T12-2 神を思い出す方法


「バスチアン・バルタザール・ブックス、よく聞くのだぞ。」ヨルはいった。

「わしは多く語るのを好まぬ。沈黙のほうがよい。だが、今は、一度だけおまえにはなす。よいか、おまえは生命の水をさがしておる。おまえの世界にもどるために、愛することができるようになりたいと望んでおる。愛するーーいうのは簡単だ!だが生命の水はおまえにたずねるだろう、だれを?とな。つまり愛するというのは、ただ単に、一般に愛するなどということではないのだ。ところが、おまえは自分の名前以外、一切を忘れてしまった。答えられなければ、生命の水を飲むことは許されぬ。そこでおまえを助けることができるのは、おまえが見つけだす忘れた夢の絵だけだ。その絵がおまえを泉へと導いてくれる。だがその絵を見つけるためには、おまえはおまえのまだ持っている最後のもの、自分自身を忘れねばならない。それは、きびしく、またしんぼうのいる仕事だ。よいか、わしの今いったことを、よく覚えておくのだぞ。わしは、二度とは語らぬ。」

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Michael Ende
ミヒャエル・エンデ(「はてしない物語」より)

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What is most personal is most universal.
最も個人的なことこそが、最も普遍的なのだ。

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Carl R. Rogers, On Becoming a Person: A Therapist's View of Psychotherapy
カール・ロジャース



It is more noble to give yourself completely to one individual than to labor diligently for the salvation of the masses.
大衆を救うために懸命に働くことよりも、ひとりの個人のために完全に自分自身を捧げきることのほうがいっそう崇高なことなのだ。



Dag Hammarskjold
ダグ・ハマーショルド



愛について考えることはとても易しい。愛することはとても難しい。世界全体を愛するのはとても易しい。本当の難しさは、一人の人間を愛することだ。神や人類を愛するのはとても簡単だ。真の問題はあなたが現実の人間に出会い、その人と向き合った時に生じる。彼と向き合うことは、大きな変化を体験することであり、大きな挑戦なのだ。



OSHO(「Courage 勇気」200ページ)

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It is easier to love humanity as a whole than to love one's neighbor.
自分の隣人を愛することに比べたら、人類全体を愛するのは簡単なことだ。



Eric Hoffer
エリック・ホッファー



It takes two flints to make a fire.
火を起こすには、火打ち石が二つ必要だ。

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Luisa May Alcott
ルイザ・メイ・オルコット




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今回はテキスト第十二章から、「神を思い出す方法」という一節をご紹介します。


私たちが忘れているのは、自分ひとりだけでは神を思い出せないということ

2.「2. The light in them shines as brightly regardless of the density of the fog that obscures it.
 病人たちの中にある光は、その光を覆い隠している霧の濃さにかかわらず、燦然と光り輝いています。

 If you give no power to the fog to obscure the light, it has none.
 もしあなたがその霧に光を覆い隠す力を一切与えなければ、霧は何の力も持ちません。

 For it has power only if the Son of God gives power to it.
 というのも、その霧が力を持つのは、ただ神の子が霧に力を与えるときだけだからです。

 He must himself withdraw that power, remembering that all power is of God.
 神の子は、あらゆる力は神に由来することを思い出し、自分自身で霧に力を与えるのをやめなければなりません。

 You can remember this for all the Sonship.
 あなたは神の子全体のために、このことを思い出すことができます。

 Do not allow your brother not to remember, for his forgetfulness is yours.
 自分の兄弟がそれを思い出さないままでいるのを容認してはなりません。というのも、兄弟の記憶喪失とあなたの記憶喪失は同じものだからです。

 But your remembering is his, for God cannot be remembered alone.
 しかし、神をひとりきりで思い出すことはできないので、神の子が霧に力を与えることで自分たちがひとつであることを忘れていたのだと、あなたが思い出すことによって、その兄弟も自分たちがひとつだと思い出すことになります。

 This is what you have forgotten.
 独力では神を思い出せないことこそ、まさにあなたが忘れてしまっていることです。

 To perceive the healing of your brother as the healing of yourself is thus the way to remember God.
 このようにして、自分の兄弟が癒されることが自分自身が癒されることだと知覚することが、神を思い出す方法なのです。」





救いの公式

自分の兄弟が癒されることが自分自身が癒されることだと知覚することが、神を思い出す方法です。

そして、

3.「Whatever the sickness, there is but one remedy.
 どのような病気であれ、ただひとつの治療法しか存在しません。

 You will be made whole as you make whole, for to perceive in sickness the appeal for health is to recognize in hatred the call for love.
 あなたが兄弟を完全なものにするなら、あなたも完全なものとなるでしょう。というのは、病気のことを健やかでありたいという訴えとして知覚することが、憎しみの中に愛を求める呼び声を認識することになるからです。」

自分の中にある光を自分で霧で覆わせている状態である病気について、健やかでありたいという訴えとして捉え直すことが兄弟を癒す治療法です。

前節で出てきた攻撃は愛を求める哀訴だという聖霊のレッスンの応用版です。

救済はひとりきりではなしえず、他者との関係の中での助け合いを通じてしかなしえないという救いの公式については、

レッスン275「今日、神の癒しの声があらゆるものを守ってくれる」

P2-III セラピストの役割

T19-4Di 平安への障害4−2

を参照してください。


自分に奉仕していたときには見つからなかったすべてが兄弟に奉仕したとたんに見出される



Stephen R. Covey
スティーブン・R.コヴィー

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幸福の追求人生の意味の探求悟りの境地を目指しての求道、すべてを通じて、皮肉にも、それを我が物にしようと追い求めているかぎりは決してそれを得ることはできず、自分が得るのを諦めて他者がそれを得られるように努めると、すでに自分にはそれが与えられていたのだと気づくパラドックスが起こります。

この逆説的な真理について、スティーブン・R.コヴィー先生が「第8の習慣」の最終章の結びで紹介してくださっている作者不詳の詩を引用しておきます。



わが神を探し求めたが、わが神は見つからなかった。

わが魂を探し求めたが、わが魂はどこかへ逃れた。

わが兄弟を探し求め、かれの求めに応えて仕えようとしたら

すべてが見つかった ー わが神、わが魂、そして汝も。



博愛主義を目指さない

冒頭のミンロウド鉱の鉱夫ヨルの言葉はとても大切です。




生命の水を飲むには、一般的に愛するのではなく、具体的な誰かを愛することが必要だと。

私たちは、イエス・キリストその他の聖人に倣って、万物、万人を等しく遇し愛する博愛の人にならなければならないというふうに発想して、それを目指してしまいがちです。

なので、具体的な誰かを愛するというと、自分に近しい身近な存在だけを差別的に優遇するエゴまみれな条件つきの愛であって無条件の愛、真の愛とはいえない、大いなる愛は、神の愛であり、無差別平等な博愛のはずだと。

もちろん、イェシュア、聖霊の愛が抽象性を本質とする無条件の博愛であるのは言うまでもありません。

けれど、イェシュアの大いなる愛が博愛として現れるのは、彼の存在が純度100%の神聖さそのもの、至聖なる存在であるがゆえで、イェシュアは神と等しく、"I am that I am"の"I am"、つまり、私たち具体的存在を体験する生命そのものだからです。これは、イェシュアの愛が一般的な薄っぺらなものであることを意味するわけではありません。むしろ逆で、イェシュアは、私たちが自分を、そして、身近な誰かを愛するよりもはるかに深く愛しているということです。

それに対して、具体的存在、哲学用語でいう現実存在=実存そのものである人間に自己同一化している私たちは、神聖ならざる存在であり、"I am"に私として生きられることで、具体的な物語の主人公として体験されている存在です。

その不純物の混じった幻想である私たちは、不純物を除去した神聖さを得よう、生命の水を飲みたいと願うわけですが、自分と同じように幻想であり不純な存在である万物、万人を等しく遇しようとするなら、かえって、不純物が蓄積して純度を失ってゆくだけに終わります。

これは、ほかの記事でもたまに紹介している色の三原色と光の三原色を例に考えるとわかりやすいです(正しい自己中になるにはどうすればよい?)。

光の三原色は均等に混じり合うとすべての色のスペクトルを含む白光になります。

これに対して、色の三原色が混じり合うと、どんどん暗くどす黒さを増して、やがて真っ黒な黒色になります。

実在と幻想、真実と虚偽、善と偽善でいうなら、実在、真実、善は光、幻想、虚偽、偽善は色です。


博愛は自分を誤魔化しさえすれば簡単にできる

この世界に生きる一人間であるかぎり、机上の学問による学びだけで万人を等しく愛することは絶対に不可能であり、そのような言葉を信じ、実践したとしても、それは虚偽を信じ、偽善を実践する自らに対する裏切りにしかなりません。

私たちエゴにとっては、博愛は、放っておいても湧いてくる自然な感情とは言いがたいもので、自分の素朴な感情を押さえつけて努力しなければなりません。

たしかに自分の吐く美しい理念に酔いしれていい気分を味わえるかもしれませんが、博愛を信じ実践しようとすればするほど、愛する相手の顔は見えず、のっぺらぼうの人形に奉仕しているような感覚になり、数の錯覚によって、多数の一部だけ救っても無意味だという勘違いが生まれ、無力感と空虚感にまみれて、光を放つどころか色が濃くなり、やがて闇に包まれることになります。


生身の誰かを無条件に愛することは容易ではない

これに対して、自分の身近な生身の誰かを愛することはーー無条件の愛ではなく、条件つきのものになりがちとはいえーー、エゴである私たちにとっても、努力しなくても自然にできることです。

映写機である自分という人間を通して投じた光を受けて、逆に自分のほうに輝きを返してくれる大切な存在、その人が喜び笑顔になるだけで自分も嬉しくなるし、その人が暗い顔をしているだけで自分も悲しくなるという大切な誰かを愛することは、身体である自分だけを愛する利己性の輪を広げることになります。

身近な人を愛し慈しみ、生身の心身で生命を通じ合う愛を体験することで、自分と他者とがひとつであり、自他の間に分離はなくそこには同じ生命があり、自分たちの本質は、その生命がひとつに結ばれている愛なのだ、本当の自分は身体ではなく愛そのものなのだという真実を垣間見るチャンスが与えられることになります。

その人から自分に対する非難や攻撃は実は愛を求める悲痛な哀訴であり、その人が自分を怒らせる場面は、自分が振り上げた剣を振り下ろして自分と一緒に相手を幽閉するか自由にするかの機会を与えてくれている自分の救い主なのであり、自分を傷つけたように思う相手に返すべきは、自分の傷を示して相手の罪深さを思い知らせることではなく、自分が傷ついてはおらず、相手に罪はないとわからせることなのだという聖霊の3大レッスンによって、自分が本当に愛する誰かを愛することができたなら、私たちは自分を偽らずに相手と自分の真の本質が愛であると気づいて光を放つことになります。

自我として自分の目の前の大切な誰かを愛する体験を通じて、自分以外の自分の知らない世界の遠くの誰かも、まったく自分と同じように、その人にとって大切な誰かを愛し愛される愛そのものなのだという気づきを得ることができます。

アインシュタインは、このことを私たちに教えてくれています(T1-intro,1 奇跡の原理)。


この具体性のある生身の人と人との間の愛の体験が深いものであればあるほど、自分以外の見知らぬ誰かもきっと自分と同じようにその人の大切な誰かを深く愛しているのだ、真に深く愛するとき、愛に条件はないのだ、すべての人を主人公とする「私」(=I AM)は、人の子ではなく神の子キリストなのだ、ということが理解できるようになるはずです。

生身の人と人として、お互いの心を通わし、魂がひとつに結ばれるような愛の交流を体験することのないまま、抽象的で理念的な愛の解釈をどれほどこねくり回しても、薄っぺらな「条件付きの愛」にしか到達できないでしょう。

冒頭でOSHOが語るように、愛について考えるのは容易だけれど愛することはとても難しいものであり、世界全体や神や人類を愛するのは、「愛する」といっても「愛について考える」ほうに属するので、簡単にできるけれど、現実に誰かを無条件に愛することは決して容易ではないのです。

レッスン345「私は今日、奇跡だけを与えることにする。というのも、私はその奇跡を自分の許へと戻してもらうつもりだからだ」で述べたように、愛の発露である利己性それ自体は悪ではなく、自他分離の錯覚が取り除かれるべきなだけです。

そして、この自他分離の感覚が錯覚であることへの気づきは、抽象的な博愛主義をいくら実践しても得られず、とことん具体的な一対一の愛を通じて、影響の輪を広げていくことでしか到達できないものです。

マトリックスで、ネオが人類愛ではなくトリニティへの特別な愛によって世界を救うことができたのはなぜか、マザー・テレサが目の前の生身の病んで困窮する弱者をイエス・キリストとして遇する一対一の関係にこだわったのはなぜか、奇跡のコースが世界を変えようとするのではなく心を変えよと教えるのはなぜなのか考えてみましょう。





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テキスト第十二章

II. The Way to Remember God
二 神を思い出す方法



1. Miracles are merely the translation of denial into truth.
 奇跡とは、単に拒絶を真理へと翻訳することでしかありません。

 If to love oneself is to heal oneself, those who are sick do not love themselves.
 もし自分を愛することが自分を癒すことだとすれば、病気にかかっている者たちは自分を愛していないことになります。

 Therefore, they are asking for the love that would heal them, but which they are denying to themselves.
 したがって、病人たちは自分を癒してくれる愛を求めながらも、自分に愛が与えられるのを自ら拒んでいるのです。

 If they knew the truth about themselves they could not be sick.
 もし病人たちが自分が本当は何者かという真理を知ったなら、彼らは病気でなどいられないはずです。

 The task of the miracle worker thus becomes to deny the denial of truth.
 したがって、真理を拒絶するのを否認することが、奇跡を起こす者に課せられた任務となります。

 The sick must heal themselves, for the truth is in them.
 病人たちの中に真理があるのだから、病人が自分自身を癒すに違いありません。

 Yet having obscured it, the light in another mind must shine into theirs because that light is theirs.
 もっとも、病人たちが真理を覆い隠してしまっているので、ほかの者の心の中の光が病人たちの心の中に射し込まなければなりません。なぜなら、ほかの心の中の光と病人たちが覆い隠している光は同じ光だからです。



2. The light in them shines as brightly regardless of the density of the fog that obscures it.
 病人たちの中にある光は、その光を覆い隠している霧の濃さにかかわらず、燦然と光り輝いています。

 If you give no power to the fog to obscure the light, it has none.
 もしあなたがその霧に光を覆い隠す力を一切与えなければ、霧は何の力も持ちません。

 For it has power only if the Son of God gives power to it.
 というのも、その霧が力を持つのは、ただ神の子が霧に力を与えるときだけだからです。

 He must himself withdraw that power, remembering that all power is of God.
 神の子は、あらゆる力は神に由来することを思い出し、自分自身で霧に力を与えるのをやめなければなりません。

 You can remember this for all the Sonship.
 あなたは神の子全体のために、このことを思い出すことができます。

 Do not allow your brother not to remember, for his forgetfulness is yours.
 自分の兄弟がそれを思い出さないままでいるのを容認してはなりません。というのも、兄弟の記憶喪失とあなたの記憶喪失は同じものだからです。

 But your remembering is his, for God cannot be remembered alone.
 しかし、神をひとりきりで思い出すことはできないので、神の子が霧に力を与えることで自分たちがひとつであることを忘れていたのだと、あなたが思い出すことによって、その兄弟も自分たちがひとつだと思い出すことになります。

 This is what you have forgotten.
 独力では神を思い出せないことこそ、まさにあなたが忘れてしまっていることです。

 To perceive the healing of your brother as the healing of yourself is thus the way to remember God.
 このようにして、自分の兄弟が癒されることが自分自身が癒されることだと知覚することが、神を思い出す方法なのです。

 For you forgot your brothers with him, and God's Answer to your forgetting is but the way to remember.
 というのも、あなたは神を忘れるのと一緒に自分の兄弟たちも忘れてしまっており、そして、このあなたの忘却に対する神の大いなる答えが、この思い出す方法にほかならないからです。

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3. Perceive in sickness but another call for love, and offer your brother what he believes he cannot offer himself.
 病気の中に、ただ愛を求めるもうひとつの呼び声だけを知覚しなさい。そして、あなたの兄弟に彼が自分では自分に与えることができないと信じているものを差し延べてください。

 Whatever the sickness, there is but one remedy.
 どのような病気であれ、ただひとつの治療法しか存在しません。

 You will be made whole as you make whole, for to perceive in sickness the appeal for health is to recognize in hatred the call for love.
 あなたが兄弟を完全なものにするなら、あなたも完全なものとなるでしょう。というのは、病気のことを健やかでありたいという哀訴として知覚することが、憎しみの中に愛を求める呼び声を認識することになるからです。

 And to give a brother what he really wants is to offer it unto yourself, for your Father wills you to know your brother as yourself.
 そして、兄弟に彼が真に望んでいるものを与えることは、それをあなた自身に差し延べることになります。というのは、あなたの大いなる父は、あなたが自分の兄弟は自分自身なのだと知ることを意図しているからです。

 Answer his call for love, and yours is answered.
 その兄弟の愛を求める呼び声に応えなさい。そうすれば、あなたの呼びかけは応えてもらえるでしょう。

 Healing is the love of Christ for his Father and for himself.
 癒しとは、大いなる父とキリスト自身に対するキリストの愛のことです。



4. Remember what was said about the frightening perceptions of little children, which terrify them because they do not understand them.
 以前に幼い子供たちの恐怖の知覚について述べたことを思い出してください。恐怖の知覚が子供たちを恐れさせるのは、子供たちが自分が怖いと知覚しているものが何なのか理解していないせいでした。

 If they ask for enlightenment and accept it, their fears vanish.
 もし子供たちが自分が何を恐ろしいと知覚しているのか明確に理解できるように求めて、その理解を受け入れるなら、子供たちの恐れは消え去ってしまいます。

 But if they hide their nightmares they will keep them.
 しかし、子供たちが自分たちの悪夢を隠そうとするなら、子供たちは悪夢を保ち続けることになります。

 It is easy to help an uncertain child, for he recognizes that he does not understand what his perceptions mean.
 確信を持てずにいる子供を助けてあげるのは簡単なことです。というのは、その子は自分の知覚するものが何を意味するのか自分がわかっていないと認識しているからです。

 Yet you believe that you do understand yours
 それに比べてあなたは、自分の知覚するものが何を意味するのか自分はちゃんとわかっていると信じています。

 Little child, you are hiding your head under the cover of the heavy blankets you have laid upon yourself.
 幼子よ、あなたは自分に分厚い毛布を被せて、その毛布の下に頭を隠そうとしているのです。

 You are hiding your nightmares in the darkness of your own false certainty, and refusing to open your eyes and look at them.
 あなたは自分自身の間違った確信という闇の中に自分の悪夢を隠して、目を見開いてそれを見るのを拒絶しているのです。

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5. Let us not save nightmares, for they are not fitting offerings for Christ, and so they are not fit gifts for you.
 悪夢を取っておくようなことはやめにしましょう。というのも、そんなものはキリストにふさわしい捧げものではないので、そんなものはあなたにもふさわしい贈り物ではないからです。

 Take off the covers and look at what you are afraid of.
 覆いを取り去って、あなたの恐れているものを直視しなさい。

 Only the anticipation will frighten you, for the reality of nothingness cannot be frightening.
 ただ予期することだけがあなたに恐怖心を抱かせるのです。なぜなら、本当は無でしかないものが恐ろしいものになどなりようがないからです。

 Let us not delay this, for your dream of hatred will not leave you without help, and help is here.
 私たちでこうして恐れているものを直視することに取り組むのを遅らせないようにしましょう。なぜなら、助けなくしては、あなたの見ている憎悪の夢があなたの許を去ることはありませんが、その助け主がここにいるからです。

 Learn to be quiet in the midst of turmoil, for quietness is the end of strife and this is the journey to peace.
 騒乱のまっただ中にあっても、心静かでいることを学びなさい。というのは、静寂こそが争いの終わりであり、この道は平安への旅路だからです。

 Look straight at every image that rises to delay you, for the goal is inevitable because it is eternal.
 あなたの旅路を遅れさせようとして現れてくる一つひとつの虚像を真正面から見つめなさい。というのは、旅路の目的地は永遠であるがゆえに、そこに辿り着くことは必定だからです。

 The goal of love is but your right, and it belongs to you despite your dreams.
 愛という目的地に辿り着くことは、あなたの権利にほかなりません。だから、あなたがどんな夢を見ようとも、愛はあなたに属しているのです。



6. You still want what God wills, and no nightmare can defeat a child of God in his purpose.
 あなたは今なお、神が意図することを望んでいます。そして、いかなる悪夢も神の子の目的を挫くことはできません。

 For your purpose was given you by God, and you must accomplish it because it is his will.
 なぜなら、あなたの目的は神によってあなたに与えられたものであり、それが神の意志であるがゆえに、あなたは必ず目的を成し遂げるからです。

 Awake and remember your purpose, for it is your will to do so.
 目を覚まして、自らの目的を思い出してください。なぜなら、そうすることこそがあなたの意志だからです。

 What has been accomplished for you must be yours.
 あなたのためにすでに成し遂げられているものは、あなたのものであるに違いないのです。

 Do not let your hatred stand in the way of love, for nothing can withstand the love of Christ for his Father, or his Father's love for him.
 あなたの抱く憎しみに愛の行く手を阻ませてはなりません。なぜなら、何ものも、父に対するキリストの愛に、そして、キリストに対する父の愛に逆らうことなどできないからです。

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7. A little while and you will see me, for I am not hidden because you are hiding.
 間もなく、あなたは私を見ることになります。というのは、あなたが隠れているからといって、私まで隠されてしまうわけではないからです。

 I will awaken you as surely as I awakened myself, for I awoke for you.
 私は、自分自身を目覚めさせたのと同じくらい確実に、あなたを目覚めさせるつもりです。なぜなら、私が目覚めたのはあなたのためだからです。

 In my resurrection is your release.
 私が復活することで、あなたは解放されます。

 Our mission is to escape from crucifixion, not from redemption.
 私たちの使命は、キリストの救済から逃れることではなく、キリストの磔刑から逃れることです。

 Trust in my help, for I did not walk alone, and I will walk with you as our Father walked with me.
 私があなたを助けることを信頼してください。というのも、私はひとりで歩んだのではないし、私たちの大いなる父が私とともに歩んでくれたように、私もあなたとともに歩むつもりだからです。

 Do you not know that I walked with him in peace?
 私が平安のうちに大いなる父とともに歩んだことを、あなたは知らないとでもいうのでしょうか。

 And does not that mean that peace goes with us on the journey?
 そして、このことは、私たちの旅路においても、平安が私たちとともに歩んでくれることを意味しないでしょうか。



8. There is no fear in perfect love.
 完全な愛には恐れなどありません。

 We will but be making perfect to you what is already perfect in you.
 私たちはただ、あなたの中ですでに完璧であるものを、あなたにとって完璧なものにしようとしているだけです。

 You do not fear the unknown but the known.
 あなたは未知なるものを恐れているのではなく、すでに知っているものを恐れているのです。

 You will not fail in your mission because I did not fail in mine.
 私が自らの使命を果たすことに失敗しなかったのですから、あなたが自分の使命を果たし損ねるはずがありません。

 Give me but a little trust in the name of the complete trust I have in you, and we will easily accomplish the goal of perfection together.
 私があなたに抱いている完全な信頼に応えて、ほんのわずかでいいので私を信頼してもらいたいのです。そうすれば、私たちは一緒に完全性という目標に容易に到達するでしょう。

 For perfection is, and cannot be denied.
 というのは、完全なるものは確かに実在し、それを否認することなどできないからです。

 To deny the denial of perfection is not so difficult as to deny truth, and what we can accomplish together will be believed when you see it as accomplished.
 完成を拒むのをやめるのは、真理を否認することほど困難ではありません。そして、私たちが一緒に成し遂げることができるものは、あなたがそれをすでに完了したものとみなすなら、信じられるようになるはずです。

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9. You who have tried to banish love have not succeeded, but you who choose to banish fear must succeed.
 愛を追い払おうとして、あなたは成功しませんでした。しかし、恐れを追い払うことを選ぶなら、あなたは必ず成功します。

 The Lord is with you, but you know it not.
 主はあなたとともに在ります。ただし、あなたはそのことを知りません。

 Yet your Redeemer liveth, and abideth in you in the peace out of which he was created.
 それでも、あなたの偉大なる救い主は生きており、自らが創造された平安のうちにあなたの中に留まっています。

 Would you not exchange this awareness for the awareness of fear?
 あなたは恐れの意識を、この平安の自覚に置き換えたいと思わないでしょうか。

 When we have overcome fear--not by hiding it, not by minimizing it, and not by denying its full import in any way--this is what you will really see.
 恐れを隠したり、実際よりも軽視したり、何らかの方法で恐れがありのままに意味することを否認することによってではなく、私たちが恐れを克服したとき、あなたは恐れを平安と交換し、自分の中に救い主が平安のうちに留まっているさまを真に見ることになります。

 You cannot lay aside the obstacles to real vision without looking upon them, for to lay aside means to judge against.
 あなたは、真のヴィジョンで見ることを妨げている障害をしっかり見ることなしには、それらの障害を放棄することはできません。というのも、放棄することは捨て去ろうとするものに価値がないと判断を下すことだからです。

 If you will look, the Holy Spirit will judge truly.
 もしあなたが見ようとするなら、聖霊が正しく裁いてくれるでしょう。

 Yet he cannot shine away what you keep hidden, for you have not offered it to him and he cannot take it from you.
 けれども、あなたが隠し続けるものについては、聖霊も光を当てて消滅させることができません。なぜなら、あなたがそれを聖霊に差し出さなければ、聖霊はあなたからそれを受け取ることができないからです。



10. We are therefore embarking on an organized, well-structured and carefully planned program aimed at learning how to offer to the Holy Spirit everything you do not want.
 そこで、私たちは今から、あなたが望まないものをひとつ残らず聖霊に差し出す方法を学ぶことに狙い定めて体系化され、しっかりと組み立てられ、周到に計画された学習課程に進みます。

 He knows what to do with it.
 聖霊は、あなたから差し出されたものをどう処理すべきか知っています。

 You do not understand how to use what he knows.
 あなたのほうは、聖霊が知っていることをどのように用いればよいか理解していません。

 Whatever is given him that is not of God is gone.
 聖霊に差し出されるものが何であれ、それが神に属さないものであれば、それは消え去ることになります。

 Yet you must look at it yourself in perfect willingness, for otherwise his knowledge remains useless to you.
 しかし、あなたは自分自身で完全な意欲をもって、進んでそれを見なければなりません。というのは、そうしないと、あなたは聖霊の知識を活用できないままになってしまうからです。

 Surely he will not fail to help you, since help is his only purpose.
 当然のことですが、聖霊があなたを助け損ねることなどありえません。なぜなら、助けることだけが聖霊の唯一の目的だからです。

 Do you not have greater reason for fearing the world as you perceive it, than for looking at the cause of fear and letting it go forever?
 あなたには、恐れの原因をしっかりと見極めてそれを永久に手放すよりも、自分が知覚するままに世界を恐れ続けているほうがよい理由などどこにもないのではないでしょうか。


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