T31-2 キリストと歩む
Do not wait for leaders; do it alone, person to person.
リーダーを待つのはやめなさい。一人で、人から人へと行えばいいのです

Mother Teresa
マザー・テレサ
Whoever wants to be a leader among you must be your servant, and whoever wants to be first among you must be the slave of everyone else.
あなたたちの中で指導者たらんと望む者は、自分たちのしもべとならなねばならない。そして、あなたたちの中の首領たらんと望む者は、ほかのすべての者たちの奴隷とならねばならない。
For even the Son of Man came not to be served but to serve others and to give his life as a ransom for many.
人の子が到来したのは、奉仕を受けるためではなく、他者に奉仕し、自らの命を捧げて多くの者たちを贖うためだからだ。

Jesus Christ, Mark 10:42-45
イエス・キリスト(マルコによる福音書第10章42−45節)

今回はテキスト第三十一章から「キリストとともに歩む」という一節をご紹介します。
エゴに従うなら、兄弟たちとのマウント合戦から逃れられない
私たちには、他者との間で、自分が先導者になるか追随者になるかという選択肢しか見えていません。
エゴからすれば、他者は、発見したひとりしか獲得できない宝を探す宝探しゲームで競い合う自分とは分離した敵なので、抜け駆け的に出し抜けるかどうかがポイントになるからです。
しかし、この選択肢は、お互いに足を引っ張り合い責任をなすりつけ合うだけで、神の下に至る旅路の目的からすれば、意味のない偽りの選択肢です。

聖霊に従うなら、すべての兄弟の進歩は自分の進歩として喜ぶべきものとなる
しかし、聖霊に従うなら、すべての他者は本当の自分を宿すアバターである兄弟、本当の自分であり、しかも、探している宝は、各自の中に隠れているということになります。
すなわち、他者は、チームとして宝探しをする仲間よりも近しい味方であり、しかも、探している宝物そのものなのだから、チームの誰かがお互いが宝であることに気づけば、全体が獲得したことになるわけなのだから、メンバー同士で足を引っ張り合うのはまったく頓珍漢なことになるわけです。
聖霊を選ぶなら、道の先導は聖霊に任せて兄弟と助け合ってともに歩むことになる
つまり、真の選択肢は、エゴか聖霊かという二者択一なのであり、選択は、生命か死か、統合か分離か、愛か恐れか、という実在と実在の不在の間で下すことになります。
もっとも、この真の選択肢は、有と無との間の選択なので、無を選ぶことなどできないということに気づくまで、あたかも選択が可能であるかのように思える錯覚でしかありません。
それでも、そもそも有が選択肢に入っていない幻想の中で何を選ぶかという偽りの選択肢の中で迷い続ける状態から脱するには、この真の選択肢を用いて、意識的に有のほうを選択することが役に立ちます。
生命である聖霊を選ぶなら、先導は聖霊に任せて、自らの歩む光に照らされた明るい道を確信して確かな足取りで、私たち兄弟はお互いを神の子キリストと見て同胞愛に包まれて、ともに歩むことになります。

テキスト第三十一章
II. Walking with Christ
二 キリストとともに歩む
1. An ancient lesson is not overcome by the opposing of the new and old.
古来のレッスンは、新旧のレッスンが対立することによって克服されるわけではありません。
It is not vanquished that the truth be known, nor fought against to lose to truth's appeal.
真理が知られるようになるために、古いレッスンが打ち滅ぼされなければならないわけではないし、闘争して真理の訴えに屈服させなければならないわけでもありません。
There is no battle that must be prepared; no time to be expended, and no plans that need be laid for bringing in the new.
備えなければならない戦いなどないし、新たなレッスンをもたらすために費やすべき時間もなければ、立てるべきどんな計画もありません。
There is an ancient battle being waged against the truth, but truth does not respond.
真理に対して古来より戦いが仕掛けられてきているのは確かです。しかし、真理がそれに応戦することはありません。
Who could be hurt in such a war, unless he hurts himself?
そんな戦いで誰が傷つくことがありうるでしょうか。あるとすれば、その人が自分で自分自身を傷つける場合だけです。
He has no enemy in truth.
本当のところは、その人にはひとりも敵はいないのです。
And can he be assailed by dreams?
それに、その人が夢によって攻撃されることなど可能なことでしょうか。

2. Let us review again what seems to stand between you and the truth of what you are.
私たちで改めて、自分が本当は誰なのかあなたが気づくのを妨げているように見えるものをよく調べてみましょう。
For there are steps in its relinquishment.
というのは、本当のあなたを認識するのを妨げる障害を放棄するには、いくつかの段階があるからです。
The first is a decision that you make.
まず最初のステップは、あなたが決断をすることです。
But afterwards, the truth is given you.
ただその決断のあとにだけ、真理はあなたに与えられます。
You would establish truth.
あなたは自分で真理を確立する気でいます。
And by your wish you set two choices to be made, each time you think you must decide on anything.
だから、何事であれ自分が何か決断しなければならないと思うたびに、あなたは自分の望みによって選ぶべきふたつの選択肢を定めるのです。
Neither is true.
そのどちらも真実ではありません。
Nor are they different.
そればかりか、そのふたつの選択肢は違うものでもありません。
Yet must we see them both, before you can look past them to the one alternative that is a different choice.
しかし、あなたがそのふたつの選択肢を通り越してそれらとは違う選択を内容とする唯一の選択肢を見ることができるようになるには、その前に、私たちはそのふたつの選択肢を両方とも見なければなりません。
But not in dreams you made, that this might be obscured to you.
ただし、あなたの作り出した夢の中で見るのではありません。それでは、真に違う唯一の選択肢と自分の作り出したふたつの選択肢の違いがあなたにはわからなくなってしまうからです。
3. What you would choose between is not a choice and gives but the illusion it is free, for it will have one outcome either way.
あなたがその間で選ぼうとしているのは、選択などではなく、単に自由に選べるという錯覚を与える幻想にすぎません。というのは、どちらを選ぼうとも同一の結果しか出ないからです。
Thus is it really not a choice at all.
したがって、実のところ、それはまったく選択などではありません。
The leader and the follower emerge as separate roles, each seeming to possess advantages you would not want to lose.
指導者と追従者とが別々の役割を担って現れ、どちらにもあなたが失いたくないと思うようなメリットがあるように思えます。
So in their fusion there appears to be the hope of satisfaction and of peace.
だから、双方が融合すれば、満足して平安が得られる望みがあるように思えます。
You see yourself divided into both these roles, forever split between the two.
あなたは、自分自身のことをこの両方の役割に分割されていて、永遠にこのふたつに分裂したままの存在とみなしています。
And every friend or enemy becomes a means to help you save yourself from this.
そして、味方であろうと敵であろうと彼らの一人ひとりは、あなたが自分をこの分裂状態から救い出すための手段になるというのです。

4. Perhaps you call it love.
もしかすると、あなたは他者との関係性を愛と呼ぶことがあるかもしれません。
Perhaps you think that it is murder justified at last.
他者との関係次第では、もしかすると、あなたは最終的には相手を殺すことすら正当化されると思うかもしれません。
You hate the one you gave the leader's role when you would have it, and you hate as well his not assuming it at times you want to let the follower in you arise, and give away the role of leadership.
あなたは自分が指導者の役目を担いたいと思うときには、自分が指導者の役目を与えた他者のことを憎み、逆に、あなたが指導者の立場という役目を渡して自分が追随者の役回りになりたいと思うときには、相手がその役目を引き受けてくれないからといって、同じように彼を憎んだりもします。
And this is what you made your brother for, and learned to think that this his purpose is.
そして、このために、あなたは自分の兄弟を作り出したのであり、そして、これこそが兄弟の役目だと思うように学習したのです。
Unless he serves it, he has not fulfilled the function that was given him by you.
兄弟がその役に立たなければ、彼はあなたによって与えられた役目を果たしていないことになります。
And thus he merits death, because he has no purpose and no usefulness to you.
したがって、彼は死に値するというわけです。なぜなら、彼は何の甲斐性もなく、あなたにとって何の役にも立たないからです。
5. And what of him?
それでは、その兄弟のほうはどうなのでしょうか。
What does he want of you?
彼はあなたに何を望んでいるのでしょうか。
What could he want, but what you want of him?
いったい彼に、あなたが彼に望むこととは違うどんなことを望めるというのでしょうか。
Herein is life as easily as death, for what you choose you choose as well for him.
これは、死を選ぶのと同じように生命を選ぶことができることを意味します。というのは、あなたは自分の選ぶものを彼のためにも選ぶことになるからです。
Two calls you make to him, as he to you.
兄弟があなたにそうしているように、あなたは兄弟にふたつの呼びかけをしています。
Between these two is choice, because from them there is a different outcome.
このふたつの呼びかけの間にこそ、選択があります。なぜなら、どちらの呼びかけを選ぶかよって違う結果が出るからです。
If he be the leader or the follower to you it matters not, for you have chosen death.
彼があなたを先導しようがあなたに追従しようが、それは問題ではありません。というのも、あなたはすでに死を選んでしまっているからです。
But if he calls for death or calls for life, for hate or for forgiveness and for help, is not the same in outcome.
しかし、彼が死を求めるのか生命を求めるのか、憎しみを求めるのか赦しと助けを求めるのか、それによって結果は違ってきます。
Hear the one, and you are separate from him and are lost.
一方の呼びかけを聞き入れれば、あなたは彼から離れて道を見失います。
But hear the other, and you join with him and in your answer is salvation found.
しかし、もう一方の呼びかけを聞き入れるなら、あなたは兄弟と結びついて、あなたの答えの中に救いが見出されます。
The voice you hear in him is but your own.
あなたが彼のものとして聞いている声は、あなた自身の声にほかなりません。
What does he ask you for?
彼はあなたに何を求めているのでしょう。
And listen well!
よく耳を澄まして聞いてください。
For he is asking what will come to you, because you see an image of yourself and hear your voice requesting what you want.
というのは、あなたは自分自身の姿を見て、自分の望むものを請う自分の声を聞いているがゆえに、兄弟はあなたの許へと訪れるものを求めているわけだからです。

6. Before you answer, pause to think of this:
答える前に、少し立ち止まって次のことを考えてみるがよいでしょう。
"The answer that I give my brother is What I am asking for.
「私が兄弟に与える答えこそ、私の求めている答えです。
And what I learn Of him is what I learn about myself."
そして、私が彼から学ぶことは私自身について学ぶことです。」
Then let us wait an instant and be still, forgetting everything we thought we heard; remembering how much we do not know.
それから、一瞬の間を待って心を静めて、私たちがこれまで自分が聞いたと思っていたことをすべて忘れ、どれほどたくさんのことを自分がわかっていないか思い出しましょう。
This brother neither leads nor follows us, but walks beside us on the selfsame road.
この兄弟は私たちを導くわけでもなければ、私たちのあとに従うわけでもありません。ただ私たちの傍らでまったく同じ道を歩んでいるだけです。
He is like us, as near or far away from what we want as we will let him be.
彼は私たちと同じものであり、その人が私たちが望む姿に近づくのか、かけ離れてゆくのかは私たち次第です。
We make no gains he does not make with us, and we fall back if he does not advance.
私たちは、彼も一緒に得るのでなければ、何の利益も得ることはないし、もし彼が前進しなければ、私たちは後退することになります。
Take not his hand in anger but in love, for in his progress do you count your own.
彼の手を怒りではなく愛をこめて握りしめてください。というのは、あなたは彼の進歩を自分自身の進歩として数えることができるからです。
And we go separately along the way unless you keep him safely by your side.
しかし、あなたが彼を自分の傍らに安全にいられるようにしてあげないかぎり、私たちは別々の道を歩むことになってしまいます。
7. Because he is your equal in God's Love, you will be saved from all appearances and answer to the Christ Who calls to you.
神の大いなる愛の中で彼はあなたと等しい者であるがゆえに、あなたはあらゆる見せかけから救われ、あなたに呼びかけているキリストに答えることになります。
Be still and listen.
心を静めて耳を澄ましなさい。
Think not ancient thoughts.
遠く過ぎ去った想念になど思いを馳せていてはなりません。
Forget the dismal lessons that you learned about this Son of God who calls to you.
あなたが自分に呼びかけているこの神の子について学んできた気の滅入るほど惨めな姿など忘れてしまうことです。
Christ calls to all with equal tenderness, seeing no leaders and no followers, and hearing but one answer to them all.
キリストはあらゆる人々に等しい優しさをもって呼びかけ、誰のことも先導者とも追従者とも見ることなく、彼ら全員のためのただひとつの答えだけを聞いています。
Because He hears one Voice, He cannot hear a different answer from the one He gave when God appointed Him His only Son.
キリストにはひとつの大いなる声だけが聞こえているので、キリストには、神がキリストを自らのひとり子と定めたときにキリストが捧げた唯一の答えとは違う答えを聞くことができません。

8. Be very still an instant.
一瞬の間、本当に静かになってみなさい。
Come without all thought of what you ever learned before, and put aside all images you made.
これまであなたが学んできたすべての思いを抱くことなく、あなたが作り出した自分や兄弟という人物像もすべて脇に置いて来てください。
The old will fall away before the new without your opposition or intent.
あなたが反対したり意図したりしなくても、新たな意志を前にすれば、古い意志は剥がれ落ちてしまうでしょう。
There will be no attack upon the things you thought were precious and in need of care.
あなたがかけがえのないものだと思って大切にしなければならないと思っていたものが攻撃されるようなことはないでしょう。
There will be no assault upon your wish to hear a call that never has been made.
一度もなされたことのない呼びかけを聞いてみたいというあなたの望みが攻撃を受けるようなことはないでしょう。
Nothing will hurt you in this holy place, to which you come to listen silently and learn the truth of what you really want.
あなたが静かに耳を澄まして、自分が真に望むものが何なのかという真理を学ぶために訪れるこの聖なる場所では、何もあなたを傷つけるようなことはないでしょう。
No more than this will you be asked to learn.
これ以上のことを学ぶようにあなたが求められることはありません。
But as you hear it, you will understand you need but come away without the thoughts you did not want, and that were never true.
しかし、あなたがその声を聞くなら、あなたにも、自分が望んだことがなく、決して真実であったこともない思いを抱かずにそこに来るだけでよいのだとわかってくるでしょう。
9. Forgive your brother all appearances, that are but ancient lessons you have taught yourself about the sinfulness in you.
どのように見えていようと、あなたの兄弟を赦してください。あなたに見えている彼の姿は、古来からあなたが自らに自分たちが分離していると教え込もうとしてきた投影の結果にすぎないからです。
Hear but his call for mercy and release from all the fearful images he holds of what he is and of what you must be.
慈悲を求める彼の呼び声だけを聞き入れて、兄弟が本当に自分やあなただと考えている恐れに満ちた肖像から彼を解放してください。
He is afraid to walk with you, and thinks perhaps a bit behind, a bit ahead would be a safer place for him to be.
兄弟はあなたと一緒に歩むことを怖がっていて、あなたの少し後ろか少し前のほうがおそらく自分にとって安全な場所なはずだと思っています。
Can you make progress if you think the same, advancing only when he would step back, and falling back when he would go ahead?
もしあなたが彼と同じように考えて、彼が後退するときにだけ前進し、彼が先に進んだら後退することにしたら、あなたたちには進歩することなどできないはずです。
For so do you forget the journey's goal, which is but to decide to walk with him, so neither leads nor follows.
というのは、もしそのように考えるとすれば、あなたは、旅路の目的は兄弟を導くことでも兄弟に従うことでもなく、ただ兄弟とともに歩む決意をするだけだということを忘れてしまっているからです。
Thus it is a way you go together, not alone.
このように、旅路はあなたひとりで進む道ではなく、あなたたちが一緒に行く道なのです。
And in this choice is learning's outcome changed, for Christ has been reborn to both of you.
そして、この選択をすることで、学びの結果が変わります。というのも、キリストがあなたと兄弟の両方にとって生まれ変わったからです。

10. An instant spent without your old ideas of who your great companion is and what he should be asking for, will be enough to let this happen.
こうしたことが起こるようにするには、自分にふさわしい同伴者はこうあるべきだとか、きっと彼はこんなことを求めているはずだというあなたが従来から抱いてきた先入観を持たずにほんの一瞬を過ごすだけで十分です。
And you will perceive his purpose is the same as yours.
そうすれば、あなたにも彼の目的が自分の目的と同じだとわかるはずです。
He asks for what you want, and needs the same as you.
彼はあなたの望むものを求め、あなたと同じものを必要としているのです。
It takes, perhaps, a different form in him, but it is not the form you answer to.
おそらくそれは、彼にとっては異なる形をとるでしょうが、あなたは形に対して答えるわけではありません。
He asks and you receive, for you have come with but one purpose; that you learn you love your brother with a brother's love.
彼は求め、あなたは受け取ります。というのは、あなたはただひとつの目的だけを携えて来たからです。その目的とは、あなたが自分は自分の兄弟を同胞愛で愛していると学ぶことです。
And as a brother, must his Father be the same as yours, as he is like yourself in truth.
そして、兄弟であるがゆえに、彼の父はあなたの父と同じであるに違いないし、彼は本当にあなた自身と同じものであるに違いないのです。
11. Together is your joint inheritance remembered and accepted by you both.
あなたと兄弟が一緒なら、あなたたちがともに受け継いでいるものが思い出され、あなたと兄弟の両方によって受け入れられるでしょう。
Alone it is denied to both of you.
ひとりだけでは、父からの贈り物はあなたたちどちらに対しても与えられません。
Is it not clear that while you still insist on leading or on following, you think you walk alone, with no one by your side?
あなたが依然として先導するとか追従するとかいうことにこだわっているかぎり、あなたが自分はひとりきりで歩んでいて自分の傍らには誰もいないと思いこんでいることは明らかではないでしょうか。
This is the road to nowhere, for the light cannot be given while you walk alone, and so you cannot see which way you go.
これはどこにも通じない道です。というのも、あなたがひとりで歩いているかぎり、光が与えられることはありえないので、あなたは自分がどちらの道に進めばよいのかもわからないからです。
And thus there is confusion, and a sense of endless doubting as you stagger back and forward in the darkness and alone.
こうして、混乱が生じ、暗闇の中をひとりきりであと戻りしたり前進したりしてよろめくたびに、絶えることのない疑念に苛まれるでしょう。
Yet these are but appearances of what the journey is, and how it must be made.
しかし、こうしたことは、単に旅路がどんなものかとか、どんなふうに旅路を歩むべきかという外面的なことでしかありません。
For next to you is One Who holds the light before you, so that every step is made in certainty and sureness of the road.
というのは、あなたの傍らには、あなたの行く手を光で照らしてくれる大いなる存在がいるので、その道について確信をもって確かな足取りで一歩ずつ歩みを進めることができるからです。
A blindfold can indeed obscure your sight, but cannot make the way itself grow dark.
目隠しは、たしかにあなたの視野を覆い隠すことはできます。しかし、目隠しには道そのものを暗くすることなどできません。
And He Who travels with you has the light.
そして、あなたとともに旅してくれる聖霊は光を携えているのです。


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