T5-7 神を選ぶ
But your forgiveness is done here, which means you should be practical — and respectful of other people and their experience.
しかし、あなたの赦しはここでなされるのだ。それが意味するのは、あなたは実践的であらねばならない、つまり、ほかの人々を敬い、彼らの存在に敬意を払うべきということだ。
In other words, when you’re living your everyday life, be kind.
言い換えれば、あなたは自分の日常を生きるに際し、優しくあらねばならないのだ。
Your job isn’t to correct others.
あなたのなすべきことは、他者を矯正することではない。
Just help the Holy Spirit clean up your wrong mind by switching to your right mind, and then leave the rest to Him.
ただ聖霊が、正しい心に切り替えることによってあなたの誤った心を浄化する手助けをするだけにして、その先は、聖霊に任せるのだ。

Gary R. Renard, The Disappearance of the Universe: Straight Talk about Illusions
ゲイリー・レナード

今回は「神を選ぶという決断」をご紹介します。
本来の状態は喜びに満ちた幸せな状態
神を選ぶ決断は、聖霊を選ぶ決断です。
神の子である私たちの本来の自然な状態は喜びに満ち溢れた幸せな状態です。
「If fear and love cannot coexist, and if it is impossible to be wholly fearful and remain alive, the only possible whole state is that of love.
もし恐れと愛が共存できないとすれば、そして、もし完全に恐怖に慄きながら生きながらえることが不可能だとすれば、唯一ありうる完全な状態とは愛に満ち溢れた状態だけです。
There is no difference between love and joy.
愛と喜びの間には、何の違いもありません。
Therefore, the only possible whole state is the wholly joyous.
それゆえ、唯一ありうる完全な状態とは、完全に喜びに満ち溢れた状態だけです。」(T5-intro 癒しと全体性、2.)
兄弟への愛に欠ける対応をする決断を取り消す必要がある
なので、私たちが幸せでない状態にあるとすれば、それは、私たちが神の子である兄弟の誰かに対して愛に欠ける対応をし、そのために、私たちがそのことを自分が罪を犯したものと知覚して、報復を恐れて防衛体制をとっているせいです。

しかし、兄弟に対して愛に欠ける対応をする決断をしたのは私たちなので、私たちには、この決断を取り消すことができます。
ただし、これを通常の意味で言う悔い改めるという方法で行うのは、自分が罪を犯した事実を真実だとみなすことであり、罪悪感を伴い、かえって誤りを強化するので、違う方法が必要です。
通常の悔い改める方法ではなく、誤りを聖霊に引き渡すという方法
間違った決断を取り消すための第一歩は、自分は積極的に間違った決断をしてしまったけれど、同じように積極的に反対の決断もできると認めることです。
私たちがなすべきことは、ただ自分の思考を誤りが生じた時点にまで巻き戻し、心安らかに誤りを贖罪に引き渡すことだけです。
ほんのささやかな招きにも聖霊は十分に応えてくれることを忘れず、真摯に次のように言うだけです。
「I must have decided wrongly, because I am not at peace.
私は、間違った決断をしてしまったに違いない。なぜなら、私は心の平安を失っているからだ。
I made the decision myself, but I can also decide otherwise.
私は、自分自身でそんな決断をしたが、私にはそれとは違う決断をすることもできる。
I want to decide otherwise, because I want to be at peace.
私は別の決断をしたいと望む。なぜなら、私は心の安らぎを得たいからだ。
I do not feel guilty, because the Holy Spirit will undo all the consequences of my wrong decision if I will let him.
私は罪悪感を持たないことにする。なぜなら、もし私が聖霊に任せさえすれば、聖霊が私の間違った決断のために生じる成り行きと結果のすべてを取り消してくれるからだ。
I choose to let him, by allowing him to decide for God for me.
聖霊が私に代わって神を選択することを容認することによって、私は聖霊に自分の間違った決断の結果を取り消してもらうことを選択する。」

テキスト第五章
VII. The Decision for God
七 神を選ぶという決断
1. Do you really believe you can make a voice that can drown out God's?
あなたは本当に、自分には神の声をかき消すことができる声を作り出せると信じているのでしょうか。
Do you really believe you can devise a thought system that can separate you from him?
あなたは本当に、自分には自らを神から分離させることができる思考システムを考え出せると信じているのでしょうか。
Do you really believe you can plan for your safety and joy better than he can?
あなたは本当に、自分には自らの安全と喜びのために神が計画できる以上にうまく計画を立てられると信じているのでしょうか。
You need be neither careful nor careless; you need merely cast your cares upon him because he careth for you.
あなたは、注意深くある必要もなければ、無関心である必要もありません。あなたは単に、自分の心配事を神に委ねるだけでよいのです。なぜなら、神はあなたのことを気にかけてくれているからです。
You are his care because he loves you.
神はあなたを愛しているので、あなたは神の加護の下にあります。
His voice reminds you always that all hope is yours because of his care.
神の声はつねに、神の加護を受けているがゆえに、どんな望みでもあなたのものになると、あなたに思い出させてくれます。
You cannot choose to escape his care because that is not his will, but you can choose to accept his care and use the infinite power of his care for all those he created by it.
あなたには、神の加護を免れる選択はできません。なぜなら、そんなことは神の意志ではないからです。しかし、あなたは、神の加護を受け入れて、神がその力によって創造したすべての者たちのために、神の加護に伴う無限の力を使うことを選択できます。
2. There have been many healers who did not heal themselves.
自分自身を癒すことのできなかった治療者はこれまで大勢いました。
They have not moved mountains by their faith because their faith was not whole.
そのような治療者たちの信念は完全ではなかったので、彼らは自らの信念によって山を動かすことはありませんでした。
Some of them have healed the sick at times, but they have not raised the dead.
治療者の中には、ときには病人を癒した者が幾人かはいました。しかし、彼らも死者をよみがえらせることはありませんでした。
Unless the healer heals himself, he cannot believe that there is no order of difficulty in miracles.
治療者が自分自身を癒していないかぎり、彼には、奇跡に難しさの程度がないと信じることができないからです。
He has not learned that every mind God created is equally worthy of being healed because God created it whole.
自らを癒していない治療者はまだ、神の創造した心はどれもみな、神がすべての心を完全に創造したがゆえに平等に癒されるに値することを学んではいないのです。
You are merely asked to return to God the mind as he created it.
あなたは単に、神が創造したままの状態で心を神に返すように求められているだけです。
He asks you only for what he gave, knowing that this giving will heal you.
神があなたに神の授けたものだけを捧げるよう求めているのは、神に創造されたままの状態で心を神の下に戻すことであなたが癒されることが神にはわかっているからです。
Sanity is wholeness, and the sanity of your brothers is yours.
正気とは全体が完全であることをいいます。だから、あなたの兄弟たちが正気になることで、あなたは正気を取り戻すのです。

3. Why should you listen to the endless insane calls you think are made upon you, when you can know the voice for God is in you?
あなたは神を代弁する声が自分の中にあると知ることができるというのに、なぜ、そのあなたが自分を呼んでいるように思える絶え間のない狂気の呼びかけになど耳を貸さなければならないのでしょうか。
God commended his spirit to you, and asks that you commend yours to him.
神は自らの霊をあなたに託し、あなたにも、あなたの霊を神に委ねるようにと求めています。
He wills to keep it in perfect peace, because you are of one mind and spirit with him.
神は、あなたの霊を完璧な平安のうちに保つことを意図しています。なぜなら、あなたは神とひとつの心と霊を持っているからです。
Excluding yourself from the Atonement is the ego's last-ditch defense of its own existence.
エゴは自らの存亡をかけた土壇場の防衛として、あなたが贖罪を受け入れないようにします。
It reflects both the ego's need to separate, and your willingness to side with its separateness.
これが表しているのれは、エゴが分離を必要としていることと、あなたがエゴの分離状態の側に加担する意欲を持っていることの両方です。
This willingness means that you do not want to be healed.
あなたが分離に肩入れする気になることは、あなたが癒されたくないと思っていることを意味します。
4. But the time is now.
しかし、今こそ、あなたの霊を神に委ねる時です。
You have not been asked to work out the plan of salvation yourself because, as I told you before, the remedy could not be of your making.
あなたは、自分で救済の計画を立てるように求められているわけではありません。なぜなら、私が前に述べたように、救済策はあなたが作り出すものではありえないからです。
God himself gave you the perfect correction for everything you made that is not in accord with his holy will.
神は自ら、あなたの作り出した神の神聖な意志に調和しないすべてのものに対する完璧な修正者をあなたに授けてくれました。
I am making his plan perfectly explicit to you, and will also tell you of your part in it, and how urgent it is to fulfill it.
私は、あなたに神の計画を完全に明らかにするだけでなく、その計画においてあなたが欠かせない役割を担っていることを示して、あなたがその役割を果たすことがどんなに喫緊の課題かについても告げるつもりです。
God weeps at the "sacrifice" of his children who believe they are lost to him.
神は、神の子供たちが、自分が神に見捨てられていると信じこんで「犠牲」になっていることを悲しんでいます。

5. Whenever you are not wholly joyous, it is because you have reacted with a lack of love to one of God's creations.
あなたが完全な喜びに満ち溢れていないときがあるとすれば、それはつねに、神の創造物のうちの誰かに対して、あなたが愛に欠ける対応をしたからです。
Perceiving this as "sin" you become defensive because you expect attack.
この愛に欠ける振る舞いを「罪」として知覚するので、あなたは攻撃されることを予期して防衛態勢を取ってしまいます。
The decision to react in this way is yours, and can therefore be undone.
しかし、愛に欠ける対応をすることに決めたのはあなたなのだから、あなたはこの決断を取り消すことができます。
It cannot be undone by repentance in the usual sense, because this implies guilt.
もっとも、通常の意味で悔い改めるというやり方では、この決断を取り消すことはできません。なぜなら、普通の意味で悔い改めることには罪悪感を当然に伴うからです。
If you allow yourself to feel guilty, you will reinforce the error rather than allow it to be undone for you.
もしあなたが自分が罪悪感を抱くことを容認するなら、あなたは、その誤りを自分のために取り消してもらうどころか、かえってその誤りを強化することになってしまいます。
6. Decision cannot be difficult.
この決断は少しも難しくありません。
This is obvious, if you realize that you must already have decided not to be wholly joyous if that is how you feel.
もしあなたが、自分が心の底から喜びを感じていないなら、それは自分が完全な喜びを感じずにいるとすでに決めてしまったからに違いないと理解したなら、決断が容易なのは明らかなはずです。
Therefore, the first step in the undoing is to recognize that you actively decided wrongly, but can as actively decide otherwise.
したがって、間違った決断を取り消すための第一歩は、あなたは自らの意志で間違った決断をしてしまったけれど、同じように自発的に反対の決断を下すこともできると認めることです。
Be very firm with yourself in this, and keep yourself fully aware that the undoing process, which does not come from you, is nevertheless within you because God placed it there.
主体的に反対の決断をするに際しては、断固とした姿勢で臨んで、取り消しのプロセスを十分に自覚し続けるようにしてください。この取り消しのプロセスは、あなたが生み出すものではありませんが、神がそのプロセスをあなたの中に置いてくれたがゆえに、あなたの中で進行するものです。
Your part is merely to return your thinking to the point at which the error was made, and give it over to the Atonement in peace.
あなたの役割は、単に自分の思考を誤りが生じた時点にまで巻き戻し、心安らかに誤りを贖罪に引き渡すことだけです。
Say this to yourself as sincerely as you can, remembering that the Holy Spirit will respond fully to your slightest invitation:
次に挙げることを、あなたにできるかぎりの真摯さをこめて自分自身に告げてください。その際には、あなたからのほんのささやかな招きにも聖霊は十分に応えてくれることを忘れずに言うようにしてください。
I must have decided wrongly, because I am not at peace.
私は、間違った決断をしてしまったに違いない。なぜなら、私は心の平安を失っているからだ。
I made the decision myself, but I can also decide otherwise.
私は、自分自身でそんな決断をしたが、私にはそれとは違う決断をすることもできる。
I want to decide otherwise, because I want to be at peace.
私は別の決断をしたいと望む。なぜなら、私は心の安らぎを得たいからだ。
I do not feel guilty, because the Holy Spirit will undo all the consequences of my wrong decision if I will let him.
私は罪悪感を持たないことにする。なぜなら、もし私が聖霊に任せさえすれば、聖霊が私の間違った決断のために生じる成り行きと結果のすべてを取り消してくれるからだ。
I choose to let him, by allowing him to decide for God for me.
聖霊が私に代わって神を選択することを容認することによって、私は聖霊に自分の間違った決断の結果を取り消してもらうことを選択する。

