T8-4 自由という贈り物
Either sin is with you, lying on your shoulders, or it is lying on Christ, the Lamb of God.
罪があなたとともにあり、あなたの双肩にかかっているか、あるいは、罪は神の子羊であるキリストが背負ってくれているか、そのどちらかだ。
Now if it is lying on your back, you are lost; but if it is resting on Christ, you are free, and you will be saved.
今、もしあなたが罪を背負うなら、あなたは押し潰されてしまう。しかし、もしキリストが罪を背負ってくれるなら、あなたは自由になり、あなたは救われるだろう。
Now choose what you want.
今こそ、自分がどちらを望むのか選択しなさい。

Martin Luther
マルティン・ルター

今回は、テキスト第八章から、自由という贈り物という一節をご紹介します。
コースを学ぶと湧いてくる素朴な疑問あれこれ
コースを学び始めると、神が全能なら、そもそも神の子が狂気に陥るように創造しなかったはずなんじゃないの?とか、神の子が狂気に陥って幻想を見ている状態からわが子を救出することなんて容易なはずなのに、それすらできないなんて、それで神だといえるの?とか、全能の神ならいくらでも容易に助けられるはずなのに、愛しているはずのわが子が狂気に苦悩しているというのに、自分で狂気を脱するまで放っておくなんて愛が足りないんじゃないの?とか、素朴な疑問が湧いてくるものです。
この点については、T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?のエッセイで、神が無慈悲に思えるとしたら、この世界のリアリティーに惑わされて幻想と現実が逆転しているからだということを述べました。
この理解によって、神の無慈悲さというエゴの演出に惑わされて生まれる神に対する悪意を排して、感情に流されず純粋に、神が子の自由意志に介入しない理屈を論理的に考えることができるようになります。

7つの習慣で主体性が第1の習慣に位置づけられているのは主体的であることがすべての基盤だから
6.「I can teach you, but only you can choose to listen to my teaching.
私はあなたに教えることはできますが、私の教えに耳を傾けることを選択できるのは、ただあなただけです。
How else can it be, if God's Kingdom is freedom?
もし神の王国が自由であるなら、これ以外にどんな方法で自由を教えることができるでしょうか。
Freedom cannot be learned by tyranny of any kind, and the perfect equality of all God's Sons cannot be recognized through the dominion of one mind over another.
いかなる種類であろうとも、専制によって自由が学ばれることはありえません。だから、ある心がほかの心を支配することを通じて、神の子らがみな完全に平等であることが認識されることなどありえません。
God's Sons are equal in will, all being the Will of their Father.
神の子らはみな彼らの父の大いなる意志なのだから、神の子らは意志において同等なのです。
This is the only lesson I came to teach.
これこそ、私が教えに来た唯一のレッスンです。」
神はすべてを持ちすべてでもある、自らと同じ自由意志を持つ存在として子を創造しました。
そして、神の子の役目は神の光を拡張すること、つまり、神と同じように創造することです。
神の意志が自由であることは、きわめて本質的な要素です。
神の意志が少しでも制限を受ける不自由なものであるとしたら、もはや神は神ではなくなります。
そして、子が持つ意志は、子独自の分離したものではなく、神の意志とまったく同一のものです。
したがって、子の意志に制限を加えたり、強制したりすることは、神の意志を制限することになります。
なので、子の意志が誤りによって制限を受けたような状態に陥った場合に、神が強引にそれを修正するということは、神にとって自滅行為となり、不可能ということになります。
神の子が偽りのアイデンティティーを抱いて、自らを卑小な生き物で、世界や他者から蹂躙され影響を受ける被害者であるという意識に縮こまっている状態で、「自分とは別の」神が手出しをして助けたのでは、神の子の主体性の欠如を後押ししてますます救われない状態に追いやることになるだけだということになります。

テキスト第八章
IV. The Gift of Freedom
四 自由という贈り物
1. If God's Will for you is complete peace and joy, unless you experience only this you must be refusing to acknowledge his will.
もし神があなたのために完全な平安と喜びを意図しているとしたら、あなたがただ完全な平安と喜びだけを経験しているのでないかぎり、あなたは神の意志を承認するのを拒絶しているに違いありません。
His will does not vacillate, being changeless forever.
永遠に不変のものであるがゆえに、神の意志が揺らぐことはありません。
When you are not at peace it can only be because you do not believe you are in him.
あなたに心の平安がないなら、それはただ、自分が神の内にあることをあなたが信じていないからでしかありません。
Yet he is all in all.
しかし、神は、あらん限りのすべてです。
His peace is complete, and you must be included in it.
神の平安は完全なものなので、あなたは神の平安の中に含まれているに違いありません。
His laws govern you because they govern everything.
神の法は万物を統べるので、神の法はあなたを支配しています。
You cannot exempt yourself from his laws, although you can disobey them.
あなたは自らを神の法の支配の下から免れさせることはできませんが、あなたは神の法に背くことはできます。
Yet if you do, and only if you do, you will feel lonely and helpless, because you are denying yourself everything.
しかし、もしあなたが神の法に従わずにいるなら、そして、もしあなたが本当にそんなことをした場合にかぎって、あなたは自分が孤独で無力だと感じるでしょう。なぜなら、あなたは自分自身にあらゆるものを拒絶しているからです。
2. I am come as a light into a world that does deny itself everything.
それ自体にあらゆるものを拒絶してしまうこの世界の中へと、私は光としてやってきました。
It does this simply by dissociating itself from everything.
この世界が自らにすべてを拒絶しているといっても、それはただ単にあらゆるものから自らを解離させることによって拒んでいるにすぎません。
It is therefore an illusion of isolation, maintained by fear of the same loneliness that is its illusion.
したがって、この世界は孤立しているという幻想であり、同じようにこの世界が抱く幻想である孤独に対する恐れによって維持されています。
I said that I am with you always, even unto the end of the world.
私はたとえ世の終りまでであろうと、いつまでも、あなたがたとともにいると述べました。
That is why I am the light of the world.
それが、私が世界の光である理由です。
If I am with you in the loneliness of the world, the loneliness is gone.
世界という孤独の中にあっても、もし私があなたとともにいるとすれば、孤独感など去ってしまうはずです。
You cannot maintain the illusion of loneliness if you are not alone.
もしあなたがひとりきりでないとしたら、あなたはいつまでも自分は孤独だと錯覚していることはできないはずです。
My purpose, then, is still to overcome the world.
それゆえに、私の目的は今なお、世界に打ち勝つことなのです。
I do not attack it, but my light must dispel it because of what it is.
私が世界を攻撃することはありません。しかし、世界の本質が幻想という闇であるがゆえに、私の光が必ずこの世界を払拭します。
Light does not attack darkness, but it does shine it away.
光は闇を攻撃するわけではありませんが、光がその輝きで闇を一掃してしまうのは確かです。
If my light goes with you everywhere, you shine it away with me.
もし私の光がどこにでもあなたとともに行くなら、あなたは私と一緒に光で闇を消滅させることになります。
The light becomes ours, and you cannot abide in darkness any more than darkness can abide wherever you go.
その光は私たちのものとなり、あなたが行くところにはどこにも闇が留まることができなくなるように、あなたも闇の中に留まることなどできなくなります。
The remembrance of me is the remembrance of yourself, and of him Who sent me to you.
私を思い出すことは、あなた自身を思い出すことであり、そして、あなたの許に私を遣わした神を思い出すことです。

3. You were in darkness until God's Will was done completely by any part of the Sonship.
神の大いなる意志が神の子全体の一部をなす者によって完全に果たされたときまで、あなたは闇の中にいました。
When this was done, it was perfectly accomplished by all.
神の意志が果たされたとき、それは神の子全員によって完全に成し遂げられたのです。
How else could it be perfectly accomplished?
それ以外に、どうやって神の大いなる意志が完全に成就しえたでしょうか。
My mission was simply to unite the will of the Sonship with the Will of the Father by being aware of the Father's Will myself.
私の使命は、単に、私自身が父の大いなる意志を認識することによって、神の子全体の意志と父の大いなる意志とをひとつに結び合わせることでした。
This is the awareness I came to give you, and your problem in accepting it is the problem of this world.
私がここに来たのは、この神の大いなる意志についての自覚をあなたに与えるためです。それは、あなたが神の意志を自分の意志として受け入れられずにいるという問題こそが、この世界の問題だからです。
The world must therefore despise and reject me, because the world is the belief that love is impossible.
したがって、この世界は私を蔑み、拒絶するに違いありません。なぜなら、この世界は愛はありえないという信念だからです。
If you will accept the fact that I am with you, you are denying the world and accepting God.
私があなたとともにいるという事実をもしあなたが受け入れるなら、あなたはこの世界を拒絶して神を受け入れることになります。
My will is his, and your decision to hear me is the decision to hear his voice and abide in his will.
私の意志は神の意志なので、あなたが私を聞き入れる決心をすることは、神の声を聞き入れて神の意志の内に留まると決断することになります。
As God sent me to you so will I send you to others.
神が私をあなたに遣わしたように、私もあなたをほかの者たちの許に行かせるつもりです。
And I will go to them with you, so we can teach them peace and union.
そして、私たちが彼らに平安と和合について教えられるように、私は彼らの許へとあなたと一緒に赴くつもりです。
4. Do you not think the world needs peace as much as you do?
あなたは、自分が平安を必要としているのと同じくらい、この世界も平安を必要としているとは思わないでしょうか。
Do you not want to give it to the world as much as you want to receive it?
あなたは、自分が平安を受け取りたいと望んでいるのと同じくらい目いっぱい、この世界にも平安を与えたいとは思わないでしょうか。
For unless you do, you will not receive it.
というのは、あなたが平安をこの世界に与えないかぎり、あなたが平安を受け取ることはないからです。
If you want to have it of me, you must give it.
もしあなたが平安を私から得たいのなら、あなたは平安を与えなければなりません。
Healing does not come from anyone else.
癒しは、ほかの誰かから訪れるものではありません。
You must accept guidance from within.
あなたは、内からの導きを受け入れなければなりません。
The guidance must be what you want, or it will be meaningless to you.
その内なる導きは、あなたの望むものでなければなりません。そうでなければ、その導きはあなたにとって無意味なものとなってしまうでしょう。
That is why healing is a collaborative venture.
これが、癒しが共同事業である理由です。
I can tell you what to do, but you must collaborate by believing that I know what you should do.
私はあなたに何をすべきか告げることができます。ただし、そのためには、あなたのほうで、あなたがなすべきことを私が知っていると信じることによって私に協力してくれなければなりません。
Only then will your mind choose to follow me.
ただそのときにだけ、あなたの心は私に従うことを選択するでしょう。
Without this choice you could not be healed because you would have decided against healing, and this rejection of my decision for you makes healing impossible.
この選択なくして、あなたが癒されることはありえません。なぜなら、あなたはこの選択をしないことで、癒されることに反対する決断をしたことになり、このように、私があなたのためにする決断をあなたが拒否することが癒しを不可能にしてしまうからです。

5. Healing reflects our joint will.
癒しは、私たちの意志がひとつに結合した状態の反映です。
This is obvious when you consider what healing is for.
あなたが癒しは何のためのものなのかよく考えてみれば、これがその通りだとすぐわかるはずです。
Healing is the way in which the separation is overcome.
癒しは、分離を克服するための方法です。
Separation is overcome by union.
分離は、心がひとつに結びつくことによって克服されます。
It cannot be overcome by separating.
心を分離することによって分離状態を克服できるはずがありません。
The decision to unite must be unequivocal, or the mind itself is divided and not whole.
ひとつに結びつくことへの決断は躊躇のないものでなければなりません。決断に迷いがあると、心そのものが分割され、完全ではなくなってしまうからです。
Your mind is the means by which you determine your own condition, because mind is the mechanism of decision.
あなたの心は、あなたが自分自身の状況を決定するための手段です。なぜなら、心は物事を決定するメカニズムだからです。
It is the power by which you separate or join, and experience pain or joy accordingly.
心は、あなたが分離するかひとつに結びつくかを決定し、それに従って、苦痛か喜びを経験することを決定する力です。
My decision cannot overcome yours, because yours is as powerful as mine.
私の決断があなたの決断を覆すことはできません。なぜなら、あなたの決断は私の決断と同じく強力なものだからです。
If it were not so the Sons of God would be unequal.
もしそうでなければ、神の子たちは同等ではないことになってしまいます。
All things are possible through our joint decision, but mine alone cannot help you.
私たちが心をひとつに結び合わせて決断すれば、あらゆることが可能です。しかし、私の決断だけではあなたを助けることはできません。
Your will is as free as mine, and God himself would not go against it.
あなたの意志は私の意志と同様に自由です。だから、神自身ですらあなたの意志に反することを意図しません。
I cannot will what God does not will.
私には、神の意図しないことを意図することはできません。
I can offer my strength to make yours invincible, but I cannot oppose your decision without competing with it and thereby violating God's Will for you.
私は、あなたの力を無敵の力にするために、私の力を差し延べることができます。しかし、私には、あなたの決断に反対することはできません。そんなことをすれば、私の決断とあなたの決断とが競合することになり、それによって、あなたについての神の大いなる意志に背くことになってしまうからです。
6. Nothing God created can oppose your decision, as nothing God created can oppose his will.
神が創造したものは何ひとつ神の意志に反対できないのと同じように、神が創造したものは何ひとつあなたの決断に反対できません。
God gave your will its power, which I can only acknowledge in honor of his.
神があなたの意志にその力を授けたのであり、私にできるのは、その力を神の意志として敬意をもって承認することだけです。
If you want to be like me I will help you, knowing that we are alike.
もしあなたが私のようになりたいと望むなら、あなたと私は同じだと知っているので、私はあなたを助けるつもりです。
If you want to be different, I will wait until you change your mind.
もしあなたが私と違ったものになりたいと望むなら、あなたが自分の心を変えるまで私は待ちましょう。
I can teach you, but only you can choose to listen to my teaching.
私はあなたに教えることはできますが、私の教えに耳を傾けることを選択できるのは、ただあなただけです。
How else can it be, if God's Kingdom is freedom?
もし神の王国が自由であるなら、これ以外にどんな方法で自由を教えることができるでしょうか。
Freedom cannot be learned by tyranny of any kind, and the perfect equality of all God's Sons cannot be recognized through the dominion of one mind over another.
いかなる種類であろうとも、専制によって自由が学ばれることはありえません。だから、ある心がほかの心を支配することを通じて、神の子らがみな完全に平等であることが認識されることなどありえません。
God's Sons are equal in will, all being the Will of their Father.
神の子らはみな彼らの父の大いなる意志なのだから、神の子らは意志において同等なのです。
This is the only lesson I came to teach.
これこそ、私が教えに来た唯一のレッスンです。

7. If your will were not mine it would not be our Father's.
もしあなたの意志と私の意志が違うとしたら、あなたの意志は私たちの父の意志でもないことになります。
This would mean you have imprisoned yours, and have not let it be free.
これは、あなたが自分の意志を閉じこめてしまって、自分の意志を自由にさせていないことを意味するはずです。
Of yourself you can do nothing, because of yourself you are nothing.
あなたは、あなたひとりだけでは何もできません。なぜなら、あなた自身だけでは、あなたはまったくの無だからです。
I am nothing without the Father and you are nothing without me, because by denying the Father you deny yourself.
私は父なしでは無であり、あなたは私なしでは無です。なぜなら、父を否認することによって、あなたは、あなた自身を否認することになるからです。
I will always remember you, and in my remembrance of you lies your remembrance of yourself.
私はいつまでもあなたを忘れることはありません。そして、私があなたを憶えているので、あなたは本当の自分を思い出すことができます。
In our remembrance of each other lies our remembrance of God.
私たちがお互いを思い出すことで、私たちは神を思い出すことになります。
And in this remembrance lies your freedom because your freedom is in him.
そして、神を思い出すことで、あなたは自由になります。なぜなら、あなたの自由は神の中にあるからです。
Join, then, with me in praise of him and you whom he created.
ゆえに、私と一緒に、神を讃え、神に創造されたあなたを讃えましょう。
This is our gift of gratitude to him, which he will share with all his creations, to whom he gives equally whatever is acceptable to him.
これが、私たちからの神に対する感謝の贈り物となります。神はこの贈り物を、自ら創造したすべてのものたちと分かち合ってくれるでしょう。神は自身にとって受け入れるに値するものであれば何でも、自らの創造物みんなに平等に与えてくれるからです。
Because it is acceptable to him it is the gift of freedom, which is his will for all his sons.
私たちからの贈り物は、神にとって受け入れるに値するものなので、それは自由という贈り物です。その自由こそ、神が自らの子ら全員に対して意図することです。
By offering freedom you will be free.
自由を差し延べることによって、あなたは自由になるのです。
8. Freedom is the only gift you can offer to God's Sons, being an acknowledgment of what they are and what he is.
自由こそ、あなたが神の子たちに捧げることのできる唯一の贈り物です。なぜなら、自由こそ神の子らの本質と神の本質とを承認することだからです。
Freedom is creation, because it is love.
自由とは創造です。なぜなら、自由とは愛だからです。
Whom you seek to imprison you do not love.
あなたが誰かを閉じこめようとするなら、あなたはその人を愛しているのではありません。
Therefore, when you seek to imprison anyone, including yourself, you do not love him and you cannot identify with him.
したがって、あなたが自分自身を含めて誰かを幽閉しようとするなら、あなたはその人を愛していないし、あなたはその人が自分と同一の存在だと気づくこともできません。
When you imprison yourself you are losing sight of your true identification with me and with the Father.
あなたが自分自身を幽閉しようとするなら、あなたは、自分が私や大いなる父と同じ存在であるという真のアイデンティティーを見失っているのです。
Your identification is with the Father and with the Son.
あなたの身許は、父と同一であるとともに子とも同一であることによって確認できます。
It cannot be with One and not the Other.
神と神の子のうちの一方と同一でありながら、他方とは同一でないということはありえません。
If you are part of One you must be part of the Other, because They are One.
もしあなたが神の一面であるなら、あなたは神の子の一面でもあるに違いありません。なぜなら、神と神の子は一なるものだからです。
The Holy Trinity is holy because It is One.
聖なる三位一体が神聖であるのは、それが一なるものだからです。
If you exclude yourself from this union, you are perceiving the Holy Trinity as separated.
もしあなたがこの聖なる三位一体の結びつきから自分自身を除外するなら、あなたは三位一体を分離したものとして知覚しているのです。
You must be included in It, because It is everything.
あなたは三位一体に含まれているに違いありません。なぜなら、三位一体こそがすべてだからです。
Unless you take your place in It and fulfill your function as part of It, the Holy Trinity is as bereft as you are.
三位一体の中であなたが本来の持ち場に就き、その一部としての自らの役割を果たさないかぎり、三位一体はあなたと同様に失われたままになってしまいます。
No part of It can be imprisoned if Its truth is to be known.
三位一体の真理が知られるためには、三位一体のどの部分も幽閉されていてはならないのです。

