レッスン356「病気は罪の別名にほかならない。癒しは神の別名にほかならない。したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ」
愛と所有の陶酔とを混同してはならない。
所有の陶酔は最悪の苦しみを伴う。
人々は愛に苦しめられるのだと思っているが、そうではなく、その反対のものである所有欲に苦しめられるのである。

サン=テグジュペリ「城砦」

レッスン356です。
「病気は罪の別名にほかならない。癒しは神の別名にほかならない。したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ」が今日のレッスンです。
まず、私とは何かをご覧ください。
T26-7 癒しの法則が参考になると思います。

実在と実在の不在
実在するのは愛のみであり、愛の対概念は愛の不在に名前をつけた恐れです。
実在する一者である大いなる愛を多様な側面から見ることで、切り取り方によって多様な側面があり、その切り口次第で、神と呼んだり、生命と呼んだり、真理、光、平安、神聖さ、霊、幸せ等々と呼び名が変わります。
癒しの原因
病気は罪の結果です(T26-7 癒しの法則)。
癒しとは真理の光に照らして、分離、罪が実在しないという気づきに至ることで罪の結果である病いが癒えることです(T7-4 真理の認識としての癒し)。
つまり、癒しの原因は真理=神=愛にほかならないわけです。
そして、奇跡とは、愛によって自他分離が錯覚であると気づく結果起こる自己認識・世界認識の変化のことです。
分離=罪が実在しないという真理に気づき、癒しを達成するには、自他分離が錯覚だと気づく奇跡が必要なので、「したがって、奇跡は神に呼びかけることだ」となります。

Lesson 356
Sickness is but another name for sin.
病気は罪の別名にほかならない。
Healing is but another name for God.
癒しは神の別名にほかならない。
The miracle is thus a call to Him.
したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ。
1. Father, You promised You would never fail to answer any call Your Son might make to You.
大いなる父よ、あなたは、あなたの子があなたに訴えるいかなる呼びかけにも決して答え損ねることはないと約束してくれました。
It does not matter where he is, what seems to be his problem, nor what he believes he has become.
子がどこにいようと、彼の問題がどんなものに見えようと、そして、彼が自分がいかなるものに成り果てたと信じこんでいようと、そんなことは問題ではありません。
He is Your Son, and You will answer him.
彼があなたの子であるがゆえに、あなたは彼に答えてくれるはずだからです。
The miracle reflects Your Love, and thus it answers him.
奇跡はあなたの大いなる愛の反映であり、したがって、奇跡は子に答えてくれます。
Your Name replaces every thought of sin, and who is sinless cannot suffer pain.
あなたの大いなる名がすべての罪の思いに置き換わるので、罪なき者が苦痛を味わうことはありえません。
Your Name gives answer to Your Son, because to call Your Name is but to call his own.
あなたの大いなる名があなたの子に答えを与えてくれます。なぜなら、あなたの名を呼ぶことは、彼自身の名前を呼ぶことにほかならないからです。

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。

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