T5-6 時間と永遠
Time is too slow for those who wait, too swift for those who fear, too long for those who grieve, too short for those who rejoice, but for those who love, time is eternity.
時間は、待つ者にとってはあまりに遅く流れ、怖れる者にとってはあまりに迅速に流れ、嘆き悲しむ者にとってはあまりに長く、喜ぶ者にとってはあまりに短い。しかし、愛する者にとって、時間は永遠なのだ。

Henry Van Dyke
ヘンリー・ヴァン・ダイク

今回は、テキスト第五章から、「時間と永遠」という一節をご紹介します。
時間を消すが参考になると思います。
時間の守護者:罪悪感
前節で出てきた罪悪感がまた出てきます。
「2. Guilt feelings are the preservers of time.
罪悪感という感情こそが、時間を保つ守護者です。
They induce fears of retaliation or abandonment, and thus ensure that the future will be like the past.
この罪悪感が、復讐されたり見捨てられるのではないかという恐怖心を引き起こし、そうすることで、未来が過去と同じものになることを確かなものにします。
This is the ego's continuity.
こうして、エゴは継続することになります。」

永遠ってイメージしにくい
私たちは、時間なら知っているけど、永遠なんて想像もつかないと思いがちです。
私たちには永遠の意味として、未来永劫という言葉と同じように、存在しうるすべての時間に亘ってあり続けるというような素朴なイメージを抱くことしかできません。
しかし、コースは世界も時間も幻想だと教えてくれているのであり、世界の存在とそこでの時間を前提にべったりと世界にあり続ける状態を永遠という言葉で意味していることはありえません。
映画や小説やゲームのような媒体で物語を展開している場合の物語世界で考えると、物語世界の中に流れる時間がどれほど長期間に亘るものであろうと、そんなこととは関係なく、物語を体験する者は主人公、アバターに自己同一化して観る、読むという物語世界の時間の流れに巻き込まれる状態に入っているだけで、いつでもその世界から脱して現実に帰ることができます。
永遠は、この現実に相当します。
時間を知覚する身体器官はない
アバターとして世界に参入している私たちはつねに今現在しか認識できないのに、自分の思考の推移、空間的に肉眼で知覚する光景の変化をとらえて、変化前の状態から変化後の状態に至るプロセスを均等に細分化して、それに時間と名前を付けて、実在するものであるかのように考えています。
けれど、時間と空間のうちの空間については、それを知覚する身体器官である肉眼がありますが、時間を知覚する身体器官があるわけではなく、頭の中で過去や未来を思い浮かべて時間は本当にあると空想しているだけです。
したがって、空間という幻想をリアルに知覚して惑わされるのはもっともなことですが、時間については、みんなであるものとして取り決めているお約束でしかないという実相は見破りやすいと言えるかもしれません。
私たちが他者との間に隔たりを保ちたいと願う同一の分離幻想が、意識の枠外に投影されると、それを時間として考え、枠内に近づくと、それを空間として考えるということで、時間も空間もひとつの同じ分離幻想です。
「For time and space are one illusion, which takes different forms.
なぜなら、時間と空間はひとつの幻想であって、それがさまざまな形をとっているだけだからです。
If it has been projected beyond your mind you think of it as time.
もしそのひとつの幻想があなたの心の外側に投影されると、あなたはそれを時間として考えます。
The nearer it is brought to where it is, the more you think of it in terms of space.
その幻想がそのありかである心により近くもたらされると、あなたはそれを空間という観点で考えるようになります。」T26-8 救いはもう、済んでいる 1.)
自分以外に自分とは分離した他者がいるという錯覚、他者との分離という幻想が時間(=空間)の正体だということです。
そして、万物の本質は愛であり、愛だけが実在するのであり、愛である神に等しい神の子が本当の私たちであり、神の子はすべてを持つと同時にすべてでもあるわけなので、本来、自他の分離など思いもよらないはずで、万物の中の一点である人間が自分であると信じる状態は狂気の沙汰であるはずですが、狂気の状態が持続する仕組みがうまく作用しているためにこの世界が展開し、狂人の常がそうであるように、私たちは自分が狂っているなどまったく思いもよらず自分の正気を疑いすらしないでいるということになります。
過去の罪→現在の罪悪感→未来の処罰への恐れ
この狂気を維持する仕組みとして重要な役目を果たすのが罪悪感です。
前節でも触れましたが、罪という概念が、時制によって、過去に犯したことを悔いる罪、現在の罪悪感、将来の処罰の恐れという形で過去から未来への時間を連結させてエゴが継続するようにします。
9.「To the ego, to be undone means to be destroyed.
エゴにとって、取り消されることは、滅ぼされることを意味します。
The ego will not be destroyed because it is part of your thought, but because it is uncreative and therefore unsharing, it will be reinterpreted to release you from fear.
エゴは、あなたの思考の一部であるがゆえに、滅ぼされることはありません。しかし、エゴは創造的ではなく、それゆえ、分かち合われることがないので、エゴはあなたを恐れから解放するために解釈し直されることになります。
The part of your mind that you have given to the ego will merely return to the Kingdom, where your whole mind belongs.
あなたがエゴに与えてしまっていたあなたの心の一部分は、ただ、あなたの心全体が本来あるべき王国へと戻るだけです。」
たまに触れていますが、コースのラディカルな表現を読んでいると、ともすれば、幻想世界や特別な関係やエゴに関する取り消しを、積極的にそれらを打ち倒して滅ぼすべきという捉え方になりがちだけれど、そのスタンスは、実は無でしかないはずのそれらの幻想を実在に格上げする利敵行為のようなものであり、それらは光が当たらずにできてしまった影であり無でしかないので、正しく光が当たるようにする必要があるだけだという理解はつねに忘れずにいる必要があります。
エゴも、コースを表面的に読んでいると、抹殺すべき悪者でしかないように受け取られがちですが、個別の自己を消去して無個性になるべきだというわけではなく、個性に即して全体の中での正しい持ち場に戻るべきだという発想の転換をしてみることも大事かもしれません。
「十二国記」で、野生の状態では人を襲ったり悪さをする魔物である妖魔も、天命により王を選び王に仕える聖獣である麒麟に折伏され麒麟の使い魔となれば、魔物として悪さを働く際には脅威となっていた同じ力が麒麟のために役立つことになります。

テキスト第五章
VI. Time and Eternity
六 時間と永遠
1. God in his knowledge is not waiting, but his Kingdom is bereft while you wait.
神は自らを知っているので、待つことはありません。ただし、あなたが待っている間は、神の王国は失われたままです。
All the Sons of God are waiting for your return, just as you are waiting for theirs.
あなたが神の子たち全員の帰還を待っているのと同じように、すべての神の子たちも、あなたの帰りを待っています。
Delay does not matter in eternity, but it is tragic in time.
永遠においては、遅れることなど問題にもなりません。しかし、時間の中では、遅れることは悲劇的な事態となります。
You have elected to be in time rather than eternity, and therefore believe you are in time.
あなたが永遠ではなく時間の中にいることを選んでしまったせいで、あなたは自分が時間の中にいると信じこんでいます。
Yet your election is both free and alterable.
しかし、あなたは自由に選べるし、選択を改めることもできます。
You do not belong in time.
あなたは本当は時間の中にいるわけではないからです。
Your place is only in eternity, where God himself placed you forever.
あなたがいる場所は、神自らがあなたをいつまでもそこに留まるようにと置いてくれた永遠の中だけです。
2. Guilt feelings are the preservers of time.
罪悪感という感情こそが、時間を保つ守護者です。
They induce fears of retaliation or abandonment, and thus ensure that the future will be like the past.
この罪悪感が、復讐されたり見捨てられるのではないかという恐怖心を引き起こし、そうすることで、未来が過去と同じものになることを確かなものにします。
This is the ego's continuity.
こうして、エゴは継続することになります。
It gives the ego a false sense of security by believing that you cannot escape from it.
この罪悪感によるエゴの継続性が、あなたはエゴから逃れられないと信じることによる偽りの安心感をエゴに与えます。
But you can and must.
しかし、あなたはエゴから逃れられるし、また、逃れなければなりません。
God offers you the continuity of eternity in exchange.
神が時間の代わりに永遠の継続性を与えてくれているのですから。
When you choose to make this exchange, you will simultaneously exchange guilt for joy, viciousness for love, and pain for peace.
あなたが時間を永遠と交換することを選択するとき、あなたは同時に、罪悪感を喜びに、残忍さを愛に、苦痛を平安に置き換えることになります。
My role is only to unchain your will and set it free.
あなたの意志を鎖から解き放って自由にすることだけが私の役目です。
Your ego cannot accept this freedom, and will oppose it at every possible moment and in every possible way.
あなたのエゴには、この自由を受け入れることができません。だから、あなたのエゴは、のべつ幕なしに、あらゆる手立てを講じて、あなたが自由になることを阻止しようとするでしょう。
And as its maker, you recognize what it can do because you gave it the power to do it.
しかし、エゴの作り手として、あなたはエゴにできることが何なのか感づいています。なぜなら、エゴにその力を与えたのは、ほかならぬあなただからです。

3. Remember the Kingdom always, and remember that you who are part of the Kingdom cannot be lost.
つねに王国を思い出すようにしてください。そして、王国の一部分であるあなたが道に迷うことなどありえないと覚えておいてください。
The Mind that was in me is in you, for God creates with perfect fairness.
かつて私の中にあった大いなる心は、今あなたの中にあります。というのも、神は完璧な公平さをもって創造するからです。
Let the Holy Spirit remind you always of his fairness, and let me teach you how to share it with your brothers.
いつでも聖霊に神の公平さを思い出させてもらいなさい。そして、神の公平さをどのようにして兄弟たちと分かち合ったらよいか、私からあなたに教えさせてください。
How else can the chance to claim it for yourself be given you?
私から学ぶ以外にあなたが自分だけで、神の公平さを授かるよう求めるのは難しいからです。
The two voices speak for different interpretations of the same thing simultaneously; or almost simultaneously, for the ego always speaks first.
同じ事柄について、同時にふたつの声が異なる解釈を代弁しようとします。あるいは、ほとんど同時にと言ったほうがよいかもしれません。というのも、必ずエゴが先に語り出すからです。
Alternate interpretations were unnecessary until the first one was made.
先に語るエゴの解釈が作り出されるまでは、エゴの解釈の代わりとなる聖霊の解釈は必要ありませんでした。
4. The ego speaks in judgment, and the Holy Spirit reverses its decision, much as a higher court has the power to reverse a lower court's decisions in this world.
エゴがその裁きを言い渡し、それから、聖霊がエゴの決定を覆します。これは、この世界で上級裁判所が下級裁判所の判決を覆す権限を持っているようなものです。
The ego's decisions are always wrong, because they are based on the error they were made to uphold.
エゴの決定はつねに間違っています。なぜなら、エゴの決定は誤りに基盤を置いており、エゴの決定はそのような誤りを支持するために作り出されたものだからです。
Nothing the ego perceives is interpreted correctly.
何であれ、エゴが知覚するものが正しく解釈されることはありません。
Not only does the ego cite Scripture for its purpose, but it even interprets Scripture as a witness for itself.
エゴは、自分の目的に都合よく聖書を引用するだけでなく、エゴ自身の正しさを証明するものとして聖書を解釈することすらします。
The Bible is a fearful thing in the ego's judgment.
エゴの価値判断によると、聖書は恐れに満ちています。
Perceiving it as frightening, it interprets it fearfully.
というのも、エゴは聖書を恐ろしいものだと知覚しており、聖書を恐怖に怯えながら解釈するからです。
Being afraid, you do not appeal to the higher court because you believe its judgment would also be against you.
あなたは上級審の判断もまた自分に不利なものになるはずだと信じているので、あなたは恐ろしくて、上級裁判所に上訴しようとはしません。

5. There are many examples of how the ego's interpretations are misleading, but a few will suffice to show how the Holy Spirit can reinterpret them in his own light.
エゴの解釈がいかに人を誤った方向に導いてしまうことになるかを示す実例はいくらでもあります。しかし、聖霊が自らの光に照らしてエゴの誤った解釈をどのように解釈し直すことができるかを示すには、ほんの数例を示すだけで十分でしょう。
6. "As ye sow, so shall ye reap" he interprets to mean what you consider worth cultivating you will cultivate in yourself.
「汝が蒔いたごとくに、汝は刈り取るであろう」とあるのを、聖霊は、あなたが育む価値があると考えることを、あなたは自分自身の内に育むようになるという意味に解釈します。
Your judgment of what is worthy makes it worthy for you.
何かに価値があるとあなたが判断することが、その何かをあなたにとって価値あるものとするのです。
7. "Vengeance is mine, sayeth the Lord" is easily reinterpreted if you remember that ideas increase only by being shared.
「主は言われた。復讐するは我にあり」との言葉は、もしあなたが想念はただ分かち合うことによってのみ増大することを思い起こしさえすれば、簡単に解釈し直すことができます。
The statement emphasizes that vengeance cannot be shared.
この声明は、復讐という想念は共有できないことをはっきり述べているのです。
Give it therefore to the Holy Spirit, Who will undo it in you because it does not belong in your mind, which is part of God.
それゆえ、復讐の想念など聖霊に渡してしまいなさい。そうすれば、聖霊はあなたの抱く復讐心を取り消してくれるでしょう。なぜなら、復讐の想念は、神の一部分であるあなたの心にはふさわしくないからです。
8. "I will visit the sins of the fathers unto the third and fourth generation," as interpreted by the ego, is particularly vicious.
「私は、親の罪をその三代、四代の子孫にまで報いよう」というエゴによる解釈は、とりわけ、たちの悪いものです。
It becomes merely an attempt to guarantee the ego's own survival.
このエゴの解釈は、単にエゴそのものが生きながらえることを確かなものにしようとする試みでしかありません。
To the Holy Spirit, the statement means that in later generations he can still reinterpret what former generations had misunderstood, and thus release the thoughts from the ability to produce fear.
聖霊にとっては、この声明は次のような意味になります。すなわち、前の世代の人びとが誤って理解していたことであっても、後の世代においてなお、聖霊は解釈し直すことができるし、この聖霊の再解釈によって、恐れの温床から思考を解放することができるということです。

9. "The wicked shall perish" becomes a statement of Atonement, if the word "perish" is understood as "be undone."
「邪悪なる者は滅びるであろう」との声明は、もし「滅びる」という言葉が「取り消される」と理解されるなら、贖罪を宣言するものとなります。
Every loveless thought must be undone, a word the ego cannot even understand.
愛に欠ける思いはことごとく取り消されなければなりませんが、エゴには、この「取り消される」という言葉を理解することすらできません。
To the ego, to be undone means to be destroyed.
エゴにとって、取り消されることは、滅ぼされることを意味します。
The ego will not be destroyed because it is part of your thought, but because it is uncreative and therefore unsharing, it will be reinterpreted to release you from fear.
エゴは、あなたの思考の一部であるがゆえに、滅ぼされることはありません。しかし、エゴは創造的ではなく、それゆえ、分かち合われることがないので、エゴはあなたを恐れから解放するために解釈し直されることになります。
The part of your mind that you have given to the ego will merely return to the Kingdom, where your whole mind belongs.
あなたがエゴに与えてしまっていたあなたの心の一部分は、ただ、あなたの心全体が本来あるべき王国へと戻るだけです。
You can delay the completion of the Kingdom, but you cannot introduce the concept of fear into it.
あなたは王国の完成を遅らせることはできます。しかし、あなたは、王国の中に恐れという概念を持ちこむことはできないのです。
10. You need not fear the higher court will condemn you.
あなたは、上級裁判所が自分に有罪判決を宣告するのではないかと恐れる必要はありません。
It will merely dismiss the case against you.
上級裁判所は単に、あなたに対する訴えを退けるだけだからです。
There can be no case against a child of God, and every witness to guilt in God's creations is bearing false witness to God himself.
いかなる罪についてであれ、神の子供を被告人として訴追することはできません。だから、神に創造された者に罪があると証言する者はひとり残らず、神自身に対して偽りの証言をしていることになります。
Appeal everything you believe gladly to God's own higher court, because it speaks for him and therefore speaks truly.
自分が信じているすべてのことを喜んで神に属する上級裁判所に上訴しなさい。なぜなら、この上級裁判所は、神の声を語るがゆえに真実を語るからです。
It will dismiss the case against you, however carefully you have built it up.
あなたが、いかに念入りに自分が有罪であることの論拠や証拠を組み立てたと思っていても、上級裁判所は、あなたに対する訴えを退けるでしょう。
The case may be fool-proof, but it is not God-proof.
それは、誰が判断しても絶対に有罪が確実な事件ではあるかもしれませんが、神には通用しないからです。
The Holy Spirit will not hear it, because he can only witness truly.
あなたを有罪だとする論拠に聖霊が耳を貸すようなことはないでしょう。なぜなら、聖霊は真理に基づいて証明することしかできないからです。
His verdict will always be "thine is the Kingdom," because he was given to you to remind you of what you are.
聖霊の判断はつねに「王国は、汝のものである」というものになるでしょう。なぜなら、聖霊は、あなたに自分が何者なのか思い出させるために、あなたに与えられたからです。

11. When I said "I am come as a light into the world," I meant that I came to share the light with you.
私が「私はこの世に光として来た」と述べたとき、私が意味したのは、私は光をあなたと分かち合うために来たということでした。
Remember my reference to the ego's dark glass, and remember also that I said, "Do not look there. "
エゴの暗い鏡について私が何と言ったか思い出してください。そしてまた、私が「その鏡を見てはならない」と言ったことも思い出してください。
It is still true that where you look to find yourself is up to you.
あなたが自分自身を見出すために、どこに目を向けるかはあなた次第だというのは、なおも真実のままです。
Your patience with your brother is your patience with yourself.
あなたが兄弟に対して辛抱強く寛容であることは、自分自身に対して寛容であることです。
Is not a child of God worth patience?
神の子供は忍耐強く寛容さをもって接するに値しないでしょうか。
I have shown you infinite patience because my will is that of our Father, from Whom I learned of infinite patience.
私の意志は私たちの大いなる父に属するものであり、その父から私は無限の忍耐を学んだので、私はあなたに対して限りない寛容さを示してきました。
His voice was in me as It is in you, speaking for patience towards the Sonship in the Name of its Creator.
父の声は、あなたの内にあるように、私の内にもありました。父の声は、創造主の大いなる名において、神の子全体に対して寛容であるようにと語りかけているのです。
12. Now you must learn that only infinite patience produces immediate effects.
今こそ、あなたは、ただ限りなく寛容であることだけが、即座にその効果を生み出すのだと学ばなければなりません。
This is the way in which time is exchanged for eternity.
これこそ、時間を永遠へと置き換える方法です。
Infinite patience calls upon infinite love, and by producing results now it renders time unnecessary.
無限の寛容さは、無限の愛を呼び起こし、それも今その結果を生み出すことによって、時間を無用なものとします。
We have repeatedly said that time is a learning device to be abolished when it is no longer useful.
私たちが繰り返し語ってきたように、時間は学びの道具であり、もはやそれ以上、学びの役に立たなくなったときに廃絶されるべきものです。
The Holy Spirit, Who speaks for God in time, also knows that time is meaningless.
時間の中で神を代弁する聖霊もまた、時間には意味がないことを知っています。
He reminds you of this in every passing moment of time, because it is his special function to return you to eternity and remain to bless your creations there.
聖霊は、時間が毎瞬過ぎ行くたびに、あなたにこのことを思い出させようとします。なぜなら、聖霊の特別な役割は、あなたを永遠へと連れ戻し、そこに留まって、あなたの創造するものたちを祝福することだからです。
He is the only blessing you can truly give, because he is truly blessed.
聖霊こそ、あなたが真に与えることのできる唯一の祝福です。なぜなら、聖霊は真に祝福されているからです。
Because he has been given you freely by God, you must give him as you received him.
聖霊は神から惜しげもなくあなたに与えられたものだから、あなたも自分が聖霊を受け取ったように聖霊を与えなければなりません。
