T6-5B 平安を得るための方法

2014年11月11日
テキスト第6章(愛のレッスン) 0

Blessed are the peacemakers, for they shall be called sons of God.
幸いなるかな、平和ならしむる者、その人は神の子と唱えられん。

Jesus Christ

Matthew 5:9
イエス・キリスト(マタイによる福音書第5章9節





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今回はテキスト第六章、第五節の聖霊のレッスンから、平安を得るための方法について述べる一節をご紹介します。


平安を持っているには、それを学ぶために平安を教えなさい

「B. To Have Peace, Teach Peace to Learn It
B 平安を持っているには、それを学ぶために平安を教えなさい」

これは、「持っているために、みんなにすべてを与えなさい」という教えを平安にあてはめたものです。

本節では、この教えの基盤として、所有と実在には等質性があることが述べられます。

実在と所有が一致する状態については、T7-3 神の王国の本当の姿とはレッスン342「私は赦しがすべての物事に差し延べられるようにする。というのも、そうすることで、赦しは私に与えられることになるからだ」が参考になると思います。





すべてを持ちすべてである実在→すべてを持たずすべてではない1点の塵のような卑小な存在になりきる妄想

神に創造された神の子は、すべてであると同時にすべてを持つ存在です。

天国におけるこの実在の状態が、この世界では、エゴ・身体という無数に存在するアバターが自分であり、すべてではないし、すべてを持つ者でもなく、すべての中のごくわずかな砂粒のような1点を占める卑小な存在で、持ち合わせるものはほとんどない存在である人間という卑小な生き物が自分だと信じる妄想状態となっています。

この妄想状態から脱するための聖霊の最初の教えである「得るために、みんなにすべてを与えなさい」は、この世界にいる小さな自己であるエゴ・身体からすれば、とても信じられない狂気の沙汰です。

けれど、はたらく細胞で、身体内の特定の細胞や器官だけが養分を独り占めして他の細胞に渡さずにいる状態は、全身を害し、ひいては抜け駆け的に得したつもりになっていたその細胞自体をも滅ぼす病気の状態です。

「得るために、みんなにすべてを与えなさい」は、すべてを持ちすべてでもある私たちの本当の状態、実在の状態からすれば、当然の真理だということになります。






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テキスト第六章 

第五節 聖霊のレッスン

B. To Have Peace, Teach Peace to Learn It
B 平安を持っているには、それを学ぶために平安を教えなさい



1. All who believe in separation have a basic fear of retaliation and abandonment.
 分離を信じる者は誰でも、報復されて見捨てられることへの根源的な恐怖心を抱いています。

 They believe in attack and rejection, so that is what they perceive and teach and learn.
 彼らは攻撃と拒絶を信じているので、彼らが知覚し教え学ぶのは攻撃し拒絶することです。

 These insane ideas are clearly the result of dissociation and projection.
 こんな狂気の考えが解離と投影の結果なのは歴然としています。

 What you teach you are, but it is quite apparent that you can teach wrongly, and can therefore teach yourself wrong.
 あなたは自分の教える通りの者になります。しかし、あなたが間違って教えることができ、したがって、あなたが自分自身に間違ったことを教えることもできるのは紛れもない事実です。

 Many thought I was attacking them, even though it was apparent I was not.
 私が攻撃などしなかったことは明白だったにもかかわらず、多くの者たちが、私が彼らを攻撃しているものと思いました。

 An insane learner learns strange lessons.
 正気を失って学習する者は、どんな異常なレッスンでも学習してしまうということです。

 What you must recognize is that when you do not share a thought system, you are weakening it.
 あなたが自覚しておくべきことは、あなたがある思考システムを分かち合わずにいるとき、あなたはその思考システムを弱体化していることになるということです。

 Those who believe in it therefore perceive this as an attack on them.
 したがって、その思考システムを信奉する者たちからすれば、あなたが自分たちと同じ思考システムを共有しようとしないことを自分たちに対する攻撃だと知覚するわけです。

 This is because everyone identifies himself with his thought system, and every thought system centers on what you believe you are.
 これは人はみな自分自身を自分の思考システムと同一視するものであり、どんな思考システムもすべて、その人が自分を何者だと信じるかを基軸に成り立っているからそうなるのです。

 If the center of the thought system is true, only truth extends from it.
 もし思考システムの中核が真実なら、その中核から拡張するのは真理のみです。

 But if a lie is at its center, only deception proceeds from it.
 しかし、もし思考システムの中核が虚偽なら、その中核から生じるのは欺瞞だけです。



2. All good teachers realize that only fundamental change will last, but they do not begin at that level.
 優れた教師たちはみな、根本的なレベルでの変化だけが永続することを理解しています。とはいえ、優れた教師たちは、根本的なレベルから教えはじめるようなことはしません。

 Strengthening motivation for change is their first and foremost goal.
 優れた教師たちが何よりも最優先に据える目標は、生徒の変わりたいという意欲を強めることです。

 It is also their last and final one.
 生徒の変わりたいという意欲を強めることはまた、教師たちの究極的な最終目標でもあります。

 Increasing motivation for change in the learner is all that a teacher need do to guarantee change.
 教師が生徒の変化を確実なものにするためになすべきことは、生徒の中にある、変わりたいという意欲を増強することだけなのです。

 Change in motivation is a change of mind, and this will inevitably produce fundamental change because the mind is fundamental.
 やる気が変化することは、心が変化することです。そして、心の変化は必然的に根本的な変化を生み出します。なぜなら、心とは根本的なものだからです。

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3. The first step in the reversal or undoing process is the undoing of the getting concept.
 逆転させるプロセス、つまり、取り消すプロセスにおける第一歩は、手に入れるという概念を取り消すことです。

 Accordingly, the Holy Spirit's first lesson was "To have, give all to all. "
 そのための聖霊の最初のレッスンは「得るために、みんなにすべてを与えなさい」というものでした。

 I said that this is apt to increase conflict temporarily, and we can clarify this still further now.
 私は、このレッスンは一時的に葛藤を増すことになりがちだと述べておきましたが、今、私たちは、このことをよりはっきり確認できます。

 At this point, the equality of having and being is not yet perceived.
 この時点では、所有と実在が等しいことがまだ理解されてはいません。

 Until it is, having appears to be the opposite of giving.
 所有と実在の等質性がわかるまでは、持つことは与えることの逆のように思えます。

 Therefore, the first lesson seems to contain a contradiction, since it is being learned by a conflicted mind.
 したがって、この持っているためにすべてを全員に与えよという最初のレッスンは矛盾を含んでいるように見えることになります。その理由は、生徒がこのレッスンを矛盾した心で学ぼうとするためです。

 This means conflicting motivation, and so the lesson cannot be learned consistently as yet.
 心の矛盾は動機が矛盾していることを意味します。そのために、まだ、このレッスンを矛盾なく学ぶことができないのです。

 Further, the mind of the learner projects its own conflict, and thus does not perceive consistency in the minds of others, making him suspicious of their motivation.
 さらに、生徒の心はその生徒自身の葛藤を投影するので、そのために、彼は他者の心に矛盾がないことを知覚しなくなり、そのせいで、彼はほかの者たちの動機に疑いを抱くことになります。

 This is the real reason why, in many respects, the first lesson is the hardest to learn.
 これが、いろんな面で、この最初のレッスンを学ぶのが最も困難である真の理由です。

 Still strongly aware of the ego in yourself, and responding primarily to the ego in others, you are being taught to react to both as if what you do believe is not true.
 まだ自分自身の中のエゴを強く意識してしまうし、また、まっさきにほかの者たちの中のエゴに反応してしまう状態にありながら、あなたは、自分のエゴと他者のエゴの両方に対して、まるで自分が現に信じていることが真実ではないかのように反応するように教わっていることになるのです。



4. Upside down as always, the ego perceives the first lesson as insane.
 いつものように物事を逆さまに知覚するので、エゴはこの最初のレッスンを狂気の沙汰とみなします。

 In fact, this is its only alternative since the other possibility, which would be much less acceptable to it, would obviously be that it is insane.
 実のところ、エゴには、このように判断するよりほかに選択肢はありません。なぜなら、このレッスンが正しいものである可能性を認めることは、エゴのほうこそ正気ではないことを明らかにしてしまいますが、そんなことはエゴにとってよりいっそう受け入れがたいことだからです。

 The ego's judgment, here as always, is predetermined by what it is.
 ここでエゴが下す判断は、いつものようにエゴの本質によって、あらかじめ決まっています。

 The fundamental change will still occur with the change of mind in the thinker.
 それでも、根本的な変化は、依然として考える者の心が変わることに伴って起こるでしょう。

 Meanwhile, the increasing clarity of the Holy Spirit's Voice makes it impossible for the learner not to listen.
 考える者の心が変わるまでの間に、聖霊の声はますます明瞭に聞こえるようになってくるので、生徒は聖霊の声に耳を傾けずにはいられなくなってきます。

 For a time, then, he is receiving conflicting messages and accepting both.
 したがって、しばしの間は、生徒は矛盾するメッセージを受け取り、両方とも受け入れることになります。

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5. The way out of conflict between two opposing thought systems is clearly to choose one and relinquish the other.
 相容れないふたつの思考システムの間の葛藤から抜け出すための方法が、一方を選択して他方を放棄することなのは言うまでもありません。

 If you identify with your thought system, and you cannot escape this, and if you accept two thought systems which are in complete disagreement, peace of mind is impossible.
 あなたにとって自分の思考システムと自分を同一視することは避けがたいことですが、もしあなたが自分の抱く思考システムと自分を同一化するなら、そして、もしあなたが完全に相容れないふたつの思考システムを受け入れるなら、心の平安を得ることは不可能となります。

 If you teach both, which you will surely do as long as you accept both, you are teaching conflict and learning it.
 もしあなたが相容れないふたつの思考システムの両方を教えるとすると、言うまでもなく、あなたが両方を受け入れるかぎりそうなることは確実ですが、あなたは葛藤を教えると同時に葛藤を学んでいることになります。

 Yet you do want peace, or you would not have called upon the Voice for peace to help you.
 それでも、あなたが心の平安を望んでいるのは間違いありません。そうでなければ、あなたは平安について語る大いなる声に自分を助けてほしいと求めたりしなかったはずだからです。

 Its lesson is not insane; the conflict is.
 聖霊のレッスンは狂ってなどいません。葛藤のほうが狂気なのです。



6. There can be no conflict between sanity and insanity.
 正気と狂気の間には、葛藤などありえません。

 Only one is true, and therefore only one is real.
 ただ正気だけが真実であり、したがって、ただ正気だけが実在するからです。

 The ego tries to persuade you that it is up to you to decide which voice is true, but the Holy Spirit teaches you that truth was created by God, and your decision cannot change it.
 エゴは、あなたには、どちらの声が本物なのか決めることができるとあなたを説得しようとします。これに対して、聖霊はあなたに、真理は神によって創造されたので、あなたの決定が真理を変えることなどできないと教えます。

 As you begin to realize the quiet power of the Holy Spirit's Voice, and Its perfect consistency, it must dawn on your mind that you are trying to undo a decision that was irrevocably made for you.
 聖霊の大いなる声の平穏な力と、その声の語ることが完全に一貫していることをあなたが理解しはじめるにつれて、変更不能なものとして自分について定められた決定を自分が取り消そうとあがいていることが、あなたの心にもわかってくるはずです。

 That is why I suggested before that you remind yourself to allow the Holy Spirit to decide for God for you.
 この理由から、私は以前、聖霊にあなたに代わって神を選ぶ決断をしてもらうように委ねることを覚えておくようにと勧めたのです。

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7. You are not asked to make insane decisions, although you can think you are.
 あなたがそう思うのは自由ですが、あなたは狂った決断をするように求められてなどいません。

 It must, however, be insane to believe that it is up to you to decide what God's creations are.
 いずれにせよ、神の創造物とは何かを決定するのがあなた次第だと信じるなど狂気の沙汰です。

 The Holy Spirit perceives the conflict exactly as it is.
 聖霊は、矛盾をそのまま正確に知覚します。

 Therefore, His second lesson is:
 したがって、聖霊の第二のレッスンは次のようになります。


To have peace, teach peace to learn it.
平安を得るためには、それを学ぶために平安を教えなさい。



8. This is still a preliminary step, since having and being are still not equated.
 これはまだなお準備段階のステップです。なぜなら、所有と実在がいまだに等しく位置づけられてはいないからです。

 It is, however, more advanced than the first step, which is really only the beginning of the thought reversal.
 しかしながら、単に実際に思考を逆転させはじめるだけであった最初のステップに比べると、より前進してはいます。

 The second step is a positive affirmation of what you want.
 この「平安を得るためには、それを学ぶために平安を教えなさい」という二番目のステップは、あなたの望むことを積極的に承認するものです。

 This, then, is a step in the direction out of conflict, since it means that alternatives have been considered, and one has been chosen as more desirable.
 それゆえ、この二番目のステップは、葛藤から抜け出す方向に踏み出す一歩となります。なぜなら、それは複数の選択肢が考慮された後、そのうちのひとつがより望ましいものとして選択されたことを意味しているからです。

 Nevertheless, the term "more desirable" still implies that the desirable has degrees.
 とはいえ、「より望ましい」という言葉は、依然として望ましさに度合いがあることを暗に示しています。

 Therefore, although this step is essential for the ultimate decision, it is clearly not the final one.
 したがって、この二番目のステップは最終的な決断をするために欠かせない一歩ではあっても、最終的なステップそのものではないのは明らかです。

 Lack of order of difficulty in miracles has not yet been accepted, because nothing is difficult that is wholly desired.
 どんなことであれ全身全霊で望むことが難しいはずがないがゆえに、奇跡には難しさの序列がないということが、まだ受け入れられてはいないからです。

 To desire wholly is to create, and creating cannot be difficult if God Himself created you as a creator.
 全身全霊で望むことは創造することであり、もし神自らがあなたを創造者として創造したのであれば、あなたにとって創造することが難しいはずがないのです。



9. The second step, then, is still perceptual, although it is a giant step toward the unified perception that reflects God's knowing.
 それゆえ、二番目のステップは、たとえそれが神の知識を反映する統合された知覚へと向かう大きな一歩ではあっても、依然として知覚するものです。

 As you take this step and hold this direction, you will be pushing toward the center of your thought system, where the fundamental change will occur.
 あなたがこのステップを踏み出し、この方向性を維持して進むに従い、あなたは自らの思考システムの中枢へと向かって進んでゆくことになります。その思考システムの中枢において、根本的な変化が起こるでしょう。

 At the second step progress is intermittent, but the second step is easier than the first because it follows.
 二番目のステップにおける進展は、進んでは立ち止まってという断続的なものになります。しかし、この二番目のステップは、すでに最初のステップを終えたあとに続くものなので、最初のステップよりも容易だといえます。

 Realizing that it must follow is a demonstration of a growing awareness that the Holy Spirit will lead you on.
 最初のステップに二番目のステップが必ず続くに違いないと気づくことは、聖霊が自分を導いてくれているという自覚が次第に強まってきていることを実証するものです。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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