T1-3 贖罪と奇跡

2014年10月22日
テキスト第1章(奇跡の意味) 3

Which of you, if your son asks for bread, will give him a stone?
いったい誰が、パンを欲しがる我が子に石を与えたりするでしょうか。

Or if he asks for a fish, will give him a snake?
子が魚を欲しがるのに蛇を与えたりするでしょうか。

If you, then, though you are evil, know how to give good gifts to your children, how much more will your Father in heaven give good gifts to those who ask him!
浅ましいあなたがたですら自分の子によいものを与えることを知っているのだから、天におわすあなたがたの父が自らに求める者によりいっそうすばらしいものを与えてくれるのは言うまでもありません。

So in everything, do to others what you would have them do to you, for this sums up the Law and the Prophets.
だから、何事においても、自分が他者にしてもらいたいことを他者にするようにしなさい。これこそ、律法と預言の精髄です。

Jesus Christ

Jesus Christ, Matthew 7:12
イエス・キリスト(マタイによる福音書第7章12節




自分自身を愛することができないうちは、他人を愛そうとしないでください。それはできない相談です。
あなたの癇に障ることばかりしでかす人が人生に登場してきたら、その人を無理に愛そうとはしないでください。でも、衝突もしないでください。非難したり、あげつらったりして、敵視しないでください。ただ相手が自分の癇に障っていることを認め、自分のフィーリングとともにいる時間をとってください。
・・・
そして、自分の感情とともにいて、自分自身に言うのです。「私のこの感情は、自分の中にあって自分が非難している面を示している。自分のあらゆる面を受け入れることを学びたい。私の中のすべての傷ついた部分に愛をもたらすことを学びたい。」
そうすると、あなたは本物の変容の地点に来ます。愛を自分のハートにもたらす準備ができました。

Jesus Christ

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)



The miracle is not that we do this work, but that we are happy to do it.
奇跡なのは、私たちがこの仕事をしていることではありません。そうではなく、私たちがこの仕事を喜んでしていることが奇跡なのです。



Mother Teresa
マザー・テレサ





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今回はテキスト第一章から贖罪と奇跡についての一節をご紹介します。





贖罪のプロセス

1.「As you share my unwillingness to accept error in yourself and others, you must join the great crusade to correct it; listen to my voice, learn to undo error and act to correct it.
 あなたやほかの者たちが自分が何者か誤解したままでいることを断じて容認しない私の思いにあなたが共鳴するなら、きっとあなたはこの誤解を正す偉大な改革に加わってくれるはずです。この改革を成し遂げるために、私の声に耳を傾け、誤りを取り消すことを学び、誤りを正すために行動してください。」

"error in yourself and others"は、私たちが抱く偽りのアイデンティティー、自分が誰かという自己認識の誤り、自分が身体であるとか、自分は身体に宿る魂であるという分離幻想を抱いて、自分が本当は神の子であるという真理を忘れる誤り、その裏返しとして、自分とは別に自分の外部に世界が確固として存在しているという世界認識の誤りのことです。

この誤りを完全に解消して神の子が一体性を取り戻し、自分とは別の他者はいないし、世界と自分はひとつであることに気づき、自分こそが神の王国を持つと同時に王国そのものである神の子だと思い出すことが贖罪です。


贖罪そのものであるイェシュアとひとつになる

本節では、贖罪のプロセスは、イェシュアが開始して管理しているものであり、イェシュア自身が贖罪であるということが語られます。

前節で神の子の分離状態を多重人格として表現しましたが、エゴによって自分が独立した存在であると信じている多数の副人格である私たちが、赦しを手段として起こる奇跡を通じて自分たちの一体性に気づき、主人格であるイェシュアに統合されて神の子としての自覚を取り戻して正気に戻るプロセスが贖罪のプロセスです。


贖罪の手段は「赦し」

赦しについては、テキストの序章である今の段階ではまだ詳細には述べられていませんが、罪が実在しない幻想であるという真理を見極めて、その認識通りに幻想を看過するという概念です。

この赦しを通して、自分を非難し攻撃してくる敵に見えている他者は、本当は愛と助けを求めているのであり、攻撃は愛を求める哀訴である、また、自分を怒らせる他者は、それに攻撃で応じるかどうかで、自分の振り上げた剣を振り下ろすか背けるかによって他者と一緒に自分を幽閉するか解放するかのチャンスを与えてくれる自分の救い主であるという真理に気づいて、自分を傷つけた兄弟には自分が傷ついたことを示すのではなく、傷ついていないことを示して潔白だと気づかせてあげるべきだという聖霊の3大レッスンを実践することで、世界や他者は実は自分自身なのだという愛の一体性の知覚、分離の世界の綻びから愛がこぼれ出すような出来事=奇跡が起こることになります。


赦された者は霊に満たされ、見返りに赦すようになる

「3. The forgiven are the means of the Atonement.
 赦された者は、贖罪のための拠りどころです。

 Being filled with spirit, they forgive in return.
 赦された者は霊に満たされているので、その返報として赦すようになります。

 Those who are released must join in releasing their brothers, for this is the plan of the Atonement.
 解放された者たちは、必ず自分の兄弟たちを解放する取り組みに加わります。なぜなら、これこそ贖罪の計画だからです。

 Miracles are the way in which minds that serve the Holy Spirit unite with me for the salvation or release of all of God's creations.
 奇跡は、神が創造したものたち全員が救われて解放されるために、聖霊に奉仕する個々の心が私とひとつに結ばれるための方法です。」

これも今後学ぶことですが、他者に罪があるというのは錯覚であり、自分の罪を赦すことしかできないが、自分の罪は他者に投影して他者のものとして見ているので、他者を赦す形で自分を赦すことになるという厄介な仕組みです(救いの公式 S2-1 自分自身を赦す)。

こうして他者を赦すことで自分を赦すことができたとき、そのふたりは赦された者となります。

赦された者は罪という実在の不在のスライド、覆いを外されるので、霊、生命、光に満たされることになります。

そうなると、本来の封じ込められようがない姿に戻るので、与えずにはいられない状態となります。

したがって、"Being filled with spirit, they forgive in return."の"in return."は、赦しの当事者同士での返報という意味を持つのはもちろんのこと、ほかの兄弟たちへの福分け、恩送り的な意味も含まれると捉えることができます。





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テキスト第一章

III.Atonement and Miracles
三 贖罪と奇跡



1. I am in charge of the process of Atonement, which I undertook to begin.
 私が着手して始めた贖罪をどのように進めるかは、私が管理しています。

 When you offer a miracle to any of my brothers, you do it to yourself and me.
 あなたが私の兄弟たちの誰かに奇跡を捧げるとき、あなたは自分自身に対して、それから私に対して、奇跡を捧げることになります。

 The reason you come before me is that I do not need miracles for my own Atonement, but I stand at the end in case you fail temporarily.
 このように、私より先にあなたが来る理由は、私自身の贖罪を果たすために私は奇跡を必要としませんが、あなたが一時的に失敗した場合に備えて私が後ろに控えているためです。

 My part in the Atonement is the canceling out of all errors that you could not otherwise correct.
 贖罪における私の役割は、あなただけでは修正できないような誤りもすべて帳消しにすることです。

 When you have been restored to the recognition of your original state, you naturally become part of the Atonement yourself.
 あなたが自分の原初の状態に対する認識を回復したとき、あなた自身が自然に贖罪の一部となります。

 As you share my unwillingness to accept error in yourself and others, you must join the great crusade to correct it; listen to my voice, learn to undo error and act to correct it.
 あなたやほかの者たちが自分が何者か誤解したままでいることを断じて容認しない私の思いにあなたが共鳴するなら、きっとあなたはこの誤解を正す偉大な改革に加わってくれるはずです。この改革を成し遂げるために、私の声に耳を傾け、誤りを取り消すことを学び、誤りを正すために行動してください。

 The power to work miracles belongs to you.
 奇跡を起こす力はあなたが持っています。

 I will provide the opportunities to do them, but you must be ready and willing.
 私は奇跡を起こすための機会は用意しますが、あなたの準備と意欲がなければなりません。

 Doing them will bring conviction in the ability, because conviction comes through accomplishment.
 奇跡を起こすことによって、奇跡を起こす能力に対する確信がもたらされます。なぜなら、確信は成し遂げることを通して得られるものだからです。

 The ability is the potential, the achievement is its expression, and the Atonement, which is the natural profession of the children of God, is the purpose.
 奇跡を起こす能力は潜在能力であり、奇跡の成就はその潜在能力の発現です。そして、神の子供たちであることをありのままに宣言する贖罪こそ、奇跡の目的です。



2. "Heaven and earth shall pass away" means that they will not continue to exist as separate states.
 「天地は過ぎ去るであろう」というのは、天と地が分離した状態のままで存在し続けることはないという意味です。

 My word, which is the resurrection and the life, shall not pass away because life is eternal.
 復活であり生命である私の言葉が過ぎ去ることはないでしょう。なぜなら、生命は永遠のものだからです。

 You are the work of God, and his work is wholly lovable and wholly loving.
 あなたは神が創造した傑作であり、神の作品は本当に愛すべきものであり、完全な愛に満ち溢れています。

 This is how a man must think of himself in his heart, because this is what he is.
 人は、心の底から自分自身のことをこのように思うべきです。なぜなら、これこそ彼の真の姿だからです。

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3. The forgiven are the means of the Atonement.
 赦された者は、贖罪のための拠りどころです。

 Being filled with spirit, they forgive in return.
 赦された者は霊に満たされているので、その返報として赦すようになります。

 Those who are released must join in releasing their brothers, for this is the plan of the Atonement.
 解放された者たちは、必ず自分の兄弟たちを解放する取り組みに加わります。なぜなら、これこそ贖罪の計画だからです。

 Miracles are the way in which minds that serve the Holy Spirit unite with me for the salvation or release of all of God's creations.
 奇跡は、神が創造したものたち全員が救われて解放されるために、聖霊に奉仕する個々の心が私とひとつに結ばれるための方法です。



4. I am the only one who can perform miracles indiscriminately, because I am the Atonement.
 私だけが別け隔てなく奇跡を起こすことができる唯一の存在です。なぜなら、私はまさに贖罪そのものだからです。

 You have a role in the Atonement which I will dictate to you.
 あなたには贖罪において果たすべき役割があります。その役割は私があなたに指導することになります。

 Ask me which miracles you should perform.
 あなたがどの奇跡を起こすべきなのかは、私に尋ねてください。

 This spares you needless effort, because you will be acting under direct communication.
 そうすれば、あなたは私との直接的なコミュニケーションの下に行動するようになるので、あなたは無駄な努力を省くことができます。

 The impersonal nature of the miracle is an essential ingredient, because it enables me to direct its application, and under my guidance miracles lead to the highly personal experience of revelation.
 奇跡の持つ非個人的な性質は、きわめて重要な要素です。なぜなら、それによって私は奇跡をいかに用いればよいか指導できるし、私の導きの下で、奇跡によって啓示というきわめて個人的な経験へと導くことができるからです。

 A guide does not control but he does direct, leaving it up to you to follow.
 指導者は支配するわけではありません。ただし、指導者は、自らの指導に従うかどうかをあなたに委ねたうえで導くのは確かです。

 "Lead us not into temptation" means "Recognize your errors and choose to abandon them by following my guidance. "
 「私たちを試みに遭わせず」というのは、「自分の誤りを認め、私の導きに従うことによって誤りを捨て去ることを選びなさい」という意味です。

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5. Error cannot really threaten truth, which can always withstand it.
 誤りには真理を真に脅かすことなどできません。真理は必ず誤りに持ちこたえることができるからです。

 Only the error is actually vulnerable.
 実際に傷つきうるのは誤っているものだけです。

 You are free to establish your kingdom where you see fit, but the right choice is inevitable if you remember this:
 あなたは、自分の王国をあなたがふさわしいと思うところに自由に築くことができますが、あなたがもし次のことを覚えておけば、必ず正しい選択をすることになります。


Spirit is in a state of grace forever.
霊は永遠に神の恵みに満ちた状態にあります。

Your reality is only spirit.
本当のあなたは、霊にほかなりません。

Therefore you are in a state of grace forever.
したがって、あなたは永遠に神の恵みに満ちた状態にあるのです。


 Atonement undoes all errors in this respect, and thus uproots the source of fear.
 贖罪は、あなたの真実の姿は永遠に神の恵みに満ちた霊であるとの観点から、すべての誤りを取り消します。こうすることで、贖罪は恐れの源を根絶します。

 Whenever you experience God's reassurances as threat, it is always because you are defending misplaced or misdirected loyalty.
 神の励ましの言葉をあなたが脅威と感じるとき、それはつねに、あなたが見当外れの誤った対象への忠誠心を守ろうとしているせいです。

 When you project this to others you imprison them, but only to the extent to which you reinforce errors they have already made.
 あなたがこの誤った忠誠心をほかの誰かに投影するとき、あなたは、その者たちを囚われの身にしてしまいます。とはいっても、あなたは彼ら自身がすでに犯した誤りを補強することになるだけです。

 This makes them vulnerable to the distortions of others, since their own perception of themselves is distorted.
 すでに誤っているせいで、彼らは他者の歪んだ事実認識を無抵抗に受け入れてしまいますが、それは彼らの自己認識自体が歪曲されているからです。

 The miracle worker can only bless them, and this undoes their distortions and frees them from prison.
 奇跡を起こす者にできるのは、ただ彼らを祝福することだけです。そして、この祝福が彼らの認識の歪みを取り消し、彼らを牢獄から解放することになります。



6. You respond to what you perceive, and as you perceive so shall you behave.
 あなたは、自分の知覚するものに対して反応します。そして、あなたは自分の知覚する通りに行動することになります。

 The Golden Rule asks you to do unto others as you would have them do unto you.
 自分が他者からしてもらいたいと思うことをあなたが他者に対して行うようにと、黄金律はあなたに求めています。

 This means that the perception of both must be accurate.
 これは、自分自身と他者の両方を正しく知覚しなければならないことを意味します。

 The Golden Rule is the rule for appropriate behavior.
 黄金律は適切に行動するための指針です。
 
 You cannot behave appropriately unless you perceive correctly.
 あなたが正しく知覚しないかぎり、あなたは適切に行動することはできません。

 Since you and your neighbor are equal members of one family, as you perceive both so you will do to both.
 あなたと隣人とはひとつの家族の対等な一員同士です。だから、あなたが自分と隣人とを対等な家族だと知覚するなら、あなたは自分にも隣人にも対等な行動をするはずです。

 You should look out from the perception of your own holiness to the holiness of others.
 あなたは、自分自身の神聖さを知覚し、そこから外に目を向けて、ほかの人たちの神聖さを見るべきです。

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7. Miracles arise from a mind that is ready for them.
 奇跡は、奇跡に対する準備の整った心から起こります。

 By being united this mind goes out to everyone, even without the awareness of the miracle worker himself.
 すべての心はひとつに結ばれているので、たとえ奇跡を起こす者自身が自覚していなくても、奇跡に対する準備のできた心はすべての人に伝わります。

 The impersonal nature of miracles is because the Atonement itself is one, uniting all creations with their Creator.
 奇跡が非個人的な性質を持つのは、贖罪自体があらゆる創造物をその大いなる創造主とひとつに結びつける唯一の作用だからです。

 As an expression of what you truly are, the miracle places the mind in a state of grace.
 本当のあなたをありのままに表現するので、奇跡は心を慈愛に満ちた状態に置きます。

 The mind then naturally welcomes the host within and the stranger without.
 そうなると、その心は自然に内にいる主人と外にいる見知らぬ人とを歓迎するようになります。

 When you bring in the stranger, he becomes your brother.
 あなたがその見知らぬ人を内に招き入れたとき、その人はあなたの兄弟となります。



8. That the miracle may have effects on your brothers that you may not recognize is not your concern.
 奇跡は、あなたが気づきもしないような何らかの影響を兄弟たちに及ぼすかもしれませんが、それはあなたが心配しなくてもよいことです。

 The miracle will always bless you.
 奇跡は、いつでもあなたを祝福してくれるでしょう。

 Miracles you are not asked to perform have not lost their value.
 あなたに起こすことが求められていない奇跡であっても、その価値を失ってはいません。

 They are still expressions of your own state of grace, but the action aspect of the miracle should be controlled by me because of my complete awareness of the whole plan.
 それらの奇跡もやはり、あなた自身が恵みに満ちた状態にあることの発露です。しかし、奇跡がどのように作用するのかという局面については、私がすべての計画について完全に把握しているので、私の管理に任せておいてください。

 The impersonal nature of miracle-mindedness ensures your grace, but only I am in a position to know where they can be bestowed.
 奇跡を起こそうとする心構えが備える個人差を関知しない性質は、あなたが天の恵みを受けることを確実にします。もっとも、奇跡がどこに授けられるのか、それを知る立場にいるのはただこの私だけです。

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9. Miracles are selective only in the sense that they are directed towards those who can use them for themselves.
 主体的に奇跡を活用できる者たちに向けて奇跡はもたらされるという意味においてのみ、奇跡は選択的に作用します。

 Since this makes it inevitable that they will extend them to others, a strong chain of Atonement is welded.
 このことが彼らにほかの者たちにも奇跡を差し延べることを余儀なくさせるので、贖罪の強力な鎖がつなぎ合わされることになります。

 However, this selectivity takes no account of the magnitude of the miracle itself, because the concept of size exists on a plane that is itself unreal.
 しかしながら、この選択性は、奇跡そのものの規模を度外視して作用します。なぜなら、大小の概念は、それ自体実在しない次元に存在するものだからです。

 Since the miracle aims at restoring the awareness of reality, it would not be useful if it were bound by laws that govern the error it aims to correct.
 現実についての自覚を回復させることを目指しているというのに、もし自らが修正しようとする誤りを支配する法則によって奇跡が縛られていたのでは、奇跡は何の役にも立たなくなってしまうでしょう。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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ペテロ  

真善美の探究

【真理と自然観】

《真理》

結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。

“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのか, と。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”

私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。我々の世界は質感。また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居らず, この世界・感覚・魂の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。



《志向性》

目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。

『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』

『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』

我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。



《思考》

『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』

思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)

『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』

『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』

考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』

『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』


生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。

生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。


*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。

己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識(現象)から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体と意識に連動して作用する。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。

『志向(作用)→肉体・機構』



然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。

然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)



【世界創造の真実】

世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。

しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?

言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。

これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。

例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。

そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。

愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。

私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。

しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。

「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」

同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。

「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」

神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。

あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。



【真善美】

真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。


善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。

△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)

千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。


美は活活とした生命の在り方。

『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』

予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることなく認識と相互してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


2014年10月23日 (木) 13:27

 ken  

Re: 真善美の探究

ペテロさん

真善美の探求に関する論考をいただき、ありがとうございました。

2014年10月23日 (木) 17:29

星山 しげのぶ  

1

こんにちは
大内 博さん訳と中央アートの加藤さん訳の二つを何回も読みました。
とてもよかったです


大畑さんの訳はものすごくわかりやすいです
非常に勉強になりました

この最高の書籍は難解でどう理解したらよいのかわからない所が沢山あります

しかし、この訳はそれらを明快に捉えています
はっきりした理解に導きます

コースに対する深い洞察を感じます。
これから、しっかり読みこなしていきたく思っています。

勉強する中で感想なり質問があればメールさせて頂きたく思います

   本当に有難うございます

2015年09月18日 (金) 21:22
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