T18-4 ささやかな意欲


The road to hell is paved with good intentions.
地獄への道は善意で敷き詰められている。

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ヨーロッパのことわざ



人は自分自身になりさえすればいいのだ。これが、わたしの基本的なメッセージだよ。自分をあるがままに認めた瞬間、すべての重荷、山のように見えた重荷が、嘘のように消えてしまうのだ。すると人生が喜びそのものになり、光のお祭りになるのだよ。



OSHO





A scholar tries to learn something everyday; a student of Buddhism tries to unlearn something daily.
一般に学徒は毎日何かを学び取ろうと努力するものだが、仏教を学ぶ生徒は日々何かを捨て去ろうと努める。

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Alan Watts
アラン・ワッツ





自分の目標がどのような方法で実現されるのが一番適切なのかを知ることはできません。何もかもうまくいっていないように見えるかもしれませんが、実際にはすべてが完璧に進んでいるのです。ただ、それがあなたの計画したとおりに進んでいないだけなのです。「あなたの道のりにはずっとバラの花びらが敷き詰められている」とは誰も約束してませんよ。
すぐに結果が出ないからといって、不安になってはいけません。現実は遅れて反応することを頭に入れておいてください。辛抱強く、粘り強く、一貫性を持つことが大事なのです。何をやってもうまくいかず、一生開かないドアをひたすら叩き続けているように感じるのであれば、それが本当にあなたの歩むべき道なのか、そして心から望む道なのかを自問してみましょう。あなたを失望させない道は、「成長」という道です。もちろん、古代ギリシャ語を勉強するといった意味の「成長」ではなく、自分を奮い立たせ、本当の意味で実が生るような「成長」です。



Vadim Zeland
ヴァジム・ゼランド(「タフティ・ザ・プリーステス 世界が変わる現実創造のメソッド」250ページ)

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今回は、テキスト第十八章から「ささやかな意欲」という一節をご紹介します。


自分のスペックアップに囚われる罠

私たちは、今の自分の至らなさ加減にがっかりして、いつでも自分をアップデートしたいと欲します。

もちろん、エゴは学ぶことができ、身体もより壮健に鍛え、維持することはできるので、PCのように、ソフト面でOSやアプリケーションを日々アップデートし、ハードもより高性能なものへとスペックを上げていくように、心身の育成、向上に努めることは、この世界をよりよく渡ってゆく面ではもちろん、霊的な成長にとっても有益なのは確かでしょう。

しかし、このような意識高い系スピリチュアリストたちが抱きがちな発想は、ともすれば、コースの学び(世界の学びとは逆の学習棄却、アンラーン(unlearning)、つまり、常識としてこびりついた錯覚を削ぎ落としてゆく学び)を妨げる混同を起こしかねません。

催眠術をかけられて、幼児に戻ってしまったスーパーエリートがすべきことは、自分が幼児だと信じたままの状態で、本当の自分は優秀な大人でこういう人物なのだという情報を外部から取り込んで学びその状態に到達することではありません。


実は自分を幽閉する障壁をさらに厚くしているのかも

超優秀な人であれば、才能とものすごい努力によって、これすら達成するかもしれません(韓ドラ「良くも、悪くも、だって母親」の主人公チェ・ガンホのように)。

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しかし、これは、MacでWindowsを走らせるエミュレータを導入するようなものでしかありません。幼児の自分という膜で本当の自分を覆い隠した状態で、その膜の上からさらに本当の自分に近い状態を被せて作り出す状態です。

本当の自分に近いキャラクターとして機能するという意味で、外面を取り繕う程度の意味はありますが、本当の自分に戻るという意味では、マトリョーシカのように、自分の本質へのアクセスを妨げるレイヤーを重ねることにしかなりません。

本当にやるべきことは、自分が誤って身につけてしまった自己像が偽りであることに気づいて、錯覚から逃れることであり、上の例で言うなら、催眠術が解けるようにすることだけです。


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神にふさわしい神聖な自分にならなければと奮闘するかぎり神から遠ざかるばかり

5.「Rather than seek to prepare yourself for him, try to think thus:
 自分を神にふさわしいものに仕立て上げようとするのではなく、次のように考えるように努めてください。


I who am host to God am worthy of him.
神を宿している私は、神にふさわしい。

He who established His dwelling place in me created it as he would have it be.
私の中に自らの住み処を定めた神は、自らがその住み処をこうしたいと意図した通りに創造したのだ。

It is not needful that I make it ready for him, but only that I do not interfere with his plan to restore to me my own awareness of my readiness, which is eternal.
私が神のためにその住み処を用意する必要はない。私に必要なのは、ただ私の準備が永遠に整っているという自覚を私自身に取り戻させようとする神の計画の邪魔をしないことだけだ。

I need add nothing to his plan.
私は、神の計画に何ひとつ付け加える必要はない。

But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it.
ただし、神の計画を受け取るために、私は絶対に、神の計画に代えて自分の計画で代用させないという意欲を持たなければならない。」





塑像的教育観と彫像的教育観

この世界の教育観、成長観が粘土での塑像(モデリング)だとすれば、コースの教育観は、鑿(ノミ)で彫り刻む彫像(カーヴィング)だと言えるかもしれません(この世界での配役について)。

ダビデ像にまつわる逸話として、素晴らしい作品の秘訣を聞かれたミケランジェロは、自分には、大理石の中に天使がいるのが見えるので、天使を自由にしてあげるために彫るのだと答えたといいます(T24-Intro 自分の価値観を疑ってみる)。

塑像の成長観では、石の中の天使を自由にするどころか、その石を粘土細工の芯として使って外側に粘土を継ぎ足すことで、天使の翼や手足をもぎ取り、さらに重荷を課して不自由にすることになるだけです。


魂を押し殺してもかまわないから世間ウケしたいというのは、「健康のためなら死んでもいい」よりも深刻な狂気

自分の魂の訴えすら押し殺して苦心して、上手に粘土を継ぎ足して、見栄えのよい立派な人物としての自分の塑像を仕上げることができたら、もしかしたら世間からは褒めそやされて虚栄心は満たされエゴは大満足するかもしれません。

けれど、そのとき、私たちは、自分の中で魂が聞こえないほど小さな声で、お前は偽物だ、私を外に出す機会があれほどあったのに、かえってより深く閉じ込めてしまった、と悲しげに囁くのを聞くことでしょう。


ネガティブを愛することで光が放たれる

冒頭のOSHOの言葉には、人の子である私たちが本当の自分である神の子の救済のために神の召命に応えて生きるうえで大切なエッセンスが詰まっていると思います。

自分の持ち味ではないエゴの理想の寄せ集めの状態を引き寄せようとするのではなく、望ましいことも受け入れたくない不遇に思えることもすべて受け入れる、ニーチェの言うアモール・ファティ、運命愛に到達することで、ありのままの自分になりきるとき、人生は光のお祭りになると。

私たちの本質は光であるとコースは教えてくれます。

私たちが本質である光である状態に戻るには、闇の中で光を放つ必要がありますが、プラスだけでは光を放つことはできません。

ここで、LEDの原理が参考になります(人間を半導体になぞらえる発想については、レッスン285「私の神聖さが今日、鮮明にはっきりと輝く」のエッセイをご覧ください)。


LEDが光る仕組み

LEDが発光する仕組みは、こうです。



LEDは、p型半導体とn型半導体が接合された基本構造で構成されます。

p型(+:positiveのp)半導体にはプラス(+)の性質を持つ「正孔」が多くあり、n型(ー:negativeのn)半導体にはマイナス(-)の「電子」が多くあります。

LEDに順方向の電圧を加えると、「正孔」がn型半導体の方向へ、「電子」がp型半導体の方向へ向かって流れます。 そして、この正孔と電子が接合部で出会うとプラスとマイナスが結合(再結合)します。

再結合の際にポジティブとネガティブそれぞれが持っていた余分なエネルギーが光として放出され安定します。

つまり、プラス(+)とマイナス(-)の電気がくっつくことによって発光します。

Panasonic LEDの発光原理の動画を見てもらうとわかりやすいです。

神の子はすべてを持ちすべてである実在そのものであり、愛であり、生命エネルギーであり、光です。


投影による二元性の世界で光を放つにはネガティブを愛することが欠かせない

この実在は、それ以外の異質なもののない一なるものであり、真偽、美醜、賢愚、強弱、善悪等々、無限の可能性を包含するニュートラルな永遠のエネルギー循環であり(トーラス構造)、極性を与えることで、現象面で、二元的にポジティブとネガティブに分化して展開する潜在性を秘めています。

光である神の子は、分離幻想という狂気によって闇に落ち、本来自分であるものを実在しない無である空想上の自分の外側に放り出す投影によって世界という幻想を生み出して、小さな自己が自分のものと思うポジティブのプラス(+)と、それ以外の、ネガティブ、マイナス(ー)に分裂させています。

真善美といったポジティブだけを奉っているだけでは、放り出したネガティブを呼び戻すことは不可能です。

光に戻るには、LEDの発光原理のように、マイナスをプラスに再結合させることが不可欠です。

引き寄せの法則によって、人生にポジティブだけを引き寄せてやろうというスタンスが、実は光ではなく闇を引き寄せることになる落とし穴がここにあります。

ネガティブを忌避する生き方では、本来、正孔(ポジティブ)に電子(ネガティブ)が結合すれば光が生じたはずなのに、光を発するために必要な両極のうちの一方を切り捨てて排除しているために、光がどんどん減じていって闇に包まれることになります。

ネガティブを愛する生き方では、不運や災厄として生じる出来事(ネガティブ)を受け入れて教訓を引き出して祝福(ポジティブ)に転化することで再結合が起こり光が生じます。


思い通りにならない人生って素敵!

私たちも、自分に心地よい幸福だけを受け入れるのではなく、人生で出会う敵のように思う人たち、直面する逆境、苦難、すべてを本当の自分の周囲を取り囲んでいる石を砕き、削ぎ落とす貴重な機会を与える祝福であり、得難い師であると捉えて、本当の自分に出会うことを生きる目標にしたいものです。

常識的発想からすると、かなり倒錯した「変態」思考にしか思えないでしょうが、逆境や不遇、思いが挫かれることを呪いとして忌避するのではなく、祝福として歓迎するスタンスを表すつぎのような自分なりの標語を作っておくのも悪くないと思いますよ(笑)。




「ああ、また私の思い通りにいかない形で人生が想定外の展開を見せてくれた。

この苦境によって、わずかかもしれないが、岩の中から本当の私が姿を現せるようになった。

神さま、ありがとう!

思い通りにならない私の人生ってス・テ・キ!」



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テキスト第十八章

IV. The Little Willingness
四 ささやかな意欲



1. The holy instant is the result of your determination to be holy.
 神聖な瞬間は、神聖であろうとあなたが決意した結果としてもたらされるものです。

 It is the answer.
 神聖な瞬間は答えなのです。

 The desire and the willingness to let it come precede its coming.
 なので、神聖な瞬間が到来するには、その前に、その一瞬を招こうという願望と意欲が生じます。

 You prepare your mind for it only to the extent of recognizing that you want it above all else.
 あなたはただ、自分がその一瞬をほかの何にもまして望んでいるとわかる程度まで、その瞬間のために自分の心の準備を整えればいいだけです。

 It is not necessary that you do more; indeed, it is necessary that you realize that you cannot do more.
 あなたは、それ以上のことをする必要はありません。それどころか、自分にはそれ以上のことはできないと悟ることが必要です。

 Do not attempt to give the Holy Spirit what he does not ask, or you will add the ego to him and confuse the two.
 聖霊が求めてもいないものを聖霊に渡そうとしないことです。さもないと、あなたは、エゴを聖霊に結びつけようとすることになり、聖霊とエゴを混同してしまうでしょう。

 He asks but little.
 聖霊は、ほとんど何も求めません。

 It is he who adds the greatness and the might.
 偉大さや力を付加してくれるのは、聖霊のほうだからです。

 He joins with you to make the holy instant far greater than you can understand.
 聖霊はあなたとひとつに結びついて、神聖な瞬間をあなたの理解が及ばないほどずっと偉大なものにしてくれます。

 It is your realization that you need do so little that enables him to give so much.
 なすべきことが自分にはほとんどないというあなたの気づきが、聖霊があなたに本当に多くのものを与えることを可能にします。

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2. Trust not your good intentions.
 自分の善意を信用しないでください。

 They are not enough.
 善意だけでは足りないからです。

 But trust implicitly your willingness, whatever else may enter.
 しかし、ほかにどんなものが入りこもうとも、自分の意欲だけは無条件に信頼してください。

 Concentrate only on this, and be not disturbed that shadows surround it.
 この自分の意欲のみに専心して、自分の意欲を取り囲んでいる影に心を乱されないようにしてください。

 That is why you came.
 あなたの意欲が影に取り囲まれているからこそ、あなたはここに来たのです。

 If you could come without them you would not need the holy instant.
 もしあなたがそんな影を伴わずに来られたなら、あなたに神聖な瞬間は必要なかったでしょう。

 Come to it not in arrogance, assuming that you must achieve the state its coming brings with it.
 神聖な瞬間がもたらしてくれる境地を自分で獲得しなければならないと思いこむような傲慢さを抱くことなく、神聖な瞬間に臨んでください。

 The miracle of the holy instant lies in your willingness to let it be what it is.
 神聖な瞬間という奇跡は、その一瞬をありのままにさせようとするあなたの意欲にかかっています。

 And in your willingness for this lies also your acceptance of yourself as you were meant to be.
 そして、あなたが厭わずに神聖な瞬間をありのままにさせる気になることによって、あなたはまた、自分自身を本来意図された通りに受け入れることができます。



3. Humility will never ask that you remain content with littleness.
 謙虚さが、あなたに卑小さに甘んじたままでいるように求めることは決してないでしょう。

 But it does require that you be not content with less than greatness that comes not of you.
 しかし、謙虚であるには、あなたに由来するのではない偉大さに満たないものにあなたが甘んじないことが絶対に必要です。

 Your difficulty with the holy instant arises from your fixed conviction that you are not worthy of it.
 神聖な瞬間に達するのがあなたにとって難しいのは、あなたが自分は神聖な瞬間に値しないと固く確信しているせいです。

 And what is this but the determination to be as you would make yourself?
 しかし、これは、あなたが自分自身をこのような存在にしたいと望む姿のままでいようとする決意にほかなりません。

 God did not create his dwelling place unworthy of him.
 神は、自分にふさわしくない住み処など創造しませんでした。

 And if you believe he cannot enter where he wills to be, you must be interfering with his will.
 だから、もし神が神自身が在ろうと意図するところに入ることができないとあなたが信じているなら、あなたは神の意志を妨害しているに違いありません。

 You do not need the strength of willingness to come from you, but only from his will.
 あなたには、自分から生み出す意欲の強さなど必要ありません。あなたに必要なのはただ神の意志から来る意欲の持つ力だけです。

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4. The holy instant does not come from your little willingness alone.
 神聖な瞬間は、あなたのささやかな意欲だけから生じるわけではありません。

 It is always the result of your small willingness combined with the unlimited power of God's Will.
 神聖な瞬間はつねに、あなたのささやかな意欲が神の大いなる意志の無限の力と結び合さった結果として生じるからです。

 You have been wrong in thinking that it is needful to prepare yourself for him.
 あなたはこれまで、自分を神にふさわしい存在に仕立て上げなければならないと思いこんできましたが、それは間違いだったのです。

 It is impossible to make arrogant preparations for holiness, and not believe that it is up to you to establish the conditions for peace.
 傲慢にも自力で神聖さを得ようとする準備をしておきながら、平安を得るための条件をどう定めるかは自分次第だと信じずにいるのは不可能です。

 God has established them.
 しかし、平安の条件は、すでに神が確立しています。

 They do not wait upon your willingness for what they are.
 平安の条件が何なのかは、あなたの意欲を待って決まるわけではありません。

 Your willingness is needed only to make it possible to teach you what they are.
 あなたの意欲が必要なのは、ただ単に、平安の条件が何なのか、あなたが教わることができるようにするためです。

 If you maintain you are unworthy of learning this, you are interfering with the lesson by believing that you must make the learner different.
 もしあなたが自分は平安の条件を学ぶに値しないと言い張るなら、あなたは、自分が学習者を違うものへと変えなければならないと信じることによって、そのレッスンを学ぶのを妨げているのです。

 You did not make the learner, nor can you make him different.
 あなたが学習者を作ったのではないし、あなたには学習者を違うものに変えることもできません。

 Would you first make a miracle yourself, and then expect one to be made for you?
 あなたは、自分で先に奇跡を起こしておきながら、そのあとで、自分のために奇跡が起こるのを期待しようとするでしょうか。



5. You merely ask the question.
 あなたは単に質問するだけでよいのです。

 The answer is given.
 答えは与えられているからです。

 Seek not to answer, but merely to receive the answer as it is given.
 自分で答えようとするのではなく、ただ与えられるままに、その答えを受け取ってください。

 In preparing for the holy instant, do not attempt to make yourself holy to be ready to receive it.
 神聖な瞬間の到来に備えるに際して、神聖な瞬間を受け取る準備として自分自身を神聖にしようと試みてはなりません。

 That is but to confuse your role with God's.
 そんなことは、あなたの役割と神の役割を混同することにしかなりません。

 Atonement cannot come to those who think that they must first atone, but only to those who offer it nothing more than simple willingness to make way for it.
 贖罪は、自分こそ真っ先に償いをしなければならないと思っている者の許に訪れることはできません。贖罪はただ、償いのために道を譲る素朴な意欲だけを捧げる者の許にのみ訪れます。

 Purification is of God alone, and therefore for you.
 浄罪は、神のみに由来するものであり、したがって、あなたのためになされるものです。

 Rather than seek to prepare yourself for him, try to think thus:
 自分を神にふさわしいものに仕立て上げようとするのではなく、次のように考えるように努めてください。


I who am host to God am worthy of him.
神を宿している私は、神にふさわしい。

He who established His dwelling place in me created it as he would have it be.
私の中に自らの住み処を定めた神は、自らがその住み処をこうしたいと意図した通りに創造したはずだ。

It is not needful that I make it ready for him, but only that I do not interfere with his plan to restore to me my own awareness of my readiness, which is eternal.
私が神のためにその住み処を整える必要はない。私に必要なのは、ただ私の準備が永遠に整っているという自覚を私自身に取り戻させようとする神の計画の邪魔をしないことだけだ。

I need add nothing to his plan.
私は、神の計画に何ひとつ付け加える必要はない。

But to receive it, I must be willing not to substitute my own in place of it.
ただし、神の計画を受け取るために、私は絶対に、神の計画の代わりに自分の計画を用いないという意欲を持たなければならない。

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6. And that is all.
 これだけです。

 Add more, and you will merely take away the little that is asked.
 これ以上、何かを付け加えるなら、あなたは、求められているわずかなものを取り去ることにしかなりません。

 Remember you made guilt, and that your plan for the escape from guilt has been to bring Atonement to it, and make salvation fearful.
 あなたが自分で罪悪感を作り出したことを思い出してください。そして、その罪悪感から逃れるためのあなたの計画は、贖罪を罪の許へともたらし、救済を恐れに満ちたものにすることだったことを思い出してください。

 And it is only fear that you will add, if you prepare yourself for love.
 だから、もしあなたが自分を愛にふさわしくしようとしても、それは単に恐怖心を増すことにしかなりません。

 The preparation for the holy instant belongs to him who gives it.
 神聖な瞬間のための準備は、それを与えてくれる聖霊に任せておけばよいのです。

 Release yourself to him whose function is release.
 解放を役割とする聖霊に、あなた自身を明け渡してください。

 Do not assume his function for him.
 聖霊に代わって聖霊の役割を勝手に引き受けようとしないでください。

 Give him but what he asks, that you may learn how little is your part, and how great is his.
 聖霊から求められるものだけを聖霊に捧げなさい。そうすれば、あなたは、自分の役割がいかに小さく、聖霊の役割がいかに大きいか学べるでしょう。



7. It is this that makes the holy instant so easy and so natural.
 このことは、神聖な瞬間を本当に容易で実に自然なものにします。

 You make it difficult because you insist there must be more that you need do, and it is very hard for you to realize it is not personally insulting that your contribution and the Holy Spirit's are so extremely disproportionate.
 神聖な瞬間を困難なものにしているのはあなたなのです。なぜなら、あなたは自分がなすべきことがもっとあるはずだと執拗にこだわっているので、あなたにとって、自分の貢献と聖霊の貢献の度合いが実に極端なまでに不均衡であることが個としての自分が蔑ろにされているわけではないと理解するのがきわめて困難だからです。

 You are still convinced that your understanding is a powerful contribution to the truth, and makes it what it is.
 あなたは依然として、自分が理解することが、真理に到達することに強力に寄与し、真理を真理たらしめるものであるはずだと確信しています。

 Yet we have emphasized that you need understand nothing.
 しかし、私たちがすでに強調しておいたように、あなたは何も理解する必要はないのです。

 Salvation is easy just because it asks nothing you cannot give right now.
 救済が容易であるのは、ひとえに、救済はあなたが今すぐ差し出せないようなものを何も要求しないからです。

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8. Forget not that it has been your decision to make everything that is natural and easy for you impossible.
 あなたにとって自然で簡単な物事をことごとく不可能にしてしまったのは、あなた自身の決断だったことを忘れてはなりません。

 If you believe the holy instant is difficult for you, it is because you have become the arbiter of what is possible, and remain unwilling to give place to One Who knows.
 もしあなたが神聖な瞬間に至るのが自分にとって難しいことだと信じているとすれば、それはあなたが何が可能かを決める最終権威者となって、それを知る大いなる存在にその地位を渡そうとしないままでいるせいです。

 The whole belief in orders of difficulty in miracles is centered on this.
 これが、奇跡に難しさの序列があるという信念を全面的に支える中心的な根拠です。

 Everything God wills is not only possible, but has already happened.
 神が意図することは何ごとであれ、単に可能であるだけでなく、すでに起こっています。

 And that is why the past has gone.
 これが、過去が過ぎ去っている理由です。

 It never happened in reality.
 現実においては、過去は一度も起こっていないのです。

 Only in your mind, which thought it did, is its undoing needful.
 過去を取り消すことが必要なのは、過去が起こったと思ったあなた心の中においてのみのことです。


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