T7-5 癒しと心の不変性

2014年11月17日
テキスト第7章(王国の贈り物) 0

判断から受容への移行、分離から同調への移行こそ、ヒーリングの真髄です。この移行ができないときには、「マインド・身体」領域において、「不快感・病気」への条件が整っています。あなたがたはみんな、この不快感から快感、閉鎖からオープン、不信から信頼への移行を学ぶ必要があります。

Jesus Christ

イエス・キリスト(ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)








VqDCJbPS (1) (1)

今回は、テキスト第七章から、「癒しと心の不変性」という一節をご紹介します。



本節では、魔術と癒しの相違が説明されます。


すべてを持ちすべてでもある私たちの本質 → すべてを持たず、すべてではない1点の塵のような自己概念

私たちは、本当はすべてでありすべてを持つ無限の存在ですが、分離幻想を信じて、自分の外部に自分とは隔絶した世界があり、自分は人間だと本気で信じるに至っています。

この神の子の成り下がり状態は、本来は万能なのに、自らに制限を課して無能な状態に貶めることで成り立ちます。

本当は、高性能なパソコンなのに、モニター画面を真っ白にして電灯としてしか役に立たないようにしたり、計算機としてしか使えないようにしたりすることはいくらでもできます。

本当は、何万曲と聴き放題にできるけれど、サブスクリプションの料金体系のランク分けによって制限を課して無料の利用者は千曲しか聴けないとか。





魔術と癒しの相違

魔術は、無限なるものに制約を課して、制限された縮小状態が本当の自分だと信じ込んでいる者に対して、条件付きで小出しに制限を解除することで、あたかも欠乏して持ち合わせが何もない状態に対して新たに外部からオプションを付加してやったかのように見せかける欺瞞の仕組みです。

これに対して、癒しは、真理、つまり、本当はもともと無限の能力と自由を持つ存在であるという事実を認識することによって、外部から課せられていたと思い込んでいた制限そのものが自分勝手に存在すると思い込んでいた錯覚でしかない、そもそも自分以外の外部などないと気づくことで、それまで自主規制していた制限を取っ払って本来の有能、自由なすべてでありすべてを持つ状態に戻るという仕組みです。


魔術から奇跡へ

大富豪の召使いが、事故にあった主人が記憶喪失症になった際に、ここぞとばかりに、自分が主人であり富豪のほうが召使いだと主人に信じ込ませて、主人にしかできない財産の利用や処分を自分の意のままに従う主人に命じて、主人の財産を使い込んで簒奪しているというのに、当の主人は、召使いにすぎない自分を主人が引き立ててくれて、ありがたくも主人の恩恵に浴して生かされていると思い込んで、嬉々として主人と信じる自分の召使いにひれ伏して奉仕しているという状態は、滑稽で哀れです。

しかし、私たちの置かれている状態はまさしくこれではないでしょうか?




ゆにこーん_1225101759 (2) (1)

テキスト第七章

V. Healing and the Changelessness of Mind
五 癒しと心の不変性



1. The body is nothing more than a framework for developing abilities, which is quite apart from what they are used for.
 身体は、さまざまな能力を発達させるための枠組みでしかありません。身体が備える能力とそれらの能力が何のために用いられるかはまったく関係ありません。

 That is a decision.
 能力を何のために使うかは決断することだからです。

 The effects of the ego's decision in this matter are so apparent that they need no elaboration, but the Holy Spirit's decision to use the body only for communication has such a direct connection with healing that it does need clarification.
 この問題に対してエゴが下す決断がどんな結果をもたらすかは、きわめて明白なので、詳細に述べる必要はありません。しかし、コミュニケーションを行うためにのみ身体を使うという聖霊の決断は、本当に癒しに直結する関連性を持つので、明確にしておく必要があります。

 The unhealed healer obviously does not understand his own vocation.
 癒されていない治療者が、自分自身の職分を弁えていないのは明らかです。

名称未設定

2. Only minds communicate.
 ただ心と心だけがコミュニケーションを行います。

 Since the ego cannot obliterate the impulse to communicate because it is also the impulse to create, it can only teach you that the body can both communicate and create, and therefore does not need the mind.
 コミュニケーションをしたいという衝動は創造への衝動でもあるので、エゴにはこの衝動を消し去ることができません。そのために、エゴには、身体はコミュニケーションも創造も両方できるのだから心は必要ではない、とあなたに教えることしかできません。

 The ego thus tries to teach you that the body can act like the mind, and is therefore self-sufficient.
 そこで、エゴはあなたに、身体は心のように行動できる、したがって、身体だけで自給自足できると教えようとします。

 Yet we have learned that behavior is not the level for either teaching or learning, since you can act in accordance with what you do not believe.
 しかし、私たちがすでに学んだように、行動は教えたり学んだりするためのレベルではありません。なぜなら、あなたは自分の信じてもいないことに沿うように行動できるからです。

 To do this, however, will weaken you as a teacher and a learner because, as has been repeatedly emphasized, you teach what you do believe.
 もっとも、あなたが自分の信じてもいないことに従って行動するなら、その行動は教師や学習者としてのあなたを弱めてしまうでしょう。なぜなら、何度も強調してきたように、あなたは自分が教えることを現に信じることになるからです。

 An inconsistent lesson will be poorly taught and poorly learned.
 辻褄の合わないレッスンは、不十分にしか教えることができないし、満足に学ぶこともできないからです。

 If you teach both sickness and healing, you are both a poor teacher and a poor learner.
 もしあなたが病いと癒しの両方を教えるなら、あなたは未熟な教師であると同時に不出来な学習者でもあります。



3. Healing is the one ability everyone can develop and must develop if he is to be healed.
 癒しは、誰もがみな身につけることのできる能力であり、癒されるためには誰もが身につけなければならない能力です。

 Healing is the Holy Spirit's form of communication in this world, and the only one he accepts.
 癒しは、この世界で聖霊が用いるコミュニケーションの形であり、聖霊が受け入れる唯一のコミュニケーションの形です。

 He recognizes no other, because he does not accept the ego's confusion of mind and body.
 聖霊はほかのコミュニケーションの形は一切認めません。なぜなら、聖霊はエゴによる心と身体の混同を容認しないからです。

 Minds can communicate, but they cannot hurt.
 個々の心同士は、コミュニケーションを行うことはできても、傷つけ合うことはできません。

 The body in the service of the ego can hurt other bodies, but this cannot occur unless the body has already been confused with the mind.
 エゴに奉仕する身体は、ほかの身体を傷つけることができます。しかし、これが起こりうるのは、身体がすでに心と混同されてしまっているときだけです。

 This situation, too, can be used either for healing or for magic, but you must remember that magic always involves the belief that healing is harmful.
 この状態もまた、癒しのために使うこともできれば、魔術のために使うこともできます。ただし、魔術には必ず癒しは有害だという信念が伴うことをあなたは忘れずにいなければなりません。

 This belief is its totally insane premise, and so it proceeds accordingly.
 この癒しは有害だという信念が魔術の持つ全面的に狂った前提であり、したがって、この狂気の前提に従って魔術は執り行われるわけだからです。

名称未設定

4. Healing only strengthens.
 癒しは、ただ強めるだけです。

 Magic always tries to weaken.
 魔術は、必ず弱めようとします。

 Healing perceives nothing in the healer that everyone else does not share with him.
 癒しは、ほかの誰もが治療者と分かち合っていないものを治療者が持っていると知覚することはありません。

 Magic always sees something "special" in the healer, which he believes he can offer as a gift to someone who does not have it.
 魔術は、つねに治療者が何か「特別」なものを持っているとみなします。その治療者は、自分が持っているその「特別」なものを自分からの贈り物として、それを持っていない誰かに授けることができると信じています。

 He may believe that the gift comes from God to him, but it is quite evident that he does not understand God if he thinks he has something that others lack.
 治療者は、たぶんその贈り物は神から自分に賦与されていると信じることでしょう。しかし、もしその治療者がほかの者たちに欠如している何かを自分だけが持っていると思うとすれば、彼が神を理解していないことは歴然としています。



5. The Holy Spirit does not work by chance, and healing that is of him always works.
 聖霊の働きが偶然に左右されることはありません。したがって、聖霊に由来する癒しには必ず効果があります。

 Unless the healer always heals by him the results will vary.
 治療者がつねに聖霊によって癒すのでないかぎり、その治療の効果は安定しないでしょう。

 Yet healing itself is consistent, since only consistency is conflict-free, and only the conflict-free are whole.
 それでも、癒しそれ自体は一貫して着実に効果を発揮します。なぜなら、一貫性のあるものだけが葛藤を免れて矛盾がないし、矛盾のないものだけが完全だからです。

 By accepting exceptions and acknowledging that he can sometimes heal and sometimes not, the healer is obviously accepting inconsistency.
 例外を容認して、自分には癒せるときもあれば癒せないときもあると認めるようでは、その治療者は明らかに一貫性のなさを受け入れていることになります。

 He is therefore in conflict, and is teaching conflict.
 したがって、その治療者は葛藤の中にあり、矛盾を教えているのです。

 Can anything of God not be for all and for always?
 神に由来するものであるかぎり、誰にでも、いつでも役立つはずです。

 Love is incapable of any exceptions.
 愛には、いかなる例外も設けることはできないからです。

 Only if there is fear does the idea of exceptions seem to be meaningful.
 例外という考えに意味があるように思えるのは、ただ恐れがある場合だけです。

 Exceptions are fearful because they are made by fear.
 例外は、恐れによって作られるがゆえに恐ろしいのです。

 The "fearful healer" is a contradiction in terms, and is therefore a concept that only a conflicted mind could possibly perceive as meaningful.
 「恐れている治療者」とは名辞矛盾であり、したがって、ただ葛藤のある心だけがどうにかそれを意味あるものとして知覚しうる程度の概念です。

名称未設定

6. Fear does not gladden.
 恐れが喜ばせることなどありません。

 Healing does.
 癒しが喜ばせるのです。

 Fear always makes exceptions.
 恐れは必ず例外を設けます。

 Healing never does.
 癒しは絶対に例外を設けません。

 Fear produces dissociation, because it induces separation.
 恐れは解離を生み出します。なぜなら、恐れは分離を引き起こすからです。

 Healing always produces harmony, because it proceeds from integration.
 癒しは必ず調和を生み出します。なぜなら、癒しは統合することから生じるからです。

 It is predictable because it can be counted on.
 癒しは予測可能です。なぜなら、癒しは信頼に値するものだからです。

 Everything that is of God can be counted on, because everything of God is wholly real.
 神に由来するものはすべて頼りにできます。なぜなら、神に属するものはすべて完全に実在するものだからです。

 Healing can be counted on because it is inspired by his voice, and is in accord with his laws.
 癒しは当てになります。なぜなら、癒しは神の声によって呼び起こされるものであり、神の法に調和するものだからです。

 Yet if healing is consistent it cannot be inconsistently understood.
 しかし、もし癒しが首尾一貫したものであるなら、不安定なまま癒しを理解することはできません。

 Understanding means consistency because God means consistency.
 理解力は一貫性を意味します。なぜなら、神は一貫性を意味するからです。

 Since that is his meaning, it is also yours.
 一貫性が神の意味である以上、一貫性はまた、あなたの意味でもあります。

 Your meaning cannot be out of accord with his, because your whole meaning and your only meaning comes from his and is like his.
 あなたの意味が神の意味と一致しないはずがありません。なぜなら、あなたの完全かつ唯一の意味は神の意味に由来するし、神の意味と同じものだからです。

 God cannot be out of accord with himself, and you cannot be out of accord with him.
 神が神自身と調和しないはずがないし、あなたも神と調和しないはずがありません。

 You cannot separate your Self from your Creator, Who created you by sharing his Being with you.
 あなたには、自らの創造主から、自分の真の自己を分離することなどできません。なぜなら、創造主は、自らの大いなる実在をあなたと分かち合うことによってあなたを創造してくれたからです。



7. The unhealed healer wants gratitude from his brothers, but he is not grateful to them.
 癒されていない治療者は、兄弟たちから感謝されることを望みますが、彼のほうが兄弟たちに感謝の念を抱くことはありません。

 That is because he thinks he is giving something to them, and is not receiving something equally desirable in return.
 その理由は、彼は自分は兄弟たちに価値あるものを与えているけれど、その見返りに兄弟たちからそれに釣り合う望ましいものを受け取ってはいないと思っているからです。

 His teaching is limited because he is learning so little.
 彼は本当にわずかしか学んでいないので、彼が教えることも限られてしまいます。

 His healing lesson is limited by his own ingratitude, which is a lesson in sickness.
 癒しについての彼の学びも、彼自身の感謝の念が足りないために制限されてしまいます。感謝の念の欠如は病むことを習っているようなものです。

 True learning is constant, and so vital in its power for change that a Son of God can recognize his power in one instant and change the world in the next.
 真の学びは首尾一貫しており、本当に変化をもたらす力に満ちているので、神の子は一瞬のうちに自分の力を認め、次の瞬間には世界を変えてしまえるほどです。

 That is because, by changing his mind, he has changed the most powerful device that was ever given him for change.
 それは、彼は自分の心を変えることで、変わるために自らに与えられている最も強力な仕組みを変えたことになるからです。

 This in no way contradicts the changelessness of mind as God created it, but you think that you have changed it as long as you learn through the ego.
 これは、神が創造したままの心が不変のものであることと少しも矛盾しません。しかし、あなたがエゴを通して学ぶかぎりは、あなたは自分が自分の心を変えたように思うことになります。

 This places you in a position of needing to learn a lesson that seems contradictory;--you must learn to change your mind about your mind.
 このことが、矛盾するように思えるレッスンを学ぶことを要する立場にあなたを置くことになります。すなわち、あなたは、自分の心についての自分の心を変えることを学ばなければならないのです。

 Only by this can you learn that it is changeless.
 こうすることによってのみ、あなたは自分の心が不変であると学ぶことができるのです。

名称未設定

8. When you heal, that is exactly what you are learning.
 あなたが癒すとき、あなたはまさにこのことを学んでいるのです。

 You are recognizing the changeless mind in your brother by realizing that he could not have changed his mind.
 あなたは、兄弟には彼自身の心を変えることなどできなかったのだと理解することによって、その兄弟の中にある不変の心に気づいてゆきます。

 That is how you perceive the Holy Spirit in him.
 これが、あなたがその兄弟の中に聖霊を知覚する方法です。

 It is only the Holy Spirit in him that never changes his Mind.
 兄弟の中にいる聖霊だけは、決して自らの心を変えることがないからです。

 He himself may think he can, or he would not perceive himself as sick.
 その兄弟自身は、自分には心を変えることができると思っているはずです。そうでなければ、彼は自分を病気だと知覚したりしなかったはずです。

 He therefore does not know what his Self is.
 つまり、彼は自分の真の自己が何なのか知らないのです。

 If you see only the changeless in him you have not really changed him.
 もしあなたがその兄弟の内に不変なるものだけを見るとしても、あなたは実際には彼を変えたわけではありません。

 By changing your mind about his for him, you help him undo the change his ego thinks it has made in him.
 彼に代わって、彼の心についてのあなたの心を変えることによって、あなたは、彼のエゴが彼の中に作り出したと思っている変化を彼が取り消す手助けをするのです。



9. As you can hear two voices, so you can see in two ways.
 あなたはふたつの声を聞くことができるので、あなたは二通りの見方ができます。

 One way shows you an image, or an idol that you may worship out of fear, but will never love.
 一方の見方は、あなたにあるイメージ、すなわち、あなたが恐怖心から崇拝することはあっても、決して愛することのない偶像を見せます。

 The other shows you only truth, which you will love because you will understand it.
 もう一方の見方は、あなたに真理だけを見せます。その真理をあなたは理解するようになるので、あなたは真理を愛するようになります。

 Understanding is appreciation, because what you understand you can identify with, and by making it part of you, you have accepted it with love.
 理解することは真価を認めて感謝することだからです。すなわち、あなたは自分に理解できるものと共鳴して自らをそれと一体化し、それを自分の一部とすることによって、あなたはそれを愛をもって受け入れたことになるわけです。

 That is how God himself created you; in understanding, in appreciation and in love.
 このようにして、神はあなたを創造したのです。つまり、あなたを理解し、真価を認めて感謝し、愛するという方法であなたを創造したのです。

 The ego is totally unable to understand this, because it does not understand what it makes, does not appreciate it and does not love it.
 エゴには、このことがまったく理解できません。なぜなら、エゴは自らが作り出すもののことを理解しないし、その真価を認めることもないし、それを愛することもないからです。

 It incorporates to take away.
 エゴが何かと一体化するのは、それを奪い取るためです。

 It literally believes that every time it deprives someone of something, it has increased.
 エゴは本当に、自分が誰かから何かを奪うたびに自らが増大したものと信じます。

 I have spoken often of the increase of the Kingdom by your creations, which can only be created as you were.
 私は、あなたの創造するものたちによって王国が増大すると何回も述べてきました。あなたの創造するものたちは、ただあなたが創造されたようにしか創造されえないものです。

 The whole glory and perfect joy that is the Kingdom lies in you to give.
 完全なる栄光と完璧な喜びこそ、まさに王国そのものであり、それはあなたの中で与えられるのを待っています。

 Do you not want to give it?
 あなたはそれを与えたいとは思わないでしょうか。

名称未設定

10. You cannot forget the Father because I am with you, and I cannot forget him.
 あなたには大いなる父を忘れることなどできません。なぜなら、私があなたと一緒におり、この私が大いなる父を忘れるはずがないからです。

 To forget me is to forget yourself and him who created you.
 私を忘れることは、あなた自身を忘れ、そして、あなたを創造してくれた大いなる父を忘れることです。

 Our brothers are forgetful.
 私たちの兄弟たちは記憶喪失に陥っているのです。

 That is why they need your remembrance of me and of him Who created me.
 だから、兄弟たちに必要なのは、あなたが私を思い出して私を創造した大いなる父を思い出すことなのです。

 Through this remembrance, you can change their minds about themselves, as I can change yours.
 このようにあなたが私と父を思い出すことによって、私があなたのあなた自身についての心を変えることができるのと同じように、あなたは兄弟たちの彼ら自身についての心を変えることができるからです。

 Your mind is so powerful a light that you can look into theirs and enlighten them, as I can enlighten yours.
 あなたの心は非常に強力な光なので、私があなたの心を光で満たして啓発できるように、あなたは兄弟たちの心の中を見通して、兄弟たちの心を光で啓発できます。

 I do want to share my mind with you because we are of one Mind, and that Mind is ours.
 私は本当に、あなたと自分の心を分かち合いたいと思っています。なぜなら、私たちはひとつの大いなる心に属しており、その大いなる心こそが私たちのものだからです。

 See only this Mind everywhere, because only this is everywhere and in everything.
 ただこの大いなる心だけをあらゆるところに見てください。なぜなら、この大いなる心だけがどこにでも遍在し、万物の中にあるものだからです。

 It is everything because it encompasses all things within itself.
 大いなる心こそがすべてです。なぜなら、大いなる心は、それ自体の内にあらゆるものを包みこんでいるからです。

 Blessed are you who perceive only this, because you perceive only what is true.
 すべてを内包するこの大いなる心だけを知覚するあなたは、祝福されています。なぜなら、あなたは真実のみを知覚しているからです。



11. Come therefore unto me, and learn of the truth in you.
 それゆえ、私の許に来て、あなたの中にある真理を学んでください。

 The mind we share is shared by all our brothers, and as we see them truly they will be healed.
 私たちが共有する心は、私たちの兄弟たちみんなによって分かち合われているので、私たちがその兄弟たちを正しく見るなら、彼らは癒されるでしょう。

 Let your mind shine with mine upon their minds, and by our gratitude to them make them aware of the light in them.
 あなたの心を私の心と一緒に輝かせて、兄弟たちの心を照らしなさい。そして、私たちで兄弟たちの真価を認めて彼らに感謝することによって、彼らが自分の中にある光に気づくことができるようにしましょう。

 This light will shine back upon you and on the whole Sonship, because this is your proper gift to God.
 そのとき、この兄弟たちの中にある光が、あなたと神の子全体を照らし返してくれるでしょう。なぜなら、これこそ、あなたが神に捧げるにふさわしい贈り物だからです。

 He will accept it and give it to the Sonship, because it is acceptable to him and therefore to his sons.
 神は、そのあなたからの贈り物を受け入れたうえで、それを神の子全体へと与えてくれるでしょう。なぜなら、それは神自身にふさわしい価値あるものなので、神の子たちにもふさわしい価値あるものだからです。

 This is true communion with the Holy Spirit, Who sees the altar of God in everyone, and by bringing it to your appreciation, he calls upon you to love God and his creation.
 これこそが聖霊との真の聖餐です。聖霊は、神の子みんなの中に神の祭壇を見て、あなたがその真価を認められるようにすることによって、神と神が創造したものを愛するようにとあなたに呼びかけています。

 You can appreciate the Sonship only as one.
 あなたには、神の子全体をただひとつのものとしてしか、その真価を認めることができません。

 This is part of the law of creation, and therefore governs all thought.
 神の子をただひとつのものとして正しく認めることこそ、創造の法の欠かせない要素であり、したがって、すべての思考を支配するものなのです。


名称未設定



次

関連記事
 image (1) image (1) (1) image (3) image (4)

It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

コメント0件

コメントはまだありません
未分類 (10)
奇跡のコース (10)
書籍 (3)
朗読 (0)
映画 (2)
アフォリズム (11)
教材 (1)
ネット (1)
テキスト (262)
┣  テキスト第1章(奇跡の意味) (7)
┣  テキスト第2章(分離と贖罪) (8)
┣  テキスト第3章(潔白な知覚) (7)
┣  テキスト第4章(エゴという幻想) (8)
┣  テキスト第5章(癒しと完全性) (8)
┣  テキスト第6章(愛のレッスン) (8)
┣  テキスト第7章(王国の贈り物) (11)
┣  テキスト第8章(戻りの旅路) (9)
┣  テキスト第9章(贖罪の受容) (8)
┣  テキスト第10章(病の偶像) (6)
┣  テキスト第11章(神かエゴか) (9)
┣  テキスト第12章(聖霊のカリキュラム) (8)
┣  テキスト第13章(罪なき世界) (12)
┣  テキスト第14章(真理のための教え) (11)
┣  テキスト第15章(神聖な瞬間) (11)
┣  テキスト第16章(幻想を赦す) (7)
┣  テキスト第17章(赦しと神聖な関係) (8)
┣  テキスト第18章(夢の消滅) (9)
┣  テキスト第19章(平安の達成) (9)
┣  テキスト第20章(神聖さのヴィジョン) (8)
┣  テキスト第21章(理性と知覚) (9)
┣  テキスト第22章(救いと神聖な関係) (7)
┣  テキスト第23章(自分自身との戦い) (5)
┣  テキスト第24章(特別であるという目標) (8)
┣  テキスト第25章(神の正義) (9)
┣  テキスト第26章(移行) (10)
┣  テキスト第27章(夢を癒す) (8)
┣  テキスト第28章(恐れを取り消す) (7)
┣  テキスト第29章(目覚め) (9)
┣  テキスト第30章(新たなる始まり) (8)
┗  テキスト第31章(最後のヴィジョン) (8)
ワークブック・パート① (237)
┣  レッスン1〜10 (11)
┣  レッスン11〜20 (10)
┣  レッスン21〜30 (10)
┣  レッスン31〜40 (10)
┣  レッスン41〜50 (10)
┣  レッスン51〜60 (11)
┣  レッスン61〜70 (10)
┣  レッスン71〜80 (10)
┣  レッスン81〜90 (11)
┣  レッスン91〜100 (10)
┣  レッスン101〜110 (10)
┣  レッスン111〜120 (11)
┣  レッスン121〜130 (10)
┣  レッスン131〜140 (10)
┣  レッスン141〜150 (11)
┣  レッスン151〜160 (10)
┣  レッスン161〜170 (10)
┣  レッスン171〜180 (11)
┣  レッスン181〜190 (11)
┣  レッスン191〜200 (10)
┣  レッスン201〜210 (11)
┗  レッスン211〜220 (10)
ワークブック・パート② (159)
┣  ワークブック・パート②特別解説 (16)
┣  レッスン221〜230 (10)
┣  レッスン231〜240 (10)
┣  レッスン241〜250 (10)
┣  レッスン251〜260 (10)
┣  レッスン261〜270 (10)
┣  レッスン271〜280 (10)
┣  レッスン281〜290 (10)
┣  レッスン291〜300 (10)
┣  レッスン301〜310 (10)
┣  レッスン311〜320 (10)
┣  レッスン321〜330 (10)
┣  レッスン331〜340 (10)
┣  レッスン341〜350 (10)
┣  レッスン351〜360 (10)
┗  レッスン361〜365 (3)
マニュアル (42)
┣  マニュアル1~3 (4)
┣  マニュアル4 (10)
┣  マニュアル5~10 (6)
┣  マニュアル11~20 (9)
┗  マニュアル21~30 (10)
心理療法 (13)
┣  心理療法 第1章 (2)
┣  心理療法 第2章 (8)
┗  心理療法 第3章 (3)
用語解説 (8)
祈りの歌 (15)
┣  祈りの歌 第1章 (7)
┣  祈りの歌 第2章 (4)
┗  祈りの歌 第3章 (4)