T3-4 誤りとエゴ

2015年01月17日
テキスト第3章(潔白な知覚) 0

エゴの幻想を通じて眺めているくせに、他人がそうしたからといって、自分のことを他人よりましだとか優れているとかと考えることはできない。そこには、四方八方で数かぎりないかくれんぼをしている、ただひとつの〈自己〉があるだけなのだ。

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アラン・ワッツ


The ego is nothing other than the focus of conscious attention.
エゴとは、意識的な注意を集中することにほかならない。

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Alan Watts
アラン・ワッツ





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今回は、テキスト第三章から「誤りとエゴ」という一節をご紹介します。


人間の意識

本節では、人間の意識について語られます。

「2. Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator.
 意識という知覚のレベルは分離以後に心の中に取りこまれた最初の分裂でした。この意識が、心を創造するものではなく、知覚するものに変えてしまったのです。

 Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.
 意識は、正確にはエゴが支配する領域として位置づけられるべきものです。」

「ユーザーイリュージョン―意識という幻想」 トール・ノーレットランダーシュ著が参考になると思います。


意識がエゴの支配領域っていう表現は変な感じ

意識がエゴの占拠する領地だという指摘には違和感を覚える人も多いかもしれません。

けれど、意識とは一般的には現在経験している自分の状態や周囲の状況などを感知している心の状態、つまり自覚を意味するので、知覚する主体と知覚される客体の分離を前提とします。

分離が起こる前、つまり、意識が生じる前は、神の子は自らが神に創造された存在であり、自分がすべてを持ち、すべてであることを確信していました。


意識=自覚は、全体性の確信を失い自他分離を前提にして生まれるもの

神の子の本来の状態は、すべてを所有すると同時にすべてでもある一なる状態であり、主客が分離していないので、自分を主体として対象となる客体を知覚するということが観念できず、できるのは自らを確信することだけです。

分離以後は、自分が何者かという確信を喪失し、意識という枠の中でしか物事を知覚できなくなり、知覚の道具として身体が存在するようになりました。


したがって、全体でひとつであることを確信する一なる状態から、狂気によって分離幻想を抱き、自らを確信すること=知識を喪失して、空想の中で無数に区画された部分を作り出して、その一区画だけに自覚を集中して個別の意識を抱く状態がエゴの作用であり、認識、自覚の範囲を狭めて限界づける意識というものがエゴの支配する領域にほかならないということは、考えてみればその通りだということに気づくはずです。

意識は、インターネットを閲覧する端末の画面であり、ハードディスクのフォルダの下の階層を開いたウインドウであり、特定の場所の地図であり、カメラの画面に映る被写体の範囲を縁取り限定する画角、フレームです。


知覚は確信をもたらすものではなく、限定的な観点から見える限られた視野から得られる断片的な自覚とそれを元にした解釈を余儀なくするので、本当の自分についてのうっすらとした自覚と身体の器官を介しての知覚の葛藤に耐えられず、私たちは、自分は霊ではなく身体なのだと解釈することになりました。


救済とは分離のプロセスを逆転させて全体の確信に戻ること



そこで、救済は、このプロセスを逆転させて、身体が自分だという解釈が誤りであることに気づき、知覚したものを意識という枠づけられたスクリーンの中で操作して解釈するエゴの作用によって身体が自分だと感じる自意識が錯覚であることを、赦しの実践によって理解し、身体という最もミクロな縮約の層まで降りて見ていた世界を最もマクロな全体像を見渡すとともに透視する視覚であるヴィジョンを身につけることによって成就することになります。

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テキスト第三章

IV. Error and the Ego
四 誤りとエゴ



1. The abilities you now possess are only shadows of your real strength.
 あなたが今持っている諸々の能力は、あなたが真に持つ力の影でしかありません。

 All of your present functions are divided and open to question and doubt.
 あなたが現時点で果たせる役割は多様に分裂しているので、あなたが現に担う役割がふさわしいかどうかにはつねに疑問や疑惑を挟む余地があります。

 This is because you are not certain how you will use them, and are therefore incapable of knowledge.
 これは、あなたが自分の能力をどのように用いればよいのか確信が持てず、そのせいで、知識を得られずにいるからです。

 You are also incapable of knowledge because you can still perceive lovelessly.
 そしてまた、愛を伴わずに知覚しようとすれば、あなたにはまだそれができてしまうので、あなたは知識を得られずにいるのです。

 Perception did not exist until the separation introduced degrees, aspects and intervals.
 分離によって程度であるとか物事を見る観点や間隔などがもたらされるまでは、知覚は存在しませんでした。

 Spirit has no levels, and all conflict arises from the concept of levels.
 霊はレベルなど持たないので、すべての葛藤はレベルという概念を抱くことから生じます。

 Only the Levels of the Trinity are capable of unity.
 ただ三位一体のレベルだけは、統一へと調和することができます。

 The levels created by the separation cannot but conflict.
 しかし、分離によって生み出された諸々のレベル同士は矛盾せざるをえません。

 This is because they are meaningless to each other.
 こうなってしまうのは、それらのレベルはお互いにとって意味をなさないからです。



2. Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator.
 意識という知覚のレベルは分離以後に心の中に取りこまれた最初の分裂でした。この意識が、心を創造するものではなく、知覚するものに変えてしまったのです。

 Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.
 意識は、正確にはエゴが支配する領域として位置づけられるべきものです。

 The ego is a wrong-minded attempt to perceive yourself as you wish to be, rather than as you are.
 そのエゴとは、自分自身をありのままにではなく、あなたがそうありたいと願う姿として知覚しようとする心の間違った試みのことです。

 Yet you can know yourself only as you are, because that is all you can be sure of.
 しかし、あなたは自分自身のことを、ただありのままの自分としてしか知ることはできません。なぜなら、あなたが確信できるのは、ありのままの自分だけだからです。

 Everything else is open to question.
 ありのままのあなたを知ること以外のすべてのことには、疑問が入りこむ余地があるのです。

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3. The ego is the questioning aspect of the post-separation self, which was made rather than created.
 エゴとは、分離以後の自己の懐疑的な側面を指し、それは創造されたものではなく、作り出されたものです。

 It is capable of asking questions but not of perceiving meaningful answers, because these would involve knowledge and cannot be perceived.
 エゴは質問することはできても、意味のある答えを知覚できません。というのも、意味のある答えには、知識が含まれているはずなので、知覚できるものではないからです。

 The mind is therefore confused, because only One- mindedness can be without confusion.
 それゆえに、分離した心は混乱してしまいます。なぜなら、混乱せずにいられるのは、心がひとつに結ばれた状態だけだからです。

 A separated or divided mind must be confused.
 分離した心、つまり、ばらばらに分割された心は混乱せざるをえません。

 It is necessarily uncertain about what it is.
 分離した心が自分は何なのか確信が持てなくても、それは当然です。

 It has to be in conflict because it is out of accord with itself.
 自分自身と調和していないので、分離した心は葛藤せざるをえないからです。

 This makes its aspects strangers to each other, and this is the essence of the fear-prone condition, in which attack is always possible.
 こんな葛藤が、分離した心の側面同士を互いに見も知らぬ間柄に変えてしまいます。そして、これこそが、恐れを抱きがちな心の状態の本質であり、この心理状態はいつでも攻撃する可能性を秘めています。

 You have every reason to feel afraid as you perceive yourself.
 自分自身を知覚しようとして、あなたが恐怖を感じずにいられるわけがないのです。

 This is why you cannot escape from fear until you realize that you did not and could not create yourself.
 これが、あなたが自分で自分を創造しなかったし創造することもできなかったことを理解するまでは、あなたが恐れから逃がれられない理由です。

 You can never make your misperceptions true, and your creation is beyond your own error.
 あなたには、自分が誤って知覚したことを真実に変えることは絶対にできません。そして、あなたがどんなに誤ろうが、それによって、あなたが創造されたという事実が変わる余地はありません。

 That is why you must eventually choose to heal the separation.
 だからこそ、あなたは最終的には、分離を解消することを選ぶに違いないのです。

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4. Right-mindedness is not to be confused with the knowing mind, because it is applicable only to right perception.
 正しい心の状態を、知る心と混同しないようにしなさい。なぜなら、正しい心の状態は正しく知覚することを指すものとしてのみ用いることができるからです。

 You can be right-minded or wrong- minded, and even this is subject to degrees, clearly demonstrating that knowledge is not involved.
 あなたは正しい心でいることも誤った心でいることもできますが、この正誤ですら度合いに左右されるものであり、このことは、知識が正しい心とは関わりを持たないことを明確に実証しています。

 The term "right-mindedness" is properly used as the correction for "wrong-mindedness," and applies to the state of mind that induces accurate perception.
 「正しい心の状態」という用語は、「誤った心の状態」を修正するものとして用いるのが適切であり、正確な知覚を引き起こす心の状態にあてはまります。

 It is miracle-minded because it heals misperception, and this is indeed a miracle in view of how you perceive yourself.
 正しい心の状態は、誤った知覚を癒すので、奇跡を志向する心の状態です。そして、この誤った知覚が癒されて正しい心の状態に至る知覚の変化は、あなたが自分をどのように知覚するかという観点から見るなら、まさに奇跡です。



5. Perception always involves some misuse of mind, because it brings the mind into areas of uncertainty.
 知覚は、つねに何らかの心の誤用を伴います。なぜなら、知覚は心を不確実な領域の中へと引きこむからです。

 The mind is very active.
 誤用された心は非常に活動的になります。

 When it chooses to be separated it chooses to perceive.
 心が分離することを選ぶとき、心は知覚することを選ぶことになるからです。

 Until then it wills only to know.
 心が知覚することを選ぶまでは、心はただ知ろうとするだけです。

 Afterwards it can only choose ambiguously, and the only way out of ambiguity is clear perception.
 心が知覚することを選んだあとは、心は曖昧な選び方しかできなくなります。そんな曖昧な状態から抜け出す唯一の方策は、明確に知覚することだけです。

 The mind returns to its proper function only when it wills to know.
 心はただ知ろうとするときにのみ、本来の適切な機能を回復します。

 This places it in the service of spirit, where perception is changed.
 知ろうとすることによって、心は霊に仕える位置に置かれることになり、そこにおいて、知覚の仕方が変えられることになるからです。

 The mind chooses to divide itself when it chooses to make its own levels.
 心が自分で独自に複数のレベルを作ることを選ぶなら、心は自分自身を分割することを選ぶことになります。

 But it could not entirely separate itself from spirit, because it is from spirit that it derives its whole power to make or create.
 しかし、心には自分自身を霊から完全に分離することはできません。なぜなら、心が作ったり創造したりするために必要とする力のすべてを、心は霊から引き出して得ているからです。

 Even in miscreation the mind is affirming its Source, or it would merely cease to be.
 誤って創造しているときですら、その心は自らの大いなる源である霊を肯認しているのです。さもなければ、心はただ消滅するしかなくなってしまうはずです。

 This is impossible, because the mind belongs to spirit which God created and which is therefore eternal.
 しかし、心が消滅することなど不可能です。なぜなら、心は、神に創造されたがゆえに永遠なるものである霊に属するものだからです。

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6. The ability to perceive made the body possible, because you must perceive something and with something.
 知覚する能力が身体を存在できるようにしたのです。なぜなら、あなたが何かを知覚するには、何かを用いて知覚しなければならないからです。

 That is why perception involves an exchange or translation, which knowledge does not need.
 この理由から、知覚するためには、知識には必要のない変換や解釈が必要となります。

 The interpretative function of perception, a distorted form of creation, then permits you to interpret the body as yourself in an attempt to escape from the conflict you have induced.
 そうして、あなたが自分の引き起こした葛藤から逃れようと試みる際に、創造力の歪んだ形態のひとつである知覚が持つ解釈する機能が、あなたに自分は身体だと解釈できるようにします。

 Spirit, which knows, could not be reconciled with this loss of power, because it is incapable of darkness.
 知るものである霊は、こんな解釈をして力を失うことに甘んじるなどできませんでした。なぜなら、霊には闇と折り合いをつけることなど不可能なことだからです。

 This makes spirit almost inaccessible to the mind and entirely inaccessible to the body.
 自分を身体と同一視する解釈を霊が是としないことによって、霊は、分離した心にとってほとんど近づきがたい存在となり、そして、身体にとっては完全に手の届かない存在になってしまいます。

 Thereafter, spirit is perceived as a threat, because light abolishes darkness merely by showing you it is not there.
 そのあとは、霊は脅威として知覚されるようになります。なぜなら、霊の光は、単にそこに闇などないとあなたに示すだけで、自分を身体と同一視する心から闇を完全に払拭してしまうからです。

 Truth will always overcome error in this way.
 真理は、つねにこのようにして誤りを克服します。

 This cannot be an active process of correction because, as I have already emphasized, knowledge does not do anything.
 この真理による誤りの克服は、積極的な修正のプロセスではありえません。なぜなら、私がすでに強調しておいたように、知識は何かを積極的にするということがないからです。

 It can be perceived as an attacker, but it cannot attack.
 知識が攻撃しているように知覚されることはありえます。しかし、知識は攻撃することができません。

 What you perceive as its attack is your own vague recognition that knowledge can always be remembered, never having been destroyed.
 あなたが知識からの攻撃であるように知覚するものがあるとすれば、それは、知識は決して破壊されることはないので、いつでも知識を思い出すことができることに、おぼろげながらもあなた自身が感づいている印です。

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7. God and His creations remain in surety, and therefore know that no miscreation exists.
 神と神の創造物たちは確信したままです。それゆえ、神と神の創造物は、誤って創造されたものなど何も存在しないと知っています。

 Truth cannot deal with errors that you want.
 あなたが望んでも、真理が誤りに取り合うことなどできません。

 I was a man who remembered spirit and its knowledge.
 私は、霊と霊の知識を思い出した人間でした。

 As a man I did not attempt to counteract error with knowledge, but to correct error from the bottom up.
 ひとりの人間として、私は誤りに対して知識で対抗しようとするのではなく、誤りをその根底から正すことを試みました。

 I demonstrated both the powerlessness of the body and the power of the mind.
 私は、身体の無力さと心の持つ力の両方を実証しました。

 By uniting my will with that of my Creator, I naturally remembered spirit and its real purpose.
 私の意志を私の偉大なる創造主の意志とひとつに結び合せることによって、私は霊と霊の持つ真の目的を自然に思い出したのです。

 I cannot unite your will with God's for you, but I can erase all misperceptions from your mind if you will bring it under my guidance.
 私には、あなたに代わってあなたの意志を神の意志に結び合わせることはできません。しかし、もしあなたが私の導きの下にあなたの心を差し出してくれるなら、私はあなたの心から、あなたの誤った知覚をすべて消し去ることができます。

 Only your misperceptions stand in your way.
 単に、あなたが誤って知覚したことがあなたの進路を塞いでいるだけです。

 Without them your choice is certain.
 誤った知覚がなくなれば、あなたが神の意志を選ぶことは間違いありません。

 Sane perception induces sane choosing.
 正気の知覚は、正気の選択を引き起こすからです。

 I cannot choose for you, but I can help you make your own right choice.
 私はあなたの代わりに選ぶことはできませんが、私はあなたが自分で正しく選ぶのを助けることができます。

 "Many are called but few are chosen" should be, "All are called but few choose to listen. "
 「呼ばれる者は多いが、選ばれる者はほとんどいない」と言われているのは、「誰もが呼ばれているが、耳を傾けることを選ぼうとする者はほとんどいない」とすべきです。

 Therefore, they do not choose right.
 したがって、人々は正しい選択をしていないということです。

 The "chosen ones" are merely those who choose right sooner.
 「選ばれた者たち」とは、単により早く正しい選択をした者たちのことを言うにすぎません。

 Right minds can do this now, and they will find rest unto their souls.
 正しい心にあるならば、今、正しい選択をすることができるし、そうしてこそ、彼らは自らの魂の安らぎを見出すでしょう。

 God knows you only in peace, and this is your reality.
 神は、平安の中にいるあなただけを知っています。そして、これこそ本当のあなたなのです。


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 松山 健 Matsuyama Ken
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