レッスン342「私は赦しがすべての物事に差し延べられるようにする。というのも、そうすることで、赦しは私に与えられることになるからだ」
非難したい物事を進んでよく見てください。それこそ、罪悪感を脱ぎ捨てる手っ取り早い道です。
あなたが誤りだと思うものでも人でも、それはあなたが自分自身の誤っていると思っている箇所を見せてくれているだけです。兄弟よ、それはあなたの罪悪感なのです。もっとよく見てください。でなければ、それはあなたの人生を蝕み続けます。
幻想の思い込みを真実にしないようにしてください。自分の判断・批判を正当化するのをやめてください。そんなことをすると、自分と他人とが切り離されているという確信を強めるだけです。
勇気を持ってください。今こそ、果敢であってください。あなたを悩ましているのは、あなたの罪悪感にすぎないのを見てください。あなたを悩ませるすべての物事を見て、それを深刻に受け止めた自分を赦してください。やましいところのある人だけが、自分の狂った世界の中の物事を何でも深刻に受け止めるのです。
あなたの旅の中で赦されねばならぬ人間はたったひとり、それはあなたです。

イエス・キリスト(「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)

レッスン342です。
「私は赦しがすべての物事に差し延べられるようにする。というのも、そうすることで、赦しは私に与えられることになるからだ」が今日のレッスンです。
まず、奇跡ってなに?をご覧ください。

実在と所有
神の子はすべてであると同時にすべてを持っています。
このように、王国の実在と所有が一致する状態(T7-3 神の王国の本当の姿とは)から、神の子は分離幻想によってエゴ・身体が自分だという錯覚を抱いて、全宇宙の中の砂粒のような王国の微小な一部の区画が自分であり自分が持ち合わせるものだと、究極の自己卑下をして、ねじ曲がったアイデンティティーを抱いています(T18-8 小さな庭園)。
したがって、赦しを受け取るべき神の子の本質は、王国全体なので、自分だと思い込んでいるこの小さな部分でもあるし、残りの全体でもあるということになります。
パート2に入ってからよく用いられる形式ですが、1.と2.とで語りの主体が変わっています。
1.では、私たちから神への祈りの形式、
2.では、イェシュアから私たちに語りかける形式
になっています。

Lesson 342
I let forgiveness rest upon all things,
私は赦しがすべての物事に差し延べられるようにする。
For thus forgiveness will be given me.
というのも、そうすることで、赦しは私に与えられることになるからだ。
1. I thank You, Father, for Your plan to save me from the hell I made.
大いなる父よ、私が自分で作り出した地獄から私を救出する計画をあなたが立ててくれていることに感謝を捧げます。
It is not real.
私が作り出した地獄は、本物ではありません。
And You have given me the means to prove its unreality to me.
そして、あなたは私に、地獄が実在しないことを自分に証明する手段を授けてくれています。
The key is in my hand, and I have reached the door beyond which lies the end of dreams.
その鍵は私の掌中にあり、そして、私はすでに、その向こう側に夢の終焉が待っている扉の前に到達しています。
I stand before the gate of Heaven, wondering if I should enter in and be at home.
私は天国の門の前に佇み、中に入って家路につくべきかどうか迷っています。
Let me not wait again today.
今日こそ、もう再び私が待たないようにさせてください。
Let me forgive all things, and let creation be as You would have it be and as it is.
私があらゆる物事を赦し、そうして、創造物をあなたがそうあらしめようとする通りに、ありのままにさせられますように。
Let me remember that I am Your Son, and opening the door at last, forget illusions in the blazing light of truth, as memory of You returns to me.
自分があなたの大いなる子であることを私が思い出し、そして、ついにその扉を開けて、私があなたの記憶を取り戻して、真理の眩いばかりの輝きの中で幻想を忘れられるようにさせてください。
2. Brother, forgive me now.
兄弟よ、今こそ私を赦してください。
I come to you to take you home with me.
私があなたの許にやって来たのは、あなたを自分と一緒にわが家に連れ帰るためです。
And as we go, the world goes with us on our way to God.
だから、私たちが進むとき、この世界も私たちと一緒に神への道を進むことになるのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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