T9-1 現実の受容
Most men would rather deny a hard truth than face it.
ほとんどの人は、認めたくない真理に向き合おうするよりも、その真理を否認しようとするものだ。

George R.R. Martin
ジョージ・R・R・マーティン
ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。なぜなら、自由には責任が伴うからである。みんな、責任を負うことを恐れているのだ。

ジクムント・フロイト
ナポレオン・ヒル:性についての正しい知識、それと正しい思考が、人間にとって最も重要だと言うのですね?
悪魔:それがさっきから私がおまえにわからせようとしていることだ。何よりも重要なのは、正しく考えることだ。正しく考えることができれば、どんな問題も解決できるし、どんな祈りも聞き届けられるし、裕福になって、欲しいものを何でも手に入れることができるようになる。正しく考えるためには、性への衝動をきちんとコントロールし、それを正しい方向に導かなければならない。なぜなら、人間が思考するときに使うエネルギーは性衝動と同じものだからだ。自分の人生を自分で決めるためになら多少の犠牲も厭わない、そういう人間こそそうでなければならない。正しく思考することを学ばないかぎり、何人も霊的、精神的、身体的、経済的に完全な自由を得ることはできない。正しく思考することを学ぶためには、さまざまな知識が必要とされるが、中でも性衝動をコントロールし、それをより有益なものに転換する方法を学ぶことが不可欠なのだ。

ナポレオン・ヒル(「悪魔を出し抜け」294ページ)

今回は、テキスト第九章から「現実を受け入れること」という一節をご紹介します。
コースをパラドキシカルに感じるわけは?
奇跡のコースでは、逆説的な表現がたびたび出てきます。
私たちが真理を述べるコースの言葉を逆説的なものに感じるのは、この世界自体が真理を逆さまにひっくり返すことによって作り出された幻想であり、私たちは世界に調教され順致させられて骨の髄まで世界を本物と信じ込んでいるからです。
幻でしかない世界が存続するには、夢見る者に、自分が夢の世界を生み出しているのではなく、自分のほうが夢に生み出された産物だと信じ込ませることが最も有効であり、そのための世界からの教育が功を奏して、私たちは世界にとってよき生徒となり、世界が本物で自分は世界に生み出され、いっときだけ世界からもてなしを受けて、去らねばならない客人だと信じ込んできました。

私たちには聖霊は自分の求めに答えてくれないと文句を言う資格はない
「7. You may insist that the Holy Spirit does not answer you, but it might be wiser to consider the kind of questioner you are.
聖霊が自分に答えてくれないと、あなたは主張するかもしれません。しかし、あなたがどのような質問者なのか、それをよく考えてみるほうがより賢明でしょう。
You do not ask only for what you want.
あなたは自分の望むものだけを求めているとはいえません。
This is because you are afraid you might receive it, and you would.
それはあなたが、本当に自分の望むものを受け取ることになってしまうかもしれないと恐れているからです。そして、求めるなら、たしかにあなたは受け取ることになります。
That is why you persist in asking the teacher who could not possibly give you what you want.
だからこそ、あなたは自分が真に望むものをあなたに与えてくれそうにもない教師に執拗に求め続けているのです。
Of him you can never learn what it is, and this gives you the illusion of safety.
その教師からであれば、あなたは自分の真に望むものが何なのかを決して学ぶことができないので、このことが、あなたに安全であるという錯覚を与えてくれます。」
私たちは自分の求めに聖霊が答えてくれないと文句を言いますが、実は、私たちのほうこそ聖霊から自分が真に望むものを受け取るのが怖くて、それを与える能力のない偽りの教師であるエゴに求め続けることによって安心しているのだということです。
私たちは、コースを学んで救済を望んでいるつもりでいますが、今生きている人間としてのアイデンティティーや人間としての生活を放棄する気はさらさらありません。
私たちが救済を恐れるのは救済を喪失と結びつけているから
4.「The only source of fear in this process is what you think you will lose.
こうしたプロセスにおいてただひとつ恐れの源があるとすれば、それは、自分が失うことになってしまうとあなたが思っているものだけです。」
もし本当に自分が神の子であるという自覚を取り戻してすべてを思い出して、今見ている世界という夢から覚めてしまったら、この自分も自分の家族や仕事や仲間や好きな趣味やこの人生で築き上げてきた諸々すべてを失ってしまう、それだけは絶対に避けなければいけない!と。
スピリチュアル的な事柄に関心を向ける私たちが実のところ欲しているのは、真理をありのままに知ることではなく、ほどよく世の中をわかったつもりになって「真理」を会得した境地から導かれる洞察に満ちた言動を他者に示して他者に感じ入ってもらって、他者よりも深い境地に至った自分に酔いしれてよい気分でいられる程度のいわゆる「生悟り」のごときものでしかなく、自分と自分の周囲に幸運を引き寄せてくれる引き寄せの法則や風水の効果とそう変わりのない偶像崇拝をしているだけというのが実情でしょう。
コースを学ぶ私たちは、素直にエゴの理想を実現しようと引き寄せの法則を学ぶ人より深刻にエゴをこじらせてしまうリスクにさらされている
ですから、私たちは、奇跡のコースに自分が期待して求めているのは実は魔術でしかないのかもしれないとつねに自問してみる必要があります。
素直に引き寄せの法則を活用して自分が現世利益に与ろうとしていることを自覚している人よりも、コースを手段にして魔術を求める人は、自分では神聖な道を邁進しているつもりでいながら、自らの根本動機に無自覚なままエゴに支配されているだけに、かえって始末に負えないという場合もあります。
自らへの自戒の意味も込めて、コースを学ぶ誰もが落ちる危険のある陥穽だと思いますので、触れておきます。
自分の気分や感覚に鋭敏に、自分に正直に、少なくとも、きれいごとで自分を騙すことがないよう、エゴを敵視するのではなく、エゴを認めて光を当てて、愛してやりましょう。
エゴはゴキさんと同じように、光の当たる場所では活躍できないからです。
闇の中では、見にくいイモムシに見えていたエゴですが、愛を注いで光で照らしていると、いつしか蛹になり、美しい蝶として自我が羽ばたいて周囲を楽しませるときがくるでしょう(M2 生徒とは誰かのエッセイで蝶と幼虫の完全変態について触れていますので、御覧ください)。
「Yet it is only what the Holy Spirit sees that you can possibly have.
しかし、あなたが本当に持つことができるのは、聖霊に見えるものだけなのです。
5. I have emphasized many times that the Holy Spirit will never call upon you to sacrifice anything.
何度も強調してきましたが、聖霊があなたに何かを犠牲にするように要求することは絶対にありません。
But if you ask the sacrifice of reality of yourself, the Holy Spirit must remind you that this is not God's Will because it is not yours.
しかし、もしあなたが本当の自分自身を犠牲にすることを求めるなら、聖霊は、そんなことはあなたの意志ではないがゆえに神の大いなる意志でもないとあなたに気づかせなければなりません。」

テキスト
Chapter 9 The Acceptance of the Atonement
第九章 贖罪の受容
I. The Acceptance of Reality
一 現実を受け入れること
1. Fear of the Will of God is one of the strangest beliefs the human mind has ever made.
神の意志に恐怖を抱くことは、これまで人の心が作り出してきた信念の中でも最も不可解なもののひとつです。
It could not possibly have occurred unless the mind were already profoundly split, making it possible for it to be afraid of what it really is.
本当の自分が何であるかについて恐怖を抱きうるほどにまで心がすでに深刻な分裂を遂げていたのでなければ、神の意志が恐ろしいという信念など生じなかったはずです。
Reality cannot "threaten" anything except illusions, since reality can only uphold truth.
現実は真理を支持することしかできないので、現実が「脅かす」ことができるものがあるとすれば、それは幻想だけです。
The very fact that the Will of God, which is what you are, is perceived as fearful, demonstrates that you are afraid of what you are.
神の大いなる意志とは本当のあなたのことなので、神の意志を恐ろしいものとして知覚している事実そのものがまさに、あなたが本当の自分を恐れていることを物語っています。
It is not, then, the Will of God of which you are afraid, but yours.
つまり、あなたが恐れているのは、神の意志ではなく自分の意志なのです。
2. Your will is not the ego's, and that is why the ego is against you.
あなたの意志はエゴの意志ではありません。これが、エゴがあなたに敵対している理由です。
What seems to be the fear of God is really the fear of your own reality.
神に対する恐れのように思えているものは、実際には本当のあなた自身に対する恐怖なのです。
It is impossible to learn anything consistently in a state of panic.
恐怖によって混乱した状態では、何事であれ首尾一貫して学ぶことなど不可能です。
If the purpose of this course is to help you remember what you are, and if you believe that what you are is fearful, then it must follow that you will not learn this course.
もしこのコースの目的があなたが本当の自分を思い出すのを支援することであるなら、そして、もしあなたが本当の自分のことを恐ろしいものだと信じているなら、その場合、当然の帰結として、あなたはこのコースを学ぼうとは思わないはずです。
Yet the reason for the course is that you do not know what you are.
しかし、あなたが本当の自分を知らないからこそ、このコースを学ぶ必要があるのです。

3. If you do not know what your reality is, why would you be so sure that it is fearful?
もしあなたが本当は自分が何者なのか知らないのなら、どうしてあなたは、それほど自信を持って本当の自分が恐ろしいと確信できるのでしょうか。
The association of truth and fear, which would be highly artificial at most, is particularly inappropriate in the minds of those who do not know what truth is.
真理と恐怖を結びつけることは、非常に不自然だというのが関の山で、とくに何が真理なのかわかっていない者たちが心の中で真理と恐怖を結びつけるのは、まったく筋違いなことです。
All this could mean is that you are arbitrarily associating something beyond your awareness with something you do not want.
真理と恐怖を関連づけることが意味しうるのはせいぜい、あなたが自分に知ることのできない何かを自分の望まないものに自分勝手に結びつけて捉えているということくらいです。
It is evident, then, that you are judging something of which you are totally unaware.
そうであるなら、自分がまったく知らないものについてあなたが価値判断して裁いているのは明らかです。
You have set up this strange situation so that it is impossible to escape from it without a Guide Who does know what your reality is.
あなたがこんな異常な状況を作りあげてしまったので、本当のあなたが何者なのかを確かに知っている偉大な案内役なしには、あなたがそんな状況から脱出することは不可能になってしまっています。
The purpose of this Guide is merely to remind you of what you want.
この大いなる案内役である聖霊の目的は単に、自分が何を望んでいるのか、あなたに思い出させることだけです。
He is not attempting to force an alien will upon you.
聖霊はあなたに、自分の意志とは相容れない意志を押しつけようとしているわけではありません。
He is merely making every possible effort, within the limits you impose on him, to re-establish your own will in your awareness.
聖霊は単に、あなたから課される制限の範囲内で、あなたがしっかりと自分の意志を再び自覚できるようにするために、あらゆる手立てを講じるだけです。
4. You have imprisoned your will beyond your own awareness, where it remains, but cannot help you.
あなたが自分の意志を自分では自覚できないところに幽閉してしまっているために、あなたの意志はそこに残ったままですが、あなたの役に立てずにいます。
When I said that the Holy Spirit's function is to sort out the true from the false in your mind, I meant that he has the power to look into what you have hidden and recognize the Will of God there.
あなたの心の中で間違いから真理を選り分けることが聖霊の役目だと私が述べたときに私が意味していたのは、聖霊はあなたが隠しているものを見抜いて、そこに神の大いなる意志を認める力を持っているということでした。
His recognition of this Will can make it real to you because he is in your mind, and therefore he is your reality.
聖霊があなたが隠し持つ神の大いなる意志を識別することで、聖霊は、神の大いなる意志をあなたの真の意志にすることできます。なぜなら、聖霊はあなたの心の中におり、したがって、聖霊こそが本当のあなただからです。
If, then, his perception of your mind brings its reality to you, he is helping you to remember what you are.
それゆえ、もし聖霊があなたの心を知覚することであなたに自分の心の本質がわかるようになるのなら、聖霊はたしかにあなたが本当の自分を思い出す手助けをしていることになります。
The only source of fear in this process is what you think you will lose.
このプロセスで唯一恐れの原因になるのは、自分が失うことになってしまうとあなたが思っているものだけです。
Yet it is only what the Holy Spirit sees that you can possibly have.
しかし、あなたが本当に持つことができるのは、聖霊に見えるものだけなのです。

5. I have emphasized many times that the Holy Spirit will never call upon you to sacrifice anything.
何度も強調してきましたが、聖霊があなたに何かを犠牲にするように要求することは絶対にありません。
But if you ask the sacrifice of reality of yourself, the Holy Spirit must remind you that this is not God's Will because it is not yours.
しかし、もしあなたが本当の自分自身を犠牲にすることを求めるなら、聖霊は、そんなことはあなたの意志ではないがゆえに神の大いなる意志でもないとあなたに気づかせなければなりません。
There is no difference between your will and God's.
あなたの意志と神の大いなる意志との間には、何の違いもありません。
If you did not have a split mind, you would recognize that willing is salvation because it is communication.
もしあなたが分裂した心を持っていなかったなら、あなたは意志することこそが救済であると認識していたはずです。なぜなら、意志することはコミュニケーションをとることだからです。
6. It is impossible to communicate in alien tongues.
異なる言語同士でコミュニケーションをとるのは不可能です。
You and your Creator can communicate through creation, because that, and only that is Your joint Will.
あなたとあなたの大いなる創造主は、創造を通してコミュニケーションを行なうことができます。というのは、創造すること、ただそれだけがあなたと創造主のひとつに結び合わさった大いなる意志だからです。
A divided mind cannot communicate, because it speaks for different things to the same mind.
分割された心はコミュニケーションをとることができません。なぜなら、分割された心は同じ心に対して異なる事柄を代弁して語るからです。
This loses the ability to communicate simply because confused communication does not mean anything.
このことは、コミュニケーションを行なう能力を失わせてしまいます。それは単純に、混乱したコミュニケーションはまったく何も意味しないからです。
A message cannot be communicated unless it makes sense.
伝えたいことが意味をなさないかぎり、メッセージが伝わるはずがありません。
How sensible can your messages be, when you ask for what you do not want?
もしあなたが自分の望んでもいないものを求めてしまうとしたら、あなたの送るメッセージがどんな意味を持ちうるでしょうか。
Yet as long as you are afraid of your will, that is precisely what you are asking for.
しかし、あなたが自分の意志に恐れを抱いているかぎり、あなたが求めているのはまさに、自分が望んでもいないことなのです。

7. You may insist that the Holy Spirit does not answer you, but it might be wiser to consider the kind of questioner you are.
あなたはまだ聖霊が自分に答えてくれないと文句を言うかもしれません。しかし、文句など言っていないで、あなたがどのような頼み方をしているのか、それをよく考えてみるほうがより賢明なはずです。
You do not ask only for what you want.
あなたは自分の望むものだけを求めてはいません。
This is because you are afraid you might receive it, and you would.
それはあなたが、本当に自分の望むものを受け取ることになってしまうかもしれないと恐れており、そして、求めるなら、たしかにあなたは受け取ることになるからです。
That is why you persist in asking the teacher who could not possibly give you what you want.
だからこそ、あなたは自分が真に望むものをあなたに与えてくれそうにもない教師に執拗に求め続けているのです。
Of him you can never learn what it is, and this gives you the illusion of safety.
その教師からであれば、あなたは自分の真に望むものが何なのかを決して学ぶことができないので、このことが、あなたに安全であるという錯覚を与えてくれるからです。
Yet you cannot be safe from truth, but only in truth.
しかし、あなたは、真理から離れて安全でいることなどできないのであって、ただ真理の中でのみ安全でいられるのです。
Reality is the only safety.
現実こそ唯一の安全だからです。
Your will is your salvation because it is the same as God's.
あなたの意志こそがあなたの救いです。というのも、あなたの意志は神の意志と同じものだからです。
The separation is nothing more than the belief that it is different.
分離とは、あなたの意志と神の意志とは別のものだという信念にほかなりません。
8. No right mind can believe that its will is stronger than God's.
正しい心でいるかぎり、自分の意志が神の意志より強いなどと信じられるはずがありません。
If, then, a mind believes that its will is different from his, it can only decide either that there is no God or that God's Will is fearful.
したがって、もしある心が自分の意志は神の意志とは違うと信じるとしたら、その心にできるのは、神は存在しないか、神の意志は恐ろしいものか、そのどちらに決めることだけです。
The former accounts for the atheist and the latter for the martyr, who believes that God demands sacrifices.
前者は無神論者の依って立つ基盤となり、後者は、神が犠牲を要求すると信じる殉教者の基盤となります。
Either of these insane decisions will induce panic, because the atheist believes he is alone, and the martyr believes that God is crucifying him.
こんな正気とは言いがたい決断をすれば、いずれにせよ恐怖心による混乱状態を引き起こすことになります。なぜなら、無神論者は、自分は孤独だと信じるし、殉教者は神が自分を迫害していると信じるからです。
Yet no one really wants either abandonment or retaliation, even though many may seek both.
とはいえ、たとえ多くの者たちがその両方を求めてしまうかもしれないとしても、本当は誰も、見捨てられたり、報復されたりすることを望んでなどいません。
Can you ask the Holy Spirit for "gifts" such as these, and actually expect to receive them?
あなたは、聖霊に孤独や迫害のような「贈り物」を求めて、実際に、そんなものを受け取れるはずがありません。
He cannot give you something you do not want.
なぜなら、聖霊には、あなたが望んでいないものをあなたに与えることはできないからです。
When you ask the Universal Giver for what you do not want, you are asking for what cannot be given because it was never created.
あなたが自分が欲しくもないものを普遍的な与え主に求めるなら、あなたは、一度も創造されたことがないがゆえに与えられようのないものを求めていることになります。
It was never created, because it was never your will for you.
それは、一度も創造されなかったのです。なぜなら、あなたがそれを自分のために意図したことは一度もなかったからです。

9. Ultimately everyone must remember the Will of God, because ultimately everyone must recognize himself.
究極的には、すべての者は必ず神の大いなる意志を思い出すことになります。なぜなら、究極的には、誰もが自分自身を認識するに違いないからです。
This recognition is the recognition that his will and God's are one.
この自己認識は、自分の意志と神の大いなる意志とはひとつだと認めることです。
In the presence of truth, there are no unbelievers and no sacrifices.
真理を前にしては、不信心な者はひとりもいないし、いかなる犠牲もありません。
In the security of reality, fear is totally meaningless.
安全が保障されている現実の中では、恐れることは完全に無意味だからです。
To deny what is can only seem to be fearful.
恐ろしく思えるとしたら、それは本当にあるものを否認する場合だけです。
Fear cannot be real without a cause, and God is the only Cause.
神だけが唯一の大いなる原因であり、原因もないのに恐れが現実になることはありえません。
God is Love and you do want him.
神は大いなる愛です。そして、あなたが神を望んでいるのは確かです。
This is your will.
大いなる愛である神を望むことこそ、まさにあなたの意志です。
Ask for this and you will be answered, because you will be asking only for what belongs to you.
愛を求めなさい。そうすれば、あなたの願いは叶えられるでしょう。なぜなら、そのときあなたはただ自分が持っているものを求めているだけだからです。
10. When you ask the Holy Spirit for what would hurt you he cannot answer because nothing can hurt you, and so you are asking for nothing.
あなたが自分を傷つけるようなものを聖霊に頼むなら、聖霊はその依頼に応えることができません。なぜなら、あなたを傷つけることができるものは何もないので、あなたは無を求めていることになるからです。
Any wish that stems from the ego is a wish for nothing, and to ask for it is not a request.
エゴから生ずる願望はどれも無を求める願望であり、無を求めることは依頼とはいえません。
It is merely a denial in the form of a request.
それは単に依頼の形式で拒絶しているだけです。
The Holy Spirit is not concerned with form, being aware only of meaning.
聖霊は、ただ意味だけを感知するので、形式にはこだわりません。
The ego cannot ask the Holy Spirit for anything, because there is complete communication failure between them.
エゴは、聖霊に何も頼むことはできません。なぜなら、エゴと聖霊の間にはコミュニケーションが完全に欠落しているからです。
Yet you can ask for everything of the Holy Spirit, because your requests to him are real, being of your right mind.
しかし、あなたは聖霊にあらゆるものを頼むことができます。なぜなら、あなたの聖霊への依頼は、あなたの正しい心から発するものなで、現実のものだからです。
Would the Holy Spirit deny the Will of God?
聖霊が神の大いなる意志を拒んだりするでしょうか。
And could he fail to recognize it in his Son?
そして、神に、わが子の中にある自らの意志に気づき損ねることなどできるでしょうか。

11. You do not recognize the enormous waste of energy you expend in denying truth.
あなたは、自分が真理を否認するために、どれほど途方もないエネルギーを無駄に費やしているかわかっていません。
What would you say of someone who persists in attempting the impossible, believing that to achieve it is to succeed?
ある人が、不可能な試みを成し遂げてこそ成功だと信じて、あくまでも不可能に挑戦することに固執しているとしたら、その人のことをあなたは何と評するでしょうか。
The belief that you must have the impossible in order to be happy is totally at variance with the principle of creation.
幸福になるために得ることが不可能なものを自分は手に入れなければならないと信じることは、創造の原理と全面的に矛盾しています。
God could not will that happiness depended on what you could never have.
あなたには絶対に得ることのできないものにあなたの幸福が左右されることを、神が意図したはずがありません。
The fact that God is Love does not require belief, but it does require acceptance.
神が大いなる愛であるという事実は、信じることを必要とはしませんが、それを受け入れることを必要とするのは確かです。
It is indeed possible for you to deny facts, although it is impossible for you to change them.
あなたには事実を変えることは不可能ですが、あなたには事実を否認することが可能なのは確かです。
If you hold your hands over your eyes, you will not see because you are interfering with the laws of seeing.
もしあなたが両手で自分の両目を覆うなら、あなたは何も見えなくなるでしょう。なぜなら、そのとき、あなたは見るための法則を妨げているからです。
If you deny love, you will not know it because your cooperation is the law of its being.
もしあなたが愛を否認するなら、あなたが愛を知ることはないでしょう。なぜなら、あなたたちがお互いに手を携えてひとつに結ばれることが愛が実在するための法則だからです。
You cannot change laws you did not make, and the laws of happiness were created for you, not by you.
あなたには自分が作ったものではない法則を変えることはできません。そして、幸福の法はあなたのために創造されたものではあっても、あなたが創造したものではないのです。
12. Any attempt to deny what is must be fearful, and if the attempt is strong it will induce panic.
それがどのようなものであれ、ありのままの現実を否認しようとする試みは恐れに満ちたものにならざるをえません。そして、もし強引にそれを試みるなら、恐怖で混乱を引き起こすことになるでしょう。
Willing against reality, though impossible, can be made into a very persistent goal even though you do not want it.
それが不可能なことだとしても、そして、たとえあなたがそれを望んでいない場合であっても、現実に逆らって意図することがずっと持続する目標に据えられてしまうことがありえます。
But consider the result of this strange decision.
しかし、こんな奇妙な決断がどんな結果を導くことになるか、よく考えてみてください。
You are devoting your mind to what you do not want.
あなたは、自分が望んでもいないものに自らの心を捧げているのです。
How real can this devotion be?
こんな献身を心からのものと呼ぶことなどできるでしょうか。
If you do not want it, it was never created.
もしあなたがそれを望まないのなら、それは一度も創造されてはいないのです。
If it were never created, it is nothing.
もしそれが一度も創造されたことがないとすれば、それは無だということです。
Can you really devote yourself to nothing?
あなたは本当に、自らを無に捧げられるでしょうか。

13. God in his devotion to you created you devoted to everything, and gave you what you are devoted to.
あなたに深い愛を注ぐ神は、あらゆるものに愛を捧げる存在としてあなたを創造しました。だから、神は、あなたが自らを捧げることができるものをあなたに与えてくれました。
Otherwise you would not have been created perfect.
そうでなかったら、あなたは完全に創造されたとはいえなかったはずです。
Reality is everything, and you have everything because you are real.
現実とはすべてのことです。そして、あなたこそが現実なのだから、あなたはすべてを持っているのです。
You cannot make the unreal because the absence of reality is fearful, and fear cannot be created.
あなたは実在しないものを作り出すことはできません。なぜなら、実在性の欠如は恐れに満ちた状態ですが、恐れは創造できないものだからです。
As long as you believe that fear is possible, you will not create.
恐れることは可能だとあなたが信じるかぎり、あなたは創造することはないでしょう。
Opposing orders of reality make reality meaningless, and reality is meaning.
現実に相対立する序列があるとすれば、現実は無意味なものになってしまいますが、現実とは意味のことです。
14. Remember, then, that God's Will is already possible, and nothing else will ever be.
したがって、神の大いなる意志のみがなされうることは決着済みなので、神の意志以外の意志がなされることは永遠にないと覚えておいてください。
This is the simple acceptance of reality, because only that is real.
これこそ、現実をただありのままに受け入れることです。なぜなら、実在するのは神の意志のみだからです。
You cannot distort reality and know what it is.
あなたは、現実を歪めておきながら、ありのままの現実を知ることはできません。
And if you do distort reality you will experience anxiety, depression and ultimately panic, because you are trying to make yourself unreal.
そして、もしあなたが現実を歪曲するなら、あなたは不安になったり、憂鬱になったり、究極的にはパニックに陥ることでしょう。なぜなら、あなたは自分自身を実在しないものに作り変えようとしているわけだからです。
When you feel these things, do not try to look beyond yourself for truth, for truth can only be within you.
あなたがこれらの感情を抱くとき、真理を自分自身を越えたところに探そうとしてはなりません。なぜなら、真理はあなたの中にしかありえないからです。
Say, therefore:
ゆえに、次のように言いなさい。
Christ is in me, and where he is God must be, for Christ is part of him.
キリストは私の中にいる。そして、キリストがいるところにこそ神がいるに違いない。なぜなら、キリストは神の一部だからだ。

