レッスン353「今日、私の目、私の口、私の手、私の足には、ただひとつの目的しかない。それは、キリストに渡して、この世界を奇跡で祝福するために使ってもらうことだ」

レッスン351〜360 1

Christ has no body now on earth but yours, no hands, no feet but yours.
キリストはもう地上に身体を持っておらず、キリストが使えるのは、あなたの身体、あなたの手とあなたの足だけです。

Yours are the eyes with which Christ looks out his compassion to the world.
あなたの目は、キリストが慈悲を込めて世界を眺める目となります。

Yours are the feet with which he is to go about doing good.
あなたの足は、キリストが良きことをなしに行く足となります。

Yours are the hands with which he is to bless us now.
あなたの手は、キリストが私たちを今祝福する手となります。


Teresa of Avila
アヴィラの聖テレジア





レッスン353です。

「今日、私の目、私の口、私の手、私の足には、ただひとつの目的しかない。それは、キリストに渡して、この世界奇跡祝福するために使ってもらうことだ」が今日のレッスンです。




まず、私とは何かをご覧ください。

P2-IV 病気のプロセスのエッセイが参考になると思います。

自分を怒らせる他者は自分が振り上げた剣を振り下ろして自分と一緒に相手を幽閉するか剣を背けて一緒に解放するか機会を与えてくれる救い主であり、他者の攻撃は助けを求める哀訴なのだから、返すべきは助けであり、自分が傷ついたことを示して罪悪感を抱かせようと攻撃するのではなく、自分が傷ついていないことを示して相手に自分は無罪だと気付かせることが必要だと認識すべきというのが聖霊の3大レッスンです。

具体性の世界に生きることで、私たちは、敵の姿に見える他者に自分を見出すことができずに分離幻想に囚われたままになります。

聖霊の3大レッスンによって具体性の仮面の向こう側の兄弟の本質と愛によってつながるためには、私たちは無個性なのっぺらぼうの博愛主義者にならなければならないわけではありません。

イエスのように振る舞おうと、柄にもない偽善的な行為を自分に無理強いして、自分の魂を見せかけの愛の牢獄に幽閉してしまった結果、うわべは神聖仮面を被っているけれど、腹の中はドス黒い汚物が渦巻いているような根は善良な残念な人はたくさんいるでしょう。

むしろ、自分の個性、持ち味を生かして他者に奉仕し、赦しを実践して、また、肉眼に見えている見せかけに惑わされずに、本質通りに世界と兄弟を見ることこそ、キリストの目となり耳となり、口となり、手足となることです。

自分の身体というアバターをキリストが世界の救済のために役立てる道具として使ってもらえるとしたら、これほど尊い目的に奉仕できる幸せなことはほかにないでしょう。

私たちは、これが大それたことではないし、必ずしも直接的にわかるような形でのみ神のメッセージを届けることだけがこの役目の果たし方というわけでもないということをすでに学んでいます。

幻想世界の架空の登場人物としての自分に割り振られたキャラクターを潔く受け入れ、自分のキャラではない別の何者かになろうという願望を捨て去り、自分自身になりきること、自分の持ち合わせる個性のすべての側面が翳ることなく照らされて光り輝くことこそ、尊いことだといえるでしょう。


夫や子供たち家族が自分が幸せであることが当たり前だと感じるくらいに、平凡な家庭の平凡な主婦業を非凡なまでに見事に成し遂げたその人は、名誉欲に駆り立てられるようにしてどす黒い影を抱えながら権力を持つに至った大物政治家よりもよほど神の子の健やかさに最大限の貢献をしたといえるかもしれません。

マザー・テレサの名言
「We can do no great things, only small things with great love.
私たちには、偉大なことはできません。ただ小さなことを大きな愛をもって行うだけです。」(T29-4 夢での役割)
を肝に命じましょう。

スティーブン・R・コヴィー先生は、7つの習慣で「私は、教師として、また親として確信していることがある。それは、『九九人の心をつかむ鍵を握っているのは、一人に対する接し方だ』ということだ」と語っています。

エゴは、他のエゴの評価、目線を梃子にしてしか自分の価値を推し量ることができません。

「8. The ego believes it is completely on its own, which is merely another way of describing how it thinks it originated.
 エゴは、完全に自分は独力で存在していると信じこんでいます。これは単に、エゴが自分がいかにして誕生したと思っているのかを違ったふうに描写しているだけです。

 This is such a fearful state that it can only turn to other egos and try to unite with them in a feeble attempt at identification, or attack them in an equally feeble show of strength.
 孤独の中に生れ、ひとりきりで存在することはあまりに恐ろしい状態なので、エゴはただほかのエゴに頼ることしかできません。だから、エゴは、一体感を持ちたいという思いから、痛ましくもほかのエゴと結びつこうと試みるか、または、同じく痛々しいばかりの見せかけの力強さを誇示するために、ほかのエゴを攻撃しようとします。」T4-2 エゴの起源

エゴに従うかぎり、自分の魂の声の呼び声よりも、世間の評価に価値を置いて、社会的に評価される価値観を選んでしまいます。

幸か不幸か魂の欲することがたまたま世間の価値基準に合致する人もいるでしょう。

他方で、魂の求めが世間の価値基準と乖離していて茨の道を歩むことが求められるように思える人も少なくないでしょう。

たとえば、魂を動物になぞらえるとして、柔和な羊の魂の持ち主が医療職等の癒しの仕事に従事することは当人にとっても社会にとっても益となるでしょう。

これに対して、荒ぶるオオカミの魂の持ち主にとっては、なかなか世間一般が評価するような道では本領が発揮できないということも多いかもしれません。

それでも、その魂が自分だけの道を見つけたとき、誰にも果たしえない大きな役目を果たすということもあるでしょう。

さて、ここまでは、常識的な善悪を前提に正道を辿ることをよしとする世界観で述べています。

この常識的な世界観から離れてさらに突っ込むなら、個々の魂にとっては、時空間のバッファーのあるこの幻想世界での人間としての人生での体験が各自の魂の向上や業の解消のために得難いチャンスであり、あの世で待機する無数の魂たちにとってはテレビやYouTubeを視聴するように現世での私たちの人生劇場からの学びを得る貴重な機会となっているかもしれません。

そうだとしたら、私たち個々の魂だけでなく、より多くの魂たちの学び、成長のために私たちのこの世界での人生劇が演じられている可能性もあることになり、その場合、集団魂として、あるいは関わり合う個々の魂たち同士の盟約のもとに、世界の常識からすれば、極悪非道な犯罪や事故等の災厄を引き起こす役割を担う魂も、もしかしたらあるのかもしれません。

ここは、この世界の常識的な世界観からすればありえないことですし、被害者の側に視点を置くなら想像もしたくない発想なので、単なる思考実験として捉えてもらうとよいです。

もしこれがありうるとしたら、憎まれ役を果たさなければならない損な役回りを引き受けたその魂が振られた役を首尾よく演じることがその魂が自らの誓約を果たし本懐を遂げることになり、むしろ、世間の価値観に従って悪事をなさずに平穏な人生を終えたなら、その魂は自分に託された役割を虚しくも果たさない裏切りの人生を歩んでしまったことを悔いることになるのかもしれません。

彼が果たすべきだった役目は結局、映画「ファイナル・デスティネーション」のように、別の人物や出来事が代わりに果たして結果は同じだったかもしれません。

このテーマはどうしても、この世界に身を置く立場にある私たちにとって、特定の視点や価値観、世界に刷り込まれた常識的な観点を離れて考察することが困難なために、感情の乱れが思考の論理性に影響を及ぼさずに冷徹に考えを進めることが困難になります。

アラン・ワッツ先生の「『ラットレース』から抜け出す方法」からの言葉を引用します。

「ユーモアというのは、公正な裁判官の目のきらめきである。彼は自分が被告席の重罪人でもあることを知っている。来る日も来る日も彼の前に引っぱってこられる哀れな奴らがいなかったら、どうして彼が『裁判官どの』とか『閣下』などと呼びかけられながら、厳粛な審判のなかで座っていられるだろう?これを自覚したところで、彼の仕事や役割にさしさわりはない。
 運命の輪がまわれば、自分は被告人であるかもしれないし、もしすべての真実が明らかにされていたなら、今自分があちら側に立っていたかもしれないということに気づけば、彼はかえってうまく裁判官の役割を演ずるようになる。」


この観点を述べるたびに、 コリン・C.ティッピングさんの書籍をおすすめしています。ぜひ読んでみてください。








Lesson 353


My eyes, my tongue, my hands, my feet today have but one purpose; to be given Christ to use to bless the world with miracles.
今日、私の目、私の口、私の手、私の足には、ただひとつの目的しかない。それは、キリストに渡して、この世界奇跡祝福するために使ってもらうことだ。



1. Father, I give all that is mine today to Christ, to use in any way that best will serve the purpose that I share with Him.
 大いなる父よ、私は今日こそ私のものすべてをキリストに渡して、私がキリストと分かち合う目的に役立つ最適な方法で使ってもらうことにします。

 Nothing is mine alone, for He and I have joined in purpose.
 私だけのものなど、何ひとつありません。というのも、キリストと私はひとつの目的で結ばれているからです。

 Thus has learning come almost to its appointed end.
 こうして、学びはもう少しで、その定められた目的地に到達します。

 A while I work with Him to serve His purpose.
 私はしばらくの間、キリストとともにキリスト目的に奉仕するために働きます。

 Then I lose myself in my Identity, and recognize that Christ is but my Self.
 それから私は、小さな自己としての自分自身を自分の真のアイデンティティーの中へと手放し、キリストが私の真の自己にほかならないと気づきます。


それでは、ブリトニーさんのレッスンです。



次

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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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2022年08月17日 (水) 18:09
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