T9-7 ふたつの評価

テキスト第9章(贖罪の受容) 0

あらゆる苦しみは自らの幸せを追い求めることより生じ、悟りは他者のためを思うことにより生ずる。

トクメー・サンポ



We begin from the recognition that all beings cherish happiness and do not want to suffer.
私たちは、どんな生き物も幸せになることを願い、苦しむことを望まないということへの気づきを出発点に考えるべきです。

It then becomes both morally wrong and pragmatically unwise to pursue only one’s own happiness oblivious to the feelings and aspirations of all others who surround us as members of the same human family.
この気づきが帰結するのは、同じ人類という家族の一員である自分の周囲のすべての他者の気持ちや願望を無視して自分だけの幸福を追求することは、道義的に誤りであると同時に実際的に愚かなことだという事実です。

The wiser course is to think of others when pursuing our own happiness.
より賢明な道は、私たち自身の幸福を求める際に、他者の幸福を考えることです。

Dalai Lama
ダライ・ラマ



今回はテキスト第九章から、「ふたつの評価」という一節をご紹介します。




前節で、自分を救う方法、自分を目覚めさせる方法は、他者を目覚めさせることだということが述べられました。

つまり、私たちの救済の手段は兄弟たちであり、他者は世界の至る所にいるので、私たちは救いを遠くに探し求めずとも、いつでも自分を救う機会を与えられているということになります。

「Is it possible that this is not also your will?
 今、完全に幸福になることは、同じようにあなたの意図するところでもあるはずです。

 And is it possible that this is not also the will of your brothers?
 そして、これはまた、あなたの兄弟たちの意図するところでもあるに違いありません。


2. Consider, then, that in this joint will you are all united, and in this only.
 そこで、今、完全に幸福であることを意図するというこのみんなに共通する意志において、そして、ただこの意志においてのみ、あなたたちみんなの意志が一致していることが何を意味するかよく考えてみてください。

 There may be disagreement on anything else, but not on this.
 このこと以外については意見が食い違うことがありうるにしても、このことについてだけは必ず意見が一致します。

 This, then, is where peace abides.
 つまり、このひとつに結びついた意志こそが平安が留まる場所なのです。」

誰もが幸せであろうと意図しており、この意志が万人に共通しているというのは、容易に理解できます。

この自分もすべての他者もが共有する今完全に幸福であることを意図するという意志こそが、平安のとどまる場所だと述べられます。

ゆえに、冒頭のダライ・ラマの言葉のように、自分だけの幸福を追い求めるのは誤りであり他者の幸福を考えるべきということが帰結されます。

このように幸せであろうという意図が万人に共通しているのは偶然なわけではありません。

それは、幸せであろうと思う「私」という意識がひとつのものだからです。

私たちは自分の持つ「私」意識は当然自分だけの独自のもので人の数だけ分離独立した「私」があるはずだと思っています。

けれど、誰もが自分を指す主体的な感覚として「私」という自己意識を抱いていることは疑いはありません。

この「私」という感覚は同じ現象ではあるものの、各自が「私」だと解釈している主体は、エゴ・身体です。

これに対して、コースは、本当の「私」は神の子の大いなる自己だといいます。


「2. Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator.
 意識という知覚のレベルは分離以後に心の中に取りこまれた最初の分裂でした。この意識が、心を創造するものではなく、知覚するものに変えてしまったのです。

 Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.
 意識は、正確にはエゴが支配する領域として位置づけられるべきものです。」(T3-4 誤りとエゴ

本節のタイトルの「ふたつの評価」とは、このような私たちが抱く「私」についての聖霊エゴの評価です。

レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」のエッセイの渦巻きのイメージをつかんでもらうとよいです。

同じの原理による作用が、全体としては健常に幸福を生み出す作用をもたらすのに対して、分離によって区画された一部分としては、不幸を生み出す病理作用を起こしているわけです。

ここから導かれるのは、利己性を悪とみなしてエゴを抹殺するのは、の作用そのものを否定することにつながりかねず、必要なのは、分離という錯覚を解消することだという点です。



さて、聖霊の評価は、本当の私たちについての知識に基づく正しい評価、私たちはに等しい神の子だという評価です。

W2ST-14.私ってなに?をご覧ください。


これに対して、エゴの評価は、聖霊とは正反対の間違ったの評価、私たちはに欠ける人の子だという評価です。

いつもの実在とその不在に名前をつけた影の対比をあてはめると、実在するのはである大いなる自己だけで、本当の私たちである大いなる自己であるの不在の状態の影に名前を付けたものが私たち個別の自己であるエゴだということになります。

エゴは、分離から生まれた幻想なので、真理ではない虚構であり、知覚することしかできませんが、知識からは断絶し確信を持つことができないので不安定にぐらついています。

エゴの信念は身体として具現化し私たちを身体と同一化しているので、エゴの私たちについての評価は、エゴ・身体というアバターである人間が自分だということを前提にします。

そのため、自分は罪深い罪人だとか神聖で特別な人間だと多様に自己イメージを抱くことはできますが、自分は人間であるとか個性を持つ霊としての魂であるといった自己認識に関する揺れ幅が限界づけられており、自他が分離しているという振り子を揺らすことのできる範囲を乗り越えることはありません。

愛の不在を埋め合わせるための代用として生まれたがために、エゴは愛とは無縁であり、私たちが愛と無縁でありながら幸せになれるはずがありません。

先に出た、今完全に幸せであることを意図することから生じる完全になりたいという衝動は、実在する愛を求める衝動であり、本当の自分に戻りたいという神の子の欲求です。

誰もが幸せであろうと思っており、この意図が万人に共通しているのは、万人が持つ「私」意識が同じひとつの神の子の自己の発露であり、その本質である愛がひとつに戻りたい、完全になりたいと思わせるからです。

エゴは、自らの存続を図るために、私たちが今完全に幸せになろうという意志を抱いても、それを捻じ曲げたり否定したりしようと私たちにお前にその価値はないと間違った評価を与え、意図ではなく願望でお茶を濁させますが、そんなときに思い出すべき言葉が述べられます。

「8. Whenever you question your value, say:
 あなたが自分の価値に疑問を抱くときはいつでも、次のように言ってください。


God himself is incomplete without me.
私なくしては神自身、完全にはならない。」

聖霊の評価する私たちは、本当に崇高な存在である、神を完成させる神の子であり、その評価が正しいことには間違いがないのです。


7.「Return your part to him, and he will give you all of himself in exchange for the return of what belongs to him and renders him complete.
 あなたという部分を神に返してください。そうすれば、神に属するものを返すことで、神自身を完全なものに戻してもらった返礼として、神は神自身のすべてをあなたに与えてくれるでしょう。」

これは、自分の身体の一部が癌化したり神経損傷によって麻痺したりして、自分の身体の一部のはずなのに、自分のものではない機能不全状態に陥って絶望していたところ、癌が消えたり神経が修復して元通り意のままの健康状態に戻った喜びに通じるものです。

元通り全身の一部として奉仕できるようになったその部位の喜びはいかほどのものでしょう。また、その身体の持ち主の魂はどれほど幸せに感じることでしょう。





テキスト第九章



VII. The Two Evaluations
七 ふたつの評価



1. God's Will is your salvation.
 あなたが救われることこそが、神の大いなる意志です。

 Would he not have given you the means to find it?
 あなたの救済を意図する神が、あなたに自らの救済を見出すための手段を授けなかったはずがありません。

 If he wills you to have it, he must have made it possible and easy to obtain it.
 もし神があなたが救いを得るように意図するなら、神はあなたが救われることを可能にしたはずだし、それも難なく救いを得られるようにしたはずです。

 Your brothers are everywhere.
 あなたの救いのよすがであるあなたの兄弟たちは、至るところにいます。

 You do not have to seek far for salvation.
 つまり、あなたは遠くに救いを探し求める必要はないのです。

 Every minute and every second gives you a chance to save yourself.
 一分ごと、一秒ごとに、あなたは自分自身を救う機会を与えられているのです。

 Do not lose these chances, not because they will not return, but because delay of joy is needless.
 これらの機会を逃さないでください。それは、その機会が戻ってこないからではなく、喜ぶのを遅らせる必要などないからです。

 God wills you perfect happiness now.
 神はあなたが今、完全に幸福であることを意図しています。

 Is it possible that this is not also your will?
 今、完全に幸福になることは、同じようにあなたの意図するところでもあるはずです。

 And is it possible that this is not also the will of your brothers?
 そして、これはまた、あなたの兄弟たちの意図するところでもあるに違いありません。

名称未設定

2. Consider, then, that in this joint will you are all united, and in this only.
 そこで、今、完全に幸福であることを意図するというこのみんなに共通する意志において、そして、ただこの意志においてのみ、あなたたちみんなの意志が一致していることが何を意味するかよく考えてみてください。

 There may be disagreement on anything else, but not on this.
 このこと以外については意見が食い違うことがありうるにしても、このことについてだけは必ず意見が一致するはずです。

 This, then, is where peace abides.
 つまり、この万人が共有する一致した意志こそが平安が留まる場所なのです。

 And you abide in peace when you so decide.
 だから、あなたが今、完全に幸福であろうと決意するとき、あなたは平安の中に留まることになります。

 Yet you cannot abide in peace unless you accept the Atonement, because the Atonement is the way to peace.
 しかし、あなたが贖罪を受け入れないかぎり、あなたは平安の中に留まることはできません。なぜなら、贖罪が平安に至る道だからです。

 The reason is very simple, and so obvious that it is often overlooked.
 その理由はとても単純で、あまりに明瞭な当たり前のことなので、しばしば見過ごされてしまうほどです。

 The ego is afraid of the obvious, since obviousness is the essential characteristic of reality.
 エゴは明瞭なものに恐れを抱きます。というのも、明瞭性こそが現実の最も本質的な特徴だからです。

 Yet you cannot overlook it unless you are not looking.
 しかし、あなたが見ていないのでないかぎり、あなたが明瞭なものを見過ごすことは不可能です。



3. It is perfectly obvious that if the Holy Spirit looks with love on all he perceives, he looks with love on you.
 もし聖霊が自ら知覚するすべてのものををこめて見ているのであれば、聖霊があなたのことををこめて見ているのはまったくわかりきったことです。

 His evaluation of you is based on his knowledge of what you are, and so he evaluates you truly.
 聖霊のあなたの評価は聖霊が知る真のあなたについての知識に基づいているので、聖霊はあなたのことを正確に評価しています。

 And this evaluation must be in your mind, because he is.
 そして、この評価はあなたの心の中にあるに違いありません。なぜなら、聖霊はあなたの心の中にいるからです。

 The ego is also in your mind, because you have accepted it there.
 他方で、あなたはエゴを自分の心に受け入れてしまっているので、あなたの心の中には聖霊だけでなく、エゴもいます。

 Its evaluation of you, however, is the exact opposite of the Holy Spirit's, because the ego does not love you.
 とはいえ、あなたに関するエゴの評価は聖霊の評価とは正反対です。なぜなら、エゴはあなたをしてはいないからです。

 It is unaware of what you are, and wholly mistrustful of everything it perceives because its perceptions are so shifting.
 エゴは本当のあなたが何者なのか気づいていません。そして、エゴは自らが知覚するすべてのものをまったく信用していません。なぜなら、エゴの物事の知覚の仕方は目まぐるしく変化するからです。

 The ego is therefore capable of suspiciousness at best and viciousness at worst.
 したがって、エゴは、良くてせいぜい疑い深く、最も悪くなると、悪意に満ちたものに変節することができます。

 That is its range.
 これがエゴが変化しうる範囲です。

 It cannot exceed it because of its uncertainty.
 エゴは不安定であるがゆえに、エゴにはこの範囲を越えることができません。

 And it can never go beyond it because it can never be certain.
 そして、エゴは決して確信を持つことができないので、絶対にこの範囲を踏み越えることができません。

名称未設定

4. You, then, have two conflicting evaluations of yourself in your mind, and they cannot both be true.
 したがって、あなたは自分の心の中に自分自身についてのふたつの矛盾する評価を持っていることになります。そして、その両方がともに真実であることはありえません。

 You do not yet realize how completely different these evaluations are, because you do not understand how lofty the Holy Spirit's perception of you really is.
 あなたはまだ、これらの評価がどれほど徹底的に異なったものなのかわかっていません。なぜなら、あなたは、聖霊が本当のあなたのことを、どれほど崇高な存在として知覚しているのか理解していないからです。

 He is not deceived by anything you do, because he never forgets what you are.
 聖霊は、あなたが何をしようと、そんなことによって騙されることはありません。なぜなら、聖霊は本当のあなたを決して忘れることがないからです。

 The ego is deceived by everything you do, especially when you respond to the Holy Spirit, because at such times its confusion increases.
 これに対して、エゴは、あなたがするどんなことによっても、とりわけ、あなたが聖霊に応じるとき、エゴはあなたを誤解します。なぜなら、あなたが聖霊に応答するとき、エゴの混乱状態が増大するからです。

 The ego is, therefore, particularly likely to attack you when you react lovingly, because it has evaluated you as unloving and you are going against its judgment.
 したがって、あなたがに満ちた応答をするときには、とくに決まって、エゴはあなたに攻撃を仕掛けてきがちです。なぜなら、エゴはあなたをに欠けるものとして評価していたのに、あなたはエゴの価値判断に逆らっているからです。

 The ego will attack your motives as soon as they become clearly out of accord with its perception of you.
 あなたのしようとしていることが、エゴがあなたとして知覚している像と一致しないことが明確化するや否や、エゴはあなたの動機を攻撃しようとします。

 This is when it will shift abruptly from suspiciousness to viciousness, since its uncertainty is increased.
 エゴの疑り深さが突然、悪意に切り替わるのは、まさにこのときです。それはエゴの確信のなさが増大したからです。

 Yet it is surely pointless to attack in return.
 しかし、報復としてエゴを攻撃しても無意味なのは言うまでもありません。

 What can this mean except that you are agreeing with the ego's evaluation of what you are?
 あなたが報復攻撃するとしたら、それは、あなたが何者なのかについてのエゴの評価に、あなたが自分から同意していることを意味することにしかならないからです。



5. If you choose to see yourself as unloving you will not be happy.
 もしあなたが自分のことをに欠ける存在とみなすことを選ぶなら、あなたが幸福になれるはずがありません。

 You are condemning yourself and must therefore regard yourself as inadequate.
 あなたは自分自身を咎めているので、そのために、あなたは自分自身を不完全で無能な存在だとみなさざるをえなくなります。

 Would you look to the ego to help you escape from a sense of inadequacy it has produced, and must maintain for its existence?
 この自分が無能だという感覚はエゴが生じさせたものであり、エゴが存続するために維持されなければならないものだというのに、あなたはこの無能感から自分が逃れるための手助けを当のエゴに期待しようというのでしょうか。

 Can you escape from its evaluation of you by using its methods for keeping this picture intact?
 この自分が不完全で無能だという自画像をそのまま損なうことなく保つためのエゴの手法を用いることによって、あなたが自分についてのエゴの評価から逃れられるはずがありません。

名称未設定

6. You cannot evaluate an insane belief system from within it.
 あなたは、狂気の信念体系の内側にいながら、その信念のシステムを評価することはできません。

 Its range precludes this.
 そのシステムの内部にいることが、そのシステムを評価することを不可能にするからです。

 You can only go beyond it, look back from a point where sanity exists and see the contrast.
 あなたにできるのは、ただ、狂気の信念体系の外に踏み出して、正気が存在する地点から振り返って、正気と狂気の相違を見ることだけです。

 Only by this contrast can insanity be judged as insane.
 ただ、この対照によってのみ、狂気の沙汰を狂気だと判断できるようになります。

 With the grandeur of God in you, you have chosen to be little and to lament your littleness.
 あなたは、自らのうちに神の壮大さを宿しながら、自ら卑小な存在となることを選択し、自分の矮小さを嘆き悲しんでいるのです。

 Within the system that dictated this choice the lament is inevitable.
 こんな選択を命ずるような信念体系の内側にいたのでは、悲嘆に暮れてもそれは当然のことです。

 Your littleness is taken for granted there and you do not ask, "Who granted it? "
 この信念体系の内側では、あなたが矮小であることは当然とみなされ、あなたは「誰がそれを許可したのか」と尋ねようともしません。

 The question is meaningless within the ego's thought system, because it would open the whole thought system to question.
 この質問は、エゴの思考システムの内部では意味をなしません。なぜなら、そんな質問は、エゴの思考システム全体を疑問にさらすことになってしまうからです。



7. I have said that the ego does not know what a real question is.
 私はすでに、エゴは何が本当の質問なのかわかっていないと述べました。

 Lack of knowledge of any kind is always associated with unwillingness to know, and this produces a total lack of knowledge simply because knowledge is total.
 知識の欠如はどのような種類のものであってもつねに、知る意欲がないことと関連しています。そして、このことが知識の全面的な欠如を生み出します。その理由は単純で、知識とは全面的なものだからです。

 Not to question your littleness therefore is to deny all knowledge, and keep the ego's whole thought system intact.
 したがって、自分が矮小な存在であることに疑念を抱かずにいることは、すべての知識を拒むことであり、エゴの全思考システムを無傷のまま保つことになってしまいます。

 You cannot retain part of a thought system, because it can be questioned only at its foundation.
 あなたは思考システムの一部だけを保持することはできません。なぜなら、思考システムはただ、その基盤においてのみ疑念を差し挟むことができるからです。

 And this must be questioned from beyond it, because within it its foundation does stand.
 しかも、この疑念は、その思考システムを越えたところから投げかけられなければなりません。なぜなら、そのシステムの内部では、偽りが確固たる基盤として確立しているからです。

 The Holy Spirit judges against the reality of the ego's thought system merely because he knows its foundation is not true.
 聖霊は、エゴの思考システムの実在性を否定する判断を下します。それは単に、聖霊は、エゴの思考システムの基盤は真実ではないと知っているからです。

 Therefore, nothing that arises from it means anything.
 したがって、エゴの思考システムから生じるものは、それが何であろうとも、いかなる意味も持ちません。

 He judges every belief you hold in terms of where it comes from.
 聖霊は、あなたの持っている一つひとつの信念を、その信念がどこに由来するものなのかという観点によって判断します。

 If it comes from God, he knows it to be true.
 もしそれが神から来るものなら、聖霊はそれが真実だと知ります。

 If it does not, he knows that it is meaningless.
 もしそれが神から来るものでなければ、聖霊はそれが無意味なものだと知ります。

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8. Whenever you question your value, say:
 あなたが自分の価値に疑問を抱くときはいつでも、次のように言ってください。


God himself is incomplete without me.
私なくしては神自身、完全ではいられない。


 Remember this when the ego speaks, and you will not hear it.
 エゴが語るときには、このことを思い出すようにしなさい。そうすれば、あなたにはエゴの声が聞こえなくなるでしょう。

 The truth about you is so lofty that nothing unworthy of God is worthy of you.
 本当のあなたは実に崇高な存在なので、神にふさわしくないものはすべて、あなたにもふさわしくありません。

 Choose, then, what you want in these terms, and accept nothing that you would not offer to God as wholly fitting for him.
 だから、このような観点から見て、自分が何を望むのか選びなさい。そして、それが何であれ、あなたが神に完全にふさわしいものとして捧げたいと思わないようなものは、あなたも受け入れてはなりません。

 You do not want anything else.
 それ以外のものは何ひとつあなたは望んでなどいないからです。

 Return your part to him, and he will give you all of himself in exchange for the return of what belongs to him and renders him complete.
 あなたという部分を神に返してください。そうすれば、神に属するものを返すことで、神自身を完全なものに戻してもらった返礼として、神は神自身のすべてをあなたに与えてくれるでしょう。


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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ワークブック・パート② (158)
┣  ワークブック・パート②特別解説 (15)
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┣  レッスン231〜240 (10)
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┗  レッスン361〜365 (3)
マニュアル (42)
心理療法 (13)
用語解説 (8)
祈りの歌 (15)