レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」

2014年06月29日
レッスン341〜350 0

兄弟との関わり合いは、あなたが自分の中の何を赦さなければならないかを見せてくれるでしょう。

Jesus Christ

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)




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レッスン345です。

「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」が今日のレッスンです。




まず、奇跡ってなに?をご覧ください。


「己」が真の自己であるなら、利己的であることは正しいこと

昨日のレッスンの愛の法によって、私たちが兄弟に与えるものは自分自身への贈り物となります。

今日のレッスンは、この与えるものとして、奇跡だけを与えられるようにとの祈りです。

「私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」という理由の部分は、なんだか利己的な動機のように響くかもしれませんが、この利「己」は、小さな自己すべてがひとつに結ばれた大いなる自己の利益であり、エゴイスティックな意味での利己ではありません。

エゴイスティックな利己心の根源は、大いなる自己の本質である愛です。

すべてを持ちすべてである大いなる自己は、愛であるので、すべてをひとつに結びつける求心力が外部へと拡張してゆくようなものとしてイメージすることができます。



この求心作用は、大いなる自己のうちにうねりのような働きを生みます。

大いなる霊を無形の流動的なものとしてイメージするなら、新体操選手がリボンを手元でクルクルと回してらせん状にリボンが渦巻くように、その流動体全体は拡張を継続しながらも中心に向けて収斂し続ける求心作用とみなすことができます。

ひとつの大きな渦巻きがグルグルうねる回転運動を自然に繰り返しながら拡張=求心を続けることになります。


分離幻想が生み出す偽りの自己が利己を悪に変えてしまう



しかし、この流動体が仕切りで多くのコンパートメントに区分されると、区分された枠内で、仕切られた流動体は、全体としてひとつであった時と同じような、回転運動を従来通り継続しますが、そうなると、各区画ごとに、個別の渦巻きが生まれることになります。



そうなると、各渦巻き同士は、貝独楽(ベーゴマ)のようにぶつかり合い、はじき合い、お互いに相手を自分に取り込み食らいつくすか反発し合ってお互いを破壊するようになります。

全体がひとつであるときには、ひとつに結びつける愛として作用していた求心力は、いまや小さな自己の利益のみを図り、この利己性が反発し合う排斥力として作用するようになります。

大いなる愛としてひとつであるときには、美しい虹の光の放射であった一つの渦は、いまや混沌を生み出す作用として働くことになります。

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利己心を押し殺すことではなく分離幻想を去らせることが必要なだけ

それゆえにこそ、必要なのは、利己心を抑え込んで抹殺することではなく、本来は愛となるべき求心作用を狂わせている分離という障壁を除去することに尽きるわけです。

つまり、利己的であることは悪いことではなく、「利己」の「己」が本当はひとつしかない大いなる自己ではなく実在しない、妄想した偽りである、分離した小さな自己になっている点が問題なわけです。

したがって、利己心であるエゴを押し殺そうとすることは、愛に起源を持つ愛の発露を抑圧することにしかならず、それに成功しても愛のない人畜無害な存在になるだけです。そして、愛に欠ける存在である以上、結果的には無害であることはできず有害な影となってしまうでしょう。

必要なのは、正しい利己主義になること、つまり、分離幻想から脱して「己」を本来の大いなる自己に据え直すことだけです。





アインシュタインの言葉

He experiences himself, his thoughts and feelings, as something separated from the rest -a kind of optical delusion of his consciousness.
個人としての私たちは、自分の思考や自分の感情を含めた自分自身が、まるで自分以外の残りの全体から分離した存在であるかのように体験しています。これは、人の意識という一種の錯視現象による思い違いです。

This delusion is a kind of prison for us, restricting us to our personal desires and to affection for a few persons nearest us.
この錯覚は、私たちを自分の個人的な願望に束縛し、自分のごく身近なわずかな人たちだけへの愛着に制限することで、私たちを牢獄のように幽閉します。

Our task must be to free ourselves from this prison by widening our circles of compassion to embrace all living creatures and the whole of nature in its beauty.
私たちの任務は、この牢獄から自分たち自身を解放して、自らの慈悲の心が及ぶ輪を生きとし生けるものや美しい自然全体を抱擁するまで広げることにほかなりません。

Only a life lived for others is worth living.
ほかの人たちのために生きる人生だけが、生きる価値を持つのです。



Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン



奇跡は、自他の分離幻想によって分け隔てられているこの世界で、自他は分離しておらず愛に結ばれてひとつであるという真理が幻想の殻を破って姿を現すことであり、真の赦しによって生まれ、私たちが神の記憶を取り戻すための道を照らしてくれます。




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Lesson 345

I offer only miracles today,
私は今日、奇跡だけを与えることにする。

For I would have them be returned to me.
というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ。



1. Father, a miracle reflects Your gifts to me, Your Son.
 大いなる父よ、奇跡は、あなたの子である私へのあなたからの贈り物を反映するものです。

 And every one I give returns to me, reminding me the law of love is universal.
 そして、私が与える奇跡の一つひとつが私に戻ってきて、愛の法が普遍的なものであることを私に思い出させてくれます。

 Even here, it takes a form which can be recognized and seen to work.
 この地上においてすら、愛の法はそれが作用していることに気づき、目にすることのできる形をとります。

 The miracles I give are given back in just the form I need to help me with the problems I perceive.
 私が与える奇跡は、私が知覚する問題について私の助けとなるために必要なちょうどふさわしい形で与え返されます。

 Father, in Heaven it is different, for there, there are no needs.
 大いなる父よ、天国では、このようなことはありません。なぜなら、天国にはいかなる必要もないからです。

 But here on earth, the miracle is closer to Your gifts than any other gift that I can give.
 しかし、この地上では、奇跡は、私に与えることのできるほかのどんな贈り物よりも、あなたの贈り物に近いものです。

 Then let me give this gift alone today, which, born of true forgiveness, lights the way that I must travel to remember You.
 だから、私が今日、この奇跡という贈り物だけを与えられますように。その奇跡は、真の赦しから生まれ、私があなたを思い出すために旅しなければならない道を光で照らしてくれます。



2. Peace to all seeking hearts today.
 今日、探求するすべての心に平安がありますように。

 The light has come to offer miracles to bless the tired world.
 疲れきった世界を祝福しようと、奇跡を与えるために光がやってきたのです。

 It will find rest today, for we will offer what we have received.
 世界は今日こそ安らぎを見出すことでしょう。というのも、私たちが自分たちの受け取ったものを差し延べることになるからです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。






次

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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