レッスン343「私は、神の慈悲と平安を見出すために犠牲を払うことを求められてはいない」
この世界における暴力や侵害は、あなたがたが犠牲者あるいは迫害者になることを拒否すれば、なくなります。

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」108ページ)
If you do not express your own original ideas, if you do not listen to your own being, you will have betrayed yourself.
もしあなたが自分独自の考えを表現しないなら、もしあなたが自分自身の実在に耳を貸さないなら、あなたは自分自身を裏切ったことになる。

Rollo May
ロロ・メイ

レッスン343です。
「私は、神の慈悲と平安を見出すために犠牲を払うことを求められてはいない」が今日のレッスンです。
まず、奇跡ってなに?をご覧ください。
M13 犠牲の真の意味とは?、T15-7 必要のない犠牲、レッスン323「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする」が参考になると思います。

偽りの自己を手放すことは真の自己にとっては救い
神の子がすべてでありすべてを持っているというのが真理であり、すべてのうちの砂粒のようにごく小さな一部が自分だという錯覚から真理を思い出すことが救済であるとすると、救済によって神の慈悲と平安を見出すために必要なのは、ちっぽけな生き物が自分だと思い込んでいる夢とその生き物へのアイデンティティーへの執着を手放すことへの恐怖を捨てることだけです。
本当の自分からすれば、なんの犠牲も払うことでもありません。
ただ夢から覚めて本当の自分に目覚めるだけだからです。
捨て去られる偽りの自己である私たちの側からすればとてつもない恐怖
けれど、当の卑小な生き物からすれば、自分を失うことのように思える、というより、本当に自分を失うことなので、とてつもない恐怖です。
私たちからすれば、本当にこの恐怖は死ぬほどの絶大なものです。
けれど、人間として生きるたびにこの恐怖に怯えて生にしがみついていたものの、転生のつど、私たちは実際に死んで「死ぬほど」の恐怖が実際にはいかなるものか、幾度も実体験してきているはずです。
何度も死ぬ経験をしているのに、「あー、怖かった。また乗りたい!」とジェットコースターに乗るのが病みつきになっている人のように、望んで人間として生まれてきているわけです。
人間としての人生が一度きりのもので、自分で返上しない限り永遠の生命を生きられるものであったなら、この恐怖に怯え続けるのもやむを得ないことかもしれませんが、どんなに強くすがりつこうが、どのみちせいぜい100年で終わってしまうアバターとしての人生に執着することは、実はエゴのトリックに引っかかっているだけだと言えるのかもしれません。

Lesson 343
I am not asked to make a sacrifice To find the mercy and the peace of God.
私は、神の慈悲と平安を見出すために犠牲を払うことを求められてはいない。
1. The end of suffering can not be loss.
苦しみが終わることが損失になるはずがありません。
The gift of everything can be but gain.
万物を贈り物として受け取ることは、ただ得ることにしかなりません。
You only give.
あなたはただ与えるだけです。
You never take away.
あなたは決して奪い去りはしません。
And You created me to be like You, so sacrifice becomes impossible for me as well as You.
そして、あなたは、私をあなたと同じものとなるように創造してくれました。だから、あなたにとってそうであるように、私にとっても犠牲を払うことは不可能になったのです。
I, too, must give.
私もまた必ず与えることになります。
And so all things are given unto me forever and forever.
だから、すべての物事は、永遠にいつまでも私に授けられているのです。
As I was created I remain.
私は今も、創造されたままの私です。
Your Son can make no sacrifice, for he must be complete, having the function of completing You.
あなたの大いなる子は、いかなる犠牲も払うことはできません。というのも、あなたを完成させるという役目を担っているのだから、彼は完全であるに違いないからです。
I am complete because I am Your Son.
私はあなたの大いなる子であるがゆえに、完全なるものです。
I cannot lose, for I can only give, and everything is mine eternally.
私には何も失うことができません。というのも、私はただ与えることができるだけなので、あらゆるものは永遠に私のものだからです。
2. The mercy and the peace of God are free.
神の慈悲と平安は無償のものです。
Salvation has no cost.
救済にはいかなる代価もかかりません。
It is a gift that must be freely given and received.
救済は、何の制限もなく与えられ、受け取られるべき贈り物です。
And it is this that we would learn today.
そして、私たちが今日学ぶのは、このことなのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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