レッスン355「私が神の言葉を受け入れるとき、すべての平安と喜びが果てることはないし、私が与える奇跡のすべてが尽きることもない。それがどうして今日であってならないのだろうか」
Miracles don’t happen to you.
奇跡はあなたに起こるのではありません。
They happen through you.
奇跡はあなたを通して起こるのです。

Mary Davis
メリー・デイヴィス

レッスン355です。
「私が神の言葉を受け入れるとき、すべての平安と喜びが果てることはないし、私が与える奇跡のすべてが尽きることもない。それがどうして今日であってならないのだろうか」が今日のレッスンです。
まず、私とは何かをご覧ください。

救済はつねに「今日」この瞬間に成就する
ワークブックでは、今日のレッスンと同じように、つねに救済が「今日」達成されると語ってきました。
救済はすでに成就しており、私たちは記録媒体に保管されている動画ファイルをクリックして再生するように、すでに終わった世界という幻想を再生し、偽りの記憶である3D映像が展開する時空間の中を人間というアバターを介して動き回って、あたかも世界が現在進行形で存在しているかのように見ています.
「Such is each life; a seeming interval from birth to death and on to life again, a repetition of an instant gone by long ago that cannot be relived.
一つひとつの人生というのは、そんなものです。すなわち、誕生から死まで続くように見える合い間、そして、再び生まれてくることで、はるか昔に過ぎ去って二度と再び生きることなどできないはずの一瞬を繰り返しているのです。
And all of time is but the mad belief that what is over is still here and now.
だから、時間というものはすべて、すでに終わったことが依然として今ここにあるという狂気の信念でしかないのです。」(T26-5 些細な障害、13.)。
物語世界の履歴ではなく、本当の自分のいる現在を思い出す
このようにすでに成就している救済がいまだ成就していない世界の中で自分が生きているという記憶、つまり、真実としてあったためしのない偽りの記憶を再生しているわけなので、本当の記憶力の使い方は、他者との隔たりという分離幻想がまとう時間と空間によってできた幻の虚構世界内でのログを辿って偽りの世界での架空の出来事の履歴を振り返ることではなく、虚構世界にいながらにして、本当の実世界(=天国)の自分、虚構世界内の時間経過や空間的距離とは無関係の現在を思い出すこと(T28-1 現在の記憶)ということになります。
記憶力によって想起するという作用は同じですが、想起する対象が、アバターのいる世界での履歴ではなく、アバターを操作している主体が何者かという点で根本的に異なります。
本を開いて小説を読んで物語の世界の主人公になりきって物語世界を体験している人にとって、本を読んでいるかぎりは、物語世界の中の時間進行や空間的な隔たりに縛られたままですが、お母さんの「晩ごはんよ」の呼び声で夕食時間だと気づいて我に返って本を閉じて、物語世界から現実に戻るのは、いつでもそのとき読んでいたページに描かれている物語世界の「今日」であり、私たちが救済に達するのも必ずこの幻想世界の「今日」なのです。

Lesson 355
There is no end to all the peace and joy, and all the miracles that I will give, when I accept God's Word.
私が神の言葉を受け入れるとき、すべての平安と喜びが果てることはないし、私が与える奇跡のすべてが尽きることもない。
Why not today?
それがどうして今日であってならないのだろうか。
1. Why should I wait, my Father, for the joy You promised me?
わが父よ、あなたが私に約束してくれた喜びを得るときを、どうして私が待っていなければならないのでしょう。
For You will keep Your Word You gave Your Son in exile.
というのも、あなたは、流寓するわが子に授けた自らの言葉を守ってくれるはずだからです。
I am sure my treasure waits for me, and I need but reach out my hand to find it.
私は、自分の宝物が私を待っていると確信しています。だから、私は自分の宝物を見つけるために、ただ自分の手を伸ばしさえすればよいのです。
Even now my fingers touch it.
今この時ですら、私の指先はその宝物に触れています。
It is very close.
宝物はとても近くにあります。
I need not wait an instant more to be at peace forever.
私は、永遠に平安であるために、もう一瞬も待つ必要はないのです。
It is You I choose, and my Identity along with You.
私が選ぶのはあなたであり、あなたと一緒に本当の自分を思い出すことも選んだことになります。
Your Son would be Himself, and know You as his Father and Creator, and his Love.
あなたの子は、真の自分自身となり、あなたのことを自らの大いなる父にして創造主であり、自らの大いなる愛であると知るのです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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