T21-5 理性の働き

2014年11月15日
テキスト第21章(理性と知覚) 0

When we remember we are all mad, the mysteries disappear and life stands explained.
自分たち全員が気が狂っていることを私たちが思い出せば、神秘は消え失せて、人生の説明がつくようになる。



Mark Twain
マーク・トウェイン



Maybe each human being lives in a unique world, a private world different from those inhabited and experienced by all other humans. . .
もしかすると、一人ひとりの人間はそれぞれに、ほかのすべての人間たちが暮らし体験している世界とは異なる個人的な世界、自分だけの独自の世界の中に生きているのかもしれない。

If reality differs from person to person, can we speak of reality singular, or shouldn't we really be talking about plural realities?
もし現実が個人個人で違っているとしたら、私たちは現実を唯一のものとして語ることはできないのではないか、つまり、私たちは実際のところ複数の現実について語らざるをえないのではないだろうか。

And if there are plural realities, are some more true (more real) than others?
そしてもし、複数の現実があるのだとしたら、ある現実はほかの現実よりも真実で(よりリアルで)あるなどとは言えないのではないか。

What about the world of a schizophrenic?
統合失調症患者のいる世界はどう考えればよいだろうか。

Maybe it's as real as our world.
おそらくその世界は私たちの世界と同じように現実なのだろう。

Maybe we cannot say that we are in touch with reality and he is not, but should instead say, His reality is so different from ours that he can't explain his to us, and we can't explain ours to him.
たぶん、私たちには、自分たちは現実に触れているけれど、統合失調症患者はそうではないと言うことはできない。ただし、その代わり、こう言うことはできる。統合失調症患者の現実は私たちの現実とは大いに違っているので、統合失調症患者は彼のいる世界を私たちに説明することはできないし、私たちのほうも自分たちの世界を彼に説明することはできないのだと。

The problem, then, is that if subjective worlds are experienced too differently, there occurs a breakdown in communication ... and there is the real illness.”
したがって、もし複数の主観的な想像上の世界が各自にとってきわめて異なったものとして体験されているのだとしたら、コミュニケーションの破綻が起こっているのであり、この各自の間のコミュニケーションの破綻という真の病いこそが問題なのだ。

Philip K Dick_1129103408

Philip K. Dick
フィリップ・K・ディック



There is no reality except the one contained within us.
私たちが自分の心の内に抱くもの以外に、いかなる現実も存在しない。

That is why so many people live such an unreal life.
これこそ、本当に多くの人々がこんなにも非現実的な偽りの人生を生きている理由なのだ。

They take the images outside of them for reality and never allow the world within to assert itself.
大多数の人は、自分の外側に見える姿かたちを現実だと取り違えて、自らの内なる世界が自ずからその姿を表すのを決して容認しようとしないからだ。



Hermann Hesse
ヘルマン・ヘッセ(「デミアン」より)



VqDCJbPS (1) (1)

今回は、テキスト第二十一章から「理性の働き」という一節をご紹介します。


文意の読み取りにくい箇所

2. の”But never believe because it is your faith it makes reality.”の意味がわかりにくいです。

”never believe”の直後には対象となる単語がありませんが、”it is your faith it makes reality.”の文章を強引に分割しようと思えば、”it is your faith”と”it makes reality.”に切り分けることもできるので、”never believe”の対象を ”it makes reality.”と見ることもできます。
そして、”because it is your faith”は、「だからといって」と否定すべき根拠として述べているものとみて、”never believe・・・(that) it makes reality.”が主旨となる文章であると解釈することができます。

この観点で訳すと「あなたがそれを信じているからといって、それが現実を作ると考えてはならない」となります。意味が通らないわけではありませんが、いまひとつ、すっきりしません。

この点、コースの言葉を平易に言い直しているThe Message Of A Course In Miraclesでは、2.は、次のようになっています。

「2.Reality does not need your cooperation to be Itself, but your awareness of Reality is your choice. Listen to the personal mind, and see what it tells you to see, and you will certainly see yourself as tiny, vulnerable, and afraid. You will experience depression, a sense of worthlessness, and feelings of impermanence and unreality. You will believe that you are the helpless prey of forces beyond your control that are much more powerful than you. And you will think that a world outside of your mind directs your destiny. This will be what you have faith in, if you believe in the personal mind. But don’t believe in it, because it is your faith that makes it reality to you.」
(Cronkhite, Elizabeth A.. The Message Of A Course In Miracles: A Trans (Plain Language) (p.501). John Hunt Publishing.)

「But don’t believe in it, because it is your faith that makes it reality to you.
 しかし、あなたの心の外側の世界があなたの運命を操っていると信じてはなりません。なぜなら、あなたがそう信じることがあなたにとってそれを現実にしているわけだからです。」

”never believe”は、それまでの文脈で出てきた「世界が自分の運命を操っている」という観念を信じてはならないということを言っており、”, because it is your faith”は、「あなたがその観念を信じることが、その観念をあなたにとっての現実にすることになっているのだから」とその観念を信じてはならない理由を述べていることになり、モヤモヤ感を残すことなく、よく意味が理解できます。

そこで、訳文では
「But never believe because it is your faith it makes reality.
 しかし、世界が自分の運命を操っていると決して信じてはなりません。なぜなら、世界が運命を支配するとあなたが信じることで、それがその通り現実になっているわけだからです。」としています。





ワンネスについての重要な指摘

さて、次の3.の文章も、とても重要な事柄をさらっと述べています。

「Miracles seem unnatural to the ego because it does not understand how separate minds can influence each other.
 エゴには、奇跡が不自然なものに見えます。なぜなら、エゴは、どのようにして分離している個々の心がお互いに影響し合うことができるのか理解できないからです。

 Nor could they do so.
 たしかに個々の分離した心には、相互に影響し合うことはできません。

 But minds cannot be separate.
 そうではなくて、そもそも心が別々に分離していること自体がありえないのです。

 This other self is perfectly aware of this.
 このもうひとつの自己は、このことを完全に自覚しています。

 And thus it recognizes that miracles do not affect another's mind, only its own.
 したがって、この自己は、奇跡は他者の心に影響を及ぼすのではなくて、ただ自らの心に影響するだけだと気づいています。

 There is no other.
 ほかの心など存在しないからです。」


一体性と単一性

ワンネスについて、私たちはどうしても言葉、概念に引っ張られるし、実際に自分たちが分離していることを本気で信じているので、一なる状態というものにはピンと来ず、一体性としてしかイメージも理解することもできません。

だから、ついつい、ばらばらに砕け散った神の子の破片がジグソーパズルのピースのように統合されて神の子は完成すると解釈してしまいます。

しかし、このような発想は、最初から、分離を前提とする二元論の土台に立ったまま、困難な理想を無謀にも実現しようとドンキホーテのように立ち向かうことでしかありません。

コースが求めているのは無理難題を成し遂げることではなく、すでに成就しているのにそれに目を向けずに妄想の世界に閉じこもっている状態から現実に目を向けることだけです。

分離した私たちが一体にならなければならないのではなく、もともとひとつのままの本当の「私」である神の子が、偽物である分離した私たち人の子に成りきっている狂気から脱することが必要なだけです。

個々に分離したアバターごとに個別の分離した心があり、それらの分離した心たちがつながって大きな心に合体して一体化するのではなく、もともと単一の一なる心しかないのです。

ですので、ワンネスについては文脈上、「一体」という訳語をあてることが多いものの、それを読む際には、分離前提の一体化ではなく単一性の想起というニュアンスを思い起こすようにしてもらうとよいと思います。


私たちは狂気によって幻を真実と信じている

⒍「It is not meaningful to ask if what must be is so.
 間違いなくそうであることについて、本当にそうなのだろうかと尋ねるのは無意味です。

 But it is meaningful to ask why you are unaware of what is so, for this must have an answer if the plan of God for your salvation is complete.
 しかし、そうであることについて、なぜ自分は気づいていないのだろうか、と尋ねてみるのは意味のあることです。というのは、もしあなたの救済のための神の計画が完了しているのなら、その質問にはきっと答えがあるはずだからです。」


そうであることに気づかない状態は、真実ではない虚偽を信じている状態です。

世界の法則は、「自分の投影するものを自分は信じる」であり、知覚は自分が世界というスクリーンに投影したものを見る作用でした。

つまり、自分の信じるものが世界に見えるというのがこの世界で働く法則です。

そして、信じる作用(信頼、信念)は、理性にも狂気にも奉仕することが可能です。

「8. Faith and perception and belief can be misplaced, and serve the great deceiver's needs as well as truth.
 信頼と知覚と信念は誤った対象に置かれることが可能なので、真理に奉仕できるのと同じように、大いなる詐欺師の必要に奉仕してしまうことがありえます。

 But reason has no place at all in madness, nor can it be adjusted to fit its end.
 しかし、理性は狂気の中にはまったく居場所がないし、狂気の目的に適合するように理性を適合させることもできません。

 Faith and belief are strong in madness, guiding perception toward what the mind has valued.
 狂気に陥った信頼と信念は強固で、その心が価値を置いたものに向けて知覚を導こうとします。

 But reason enters not at all in this.
 しかし、理性はこのことにまったく加担していません。」

したがって、私たちの救済のための神の計画が完了していることが事実であるのに、私たちがそれに気づかない状態にあるのは、私たちが理性ではなく狂気に信頼と信念を従わせて狂気の沙汰を知覚しているからだということになります。


「内面を見てもしそこに罪がなかったとしたら?」

「10. You have come very close to this.
 あなたはもう、この扉に手の届くところまで来ています。

 Faith and belief have shifted, and you have asked the question the ego will never ask.
 すでに信頼と信念を向ける対象が変わって、あなたはエゴが決して尋ねようとはしない質問をしました。

 Does not your reason tell you now the question must have come from something that you do not know, but must belong to you?
 あなたの理性は今、その質問は、あなたにはまだわからないとしても、あなたの内にあるに違いない何かから生じたはずだと、あなたに告げているのではないでしょうか。」

この「質問」は前節の3.で出てきた「内面を見てもしそこに罪がなかったとしたら?」という問いです。

「3. What if you looked within and saw no sin?
 もしあなたが心の中を覗いて、そこにまったく罪が見えなかったら、どうなるでしょうか。

 This "fearful" question is one the ego never asks.
 この『恐ろしい』質問は、エゴが絶対に尋ねようとはしない質問です。」(T21-4 怖がらないで覗きこんじゃっていいんです!

この問いを発することで、私たちは自分の内面にエゴ以外に聖霊がいることに気づき、信頼と信念を向ける対象を狂気から理性に切り替えられるようになります。

10.「Faith and belief, upheld by reason, cannot fail to lead to changed perception.
 理性に支えられた信頼と信念が、変化した知覚へと導き損ねることなどありえません。

 And in this change is room made way for vision.
 そして、この知覚の変化がヴィジョンのための道を拓くことになります。

 Vision extends beyond itself, as does the purpose that it serves, and all the means for its accomplishment.
 ヴィジョンは、ヴィジョンが奉仕する目的がそうであるように、それ自体を超越し、その目的を達成するための手段のすべてをも超越して広がってゆくのです。」




冒頭のディックの言葉を深掘りする際には、エドウィン・アボット・アボットフラットランドが参考になると思います。




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テキスト第二十一章

V. The Function of Reason
五 理性の働き



1. Perception selects, and makes the world you see.
 知覚作用が選び出すことで、あなたに見えている世界を作り出します。

 It literally picks it out as the mind directs.
 知覚は文字どおり、心の指図どおりに知覚するものを選び出します。

 The laws of size and shape and brightness would hold, perhaps, if other things were equal.
 もし知覚の選び出すものと選ばれないほかのものとが等しいとすれば、きっと大きさや形や明るさについての法則が適用できるはずです。

 They are not equal.
 しかし、知覚の選び出すものと選ばれないほかのものとは等しくはありません。

 For what you look for you are far more likely to discover than what you would prefer to overlook.
 というのも、あなたができれば見過ごしたいと思っているものよりも、あなたが意欲的に探しているもののほうがはるかに見つかりやすいからです。

 The still, small Voice for God is not drowned out by all the ego's raucous screams and senseless ravings to those who want to hear It.
 神を代弁する静かで小さな声は、それを聞きたいと思う者には、エゴのどんな叫び声や無意味な戯言にもかき消されることはありません。

 Perception is a choice and not a fact.
 知覚することは、選択であって事実ではありません。

 But on this choice depends far more than you may realize as yet.
 しかし、今のところあなたが気づいているよりもはるかに多くのことがこの選択に依存しています。

 For on the voice you choose to hear, and on the sights you choose to see, depends entirely your whole belief in what you are.
 というのは、あなたが自ら選んで聞く声や、自ら選んで見る光景によって、あなたが自分は何者だと信じるかが全面的に左右されるからです。

 Perception is a witness but to this, and never to reality.
 知覚は、あなたが自分は何者だと信じるかという信念を証明するだけで、決してあなたが本当は何者なのかという現実を証明することはありません。

 Yet it can show you the conditions in which awareness of reality is possible, or those where it could never be.
 とはいえ、知覚はあなたに、現実を自覚できるための条件、あるいは絶対に現実を自覚できない状態を示すことはできます。

名称未設定

2. Reality needs no cooperation from you to be itself.
 現実が現実であるために、あなたの協力は必要ありません。

 But your awareness of it needs your help, because it is your choice.
 しかし、あなたが現実を自覚するためには、あなたの助けを要します。なぜなら、現実を自覚することは、あなたが選択することだからです。

 Listen to what the ego says, and see what it directs you see, and it is sure that you will see yourself as tiny, vulnerable and afraid.
 エゴの言うことに耳を貸し、エゴがあなたに見るように仕向けるものを見るなら、あなたが自分自身をちっぽけで傷つきやすく怯えた存在だとみなすようになるのは間違いありません。

 You will experience depression, a sense of worthlessness, and feelings of impermanence and unreality.
 あなたは意気消沈し、自分の無価値さを感じ、儚さと現実味のない感覚を味わうでしょう。

 You will believe that you are helpless prey to forces far beyond your own control, and far more powerful than you.
 あなたは自分のことを、とても自分の手には負えるはずもない、自分よりもはるかに強大な力にとっての無力な餌食なのだと信じざるをえなくなるでしょう。

 And you will think the world you made directs your destiny.
 そして、あなたは自分の作り出した世界が、自分の運命を支配していると思うようになります。

 For this will be your faith.
 というのも、あなたは世界が自分の運命を操っていると信じるようになるからです。

 But never believe because it is your faith it makes reality.
 しかし、世界が自分の運命を操っていると決して信じてはなりません。なぜなら、世界が運命を支配するとあなたが信じることで、それがその通り現実になっているわけだからです。



3. There is another vision and another voice in which your freedom lies, awaiting your choice.
 あなたの自由を宿すもうひとつのヴィジョンともうひとつの声が存在し、あなたに選んでもらうのを待っています。

 And if you place your faith in them, you will perceive another self in you.
 そして、もしあなたがそれらに信頼を置くなら、あなたは自分の中に別の自己を知覚するようになります。

 This other self sees miracles as natural.
 このもうひとつの自己は、奇跡は自然なものだと見ています。

 They are as simple and as natural to it as breathing to the body.
 このもうひとつの自己にとって、奇跡は、呼吸が身体にとって自然なことであるように、実に簡単で自然なことです。

 They are the obvious response to calls for help, the only one it makes.
 奇跡は、助けを求める呼び声に対する当然の反応であり、このもうひとつの自己がなす唯一の応答です。

 Miracles seem unnatural to the ego because it does not understand how separate minds can influence each other.
 エゴには、奇跡が不自然なものに見えます。なぜなら、エゴは、どのようにして分離している個々の心がお互いに影響し合うことができるのか理解できないからです。

 Nor could they do so.
 たしかに個々の分離した心には、相互に影響し合うことはできません。

 But minds cannot be separate.
 そうではなくて、そもそも心が別々に分離していること自体がありえないのです。

 This other self is perfectly aware of this.
 このもうひとつの自己は、このことを完全に自覚しています。

 And thus it recognizes that miracles do not affect another's mind, only its own.
 したがって、この自己は、奇跡は他者の心に影響を及ぼすのではなくて、ただ自らの心に影響するだけだと気づいています。

 There is no other.
 ほかの心など存在しないからです。

名称未設定

4. You do not realize the whole extent to which the idea of separation has interfered with reason.
 あなたは、分離という想念がどれほど大きく理性を妨害してきたか、その全容に気づいていません。

 Reason lies in the other self you have cut off from your awareness.
 理性は、あなたが自分の意識から切り離してしまった、もうひとつの自己の中にあります。

 And nothing you have allowed to stay in your awareness is capable of reason.
 だから、あなたが自分の意識の中に留まることを許可したもので、理性を働かせることができるものはひとつもありません。

 How can the segment of the mind devoid of reason understand what reason is, or grasp the information it would give?
 どうして理性の欠落した心の部分に理性が何なのか理解したり、理性が与えてくれる情報を把握したりできるでしょうか。

 All sorts of questions may arise in it, but if the basic question stems from reason, it will not ask it.
 そんな心の部分には、ありとあらゆる疑問が思い浮かぶことでしょう。しかし、もし根本的な疑問が理性から発するとすれば、理性の欠落した心の部分がその根本的な疑問を呈することはないでしょう。

 Like all that stems from reason, the basic question is obvious, simple and remains unasked.
 理性から生じるものすべてと同じように、根本的な疑問は単純明快なので、尋ねられもしないままになっています。

 But think not reason could not answer it.
 しかし、理性にはその疑問に答えることができなかったのだなどと思ってはなりません。



5. God's plan for your salvation could not have been established without your will and your consent.
 あなたの救済のための神の計画が、あなたの意志とあなたの同意なしに定められたはずがありません。

 It must have been accepted by the Son of God, for what God wills for him he must receive.
 あなたの救済のための神の計画は、神の子によって受け入れられているに違いありません。なぜなら、神の子は神が自分のために意図することを必ず受け入れるからです。

 For God wills not apart from him, nor does the Will of God wait upon time to be accomplished.
 それというのも、神が子から離れて意図することはないし、神の大いなる意志が、それが成就するまで時が満ちるのを待つことはないからです。

 Therefore, what joined the Will of God must be in you now, being eternal.
 それゆえ、神の大いなる意志に結びついたものは、永遠のものであるがゆえに、今あなたの中にあるに違いありません。

 You must have set aside a place in which the Holy Spirit can abide, and where he is.
 あなたはすでに、聖霊が留まることができる場所を確保しているはずであり、そこには聖霊がいます。

 He must have been there since the need for him arose, and was fulfilled in the same instant.
 聖霊の必要が生じた同じ瞬間にその必要が満たされて以来、聖霊はそこにいるはずです。

 Such would your reason tell you, if you listened.
 もしあなたが理性に耳を傾けるなら、あなたの理性がその通りだと教えてくれるでしょう。

 Yet such is clearly not the ego's reasoning.
 しかし、それはエゴの論法とは明らかに違っています。

 Your reason's alien nature to the ego is proof you will not find the answer there.
 あなたの理性がエゴとは相容れない性質を持っていること自体が、あなたの探している答えがエゴの論法の中に見出せない証しです。

 Yet if it exists for you, and has your freedom as the purpose given it, you must be free to find it.
 しかし、その答えがあなたのために存在しているとすれば、そして、あなたを自由にすることがその答えに授けられた目的であるなら、あなたは必ずその答えを見つけ出せるはずです。

名称未設定

6. God's plan is simple; never circular and never self-defeating.
 神の計画はシンプルなので、絶対に堂々廻りにならないし、決して自滅的でもありません。

 He has no thoughts except the self-extending, and in this your will must be included.
 神は、自己を拡張するという思いしか抱いておらず、この思いの中にはあなたの意志も含まれているに違いありません。

 Thus, there must be a part of you that knows his will and shares it.
 したがって、あなたの中には、神の意志を知り、それを分かち合っている部分が存在するに違いありません。

 It is not meaningful to ask if what must be is so.
 間違いなくそうであることについて、本当にそうなのだろうかと尋ねるのは無意味です。

 But it is meaningful to ask why you are unaware of what is so, for this must have an answer if the plan of God for your salvation is complete.
 しかし、そうであることについて、なぜ自分は気づいていないのだろうか、と尋ねてみることには意味があります。というのは、もしあなたの救済のための神の計画が完了しているのなら、その質問にはきっと答えがあるはずだからです。

 And it must be complete, because its Source knows not of incompletion.
 そして、神の計画は完了しているに違いありません。なぜなら、その大いなる源は未完成という言葉など知らないからです。



7. Where would the answer be but in the Source?
 はたしてその大いなる源の中以外のどこに、その答えがあるというのでしょうか。

 And where are you but there, where this same answer is?
 そして、この同じ答えがあるところ以外のどこに、あなたはいるというのでしょうか。

 Your Identity, as much a true Effect of this same Source as is the answer, must therefore be together and the same.
 あなたの真のアイデンティティーは、その答えと同じように、まさにこの大いなる源がもたらした真の結果そのものです。したがって、ふたつは一緒にある同一のものであるに違いありません。

 O yes, you know this, and more than this alone.
 もちろん、あなたはこのことを知っているし、それだけでなく、これ以上のことを知っています。

 Yet any part of knowledge threatens dissociation as much as all of it.
 しかし、知識のどんな部分であれ、知識全体と同じように、分離状態を脅かします。

 And all of it will come with any part.
 だから、どの部分であれ知識の一部を受け入れれば知識全体が一緒に来ることになります。

 Here is the part you can accept.
 このことは、あなたが受け入れることのできる知識の一部です。

 What reason points to you can see, because the witnesses on its behalf are clear.
 理性を支持する証拠は明白なものなので、理性が指し示すものは、あなたにも理解できるからです。

 Only the totally insane can disregard them, and you have gone past this.
 そのような証拠を無視できるのは、ただ完全に狂った者だけですが、あなたはすでに完全な狂気を脱しています。

 Reason is a means that serves the Holy Spirit's purpose in its own right.
 理性は本来的に、聖霊の目的のために奉仕する手段です。

 It is not reinterpreted and redirected from the goal of sin, as are the others.
 理性は、ほかの手段のように、罪という目標によって解釈し直されたり、その方向を変えられたりはしません。

 For reason is beyond the ego's range of means.
 というのも、理性を手段として用いることは、エゴの手に負える範囲を越えているからです。

名称未設定

8. Faith and perception and belief can be misplaced, and serve the great deceiver's needs as well as truth.
 信頼と知覚と信念は誤った対象に置かれることが可能なので、真理に奉仕できるのと同じように、大いなる詐欺師の必要に奉仕してしまうことがありえます。

 But reason has no place at all in madness, nor can it be adjusted to fit its end.
 しかし、理性は狂気の中にはまったく居場所がないし、狂気の目的に適合するように理性を適合させることもできません。

 Faith and belief are strong in madness, guiding perception toward what the mind has valued.
 狂気に陥った信頼と信念は強固で、その心が価値を置いたものに向けて知覚を導こうとします。

 But reason enters not at all in this.
 しかし、理性はこのことにまったく加担していません。

 For the perception would fall away at once, if reason were applied.
 というのも、もし理性が働いていたとしたら、一瞬にして知覚は狂気の導く進路から離脱していたはずだからです。

 There is no reason in insanity, for it depends entirely on reason's absence.
 狂気の中に理性はありません。というのは、狂気は全面的に理性の不在に依存しているからです。

 The ego never uses it, because it does not realize that it exists.
 エゴは決して理性を使いません。なぜなら、エゴは理性の存在に気づいていないからです。

 The partially insane have access to it, and only they have need of it.
 部分的にだけ狂気に陥っている者は理性に近づくことができ、ただ彼らだけが理性を必要としています。

 Knowledge does not depend on it, and madness keeps it out.
 知識は理性に依存しないし、狂気は理性を締め出してしまうからです。



9. The part of mind where reason lies was dedicated, by your will in union with your Father's, to the undoing of insanity.
 父の大いなる意志とひとつに結ばれたあなたの意志によって、理性の存在する心の部分は狂気を取り消すために捧げられました。

 Here was the Holy Spirit's purpose accepted and accomplished, both at once.
 ここにおいて、聖霊の目的は受け入れられたと同時に達成されたのです。

 Reason is alien to insanity, and those who use it have gained a means which cannot be applied to sin.
 理性は狂気とは相容れないので、理性を用いる者たちは、罪の役には立たない手段を手にしています。

 Knowledge is far beyond attainment of any kind.
 知識は、どのような種類の修得をもはるかに超越するものです。

 But reason can serve to open doors you closed against it.
 しかし、理性は、あなたが知識に対して閉ざしてしまった扉を開くために、役立つことができます。

名称未設定

10. You have come very close to this.
 あなたはもう、この扉に手の届くところまで来ています。

 Faith and belief have shifted, and you have asked the question the ego will never ask.
 すでに信頼と信念を向ける対象が変わって、あなたはエゴが決して尋ねようとはしない質問をしました。

 Does not your reason tell you now the question must have come from something that you do not know, but must belong to you?
 あなたの理性は今、その質問は、あなたにはまだわからないとしても、あなたの内にあるに違いない何かから生じたはずだと、あなたに告げているのではないでしょうか。

 Faith and belief, upheld by reason, cannot fail to lead to changed perception.
 理性に支えられた信頼と信念が、変化した知覚へと導き損ねることなどありえません。

 And in this change is room made way for vision.
 そして、この知覚の変化がヴィジョンのための道を拓くことになります。

 Vision extends beyond itself, as does the purpose that it serves, and all the means for its accomplishment.
 ヴィジョンは、ヴィジョンが奉仕する目的がそうであるように、それ自体を超越し、その目的を達成するための手段のすべてをも超越して広がってゆくのです。


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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
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祈りの歌 (15)
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