T4-1 正しい教えと正しい学び
2015年01月18日
The mediocre teacher tells.
凡庸な教師は伝えるべきことを喋るだけ。
The good teacher explains.
よい教師はわかるように説明する。
The superior teacher demonstrates.
優れた教師は自らやってみせる。
The great teacher inspires.
偉大な教師は生徒の心に火をつける。

William Arthur Ward
ウィリアム・アーサー・ウォード
共同体感覚の高い人が教師になるなら、目的は貢献である。
共同体感覚の低い人が教師になるなら、目的は弱者を支配して弱者の中で安住することである。

アルフレッド・アドラー
Men are born ignorant, not stupid.
人は何も知らない無知に生まれはするが、愚かに生まれるわけではない。
They are made stupid by education.
人は教育によって愚か者に仕立て上げられるのだ。

Bertrand Russell
バートランド・ラッセル

今回はテキスト第四章から、「正しい教えと正しい学び」をご紹介します。
M-Intro 教師のためのマニュアル 序文が参考になると思います。
エゴには学ぶ力があるし、教わる必要がある
本節では、全般的には、いつも通り、エゴの邪悪さをあげつらう論調ですが、つぎの文章のくだりでは、エゴには学ぶ力があり、エゴは教わる必要があるということが述べられます。
「Nevertheless, the ego can learn, even though its maker can be misguided.
とはいえ、たとえエゴの作り手が誤って導かれることがありうるとしても、エゴ自体は学ぶことができます。
He cannot, however, make the totally lifeless out of the life-given.
エゴの作り手がどんなに誤って導かれたところで、彼には、生命を授けられたものから完全に生命のないものを作り出すことはできません。
3. Spirit need not be taught, but the ego must be.
霊は教わる必要などありませんが、エゴは教わる必要があります。
Learning is ultimately perceived as frightening because it leads to the relinquishment, not the destruction, of the ego to the light of spirit.
学ぶことは、根源的に恐れに満ちたものとして知覚されます。なぜなら、学びはエゴを破壊しないにしても、エゴを霊の光に向けて手放すことへと導くからです。
This is the change the ego must fear, because it does not share my charity.
これはエゴが恐れるに違いない変化です。なぜなら、エゴが私の思いやりを共有することはないからです。」
本質が無であるエゴを本質通り無に帰すためにエゴの学ぶ力を活用する
エゴは否認すべき敵だというスタンスでいると、エゴに何を教えて学ばせるの?と、疑問が湧いて、少しわかりにくい箇所かもしれません。
エゴの作り主である神の子が誤って創造することでエゴは生まれましたが、エゴは誤りから脱することができないわけではなく、エゴには学ぶということ自体は可能です。
そして、神の子はどんなに誤ったところで、神の授けた生命から完全に生命のない無を作り出すことはできません。
つまり、エゴというのは影であり、無なので、神の子はエゴを作ったようにみえていても、本当はエゴはないということです。
これが真実だということがわからない狂気に神の子が陥っているからこそ、エゴがいるように思えているわけで、この狂気から脱するうえで、無であるとしても、エゴを活用することが役に立つということです。
それはアンラーンの学び
エゴの学ぶ力を生かして真理に至る道である、正しい知覚の仕方を学ぶことができます。
そして、コースでいう学びとは、世界の学びのように自分の外の情報を取り入れることではなく、世界から取り入れた偽りの想念、思考体系のすべてを忘れ去る学習棄却、アンラーン(unlearning)だということでした。
したがって、実在しないエゴが持つ学ぶ力によって、学習棄却、アンラーン(unlearning)を進めて、エゴや世界や身体は実在するという信念が錯覚であることに気づいて正しい知覚に至り、そこから知識を取り戻し、狂気から脱するということです。
コースでは、個別の心である小さな自己である私たちについて、影の部分を指すときには「エゴ」と呼び、神の子の分霊である魂、大いなる光(Great lay)のかけらとしての閃光である小さな自己の中の決定者(decision-maker)を指すときには「あなた」と呼び、ときにそれを「閃光」(little spark)と呼称します。
この文章では、「あなた」に、「エゴ」を攻撃することによってではなく、学ばせることによって自らが実在しないという真実に気づかせて、霊の光の中に放棄するようにと語っているのです。
私たちは自分のエゴをイェシュアに任せることができる

「13. I will substitute for your ego if you wish, but never for your spirit.
もしあなたが望むなら、私はあなたのエゴと入れ替わるつもりです。しかし、私があなたの霊と入れ替わることは決してありません。
・・・
I can be entrusted with your body and your ego only because this enables you not to be concerned with them, and lets me teach you their unimportance.
私はあなたの身体とあなたのエゴを引き受けることができます。それはただ、そうすることで、あなたは自分の身体やエゴに煩わされなくて済むし、また、それによって、私は身体やエゴは重要ではないとあなたに教えることができるからです。」
この文章は、T2-6 恐れと葛藤の恐れのコントロールの箇所と関連するので、ご一読ください。
先人が自ら苦心して得た教訓を学ぶために先人と同じ道を辿る必要はない
本節の最後の文章はこう述べています。
「Remember this:
次のことを覚えておきなさい。
In this world you need not have tribulation because I have overcome the world.
この世界において、あなたは苦難に遭う必要などありません。なぜなら、私がすでにこの世界を克服しているからです。
That is why you should be of good cheer.
だからこそ、あなたは元気を出すべきなのです。」
これが私たちの偉大なる兄イェシュアの意図するところです。
優しい愛に溢れる兄イェシュアは、愛する弟と妹たちが苦しまずに済むようにと願って、自分が苦労して学んだことを伝えようとしてくれています。
私たちが兄弟の経験から学ぶことを聖霊は喜ぶ
「10. We are still equal as learners, although we do not need to have equal experiences.
私とあなたは、今なお学ぶ者として同等の存在です。だからといって、あなたが私と同等の経験をしなければならないわけではありません。
The Holy Spirit is glad when you can learn from mine, and be reawakened by them.
あなたが私の経験から学ぶことができて、その学びによって再び目覚めるとき、聖霊は喜びます。
That is their only purpose, and that is the only way in which I can be perceived as the way, the truth and the life.
このように、あなたが私の経験から学んで再び目覚めることこそが、私の経験の唯一の目的であり、これこそ、私が道であり、真理であり、生命であるとして知覚されうるための唯一の方法です。
When you hear only one Voice you are never called on to sacrifice.
あなたがひとつの大いなる声にのみ耳を傾けるなら、あなたは決して犠牲を要求されることはありません。
On the contrary, by being able to hear the Holy Spirit in others you can learn from their experiences, and can gain from them without experiencing them directly yourself.
それどころか、ほかの者たちの中にいる聖霊からも聞くことができるようになるので、あなたは他者の経験から学べるようになり、自分自身で直接経験しなくても、他者の経験から学びを得られるようになります。
That is because the Holy Spirit is One, and anyone who listens is inevitably led to demonstrate His way for all.
その理由は、聖霊がひとつだからであり、聖霊に耳を傾ける者は誰でも、必然的に、聖霊の道をすべての者たちに実証する結果となるからです。」(T6-intro,1 キリストの十字架刑の真の意味とは?)
大いなる心はひとつ→人類の経験はストレージに保管されていて、私たちの心の障壁が取り払われて、共有されるのを待ち受けている
ひとつしか存在しない大いなる心は、ある人が苦難を乗り越えるために苦労して得た教訓をすでに糧として得ています。
そうだというのに、私たちは分離の錯覚にとらわれているために、この教訓を分かち合うことができず、先人の踏んだのとまったく同じ轍を踏むという誤りを繰り返しています。
長年にわたり、さまざまな事故事例の記録や裁判例を収集してはいるものの、ストックするばかりで、抽出した教訓の周知徹底がなされず、また、先人の知見を活用したいと望む後進がアクセスできるよう効率的な検索システムの構築がなされていないために、せっかく集めた情報が宝の持ち腐れになって、先人の得た教訓を後進が活かすことができないままになっているような状態です。
実は、聖霊という万能の教訓活用システムが完備されているのに、アイデンティティー障害により、アカウントとパスワードが合わずに、システムが活用できていないだけです。
正しくアイデンティティーを据え直せば、各自の前のヴェールが引き上げられて、キリストの顔という顔認証によって聖霊の万能の知識にアクセスできるわけです。
他者と結ばれることを通じて各自の得た教訓を分かち合って生かし合い、このような虚しく無意味な悲惨さを脱するようにというイェシュアの意図に応えたいものです。

テキスト第四章
I. Right Teaching and Right Learning
一 正しい教えと正しい学び
1. A good teacher clarifies his own ideas and strengthens them by teaching them.
優れた教師は自らの抱く考えを教えることによって、自らの考えを明確にし、それを強固なものにします。
Teacher and pupil are alike in the learning process.
学びのプロセスにおいて、教師と生徒は同等の存在です。
They are in the same order of learning, and unless they share their lessons conviction will be lacking.
教師と生徒はともに学びの同じ階層にいるのであって、彼らが自分たちの学ぶレッスンをお互いに分かち合わなければ、ともに確信を欠いたままになるでしょう。
A good teacher must believe in the ideas he teaches, but he must meet another condition; he must believe in the students to whom he offers the ideas.
優れた教師は、まず自分が教える考えを信じていなければなりません。それだけでなく、彼はさらにもうひとつの条件も満たす必要があります。その条件とは、教師は自分が考えを伝える相手である生徒を信じていなければならないということです。
2. Many stand guard over their ideas because they want to protect their thought systems as they are, and learning means change.
多くの者は、自らの考えを守ろうと警戒して監視します。なぜなら、彼らは自分の思考システムを現状のまま保護したいと望みますが、学習することは変化することを意味するからです。
Change is always fearful to the separated, because they cannot conceive of it as a move towards healing the separation.
分離している者たちにとって、変化することはつねに恐ろしいことです。なぜなら、彼らには、変化が分離を癒すことにつながるなど思いも及ばないからです。
They always perceive it as a move toward further separation, because the separation was their first experience of change.
分離している者たちはつねに、変化することをさらなる分離に向かって進むことだと知覚してしまいます。それは、分離が彼らが最初に経験した変化だったためです。
You believe that if you allow no change to enter into your ego you will find peace.
あなたは、もし自分がいかなる変化も自分のエゴの中に入りこませないようにすれば、自分は平安を見出せるはずだと信じています。
This profound confusion is possible only if you maintain that the same thought system can stand on two foundations.
このように、変化を分離を癒すものではなく分離を促進するものだと捉えてしまう深刻な混乱が起こりうるのは、あなたが同一の思考システムがふたつの基盤の上に成り立つことが可能だという考えを維持する場合だけです。
Nothing can reach spirit from the ego, and nothing can reach the ego from spirit.
しかし、エゴから霊に届くものは何ひとつないし、霊からエゴに届くものも何ひとつありません。
Spirit can neither strengthen the ego nor reduce the conflict within it.
霊にはエゴを強めることも、エゴの内部の葛藤を減らすこともできません。
The ego is a contradiction.
エゴとは矛盾です。
Your self and God's self are in opposition.
あなたの自己と神の自己とは対極にあります。
They are opposed in source, in direction and in outcome.
あなたの自己と神の自己は、源においても、方向においても、結果においても、正反対になっています。
They are fundamentally irreconcilable, because spirit cannot perceive and the ego cannot know.
あなたの自己と神の自己は、根本的に相容れません。なぜなら、霊は知覚することができないし、エゴは知ることができないからです。
They are therefore not in communication and can never be in communication.
それゆえに、霊とエゴは現にコミュニケーションをとっていないし、これからも決してコミュニケーションをとる余地はありません。
My lesson was like yours, and because I learned it I can teach it.
私の学んだレッスンはあなたの学んでいるレッスンと同じものでした。私はそのレッスンを習得しているので、私はそのレッスンを教えることができます。
I will never attack your ego, but I am trying to teach you how its thought system arose.
私はこれからもあなたのエゴを攻撃するつもりはありません。そうではなくて、私はあなたに、エゴの思考システムがどのようにして生じたのか教えようとしているのです。
When I remind you of your true creation, your ego cannot but respond with fear.
あなたが本当はどのように創造されたのか私があなたに思い出させるとき、あなたのエゴは恐れをもって反応せずにはいられません。
Nevertheless, the ego can learn, even though its maker can be misguided.
とはいえ、たとえエゴの作り手が誤って導かれることがありうるとしても、エゴ自体は学ぶことができます。
He cannot, however, make the totally lifeless out of the life-given.
エゴの作り手がどんなに誤って導かれたところで、彼には、生命を授けられたものから完全に生命のないものを作り出すことはできません。

3. Spirit need not be taught, but the ego must be.
霊は教わる必要などありませんが、エゴは教わる必要があります。
Learning is ultimately perceived as frightening because it leads to the relinquishment, not the destruction, of the ego to the light of spirit.
学ぶことは、根源的に恐れに満ちたものとして知覚されます。なぜなら、学びはエゴを破壊しないにしても、エゴを霊の光に向けて手放すことへと導くからです。
This is the change the ego must fear, because it does not share my charity.
これはエゴが恐れるに違いない変化です。なぜなら、エゴが私の思いやりを共有することはないからです。
4. Teaching and learning are your greatest strengths now, because they enable you to change your mind and help others to change theirs.
今のところは、教えることと学ぶことがあなたの最大の強みです。なぜなら、教えて学ぶことで、あなたは自分の心を変えることも、ほかの者たちが彼ら自身の心を変える手助けもできるようになるからです。
Refusing to change your mind will not prove that the separation has not occurred.
自分の心を変えることを拒絶していたのでは、分離が起こっていないことを証明することはできません。
The dreamer who doubts the reality of his dream while he is still dreaming is not really healing his split mind.
夢を見ている者は、たとえ自分の見ている夢の現実味を疑ったとしても、依然として彼が夢を見ているかぎりは、真に自分の分裂した心を癒していることにはなりません。
You dream of a separated ego and believe in a world that rests upon it.
あなたは分離したエゴを夢見ながら、その分離したエゴを基盤として成り立つ世界を信じこんでいます。
This is very real to you.
このエゴの生み出す夢の世界は、あなたにとっては、非常にリアルな現実そのものです。
You cannot undo it by not changing your mind about it.
世界に関するあなたの心を変えないかぎり、あなたには、この夢の世界を取り消すことはできません。
If you are willing to renounce the role of guardian of your thought system and open it to me, I will correct it very gently and lead you back to God.
もしあなたが快く、自分の思考システムを監視して守護する役割を放棄して、その思考システムを私に明け渡してくれるなら、私は本当に穏やかにあなたの思考システムを修正してゆき、あなたを導いて神の下へと連れ戻してあげましょう。

5. Every good teacher hopes to give his students so much of his own learning that they will one day no longer need him.
優れた教師は誰でも、いつの日か生徒たちがもはや自分を必要としなくなるときがやってくることを願って、自らの学んだことをできるかぎり生徒に伝えようと望むものです。
This is the one true goal of the teacher.
これが、優れた教師が抱く唯一の真の目標です。
It is impossible to convince the ego of this, because it goes against all of its own laws.
エゴにこのことを納得させるのは不可能です。なぜなら、自分が必要とされなくなることを望むなど、エゴが独自に定める法則に全面的に抵触することだからです。
But remember that laws are set up to protect the continuity of the system in which the lawmaker believes.
しかし、法というものは、その制定者の信じる体制の存続を図るために制定されるものだということを忘れてはなりません。
It is natural for the ego to try to protect itself once you have made it, but it is not natural for you to want to obey its laws unless you believe them.
あなたがすでにエゴを作ってしまった以上は、エゴがエゴ自身を守ろうとするのは当然です。そうだとしても、あなたがエゴの法則を信じているのでないかぎり、あなたまでエゴの法則に従うことを望むのは当然だとはいえません。
The ego cannot make this choice because of the nature of its origin.
エゴには、エゴの起源による生まれついての本質からして、エゴの法則に従わない選択ができません。
You can, because of the nature of yours.
しかし、あなたには、あなたの起源による生まれついての本質からして、エゴの法則に従わない選択ができるのです。
6. Egos can clash in any situation, but spirit cannot clash at all.
エゴ同士は、いかなる状況においても衝突することがありえます。しかし、霊が何かと衝突することはまったくありえません。
If you perceive a teacher as merely "a larger ego" you will be afraid, because to enlarge an ego would be to increase anxiety about separation.
もしあなたが教師のことを単に「より大きなエゴ」として知覚するなら、あなたは恐れを抱くようになるでしょう。なぜなら、エゴを肥大化させることは分離についての不安を増大させることになるからです。
I will teach with you and live with you if you will think with me, but my goal will always be to absolve you finally from the need for a teacher.
もしあなたが私と一緒に思考してくれるなら、私はあなたとともに教え、あなたとともに生きるつもりです。それでも、私の目標はいつでも、最終的にあなたが教師を必要としなくなることなのです。
This is the opposite of the ego-oriented teacher's goal.
これは、エゴに基盤を置く教師の掲げる目標とは逆の目標です。
He is concerned with the effect of his ego on other egos, and therefore interprets their interaction as a means of ego preservation.
エゴ本位の教師が心配するのは、自分のエゴがほかのエゴたちに与える影響だけです。それゆえ、エゴ志向の教師は、教師と生徒との相互作用のことを、エゴを温存するための手段として解釈することになります。
I would not be able to devote myself to teaching if I believed this, and you will not be a devoted teacher as long as you believe it.
もし私がこんなことを信じていたら、私は全霊を注いで教えることができなかったでしょう。そして、あなたもこんなことを信じているかぎりは、献身的な教師にはなれないはずです。
I am constantly being perceived as a teacher either to be exalted or rejected, but I do not accept either perception for myself.
私はいつでも、教師として祭り上げられるか拒絶反応を示されるかのいずれかの受け止め方をされます。しかし、私自身はいずれの見方も受け入れることはしません。

7. Your worth is not established by teaching or learning.
教えたり学んだりすることによって、あなたの真価が確立されるわけではありません。
Your worth is established by God.
あなたの真価は、神によってすでに確立されているからです。
As long as you dispute this everything you do will be fearful, particularly any situation that lends itself to the belief in superiority and inferiority.
神がすでにあなたの真価を確立していることにあなたが異議を唱えているかぎり、あなたは何をするにしても、ことごとく恐れを感じてしまうはずです。とりわけ、自分の価値に優劣があると信じるのがもっともに思える場面では、いかなる状況でも恐怖を感じるようになります。
Teachers must be patient and repeat their lessons until they are learned.
教師は、教えようとすることを生徒がしっかり学ぶまで、辛抱強く何度でもレッスンを繰り返さなければなりません。
I am willing to do this, because I have no right to set your learning limits for you.
私は必要なら喜んで、いくらでも辛抱強く繰り返すつもりです。なぜなら、私には、あなたに代わってあなたの学びに制限を設ける権利などないからです。
Again . . . nothing you do or think or wish or make is necessary to establish your worth.
改めて言っておきます。あなたの真価を確立するために、あなたが何かを行なったり、何かを考えたり、何かを願ったり、何かを作ったりしなければならないということは一切ありません。
This point is not debatable except in delusions.
妄想の中でもないかぎり、この点について議論の余地はありません。
Your ego is never at stake because God did not create it.
あなたのエゴは、神に創造されなかったがゆえに、そもそも危機にさらされてすらいません。
Your spirit is never at stake because he did.
あなたの霊は、神に創造されたがゆえに、決して危機に瀕することはありえません。
Any confusion on this point is delusional, and no form of devotion is possible as long as this delusion lasts.
この点を少しでも取り違えているなら、それは妄想であり、そんな妄想が続くかぎりは、いかなる形の献身も不可能です。
8. The ego tries to exploit all situations into forms of praise for itself in order to overcome its doubts.
エゴはあらゆる状況を最大限に巧妙に利用して、エゴ自体が賛美されるように形勢を運ぶように画策して、エゴの実在性が疑念にさらされないようにします。
It will remain doubtful as long as you believe in its existence.
それでも、あなたがエゴが存在するものと信じている間は、エゴの実在性は依然として疑わしいままであり続けます。
You who made it cannot trust it, because in your right mind you realize it is not real.
自分でエゴを作り出しておきながら、あなたがエゴを信用できずにいるのは、あなたの正しい心の中では、あなたはエゴが実在しないとわかっているからです。
The only sane solution is not to try to change reality, which is indeed a fearful attempt, but to accept it as it is.
唯一の正気の解決方法は、現実を変えようと努めることではありません。それこそ、実に恐ろしい試みです。そうではなく、正気といえる解決方法は、ただ現実をありのままに受け入れることだけです。
You are part of reality, which stands unchanged beyond the reach of your ego but within easy reach of spirit.
あなたは、あなたのエゴには絶対に到達できないままであるものの、霊には容易に手の届く範囲にある現実の一部なのです。
When you are afraid, be still and know that God is real, and you are his beloved son in whom he is well pleased.
あなたが恐れを感じるときには、心を静めて、神こそが現実であり、あなたこそ神の嘉(よみ)するその愛し子であると知りなさい。
Do not let your ego dispute this, because the ego cannot know what is as far beyond its reach as you are.
これについて、あなたのエゴに異議を唱えさせてはなりません。なぜなら、エゴには手の届かないほどかけ離れた存在であるあなたの真価を知ることなど、エゴにできるはずがないからです。

9. God is not the author of fear.
恐れを作り出したのは神ではありません。
You are.
あなたこそが恐れの創作者なのです。
You have chosen to create unlike him, and have therefore made fear for yourself.
あなたは神と違ったように創造することを選びました。それゆえに、あなたは自ら恐れを作り出してしまったのです。
You are not at peace because you are not fulfilling your function.
あなたの心が平安でないのは、あなたが自らの役目を果たしていないためです。
God gave you a very lofty function that you are not meeting.
神はきわめて崇高な役目をあなたに授けましたが、あなたはその役目を果たしてはいません。
Your ego has chosen to be afraid instead of meeting it.
それは、あなたのエゴが、その役割を果たす代わりに、恐れることを選んでしまっているせいです。
When you awaken you will not be able to understand this, because it is literally incredible.
あなたが目覚めた暁には、あなたはきっと自分でも、なぜこんなことをしていたのか理解できないはずです。なぜなら、こんなことは文字どおり信じがたいことだからです。
Do not believe the incredible now.
今すぐに、そんな信じがたいことを信じるのはやめなさい。
Any attempt to increase its believableness is merely to postpone the inevitable.
信じがたいことを信じられるようにしようととどんなに努力を払おうとも、それは単に、避けようもないことを先送りすることにしかなりません。
The word "inevitable" is fearful to the ego, but joyous to the spirit.
「避けられない」という言葉はエゴにとっては恐ろしいものですが、霊にとっては喜ばしい福音です。
God is inevitable, and you cannot avoid him any more than he can avoid you.
神は不可避です。神があなたを避けられないのと同じように、あなたも神を避けることはできないのです。
10. The ego is afraid of the spirit's joy, because once you have experienced it you will withdraw all protection from the ego, and become totally without investment in fear.
エゴは、霊の喜びに恐れを抱いています。なぜなら、あなたが一度でも霊の喜びを体験してしまうと、あなたはエゴに与えていた保護をすべて撤回して、恐れに思いを注ぎこむことを全面的に見合わせてしまうはずだからです。
Your investment is great now because fear is a witness to the separation, and your ego rejoices when you witness to it.
いまや、あなたの恐れへの投資は多大なものになっています。なぜなら、恐れは分離の証拠になるし、あなたのエゴは、あなたが分離を証明することを喜びとするからです。
Leave it behind!
そんな恐れへの投資など置いて行きなさい。
Do not listen to it and do not preserve it.
エゴに耳を貸さないでください。そして、恐れへの投資を保とうともしないでください。
Listen only to God, who is as incapable of deception as is the spirit he created.
ただ神にだけ耳を傾けてください。神が創造した霊と同じく、神が欺く余地などないからです。
Release yourself and release others.
あなた自身を解放し、ほかの者たちのことも解放してください。
Do not present a false and unworthy picture of yourself to others, and do not accept such a picture of them yourself.
誤って描かれた無価値なあなた自身の肖像をほかの者たちに見せてはなりません。そして、あなた自身も、ほかの者たちを誤って描写した彼らにふさわしくない肖像を受け入れてはなりません。

11. The ego has built a shabby and unsheltering home for you, because it cannot build otherwise.
エゴは、避難場所にもならないようなあばら家をあなたのために建ててしまいました。というのも、エゴには、そんな家しか建てることができないからです。
Do not try to make this impoverished house stand.
こんなお粗末な家を建ったままにしておこうとなどしないでください。
Its weakness is your strength.
この家の脆弱さは、あなたにとっては強みとなります。
Only God could make a home that is worthy of his creations, who have chosen to leave it empty by their own dispossession.
神の創造物たちにふさわしい家を造ることができたのは、ただ神だけだったのです。それなのに、神に創造されたあなたたちは、神の建ててくれた家を自ら所有することを投げ出して、空き家にしておくことを選んでしまっています。
Yet his home will stand forever, and is ready for you when you choose to enter it.
しかし、神の家は永遠に建っているので、あなたがその家に入ることを選ぶなら、いつでもあなたを迎え入れる準備ができています。
Of this you can be wholly certain.
このことについて、あなたは完全に確信を持ってよいのです。
God is as incapable of creating the perishable as the ego is of making the eternal.
エゴには不滅のものを作り出すことができないように、神には滅びうるものを創造することなどできないからです。
12. Of your ego you can do nothing to save yourself or others, but of your spirit you can do everything for the salvation of both.
エゴとしてのあなたには、自分やほかの者たちを救うためにできることは何もありません。しかし、霊としてのあなたには、自分自身とほかの者たち、その両方の救済のために、あらゆることをすることができます。
Humility is a lesson for the ego, not for the spirit.
謙虚であることは、エゴにとっては学ぶべき課題ですが、霊にとっては無用のものです。
Spirit is beyond humility, because it recognizes its radiance and gladly sheds its light everywhere.
霊は謙虚さなど超越しています。なぜなら、霊は自らの輝きを認め、喜んでその光をどこへでも投ずるからです。
The meek shall inherit the earth because their egos are humble, and this gives them truer perception.
柔和な者は地を受け継ぐでしょう。なぜなら、柔和な者たちのエゴはつつましく出しゃばらないので、このエゴの謙虚さが彼らに、より正しい知覚を与えるからです。
The Kingdom of Heaven is the spirit's right, whose beauty and dignity are far beyond doubt, beyond perception, and stand forever as the mark of the love of God for his creations, who are wholly worthy of him and only of him.
天の王国を受け継ぐことは霊の正統な権利です。霊の美しさと威厳はまったく疑いの余地がなく、知覚を超越するものです。霊の美しさと威厳は、自らの創造物に対する神の愛の印として永遠に持ちこたえます。神の創造物たちは本当に神にふさわしく、ただ神にのみ属するものです。
Nothing else is sufficiently worthy to be a gift for a creation of God himself.
神自らが創造したものにとって十分にふさわしい贈り物は、霊以外に何もないのです。

13. I will substitute for your ego if you wish, but never for your spirit.
もしあなたが望むなら、私はあなたのエゴと入れ替わるつもりです。しかし、私があなたの霊と入れ替わることは決してありません。
A father can safely leave a child with an elder brother who has shown himself responsible, but this involves no confusion about the child's origin.
父親は、責任感があるとわかっている年長の子に、下の子を安心して任せることができます。しかし、こうすることで、その下の子の生まれが混乱してしまうようなことはありません。
The brother can protect the child's body and his ego, but he does not confuse himself with the father because he does this.
兄はその下の子の身体とエゴを守ることができますが、自分がそうするからといって、兄が自分のことをその子の父親だと勘違いすることはありえないからです。
I can be entrusted with your body and your ego only because this enables you not to be concerned with them, and lets me teach you their unimportance.
私はあなたの身体とあなたのエゴを引き受けることができます。それはただ、そうすることで、あなたは自分の身体やエゴに煩わされなくて済むし、また、それによって、私は身体やエゴは重要ではないとあなたに教えることができるからです。
I could not understand their importance to you if I had not once been tempted to believe in them myself.
もし私自身、かつて身体やエゴを信じてしまう誘惑にさらされたことがなかったなら、私は、あなたにとって身体やエゴが持つ重要性を理解することができなかったでしょう。
Let us undertake to learn this lesson together so we can be free of them together.
私たちで一緒に身体やエゴから自由になれるように、心をひとつにしてこのレッスンを学びましょう。
I need devoted teachers who share my aim of healing the mind.
私は、心を癒すという私の目的を分かち合ってくれる献身的な教師たちを必要としています。
Spirit is far beyond the need of your protection or mine.
霊は、あなたや私からの保護を受ける必要などはるかに超越する存在です。
Remember this:
次のことを覚えておきなさい。
In this world you need not have tribulation because I have overcome the world.
この世界において、あなたは苦難に遭う必要などありません。なぜなら、私がすでにこの世界を克服しているからです。
That is why you should be of good cheer.
だからこそ、あなたは元気を出すべきなのです。

