T25-Intro, 1 真理への絆


When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."
私が17歳のとき、私は「もし君が毎日をそれがまるで人生最後の一日であるかのように生きるなら、必ずいつの日か君は、これがその通りだとわかるだろう」という言葉にどこかで出会ったのです。

It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
私はこの言葉に感銘を受け、その日以来、33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしてきました。「もし今日が最後の日だとしても、私は自分が今からやろうとしていることをするだろうか」と。

And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
「違う」という答えが何日も続くようなら、自分が何かを変える必要があるのだということがわかります。

Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life.
自分はまもなく死ぬと想起することが、私がこれまで人生で大きな選択に直面するつど決断を下すために用いてきた最も重要なツールなのです。



Steven Paul Jobs
スティーブ・ジョブズ



You are living as if destined to live forever; your own frailty never occurs to you; you don’t notice how much time has already passed, but squander it as though you had a full and overflowing supply — though all the while that very day which you are devoting to somebody or something may be your last.
あなたはまるで永遠の生命を持っているかのように生きている。まるで自分だけは死ぬことも老いることも病むことも傷つくこともないかのように。自分は潤沢に補充される時間を持て余すほど持っているかのように浪費するばかりで、あなたはどれだけの時間が無為に過ぎ去ったか気づいていない。けれども、あなたが誰かにまたは何事かに費やすまさにその日はどこを切り取っても、あなたにとっての最後の一日といえるだろう。

You act like mortals in all that you fear, and like immortals in all that you desire…
あなたは自分の恐れるあらゆることには死すべき者として振る舞うくせに、自分の願望するあらゆることには不死なる者であるかのように振る舞う。

How late it is to begin really to live just when life must end!
まさに人生を終えねばならないときになってようやく、真に生きることに取り掛かるとは、なんと取り返しのつかないことか。

How stupid to forget our mortality, and put off sensible plans to our fiftieth and sixtieth years, aiming to begin life from a point at which few have arrived!
自分が死すべき存在だということを忘れて、誰もが自分が50歳や60歳になるまで、賢明な人生計画を立てるのを先延ばしにして、真に人生を生き始めることに焦点を合わせる地点に到達できるのは、ほんの一握りの者しかいないとは、なんと愚かなことか。



Lucius Annaeus Seneca
ルキウス・アンナエウス・セネカ





The perfection of moral character consists in this, in passing every day as the last, and in being neither violently excited nor torpid nor playing the hypocrite.
道徳的な人格の完成とはつぎのようなことである。それは、激昂することもなく、無気力にもならず、偽善の仮面を被ることもなく、毎日を最後の日として過ごすことだ。

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Marcus Aurelius, Meditations
マルクス・アウレリウス(「自省録」)

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今回は、テキスト第二十五章の序文と真理への絆という一節をご紹介します。


人の子と神の子

Introduction 2.

「The son of man is not the risen Christ.
 人の子が、よみがえったキリストであるわけではありません。

 Yet does the Son of God abide exactly where he is, and walks with him within his holiness, as plain to see as is his specialness set forth within his body.
 しかし、神の子は人の子がいるまさにその場所に留まっており、自らの神聖さの中を人の子とともに歩んでいます。このことは、人の子の身体の中に彼の特別性が現れているのと同じくらい、はっきり見ることができます。」

「人の子」(Son of man)は、福音書でイエス・キリストが自身のことを指す呼称として用いられている言葉で、キリスト教的には、イエスを指す特別な意味を持つ用語です。

しかし、コースでは、神の子に対置して、贖罪を果たして神の子に戻る前の、この幻想世界でのアバターである人間としての私たちを指す用語として用いられています(T13-2 罪のない神の子)。





真理への絆が必要なのは誰にとって?

本節のタイトルは、

I. The Link to Truth
一 真理への絆

です。

本当の私たちは、真理そのものであり、真理とひとつである神の子なので、神の子にはこの絆は必要なく、真理につながる絆が必要なのは、私たちという真理=神の子から分離した(と思い込んでいる)人の子にとってです。

「5. Since you believe that you are separate, Heaven presents itself to you as separate, too.
 あなたが自分は分離していると信じているために、あなたに対しては、天国もまた分離した状態としてその姿を示すことになります。

 Not that it is in truth, but that the link that has been given you to join the truth may reach to you through what you understand.
 これは、本当はそうではないのですが、あなたにわかることを通してあなたが真理に到達できるように、真理につながるための絆があなたに与えられるためです。」


救済のための神の計画

本当は神の子は王国であるとともに王国を所有するものなのだから、天国は神の子自身であり、自分とは別に天国があるということではありません。

けれど、狂気に陥って、自分が天国ではないこの世界の中におり、そして、世界が自分ではなく、世界の中の一点を占めるだけの卑小な生き物が自分だと信じる究極の自己卑下状態に無数に分裂させた副人格たちを置いて、それらに個別に自己同一化している神の子が覗いている無数の狭い狭い潜望鏡からは、天国は決して自分にたどり着けるはずのない自分の外の遠く離れた場所としてしか捉えられません。

このような壮大な解離性同一障害によって分裂した神の子の無数の副人格たちが主人格に統合されて本当の自分を取り戻すプロセスをコースでは、救済のための神の計画と呼んでいます。


救済のための神の計画が必ず成就するわけは?

神の救済計画がうまくいくのは、すでにその計画が達成済みであり、分離幻想はすべて、心の中で起こっている錯覚でしかないので失敗することが不可能だからです。

すなわち、取り返しのつかない罪が犯されて本当に分離が現実となって、無数の小さな心がばらばらになった状態が確固たる現実となり、そこを出発点にして新たに以前のような一なる状態に復帰しなければならないということだとしたら、本当に大変なことだし、はたして本当に救済が達成されうるか、それが実現するまで何の保証もありません。

実在と実在の不在がひっくり返ってしまうわけで、愛や光や精神や平安等の実在が持つ属性は錯覚で、恐れや闇や物質や争いのほうが本物ということになるからです。

たしかに、恐怖や闇や物質や戦争が現実だというのは、実際に私たちが本物だと信じている世界観にほかなりません。


実在と実在の不在に名前をつけた概念が同等の実在性を持つはずがない

しかし、神の属性とエゴの属性を一つひとつ対比していくと、両者が同等の実在性を持つというのが錯覚であることがわかります。

もっともわかりやすいのは、光と闇で、もっともわかりにくいのは精神と物質で、その間に、愛と恐れや平安と争い等、多様なバリエーションがあります。

闇が光の不在であることは、闇に光を射し込ませれば闇が即座に消え去ることで簡単にわかります。

これに対して、精神と物質については、精神の思考の力で物質を動かしたり変化させたり消滅させたりすることは不可能に思えます。

そして、物質と精神を比較するなら、堅固な実体を持つ物質に比して、曖昧で形を持たず、移ろいゆく精神は、あるとすらいえない錯覚のように思えてきます。

このように素朴に考えるかぎり、とても物質が精神の不在が形を成したものであるとは思えません。


物質は精神の不在

しかし、スピリチュアル系の言説で都合よく引用されることの多い量子力学の説明と、「意識」とはエゴの作用だというコースの説明とを組み合わせると、物質が精神の不在であることが理解できます。

「2. Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator.
 意識という知覚のレベルは分離以後に心の中に取りこまれた最初の分裂でした。この意識が、心を創造するものではなく、知覚するものに変えてしまったのです。

 Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.
 意識は、正確にはエゴの領域として位置づけられるものです。」(T3-4 誤りとエゴ

量子論では、素粒子は、観測者が観測しないときは波動の状態で、観測すると粒子となると説明します。

つまり、観測者の意識によって、素粒子は波動になったり物質になったりするということです。

これは、物質は確固たる実在性を備えているように見えているだけで、実はそうではなく、心が「意識」することで物質がある状態が生じているけれど、意識しなければ、物質はないということです。

そして、上記のように「意識」するという作用は、心がエゴに支配される状態を意味します。

これは、エゴとは大いなる自己が不在となった影のことであり、心から霊が追い出され、不在になった状態を指します。

つまり、物質が存在するのは、「意識」というエゴの作用によって焦点を合わせることによって、本来「ない」ものが「ある」ように錯覚させられている、すなわち、物質は「意識」によって心が霊ではなくエゴにハイジャックされて霊の不在状態に陥いることで存在しているように見えている、「精神の不在」にほかならないことを物語っています。


エゴ・身体にアイデンティティーを持つことで、実在の不在という影が実在と同等の実在性を持つという錯覚が起こる

この観測者による観測、意識によって実在する属性からリアリティーが奪われて、実在の不在のほうに、それらの属性が付与されて、あたかも実在の不在が実在するかのようなリアリティーが出現するという仕組みは、「光と闇」と「精神と物質」という両極端の間のすべてのバリエーションについてあてはまります。

恐れや争い、死、知覚等の実在の不在に分類される属性は、エゴ・身体というアバターが自分だという意識がなければ、リアリティーを持つことができないということがわかります。

自分が特定の身体である誰それだと意識するからこそ、恐怖や葛藤を味わい、死があり、感覚器官での知覚があるということになります。

つまり、実在の不在という影が実在と同等の実在性を持つという錯覚は、エゴ・身体にアイデンティティーを持つことによって起こり、維持されているということです。

これがコースが本当にしつこく、エゴ・身体から神の子へのアイデンティティー・シフトに取り組む理由です。


分離が錯覚・幻想であるなら、救済に必要なのは誤信を解消して気づくことだけ

さて、分離幻想はひとつの心の中で起こっている錯覚でしかないということを確認するためにだいぶ脱線しましたが、分離が錯覚であるとすれば、神の救済計画を実現するうえで、すでに現実としてできあがってしまった分離状態をなんとかして元通りにひとつに戻せるかどうかという困難な現実が待ち受けているわけではなくなります。

単に、もともとひとつのままの心が今もひとつなままだけれど、グーグルマップを地球全体から自分の暮らす町の住所まで拡大表示するように、自分の心として自覚できる範囲を最小単位まで狭小化する仕組みによって、ひとつの大いなる心が無数に分裂して自分はそのひとかけらでしかないと誤信している状態に陥っているだけです。

救済に必要なのは、この誤信状態から、その誤信を解いてありのままの状態に戻すことだけということになります。

ありのままの状態が真理であり、ありのままの状態とは違う自分は人間だという錯覚状態の幻想から、真理に戻るために必要なのが、真理への絆です。

7.「And so What is within this mind, and does unite all things together, must be its Teacher.
 そうだとすれば、この個別の心の内にあって、現にすべての物事を一緒に結びつけている存在こそが、その心に教える大いなる教師であるに違いありません。」

この大切な真理への絆、それはもちろん、聖霊のことです。





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Chapter 25 THE JUSTICE OF GOD
第二十五章 神の正義

Introduction
序論



1. The Christ in you inhabits not a body.
 あなたの内なるキリストは、身体に宿っているわけではありません。

 Yet He is in you.
 それでも、キリストはあなたの中にいます。

 And thus it must be that you are not within a body.
 そうだとすれば、あなたは身体の中にいないことになるはずです。

 What is within you cannot be outside.
 あなたの中にいるものがあなたの外にいるはずがないからです。

 And it is certain that you cannot be apart from what is at the very center of your life.
 それに、あなたが自分の生命のまさに核心であるものから分離していられるはずがないのは間違いありません。

 What gives you life cannot be housed in death.
 あなたに生命を与えるものが死の中に閉じこめられるはずがありません。

 No more can you.
 あなたについても同様です。

 Christ is within a frame of Holiness whose only purpose is that He may be made manifest to those who know Him not, that He may call to them to come to Him and see Him where they thought their bodies were.
 キリストは神聖さという額縁の枠内にあります。この額縁の唯一の目的は、キリストを知らない者たちにキリストがはっきりと姿を現せるようにして、そうすることによって、キリストが彼らにキリストの許に来て、彼らが自分たちの身体があると思っていたところにキリストを見るように呼びかけられるようにすることだけです。

 Then will their bodies melt away, that they may frame His Holiness in them.
 そのとき、彼らの身体は次第に消え去って、彼らはキリストの神聖さに包み込まれるようになるでしょう。



2. No one who carries Christ in him can fail to recognize Him everywhere.
 自らの内にキリストを擁する者は誰も、あらゆるところにキリストがいることに気づき損ねることはありえません。

 Except in bodies.
 ただし、身体の中だけは別です。

 And as long as he believes he is in a body, where he thinks he is He cannot be.
 だから、その人が自分が身体の中にいると信じている間は、彼はキリストが存在できない場所に自分がいると思っているのです。

 And so he carries Him unknowingly, and does not make Him manifest.
 したがって、彼は自分がキリストを帯同していることを知らずにいるので、キリストを顕現することはありません。

 And thus he does not recognize Him where He is.
 それゆえに、彼は、そこにキリストがいても、キリストに気づきません。

 The son of man is not the risen Christ.
 人の子が、よみがえったキリストであるわけではありません。

 Yet does the Son of God abide exactly where he is, and walks with him within his holiness, as plain to see as is his specialness set forth within his body.
 しかし、神の子は人の子がいるまさにその場所に留まっており、自らの神聖さを保ったまま人の子とともに歩んでいます。このことは、人の子の身体の中に彼の特別性が現れているのと同じくらい、はっきり見ることができます。

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3. The body needs no healing.
 身体は、いかなる癒しも必要としません。

 But the mind that thinks it is a body is sick indeed!
 しかし、自らを身体だと思っている心が病んでいるのは本当のことです。

 And it is here that Christ sets forth the remedy.
 だから、キリストが治療を施すのは、心なのです。

 His purpose folds the body in His light, and fills it with the Holiness that shines from Him.
 キリストの目的が身体をキリストの光の中に包みこみ、キリストから輝き出す神聖さで身体を満たします。

 And nothing that the body says or does but makes Him manifest.
 そうすると、身体の言うことや行うことは、余すところなくキリストを顕現するものとなります。

 To those who know Him not it carries Him in gentleness and love, to heal their minds.
 キリストを知らない者たちの許へと、彼らの心を癒やすために、その身体は優しさと愛の中でキリストを連れて行くのです。

 Such is the mission that your brother has for you.
 このようなことが、兄弟があなたのために担っている使命です。

 And such it must be that your mission is for him.
 そして、あなたもこの同じ使命を兄弟のために担っているに違いないのです。






I. The Link to Truth
一 真理への絆



1. It cannot be that it is hard to do the task that Christ appointed you to do, since it is He Who does it.
 キリストがあなたになすようにと定めた任務を遂行することが難しいはずがありません。なぜなら、その任務をなすのはキリスト自身だからです。

 And in the doing of it will you learn the body merely seems to be the means to do it.
 そして、その任務を遂行することによって、あなたにも、身体はその任務を遂行するための道具のように見えているだけだということがわかってくるでしょう。

 For the Mind is His.
 というのは、大いなる心はキリストのものだからです。

 And so it must be yours.
 そうだとすれば、大いなる心はあなたのものでもあるに違いありません。

 His Holiness directs the body through the mind at one with Him.
 キリストの神聖さが、キリストとひとつのものであるその心を通して身体を導くのです。

 And you are manifest unto your holy brother, as he to you.
 そして、兄弟があなたの神聖さに気づくように、あなたも兄弟の神聖さに気づきます。

 Here is the meeting of the holy Christ unto Himself; nor any differences perceived to stand between the aspects of His Holiness, which meet and join and raise Him to His Father, whole and pure and worthy of His everlasting Love.
 ここで、聖なるキリストが自分自身と出会います。しかも、キリストの神聖さのさまざまな側面の間を遮るようないかなる違いも知覚されることはありません。キリストの神聖さの側面たちは出会って一体となり、完全かつ純粋で、父の永遠に続く大いなる愛にふさわしいキリストを父の下へと昇らせます。

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2. How can you manifest the Christ in you except to look on holiness and see Him there?
 兄弟の神聖さを見つめ、そこにキリストを見る以外に、どうやってあなたに自分の中にいるキリストを顕現できるでしょうか。

 Perception tells you you are manifest in what you see.
 知覚はあなたに、あなたの見るものの中にあなたが顕われると教えてくれます。

 Behold the body, and you will believe that you are there.
 身体を見るなら、あなたは自分が身体の中にいると信じるでしょう。

 And every body that you look upon reminds you of yourself; your sinfulness, your evil and, above all, your death.
 そして、あなたが目にするすべての身体が、あなたに自分自身を、つまり、あなたの罪深さや邪悪さ、とりわけ、あなたの死を思い起こさせます。

 And would you not despise the one who tells you this, and seek his death instead?
 そうなれば、あなたはこんなことを自分に知らせるものを毛嫌いして、自分の代わりに兄弟が死んでくれればいいと思わずにいられないはずです。

 The message and the messenger are one.
 メッセージそのものと、それを伝える者とはひとつのものです。

 And you must see your brother as yourself.
 だから、あなたは必ず兄弟を自分自身とみなすことになります。

 Framed in his body you will see your sinfulness, wherein you stand condemned.
 兄弟を身体という額縁の中に見るなら、あなたは自分の罪深さを見て、そこであなたは有罪宣告を受けます。

 Set in his holiness, the Christ in him proclaims Himself as you.
 兄弟を神聖さの額縁の中に見るなら、彼の中のキリストが、キリストはあなたなのだと宣言します。



3. Perception is a choice of what you want yourself to be; the world you want to live in, and the state in which you think your mind will be content and satisfied.
 知覚とは、あなたが自分自身がどうあることを望むかを選択することです。それは、自分の住みたい世界や、自分の心が満たされて充足していると思える状態を選ぶことです。

 It chooses where you think your safety lies, at your decision.
 知覚は、あなたの決断によって、あなたが安全を見出せると思う場所を選ぶわけです。

 It reveals yourself to you as you would have you be.
 知覚は、あなたが自分はこうありたいと意図する通りのあなたの姿を、あなたに見せてくれます。

 And always is it faithful to your purpose, from which it never separates, nor gives the slightest witness unto anything the purpose in your mind upholdeth not.
 そして、知覚は、いつもあなたの目的に忠実で、決してその目的から離れはしないし、少しでもあなたが心に抱く目的が支持しないことを証明するようなことはしません。

 Perception is a part of what it is your purpose to behold, for means and end are never separate.
 知覚することは、見るというあなたの目的に欠かせないものです。というのも、手段と目的は、絶対に離れないからです。

 And thus you learn what seems to have a life apart has none.
 こうして、あなたは、一個の生命を別々に持っているように見えているものは、実は何も持っていないのだと学びます。

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4. You are the means for God; not separate, nor with a life apart from His.
 あなたこそが神の手段です。あなたは、神から分離しておらず、神の大いなる生命とは別の一個の生命を持っているわけでもありません。

 His life is manifest in you who are His Son.
 神の生命は、神の子であるあなたとして顕現しているのです。

 Each aspect of Himself is framed in holiness and perfect purity, in love celestial and so complete it wishes only that it may release all that it looks upon unto itself.
 神自身の一つひとつの側面は、神聖さと完璧な清らかさに縁取られているし、崇高でこの上ない愛に包まれているので、自らが目にするものすべてが自分自身に向けて解放されることを願うだけです。

 Its radiance shines through each body that it looks upon, and brushes all its darkness into light merely by looking past it to the light.
 その燦然とした輝きは、それが見る身体の一つひとつを貫いて煌き、単に身体を通り越して光を見ることによって、身体の闇を払い除けて光へと変えます。

 The veil is lifted through its gentleness, and nothing hides the face of Christ from its beholders.
 その優しさでヴェールは持ち上げられ、キリストの顔を見ようとする者からその顔を隠すものは何もなくなります。

 You and your brother stand before Him now, to let Him draw aside the veil that seems to keep you separate and apart.
 今、あなたと兄弟はキリストの前に立ち、あなたたちを分離して引き離したままに保つように見えるヴェールをキリストに取り払ってもらうのです。



5. Since you believe that you are separate, Heaven presents itself to you as separate, too.
 あなたが自分は分離していると信じているために、あなたに対しては、天国もまた分離した状態としてその姿を示すことになります。

 Not that it is in truth, but that the link that has been given you to join the truth may reach to you through what you understand.
 これは、本当はそうではないのですが、あなたにわかることを通してあなたが真理に到達できるように、真理につながるための絆があなたに与えられるためです。

 Father and Son and Holy Spirit are as One, as all your brothers join as one in truth.
 それは、父と子と聖霊はひとつであり、あなたの兄弟たちが真理においてひとつに結ばれているのと同じです。

 Christ and His Father never have been separate, and Christ abides within your understanding, in the part of you that shares His Father's Will.
 キリストとその大いなる父が別々に離れたことは一度もないし、キリストはあなたの理解の中に、すなわち、キリストの父の大いなる意志を分かち合っているあなたの部分の中に留まっています。

 The Holy Spirit links the other part--the tiny, mad desire to be separate, different and special--to the Christ, to make the oneness clear to what is really one.
 聖霊は、それ以外の別の部分、すなわち、分離していたいとか、ほかとは違う特別な存在でありたいという卑小な狂気の願望を抱く部分をキリストにつなぎ合わせて、本当はひとつであるものにその同一性が明確にわかるようにします。

 In this world this is not understood, but can be taught.
 この世界では、このことは理解されてはいませんが、教わることはできます。

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6. The Holy Spirit serves Christ's purpose in your mind, so that the aim of specialness can be corrected where the error lies.
 聖霊は、あなたの心の中でキリストの目的に奉仕するので、特別であろうとする目的は、その誤りが存在する場所で修正できるようになります。

 Because His purpose still is one with Both the Father and the Son, He knows the Will of God and what you really will.
 キリストの目的は、今なお父と子の両方とひとつのものなので、聖霊には、神の大いなる意志とあなたの本当の意志がわかっています。

 But this is understood by mind perceived as one, aware that it is one, and so experienced.
 ただし、このことは、自らをひとつのものとして知覚し、自らがひとつであることを自覚して、それを経験した心にしか理解できません。

 It is the Holy Spirit's function to teach you how this oneness is experienced, what you must do that it can be experienced, and where you should go to do it.
 この同一性はどのように経験されるのか、これを経験できるために、あなたは何をしなければなず、あなたはどこへ行くべきか、それをあなたにそれを教えるのが聖霊の役目です。



7. All this takes note of time and place as if they were discrete, for while you think that part of you is separate, the concept of a Oneness joined as One is meaningless.
 ここで述べたことはすべて、まるで時間と空間が別々のものであるかのように記しています。それは、あなたが自分の一部が分離していると思っている間は、ひとつに結ばれた同一性という概念は意味を持たないからです。

 It is apparent that a mind so split could never be the Teacher of a Oneness which unites all things within Itself.
 そのように分裂した心が、すべての物事をそれ自体の内に統合する同一性を教える大いなる教師には絶対になれないことは言うまでもありません。

 And so What is within this mind, and does unite all things together, must be its Teacher.
 そうだとすれば、この個別の心の内にあって、現にすべての物事を一緒に結びつけている存在こそが、その心に教える大いなる教師であるに違いありません。

 Yet must It use the language that this mind can understand, in the condition in which it thinks it is.
 しかし、この大いなる教師は、その個別の心が自分が存在していると思いこんでいる状況において、その心に理解できる言葉を使わなければなりません。

 And It must use all learning to transfer illusions to the truth, taking all false ideas of what you are, and leading you beyond them to the truth that is beyond them.
 そして、大いなる教師は、さまざまな幻想を真理の下にもたらすために、すべての学びを用いなければならないし、あなたが何者なのかについての間違った想念をすべて取りあげて、あなたがそれらの間違った想念を乗り越えて、それらを超越する真理の下へと進んでいけるように導かねばなりません。

 All this can very simply be reduced to this:
 これらすべては、きわめて簡単に、次のように要約できます。


What is the same can not be different, and what is one can not have separate parts.
同じであるものが異なっていることはできないし、ひとつであるものが分離した部分を持つことはできない。


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