも危険な考えを真理そのものであるあなたが受け入れるなら、あなたは真理を破滅の危機にさらしていることになります。

 And your defense must now be undertaken, to keep truth whole.
 だから、真理を完全なままに保つために、いまや、あなたを防衛することに取りかからなければならなくなります。

 The power of Heaven, the love of God, the tears of Christ, and the joy of his eternal Spirit are marshalled to defend you from your own attack.
 天国の力、神の愛、キリストの涙、そして、キリストの永遠なる霊の喜びが、あなた自身の攻撃からあなたを守るために陣取ります。

 For you attack Them, being part of Them, and They must save you, for They love Themselves.
 なぜなら、彼らの一部であるあなたが彼らのことを攻撃するために、自分たち自身を愛するがゆえに、彼らはあなたを救わなければならないからです。」(T17-4 ふたつの絵、10.)

レッスン83「レッスン65と66の復習」のピースメイカーに関するエッセイもご覧ください。



I prefer peace.
私だって平和のほうが好ましい。

But if trouble must come, let it come in my time, so that my children can live in peace.
けれど、面倒事が訪れるなら、私の世代で困難を引き受けたいものだ。そうすれば、私の子どもたちは平和に生きることができるのだから。

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Thomas Paine
トマス・ペイン


間違いを犯し誘惑にさらされることができる人間こそ、真の自由に到達できる

上記のように、人が個人的に抱える葛藤がきわめて容易に、臭い物に蓋をする式に覆い隠されて、表面上は対立も葛藤もない平穏な生活を送りながらも、腹の底では毒念が渦巻き、心の中で大戦争が起こっているということは決して少なくありません。

私たちが大好きな、あのマザー・テレサも存命中には大きな心の闇を抱え数十年もうつ病と思われるような苦しみを抱えていたようです。

私たちは、ともすれば、マザー・テレサのような聖人は俗人とは違う神のような別次元の存在として奉りたい、偶像として崇拝したいという願望があるので、普通の人のような側面を持っているとは思いたくないし、見たくないという心理を抱いてしまいがちです。

まるで憧れのアイドルスターはうんこしないし誰とも恋愛や結婚なんかしないと信じたいファン心理のような偶像崇拝をしてしまうわけです。

けれど、聖者の真の尊さは、この世界に私たちと同じアバターとして誘惑にさらされながらも神の神聖さを穢さず開花させた点にあります。



The man form is higher than the angel form; of all forms it is the highest.
人間としてあることは、天使としてのありようよりもより高次な形といえる。あらゆるあり方の中でも最も高次なのだ。

Man is the highest being in creation, because he aspires to freedom.
人間は創造物の中で最高の存在なのだ。なぜなら、人は自由を希求するからだ。



Paramahansa Yogananda
パラマハンサ・ヨガナンダ(「人間の永遠の探求」講和29 イエスは再来するか」より W2ST-9.キリストの再臨ってなに?





天使が美しく高貴なふるまいを見せても、それは最初から完璧な存在として創造されているからであり、素晴らしいものではあっても、機械の自動反応に感心するのと同じく、神の力の偉大さと神聖さへの崇敬の念を天使を通じて抱くにとどまります。

しかし、人がこの天使の美しさとふるまいに達することができたとき、人が自らの自由を追求して神の意志をなした奇跡が感動を呼び起こします。

マザーは、心に深い闇を抱えて自分自身がひとりの人間として愛を渇望し、この奥深い闇の深淵を覗きながら苦闘しつつも、いや、それだからこそ、目の前で助けを必要とする人々と自分は同じだという真実に気づき、目の前のひとりひとりをイエス・キリストと見て愛を捧げるという真実を実践することができたのです。

マザーが心に深い闇を抱えて苦悩していたことはむしろ、さらなる尊敬の念を抱かせるものです。



God sent Jesus as an example to see if we could retain and maintain the Holy Spirit in human flesh.
神がイエスを遣わしたのは、模範となって、私たちが人間の肉体の中でも聖霊を失わずに維持し続けられることを示すためだったのだ。

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Benny Hinn
ベニー・ヒン


夜は、二人で、よく長い間はなしあった。バスチアンは、ファンタージエンで経験したことをみなはなした。ペレリンのこと、グラオーグラマーンのこと、サイーデのこと、そして自分が重傷を負わせたもしかすると殺してしまったのかもしれないアトレーユのことも。

「ぼく、みんなまちがったことをしてしまった。」バスチアンはいった。「みんな、考えちがいをしていたんです。月の子は、ぼくにたくさんのものをくださったのに、ぼくはそれでもって、自分にもファンタージエンにも、わるいことばっかりしてしまったんです。」

アイゥオーラおばさまはバスチアンを長いこと見つめていたが、やがていった。

「いいえ、わたしはそう思わないわ。あなたは望みの道を歩いてきたの。この道は、けっしてまっすぐではないのよ。あなたも大きなまわり道をしたけれど、でもそれがあなたの道だったの。どうしてだか、わかるかしら?あなたは、生命の水の湧きでる泉を見つければ、帰れる人たちの一人なの。そこは、ファンタージエンの一番深く秘められた場所なのよ。そこへゆく道は、簡単ではないわ。」

そしてしばらく口をつぐんでから、またことばをついだ。

「そこへ通じる道なら、どれも、結局は正しい道だったのよ。」

それを聞くと、バスチアンはいきなり泣きだした。なぜなのか、自分でもわからなかった。胸の中で固くなっていたわだかまりがとけ、涙になって流れだしたような気持だった。すすりあげ、しゃくりあげ、あとからあとから、とめどもなく涙が流れた。アイゥオーラおばさまはバスチアンを膝に抱きあげ、やさしくやさしくなでてくれた。バスチアンはおばさまの胸の花の中に顔をうずめて、思う存分、泣いた。泣いて泣いて、疲れるまで泣いた。

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Michael Ende
ミヒャエル・エンデ(「はてしない物語」より)

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ネガティブを切り捨てずに愛し祝福する

素朴にコースを学ぶと、エゴや悪魔といったダークサイドは、単純に悪として切り捨てるべきように思いがちです。

しかし、ダークサイドも、実は縁の下の力持ちとして役に立っているというのが実際のところなのではないでしょうか。

もちろん、ダークサイドは実在しない無なわけなので、それを主役に据えてしまうとあらゆる混乱を引き起こすだけですが、霊的な面で、魂の闇夜の暗黒をもたらすことで、人間に明けの明星を見る機会を与えるという役目を担っているのだと思います。

エゴや悪魔の誘惑を堕落の落とし穴としてではなく、祝福の機会として昇華せよというのが、聖霊の3大レッスンを教えるコースの神髄だと感じています。


私たちも完璧な天使ではない人間なのですから、誘惑に負けたり、たくさん失敗したり、とことん苦悩して生きることができます。

万人と仲良くできなくても当然です。相性の合わない存在と葛藤しても仕方がないし、争うこともときには必要です。

けれども、あくまでも聖霊に従うという姿勢はつねに一貫して、エゴや悪魔に負けて彼らに支配を委ねることだけはあってはなりません。

エゴや悪魔を戦う相手とみなして敵視するのではなく、彼らの一枚上手を行って、陰陽師が使役する鬼、麒麟が使い魔としての使令に下す妖魔のように、光のために従わせるしもべとして活用できるよう自らを高める発想のほうが優しいし、頼もしくないでしょうか。


マザーテレサが、大きなことをなすのではなく、小さなことに大きな愛を込めることの大切さを語り、

「世界平和のためにできることですか? まず家に帰って家族を愛しなさい」

と教えてくれたように、社会や世界は、私たち個々人でできています。

私たちの心が生み出しているのが対立と葛藤なのだから、一人ひとりが自分の心の中の対立、葛藤を癒して解消することこそが、各自の責務です。



すべての意識はつながっています。それゆえ私たちの中の個人的対立が世界規模での戦争に貢献し、個人レベルの和解が世界の平和への近道にもなります。私たち個々の小さな判断が戦争への方向づけとなり、赦しの気持ちが平和への方向づけとなるのです。『奇跡は、私たちが思いもよらない形をとって現れます」。南アフリカの蝶の羽ばたきが北極圏の風のパターンに影響を及ぼし、アイダホでの平和の祈りがパレスチナの平和への計画に影響します。私たちは今、世界の方向性を決める類まれな機会と責任に向き合っているのです。



マリアン・ウィリアムソン(「人生を変える『奇跡のコースの教え』80ページ)



自分の心を変える試みこそ大いなる改革

世界に投影されている戦争や紛争をどうにかしようと気を揉むのではなく、自分の心の中の対立や葛藤を歓迎して、認めてあげて、それを癒すために戦う勇気を持つことが大切に思います。

社会を変えたり世の中を変えるような大きなことに価値があるという発想から自由になりましょう。

投影の仕組みは投影元からスクリーンが遠くなるほど、投影像は粗大になってゆくものであり、他方で、投影元に近いほど、より広範囲の投影先に影響が生じます。

社会規模での変革を起こさなければ意義がない、自分だけ変わったところで何の意味もないというのは大いなる錯覚です。


「It is the witness to your state of mind, the outside picture of an inward condition.
 世界は、あなたの心の状態を証明するものであり、あなたの内面の状態が外部に描き出されたものです。

 As a man thinketh, so does he perceive.
 人は、自らの心に思う通りに知覚します。

 Therefore, seek not to change the world, but choose to change your mind about the world.
 したがって、世界を変えようとするのではなく、世界についての自分の心を変えることを選択してください。

 Perception is a result and not a cause.
 知覚は結果であって、原因ではないからです。」(T21-Intro 世界を変える、1)


M11 世界平和は実現できる?のエッセイで紹介している英国国教会司教の墓碑銘を読んでみてください。



韓国ドラマ「私たちのブルース」が隠れた対立と葛藤を癒し、解消するプロセスを優しく描いていて、とても素晴らしいドラマなので、ぜひご覧ください!





「コンフリクテッド」(イアン・レズリー 著、 橋本 篤史 翻訳)

対立を歓迎するリーダーシップ 組織のあらゆる困難・葛藤を力に変える アーノルド・ミンデル (著)

マーシャル・B・ローゼンバーグ 著の「わかりあえない」を越える――目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC (海士の風) 、NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版 (日本経済新聞出版)


敵とのコラボレーション――賛同できない人、好きではない人、信頼できない人と協働する方法
アダム・カヘン著

も参考になると思います。




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Lesson 333


Forgiveness ends the dream of conflict here.
赦しがこの地上での対立という夢を終わらせる。



1. Conflict must be resolved.
 対立は解消されねばなりません。

 It cannot be evaded, set aside, denied, disguised, seen somewhere else, called by another name, or hidden by deceit of any kind, if it would be escaped.
 もし対立から脱しようとするなら、対立から逃げようとしたり、保留にしたり、否認したり、偽装したり、どこかほかの場所に見ようとしたり、別の名前で呼んだりして、いかなる種類の欺瞞で隠そうとしていてはなりません。

 It must be seen exactly as it is, where it is thought to be, in the reality which has been given it, and with the purpose that the mind accorded it.
 対立は正確にありのまま、それがあると思われている場所で、対立に与えられた現実味と心が対立に与えた目的とともに、見られなければなりません。

 For only then are its defenses lifted, and the truth can shine upon it as it disappears.
 というのも、そのときにのみ、対立の防御が解かれ、対立が消え去るために、真理が対立を照らすことができるからです。



2. Father, forgiveness is the light You chose to shine away all conflict and all doubt, and light the way for our return to You.
 父よ、赦しこそ、すべての葛藤とすべての疑念をその輝きで去らせるためにあなたが選んだ光であり、私たちがあなたの下へと帰還する道を照らす光です。

 No light but this can end our evil dream.
 この赦しという光だけが、私たちの不幸な夢を終わらせることができます。

 No light but this can save the world.
 この光だけが、この世界を救うことができます。

 For this alone will never fail in anything, being Your gift to Your beloved Son.
 というのも、この光だけが、あなたの愛し子へのあなたからの贈り物なので、決して何事にも失敗することがありえないからです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。








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