T13-5 愛と恐れ


There are two basic motivating forces: fear and love.
人を動機づける基本的な原動力はふたつ存在する。恐れと愛だ。

When we are afraid, we pull back from life.
恐れるとき、私たちは、人生に尻込みしてしまう。

When we are in love, we open to all that life has to offer with passion, excitement, and acceptance.
愛するとき、私たちは、情熱と興奮、そして、寛容さをもって、人生が差し出してくるすべてを受け入れる。

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
私たちは、絶頂にあるときも失意のときも、まず自分自身を愛することを学ばなければならない。

If we cannot love ourselves, we cannot fully open to our ability to love others or our potential to create.
もし私たちが自分を愛することができなければ、私たちは、心の底から他者を愛することも、ひたむきに創造することもできないだろう。

Evolution and all hopes for a better world rest in the fearlessness and open-hearted vision of people who embrace life.
よりよい世界へと進化する希望のすべては、人生を慈しむ人々が恐怖に曇らされない開かれた心でヴィジョンを描くことにかかっているのだ。

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John Lennon
ジョン・レノン



愛という反応だけが、恐怖心を無力にできます。信じられないのでしたら、試してごらんなさい。あなたが恐怖心を起こさせる誰か、あるいはそういう状況を愛してみれば、恐怖心は消えてしまうでしょう。これは本当です。それは愛が恐怖心の解毒剤であるからというよりも、むしろ恐怖心は「愛の不在」だからです。ですから、愛が現れたところに、恐怖心は居座ることはできません。

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イエス・キリスト(Paul Ferrini ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)

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人の行動の原動力は、突き詰めると2種類しかない。愛を原動力とするものと、恐れを原動力とするものだ。当然、愛に基づいて行動することが理想ではあるが、恐れに基づく行動を完全に排除することは不可能に近い。そこには根源的な理由があるからだ。

われわれは、すべてがひとつであったコズミック・フォースから個々のリビング・フォースに分離し、この世に生を受けている。上も下も、苦も楽も、喜びも悲しみも、いっさいの基準が存在しない無極の世界から切り離された生命は、この相対的な世界に産み落とされると同時に欠落感を覚えてしまう。そして、大いなる根源とのつながりを失ってしまったという思いが「自分は完全ではない」という恐れを生むのだ。われわれが、どこか満たされない思い、言い知れぬ不安をいつも解消しようと行動してしまうのは、すべてその恐れに執着してしまうせいだ。

シスはこの根源的な欠落感に対し、とことん対処することを信条としてきた。何かが足りないなら補い、奪い、満たす。人より多くを手に入れ、財産、領土、そして自分自身を守る行動をとってきた。
「守る」とはつまり境界を設け、分離を深めること。他者との間に強固な壁を築き、敵を生み出すことだ。彼らはこの世界を「有限」なものだと考える。物事には限りがあるから、自分を満たすには他者のものを奪わなければならないわけだ。
一方、ジェダイは「無限」の立場をとる。すべての命はひとつであり、今は分離して見えていたとしても、最終的には源に帰り、永遠の循環を繰り返すことを知っている。もともと同じなのだから、足りないもの、奪うべきものなどないのだ。

きみがみているこの世界のすべてが、きみの想念がフォースを味方にして生み出したものであり、きみの一部でもある。自分自身からいったい何を奪い、何を失うことができよう?
シスのように現実に対処する必要はない。自分自身が現実を創造すればいいのだ。きみは「何を手に入れるか」ではなく、「何を生み出すか」という立場なのだ。
そのためには、己の至福を追求するがいい。

責められると、傷つくことを恐れて「言われたからやる」、「仕方ないからやる」、「義務だからやる」のはもうやめだ。自己保身はきみを小さく、小さくまとめてしまう。これからは「愛することをやる」、「魂が喜ぶことをやる」でいいのだ。
愛は無限への扉を開く創造的なエネルギーだ。境界を越え、恐れを無力化する。ありのままの自分を受け入れ、慈しみ、フォースに身を委ねれば、その力はきみのものだ。そうなれば、知らず知らずのうちに、自然と愛に基づく行動が取れるようになってくるだろう。

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ジャン=クー・ヤーガ(「ジェダイの哲学 フォースの導きで運命を全うせよ」231ページ)





You must love in such a way that the person you love feels free.
あなたは、自分の愛するその人が自由を感じるような方法で愛さなければならない。



Thich Nhat Hanh
ティク・ナット・ハン





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今回は、テキスト第十三章から「ふたつの感情」という一節をご紹介します。


愛と恐れ

コースは、私たちの抱く感情は愛と恐れのふたつしかないと言います。

そして、テキスト第1章の序文では、次のように述べられます。

「The opposite of love is fear, but what is all- encompassing can have no opposite.
 愛の対概念は恐怖ですが、すべてを包含するものはいかなる対極も持つことはできません。」

レッスン163「死は存在しない。神の子は自由だ」で、愛と恐れ、生命と死等の対概念について一方のみが実在し、もう一方はその一方の不在を名付けただけだということを述べていますので、参考にしてください。


あるのは愛だけですが、愛の不在が恐れという、まるで実在するかのように見える幻想として、この世界では幅を利かせることになります。




影法師たち

本節では、私たち個々人が見る幻想世界を埋め尽くす影法師たちについて語られます。

「2. Each one peoples his world with figures from his individual past, and it is because of this that private worlds do differ.
 誰もが一人ひとり、自分の個人的な過去からの登場人物たちで自分の世界を埋め尽くします。これが個々人の私的な世界が非常に異なる理由です。

 Yet the figures that he sees were never real, for they are made up only of his reactions to his brothers, and do not include their reactions to him.
 しかし、その人の見ている人物たちは一度も実在したことはありません。なぜなら、その人物たちは自分の兄弟たちに対するその人の反応だけから作りあげられたものであり、その人に対する兄弟たちからの反応は含まれていないからです。」

世界には、私たちと同じように、エゴ・身体というアバターとしての人の子、人間に身をやつした神の子である兄弟たちがいます。

しかし、エゴに従う私たちは、彼らの中に、実在しない自分の個人的な過去に基づく登場人物である影法師たちを投影して、ありのままに兄弟を見ることができなくなっています。

「The shadow figures are the witnesses you bring with you to demonstrate he did what he did not.
 影法師たちとは、神の子がしてもいないことを、あたかもしたかのように証明しようとしてあなたが連れ歩く証人たちです。」(T17-3 過去からの影たち、1.)


シャドウ



Carl Gustav Jung
カール・グスタフ・ユング


「影法師」については、このような定義が示されるだけですが、兄弟と自分の真の姿がひとつの神の子であることがわからなくなるよう自他分離のうえで投影することを正当化するために、他者の罪を証言する証人であり、個々の人格、ペルソナ、魂が輪廻のつど身につけてきた僻見、カルマ等、自分の中で受け入れることができずに抱えたままの葛藤、ユングのいう原型のひとつ、シャドウ(シャッテン、影)のようなものです。

ちょうどシャドウを投影するのに都合のよい属性を持つ兄弟が登場すると、白紙のスクリーンに葛藤を投影しては赦しが起こらないように作用します。

私たちは、兄弟の中に、夢の中の登場人物と同じように、自分だけの世界の中の影法師を見て、自分の兄弟を攻撃してきました。

しかし、兄弟の中には私たちが攻撃するつもりの影法師は実はいないので、私たちは自分自身をまず攻撃しなければならなくなります。

そして、私たちには、兄弟に投影する影法師は敵にしか見えておらず、兄弟が実は自分の分身であることに気づかないので、自分が自分を咎めて罰しようとしているとは思いもよらないので、とことん残虐になることができてしまいます。


色眼鏡を外さなければ地獄から抜け出せない

こうして、ますます、自他の分離感は増幅し、兄弟の真の姿に気づくことが困難になります。

別の記事で述べたように、ARグラスで知覚を反転させるアプリができたとすると、幼いわが子が手作りのお菓子を作って入れた箱をきゃっきゃとかわいらしい声をあげながら喜んで自分のところに届けてきてくれた様が、小鬼のようなゾンビが気味の悪い奇声を発しながら悪臭を放つ汚物まみれの箱を自分にぶつけようとしているように見えて、思い切り腹を蹴飛ばして小鬼が虫の息になっているのを見て安堵しているような狂気が起こることになります。

自分の抱く憎悪を兄弟に見ているとき、私たちは実はその兄弟を見てはおらず、自分の影法師を見て、恐れと愛を混同しているので、兄弟が差し延べてくれる愛にまったく気づくことができません。


自分がエゴに従って正気を失って、闇の中で目を閉じて存在しない幻を見ていることに気づいて、聖霊という光に照らしてキリストのヴィジョンで真に見るなら、兄弟の中には、影法師ではなく、自分自身が見えることになります。


愛の中に恐れはない

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1John 4:18
第一ヨハネ4章

God is love.
神は愛です。

Whoever lives in love lives in God, and God in them.
愛に生きるものはだれしも、神の内に生き、神が彼の内に生きます。

17 This is how love is made complete among us so that we will have confidence on the day of judgment: In this world we are like Jesus.
愛を生きることで、愛は私たちの間で完全なものとされ、そうして、私たちは、この世において自分たちがイエスのようになるときとして、裁きの日に確信を持てるようになります。

18 There is no fear in love.
愛の中に恐れはありえません。

But perfect love drives out fear, because fear has to do with punishment.
完全な愛は恐れを追い払います。なぜなら、恐れは処罰と相伴うものだからです。

The one who fears is not made perfect in love.
恐れる者は、愛を全うしていないのです。


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テキスト第十三章

V. The Two Emotions
五 ふたつの感情



1. I have said you have but two emotions, love and fear.
 私は、あなたが抱く感情はふたつしかないと述べました。それは、愛と恐れです。

 One is changeless but continually exchanged, being offered by the eternal to the eternal.
 愛は不変なるものですが、永遠なるものによって永遠なるものへと差し延べられることで、絶え間なく交換されています。

 In this exchange it is extended, for it increases as it is given.
 この絶え間ない交換によって、愛は拡張されます。なぜなら、愛は与えられることで増大してゆくものだからです。

 The other has many forms, for the content of individual illusions differs greatly.
 もう一方の恐れは数多くの形をとります。なぜなら、個々人の抱く幻想の内容は大いに異なるからです。

 Yet they have one thing in common; they are all insane.
 しかし、個々人の抱く幻想にはひとつの共通点があります。それは、どの幻想もみな狂っているということです。

 They are made of sights that are not seen, and sounds that are not heard.
 個々人の抱く幻想は見えもしない光景や、聞こえもしない物音でできています。

 They make up a private world that cannot be shared.
 そして、個々人の抱く幻想は、自分だけの世界を作り出し、その世界を分かち合うことはできません。

 For they are meaningful only to their maker, and so they have no meaning at all.
 というのは、個々人の抱く幻想はその錯覚を作り出した当人にとってしか意味をなさず、したがって、それらの幻想はまったく何の意味も持たないからです。

 In this world their maker moves alone, for only he perceives them.
 この自分だけの世界の中では、それらの幻想を作り出した者だけが活動しています。というのも、個々人の抱く幻想を知覚しているのは、ただ幻想を作り出した当人だけだからです。

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2. Each one peoples his world with figures from his individual past, and it is because of this that private worlds do differ.
 誰もが一人ひとり、自分の個人的な過去からの登場人物たちで自分の世界を埋め尽くします。これが個々人の私的な世界が非常に異なる理由です。

 Yet the figures that he sees were never real, for they are made up only of his reactions to his brothers, and do not include their reactions to him.
 しかし、その人の見ている人物たちは一度も実在したことはありません。なぜなら、その人物たちは自分の兄弟たちに対するその人の反応だけから作りあげられたものであり、その人に対する兄弟たちからの反応は含まれていないからです。

 Therefore, he does not see he made them, and that they are not whole.
 それゆえに、彼には、自分がそんな人物たちを作り出したことも、そして、そんな人物たちが完全ではないこともわかりません。

 For these figures have no witnesses, being perceived in one separate mind only.
 というのも、これらの登場人物たちはひとつの分離した心の中だけで知覚されているものなので、その存在を証明する証人がひとりもいないからです。



3. It is through these strange and shadowy figures that the insane relate to their insane world.
 これらの奇妙な影法師たちを通して、狂気の者たちは自らの狂気の世界に関わります。

 For they see only those who remind them of these images, and it is to them that they relate.
 というのも、狂気の者たちに見えるのは、自分に狂気の世界のイメージを思い起こさせるこの奇妙な影法師たちだけだし、狂気の者たちが関わるのは、この奇妙な影法師たちだけだからです。

 Thus do they communicate with those who are not there, and it is they who answer them.
 したがって、狂気の者たちは、そこに存在しない者たちとコミュニケーションを行っているのであり、狂気の者に返事をして応答しているのは狂気の者たち自身なのです。

 And no one hears their answer save him who called upon them, and he alone believes they answered him.
 だから、奇妙な影法師たちの答えは、その者たちに呼びかけた当の本人以外の誰にも聞こえません。だから、彼だけが本当はそこにいない人物たちに自分は答えてもらえたと信じているのです。

 Projection makes perception, and you cannot see beyond it.
 投影することで知覚が作り出されるので、あなたは知覚するものを越えてその向こう側を見ることができません。

 Again and again have you attacked your brother, because you saw in him a shadow figure in your private world.
 何度も何度もあなたは自分の兄弟を攻撃してきました。なぜなら、あなたはその兄弟の中に、自分だけの世界の中の影法師を見たからです。

 And thus it is you must attack yourself first, for what you attack is not in others.
 こうして、あなたはまっさきに自分自身を攻撃しなければならなくなります。なぜなら、あなたが攻撃するものは他者の中にはないからです。

 Its only reality is in your own mind, and by attacking others you are literally attacking what is not there.
 あなたが攻撃しようとするものが現実味を持つのは、ただあなた自身の心の中でだけです。だから、他者を攻撃することで、あなたは文字どおり、そこに存在しないものを攻撃していることになります。

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4. The delusional can be very destructive, for they do not recognize they have condemned themselves.
 妄想を抱く者たちは、きわめて破壊的になることができます。というのは、彼らには自分が自分に有罪を宣告して咎めていることがわからないからです。

 They do not wish to die, yet they will not let condemnation go.
 彼らは死ぬことを望んではいないけれど、彼らには誰かを咎めるのをやめる気はありません。

 And so they separate into their private worlds, where everything is disordered, and where what is within appears to be without.
 そこで、彼らは分離して、それぞれに自分だけの世界の中へと入りこむことになります。というのも、自分だけの世界なら、あらゆるものが秩序を失っているし、そこでは、自分の内側にあるものが外側にあるように見えるからです。

 Yet what is within they do not see, for the reality of their brothers they cannot recognize.
 しかし、彼らは内側にあるものを見ようとはしません。なぜなら、彼らには自分の兄弟たちが本当は誰なのか気づくことができないからです。



5. You have but two emotions, yet in your private world you react to each of them as though it were the other.
 あなたには、ただふたつの感情しかありません。しかし、あなたの自分だけの世界では、あなたはそのいずれの感情に対しても、まるで一方の感情がもうひとつの感情であるかのように反応してしまいます。

 For love cannot abide in a world apart, where when it comes it is not recognized.
 というのは、愛が訪れても愛とは認識されない分裂した世界に、愛は留まることができないからです。

 If you see your own hatred as your brother, you are not seeing him.
 もしあなたが自分の抱く憎悪を自分の兄弟に見るなら、あなたはその兄弟を見てはいないのです。

 Everyone draws nigh unto what he loves, and recoils from what he fears.
 誰しも自分が愛するものには近づくし、自分が恐れるものからは遠ざかります。

 And you react with fear to love, and draw away from it.
 そして、あなたは愛に対して恐れを抱いて反応し、愛から引き下がってしまいます。

 Yet fear attracts you, and believing it is love, you call it to yourself.
 反対に、あなたは恐れには魅惑され、恐れこそが愛だと信じこんでいるので、あなたは恐れを自分に呼び寄せます。

 Your private world is filled with figures of fear you have invited into it, and all the love your brothers offer you, you do not see.
 あなたの自分だけの私的な世界は、あなたが自らその中に招き入れた恐怖の登場人物たちで満たされているので、あなたの兄弟たちがどのような愛をあなたに差し延べてくれても、あなたにはそれがまったく目に入りません。

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6. As you look with open eyes upon your world, it must occur to you that you have withdrawn into insanity.
 あなたが見開いた目で自分の世界を見つめるなら、きっとあなたも、自分が狂気の中に引きこもっていたのだと思い至るはずです。

 You see what is not there, and you hear what makes no sound.
 あなたはそこに存在しないものを見たり、音を立てていないものの音を聞いています。

 Your manifestations of emotions are the opposite of what the emotions are.
 あなたが表現する感情は、本当の感情とは正反対のものになっています。

 You communicate with no one, and you are as isolated from reality as if you were alone in all the universe.
 あなたは誰ともコミュニケーションをとらず、まるで自分が全宇宙の中に孤立しているかのように、あなたは現実から隔離されています。

 In your madness you overlook reality completely, and you see only your own split mind everywhere you look.
 狂気に陥ったあなたは、完全に現実を見失ってしまっているので、どこに目を向けても、あなたには自分自身の分裂した心しか見えません。

 God calls you and you do not hear, for you are preoccupied with your own voice.
 神はあなたを呼んでいますが、あなたにはそれが聞こえません。なぜなら、あなたは自分の作り出した声に心を奪われてしまっているからです。

 And the vision of Christ is not in your sight, for you look upon yourself alone.
 あなたにはキリストに見えている光景が見えません。というのも、あなたは自分自身にしか目を向けていないからです。



7. Little child, would you offer this to your Father?
 幼子よ、あなたはこんなものを大いなる父に捧げようというのでしょうか。

 For if you offer it to yourself, you are offering it to him.
 というのも、もしあなたが恐れを自分自身に与えるのなら、あなたは恐れを父に捧げることになるからです。

 And he will not return it, for it is unworthy of you because it is unworthy of him.
 それに、神が恐れを与え返すことはないでしょう。というのは、恐れは神にとって無価値なものなので、あなたにとってもふさわしくないからです。

 Yet he would release you from it and set you free.
 それでも、神はあなたを恐れから解放して、あなたを自由にすることを意図してくれました。

 His sane Answer tells you what you have offered yourself is not true, but his offering to you has never changed.
 神の正気の答えは、あなたが自分自身に与えた恐れは真実ではないけれど、神があなたに差し延べている愛は一度も変わったことはないとあなたに教えてくれます。

 You who know not what you do can learn what insanity is, and look beyond it.
 あなたは自分が何をしているのかわかっていませんが、そんなあなたも、狂気が何であるかを学び、その狂気を越えて見ることはできます。

 It is given you to learn how to deny insanity, and come forth from your private world in peace.
 あなたは、どうやって狂気を否認し、どのようにして平安のうちに自分だけの私的な世界から抜け出せばよいのか学ぶことができます。

 You will see all that you denied in your brothers because you denied it in yourself.
 あなたは、あなたが自分自身の中にそれがあることを否認したせいで、あなたが兄弟たちの中にあることがわからなくなっていたあらゆるものを見るようになるでしょう。

 For you will love them, and by drawing nigh unto them you will draw them to yourself, perceiving them as witnesses to the reality you share with God.
 というのも、あなたは兄弟たちを愛するようになるし、あなたは、彼らに近づくことによって彼らを自分自身に引き寄せることになるので、彼らのことを自分が神と共有する現実の証人として知覚するようになるからです。

 I am with them as I am with you, and we will draw them from their private worlds, for as we are united so would we unite with them.
 私があなたと一緒にいるように、私はその兄弟たちとも一緒にいます。そして、私たちは兄弟たちを彼らの自分だけの世界から引っ張り出すことになります。なぜなら、私とあなたが心をひとつにすることで、私たちは兄弟たちともひとつに結ばれることを意図するようになるからです。

 The Father welcomes all of us in gladness, and gladness is what we should offer him.
 大いなる父は私たちみんなを喜んで歓迎してくれるのだから、私たちが父に捧げるべきなのは喜びです。

 For every Son of God is given you to whom God gave himself.
 というのも、神が自らを与えたあなたには、神の子全員が与えられているからです。
 
 And it is God whom you must offer them, to recognize his gift to you.
 だから、神が自分に与えてくれた贈り物に気づくために、あなたは神の子全員に神を捧げなければならないのです。

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8. Vision depends on light.
 ヴィジョンは光に依存します。

 You cannot see in darkness.
 あなたは闇の中では見えないからです。

 Yet in darkness, in the private world of sleep, you see in dreams although your eyes are closed.
 ただし、闇の中でも、眠って見る自分だけの世界の中でなら、あなたの目が閉じていても、あなたは夢の中で見ることができます。

 And it is here that what you see you made.
 そして、あなたに見えているものをあなたが作り出したのは、まさにこの夢の中でのことなのです。

 But let the darkness go and all you made you will no longer see, for sight of it depends upon denying vision.
 ただその闇を去らせなさい。そうすれば、あなたはもう自分で作り出したどんなものも目にすることがなくなるでしょう。なぜなら、ヴィジョンを否認することが、あなたの作り出したものを見ることを可能にする基盤だからです。

 Yet from denying vision it does not follow you cannot see.
 ヴィジョンを否認することは、あなたが何も見えなくなることを帰結するわけではありません。

 But this is what denial does, for by it you accept insanity, believing you can make a private world and rule your own perception.
 夢の中で自分で作り出したものが見えるようにすることだけが、ヴィジョンを否認することで起こることです。というのも、ヴィジョンを否認することによって、あなたは、自分だけの世界を作り出して自分の知覚を支配できるものと信じて、狂気を受け入れるからです。

 Yet for this, light must be excluded.
 ただし、ヴィジョンを否認するためには、必ず光が締め出されていなければなりません。

 Dreams disappear when light has come and you can see.
 光が射し込んで、あなたが見ることができるようになれば、夢は消え失せてしまうからです。



9. Do not seek vision through your eyes, for you made your way of seeing that you might see in darkness, and in this you are deceived.
 あなたの肉眼を通してヴィジョンを得ようとしてはなりません。というのは、あなたは闇の中でも見えるように、自分独自の見るための手段として肉眼を作り出したのであり、あなたは、この肉眼によって欺かれているからです。

 Beyond this darkness, and yet still within you, is the vision of Christ, Who looks on all in light.
 それは依然としてあなたの内側なのですが、この闇を越えたところにキリストのヴィジョンがあります。そして、キリストはあらゆるものを光の中で見ています。

 Your "vision" comes from fear, as his from love.
 あなたの「視覚」は恐れから生じますが、キリストのヴィジョンは愛から生じます。

 And he sees for you, as your witness to the real world.
 そして、キリストは真の世界をあなたに示す証人として、あなたに代わって見てくれます。

 He is the Holy Spirit's manifestation, looking always on the real world, and calling forth its witnesses and drawing them to you.
 キリストは聖霊の顕現であり、つねに真の世界を眺めているので、真の世界の証人たちを呼び出して、彼らをあなたの許へと連れてきてくれます。

 He loves what he sees within you, and he would extend it.
 キリストはあなたの内に見ているものを愛しているので、キリストはそれを拡張しようとします。

 And he will not return unto the Father until he has extended your perception even unto him.
 そして、大いなる父の下に届くまであなたの知覚を拡張させ終えるまでは、キリストが大いなる父の下に戻ることはありません。

 And there perception is no more, for he has returned you to the Father with him.
 そのとき、もはや知覚は存在しません。なぜなら、キリストは自らとともにあなたを神の下に連れ戻したからです。

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10. You have but two emotions, and one you made and one was given you.
 あなたが抱くのは、ふたつの感情だけです。そのひとつである恐れはあなたが自分で作り出したものであり、もうひとつの愛はあなたに与えられたものです。

 Each is a way of seeing, and different worlds arise from their different sights.
 それぞれの感情はものの見方であり、それぞれの異なる視座からは異なる世界が姿を現します。

 See through the vision that is given you, for through Christ's vision he beholds himself.
 あなたに与えられたヴィジョンを通して見てください。というのは、キリストのヴィジョンを通してキリストが見るのはキリスト自身だからです。

 And seeing what he is, he knows his Father.
 そして、本当の自分を見ているので、キリストは自らの大いなる父を知っています。

 Beyond your darkest dreams he sees God's guiltless Son within you, shining in perfect radiance that is undimmed by your dreams.
 あなたの見る最も暗い夢の向こう側に、キリストはあなたの内にいる罪なき神の子を見ています。その神の子は、あなたの夢によっても翳ることのない完全な輝きの中で煌いています。

 And this you will see as you look with him, for his vision is his gift of love to you, given him of the Father for you.
 そして、あなたがキリストとともに見つめるとき、あなたはこの光景を見るでしょう。というのも、キリストのヴィジョンは、あなたへのキリストからの愛の贈り物であり、その贈り物は、あなたのために大いなる父からキリストに与えられたものだからです。



11. The Holy Spirit is the light in which Christ stands revealed.
 聖霊は光です。その光の中に、キリストが姿を現します。

 And all who would behold him can see him, for they have asked for light.
 そして、キリストを見たいと望む者は誰でも、キリストを見ることができます。というのも、彼らは光を求めたからです。

 Nor will they see him alone, for he is no more alone than they are.
 また、彼らはキリストだけを見るわけではありません。なぜなら、彼らがひとりきりではないのと同様に、キリストもひとりきりではないからです。

 Because they saw the Son, they have risen in him to the Father.
 彼らが神の子を見たがゆえに、彼らはキリストの中に復活して大いなる父の下へと昇ったのです。

 And all this will they understand, because they looked within and saw beyond the darkness the Christ in them, and recognized him.
 そして、彼らはこうしたことをすべて理解するでしょう。なぜなら、彼らは自分の内面を覗いて、闇を越えて自分の中にキリストを見て、キリストを認めたからです。

 In the sanity of his vision they looked upon themselves with love, seeing themselves as the Holy Spirit sees them.
 キリストのヴィジョンによる正気の中で、彼らは愛をこめて自分自身を見るようになったので、聖霊が彼らを見るがごとくに自分のことを見ています。

 And with this vision of the truth in them came all the beauty of the world to shine upon them.
 そして、彼らの中にある真理を見通すこのヴィジョンとともに、世界の美しさのすべてが姿を現して彼らを照らし出すのです。


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