レッスン354「平安の中で目的を確信して、キリストと私はふたり一緒に立っています。そして、キリストが私の中にいるように、キリストの中にはキリストの創造主が在ります」
Jesus answered, “I did tell you, but you do not believe.
イエスは彼らに答えられた、「私は確かにあなたがたに告げたのに、あなたがたは信じようとしない。
The works I do in my Father’s name testify about me, but you do not believe because you are not my sheep.
私がわが父の名においてなすすべてのわざが、私のことを証ししている。それでも、あなたがたが信じないのは、あなたがたが私の牧する羊でないからである。
My sheep listen to my voice; I know them, and they follow me.
私の羊は私の声に聞き従う。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。
I give them eternal life, and they shall never perish; no one will snatch them out of my hand.
私は、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、誰も彼らを私の手から奪い去ることはできない。
My Father, who has given them to me, is greater than all; no one can snatch them out of my Father’s hand.
私の父が私に下さったものは、すべてにまさるものである。わが父の御手から、それを奪い取ることは誰にもできない。
I and the Father are one.”
私と父はひとつだからである」。
Again his Jewish opponents picked up stones to stone him, but Jesus said to them, “I have shown you many good works from the Father. For which of these do you stone me?”
そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。するとイエスは彼らに答えられた、「私は、父による多くのよきわざを、あなたがたに示してきた。その中のどのわざのために、私を石で打ち殺そうとするのか」。
“We are not stoning you for any good work,” they replied, “but for blasphemy, because you, a mere man, claim to be God.”
ユダヤ人たちは答えた。「私たちがあなたを石で殺そうとするのは、よきわざをなしたからではなく、神を冒涜したからである。また、あなたはただの人間にすぎないのに、自分を神と認めるよう求めたからである」。
Jesus answered them, “Is it not written in your Law, ‘I have said you are “gods”’?
イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法(詩篇第82篇)に、『私は言った。あなたがたは”神々”である』と書いてあるではないか。
If he called them ‘gods,’ to whom the word of God came—and Scripture cannot be set aside— what about the one whom the Father set apart as his very own and sent into the world?
神の言葉を託された人々を神が『神々』と呼ばれたのであれば、そして聖書の言葉を無視することなど許されないのだから、大いなる父がまさしく自身に属する者として聖別して世に遣わした者を神々のひとりというのは当然ではないか。
Why then do you accuse me of blasphemy because I said, ‘I am God’s Son’?
それなのに、『私は神の子である』と私が言ったからといって、どうしてあなたがたは私を涜神の廉で咎めるのか。
Do not believe me unless I do the works of my Father.
もし私が父のわざをなさないのであれば、私を信じずともよい。
But if I do them, even though you do not believe me, believe the works, that you may know and understand that the Father is in me, and I in the Father.”
しかし、もし私が神のわざをなすなら、たとえあなたが私を信じずとも、私のなすわざを信じるがよい。そうすれば、あなたにも父が私の内にあり、また、私も父の内にあることを知って悟るであろう」。
Again they tried to seize him, but he escaped their grasp.
そこで、彼らはまたイエスを捕えようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて去って行かれた。

John 10:25-39
イエス・キリスト(ヨハネによる福音書第10章25-39節)

レッスン354です。
「平安の中で目的を確信して、キリストと私はふたり一緒に立っています。そして、キリストが私の中にいるように、キリストの中にはキリストの創造主が在ります」が今日のレッスンです。
まず、私とは何かをご覧ください。

心のゴミ掃除、進んでますか?
テキストの最初のほうで、イェシュアは次のように語ります。
「There is nothing about me that you cannot attain.
私の持ち合わせるもので、あなたたちが手に入れられないものは何ひとつありません。
I have nothing that does not come from God.
私の持つもので神に由来しないものは何ひとつありません。
The difference between us now is that I have nothing else.
今のところ、あなたたちと私との違いは、私が神から授かったもの以外には何も持っていないということです。
This leaves me in a state which is only potential in you.
このことが、あなたたちにとってはまだ可能性にとどまっている境地に私を置いているのです。」(T1-2 啓示と奇跡はどう違うの?時間とはどんな関係にある?3.)
捨てれば捨てるほどシンクロ率は上昇するはず

イェシュアは、私たちの持ち合わせていない特別な何かを持っているからではなく、私たちが余計に持っているガラクタを捨て去ったがゆえにキリストとなったのだということであり、このイェシュアの言葉は、奇跡のコースが外から知識を取り込む通常の学習ではなく、余計な障害、ガラクタを除去する学習棄却、アンラーン(unlearning)を本質とする学びであることを如実に物語っています。
このように、私たちとイェシュアが神の子として等しい同胞であるものの、私たちが神から授かったもの以外のものを持っているために、これが障害となって、私たちだけでは神との隔たりが大きすぎて、障害を乗り越えて神の下に帰還するのが困難なので、
「I bridge the distance as an elder brother to you on the one hand, and as a Son of God on the other.
私は、一方では、あなたたちの兄として、他方では、神の子として、その隔たりに橋を架けます。」(T1-2 啓示と奇跡はどう違うの?時間とはどんな関係にある?4.)
とイェシュアは言ってくれました。
本レッスンは、私たちの偉大な兄イェシュアのこの言葉を噛み締めながら実践していただきたいと思います。

Lesson 354
We stand together, Christ and I, in peace and certainty of purpose.
平安の中で目的を確信して、キリストと私はふたり一緒に立っています。
And in Him is His Creator, as He is in me.
そして、キリストが私の中にいるように、キリストの中にはキリストの創造主が在ります。
1. My oneness with the Christ establishes me as Your Son, beyond the reach of time, and wholly free of every law but Yours.
私がキリストとひとつであることが、時間が影響を及ぼすことのできない、あなたの法以外のいかなる法則からも完全に免れているあなたの子としての私を確立します。
I have no self except the Christ in me.
私の中のキリスト以外に、私はいかなる自己も持っていません。
I have no purpose but His Own.
私には、キリスト目的以外、いかなる目的も持っていません。
And He is like His Father.
そして、キリストはキリストの父と同じものです。
Thus must I be one with You as well as Him.
したがって、私はキリストだけでなく、あなたともひとつであるに違いありません。
For who is Christ except Your Son as You created Him?
というのも、キリストは、あなたがわが子として創造した存在にほかならないからです。
And what am I except the Christ in me?
そして、私が自分の中のキリスト以外の何者であるというのでしょうか。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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