T29-1 隙間を閉じる
The goal of spiritual practice is full recovery, and the only thing you need to recover from is a fractured sense of self.
霊的な修行の最終目的は完全に元通りに戻ることです。そして、あなたが唯一回復しなければならないのは、分裂した小さな自己という感覚からだけです。

Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン
かくして、私自身と私に起こることとの間に存在する「境界線」が消され、受け身の目撃者であるというエゴの砦さえもが失われたとき、私は、世界の中にいるのではなく、「世界そのものである自分」を見出す。世界は強制的でも気まぐれでもない。起こることは、自動的でも意図的でもなく、「ただ起こる」。しかも全ての出来事が、信じがたいほど調和的だと思えるやり方で、相互に依存し合っている。あらゆる「これ」があらゆる「それ」を伴っている。他者なしには自分もなく、どこかがなければここもない。
この新しい自己感覚が生まれた時、それは気分を浮き立たせると同時に、少々まごつかせる。ちょうど泳ぎや自転車に乗るコツを初めてつかんだときのように。無理にしがみつこうとすれば失ってしまうだろう。それでもあなたは間もなく、自分が、以前のように働いたり決定を下したりといった通常の活動を続けられること、ただし何となく妨げが減っていることに気づく。

アラン・ワッツ

今回は、テキスト第二十九章から、隙間を閉じるという一節をご紹介します。
隔たり
分離した神の子たちがお互いの間にあってほしいと望む隔たり、わずかな隙間というひとつの分離幻想が、時空となり、キリストの顔にかかる影となり(T26-8 救いはもう、済んでいる)、他者と離れたままでいたいと願い、この隔たりを保ったままでいたいとの願望を各自が抱き、その秘密の願望同士が暗黙裡に合意に達することによって、秘密の誓約が交わされ、隔たりが本当にあるものとみなされ、分離が維持されます(T28-6 秘密の誓約)。

救済とは
この隔たりを埋め、隙間を閉じることが救済です。
T28-4 打ち砕かれたかけらの中に潜むものはが参考になると思います。

テキスト第29章
I. The Closing of the Gap
一 隙間を閉じる
1. There is no time, no place, no state where God is absent.
神がいない時間も場所も状態も一切、存在しません。
There is nothing to be feared.
恐れるべきものは何もありません。
There is no way in which a gap could be conceived of in the Wholeness that is His.
神のものである大いなる完全性の中に隔たりを想像することなど、絶対に不可能だからです。
The compromise the least and littlest gap would represent in His eternal love is quite impossible.
神の永遠の愛の中でも、最も少なくて最も小さな隔たりなら見出せるはずだと譲歩することすら絶対に不可能です。
For it would mean His Love could harbor just a hint of hate, His gentleness turn sometimes to attack, and His eternal patience sometimes fail.
なぜなら、それは神の大いなる愛がほんのかすかに憎しみを抱いたり、神の優しさがときに攻撃に転じたり、神の永遠の忍耐がたまに挫けたりすることがありうることを意味するからです。
All this do you believe, when you perceive a gap between your brother and yourself.
あなたが自分の兄弟と自分自身の間に隔たりを知覚するとき、あなたはこれがすべて本当だと信じているのです。
How could you trust Him, then?
こんなことを信じているあなたに、どうして神を信頼できるでしょうか。
For He must be deceptive in His Love.
というのも、そんな神の愛は当てにならないものに違いないからです。
Be wary, then; let Him not come too close, and leave a gap between you and His Love, through which you can escape if there be need for you to flee.
そうなると、神をあまり近寄らせすぎないように警戒して、あなたが逃げる必要があるときにはいつでも逃げられるように、あなたと神の愛の間に隔たりを残して用心しておいたほうがよいということになります。
2. Here is the fear of God most plainly seen.
ここに、神への恐れが最もはっきり見てとれます。
For love is treacherous to those who fear, since fear and hate can never be apart.
というのも、恐れと憎しみは決して切り離せないので、恐れを抱く者にとって愛は当てにならないものになるからです。
No one who hates but is afraid of love, and therefore must he be afraid of God.
憎しみを抱く者は誰でも、愛を恐れずにはいられません。だから、彼は必ず神を恐れることになります。
Certain it is he knows not what love means.
確実なのは、彼には愛の意味がわかっていないということです。
He fears to love and loves to hate, and so he thinks that love is fearful; hate is love.
彼は愛することを恐れ、憎むことを愛しており、したがって、彼は愛は恐ろしいものであり、憎しみが愛であると思っています。
This is the consequence the little gap must bring to those who cherish it, and think that it is their salvation and their hope.
これこそが、小さな隔たりを自分たちの救いであり希望であると考えて大切にしている者たちに、その隔たりがもたらすに違いない結果です。

3. The fear of God!
神を恐れるとは、何たることでしょう。
The greatest obstacle that peace must flow across has not yet gone.
この平安が流れ渡らなければならない最大の障害は、まだ去ってはいません。
The rest are past, but this one still remains to block your path, and make the way to light seem dark and fearful, perilous and bleak.
ほかの障害は過ぎ去りましたが、この障害はいまだに残っていて、あなたの行く手を阻み、光への道を暗くて恐ろしく、危険で荒涼としたものに見せています。
You had decided that your brother is your enemy.
あなたは、自分の兄弟は自分の敵だと決めつけてきました。
Sometimes a friend, perhaps, provided that your separate interests made your friendship possible a little while.
もしかすると、ときには、あなたたちが別々の利害を持っていることがしばらくの間あなたたちの友好関係を可能にする場合にかぎっては、兄弟を味方だと判断したことはあったかもしれません。
But not without a gap perceived between you and him, lest he turn again into an enemy.
しかし、その友好関係も、兄弟が再び敵に変わる場合に備えて、あなたと兄弟の間の隔たりを知覚したままのものでした。
Let him come close to you, and you jumped back; as you approached, did he but instantly withdraw.
彼を自分に近寄らせたときは、あなたは後ろに飛び退き、あなたが近づくと、彼はただ即座に引き下がるだけでした。
A cautious friendship, and limited in scope and carefully restricted in amount, became the treaty that you had made with him.
限られた範囲で、深く関わりすぎないように注意深く制限された慎重な友好関係が、あなたが兄弟と交わす協定となりました。
Thus you and your brother but shared a qualified entente, in which a clause of separation was a point you both agreed to keep intact.
したがって、あなたと兄弟は、分離に関する条項を完全に遵守することについて双方が合意するという条件つきの協定を取り交わしただけです。
And violating this was thought to be a breach of treaty not to be allowed.
だから、分離条項を破ることは、許されざる協定違反だとみなされることになったのです。

4. The gap between you and your brother is not one of space between two separate bodies.
あなたと兄弟との間にある隙間は、ふたつの分離した身体と身体の間にある空間的な隙間のことではありません。
And this but seems to be dividing off your separate minds.
この身体と身体の間の空間は、あなたたちの分離した心同士を区切っているように見えているだけです。
It is the symbol of a promise made to meet when you prefer, and separate till you and he elect to meet again.
この身体と身体の間の空間は、あなたたちが都合のいいときにだけ会い、そして、あなたと兄弟が再び出会うことを選択するまでは離れていることにするという約束を象徴しています。
And then your bodies seem to get in touch, and thereby signify a meeting place to join.
こうして、あなたたちの身体同士は連絡し合っているように見えるので、身体はひとつに結びつくための出合いの場を意味するように見えます。
But always is it possible for you and him to go your separate ways.
しかし、あなたと兄弟はいつでも、別々に自分の道を進むことが可能です。
Conditional upon the "right" to separate will you and he agree to meet from time to time, and keep apart in intervals of separation, which do protect you from the "sacrifice" of love.
離れる「権利」を条件にして、あなたと兄弟は時々会い、分離している期間は離れていることに同意し、その分離期間が、愛の「犠牲」になることからあなたを守ってくれるというわけです。
The body saves you, for it gets away from total sacrifice and gives to you the time in which to build again your separate self, which you truly believe diminishes as you and your brother meet.
あなたは自分が兄弟と会うと、自分の分離した自己が減弱するものと本気で信じています。それゆえ、身体は、完全に犠牲になることから逃れて、あなたに自分の分離した自己を立て直すための時間を与えてくれるので、身体こそがあなたを救ってくれるということになります。

5. The body could not separate your mind from your brother's unless you wanted it to be a cause of separation and of distance seen between you and him.
あなたが身体をあなたと兄弟の間に見られる分離や隔たりの原因にしたいと望まないかぎり、身体には、あなたの心をあなたの兄弟の心から引き離すことなどできません。
Thus do you endow it with a power that lies not within itself.
このように、身体を兄弟との分離の原因にしたいと願望することによって、あなたは身体に、身体がそれ自体の内に持ち合わせていない力を授けます。
And herein lies its power over you.
そして、ここにこそ、身体があなたを支配する力を見出すことができます。
For now you think that it determines when your brother and you meet, and limits your ability to make communion with your brother's mind.
というのは、いまやあなたは、身体が、あなたの兄弟とあなたがいつ会うのかを決め、そして、その兄弟の心と霊的な交流を図るためのあなたの能力を制限するものと思っているからです。
And now it tells you where to go and how to go there, what is feasible for you to undertake, and what you cannot do.
そうなるといまや、身体はあなたに、どこに行くべきか、そこにどうやって行くべきか、あなたが何に取りかかるべきか、あなたには何ができないか、といったことを命じるようになります。
It dictates what its health can tolerate, and what will tire it and make it sick.
身体は、身体の健康状態は何に耐えられるか、何が身体を疲労させて身体を病気にさせるかについて指図するようになります。
And its "inherent" weaknesses set up the limitations on what you would do, and keep your purpose limited and weak.
そして、身体の「生来」の脆弱さが、あなたがなそうとすることに限界を定め、あなたの目的を制限された脆弱なものに保つことになります。
6. The body will accommodate to this, if you would have it so.
もしあなたが身体にそうさせるつもりなら、身体はこうしたことに順応するでしょう。
It will allow but limited indulgences in "love," with intervals of hatred in between.
身体は、その合間に憎しみの期間を差し挟むことで、限定的に「愛」に耽るだけなら容認するでしょう。
And it will take command of when to "love," and when to shrink more safely into fear.
そして、身体は、いつ「愛」し、いつより安全に恐れの中に引きこもるべきか、指揮を執るようになります。
It will be sick because you do not know what loving means.
あなたが愛することが何を意味するかわかっていないために、身体は病気になります。
And so you must misuse each circumstance and everyone you meet, and see in them a purpose not your own.
そうなると、あなたは必ず、自分が直面するあらゆる状況や自分が出会う人たち全員に対して誤った対応をすることになり、それらの状況や人々の中に本来の自分の目的とは違う目的を見ることになってしまいます。

7. It is not love that asks a sacrifice.
犠牲を求めるものは、愛ではありません。
But fear demands the sacrifice of love, for in love's presence fear cannot abide.
しかし、恐れは愛を犠牲にするように要求します。というのは、愛のあるところに恐れは留まることができないからです。
For hate to be maintained, love must be feared; and only sometimes present, sometimes gone.
憎しみを抱き続けるためには、愛は恐れられる必要があるし、そして、その愛はたまにしか存在せず、しばしば去ってしまうようなものでなければなりません。
Thus is love seen as treacherous, because it seems to come and go uncertainly, and offer no stability to you.
かくして、愛は当てにならないものとみなされます。なぜなら、愛は、気まぐれに来たかと思えば去ってゆき、あなたに何の安定も差し出してはくれないように見えるからです。
You do not see how limited and weak is your allegiance, and how frequently you have demanded that love go away, and leave you quietly alone in "peace."
あなたには、自分の献身がいかに限定された脆弱なものでしかないか、そして、あなたがいかに頻繁に自分が「平安」の中にひとり静かにいられるように、愛に立ち去るように要求してきたかわかっていません。
8. The body, innocent of goals, is your excuse for variable goals you hold, and force the body to maintain.
身体が何の目標も持たないことが、あなたが掲げ、身体に従うことを強いる目標がころころと変わることについてのあなたの弁解の理由となります。
You do not fear its weakness, but its lack of strength or weakness.
あなたは身体の脆弱さを恐れているのではなく、身体には強さも弱さも欠けていることを恐れているのです。
Would you know that nothing stands between you and your brother?
あなたには、自分と兄弟の間を遮るものなど何もないということを知る気があるでしょうか。
Would you know there is no gap behind which you can hide?
あなたには、自分がその陰に隠れることができるような隔たりなど存在しないことを知る気があるでしょうか。
There is a shock that comes to those who learn their savior is their enemy no more.
自分の救い主がもはや自分の敵ではないと学ぶ者たちには、一種の衝撃が訪れます。
There is a wariness that is aroused by learning that the body is not real.
身体は実在しないと学ぶことで、警戒心が湧き起こるでしょう。
And there are overtones of seeming fear around the happy message, "God is Love."
また、「神は愛である」という幸せなメッセージの周囲には恐ろしげな雰囲気が漂っているはずです。

9. Yet all that happens when the gap is gone is peace eternal.
しかし、隔たりが去ったときに訪れるのは、永遠の平安のみです。
Nothing more than that, and nothing less.
それ以上でも、それ以下でもありません。
Without the fear of God, what could induce you to abandon Him?
神への恐れがなければ、いったい何があなたに神を見限る気にさせるというのでしょうか。
What toys or trinkets in the gap could serve to hold you back an instant from His Love?
隔たりの中にあるどんなおもちゃやつまらない飾りものが、あなたを一瞬でも神の大いなる愛から引き戻すのに役立つでしょうか。
Would you allow the body to say "no" to Heaven's calling, were you not afraid to find a loss of self in finding God?
あなたが神を見出すことで自己を失うことを恐れていないとしたら、天国からの呼びかけに対して、身体が「嫌だ」だと言うのをあなたは許すでしょうか。
Yet can your self be lost by being found?
それにしても、あなたの自己が、見つかることによって失われる、などということがありうるでしょうか。


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