T4-6 神からのご褒美
相手を説得するために、正論など持ち出してはいけない。
相手にどのような利益があるかを話すだけでいい。

ベンジャミン・フランクリン

今回はテキスト第四章から「神からの報い」という一節をご紹介します。
エゴの支配は私たちの側の忠誠心に依存している
1.「Only your allegiance to it gives the ego any power over you.
エゴに少しでもあなたを支配する力を与えているものがあるとすれば、それはただ、あなたのエゴに対する忠誠心だけです。」
これは、私たちは、寄生虫やウィルスのように、エゴに取り憑かれて逃れようにも逃れられないというわけではなく、私たちが自分からエゴを客として迎え入れて大事にしていることによって、エゴは私たちに支配力を及ぼすことができているということです。
利己的な行動に出ようとする際には必ず聖霊の3大レッスンにより兄弟への恩義を思い出す
本節では、私たちがエゴに従って利己的な行動をとろうとするときにつねに忘れてはならないことは、兄弟に対して自分が負う恩義、つまり、イェシュアに対して自分が負う恩義を思い出すことが肝心だということが述べられます。
兄弟からの攻撃や自分を怒らせるような言動に対して、私たちは、反撃や怒りで反応して、この反応は物理法則の作用・反作用の法則と同じくらい当然で正しい反応だと信じ込んでいます。
けれど、この反応は自然な反応でもなければ、正しい反応でもありません。
他者の非難・攻撃に怒りと攻撃で反応するのは、エゴに従うことによって知覚している錯覚に基盤を置く不自然で間違った反応です。
聖霊に従う知覚では、兄弟の攻撃は、私たちに助けと愛を求める哀訴であり、攻撃が私たちの本質を少しでも傷つけることはないのだから、兄弟に自分が傷ついたことを示して罪悪感を抱かせるのではなく、微塵も傷ついていないことを示して彼が潔白だとわからせてやるのが正しいリアクションであり、私たちを怒らせる言動は、私たちに裁きの剣を振り下ろすか背けるかを迫って、聖霊に従って相手と自分を一緒に解放するチャンスを与えてくれているものと知覚されることになります。
したがって、兄弟の攻撃には自分が傷ついていないことを示して、愛による助けで応え、自分を怒らせる兄弟のことを自分の救い主として対応するのが正しいリアクションとなります。
自分の救いのよすがである兄弟に対して自分勝手に敵とみなして自分の負わされた傷を思い知らせて罪悪感を抱かせようと非難し攻撃することで、私たちは、自分の本質を見失い、兄弟に負う恩義への感謝どころか呪いを返しているわけです。
恩義への感謝を忘れずに兄弟に応じるなら、知覚がエゴの不浄さに穢されずに、清浄で正確なものになります。

エゴを卑しめたり、抑制したり、懲らしめたりすることによっては、エゴから逃れられない
3.「The fact that you believe you must escape from the ego shows this; but you cannot escape from the ego by humbling it or controlling it or punishing it.
あなたが自分はエゴから逃れなければならないと信じている事実そのものが、あなたが自分とエゴが同一ではないと真に確信しているわけではないことを物語っています。ただし、あなたは、エゴを卑しめたり、抑制したり、懲らしめたりすることによっては、エゴから逃れることはできません。」
エゴはダメよと言われ続けると、私たちはどうしても、エゴを敵視してエゴと戦って打ち倒したり、少なくともエゴから逃れなければならないと思いがちです。
影であるエゴに正しく光を当てられているかは気分で判定できる
けれど、エゴとは実在するものではなく影にすぎないのだから、エゴを敵視する対応は、エゴが本当にあることを当然とみなすスタンスであり、むしろ、幻でしかない無を実在する現実に格上げして、エゴを支援することだということがわかります。
なすべきことは、影ができていることに気づいて、自分の立ち位置が間違っていると認識して、正しい立ち位置に修正するフィードバック作業をすることによって影ができないようにすることだけです。
5.「I am teaching you to associate misery with the ego and joy with the spirit.
私はあなたに、惨めさをエゴと結びつけ、喜びを霊と結びつけて考えることを教えようとしているのです。」
T4-4 そうである必要はないでも出てきましたが、私たちの感情、幸せを感じているか惨めな気分かが私たちがエゴという影を作り出しているかどうかを判定する指標となり、監視する基準となります。
自分がいい気分でいる、ごきげんな状態にないとしたら、エゴ・身体に束縛されていると思って間違いないわけです。
イェシュアの信任に誠実に応える
6.「You are asked to live so as to demonstrate that you are not an ego, and I do not choose God's channels wrongly.
あなたは、自分がエゴではないと実証するために生きよ、と求められています。そして、私が神の使者となる者を間違って選ぶことはありえません。
・・・
My chosen channels cannot fail, because I will lend them my strength as long as theirs is wanting.
私が選んだ神の使者たちが失敗するはずがありません。なぜなら、彼らの力が足りないかぎりは、いつでも彼らに力を貸す用意が私にはできているからです。」
少し前の節でも、イェシュアが私たちを神の使者として選んだことは間違いではないということが述べられました。
「Yours may be so distorted that you believe I was mistaken in choosing you.
あなたの価値判断は、私があなたを選んだことが間違いだったとあなたが信じてしまうほど、ひどく歪んでしまっているかもしれません。
I assure you this is a mistake of your ego.
しかし、そう信じることこそ、あなたのエゴの間違いであることを私はあなたに請け合います。」(T4-4 そうである必要はない 1.)
こうして奇跡のコースに接している私たちは、神の使者となる尊い機会をイェシュアに与えてもらっているのであり、イェシュアの選択が間違っていないのだとしたら、神の使者としての役目を果たせないのは、私たちにそれを受け入れる意欲がないためでしかないということになります。
いつもの通り、そんな大それた役目を自分が担うなんておこがましいというのは謙虚であるどころか、神とイェシュアの価値判断が間違っていると自分の狭い了見で独り決めして、せっかく託された任務を突き返す背信行為であり、傲慢きわまる冒涜だということを理解しなければなりません。
イェシュアからの信任に誠実に応えられるようになりたいものです。
このイェシュアの求めを大それた身に余る務めであると思うということは、自分をエゴと同一視していなければ出てきようのない発想です。
イェシュアの言葉
もう一度、イェシュアの言葉を引用します。
6.「You are asked to live so as to demonstrate that you are not an ego, and I do not choose God's channels wrongly.
あなたは、自分がエゴではないと実証するために生きよ、と求められています。そして、私が神の使者となる者を間違って選ぶことはありえません。」
7.「If you are grateful to your brother, you are grateful to God for what he created.
もしあなたが兄弟に感謝するなら、あなたは神が創造したものについて神に感謝を捧げることになります。
Through your gratitude you come to know your brother, and one moment of real recognition makes everyone your brother because each of them is of your Father.
あなたは感謝の念を抱くことを通じて、自分の兄弟を知るようになります。そして、彼らはひとり残らずみなあなたの大いなる父に属する者なのだから、あなたが一瞬でも本当にそう認めるなら、その認識によって万人があなたの兄弟となります。」

テキスト第四章
VI. The Rewards of God
六 神からの報い
1. The ego does not recognize the real source of "threat," and if you associate yourself with the ego, you do not understand the situation as it is.
エゴは「脅威」の真の源泉が何なのかわかっていません。だから、もしあなたが自分自身をエゴと結びつけるなら、あなたは状況をありのままに理解することはできません。
Only your allegiance to it gives the ego any power over you.
エゴに少しでもあなたを支配する力を与えているものがあるとすれば、それはただ、あなたのエゴに対する忠誠心だけです。
I have spoken of the ego as if it were a separate thing, acting on its own.
これまで私はエゴのことを、まるでそれ自体で独自に行動する、あなたから分離した存在であるかのように語ってきました。
This was necessary to persuade you that you cannot dismiss it lightly, and must realize how much of your thinking is ego-directed.
これは、あなたにはそう簡単にエゴを心から追放することはできないこと、そして、自分の思考がいかにエゴに支配されているか理解しなければならないことを、あなたに納得してもらうために必要だったからです。
We cannot safely let it go at that, however, or you will regard yourself as necessarily conflicted as long as you are here, or as long as you believe that you are here.
もっとも、ただそれだけで何もせずにエゴをそのまま野放しにしておけるはずがありません。そのまま放っておくと、あなたがここにいるかぎり、正確には、自分がこの世界にいるとあなたが信じているかぎり、あなたは自分自身のことを矛盾して葛藤を抱えるのもやむをえない存在だとみなしてしまうでしょう。
The ego is nothing more than a part of your belief about yourself.
エゴとは、単に、あなたが自分自身について抱く信念の一部でしかありません。
Your other life has continued without interruption, and has been and always will be totally unaffected by your attempts to dissociate it.
エゴという信念とは別のあなたの生命は途切れることなく続いてきたし、これまであなたがそれを自分から切り離そうとしてもまったく影響されなかったし、これからもずっと影響されることはありません。
2. In learning to escape from illusions, your debt to your brother is something you must never forget.
幻想から脱することを学ぶうえで、あなたが絶対に忘れてはならないことがあります。それは、あなたが自分の兄弟に負う恩義です。
It is the same debt that you owe to me.
それは、あなたが私に対して負う恩義と同じものです。
Whenever you act egotistically towards another, you are throwing away the graciousness of your indebtedness and the holy perception it would produce.
あなたが利己的になって誰かに対してわがままな振る舞いをするときはいつでも、あなたは、自分が兄弟に負っている恩義への報いだけでなく、その恩義に感謝の念を抱くことで生まれていたはずの神聖な知覚までをも投げ捨ててしまっているのです。
The term "holy" can be used here because, as you learn how much you are indebted to the whole sonship, which includes me, you come as close to knowledge as perception can.
ここで「神聖」という言葉を用いるのがふさわしい理由は、私を含めた神の子全体に対してあなたがどれほどたくさん負うところがあるか学ぶにつれて、あなたは知覚が接近できる限界まで知識に近づくことになるからです。
The gap is then so small that knowledge can easily flow across it and obliterate it forever.
そのとき、知識と知覚の間の隔たりはほんのわずかでしかなくなるので、知識は容易にその隔たりを横切って流れ渡り、そんな隔たりを永久に消し去らせることができます。

3. You have very little trust in me as yet, but it will increase as you turn more and more often to me instead of to your ego for guidance.
今のところはまだ、あなたは私のことをほとんど信頼してくれてはいません。しかし、あなたが、エゴに導きを求める代わりに、より頻繁に私に導きを求めてくれるようになれば、徐々に、あなたの私への信頼は増してゆくはずです。
The results will convince you increasingly that this choice is the only sane one you can make.
私の導きの結果によって、ますますあなたは、私に指導を仰ぐことを選ぶことが自分にできる唯一の正気の選択なのだと確信するでしょう。
No one who learns from experience that one choice brings peace and joy while another brings chaos and disaster needs additional convincing.
誰であろうと、自らの経験によって、ある選択が安らぎと喜びをもたらし、別の選択が混乱と惨事をもたらすと学んだ者に対しては、それ以上の説得など無用です。
Learning through rewards is more effective than learning through pain, because pain is an ego illusion, and can never induce more than a temporary effect.
報奨を通して学ぶほうが苦痛を通して学ぶよりも、ずっと効果的なのです。なぜなら、苦痛はエゴの錯覚であって、決して一時的な効果以上のものを引き出すことはできないからです。
The rewards of God, however, are immediately recognized as eternal.
しかしながら、神からの褒美は永遠のものだとすぐに認識できます。
Since this recognition is made by you and not the ego, the recognition itself establishes that you and your ego cannot be identical.
この認識は、あなたによってなされるのであって、エゴによってなされるのではありません。だから、この認識それ自体が、あなたとあなたのエゴが同一のものであるはずがないことを裏書きしています。
You may believe that you have already accepted this difference, but you are by no means convinced as yet.
あなたは、自分はこの相違をすでに理解していると信じているかもしれません。しかし、まだあなたは決して、あなたとあなたのエゴが同一ではないことを真に確信してはいません。
The fact that you believe you must escape from the ego shows this; but you cannot escape from the ego by humbling it or controlling it or punishing it.
あなたが自分はエゴから逃れなければならないと信じている事実そのものが、あなたが自分とエゴが同一ではないと真に確信しているわけではないことを物語っています。ただし、あなたは、エゴを卑しめたり、抑えつけたり、懲らしめたりすることによっては、エゴから逃れることはできません。
4. The ego and the spirit do not know each other.
エゴと霊とは、お互いのことを知りません。
The separated mind cannot maintain the separation except by dissociating.
分離した心は、解離することによってしか分離状態を維持できません。
Having done this, it denies all truly natural impulses, not because the ego is a separate thing, but because you want to believe that you are.
解離すると、分離した心は本当に自然に湧き起こるあらゆる衝動を否認するようになります。それはエゴが分離した存在だからではなくて、自分は分離した存在だと信じたいとあなたが望むからです。
The ego is a device for maintaining this belief, but it is still only your decision to use the device that enables it to endure.
エゴは、この自分たちは分離した存在だという信仰を維持するためのからくり仕掛けなのです。しかし、この信仰を持ちこたえさせるのは、それでもなお、エゴという仕掛けを使おうとするあなたの決心だけです。

5. How can you teach someone the value of something he has deliberately thrown away?
誰かが故意に何かを投げ捨てたとき、あなたはどのようにすれば、その人に彼が放棄したものに価値があることを教えることができるでしょうか。
He must have thrown it away because he did not value it.
その人は、その何かに価値を認めなかったからこそ、それを投げ捨てたに違いありません。
You can only show him how miserable he is without it, and slowly bring it nearer so he can learn how his misery lessens as he approaches it.
あなたにできるのは、ただ彼にその何かがないと彼がどんなに惨めかを示して、それから、その何かに近づくにつれて自分の惨めな気持ちがどれほど和らぐか彼が学べるように、ゆっくりと、その何かを彼の近くに持ってゆくことだけです。
This teaches him to associate his misery with its absence, and the opposite of misery with its presence.
こうすることで、彼は自分の惨めさとその何かが無いことを結びつけ、また惨めでないことをその何かが有ることと結びつけて考えることを学ぶようになります。
It gradually becomes desirable as he changes his mind about its worth.
彼がその何かの価値について自分の心を変えるにつれて、その何かは次第に望ましいものになってゆきます。
I am teaching you to associate misery with the ego and joy with the spirit.
私はあなたに、惨めさをエゴと結びつけ、喜びを霊と結びつけて考えることを教えようとしているのです。
You have taught yourself the opposite.
それは、あなたが自分自身に、これとは正反対のことを教えてきたからです。
You are still free to choose, but can you really want the rewards of the ego in the presence of the rewards of God?
今でも、どちらを選ぶのかはあなたの自由ですが、神からの褒美を目の前にしながら、あなたは本当にエゴが見返りに差し出す報酬を望むことなどできるでしょうか。
6. My trust in you is greater than yours in me at the moment, but it will not always be that way.
今のところはまだ、あなたは、私があなたを信頼しているほど深い信頼を私に置くことができてはいません。しかし、いつまでも、そのままというわけではありません。
Your mission is very simple.
あなたの使命は実にシンプルなものです。
You are asked to live so as to demonstrate that you are not an ego, and I do not choose God's channels wrongly.
あなたは、自分がエゴではないと実証するために生きよ、と求められています。そして、私が神の使者となる者を間違って選ぶことはありえません。
The Holy One shares my trust, and accepts my Atonement decisions because my will is never out of accord with his.
聖なる存在である神は、私の信頼を分かち合い、そして、贖罪を果たすという私の決断を受け入れてくれています。なぜなら、私の意図することが神の意図と一致しないことなど絶対にありえないからです。
I have said before that I am in charge of the Atonement.
以前に述べたように、私こそが贖罪を担う責任者です。
This is only because I completed my part in it as a man, and can now complete it through others.
私が贖罪を担うのはひとえに、私が贖罪において自らの果たすべき役割をひとりの人間として完了しているので、今度はほかの者たちを通して贖罪を完了させることができるからです。
My chosen channels cannot fail, because I will lend them my strength as long as theirs is wanting.
私が選んだ神の使者が失敗するはずがありません。なぜなら、彼らの力が足りないかぎりは、いつでも彼らに力を貸す用意が私にはできているからです。

7. I will go with you to the Holy One, and through my perception he can bridge the little gap.
聖なる存在である神の下へと、私はあなたと一緒に行くつもりです。そうすれば、神は私の知覚を通してわずかな隔たりに橋を架けることができます。
Your gratitude to your brother is the only gift I want.
私が求める唯一の贈り物は、あなたの兄弟に対するあなたの感謝の念だけです。
I will bring it to God for you, knowing that to know your brother is to know God.
私は、あなたに代わって兄弟へのあなたの感謝の念を神の下へと届けましょう。というのも、私は、あなたの兄弟を知ることこそが神を知ることなのだとわかっているからです。
Love does not conquer all things, but it does set all things right.
愛は万物を征服するわけではありません。しかし、愛が万物を収まるところに収まらせるのは確かです。
Because you are the Kingdom of God I can lead you back to your own creations.
あなたこそが神の王国なので、私はあなたを導いて、あなた自身が創造したものたちの許へと連れ戻すことができます。
You do not recognize them now, but what has been dissociated is still there.
今のところ、あなたは自分が創造したものたちのことを認識していません。しかし、解離されていたものは、依然として、そのままそこにあるのです。
8. As you come closer to a brother you approach me, and as you withdraw from him I become distant to you.
あなたが兄弟に近づくとき、あなたは私に近づきます。そして、あなたが兄弟から離れるとき、私とあなたの間の距離は開きます。
Salvation is a collaborative venture.
救済とは、私たち神の子全体でなす共同事業です。
It cannot be undertaken successfully by those who disengage themselves from the Sonship, because they are disengaging themselves from me.
神の子全体から自分を引き離して絶縁している者たちには、つつがなく救済に取り組むことができません。なぜなら、彼らは、自分自身を私から切り離してしまっているからです。
God will come to you only as you will give him to your brothers.
あなたが兄弟たちに神を差し延べようとするときにだけ、神はあなたの許に訪れてくれます。
Learn first of them and you will be ready to hear God.
まず兄弟たちから学びなさい。そうすれば、あなたには神に耳を傾ける準備が整うはずです。
That is because the function of love is one.
その理由は、愛の働きはひとつにすることだからです。

