T15-5 神聖な瞬間と特別な関係
Yesterday is gone.
昨日は過ぎ去っています。
Tomorrow has not yet come.
明日はまだやって来ていません。
We have only today.
私たちには今日しかありません。
Let us begin.
さあ始めましょう。

Mother Teresa
マザー・テレサ

今回は、テキスト第十五章から、「神聖な瞬間と特別な関係」をご紹介します。
少し先のテキスト第22章では、「神聖な関係」がテーマとなります。
特別な関係は、エゴが取り仕切る諸悪の根源であるとして、否認すべき対象であると解釈されがちかもしれませんが、本節で述べられるように、必要なのは否認することではなく、神聖な瞬間によって特別な関係を祝福することです。

特別な関係を有効活用する
「All that remains of dreams within it is that it is still a special relationship.
神聖な関係の中になお残っている夢の属性は、神聖な関係が依然として特別な関係であることだけです。
Yet it is very useful to the Holy Spirit, Who has a special function here.
しかし、特別な関係も、この世界の中で特別な役割を担う聖霊にとっては、とても役に立ちます。」(T18-5 幸せな夢 5.)
特別な関係が変容して幸せな夢となるのですから、せっかくの素材を捨て去るのは誤りとなります。
聖霊の一貫したスタンス
聖霊のスタンスはすべてこの仕組みです。エゴが使うと悪さをするだけだったどんな手段も、聖霊が使うと神聖さのための有益な道具に様変わりするのです。
ですから、エゴも含めてすべての分離の手段を討ち滅ぼすべき害悪として設定して、それに照準を合わせて否認し攻撃することは必要でもなければ有効でもありません。
それは、実在の不在でしかない無を、幻想として姿かたちがあるように見えるからといって実在と同等のものに格上げしてしまう利敵行為です。
聖霊は、無は無としてあしらいますが、無が幻想として形をとっていることが無を無として気づかせる妨げになっている場合には、幻想を祝福して真理に気づくための道具として活用します。
幻想世界に「存在」するものはすべて価値中立で、闇の中で呪いのために用いられた手段も、光に照らして祝福のために使うなら、悪に奉仕していたときに発揮していたのと同じ威力を保ったまま善のために奉仕するものとなります。
この点については、特別な関係と神聖な関係が参考になると思います。
レッスン7「私はただ過去だけを見ている」が参考になると思います。

テキスト第十五章
V. The Holy Instant and Special Relationships
五 神聖な瞬間と特別な関係
1. The holy instant is the Holy Spirit's most useful learning device for teaching you love's meaning.
神聖な瞬間は、聖霊があなたに愛の意味を教えるうえで最も役に立つ教材です。
For its purpose is to suspend judgment entirely.
というのも、神聖な瞬間の目的は、価値判断を完全に停止することだからです。
Judgment always rests on the past, for past experience is the basis on which you judge.
価値判断は必ず過去に依拠します。なぜなら、あなたが価値判断する際の基準となるのは、過去の経験だからです。
Judgment becomes impossible without the past, for without it you do not understand anything.
過去がなければ、価値判断は不可能になります。なぜなら、過去なしには、あなたは何事も理解できないからです。
You would make no attempt to judge, because it would be quite apparent to you that you do not understand what anything means.
過去なしには、何事であれ、それが何を意味するのか自分には理解できないことがあなたにとってきわめて明白になるので、あなたは価値判断して裁こうとはしなくなるでしょう。
You are afraid of this because you believe that without the ego, all would be chaos.
あなたはこうなることを恐れています。それは、あなたはエゴなしではすべてが混沌としたものとなってしまうと信じているからです。
Yet I assure you that without the ego, all would be love.
しかし、エゴがなくなればすべてが愛に満たされることを、私があなたに請け合います。

2. The past is the ego's chief learning device, for it is in the past that you learned to define your own needs and acquired methods for meeting them on your own terms.
過去は、エゴが用いる中心的な教材です。というのは、あなたが自分に必要なものは何か定義することを学び、それを自分の思うように満たす手段を身につけたのは過去においてだからです。
We have said that to limit love to part of the Sonship is to bring guilt into your relationships, and thus make them unreal.
前にも述べたことですが、神の子全体の一部だけを限定して愛することは、あなたの関わる関係性の中に罪悪感を導入してしまい、その結果、あなたの関係を架空のものにしてしまいます。
If you seek to separate out certain aspects of the totality and look to them to meet your imagined needs, you are attempting to use separation to save you.
もしあなたが総体でひとつであるものの特定の側面だけを部分的に切り離して区分し、その一部分を自分の想像上の必要性を満たしてくれるものとして当てにするなら、あなたは自分を救うために分離を利用しようと試みていることになります。
How, then, could guilt not enter?
自分を救うために分離を利用しようとしておきながら、罪悪感を心に入りこませずにいられるはずがありません。
For separation is the source of guilt, and to appeal to it for salvation is to believe you are alone.
なぜなら、分離こそが罪悪感の源なのであり、救済を得ようとして分離に訴えることは、自分がひとりきりだと信じることだからです。
To be alone is to be guilty.
孤独になることは、罪の意識を抱くことなのです。
For to experience yourself as alone is to deny the Oneness of the Father and His Son, and thus to attack reality.
というのは、自分自身を孤独な存在として体験することは、父と子の大いなる一体性を否認することであり、したがって、現実を攻撃することだからです。
3. You cannot love parts of reality and understand what love means.
あなたは、現実の特定の部分だけを愛しながら、愛が何を意味するのか理解することはできません。
If you would love unlike to God, Who knows no special love, how can you understand it?
もしあなたが、あるものだけを特別に愛することなど知るところではない神と同じように愛そうとしないなら、どうしてそんなあなたに愛を理解することができるでしょうか。
To believe that special relationships, with special love, can offer you salvation is the belief that separation is salvation.
あなたが特別な愛を伴う特別な関係が自分に救いをもたらしてくれるものと信じるなら、あなたは分離することが救いだと信じているのです。
For it is the complete equality of the Atonement in which salvation lies.
しかし、救いを見出すことができるのは、贖罪の完全な平等性の中においてです。
How can you decide that special aspects of the Sonship can give you more than others?
あなたはどうして神の子全体のある特別な側面が、ほかの側面以上にあなたに与えることができると断定できるのでしょうか。
The past has taught you this.
たしかに、過去は、あなたにそう教えこんできました。
Yet the holy instant teaches you it is not so.
しかし、神聖な瞬間は、あなたにそれは違うと教えてくれます。

4. Because of guilt, all special relationships have elements of fear in them.
罪悪感ゆえに、すべての特別な関係は、その中に恐れの要素を備えています。
This is why they shift and change so frequently.
この理由から、特別な関係は実に頻繁に入れ替わったり、変容したりします。
They are not based on changeless love alone.
特別な関係は、不変なる愛だけに基盤を置くものではないからです。
And love, where fear has entered, cannot be depended on because it is not perfect.
そして、恐怖心が入りこんだ愛は、もはや完璧な愛ではなくなるので、当てにはなりません。
In His function as Interpreter of what you made, the Holy Spirit uses special relationships, which you have chosen to support the ego, as learning experiences that point to truth.
あなたが作り出したものを解釈する役割を持つ聖霊は、あなたがエゴを支持するために選択した特別な関係を、真理を目指すための学びの経験として活用します。
Under His teaching, every relationship becomes a lesson in love.
聖霊の教えの下では、いかなる関係であろうとも、それらはひとつ残らず愛を学ぶレッスンとなります。
5. The Holy Spirit knows no one is special.
聖霊は、誰ひとり特別ではないと知っています。
Yet He also perceives that you have made special relationships, which He would purify and not let you destroy.
しかし、聖霊は同時に、あなたが特別な関係を作ってきたことも知覚しています。聖霊は、あなたの作り出した特別な関係を浄化して、あなたに特別な関係を破綻させないようにしてくれます。
However unholy the reason you made them may be, He can translate them into holiness by removing as much fear as you will let Him.
あなたがどんなに不浄な動機で特別な関係を作ったとしても、あなたが聖霊に委ねる限界まで恐れを取り除くことによって、聖霊は特別な関係を神聖な関係に変換することができます。
You can place any relationship under His care and be sure that it will not result in pain, if you offer Him your willingness to have it serve no need but His.
もしあなたが、ただ聖霊の必要にのみ役立つよう自分の意欲を聖霊に差し出すなら、あなたは、いかなる関係であろうとも聖霊の庇護の下に委ねることができるし、その関係が苦痛に終わることはないと確信できます。
All the guilt in it arises from your use of it.
特別な関係の中で生じる罪悪感はすべて、特別な関係を用いるのがあなたであることによって生じます。
All the love from His.
その関係を利用するのが聖霊なら、愛だけが生じます。
Do not, then, be afraid to let go your imagined needs, which would destroy the relationship.
だから、その関係を台無しにしてしまうだけのあなたの想像上の必要性を手放すことを恐れてはなりません。
Your only need is His.
あなたが必要としているのは、ただ聖霊が必要とするものだけなのです。

6. Any relationship you would substitute for another has not been offered to the Holy Spirit for His use.
それがどんな関係であったとしても、あなたがある関係を別の関係に置き換えようとするなら、それは、聖霊に利用してもらうために関係を聖霊に差し出したことにはなりません。
There is no substitute for love.
愛の代用になるものなど、何ひとつ存在しないからです。
If you would attempt to substitute one aspect of love for another, you have placed less value on one and more on the other.
もしあなたが愛のある一面を別の面の代用にしてみようと試みるなら、あなたは一方に置く価値を減少させて、他方により重い価値を置いたことになります。
You have not only separated them, but you have also judged against both.
あなたは、単に両者を分離しただけではなく、加えて、両者の価値を不当に評価する裁きを下してしまったことになります。
Yet you had judged against yourself first, or you would never have imagined that you needed your brothers as they were not.
しかし、それ以前に、あなたはまず自分自身に対して不当に裁きを下したのです。さもなければ、あなたは決して兄弟たちのことを彼らの本来の姿ではない姿として自分が必要としていると想像したりしなかったはずだからです。
Unless you had seen yourself as without love, you could not have judged them so like you in lack.
あなたが自分自身を愛のない者であると見ることがなかったなら、あなたは兄弟たちを自分と同じように欠乏している者だと判断できなかったはずです。
7. The ego's use of relationships is so fragmented that it frequently goes even farther; one part of one aspect suits its purposes, while it prefers different parts of another aspect.
エゴはさまざまな関係を実に断片的に利用するので、往々にしてエゴの関わる関係はよりいっそう細分化することになります。すなわち、ある側面のある部分はエゴの目的に適っているけれど、エゴはほかの側面の別の部分をより好んだりもすることになります。
Thus does it assemble reality to its own capricious liking, offering for your seeking a picture whose likeness does not exist.
このようにして、エゴは自分の気まぐれな好みに沿うように関係性の断片を寄せ集めては現実を組み立てます。そして、エゴは、あなたに探求させるために肖像を差し出しますが、その肖像に描かれている姿はどこにも存在しないのです。
For there is nothing in Heaven or earth that it resembles, and so, however much you seek for its reality, you cannot find it because it is not real.
というのも、天国にも地上にもその肖像に似たものは何ひとつないので、その姿は現実にあるはずだとあなたがどんなに探しても、それは実在しないので、あなたにはそれを見つけることができないからです。

8. Everyone on earth has formed special relationships, and although this is not so in Heaven, the Holy Spirit knows how to bring a touch of Heaven to them here.
地上では、誰もがみな特別な関係を形作っています。天国では特別な関係が作られることはないのですが、聖霊はこの地上において特別な関係の中に天国の趣きをもたらす方法を知っています。
In the holy instant no one is special, for your personal needs intrude on no one to make your brothers seem different.
神聖な瞬間においては、誰ひとり特別ではありません。なぜなら、神聖な瞬間では、あなたの兄弟たちをそれぞれ異なるように見せてしまうあなたの個人的な必要性が誰にも押しつけられないからです。
Without the values from the past, you would see them all the same and like yourself.
過去からの価値観がなければ、あなたは兄弟たちはみなまったく同じものであり、あなた自身とも同じものであると見るでしょう。
Nor would you see any separation between yourself and them.
そして、あなたは自分自身と兄弟との間に、いかなる分離も見なくなるでしょう。
In the holy instant, you see in each relationship what it will be when you perceive only the present.
神聖な瞬間の中であなたが一つひとつの関係の中に見るのは、あなたが現在だけを知覚するときにその関係が現すことになる実像です。
9. God knows you now.
神は今、あなたを知っています。
He remembers nothing, having always known you exactly as He knows you now.
神は何も記憶したり思い出したりはしません。なぜなら、神は、今まさに神があなたを知っている通りに、あなたをつねに知り続けているからです。
The holy instant reflects His knowing by bringing all perception out of the past, thus removing the frame of reference you have built by which to judge your brothers.
神聖な瞬間は、すべての知覚を過去の外へと運び出し、そうすることで、あなたが自分の兄弟たちを裁くために作りあげてきた判断基準を取り除くことによって、神の知識を反映します。
Once this is gone, the Holy Spirit substitutes His frame of reference for it.
ひとたびあなた独自の判断基準がなくなってしまえば、その代わり聖霊が自分の判断基準を使ってくれます。
His frame of reference is simply God.
聖霊の判断基準は、単純に神そのものです。
The Holy Spirit's timelessness lies only here.
聖霊が時間を越えた存在である理由は、ここだけにあります。
For in the holy instant, free of the past, you see that love is in you, and you have no need to look without and snatch love guiltily from where you thought it was.
というのも、神聖な瞬間においては、あなたは過去から解放されて自分の中に愛があることがわかるので、あなたにはもはや、外を見て愛があると思ったところから、後ろめたさを感じながら、愛を掠め取ってくる必要がまったくなくなっているからです。

10. All your relationships are blessed in the holy instant, because the blessing is not limited.
あなたの関わるすべての関係は、神聖な瞬間において祝福されます。なぜなら、神聖な瞬間の祝福が制限されることはないからです。
In the holy instant the Sonship gains as one, and united in your blessing it becomes one to you.
神聖な瞬間において、神の子全体はひとつのものとして恵みを得ることになり、あなたの祝福によってひとつに結ばれ、神の子全体はあなたにとってひとつのものとなります。
The meaning of love is the meaning God gave to it.
愛の意味とは、神が愛に与えた意味のことです。
Give to it any meaning apart from His, and it is impossible to understand it.
どんな意味であれ、神の与えた意味とは違う意味を愛に与えるなら、愛を理解することは不可能となります。
God loves every brother as He loves you; neither less nor more.
神は、あなたを愛するように、一人ひとりの兄弟みんなを愛しています。その愛は、あなたへの愛に劣ることも優ることもありません。
He needs them all equally, and so do you.
神は兄弟みんなを同等に必要としているし、あなたも兄弟みんなを等しく必要としています。
In time, you have been told to offer miracles as I direct, and let the Holy Spirit bring to you those who are seeking you.
時間の中では、あなたは、私の導き通りに奇跡を差し延べて、聖霊にあなたのことを探し求めている人たちをあなたの許に連れて来てもらうようにと命じられてきました。
Yet in the holy instant you unite directly with God, and all your brothers join in Christ.
しかし、神聖な瞬間には、あなたは神と直接ひとつに結ばれるし、あなたの兄弟たちは全員キリストの中でひとつに結ばれます。
Those who are joined in Christ are in no way separate.
キリストの中でひとつに結ばれた者たちは、いかようにも分離してはいません。
For Christ is the Self the Sonship shares, as God shares His Self with Christ.
なぜなら、キリストとは神の子全員が共有する大いなる自己のことであり、それは神がキリストと共有する神の大いなる自己と同じものだからです。
11. Think you that you can judge the Self of God?
あなたは、神の大いなる自己の価値を判断することが自分にできると思うのでしょうか。
God has created It beyond judgment, out of His need to extend His Love.
神は、自らの大いなる愛を拡張する必要性から、神の大いなる自己を価値判断の及ばないのもとして創造しました。
With love in you, you have no need except to extend it.
あなたの中の愛とともにあるかぎり、その愛を拡張する以外にあなたに必要なことは何もありません。
In the holy instant there is no conflict of needs, for there is only one.
神聖な瞬間においては、必要なことはひとつしか存在しないので、複数の必要性が対立することはありません。
For the holy instant reaches to eternity, and to the Mind of God.
というのも、神聖な瞬間は永遠へと延長し、神の大いなる心にまで到達するからです。
And it is only there love has meaning, and only there can it be understood.
そして、愛が意味を持つのは、ただ神の大いなる心においてのみであり、ただ神の大いなる心においてのみ愛は理解されうるのです。

