T13-7 真の世界の幕開け
神秘学は、すべての人の魂に根をはることのできる、二つの思考内容から芽生えるのでなければならない。
・・・
二つの思考内容とは、第一に、可視的な世界の背後には不可視な世界があり、はじめは感覚とその感覚に結びついた思考にとって隠された世界であるということ、第二に、人間の中にまどろんでいる能力を開発すれば、この隠された世界に参入することが万人にとって可能であるということである。

ルドルフ・シュタイナー(「神秘学概論」より)
地獄の三尺三寸箸
一人の男が地獄と極楽の様子を覗(のぞ)きに行くことになりました。
男はまず、恐るおそる地獄を覗いてみました。
地獄は、ちょうど食事時でした。
地獄にいる人たちは、みなガリガリにやせ細っていました。
男は、地獄ではさぞ粗末な食事が出てくるのだろうと思って見ていると、なんととても豪勢な食事が食卓に並んでいるではありませんか。
あんな豪華な食事が出てくるというのに、なぜみんな、あんなにやせ細っているのだろう? 男は不思議に思いました。
大きな丸い食卓の周囲に車座に人々は座り、手では届かない食卓の真ん中に置かれた豪勢な食事を取れるように、食卓には、三尺三寸ほど(約1m)もある長い箸が置いてありました。
人々は我先に食事にありつこうと、長い箸を使ってご馳走を摘(つま)んではなんとか食べようとするのですが、どうしても食べられません。
それで皆あんなにやせ細っているんだなと、男は納得して、地獄を後にしました。
続いて男は、極楽を訪れました。
極楽もちょうど食事時でした。
極楽にいる人たちは、見るからに健康そうです。
食卓に目をやると、驚いたことに極楽の住人たちも地獄の住人たちと同じように、大きな丸い食卓を囲んで、豪華な食事を目の前に三尺三寸の箸をそれぞれ持っているのでした。
でも、地獄では誰も食事にありつけなかったけれど、極楽の人たちは、あんな長い箸でどうやって食事をしているのだろう? と男が意外に思っていると、一人が箸を器用に使って離れた席に座っている人に食事を食べさせてあげました。
そうすると、今度は食べさせてもらっていた人が朗らかにお礼をさせてください、と、箸をとって、最初に食べさせてくれた人に、食事を食べさせてあげます。
こうしてお互いに助け合って食事をとっていたのです。
その様子を見た男は驚きつつも、「なるほど、さすが極楽の住人は心がけが違うなあ」と、大いに感心して元の世界に帰ってゆきました。
仏教説話
思いが「原因」で、体験はその「結果」です。もしあなたが人生に現れた結果が気に入らないのであれば、あなたの考えの性質を変えなければなりません。あなたの心の中に愛があれば、あなたの人生には愛が生まれます。これが「天国」の意味です。
あなたの心の中に恐れがあれば、あなたの人生には恐れが生まれます。これが「地獄」の意味です。
人生についてどう考えるか、その考え方をシフトすれば、人生の体験がシフトします。

マリアン・ウィリアムソン(「愛への帰還」49ページ)
32 ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。
33 「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
34 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
35 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
36 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、
37 言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
38 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
39 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
40 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

イエス・キリスト(ルカによる福音書第23章32〜43節)
The tree that would grow to heaven must send its roots to hell.
天国に達するまで伸びようとする樹は、その根を地獄に届くまで張らねばならない。

Friedrich Nietzsche
ニーチェ
夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず。ただ我等が胸の間にあり。
これをさとるを仏と云う。
これに迷うを凡夫と云う。

日蓮

今回はテキスト第十三章から「真の世界への到達」という一節をご紹介します。
このサイトでは、" the Real World"の訳語として「真の世界」という言葉を用いています(T12-6 キリストのヴィジョン)。

逆さメガネと世界
逆さメガネというものがあります。
上下逆転や左右反転の逆さメガネを装着すると直後は激しい混乱が生じ、嘔吐したりもするようですが、慣れてくると、装着したまま歩行したり自転車に乗ったりまでできるようになるそうです(ネットで逆さメガネで検索すると色々記事が出てきます)。
そもそも、人間の眼球の奥の網膜には、角膜や水晶体というレンズを通して外界のものが上下逆転して逆さまに映っています。つまり、もともと、上下逆転している像を脳内で補正しているわけです。
"the Real World"=真の世界は、神の現実ではない幻想世界だという意味ではこの世界と同じだけれど、白光にスライドを被せて影による姿かたちを作ってでっち上げた世界ではなく、混じりけのない現実=天国だけを反映する世界だということでした。
そして、真の世界は、この世界とはかけ離れた異質な世界ではあるものの、この世界から遠くかけ離れたどこか別の場所にあるわけではなく、肉眼で見ることをやめてキリストのヴィジョンで見るようになれば、見えるようになる神の子の知覚する幻想だという意味で、この世界と地続きである、というよりも、ひとつの同じ世界が、肉眼ではこの世界として見えていて、キリストのヴィジョンでは真の世界として見えるという関係性です。
このような仕組みなので、私たちは、客観的には真の世界と同じ場所にいながら、あらゆる物事を逆さまに知覚させる人体という逆さメガネを装着して世界を眺めているせいで、自分がこの世界にいると錯覚して、真の世界に気づかずにいるのだということになります。
肉眼で見えている世界はありのままの世界の実相ではない
人間の肉眼で見えている姿が世界のありのままの姿ではないことは、蝙蝠(こうもり)やクジラや昆虫の視覚ではまったく違う世界が見えているということからもわかります。
AR・MRグラスが進化すれば、外の世界に二重写しにAR・MRの映像が見えるようになるでしょう。
人の顔をお化粧しなくても、AR・MRグラスに映るデジタル情報に細工して美化した自己像を作り出すお化粧アプリで相手の眼鏡越しに見える自分の姿をきれいにするということもできるようになるでしょう。
AR・MRも眼鏡からコンタクトレンズ、さらに人体に埋め込む型になれば、人はデジタル処理をされた虚像しか見ることはできなくなります。
これが進展すれば、実際の姿とはかけ離れた姿しか見ることはできなくなります。
これは未来のデジタル・テクノロジーの話ですが、私たちの人体というもの自体が、これと同じ仕組みで魂という本質を覆い隠しているとしたら、私たちは今の時点ですでに、兄弟たちのありのままの姿を見ることができていないということになります。
したがって、真の世界に到達するために必要なのは、この世界を否認して攻撃することで消滅させようと奮闘することではなく、正しいアイデンティティーを回復して、逆さメガネである人間の肉眼に依存する状態から脱することだけということになります。
そこにキリストが行くなら、地獄も天国となる
真の世界は、この世界からかけ離れた遠くのどこか、あるいは、異次元のどこかにある理想郷ではなく、この同じ世界がエゴに従って肉眼という歪んだレンズで知覚するか聖霊に従ってレンズを外してヴィジョンで正しい知覚をするかで違った世界に見えるという仕組みです。
いつも「そこにキリストが行くなら、地獄も天国になる」と標語のように繰り返しているので、みなさんも馴染みが出てきた発想だと思います。

テキスト第十三章
VII. Attainment of the Real World
七 真の世界への到達
1. Sit quietly and look upon the world you see, and tell yourself:
静かに座して、あなたの目に映る世界を見渡して、自分自身に次のように言い聞かせなさい。
"The real world is not like this.
「真の世界はこのような世界ではない。
It has no buildings and there are no streets where people walk alone and separate.
真の世界には、建物などないし、人々が孤独に分離して歩く道路もない。
There are no stores where people buy an endless list of things they do not need.
真の世界には、人々が自分には必要もない品々を延々と買い漁る店もない。
It is not lit with artificial light, and night comes not upon it.
真の世界は人工的な光で照らされてはいないし、そこに夜が訪れることはない。
There is no day that brightens and grows dim.
真の世界には、明るく夜が明けて暗く日が沈む一日もない。
There is no loss.
真の世界では、いかなるものも失われることはない。
Nothing is there but shines, and shines forever."
真の世界では、輝いていないものなどなく、すべてが永遠に光り輝いている。」と。

2. The world you see must be denied, for sight of it is costing you a different kind of vision.
あなたは自分に見えている世界を否認しなければなりません。なぜなら、そんな世界を見る代償として、あなたはそれとは異なる種類のヴィジョンを失ってしまっているからです。
You cannot see both worlds, for each of them involves a different kind of seeing, and depends on what you cherish.
あなたは両方の世界を見ることはできません。なぜなら、それぞれの世界はそれを見るために異なった種類の視覚を必要とするので、どちらの世界が見えるかは、あなたがどの視覚を重用するかに左右されるからです。
The sight of one is possible because you have denied the other.
あなたが一方の世界を否認することによって、もう一方の世界が見えるようになります。
Both are not true, yet either one will seem as real to you as the amount to which you hold it dear.
両方の世界がふたつながら真実であることはありません。そうではなくて、どちらの世界にせよ、あなたがその世界のことを大切にする程度に応じて、あなたにとってその世界は現実に見えてきます。
And yet their power is not the same, because their real attraction to you is unequal.
それでも、ふたつの世界の持つ力は同じではありません。なぜなら、それぞれの世界があなたに対して真に持つ誘引力は同等のものではないからです。
3. You do not really want the world you see, for it has disappointed you since time began.
あなたは本当は自分に見えている世界を望んではいません。なぜなら、時が始まって以来、この世界はあなたを失望させ続けてきたからです。
The homes you built have never sheltered you.
あなたたちの建てた家があなたを守ってくれたことは一度もありませんでした。
The roads you made have led you nowhere, and no city that you built has withstood the crumbling assault of time.
あなたたちの作った道は、あなたをどこにも導いてはくれませんでした。そして、あなたたちの建設したいかなる都市であれ、崩壊をもたらす時間による襲撃に持ちこたえたものはありませんでした。
Nothing you made but has the mark of death upon it.
あなたたちが作り出したもので、死の烙印が押されていないものは何ひとつありません。
Hold it not dear, for it is old and tired and ready to return to dust even as you made it.
そんなものを大切に取っておこうとしてはなりません。というのも、そんなものは古びて疲弊し、ちょうどあなたたちが塵からそれらを作り出したように、今にも塵に帰そうとしているからです。
This aching world has not the power to touch the living world at all.
こんな痛ましい世界には、生命に溢れる世界に影響を及ぼす力などまったくありません。
You could not give it that, and so although you turn in sadness from it, you cannot find in it the road that leads away from it into another world.
あなたたちには、この世界にそのような力を与えることができませんでした。だから、たとえあなたが悲しみの中でそんな世界から目を背けたところで、そこから去って別の世界へと導いてくれる道をそこで見つけることはできはしないのです。

4. Yet the real world has the power to touch you even here, because you love it.
しかし、真の世界は、ここにおいてさえ、あなたに影響を及ぼす力を持っています。なぜなら、あなたは真の世界を愛しているからです。
And what you call with love will come to you.
だから、あなたが愛をこめて呼ぶものは、あなたの許に訪れるでしょう。
Love always answers, being unable to deny a call for help, or not to hear the cries of pain that rise to it from every part of this strange world you made but do not want.
愛は必ず答えてくれます。なぜなら、愛には助けを求める呼び声を拒むことができないので、あなたが自分で作り出しはしたものの望んではいないこんな異常な世界の至るところから愛の許に届く苦痛に満ちた悲鳴に愛は耳を貸さずにはいられないからです。
All that you need to give this world away in glad exchange for what you did not make is willingness to learn the one you made is false.
あなたがこんな世界を手放して、自分が作り出したものではない真の世界と喜んで交換してもらうために必要なのは、ただ、あなたの作り出したこの世界が偽りの世界なのだと学ぼうとする意欲だけです。
5. You have been wrong about the world because you have misjudged yourself.
あなたは、自分の価値を誤って判断してきたせいで、世界を誤解し続けてきました。
From such a twisted reference point, what could you see?
そんなにも歪んだ判断の基準から、あなたはいったい何を見ることができでしょうか。
All seeing starts with the perceiver, who judges what is true and what is false.
見るということはすべて、何が真実で何が虚偽なのか判断する知覚者から始まります。
And what he judges false he does not see.
そして、自分が偽りだと判断したものを知覚者が見ることはありません。
You who would judge reality cannot see it, for whenever judgment enters reality has slipped away.
現実を価値判断しようとするあなたには、現実を見ることはできません。なぜなら、価値判断が入りこむたびに、すでに現実はするりと消え去ってしまっているからです。
The out of mind is out of sight, because what is denied is there but is not recognized.
小さな心の外側に置かれたものは視界から外れてしまうのです。なぜなら、否認されたものは存在はしていても、認識されなくなるからです。
Christ is still there, although you know him not.
たとえあなたがキリストを知らないとしても、キリストは今でもあなたの心の中にいます。
His Being does not depend upon your recognition.
キリストの大いなる実在が、あなたの認識に左右されるはずがないからです。
He lives within you in the quiet present, and waits for you to leave the past behind and enter into the world he holds out to you in love.
キリストは、静かなる現在において、あなたの内に生きており、あなたが過去をあとにして、キリストが愛をこめてあなたに差し出している世界の中にあなたが入ってきてくれるのを待っています。

6. No one in this distracted world but has seen some glimpses of the other world about him.
こんな混乱した世界の中にあっても、自分のすぐ近くにもうひとつの別の世界を多少なりとも垣間見るような思いをしたことが誰にでもあるはずです。
Yet while he still lays value on his own, he will deny the vision of the other, maintaining that he loves what he loves not, and following not the road that love points out.
しかし、依然として彼が自分の世界に価値を置いているかぎりは、彼はその別の世界についてのヴィジョンなど否認するだろうし、自分が愛してもいないものを愛していると言い張って、愛が指し示す道を辿ろうとはしないでしょう。
Love leads so gladly!
愛である聖霊は本当に喜んで導いてくれます。
As you follow him, you will rejoice that you have found his company, and learned of him the joyful journey home.
あなたが聖霊に従うなら、あなたは聖霊が自分の旅の伴侶として付き添ってくれていることを理解し、自分が喜ばしい帰郷の途にあると聖霊から学んで歓喜するはずです。
You wait but for yourself.
つまり、あなたは、ただ自分自身だけを待っているのです。
To give this sad world over and exchange your errors for the peace of God is but your will.
この悲しい世界を明け渡し、あなたの誤りを神の平安と交換するのは、あなたの意志にほかなりません。
And Christ will always offer you the Will of God, in recognition that you share it with him.
そして、キリストはあなたが神の大いなる意志を神と共有していることを認識しているので、いつでも神の大いなる意志をあなたに差し延べてくれるでしょう。
7. It is God's Will that nothing touch his Son except himself, and nothing else comes nigh unto him.
神自身以外の何ものも子に触れず、ほかの何ものも子に近づくことがないようにと神は意図してくれています。
He is as safe from pain as God himself, Who watches over him in everything.
神はあらゆることにおいて神の子を見守っているので、神の子は神自身と同じように、苦痛の憂いなく無事なままです。
The world about him shines with love because God placed him in himself where pain is not, and love surrounds him without end or flaw.
神の子を取り巻く世界は愛で輝いています。なぜなら、神はわが子を苦しみの存在しない神自身の中に置いてくれており、そこでは、終わることも途切れることもなく、愛が神の子を包みこんでいるからです。
Disturbance of his peace can never be.
神の子の平安が乱されることは決してありえません。
In perfect sanity he looks on love, for it is all about him and within him.
完全な正気の中で、神の子は愛を見つめます。というのも、愛は神の子を包みこんでいるし、神の子の内側にもあるからです。
He must deny the world of pain the instant he perceives the arms of love around him.
自分が愛の腕に抱き締められていると神の子が知覚したその瞬間、彼は苦痛に満ちた世界など拒絶するに違いありません。
And from this point of safety he looks quietly about him and recognizes that the world is one with him.
そして、神の子はこの安全な地点から自分の周りを静かに見渡して、世界は自分と一体なのだと気づくはずです。

8. The peace of God passeth your understanding only in the past.
神の平安があなたの理解の及ばないものであったのは、ただ過去においてのみです。
Yet here it is, and you can understand it now.
しかし、ここに神の平安は確かにあるし、今では、あなたにはその平安を理解することができます。
God loves his Son forever, and his Son returns his Father's Love forever.
神はわが子を永遠に愛しています。そして、子は永遠に父の大いなる愛に報います。
The real world is the way that leads you to remembrance of the one thing that is wholly true and wholly yours.
真の世界とは、完全に真実であり、全面的にあなたのものであるただひとつのものの記憶へとあなたを導く道です。
For all else you have lent yourself in time, and it will fade.
というのは、ほかのことはすべてあなたが時間の中で自分に貸し与えたものなので、それらはいずれ姿を消してしまうからです。
But this one thing is always yours, being the gift of God unto his Son.
しかし、この唯一の記憶は、神から子への贈り物なので、つねにあなたのものです。
Your one reality was given you, and by it God created you as one with him.
あなたのただひとつの現実はあなたに与えられ、この一なる現実によって、神はあなたを神自身とひとつのものとして創造したのです。
9. You will first dream of peace, and then awaken to it.
あなたはまず平安を夢見るようになり、そのあとで、平安へと目覚めることになります。
Your first exchange of what you made for what you want is the exchange of nightmares for the happy dreams of love.
あなたが自分で作り出したものを自分の望むものへと取り替える最初の交換は、悪夢を愛に満ちた幸せな夢に取り替えることです。
In these lie your true perceptions, for the Holy Spirit corrects the world of dreams, where all perception is.
これらの幸せな夢の中に、あなたの真の知覚を見出すことができます。なぜなら、聖霊がすべての知覚が存在する場所である夢の世界を修正してくれるからです。
Knowledge needs no correction.
知識はいかなる修正も必要としません。
Yet the dreams of love lead unto knowledge.
これに対して、愛の夢は知識へと導いてくれるものです。
In them you see nothing fearful, and because of this they are the welcome that you offer knowledge.
愛の夢の中では、あなたは恐ろしいものを何ひとつ見ることはありません。この理由から、愛の夢はあなたが知識に捧げる歓迎の挨拶だといえます。
Love waits on welcome, not on time, and the real world is but your welcome of what always was.
愛は歓迎されるのを待ち受けているのであって、時が至るのを待っているわけではありません。だから、真の世界とは、つねにそうであったものをあなたが喜んで迎え入れることでしかありません。
Therefore the call of joy is in it, and your glad response is your awakening to what you have not lost.
したがって、真の世界には喜びへの呼びかけがあり、あなたが喜びに満ちてその呼びかけに応じることで、あなたは自分が失っていなかったものに気づくのです。

10. Praise, then, the Father for the perfect sanity of his most holy Son.
それゆえ、神の最も神聖な子が完全に正気であることについて大いなる父を讃えるがよいでしょう。
Your Father knoweth that you have need of nothing.
あなたの大いなる父は、あなたには何も必要ないと知っています。
In Heaven this is so, for what could you need in eternity?
天国では、これはまさにその通りです。というのも、永遠の世においてあなたに必要なものなど何もありえないからです。
In your world you do need things.
あなたの世界では、あなたが色んな物事を必要としているのは確かです。
It is a world of scarcity in which you find yourself because you are lacking.
あなたの世界は欠乏の世界であり、自分には足りないと思う何かを求めるがゆえに、あなたは自分が欠乏の世界にいると認識するのです。
Yet can you find yourself in such a world?
しかし、そんな世界にいながら、あなたに本当の自分に気づくことができるでしょうか。
Without the Holy Spirit the answer would be no.
聖霊がいなければ、その答えはノーということになるでしょう。
Yet because of him the answer is a joyous yes!
しかし、聖霊がいてくれるおかげで、喜んでイエスと答えることができます。
As Mediator between the two worlds, he knows what you have need of and what will not hurt you.
ふたつの世界の間の橋渡し役として、聖霊はあなたが何を必要としており、あなたを傷つけないものが何なのか知っています。
Ownership is a dangerous concept if it is left to you.
所有という概念は、あなたに任せておくなら、危険な概念となります。
The ego wants to have things for salvation, for possession is its law.
エゴは救われようとして物を持ちたがりますが、それは所有することがエゴの法則だからです。
Possession for its own sake is the ego's fundamental creed, a basic cornerstone in the churches it builds to itself.
所有すること自体のために所有することが、エゴの根本的な教義、つまり、エゴ自らのためにエゴが建てる教会の土台となる礎石です。
And at its altar it demands you lay all of the things it bids you get, leaving you no joy in them.
そして、エゴの教会の祭壇から、エゴはあなたに、エゴがあなたに手に入れるようにと命ずるものすべてを供えるように要求し、あなたが手に入れたものから何の喜びもあなたに残してはくれません。
11. Everything the ego tells you that you need will hurt you.
エゴがあなたに必要だと告げるどんなものも、あなたを傷つけてしまうでしょう。
For although the ego urges you again and again to get, it leaves you nothing, for what you get it will demand of you.
というのは、エゴはあなたに必要なものを手に入れるようにと何度も繰り返しあなたを急き立てておきながら、あなたがそれを手に入れると、あなたが得たものを自分に渡すようあなたに要求して、あなたの許には何ひとつ残さないからです。
And even from the very hands that grasped it, it will be wrenched and hurled into the dust.
そして、あなたが手に入れたものは、それを掴み取ったまさにその手からもぎ取られ、塵の中へと投げ捨てられてしまいます。
For where the ego sees salvation it sees separation, and so you lose whatever you have gotten in its name.
というのは、エゴが救いを見るところにエゴは分離を見ているので、あなたがエゴのために手に入れたものは、それが何であろうと、あなたはそれを失うことになるからです。
Therefore ask not of yourself what you need, for you do not know, and your advice to yourself will hurt you.
したがって、何が必要なのか自分自身に尋ねてはなりません。なぜなら、あなたは自分に何が必要なのかわかっていないので、あなたの自分自身へのアドバイスはあなたを傷つけることになってしまうからです。
For what you think you need will merely serve to tighten up your world against the light, and render you unwilling to question the value that this world can really hold for you.
というのも、あなたが自分に必要だと思うものは、あなたの世界を締めつけて光が射し込まないようにして、この世界が自分にとって本当に価値を持ちうるのか疑問を抱くことをあなたに厭わしく思わせることにしか役立たないからです。

12. Only the Holy Spirit knows what you need.
ただ聖霊だけが、あなたに何が必要なのか知っています。
For he will give you all things that do not block the way to light.
なぜなら、聖霊は光への道を妨げない一切のものを、あなたに与えてくれるからです。
And what else could you need?
そうだとすれば、あなたにそれ以外の何が必要だというのでしょうか。
In time, he gives you all the things that you need have, and will renew them as long as you have need of them.
時間の中においては、聖霊はあなたが持つ必要があるものはすべて与えてくれるし、あなたがそれらを必要とするかぎり、聖霊がそれらを補充してくれます。
He will take nothing from you as long as you have any need of it.
何であれ、あなたがそれを少しでも必要とするかぎり、聖霊がそれをあなたから取りあげるようなことはありません。
And yet he knows that everything you need is temporary, and will but last until you step aside from all your needs and realize that all of them have been fulfilled.
それでも、聖霊は、あなたが必要とするものはすべて一時的なものであって、あなたが自分に必要なすべてのものから一歩引き下がってみて、自分が必要とするものはすべて満たされていたと気づくまでしか存続しないと知っています。
Therefore he has no investment in the things that he supplies, except to make certain that you will not use them on behalf of lingering in time.
したがって、聖霊は、時間の中で自分があなたに与えるものにまったく関心を持ちませんが、聖霊が与えるものをあなたが時間の中で長居するために使わないことにだけは注意を払います。
He knows that you are not at home there, and he wills no delay to wait upon your joyous homecoming.
聖霊は、あなたが時間の中では、わが家で寛ぐような思いができないと知っているので、あなたの喜ばしい帰郷の日を遅らせるのを待ち続けるつもりはないからです。
13. Leave, then, your needs to him.
だから、あなたに必要なものは聖霊に任せてしまいなさい。
He will supply them with no emphasis at all upon them.
聖霊はあなたに必要なものを、少しも重要視せずに提供してくれるでしょう。
What comes to you of him comes safely, for he will ensure it never can become a dark spot, hidden in your mind and kept to hurt you.
聖霊からあなたの許にもたらされるものは、安全に訪れます。なぜなら、聖霊は自分があなたに渡すものが、あなたの心の中に隠れたまま、あなたを傷つけるために保たれる難点になってしまうことが絶対にないように配慮してくれるからです。
Under his guidance you will travel light and journey lightly, for his sight is ever on the journey's end, which is his goal.
聖霊の案内の下で、あなたは軽やかで快活な旅路を辿るでしょう。というのは、聖霊の視線はつねに、聖霊が目的とする旅路の終着点に据えられているからです。
God's Son is not a traveller through outer worlds.
神の子は外の世界を旅するわけではありません。
However holy his perception may become, no world outside himself holds his inheritance.
いかに神の子の知覚が神聖なものになろうとも、神の子自身の外側の世界には、神の子が継承しているものは存在しないのです。
Within himself he has no needs, for light needs nothing but to shine in peace, and from itself to let the rays extend in quiet to infinity.
神の子は、自分自身の内面において何も必要とはしていません。なぜなら、光はただ平安のうちに輝いて、それ自体から無限に向かって、光線が静かに拡張するに任せる以外に何も必要とはしないからです。

14. Whenever you are tempted to undertake a useless journey that would lead away from light, remember what you really want, and say:
あなたが光から遠ざかってしまうような無益な旅路に出るように誘惑されるたびに、自分が真に望むものを思い出して、次のように言いなさい。
The Holy Spirit leads me unto Christ, and where else would I go?
聖霊が私をキリストの許へと導いてくれるというのに、そこ以外のいったいどこに私は行こうというのだろうか。
What need have I but to awake in him?
キリストとして目覚める以外に、私にどんな必要があるというのだろうか。
15. Then follow him in joy, with faith that he will lead you safely through all dangers to your peace of mind this world may set before you.
それから、喜んで聖霊に従ってください。その際には、この世界があなたの面前に差し出すであろう、あなたの心の平安を脅かすあらゆる危険を難なく通り抜けて聖霊はあなたを導いてくれるはずだと信頼して従うことです。
Kneel not before the altars to sacrifice, and seek not what you will surely lose.
犠牲を捧げる祭壇を前にして膝を折ってはなりません。そして、あなたが確実に失うことになるものを求めてもなりません。
Content yourself with what you will as surely keep, and be not restless, for you undertake a quiet journey to the peace of God, where he would have you be in quietness.
あなたが確実に保ち続けることになるものに満足し、心を静めてください。なぜなら、あなたは神の平安へと向かう静かな旅路を踏み出したのであり、神の平安に達すれば、神はあなたを静寂の中に置いてくれるはずだからです。
16. In me you have already overcome every temptation that would hold you back.
私の中で、あなたはすでにあなたを引き戻そうとするどのような誘惑をもすべて克服しています。
We walk together on the way to quietness that is the gift of God.
私たちは、神からの贈り物である静寂に向かう道をともに歩んでいるのです。
Hold me dear, for what except your brothers can you need?
私のことを大切にあなたの心に留めておいてください。というのも、あなたには自分の兄弟たちをおいてほかに必要なものなど何もないからです。
We will restore to you the peace of mind that we must find together.
私たちは、心の平安をあなたに回復させるつもりです。この平安は、私たちが一緒に見つけなければならないものです。
The Holy Spirit will teach you to awaken unto us and to yourself.
聖霊はあなたに、私たちがひとつであり、あなたがキリストであることに目覚めるように教えてくれます。
This is the only real need to be fulfilled in time.
このように目覚めることだけが、時間の中で満たされるべき唯一の真の必要性です。
Salvation from the world lies only here.
この世界からの救いは、ここにしかありません。
My peace I give you.
私の平安をあなたにあげましょう。
Take it of me in glad exchange for all the world has offered but to take away.
この平安を私から受け取って、この世界がただあとで取りあげるためだけに差し出しているすべてのものと喜んで交換しください。
And we will spread it like a veil of light across the world's sad face, in which we hide our brothers from the world, and it from them.
そして、私たちは、世界の悲しい顔に、この平安を光のヴェールのように広げて、その中に、私たちの兄弟たちをこの世界から匿まい、そして、この世界を兄弟たちから隠すのです。

17. We cannot sing redemption's hymn alone.
私たちは、自分ひとりでは、救いの賛美歌を歌うことはできません。
My task is not completed until I have lifted every voice with mine.
私の任務は、私の歌声とともにみんなの歌声を高らか響き渡らせるまでは完了しません。
And yet it is not mine, for as it is my gift to you, so was it the Father's gift to me, given me through his Spirit.
とはいえ、救いの賛美歌は、かつて父の大いなる霊を通して私に授けられた父から私への贈り物だったように、私からあなたへの贈り物なのであって、私のものではありません。
The sound of it will banish sorrow from the mind of God's most holy Son, where it cannot abide.
その讃美歌の響きが、悲しみが居着くことのできない場所である神の最も神聖な子の心から、悲しみを一掃してしまうでしょう。
Healing in time is needed, for joy cannot establish its eternal reign where sorrow dwells.
時間の中では、癒しは必要なことです。というのは、悲しみが居座るところに喜びが永続的な支配を確立することはできないからです。
You dwell not here, but in eternity.
あなたは、この世界に住んでいるのではなくて、永遠の世界に住んでいます。
You travel but in dreams, while safe at home.
あなたは、ずっと安全にわが家にいながら、ただ夢の中で旅をしているだけです。
Give thanks to every part of you that you have taught how to remember you.
どのように自分を思い出せばよいか、あなたが教えられるようにさせてくれた、あなたの一部である一人ひとりに感謝を捧げなさい。
Thus does the Son of God give thanks unto his Father for his purity.
このようにして、神の子は自らの清らかさについて大いなる父に感謝を捧げることになるのです。

