すべてを忘れなさい(アシュターヴァクラ・ギーター)

2013年06月30日
アフォリズム 0

アシュターヴァクラ・ギーターからの一節をご紹介します。




「すべてを忘れなさい」という題です。





私たちは、霊的探求においても、学校のテストの準備のように、外から知識を仕入れてはそれを覚え込まなければならないという発想をしてしまいがちです。

ですが、真理というものは、外の世界のどこか遠くを探さなければ見つからないものではなく、すでに自分の中にあって、それを忘れてしまっているだけのもののようです。

探求は、このことに気づく鍵を手に入れるために必要なことであり、人によっては、聖典を読み漁ることがこの探求になることもあるでしょう。

ただし、何かを覚え込もうという意識で外部からの情報を取り込み続けることは、映写機のスライドにどんどん色や形を加えていくだけの結果になりがちだということは忘れてはならないようです。

何をするにしても、それはすべてを忘れるために行うのだという意識は重要なのだろうと思います。
「12. Let us be still an instant, and forget all things we ever learned, all thoughts we had, and every preconception that we hold of what things mean and what their purpose is.
 一瞬の間じっとして、そして、私たちがこれまでに学んだすべて、私たちが抱いた思いのすべて、そして、自分たちが、いろいろな物事の意味やその目的について持っている先入観など、ひとつ残らず忘れてしまいましょう。

 Let us remember not our own ideas of what the world is for.
 この世界が何のためにあるのかということについての自分の考えは忘れてしまいましょう。

 We do not know.
 私たちは、それが分かってはいないからです。

 Let every image held of everyone be loosened from our minds and swept away.
 一人ひとりの人について抱いているイメージなど、ひとつ残らず自分の心から解き放って一掃してしまいましょう。」(テキスト 第三十章 一 救いのシンプルさ)



「16 すべてを忘れなさい


わが子よ、
あなたは好きなだけ聖典を読みあさり
討論することに忙しいかもしれない

だが、あなたがすべてを忘れ去るまでは
けっしてハートで生きることはないだろう


あなたは賢く
遊び、仕事をし、瞑想する

それでも、あなたの心はいまだに
すべてを超え
すべての欲望が消え去る彼方を望んでいる


努力こそが悲しみの根本原因なのだ

だが、誰がこれを理解するというのだろう?

この教えを理解して
祝福を受けるとき
はじめてあなたは自由を見いだすだろう


師より不精な人がいるだろうか?
瞬きひとつにさえ苦労する!

それでも、ただ彼だけが幸せな人なのだ
ただ彼だけが!


これを見て
あれを無視する……

だが、心が
ひとつのことを別のことに対立させる習慣をやめると
それはもはや快楽を渇望せず

富や、修行や、解脱のことなど
もはや気にしなくなる


感覚的快楽への渇望から
執着が生まれる

それらに価値がないと見なせば
あなたは無執着を学ぶ

だが、何も望まず
そして何も拒絶しなければ
執着も無執着もあなたを縛りつけはしない


識別なしに生きるとき
欲望が生まれる

欲望がつきまとえば
好き嫌いといった
選り好みの感覚も生まれる

それらは世界の根であり枝なのだ


活動から欲望が
放棄から嫌悪が生まれる

ところが、賢者は子供なのだ
彼はけっして
ひとつのことを別のことに対立させたりしない

それは本当だ!
彼は子供なのだ


もしあなたが世界を望めば
悲しみを避けるために
世界を放棄しなければならないだろう

その代わりに欲望を放棄しなさい!
そうすれば、あなたは悲しみからも自由になり
世界があなたをかき乱すこともないだろう

10
もしあなたが自由を望みながら
まだ「私のもの」と言いつづけ
自分を身体だと感じつづけるなら
あなたは賢者でも探求者でもない

あなたはただの苦しむ人間だ

11
ハリ、蓮から生まれたブラフマー
あるいはシヴァから学ぶがいい!

あなたがすべてを忘れ去るまでは
けっしてハートで生きることはないのだ」(「アシュターバクラ・ギーター 真我の輝き」ナチュラルスピリット 110ページ~114ページ)
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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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