T14-7 聖霊と知覚を共有する
One way the Holy Spirit will awaken you is to teach you that what you think is happening is not happening.
聖霊があなたを目覚めさせる方法のひとつは、あなたが起こっていると思っていることが起こってはいないとあなたに教えることです。

Gary R. Renard, The Disappearance of the Universe
ゲイリー・レナード(「神の使者」より)

今回はテキスト第十四章から、聖霊と知覚を共有することについての一節をご紹介します。
ヴィジョンと光
聖霊の知覚はキリストのヴィジョンです。
T12-6 キリストのヴィジョン、レッスン271「今日私が使うのはキリストのヴィジョンだ」が参考になると思います。
キリストのヴィジョンには、実在するものだけが、つまり、神の子自身が見えています。
神が創造したのは神の子だけであり、神の子は万物を所有しているだけでなく、万物そのものでもあります。
これに対して、私たちは、幻であるエゴ・身体というアバターに一体化することで、神の創造していない幻の世界を見ています。
ものが見えるには光があることが必要です。
そして、神は光であり、その拡張である神の子も光です。
投影が生み出す幻想
これに対して、幻は光が障害に遮られて生み出される影です。
影は光の進行が前方に張られたスクリーンで遮断され、さらにそのスクリーンの手前で光の一部が障害によって遮られてスクリーンに光の当たる部分と当たらない部分が生まれることによって起こる投影の産物です。
つまり、神の子に幻影の世界が見え、自分を幻と自己同一化するという事態が生じているということは、神の子が自分の本質である光を自分で遮って影を投じて、闇の中にいるようになっていることを示します。
したがって、本来、光である神の子に見えない幻想が見えている状態から、元の状態に戻るためには、光が鍵となります。
そして、神の子自身が光を持ち光そのものでもあるのだから、必要なことは、外部のどこかに光を求めて自分の外に光を探し求めることではなく、自分の中にある光が輝き出すのを不可能にしている障害を自分の心から除去することだということになります。
聖霊に闇を差し出す
そのためには、私たちは私たちの本質である聖霊に対して、閉ざしていた心の扉をすべて開いて、聖霊に光で闇を追い払ってもらう必要があります。

聖霊に対して、自分の闇を隠さずに勇気をもってさらけ出すことが必要になります。
6.「At your request he enters gladly.
あなたが頼めば、聖霊は喜んで闇の中に入ってきてくれます。
He brings the light to darkness if you make the darkness open to him.
もしあなたが聖霊に闇をさらけ出すなら、聖霊は闇に光を当てくれます。
But what you hide he cannot look upon.
しかし、あなたが隠しているものは、聖霊は見ることができません。」
聖霊と一緒に見る
そして、エゴ・身体として見るものは、すべてエゴのレンズを通して歪んで色づけられてしまいます。
なので、私たちが聖霊と一緒にではなく、ひとりで見るかぎり、天国に実在する属性がこの世界に反映されてできる影のほうしか見えません。
つまり、愛ではなく恐れ、生命ではなく死、永遠ではなく時間、光ではなく闇しか見えません。
そこで、自分が何を見るにせよ、聖霊と一緒に見ないかぎり、無意味なものしか見えないと認めて聖霊と一緒に見るようになる必要があります。
「7. Joining with him in seeing is the way in which you learn to share with him the interpretation of perception that leads to knowledge.
聖霊と一緒に見ることが、知識へとつながる知覚の解釈を聖霊と共有することをあなたが学ぶための方法です。
You cannot see alone.
あなたは自分ひとりで見ることはできません。
Sharing perception with him Whom God has given you teaches you how to recognize what you see.
神があなたに与えてくれた聖霊と知覚を共有することで、あなたは自分の見るものを認識する方法を教わることになります。
It is the recognition that nothing you see means anything alone.
それは、あなたの見るものは何であれ、ひとりだけで見たのでは何も意味しないと認めることです。」
聖霊の3大レッスン
聖霊と一緒に見るなら、敵の非難や攻撃によって本当の自分は少しも傷ついてはいないのだから、被害者である自分を相手が有罪であることの生き証人として示して敵に罪悪感を抱かせようとするのではなく、自分が傷ついておらず、相手に罪はないということが示すべきリアクションとなります。
そうなると、敵に見えていたその人は実は味方どころか自分と同じように本当の自分である神の子の分身である兄弟となり、非難や攻撃に見えていたものは実は愛と助けを求める哀願だったのだから、返すべきは反撃ではなく愛による助けだということになります。
結局、他者の罪に見えていたものは、実は、間違いに気づいて赦しを行う機会が与えられていたのであり、他者が自分の期待にそぐわないと不平不満を抱いていたが、それは自分が助けとなる機会を与えてくれていたのであり、他者は敵どころか自分の救い主であり、自分とひとつの自分自身だということになります。
こうして、聖霊とともに見ることによって、闇の世界の中で愛に被せられた恐れの薄皮を剥いで、ありのままの真理を見ることができるようになります。

テキスト第十四章
VII. Sharing Perception with the Holy Spirit
七 聖霊と知覚を共有する
1. What do you want?
あなたは何を望むのでしょうか。
Light or darkness, knowledge or ignorance are yours, but not both.
知識という光か無知という闇のどちらか一方はあなたのものですが、両方ともあなたのものになるわけではありません。
Opposites must be brought together, not kept apart.
正反対のものは、分離したまま保っておくのではなく、一緒にしなくてはなりません。
For their separation is only in your mind, and they are reconciled by union, as you are.
なぜなら、正反対のものの分離状態はただあなたの心の中にだけあるので、あなたたちがひとつになれるのと同じように、ひとつに結ばれることによって和解できるからです。
In union, everything that is not real must disappear, for truth is union.
ひとつに結ばれることで、どんなものであれ実在しないものは消滅するに違いありません。なぜなら、真理はひとつに結びついているからです。
As darkness disappears in light, so ignorance fades away when knowledge dawns.
光の中では闇が消滅するように、知識が姿を現すと、無知は姿を消します。
Perception is the medium by which ignorance is brought to knowledge.
知覚は、無知を知識の下にもたらすための手段となります。
Yet the perception must be without deceit, for otherwise it becomes the messenger of ignorance rather than a helper in the search for truth.
ただし、知覚が欺かれないようにしなければなりません。なぜなら、そうしないと、知覚は真理を探求する助力者となるどころか、無知を伝える使者となってしまうからです。

2. The search for truth is but the honest searching out of everything that interferes with truth.
真理の探求は、真理の邪魔になるものをくまなく率直に探し出すことにほかなりません。
Truth is.
真理は実在します。
It can neither be lost nor sought nor found.
真理は失うことも、探し求めることも、発見することもできません。
It is there, wherever you are, being within you.
というのも、真理はあなたの内に在るので、あなたがいるところならどこにでも存在するからです。
Yet it can be recognized or unrecognized, real or false to you.
ただし、真理は認識することも認識しないこともできるので、真理はあなたにとって本物にも偽物にもなりえます。
If you hide it, it becomes unreal to you because you hid it and surrounded it with fear.
もしあなたが真理を隠すなら、真理はあなたにとっては本物ではなくなります。なぜなら、あなたが真理を隠して恐怖心で包みこんでしまったからです。
Under each cornerstone of fear on which you have erected your insane system of belief, the truth lies hidden.
あなたが狂気の信念体系をその上に構築している一つひとつの恐怖という礎石の下には、真理が潜んでいます。
Yet you cannot know this, for by hiding truth in fear, you see no reason to believe that the more you look at fear the less you see it, and the clearer what it conceals becomes.
しかし、あなたには、この事実を知ることができません。なぜなら、恐怖心の中に真理を隠しているせいで、あなたには、自分が恐れをしっかりと見据えれば、それに応じて恐れが見えなくなり、恐れが隠しているものが徐々に明瞭になってくると信じる理由が見出せないからです。
3. It is not possible to convince the unknowing that they know.
知らないと思いこんでいる者に、実は自分は知っているのだと納得させるのは不可能です。
From their point of view it is not true.
知らないと思いこんでいる当の本人から見れば、自分が知っているというのは真実ではないからです。
Yet it is true because God knows it.
しかし、神がそれを知っているがゆえに、その人が自分は知らないと思っていても実は知っているというのが真実です。
These are clearly opposite viewpoints on what the "unknowing" are.
このふたつの見方は、「知らない」とはどういうことなのかに関する明らかに正反対の観点です。
To God, unknowing is impossible.
神にとっては、知らずにいることは不可能です。
It is therefore not a point of view at all, but merely a belief in something that does not exist.
したがって、知らないということはまったくのところ、ものの見方などではなく、単に存在しない何かを信じる信念にすぎないことになります。
It is only this belief that the unknowing have, and by it they are wrong about themselves.
知らないと思っている者は、単に存在しない何かを信じているだけで、その信念によって彼らは自分自身のことを誤解しているのです。
They have defined themselves as they were not created.
知らないと思う者たちは、自分たちのことを神に創造された存在ではないと、自分勝手に定義してしまっています。
Their creation was not a point of view, but rather a certainty.
しかし、彼らが創造されたことは見解などではなく、確固たる事実です。
Uncertainty brought to certainty does not retain any conviction of reality.
確固たる事実を疑うようでは、何が本当のことなのかまったく確信が保てなくなるはずです。

4. Our emphasis has been on bringing what is undesirable to the desirable; what you do not want to what you do..
私たちが強調してきたのは、望ましくないものを望ましいものの許に、あなたの望まないものをあなたの望むものの許にもたらすことでした。
You will realize that salvation must come to you this way, if you consider what dissociation is.
もしあなたが解離がどういうものかよく考えてみるなら、あなたも救済がこんなふうにして自分の許に訪れるに違いないとわかるはずです。
Dissociation is a distorted process of thinking whereby two systems of belief which cannot coexist are both maintained.
解離は、同時に存在できないふたつの信念体系を何とかして両方とも維持しようとして用いられる歪んだ思考プロセスです。
If they are brought together, their joint acceptance becomes impossible.
もしこのふたつの信念体系が一緒にされたら、両方合わせて受け入れることは不可能となります。
But if one is kept in darkness from the other, their separation seems to keep them both alive and equal in their reality.
しかし、もし一方が他方から隠されて闇の中に保たれるなら、互いに分離していることが両者をともに生かし続けるので、それぞれが同等の実在性を保つように思えます。
Their joining thus becomes the source of fear, for if they meet, acceptance must be withdrawn from one of them.
そのため、両者を結びつけることは恐れの原因になります。というのは、もし両者が引き合わされるなら、両者のうちのどちらか一方を受け入れることを取り止めなければならなくなるからです。
You cannot have them both, for each denies the other.
両者は互いに他方のことを否認するので、あなたは両方同時に持つことはできません。
Apart, this fact is lost from sight, for each in a separate place can be endowed with firm belief.
ふたつが離れていると、これが事実だということが見失われてしまいます。なぜなら、別々のところにありさえすれば、それぞれの存在を確固たるものとして信用できてしまうからです。
Bring them together, and the fact of their complete incompatibility is instantly apparent.
知識の光と無知の闇のふたつを一緒にしてみなさい。そうすれば、すぐさま、両者がまったく両立しないという事実が明らかになります。
One will go, because the other is seen in the same place.
同じ場所で光と闇が見られるので、闇が去ることになるからです。
5. Light cannot enter darkness when a mind believes in darkness, and will not let it go.
心が闇を信じたまま闇を手放そうとしないなら、光は闇に入りこむことができません。
Truth does not struggle against ignorance, and love does not attack fear.
真理が無知に対抗して戦うことはないし、愛が恐れを攻撃することもありません。
What needs no protection does not defend itself.
何も保護される必要のないものは、自分自身を守ろうとはしません。
Defense is of your making.
防衛というのは、あなたたちが作りあげた概念です。
God knows it not.
防衛など、神の知るところではありません。
The Holy Spirit uses defenses on behalf of truth only because you made them against it.
聖霊は、防衛手段を真理のために用いはしますが、それは単に、あなたたちが真理に対抗する防衛手段を作り出してしまったためでしかありません。
His perception of them, according to his purpose, merely changes them into a call for what you have attacked with them.
聖霊の目的に沿うように防衛手段を知覚することで、聖霊は単に、あなたが防衛手段を用いて攻撃したものを求める呼び声として防衛手段を変換するだけです。
Defenses, like everything you made, must be gently turned to your own good, translated by the Holy Spirit from means of self-destruction to means of preservation and release.
聖霊に自己破壊の手段を自己を保存し解放する手段へと翻訳してもらうことによって、あなたが作り出したすべてのものと同じように、防衛は必ず穏やかにあなた自身のためになるものへと変換されることになります。
His task is mighty, but the power of God is with him.
聖霊に課された任務はたいそうなものではありますが、聖霊には神の力がついています。
Therefore, to him it is so easy that it was accomplished the instant it was given him for you.
したがって、聖霊にとっては、その任務を果たすことは実にたやすいことなので、あなたのためにその任務が聖霊に与えられたその瞬間に、その任務はすぐに成し遂げられてしまっています。
Do not delay in your return to peace by wondering how he can fulfill what God has given him to do.
いったいどのようにすれば聖霊は神から命ぜられた任務を果たせるのだろうかと訝しむことで、自分が平安を取り戻すのを遅らせてはなりません。
Leave that to him who knows.
どうやって任務を果たすかは、それを知る聖霊に任せておきなさい。
You are not asked to do mighty tasks yourself.
あなたは大変な任務を自分だけでこなすように求められているわけではないのです。
You are merely asked to do the little he suggests you do, trusting him only to the small extent of believing that, if he asks it, you can do it.
あなたは単に、もし聖霊がそれを自分に求めるのなら自分にはそれができるはずだと、ほんのわずかな程度だけ聖霊を信頼して、聖霊があなたにこうするようにと提案してくれるささやかなことをなすように求められているだけです。
You will see how easily all that he asks can be accomplished.
きっとあなたにも、すべての聖霊の頼みが、いかに容易に達成できるかわかってくるはずです。

6. The Holy Spirit asks of you but this; bring to him every secret you have locked away from him.
聖霊があなたに求めているのは次のことだけです。それは、あなたが鍵をかけて聖霊から隠してきた秘密をひとつ残らず聖霊の許へと差し出すことです。
Open every door to him, and bid him enter the darkness and lighten it away.
聖霊に対してすべての扉を開いてください。そして、聖霊に闇の中に入ってきて、光で闇を一掃してもらうのです。
At your request he enters gladly.
あなたが頼めば、聖霊は喜んで闇の中に入ってきてくれます。
He brings the light to darkness if you make the darkness open to him.
もしあなたが聖霊に闇をさらけ出すなら、聖霊は闇に光を当てくれます。
But what you hide he cannot look upon.
しかし、さすがの聖霊も、あなたが隠しているものを見ることはできません。
He sees for you, and unless you look with him he cannot see.
聖霊はあなたのためにあなたに代わって見るので、あなたが一緒に見ようとしないかぎり、聖霊には見ることができないからです。
The vision of Christ is not for him alone, but for him with you.
キリストのヴィジョンは聖霊だけのためのものではなく、あなたと一緒になった聖霊のためのものだからです。
Bring, therefore, all your dark and secret thoughts to him, and look upon them with him.
それゆえに、あなたの暗い秘密の思いのすべてを聖霊に渡し、聖霊と一緒にその闇の想念をよく見てください。
He holds the light, and you the darkness.
聖霊は光を掲げ、あなたは闇を携えています。
They cannot coexist when Both of You together look on them.
あなたと聖霊が揃って闇と光を見つめれば、闇と光は共存することなどできません。
His judgment must prevail, and he will give it to you as you join your perception to his.
聖霊の裁きが必ず勝ることになります。そして、あなたが自分の知覚を聖霊の知覚に結び合わせれば、聖霊は自らの価値判断をあなたに与えてくれるでしょう。
7. Joining with him in seeing is the way in which you learn to share with him the interpretation of perception that leads to knowledge.
聖霊と一緒に見ることが、知識へとつながる知覚の解釈を聖霊と共有することをあなたが学ぶための方法です。
You cannot see alone.
あなたは自分ひとりで見ることはできません。
Sharing perception with him Whom God has given you teaches you how to recognize what you see.
神があなたに与えてくれた聖霊と知覚を共有することで、あなたは自分の見るものを認識する方法を教わることになります。
It is the recognition that nothing you see means anything alone.
それは、あなたの見るものは何であれ、ひとりだけで見たのでは何も意味しないと認めることです。
Seeing with him will show you that all meaning, including yours, comes not from double vision, but from the gentle fusing of everything into one meaning, one emotion and one purpose.
聖霊と一緒に見ることによって、あなた自身の意味も含めて、すべてのものの意味はふたつの視覚を用いることから生じるのではなくて、あらゆるものが唯一の意味と唯一の感情と唯一の目的へと穏やかに融合することから生じるのだとあなたにもわかってくるでしょう。
God has one purpose which he shares with you.
神は唯一の目的を持っており、神はその目的をあなたと共有しています。
The single vision which the Holy Spirit offers you will bring this oneness to your mind with clarity and brightness so intense you could not wish, for all the world, not to accept what God would have you have.
聖霊があなたに差し出す単一のヴィジョンは、あなたの心に強烈な明瞭さと輝きをもって、この一体感をもたらしてくれます。その明瞭さと輝きはあまりに鮮烈なので、あなたは、全世界と引き換えにしても、神があなたに持たせようとするものを受け取らずにいようと願うことなどできないでしょう。
Behold your will, accepting it as his, with all his Love as yours.
あなたの意志をよく見つめてください。そして、あなたの意志を神の意志として受け入れながら、神の大いなる愛のすべてを自分のものとして一緒に受け入れてください。
All honor to you through him, and through him unto God.
すべての栄光が、聖霊を通してあなたのものに、そして、聖霊を通して神のものとなりますように。

