T13-Intro 罪のない世界

2014年08月02日
テキスト第13章(罪なき世界) 0

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ。

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パブロ・ピカソ




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テキスト第十三章「罪のない世界」の序論をご紹介します。


救済は必要はないのに救済を学ぶってどういうこと!?

本節の最後は次のような一文で締めくくられます。

「The Atonement is the final lesson he need learn, for it teaches him that, never having sinned, he has no need of salvation.
 贖罪こそが神の子が学ぶべき最終レッスンです。なぜなら、贖罪は神の子に、彼が一度も罪を犯したことがないので、彼には救済の必要などまったくないと教えてくれるからです。」

「彼が一度も罪を犯したことがないので、」という根拠とワンセットで意味をなす文章であるのはわかりますが、コースは救済について語っているのに、神の子には救済など必要ないと教えるというのは矛盾のように響きます。

この矛盾的な表現はコースでたびたび出てきます。


また、永遠においては神の子の救済はすでに完了しているということも、ほかの箇所でもたびたび述べられます(T28-1 現在の記憶レッスン80M2 生徒とは誰かT26-5 些細な障害)。

つまり、神の子は罪を犯したことがないので、そもそも救済を必要としていないし、永遠においては、本来無用な救済は、神の子が分離幻想を抱いた瞬間に完了している。

救済は必要ないし、必要がないことを確認する作業としての救済も、現実においてはすでに完了しているということのようです。


私たちがこうして世界に生きていることが救済が完了していない何よりの証拠なんじゃないの?

でも、ここも誰もが疑問に思うところでしょうが、贖罪が完了しているなら、どうして私たちはいまだに分離幻想の世界の中に閉じ込められた状態のままでいるの?という疑問が湧いてきます。





私たちが人間として生きていること自体が救済が完了してない何よりの証拠じゃないかと。

神の子は客観的には救われている状態にはあっても、一度はハマっている状態から脱することに成功しはしたものの、パチンコやタバコをなかなかやめられない人や、薬物を断てずに舞い戻ってしまう薬物中毒者のように、神の子はいったん天国に目覚めてからも、また再び終わったはずの幻想の中に逃避してしまうということなの?だとすると、依然として神の子は救われておらず贖罪は完了してなんかいないんじゃないの?と。

たしかに、素朴に考えると全能の神からすれば、子が間違いを犯したあと、子が同じ間違いを繰り返さないよう間違いを犯すこと自体不可能な設定変更をすることくらい造作のないことのはずで、それくらいできないとしたら神は愛に欠けるし、無能でもあるように感じます。

しかし、神が子に自由意志を授け、意志を強制しないということが創造の条件です。

子が間違いを犯せないように子を作り変えることは、神が子の自由意志を制限することです。

これは子と一体である神自身を制限することであり、それこそ、神の全能性を損なう不可能な行為です。

したがって、分離幻想を脱したあとでも、神の子が神に等しい自由な神の子であるかぎり、神の子はいくらでもまた同じ過ちを犯す自由は残されたままでしかありようがないということになります。

そして、少なくとも、私たちが、自分が神の子ではなく世界の中にいる人間だと信じて自分の人生を生きている時点で、神の子は依然として私たちというアバターを使って体験する幻想世界を再生させているのは間違いありません。


救われていることに気づく

神の子が客観的には救われているが主観的には救われていない状態にあるだけなら、この主観と客観の齟齬を解消する手段として、すでに客観的に救済は完了しているがゆえに、救済の必要はないと主観的に学ぶことが役に立つのはもちろんです。

すなわち、救済の目的は、ありもしない幻想世界で本当の自分とは違う生き物になっているつもりの神の子に、実は世界もあなたも偽物で本当のあなたは救われた状態にあるのですよと気づかせることです。

そうだとすれば、すでに救われているのだから救われる必要などないというのが真理であり、この真理を理解しないかぎり救われようがないということになります。


クララが立ったぁ!

クララ (2)

「俺はもう、死んでいた......。」と最後に気づく、主人公は実はすでに死んでいた系のお話(ナイト・シャマラン監督の「シックスセンス」やメアリー・ランバート監督、エレン・バーキン主演の「シエスタ」等々)の舞台設定を用いるなら、すでに死んでいる主人公が自分の死を願ったとしても、すでに死んでしまっているのだから改めて死にようがないのは確かだけど、自分が死んだことを受け入れられていないので、ちゃんと「正しく」死にきって成仏するためには、自分がすでに死んでいることに気づき、それを受け入れるしかないというのと同じです。



死んだのに死んだことに気づいていない、起きたのに夢見心地で寝ぼけたまま、病気や怪我が治って歩けるのに歩けない、等々同じような仕組みはいくらでもあります。

もうすでに死んでいるのだから、一から死に直す必要はありません。

すでに救われているのなら、救われていることに気づかずにさらに救われようと願う者に必要なのは、自分がすでに救われていると気づき受け入れることだけです。





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Chapter 13 THE GUILTLESS WORLD
第十三章 罪なき世界

Introduction
序論



1. If you did not feel guilty you could not attack, for condemnation is the root of attack.
 もしあなたが罪悪感を抱いていなかったなら、あなたは攻撃などできなかったはずです。なぜなら、罪を非難することが攻撃の根源だからです。

 It is the judgment of one mind by another as unworthy of love and deserving of punishment.
 罪を非難することは、ある心が別の心に対して、その心は愛に値せず、当然に処罰に値すると価値判断して裁きを下すことです。

 But herein lies the split.
 しかし、まさにここに分裂を見出すことができます。

 For the mind that judges perceives itself as separate from the mind being judged, believing that by punishing another, it will escape punishment.
 というのは、裁く心は、自分に裁かれるほかの心は自分自身とは別々に分離していると知覚しており、ほかの心を罰することによって自分は処罰を免れるはずだと信じているからです。

 All this is but the delusional attempt of the mind to deny itself, and escape the penalty of denial.
 これは、心が妄想によって、自分自身を否認しておきながら、否認したことによる不利益を被るのは免れようと試みているだけです。

 It is not an attempt to relinquish denial, but to hold on to it.
 それは否認を放棄するどころか、否認にしがみつき続けることです。

 For it is guilt that has obscured the Father to you, and it is guilt that has driven you insane.
 というのは、あなたに大いなる父を見えなくさせてしまったのは罪悪感であり、あなたを狂気に駆り立てているのも罪悪感だからです。



2. The acceptance of guilt into the mind of God's Son was the beginning of the separation, as the acceptance of the Atonement is its end.
 神の子が心に罪悪感を受け入れたことが分離の始まりだったので、贖罪を受け入れることが分離の終わりとなります。

 The world you see is the delusional system of those made mad by guilt.
 あなたに見えている世界は、罪悪感によって発狂した者たちの妄想が絡み合って成り立っています。

 Look carefully at this world, and you will realize that this is so.
 この世界を注意深く見てみれば、あなたにも、これがその通りだとわかるはずです。

 For this world is the symbol of punishment, and all the laws that seem to govern it are the laws of death.
 なぜなら、この世界は懲罰を象徴するものだし、この世界を支配しているように見える法則は、どれをとってもみな死の法則だからです。

 Children are born into it through pain and in pain.
 子供たちは痛みを通して苦しみながら、この世界の中へと生まれ落ちます。

 Their growth is attended by suffering, and they learn of sorrow and separation and death.
 彼らの成長には苦悩がつきまといます。そして、彼らは悲嘆と離別、そして死を学びます。

 Their minds seem to be trapped in their brain, and its powers to decline if their bodies are hurt.
 彼らの心は彼らの脳の中に幽閉されているように思えるし、彼らの身体が損傷を受けると、彼らの心の力は衰弱してしまうように見えます。

 They seem to love, yet they desert and are deserted.
 彼らは愛するように見えても、見捨てることもあれば、見捨てられることもあります。

 They appear to lose what they love, perhaps the most insane belief of all.
 彼らは自分の愛するものを失うように見えますが、おそらくこれこそがすべての信念の中でも最も狂気の信念でしょう。

 And their bodies wither and gasp and are laid in the ground, and are no more.
 そして、彼らの肉体は老衰し、息が止まり、埋葬され、それでお終いです。

 Not one of them but has thought that God is cruel.
 彼らの中で、神が残酷だと思ったことのない者など、ひとりもいないはずです。

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3. If this were the real world, God would be cruel.
 もしこんな世界が真の世界であったなら、たしかに神は残酷というべきでしょう。

 For no Father could subject his children to this as the price of salvation and be loving.
 というのは、子を愛している父が、救いの代償としてわが子をこんな死の法則に服従させるはずがないからです。

 Love does not kill to save.
 愛は、救うために殺したりしません。

 If it did, attack would be salvation, and this is the ego's interpretation, not God's.
 もしそうだったとしたら、攻撃が救いになるはずですが、これはエゴの解釈であって、神の解釈ではありません。

 Only the world of guilt could demand this, for only the guilty could conceive of it.
 ただ罪悪感で成り立つ世界だけがこんなことを要求できるのです。なぜなら、罪の意識を持つ者にしかそんなことを思いつくことはできないからです。

 Adam's "sin" could have touched no one, had he not believed it was the Father Who drove him out of Paradise.
 もしアダムが自分を楽園から追放したのが大いなる父だと信じなかったなら、アダムの「罪」は誰にも影響を及ぼすことはできなかったでしょう。

 For in that belief the knowledge of the Father was lost, since only those who do not understand him could believe it.
 というのは、大いなる父を理解しない者にしか、父がアダムを罰したなどと信じることはできなかったので、そう信じることで、大いなる父についての知識が失われることになったからです。



4. This world is a picture of the crucifixion of God's Son.
 この世界は、神の子の磔刑を描写した光景そのものです。

 And until you realize that God's Son cannot be crucified, this is the world you will see.
 そして、神の子が磔にされるはずがないとあなたが理解するまでは、これがあなたの見続ける世界です。

 Yet you will not realize this until you accept the eternal fact that God's Son is not guilty.
 しかし、あなたが神の子は無罪だという永遠の真実を受け入れないかぎり、あなたは神の子が磔にされるはずがないことに気づかないでしょう。

 He deserves only love because he has given only love.
 神の子には、ただ愛だけがふさわしいものです。なぜなら、神の子はただ愛だけを与えてきたからです。

 He cannot be condemned because he has never condemned.
 神の子が咎められることは決してありえません。なぜなら、神の子は一度も非難したことなどないからです。

 The Atonement is the final lesson he need learn, for it teaches him that, never having sinned, he has no need of salvation.
 贖罪こそが神の子が学ぶべき最終レッスンです。なぜなら、贖罪は神の子に、彼が一度も罪を犯したことがないので、彼には救済の必要などまったくないと教えてくれるからです。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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