T24-Intro 自分の価値観を疑ってみる

テキスト第24章(特別であるという目標) 0

あなたは「しなければならない」「してはならない」という学校で育てられ、それによって思考と感情を破壊してきたのです。あなたはシステムや方式、教師たちによって縛られ不具化されてきたのです。だからそれらすべての「しなければならない」「してはならない」を捨てなさい。

ジッドゥ・クリシュナムルティ





今回はテキスト第二十四章の序論をご紹介します。



コースを学ぶ目的は、神を思い出す条件である平安な境地に達するためです。

神の属性は平安であり、神は子を平安なる存在として創造しているので、ありのままの私たちは平安であるはずです。

この平安がない状態に私たちがあるのは、分離幻想に囚われて、罪悪感と恐怖という幻想に心を奪われているせいです。

つまり、平安に至るには、自分の外から何かを学び取らなければならないわけではなく、平安の妨げになっている心の中に置いてしまったガラクタを捨て去る必要があるだけだということです。

この学習棄却のための手段が赦しであり、赦しは、私たちが聖霊に任せきることによってなしえます。

私たちが世界の光として赦しという役目を果たすささやかな意欲を抱いて、聖霊にすべてを委ねる決断をするよう、コースはいろんな面からの導きをしてくれます。

しかし、私たちは自分には自由に決断する力があると思っているけれど、自由意志の否認であるエゴに従うために、私たちは、正しい決断ができずにいます。

本節では、私たちの抱く信念が、私たちの決断を左右する力を持つがゆえに、自分がいま抱いている価値観のすべてを篩にかけて検証することが重要であることが述べられます。


学習棄却(アンラーン)のイメージとしては、ミケランジェロの彫刻観がとても参考になります。


「The Angel in the Marble
 大理石の中の天使


Every block of stone has a statue inside it and it is the task of the sculptor to discover it.
どんな石の塊もその中に像を宿しているのであり、彫刻家の仕事は、その像を見出すことだ。

I saw the angel in the marble and carved until I set him free.
私は大理石の中に天使を見て、その天使を自由にしてあげられるまで彫ったのだ。

The greatest artist has no conception which a single block of marble does not potentially contain within its mass, but only a hand obedient to the mind can penetrate to this image.
最も偉大な芸術家は、あるひとつの大理石の塊がその塊の内部に潜在的に宿していない像の構想を抱くことはしない。ただ心のままに従う手だけが石を貫いてこの像にまで到達できるのだ。

There is as much difference between painting and sculpture as between shadow and truth.
彫刻と絵画との間には、真理とその影との間の隔たりほど大きな相違がある。

If a room were adorned with tapestries woven with gold, and in another room there were only one beautiful statue, the latter room would appear to be adorned royally and would make the first look like a nun’s cell.
もしある部屋が金の糸で織りあげられたタペストリーで装飾されていて、別の部屋にはひとつの美しい彫像だけがあるとしたら、彫像のある部屋は荘厳に飾り立てられているように見えるのに対して、タペストリーの部屋は修道院の質素な庵室のように見えることだろう。

By sculpture I mean that which is fashioned by the effort of cutting away, that which is fashioned by the method of building up being like unto painting.
私が言わんとするのは、絵画は似せたものをでっちあげる手法であるのに対して、彫刻は余計なものをそぎ落として本物だけを残す手法であるということだ。」




夏目漱石の「夢十夜」の第六夜でも、運慶の彫刻について同じ趣旨が語られます。

―――
第六夜

 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
 山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜に山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障わりにならないように、斜に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
 ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵らえるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
 そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫ほるのかね。へえそうかね。私しゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。よほど無教育な男と見える。
 運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺りをしきりに彫り抜いて行く。
 運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
 しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみと云う態度だ。天晴だ」と云って賞め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
 運慶は今太い眉まゆを一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪てに返すや否や斜に、上から槌を打ち下おろした。堅い木を一ひと刻きざみに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
 道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴やつが、たくさん積んであった。
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
―――







Chapter 24THE GOAL OF SPECIALNESS
第二十四章 特別であるという目標


Introduction
序論



1. Forget not that the motivation for this course is the attainment and the keeping of the state of peace.
 このコースを学ぶのは、平安な心境に到達し、その心境を維持するためだということを忘れないでください。

 Given this state the mind is quiet, and the condition in which God is remembered is attained.
 平安な心境にあれば、心は静まり、神を思い出すための条件が整います。

 It is not necessary to tell Him what to do.
 神に何をしてほしいか告げる必要はありません。

 He will not fail.
 神が失敗するはずがありません。

 Where He can enter, there He is already.
 神の入ることのできる場所であれば、そこに神はすでにいます。

 And can it be He cannot enter where He wills to be?
 それに、神がいようとする場所に、神が入れないはずがありません。

 Peace will be yours because it is His Will.
 平安はあなたのものになるでしょう。なぜなら、あなたが平安を得ることこそ、神の大いなる意志だからです。

 Can you believe a shadow can hold back the Will that holds the universe secure?
 宇宙の安定を維持するほど偉大な意志をせき止めることがひとつの影にできるとあなたは信じられるでしょうか。

 God does not wait upon illusions to let Him be Himself.
 神が神自身でいられるように、神が幻想の許しを待つようなことはありません。

 No more His Son.
 神の子についても同様です。

 They are.
 神も子も現に本来の自分のままです。

 And what illusion that idly seems to drift between Them has the power to defeat what is Their Will?
 それに、神と子の間をあてどなく漂っているように見える幻想に、彼らの大いなる意志を打ち負かす力などあるでしょうか。



2. To learn this course requires willingness to question every value that you hold.
 このコースを習得するには、あなたの抱いている価値観をことごとく疑ってみる意欲が必要です。

 Not one can be kept hidden and obscure but it will jeopardize your learning.
 あなたの抱く価値観のただのひとつでも隠したり、曖昧なままにしておくことは、あなたの学びを危うくすることにしかなりません。

 No belief is neutral.
 いかなる信念も中立ではありません。

 Every one has the power to dictate each decision you make.
 一つひとつの信念は、あなたが下そうとする一つひとつの決断を左右する力を持っています。

 For a decision is a conclusion based on everything that you believe.
 というのも、決断というのは、あなたが信じているすべてのことに基づいて導き出される帰結だからです。

 It is the outcome of belief, and follows it as surely as does suffering follow guilt and freedom sinlessness.
 決断は、信念が導き出す結果であり、必ず信念に従うものです。それは、罪悪感のあとには苦痛が続き、潔白さの自覚のあとには自由が続くのと同じくらい確かな当然の帰結です。

 There is no substitute for peace.
 平安はかけがえのないものです。

 What God creates has no alternative.
 神が創造したものの代わりになるものなど何もありません。

 The truth arises from what He knows.
 真理は、神が知るものから生じます。

 And your decisions come from your beliefs as certainly as all creation rose in His Mind because of what He knows.
 そして、神が知ることのゆえに、神の大いなる心の中にすべての創造物が生じたのが確かなのと同じように、あなたの決断があなたの信念から生じるのは確かなことです。


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 松山 健 Matsuyama Ken
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