T2-2 防衛としての贖罪

テキスト第2章(分離と贖罪) 4

今回は、テキスト第二章から、防衛としての贖罪という一節をご紹介します。


本節では、真の否認について語られます。

「2. True denial is a powerful protective device.
 真の否認は、強力な保護の手段となります。

 You can and should deny any belief that error can hurt you.
 あなたは、どんなものであれ、誤りが自分を傷つけることができるという信念を否認できるし、否認すべきです。

 This kind of denial is not a concealment but a correction.
 こんなふうに否認するのは、隠蔽することではなく、修正することです。

 Your right mind depends on it.
 あなたの心の正しさは、この真の否認にかかっています。」

真の否認は、誤りを光の下にもたらすことであり、誤りは闇と同義なので、誤りは自動的に消え去ることになります。

真理は知識と同じく、あるのみであり、偽りや無明を積極的に見つけ出して消去するということはありません。

したがって、光を闇にもたらすのではなく、闇を光にもたらすことが必要です。

この仕組みはたびたび出てきます(レッスン107「真理が私の心の中で誤りを修正してくれる」、、T14-11 真理テストT14-9 神聖さの反映)。

光である聖霊は、いつでも私たちを助けてくれますが、私たちが聖霊から隠して渡さない誤りは修正されないままになります。



「3. You can defend truth as well as error.
 あなたは、誤りを防衛できるのと同じように、真理防衛することもできます。」

コースは、無防備であるようにと説き(M4-6 神の教師の特性6(無防備)レッスン153「防衛しないことで、私は安全になる」)、神に創造された神の子は真理であるがゆえに幻想に害されるはずがなく、幻想の攻撃に対して防衛することは、幻想を現実のことと捉えることであるとして、防衛を否認すべき概念と主張しています。

しかし、上の3.の文章でいう「真理を防衛」するための手段は贖罪であり、贖罪による防衛だけは、否認すべき防衛の唯一の例外です。

というのも、この世界の防衛手段はすべて攻撃のための武器に転用できる両刃の剣となりますが、贖罪だけは本質的に攻撃できず癒すことしかできない防衛手段だからです。

「否認」は、誤りを否定するために使えば防御になりますが、真理を否定するために使うと攻撃になってしまいますが、贖罪は赦しによって罪が実在するという土台を崩して真理を保護する作用しか持たないので、真理を攻撃する道具になりようがないということです。


6."In this sense the Atonement saves time, but like the miracle it serves, does not abolish it."
の"the miracle it serves"については、"serve"を通常の自動詞として捉えると、「贖罪のほうが大元で奇跡は贖罪の発露なはずなのに、贖罪が奉仕する奇跡って表現はなんか変じゃない?」、ということになりますが、ここでの"serve"は他動詞として用いられており、贖罪が自らの道具となる僕(しもべ)として使役する奇跡というニュアンスになります。訳では、わかりやすくなるように「贖罪に奉仕する奇跡と同じように」としています。



1.「Remember that where your heart is, there is your treasure also.
 あなたが思いを寄せるところにあなたのもあることを覚えておいてください。」
は、マタイによる福音書第6章21節です。
"For where your treasure is, there will your heart be also."(King James Version)

1.「That is why the Bible speaks of "the peace of God which passeth understanding. "
 これこそ、聖書が「人知を越える神の平安」について述べる理由です。」
はフィリピ人への手紙第4章7節です。
"And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus."(King James Version)




テキスト第二章



II.The Atonement as Defense
二 防衛手段としての贖罪



1. You can do anything I ask.
 あなたは、私が求めることであれば、どのようなことでも行うことができます。

 I have asked you to perform miracles, and have made it clear that miracles are natural, corrective, healing and universal.
 私は、あなたに奇跡を行うようにと求めてきました。また、奇跡は自然に起こるものであり、誤りを修正して欠乏を癒す普遍的なものであることも明らかにしてきました。

 There is nothing they cannot do, but they cannot be performed in the spirit of doubt or fear.
 奇跡にできないことは何ひとつありません。しかし、疑いや恐れを抱く精神状態では、奇跡は起こせません。

 When you are afraid of anything, you are acknowledging its power to hurt you.
 あなたが何かを恐れるとき、あなたは自分が恐れているその何かに自分を傷つける力があることを承認しています。

 Remember that where your heart is, there is your treasure also.
 あなたが思いを寄せるところにあなたのもあることを覚えておいてください。

 You believe in what you value.
 あなたは、自分が評価するもののことを信じます。

 If you are afraid you will inevitably value wrongly, and by endowing all thoughts with equal power will inevitably destroy peace.
 もしあなたが恐れを抱いているなら、あなたは間違って評価することを避けられないでしょう。そうなると、あなたはどんな想念にも同等の力を与えてしまい、それによって避けようもなく、心の平安が崩れてしまいます。

 That is why the Bible speaks of "the peace of God which passeth understanding. "
 これこそ、聖書が「人知を越える神の平安」について述べる理由です。

 This peace is totally incapable of being shaken by errors of any kind.
 神の平安は、いかなる種類の誤りによってもまったく揺るぎません。

 It denies the ability of anything not of God to affect you.
 神の平安は、何であれ、神に属さないものがあなたに影響を及ぼす力を持つことを否定します。

 This is the proper use of denial.
 これこそ、適切な否認の用い方です。

 It is not used to hide anything, but to correct error.
 適切な否認は、何かを隠すためではなく、誤りを正すために用いられます。

 It brings all error into the light, and since error and darkness are the same, it corrects error automatically.
 適切な否認は、すべての誤りを光の中へともたらします。そして、誤りと闇とは同じものなので、適切な否認は自動的に誤りを修正します。

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2. True denial is a powerful protective device.
 真の否認は、強力な保護の手段となります。

 You can and should deny any belief that error can hurt you.
 あなたは、どんなものであれ、誤りが自分を傷つけることができるという信念を否認できるし、否認すべきです。

 This kind of denial is not a concealment but a correction.
 こんなふうに否認するのは、隠蔽することではなく、修正することです。

 Your right mind depends on it.
 あなたの心の正しさは、この真の否認をなしうるかどうかにかかっています。

 Denial of error is a strong defense of truth, but denial of truth results in miscreation, the projections of the ego.
 誤りを否認することは、真理の強力な防衛手段です。しかし逆に、真理を否認することは、誤った創造であるエゴの投影として結実します。

 In the service of the right mind the denial of error frees the mind, and re-establishes the freedom of the will.
 正しい心の働きとして誤りを否認することは心を解放し、意志の自由を確立し直します。

 When the will is really free it cannot miscreate, because it recognizes only truth.
 意志が真に自由なら、その意志が誤って創造することはありえません。なぜなら、自由な意志はただ真理のみを認めるからです。



3. You can defend truth as well as error.
 あなたは、誤りを防衛できるのと同じように、真理防衛することもできます。

 The means are easier to understand after the value of the goal is firmly established.
 目標の価値をしっかりと確認したあとなら、その手段を理解するのも容易になります。

 It is a question of what it is for.
 それは、何のために防衛するのかという問題です。

 Everyone defends his treasure, and will do so automatically.
 誰もがみな、自分が大切にするものを守ろうとします。それも無意識に守ろうとするでしょう。

 The real questions are, what do you treasure, and how much do you treasure it?
 真の問題は、あなたが何をとするのか、そして、あなたがそのをどれほど大切にするのかです。

 Once you have learned to consider these questions and to bring them into all your actions, you will have little difficulty in clarifying the means.
 これらの質問をまず考慮したうえで、質問の結果を自分の行動に反映することをひとたび習得したなら、あなたは何の苦も迷いもなくその手段を活用できるようになるでしょう。

 The means are available whenever you ask.
 あなたが求めさえすれば、いつでもその手段は利用できるようになっているからです。

 You can, however, save time if you do not protract this step unduly.
 いずれにせよ、もしこの段階を必要以上に長引かせなければ、あなたは時間を省くことができます。

 The correct focus will shorten it immeasurably.
 正しく焦点を合わせれば、時間を計り知れないほど短縮できるはずです。

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4. The Atonement is the only defense that cannot be used destructively because it is not a device you made.
 贖罪こそ、破壊的に用いることのできない唯一の防衛手段です。なぜなら、贖罪はあなたが作った仕組みではないからです。

 The Atonement principle was in effect long before the Atonement began.
 贖罪の原理は、贖罪が始まるはるか以前から効力を有していました。

 The principle was love and the Atonement was an act of love.
 贖罪の原理は愛であったし、贖罪は愛の作用でした。

 Acts were not necessary before the separation, because belief in space and time did not exist.
 分離以前には、愛が作用する必要はありませんでした。なぜなら、分離以前には空間と時間についての信念など存在しなかったからです。

 It was only after the separation that the Atonement and the conditions necessary for its fulfillment were planned.
 贖罪と贖罪を達成するために必要な条件が構想されたのは、分離以後のことにすぎません。

 Then a defense so splendid was needed that it could not be misused, although it could be refused.
 分離のあと、拒絶される余地はあっても、誤用される余地のない盤石な防衛手段が必要となりました。

 Refusal could not, however, turn it into a weapon of attack, which is the inherent characteristic of other defenses.
 しかも、ほかの防衛手段は本来的な特質として、攻撃のための武器に転用しうる性質を備えているのに対して、この防衛手段は、それを用いることを拒絶することはできても、攻撃のための武器に転じてしまうことだけはあってはならないことでした。

 The Atonement thus becomes the only defense that is not a two-edged sword.
 こうして、贖罪は諸刃の剣ではない唯一の防衛手段となりました。

 It can only heal.
 贖罪には、ただ癒すことしかできないのです。



5. The Atonement was built into the space-time belief to set a limit on the need for the belief itself, and ultimately to make learning complete.
 贖罪が時空の信念の中に組み込まれたのは、時空という信念それ自体の必要性に制限を設けて、最終的に学びを完了させるためでした。

 The Atonement is the final lesson.
 贖罪は、その最終レッスンのことです。

 Learning itself, like the classrooms in which it occurs, is temporary.
 学習それ自体、学びの起こる場である教室と同じように過渡的なものです。

 The ability to learn has no value when change is no longer necessary.
 学ぶための能力は、もはや変化する必要がなくなれば、何の価値も持たなくなります。

 The eternally creative have nothing to learn.
 永遠に創造し続けるものには、何も学ぶべきことなどありません。

 You can learn to improve your perceptions, and can become a better and better learner.
 あなたは、自分の知覚力を向上させるために学ぶことができるし、ますますよりよい学習者になることができます。

 This will bring you into closer and closer accord with the Sonship;
 あなたが学習することで、あなたは神の子本来の姿との一致に向けてどんどん近づいて調和してゆくでしょう。

 but the Sonship itself is a perfect creation and perfection is not a matter of degree.
 しかし、全体としての神の子そのものは、完全に創造されているのであって、完全であることには程度は問題になりません。

 Only while there is a belief in differences is learning meaningful.
 学びが意味を持つのは、ただ相違の存在が信じられている間に限ってのことなのです。

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6. Evolution is a process in which you seem to proceed from one degree to the next.
 進化とは、あなたがある段階から次の段階へと進んでゆくように思えるプロセスのことです。

 You correct your previous missteps by stepping forward.
 あなたは、自分が以前に踏み誤ったことを、前向きに踏み出すことによって修正します。

 This process is actually incomprehensible in temporal terms, because you return as you go forward.
 時間の観点から見ると、このプロセスは実に不可解です。なぜなら、あなたは前進するたびに元に戻ってゆくわけだからです。

 The Atonement is the device by which you can free yourself from the past as you go ahead.
 贖罪は、あなたが前進するにつれて、過去からあなた自身を解放できるようにするための仕組みです。

 It undoes your past errors, thus making it unnecessary for you to keep retracing your steps without advancing to your return.
 贖罪はあなたの過去の誤りを取り消し、そうすることで、あなたが自らの歩んだ道をあと戻りし続けなくても、あなたが元に戻るために前進できるようにしてくれます。

 In this sense the Atonement saves time, but like the miracle it serves, does not abolish it.
 この意味で、贖罪は時間を省きますが、贖罪に奉仕する奇跡と同じように、時間を完全に廃することはありません。

 As long as there is need for Atonement, there is need for time.
 贖罪が必要であるかぎり、時間も必要なのです。

 But the Atonement as a completed plan has a unique relationship to time.
 ただし、完了した計画としての贖罪は、時間と独特の関係を持っています。

 Until the Atonement is complete, its various phases will proceed in time, but the whole Atonement stands at time's end.
 贖罪が完了するまでは、贖罪のさまざまな局面は、時間の中で進行してゆきます。しかし、完了した贖罪全体は、時間の終りにあります。

 At that point the bridge of return has been built.
 その時間の終点には、帰還のための橋が架けられています。

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7. The Atonement is a total commitment.
 贖罪とは、全身全霊を捧げることです。

 You may still think this is associated with loss, a mistake all the separated Sons of God make in one way or another.
 あなたはまだ、自らを捧げることを喪失と結びつけて考えてしまうかもしれません。このように贖罪を喪失と結びつけて考えるのは、分離した神の子たちがどうしても犯してしまう思い違いです。

 It is hard to believe a defense that cannot attack is the best defense.
 攻撃できない防衛手段が最大の防御であると信じるのは容易ではありません。

 This is what is meant by "the meek shall inherit the earth. "
 しかし、これこそが、「柔和な者が地を継ぐであろう」との言葉が意味していたことです。

 They will literally take it over because of their strength.
 柔和な者たちは、持前の力強さのゆえに、文字どおり地を受け継ぐことでしょう。

 A two-way defense is inherently weak precisely because it has two edges, and can be turned against you very unexpectedly.
 攻守両面に使える防衛手段は本質的に弱さを孕んでいます。それはまさに諸刃を持っているからであって、まったく思いがけずに、あなたに刃を向けてくることがありうるからです。

 This possibility cannot be controlled except by miracles.
 奇跡によってしか、この危険性を牽制することはできません。

 The miracle turns the defense of Atonement to your real protection, and as you become more and more secure you assume your natural talent of protecting others, knowing yourself as both a brother and a Son.
 奇跡は、贖罪という防衛手段をあなたの真の防護のために方向づけてくれます。そして、あなたがますます安全になるにつれて、あなたは、自分たちが兄弟であるとともに神の子でもあるとわかってくるので、他者を擁護するという天賦の才をわがものとするでしょう。


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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Oom  

贖罪とはなんですか?

奇跡のコースの中に出てくる贖罪とは、何を指しますか?
分離した神の子だという意味ですか?

2022年01月17日 (月) 23:00

 松山 健 Ken Matsuyama  

Re: 贖罪とはなんですか?

> 奇跡のコースの中に出てくる贖罪とは、何を指しますか?
> 分離した神の子だという意味ですか?

質問ありがとうございます。


分離した神の子だという意味ではなく、反対に、神から離れていない一なる神の子であるという意味です。


“Atonement”「贖罪」は、奇跡のコースでも最重要な概念です。


分離は実際には起こっておらず、そこから派生する恐怖や幻想を全て赦し、奇跡によって取り消し、癒す一なる神への帰還を果たすための根本原理となる愛に基づく作用です。

“Atonement”は、「贖罪」と訳されます。語源的には、”at one ment”「一つになる、統一する」、あるいは”at tune ment”「調整、調律、調和する」という意味です。

奇跡のコースでいう贖罪は、分離の起源をひっくり返す作業です。分離は、神と一体である神の子が自分が神から離れ、神の子自体も無数に分裂した人の子であるという幻想を抱くこと、つまり、ひとつであるものが、分裂してばらばらに散らばって、それぞれ独立したものとして存在するように見える幻想が生まれることでした。

この分離を逆転させると、世界中にばらばらに散らばっている多様な個性の個別の心を調和させ、一つの大いなる心に統合し、元の一なるものへとして神の下へと戻していくプロセスということになります。

この作用は、プリズムを逆転させるように、光を統合することに似ているし、いろんな個性のエゴを持つ個々の心が醸し出す不協和音を調和させていくという意味では、楽器の音合わせや調律、調弦という表現も適しているように思います。

また、エゴの声によるノイズを排して、聖霊の声が聞こえるように心を調整する作業という点では、ラジオの電波の周波数を希望の局に同調させてチューニングする作業もいい例だと思います。

これには、キリストが身代わりとなって人類の罪を贖ったという贖罪という言葉に詰まっている根深い固定観念を打ち砕くという意味だけでなく、そもそも、コースが罪という概念を取り消すことに取り組んでいることも要因でしょう。

「贖う」には代価を払って手に入れる、買うという意味があります。

「罪」を「贖う」ということは、犯してしまった罪による負い目に対して生贄を犠牲として差出して埋め合わせをして、罪を犯す前の状態を買い戻して罪を無かったことにするというような考え方です。

罪の償いについての発想は、洋の東西、宗教を問わず、このようなものになりがちです。

このように過去の罪に対して、何か犠牲となるものを埋め合わせとして差し出すことで、バランスを取ることが可能であるし、取らなければならないという発想は自然なことであり、社会的にも数千年に亘って容認されてきたことでもあり、司法制度の礎でもあります。

それにもかかわらず、奇跡のコースは、このような概念としての贖罪は採用しません。

以前に奇跡のコースは「犠牲」という概念を否認するというお話をしました。
エゴの抱く「犠牲」の考え方によると、犠牲は神と取引をすることであり、特別な関係にある者同士の間では、相手に更なる犠牲と罪悪感を求めるということでした。

冒頭に述べた一般的な贖罪の考え方(頭文字小文字のatonement)は、罪が存在することを大前提として、その上で、何らか犠牲を払って埋め合わせをすることによって罪を贖って帳消しにしようとすることでした。害悪である罪を打ち消すために、同等の害悪を負担させ(犠牲)るということは、紛れもなく攻撃です。つまり、一般的な贖罪は、攻撃によって罪を消すことができるという考え方であるということができます。

これに対して、奇跡のコースのいう「贖罪」(頭文字が大文字のAtonement)は、罪など無いということを真正面から認めることによってなされます。コースは、罪を現実のものにしておいてそれを攻撃することで打ち消そうとするのはエゴの計画だと言います。つまり、エゴは、罪を現実のものにすることにさえ成功すれば、一般的な贖罪の考え方の大前提に乗っかることになり、首尾よく攻撃による幻想を維持できることになります。

罪が現実であることを前提として受け入れる限りは、罪を消すためには犠牲をもって「贖う」しかないのは確かでしょう。

しかし、コースは、この罪が現実であるという認識が幻想であることにとことん気付いて幻想を取り消して「赦す」ことによって、そもそもの土台である罪が現実であるという前提の方を掘り崩しにかかります。奇跡とは、この土台に穴を開けていく一つひとつの作業です。

贖罪の完成は、言ってみれば、ちゃぶ台返しであり、みんなが従わなければならないルールだと思い込んで、ルールに則って一喜一憂しながらゲームにのめり込んでいるのを、テーブルごとひっくり返してしまうわけです。

これが、贖罪が攻撃に転用できない唯一の防御であると言われる所以です。
たとえば、「否認」という防御は、誤りを否定するために使えば防御になりますが、真理を否定するために使うと攻撃になってしまいます。
つまり、この世界というテーブル上でのゲームを通して用いる概念は、聖霊に従うかエゴに従うかによって防御にも攻撃にも転化し得るということです。

一般的な概念としての贖罪も、テーブル上で用いる以上は、罪ありとの前提に縛られる以上、存在する罪を打ち消すためには、それに見合う別の害悪等をぶつけて罪による害悪と相殺させなければならないということになるのです。

テーブル上の概念としての「許し」とコースの言う「赦し」の相違もここから理解できます。

「許し」は罪が存在するとの価値判断のうえで、許しを受ける誰かの犯した罪を、全く隔絶した存在である許しを与える誰かが、大目に見て見逃してやることです。
 これに対して、「赦し」は、そもそも「許す」べき罪など存在しないという真理を、罪を犯したように見えている他者も自己も実在しておらず、本当は一体の神の子であるという真理に照らして理解し、幻想を真理に置き換えることです。両者は根本的に違います。

贖罪は、救済、復活、癒しその他観点の相違によってさまざまなな名前で呼ばれます。

<a href="http://thereisnospoon.jp/blog-entry-81.html" target="_blank" title="M22 癒しと贖罪は別のもの?">M22 癒しと贖罪は別のもの?</a>

<a href="http://thereisnospoon.jp/blog-entry-217.html" target="_blank" title="W2ST-2.救済ってなに?">W2ST-2.救済ってなに?</a>

が参考になると思います。

2022年01月17日 (月) 23:58

Oom  

素晴らしい説明をありがとうございました

松山健 様
懇切丁寧な素晴らしいご説明ありがとうございます。
奇跡講座のテキスト本を購入して読み始めたところなのですが、こちらのサイトと出会って、サイト内のテキストもワークも説明がとても素晴らしく引き込まれて読ませていただいております。ワークもこちらのほうを読みながら、始めさせてもらっています。(それまでは別でワークを少ししていましたが挫折しておりました)
ひとりで学ぶ心細さもありましたので、こちらのサイトは救いだと思っております。

真理について、20年以上、学んできたつもりでしたが、何もわかっていないことに気づいたところです。
外側に学びを求めても何も全く理解していないどころか、絶望の連続の繰り返しでした。正しく生きても苦しみ抜く人生ほとほと嫌気がさして、自分の解釈すべてが間違っていた、と気づき、今年1月より奇跡講座を真剣に学び、実践しはじめたところです。
奇跡講座も外側なのではないか?と疑いの気持ちがないと言えば、嘘になりますが、目に見えるすべてを本当に理解していない、という点と、
あるサイトで香咲弥須子さんの動画や講演会などを見て、藁にも縋る思いです。

どうぞこれからも宜しくお願い致します。

2022年01月19日 (水) 11:58
 松山 健 Matsuyama Ken

 松山 健 Ken Matsuyama  

Re: 素晴らしい説明をありがとうございました

Oomさま

ありがとうございます。そのように言っていただけると、このサイトを作ってよかったと嬉しく思います。

こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。

さて、「奇跡講座も外側ではないか?」との懸念をお持ちのようなので、この点に触れておきます。

コースの教えてくれることからすると、真理は外を探して見出すものではないようです。
http://thereisnospoon.jp/blog-entry-184.html

なので、これまでは自分の外のどこか尊い誰かさんが示してくれた真理を何とかして見つけてそれを懸命に学ばなければならないという発想でいらっしゃったかもしれませんが、その発想のまま、奇跡講座こそ真理の書だ、ようやくたどり着いたぞ!と期待して奇跡講座の学習をすることは、これまでの延長でしかなく、いつかやはり違ってたという結末が待っているだけになるかもしれません。

コースを学ぶには、根本的な発想の転換が必要になります。
それは、大学受験までは十分通用していた暗記学習が、大学に入ってからの実学(医学・法律学・経済学・工学など、社会生活上の物事に即して答えを出すことが求められ、用意していた模範解答を吐き出すことでは対処できない実践的な知識体系を学ぶもの)にはまったく役に立たず歯が立たなくなることとは比にならないくらい、真逆の学習スタンスの転換です。

コースが教えるのは、学習棄却だからです。
学習棄却については、http://thereisnospoon.jp/blog-entry-707.htmlやサイト内検索で「学習棄却」を検索してもらえばたくさん記事がヒットします。

外に真理を探すのではなく、本当の自分である神の子そのものが真理なのだとすれば、幻想世界の中に真理が見つかるはずはないし、自分自体が真理なのだとしたら、自分が真理に気づいていないなら、それは自分が真理の上にガラクタを積み上げて、真理に気づけなくなっているのがその理由であるはずなのだから、やるべきことはガラクタを捨て去る廃品撤去と清掃作業のみということになるからです。

ですので、コース自体がコースを祭り上げることは求めておらず、単なる道具でしかないという捉え方がふさわしいと言えます。

少しドラスティックな表現になってしまったかもしれませんが、学んで覚えるためでなく、すべてを忘れる手段として学ぶというスタンスをとことん胸落ちさせてから、じっくり学習に入った方がよいかもしれません。

その意味で、学習棄却のエッセイのついている記事だけをまず全部読んでみてから、再び今の学習箇所に戻られてもよいと思います。

2022年01月19日 (水) 12:53
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