T19-4Di 平安への障害4−2


Each one of them is Jesus in disguise.
誰もがみな、変装したイエス様なのです。



Mother Teresa
マザー・テレサ

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テキスト第19章4節平安への障害から、今回は、第四の障害である「神への恐れ」の続きの「ヴェールをあげる」をご紹介します。


キリストの顔の前にかけられたヴェール

今回は、キリストの顔の前にかけられたヴェールをあげることについて語られます。

私たちがこのヴェールをあげる際には、私たちはひとりだけでなすのではなく、兄弟と一緒になすのだということです。

救済はひとりきりではなしえず、他者との関係の中での助け合いを通じてしかなしえないという救いの公式については、

レッスン275「今日、神の癒しの声があらゆるものを守ってくれる」

P2-III セラピストの役割

T12-2 神を思い出す方法

を参照してください。


ヴェールの向こう側のキリストの顔を見る

キリストの顔にかけられたヴェールをあげることは、私たちが罪深い敵だとみなしている他者の中にキリストがいることに気づく、彼の罪を非難するのではなく、彼の真の姿に照らして、罪は実在しないのだから、彼に押し付けていた罪を取り除いて、彼を十字架から降ろして、額に刺さったいばらのとげを最後の一本まで、手のひらに打ち込まれた釘をすべて抜き取って、そこにキリストが立っているのを目にすることです。

こうすることで、私たちはヴェールをあげてその向こうにあるキリストの顔を見て、それが自分自身であることに気づいて、神の下へと帰ることになります。

このヴェールは、どれをとっても、実体が無である幻であり、裏が透けて見通せるほど浅薄で脆弱な見せかけでしかありません。


実体のないヴェールだが鋼鉄の門扉のように見える

しかし、このヴェールを見る人の属性や置かれた時代、空間、ヴェールのかかっている相手の属性等によっては、鋼鉄でできた重厚な門扉よりも堅牢な障壁に見えることになります。

決して容易ではないとしても、抽象論としてなら、すべての人の中にキリストがいて、キリストの顔にかけられたヴェールによって覆い隠されているだけで、人と自分は同じ神のひとり子であるというのが真実だということを受け入れることはできるかもしれません。

けれど、凶悪な犯罪者が自分や家族を監禁し、自分の目の前で愛する家族に蹂躙のかぎりを尽くしたうえで殺害する場面を体験した人にとってはこんな観念を受け入れることはきわめて困難なはずです。

けれど、世界が狂気に陥った神の子が見る幻想であるというのが真理であるなら、彼が世界を眺める覗き窓となるアバターの目にする光景がささやかな葛藤であろうと、残虐な殺戮の応酬が展開される地獄絵図であろうと、それは、幼児向けのほのぼのとしたマンガが映し出されてもスプラッター映画が映し出されても、プロジェクターの前に張られたスクリーンの厚みも材質も色もまったく同じまま変わらないように、幻を消し去るために必要なのは、それが無であるという本質に気づくことだけであり、客観的な消去容易性は変わらないままです。


自分ひとりだけでは赦しは実現しない

ただし、主観的な消去の容易性こそが妄想にとっての要点であり、自他分離を妄想する人にとっては、自分とは分離した敵がいるという自ら投影した妄念は現実そのものであるために、それがスクリーン上の影でしかないという気づき、赦しは、自他分離したアバターとしての自分ひとりだけでは実現できません

「Only in someone else can you forgive yourself, for you have called him guilty of your sins, and in him must your innocence now be found.
 あなたが自分自身を赦すことができるのは、ただほかの誰かの中でだけです。というのも、あなたは他者に自分の罪を着せて彼を有罪と呼んできたので、いまや、彼の中にしか、あなたの潔白さは見出せないからです。」(S1-4 他者とともに祈る、4.)。

私たちは、投影によって自分の罪を他者になすりつけているので、自分ひとりで自分に罪がないという認識を得ようとしても、投影を上塗りすることにしかなりません。

自分の無罪性を真に自覚するには、投影先の他者に罪がないということを認識するしか手立てがないということです。


救いの公式




13.「He has in him the power to forgive your sin, as you for him.
 あなたが彼の罪を赦す力を持っているように、彼も自分の中にあなたの罪を赦す力を持っています。

 Neither can give it to himself alone.
 あなたも彼も、自分だけでは自分自身に罪の赦しを与えることはできません。」

15.「Let him withhold it not, for by receiving it you offer it to him.
 あなたの兄弟にその恵みを与えずにおかせてはなりません。というのも、彼から恵みを受け取ることによって、あなたはその恵みを彼に差し延べることになるからです。

 Redemption has been given you to give each other, and thus receive it.
 救いは、あなたたちがお互いに与えることで、それを受け取ることができるようにと、あなたに与えられているのです。

 Whom you forgive is free, and what you give you share.
 あなたが赦す相手は解放され、あなたは自分が与えるものを分かち合います。」

救済が神の子みんなで取り組む共同事業(T4-6 神からのご褒美8.)であると言われるゆえんです。


「12. This brother who stands beside you still seems to be a stranger.
 あなたの傍に立っているこの兄弟は、依然として見知らぬ存在であるように思えます。

 You do not know him, and your interpretation of him is very fearful.
 あなたは彼を知らないし、あなたは彼のことをとても恐ろしい存在だと解釈しています。

 And you attack him still, to keep what seems to be yourself unharmed.
 だから、あなたは、自分自身だと思っている存在が傷つかずに済むように、いまだに彼を攻撃しようとします。

 Yet in his hands is your salvation.
 しかし、あなたの救済は彼の手に握られているのです。

 You see his madness, which you hate because you share it.
 あなたは彼の狂気を目にし、自分がその狂気を分かち合っているがゆえに、あなたはその狂気を憎みます。

 And all the pity and forgiveness that would heal it gives way to fear.
 そうなると、その狂気を癒せたはずの哀れみや赦しのすべては、恐怖に道を譲ってしまうことになります。

 Brother, you need forgiveness of each other, for you will share in madness or in Heaven together.
 兄弟よ、あなたたちはお互いを赦さなければなりません。というのも、あなたは兄弟と一緒に、狂気か天国のどちらかを分かち合うことになるからです。」

ヴェールが堅固な壁に見えて、その向こう側が見えなくなるのは、お互いが一緒に同じ狂気の沙汰を信じているからです。


人間が自分だと信じることは狂気の沙汰

狂気の沙汰とは、この世界にいる人間が自分だということが現実だと信じていることです。

アイデンティティーが人間というアバターに合っているかぎり、赦しには難易度の程度差があるままです。

相手を憎悪するのが当然の壮絶な体験をした人にとっては、ひどい仕打ちをした相手を許せるはずがありません。

そして、コースが求める「赦し」は、この「許し」ではありません(S2-2 滅びに至る許し)。

コースが求めるのは、そもそも自分だと信じて疑わないこの身体を持つ自分という存在も、敵である他者も、世界も、自分の思っている通りの本物ではなく虚構なのだという気づきです。


はたらく細胞で考えてみる

はたらく細胞的に、体内世界の細胞たちを擬人化して考えてみると、自己免疫疾患や癌が健常な細胞を攻撃したり虐げたりする事態が起こっている場合、当の被害を受けている細胞からすれば、自分を攻撃する細胞等は許しがたい敵ですが、その身体の持ち主からすれば、どちらも大切な自分の一部であり、細胞同士の反目が深刻化して体内で大戦争が起こることなど望むところではありません。

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その身体の持ち主に正しくアイデンティティーが合うなら、被害を受けた細胞も、憎悪に駆られて暴走することはないでしょう。

このアイデンティティー・シフトを抜きにしては、キリストが与えてくれた「右の頬を打つ者があれば、左の頬も向けよ」(マタイによる福音書 5章39節)、「己を愛するが如く汝の隣人を愛せよ」(マタイによる福音書 /19章 19節22章 39節)等々の恵み深い聖句はどれも、偽善的な表面だけきれいな言葉に成り下がって、それが真に持つ偉大な効果を発揮できないままになってしまいます。





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テキスト第十九章 第四節

i. The Lifting of the Veil
(1)ヴェールをあげる



8. Forget not that you came this far together, you and your brother.
 あなたはこんなにも遠くまで、自分の兄弟と一緒に来たのだということを忘れないでください。

 And it was surely not the ego that led you here.
 そして、あなたたちをここまで導いてきたのがエゴでなかったことは間違いありません。

 No obstacle to peace can be surmounted through its help.
 いかなる障害であれ、エゴの助けによって平安への障害が乗り越えられるはずがないからです。

 It does not open up its secrets, and bid you look on them and go beyond them.
 エゴが自分の秘密をさらけ出して、あなたに自分の秘密をよく見せたうえで、それらを越えて行かせることはありません。

 It would not have you see its weakness, and learn it has no power to keep you from the truth.
 エゴには、あなたに自分の弱みを見せて、あなたを真理から離しておく力をエゴは持ち合わせていないとあなたに学ばせる気などさらさらないからです。

 The Guide Who brought you here remains with you, and when you raise your eyes you will be ready to look on terror with no fear at all.
 あなたをここまで連れてきてくれた偉大な案内役である聖霊が、あなたの許に留まってくれています。だから、あなたが目を上げるなら、少しも恐れることなく恐怖を見つめる準備があなたにはできているはずです。

 But first, lift up your eyes and look on one another in innocence born of complete forgiveness of each other's illusions, and through the eyes of faith that sees them not.
 しかしまず、あなたの目を上げて兄弟に目を向けて、お互いの幻想を完全に赦すことで生まれる潔白さの中で、そして、お互いの幻想を見ることのない信頼の眼差しを通して、お互いを見つめてください。



9. No one can look upon the fear of God unterrified, unless he has accepted the Atonement and learned illusions are not real.
 贖罪を受け入れて幻想は実在しないと学ぶまでは、怯えずに神への恐怖を見つめることは誰にもできません。

 No one can stand before this obstacle alone, for he could not have reached this far unless his brother walked beside him.
 誰もこの障害の前にひとりで立つことはできません。というのも、彼の兄弟が彼とともに歩んでくれていなかったなら、彼はこんなに遠くまで辿り着けなかったはずだからです。

 And no one would dare to look on it without complete forgiveness of his brother in his heart.
 そして誰も、自分の心の底から兄弟を完全に赦すことなくしては、あえてその障害を見てみようとはしないでしょう。

 Stand you here a while and tremble not.
 しばらくの間、ここに立っていてください。心配はいりません。

 You will be ready.
 そうすれば、あなたの準備が整うでしょう。

 Let us join together in a holy instant, here in this place where the purpose, given in a holy instant, has led you.
 神聖な瞬間の中で、私たちで一緒に結ばれましょう。神聖な瞬間において授けられた目的があなたを導いてくれたこの場所で。

 And let us join in faith that he who brought us here together will offer you the innocence you need, and that you will accept it for my love and his.
 そして、私たちを一緒にここまで導いてくれた聖霊が、あなたが必要とする潔白さを差し延べてくれるし、私の愛と聖霊の愛ゆえにあなたがその潔白さを受け入れることになると確信して、私たちの心をひとつにしましょう。

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10. Nor is it possible to look on this too soon.
 それに、この神への恐れという障害を見ることが時期尚早であるはずがありません。

 This is the place to which everyone must come when he is ready.
 というのも、ここは、その人に準備ができたときに、誰もが必ず辿り着く場所だからです。

 Once he has found his brother he is ready.
 ひとたびその人が自分の兄弟を見出したからには、彼には準備ができているのです。

 Yet merely to reach the place is not enough.
 ただし、単にその場所に辿り着くだけでは十分ではありません。

 A journey without a purpose is still meaningless, and even when it is over it seems to make no sense.
 目的のない旅は依然として無意味なものであり、たとえその旅が終わっても何の意味もなさないように思えるからです。

 How can you know that it is over unless you realize its purpose is accomplished?
 旅の目的が果たされたとあなたが気づかないかぎり、どのようにしてあなたはその旅が終わったことを知りうるでしょうか。

 Here, with the journey's end before you, you see its purpose.
 ここで、旅路の終わりを目前にして、あなたには旅の目的がわかります。

 And it is here you choose whether to look upon it or wander on, only to return and make the choice again.
 そして、ここにおいて、あなたは神に対する恐れを見てみるのか、あるいは、ただ逆戻りしてもう一度同じ選択をするためだけに脇道に逸れるのかを選ぶことになります。



11. To look upon the fear of God does need some preparation.
 神への恐れを見るためには、ある程度の準備が必要なのは事実です。

 Only the sane can look on stark insanity and raving madness with pity and compassion, but not with fear.
 ただ正気の者だけが、恐れではなく、哀れみと同情をもって、まったくの狂気や錯乱した狂気の沙汰を見つめることができます。

 For only if they share in it does it seem fearful, and you do share in it until you look upon your brother with perfect faith and love and tenderness.
 というのは、ただ彼らが狂気を分かち合う場合にのみ、狂気は恐ろしく思えるのであり、あなたが自分の兄弟を完璧な信頼と愛と優しさで見つめるようになるまでは、あなたはたしかに狂気を共有しているからです。

 Before complete forgiveness you still stand unforgiving.
 完全な赦しを前にして、あなたはなおも赦さずに立ちすくんでいます。

 You are afraid of God because you fear your brother.
 あなたが神を恐れているのは、自分の兄弟を恐れているからです。

 Those you do not forgive you fear.
 あなたは自分が赦していない者たちのことを恐れているのです。

 And no one reaches love with fear beside him.
 そして、恐怖を携えたまま愛に到達することは誰にもできません。

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12. This brother who stands beside you still seems to be a stranger.
 あなたの傍に立っているこの兄弟は、依然として見知らぬ存在であるように思えます。

 You do not know him, and your interpretation of him is very fearful.
 あなたは彼を知らないし、あなたは彼のことをとても恐ろしい存在だと解釈しています。

 And you attack him still, to keep what seems to be yourself unharmed.
 だから、あなたは、自分自身だと思っている存在が傷つかずに済むように、いまだに彼を攻撃しようとします。

 Yet in his hands is your salvation.
 しかし、あなたの救済は彼の手に握られているのです。

 You see his madness, which you hate because you share it.
 あなたは彼の狂気を目にし、自分がその狂気を分かち合っているがゆえに、あなたはその狂気を憎みます。

 And all the pity and forgiveness that would heal it gives way to fear.
 そうなると、その狂気を癒せたはずの哀れみや赦しのすべては、恐怖に道を譲ってしまうことになります。

 Brother, you need forgiveness of each other, for you will share in madness or in Heaven together.
 兄弟よ、あなたたちはお互いを赦さなければなりません。というのも、あなたは兄弟と一緒に、狂気か天国のどちらかを分かち合うことになるからです。

 And you will raise your eyes in faith together, or not at all.
 そして、あなたたちは一緒に信頼して目を上げるか、まったく目を上げないかのどちらかだからです。



13. Beside each of you is one who offers you the chalice of Atonement, for the Holy Spirit is in him.
 あなたたち一人ひとりの傍にいるのは、自分に贖罪の聖杯を差し延べてくれる者なのです。というのも、聖霊が彼の中にいるからです。

 Would you hold his sins against him, or accept his gift to you?
 あなたは兄弟の罪を根拠に彼を咎めたいのでしょうか。それとも、彼が自分に差し延べてくれている贈り物を受け取りたいのでしょうか。

 Is this giver of salvation your friend or enemy?
 この救いの与え主は、あなたの味方なのでしょうか。それとも敵なのでしょうか。

 Choose which he is, remembering that you will receive of him according to your choice.
 あなたの選択によって彼から何を受け取ることになるかが変わることを自覚しながら、彼を味方にするのか敵にするのか選んでください。

 He has in him the power to forgive your sin, as you for him.
 あなたが彼の罪を赦す力を持っているように、彼も自分の中にあなたの罪を赦す力を持っています。

 Neither can give it to himself alone.
 あなたも彼も、自分だけでは自分自身に罪の赦しを与えることはできません。

 And yet your savior stands beside each one.
 けれども、あなたたちの救い主はお互いの傍に立っています。

 Let him be what he is, and seek not to make of love an enemy.
 彼をありのままでいさせてください。そして、愛を敵にしようとしないでください。

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14. Behold your friend, the Christ who stands beside you.
 あなたの傍に立っているあなたの友キリストを見つめてください。

 How holy and beautiful he is!
 キリストはなんと神聖で美しいことでしょう。

 You thought he sinned because you cast the veil of sin upon him to hide his loveliness.
 あなたはキリストが罪を犯したと思っていましたが、その理由は、あなたがキリストの素晴らしさを隠すために、彼に罪のヴェールをかけたからです。

 Yet still he holds forgiveness out to you, to share his holiness.
 それでもなお、キリストは、自らの神聖さを分かち合おうと、あなたに赦しを差し延べてくれています。

 This "enemy," this "stranger" still offers you salvation as his friend.
 この「敵」、この「見知らぬよそ者」は、なおも自らの友であるあなたに救いを差し延べてくれています。

 The "enemies" of Christ, the worshippers of sin, know not Whom they attack.
 キリストの「敵たち」、罪の崇拝者たちは、自分たちがいったい誰を攻撃しているのかわかっていないのです。



15. This is your brother, crucified by sin and waiting for release from pain.
 これこそ、罪によって磔刑にされ、苦痛から解放されるのを待っているあなたの兄弟です。

 Would you not offer him forgiveness, when only he can offer it to you?
 彼だけが赦しをあなたに差し延べることができるというのに、あなたは彼に赦しを渡さずにいるつもりでしょうか。

 For his redemption he will give you yours, as surely as God created every living thing and loves it.
 神が生命あるものすべてを創造し、それを愛しているのと同じくらい確実に、彼は、自らの救いのために、あなたにも救いを与えてくれるでしょう。

 And he will give it truly, for it will be both offered and received.
 そして、本当に彼は救いを与えてくれるでしょう。というのも、救いは差し延べられると同時に受け取られることになるからです。

 There is no grace of Heaven that you cannot offer to one another, and receive from your most holy Friend.
 あなたたちがお互いに差し延べながら、自らの最も神聖な大いなる友から受け取ることのできない天国の恵みなど何ひとつありません。

 Let him withhold it not, for by receiving it you offer it to him.
 あなたの兄弟にその恵みを与えずにおかせてはなりません。というのも、彼から恵みを受け取ることによって、あなたはその恵みを彼に差し延べることになるからです。

 Redemption has been given you to give each other, and thus receive it.
 救いは、あなたたちがお互いに与えることで、それを受け取ることができるようにと、あなたに与えられているのです。

 Whom you forgive is free, and what you give you share.
 あなたが赦す相手は解放され、あなたは自分が与えるものを分かち合います。

 Forgive the sins your brother thinks he has committed, and all the guilt you think you see in him.
 あなたの兄弟が自分の犯したものだと思いこんでいる罪を赦してください。そして、あなたが自分の兄弟の中に見ていると思っている罪もすべて赦してください。

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16. Here is the holy place of resurrection, to which we come again; to which we will return until redemption is accomplished and received.
 ここに神聖な復活の場があり、そこに私たちは再び訪れます。救済が成就して受け入れられるまでは、私たちは幾度でもその場所に舞い戻ってくるでしょう。

 Think who your brother is, before you would condemn him.
 兄弟を非難しようとする前に、自分の兄弟が誰なのか考えてみてください。

 And offer thanks to God that he is holy, and has been given the gift of holiness for you.
 そして、彼が神聖であり、彼が神聖さという贈り物をあなたに渡すべく託されていることについて神に感謝を捧げなさい。

 Join him in gladness, and remove all trace of guilt from his disturbed and tortured mind.
 喜んでその兄弟と心をひとつに結び合わせて、彼のかき乱されて苦悶する心から罪悪感の痕跡をひとつ残らず取り除いてあげなさい。

 Help him to lift the heavy burden of sin you laid upon him and he accepted as his own, and toss it lightly and with happy laughter away from him.
 あなたが彼に押しつけて、彼が自分のものとして受け入れた罪という重荷を彼が降ろすのを助けてあげなさい。そして、彼の許から、楽しげな笑い声とともにその重荷を軽々と放り出してください。

 Press it not like thorns against his brow, nor nail him to it, unredeemed and hopeless.
 彼が自分のものとして受け入れた罪を彼の額に棘のように押しつけたり、罪を彼に釘づけにして、救われる望みのないままにしてはなりません。



17. Give faith to one another, for faith and hope and mercy are yours to give.
 お互いを信頼してください。というのも、信頼と希望と慈悲は、与えるためにあなたのものになるからです。

 Into the hands that give, the gift is given.
 与える手の中に、その贈り物は与えられます。

 Look on your brother, and see in him the gift of God you would receive.
 自分の兄弟をよく見て、自分が受け取りたいと望む神からの贈り物が彼の中にあるのを見てください。

 It is almost Easter, the time of resurrection.
 よみがえりの時である復活祭がもうすぐやってきます。

 Let us give redemption to each other and share in it, that we may rise as one in resurrection, not separate in death.
 私たちでお互いに救いを与え合い、救いを分かち合いましょう。そうすれば、私たちは、死ぬことで離ればなれになるのではなく、復活することで一なるものとしてよみがえることができます。

 Behold the gift of freedom that I gave the Holy Spirit for you.
 あなたのためにと私が聖霊に与えた自由という贈り物を見てください。

 And be you free together, as you offer to the Holy Spirit this same gift.
 そして、これと同じ贈り物を聖霊に差し出して、あなたたちで一緒に自由になってください。

 And giving it, receive it of him in return for what you gave.
 そして、この贈り物を捧げて、あなたが渡したものへのお返しとして聖霊からそれを受け取ってください。

 He leadeth you and me together, that we might meet here in this holy place, and make the same decision.
 聖霊があなたと私とを一緒に導いて、私たちがこの聖なる場で出合い、同じ決断ができるようにしてくれます。

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18. Free your brother here, as I freed you.
 私があなたを自由にしたように、あなたもここで自分の兄弟を解放してください。

 Give him the selfsame gift, nor look upon him with condemnation of any kind.
 彼に自分とまったく同じ贈り物を与え、いかなる非難もせずに彼を見てください。

 See him as guiltless as I look on you, and overlook the sins he thinks he sees within himself.
 私があなたを見ているように、あなたも兄弟を罪なき者と見て、彼が自分自身の中に見えると思っている罪を無視してください。

 Offer your brother freedom and complete release from sin, here in the garden of seeming agony and death.
 苦悶と死の場所に見えているこの庭園で、あなたの兄弟に自由と罪からの完全な解放を差し延べてください。

 So will we prepare together the way unto the resurrection of God's Son, and let him rise again to glad remembrance of his Father, Who knows no sin, no death, but only life eternal.
 こうして、私たちは一緒に神の子の復活への道を用意し、そして、いかなる罪もいかなる死も知らず、ただ永遠の生命のみを知る大いなる父を喜んで思い出せるように、神の子をよみがえらせるのです。



19. Together we will disappear into the Presence beyond the veil, not to be lost but found; not to be seen but known.
 私たちは一緒に、ヴェールの向こう側にある大いなる存在の中へと姿を消すことになりますが、それは、行方知れずになるためではなくて見出されるためであり、見られるためではなくて知られるためです。

 And knowing, nothing in the plan God has established for salvation will be left undone.
 そして、知ることによって、神が救済のために定めた計画において成就されないままになるものは何もなくなります。

 This is the journey's purpose, without which is the journey meaningless.
 これこそ、旅の目的であり、この目的を抜きにしては旅路は無意味です。

 Here is the peace of God, given to you eternally by him.
 ここに、神からあなたに永遠に授けられた神の平安があります。

 Here is the rest and quiet that you seek, the reason for the journey from its beginning.
 ここに、あなたの求める安息と静寂があり、これこそ、旅立ちのときからの旅の理由です。

 Heaven is the gift you owe your brother, the debt of gratitude you offer to the Son of God in thanks for what he is, and what his Father created him to be.
 天国とは、あなたが兄弟に対して返さねばならない贈り物であり、あなたが神の子に対して、彼の真の姿と大いなる父が彼にそうあるようにと創造したままの姿について感謝して、その恩義に報いるために捧げる贈り物です。

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20. Think carefully how you would look upon the giver of this gift, for as you look on him so will the gift itself appear to be.
 この贈り物を渡してくれる相手を自分はどのように見たいと思っているのか、じっくり考えてみてください。というのは、あなたが彼をどう見るかによって、贈り物自体も、それに見合ったものに見えてくるからです。

 As he is seen as either the giver of guilt or of salvation, so will his offering be seen and so received.
 彼を罪悪感をもたらす者と見るか、救いをもたらす者と見るかによって、彼の差し出すものが罪か救済のどちらかに見え、そして、その通りに受け取られることになります。

 The crucified give pain because they are in pain.
 十字架にかけられている者は、苦しんでいるので、苦痛を与えます。

 But the redeemed give joy because they have been healed of pain.
 しかし、救われた者は、苦痛を癒されているので、喜びを与えます。

 Everyone gives as he receives, but he must choose what it will be that he receives.
 誰もが自分が受け取るように与えるのですが、自分が何を受け取ることにするかはその人が選ばなければなりません。

 And he will recognize his choice by what he gives, and what is given him.
 そして、その人は、自分が何を与え、何を与えられるかによって、自分が何を選択したのかに気づくことになります。

 Nor is it given anything in hell or Heaven to interfere with his decision.
 そしてまた、地獄に属するものであれ天国に属するものであれ、何ものにも、彼の決断に干渉する力はありません。



21. You came this far because the journey was your choice.
 あなたがこんなにも遠くまで来ることができたのは、この旅路をあなたが選んだからこそです。

 And no one undertakes to do what he believes is meaningless.
 そして、誰も自分が無意味だと信じることをするのに取り掛かろうとはしないものです。

 What you had faith in still is faithful, and watches over you in faith so gentle yet so strong that it would lift you far beyond the veil, and place the Son of God safely within the sure protection of his Father.
 あなたがかつて信頼した聖霊は、今でも信頼するに足るものであり、本当に穏やかでありながらも力強い信頼の中であなたを見守ってくれているので、聖霊はそのヴェールのはるか彼方まであなたを持ち上げて、神の子を父の確実な加護の中へと安全に置いてくれるでしょう。

 Here is the only purpose that gives this world, and the long journey through this world, whatever meaning lies in them.
 この世界とこの世界を通り抜ける長い旅路がいかなる意味を持ちうるにせよ、その意味を与える唯一の目的がここにあります。

 Beyond this, they are meaningless.
 この目的のほかには、この世界や旅路には何の意味もありません。

 You and your brother stand together, still without conviction they have a purpose.
 あなたと兄弟は、いまだに世界や旅路に目的があると確信が持てないまま、一緒に佇んでいます。

 Yet it is given you to see this purpose in your holy Friend, and recognize it as your own.
 しかし、あなたは、この目的を自らの神聖な大いなる友である聖霊の中に見て、その目的が自分のものだと認めることができるのです。


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