T25-7 救いの基盤


The mind is its own place, and in itself can make a heaven of hell, a hell of heaven..
心というものは、それ自体が独自の世界なのであり、心がけ次第で、天国を地獄に変え、地獄を天国に変えることができる。

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John Milton, Paradise Lost
ジョン・ミルトン(「失楽園」より)




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今回はテキスト第二十五章から「救済の礎石」という一節をご紹介します。


天国と地獄はどこにある?

ほかの箇所でもたまに触れられていますが、本節も含めて、コースでは、実はこの世界は地獄なのだということが、ちょこちょこと小出しに示されます。

天国と同じように地獄もこの世とは別次元の異世界にあると思っている私たちからすると、ドキッとする指摘です。

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ですが、異世界のこととして語られる地獄絵図が、いくらでもこの世界で展開されていることを想えば、地獄がこの世とは別の世界だと考えるのは、私たちが事実をありのままに認める勇気が持てずに自己欺瞞によって自分たちを慰めるための気休めでしかないことは容易に自覚できます。

私たちのいる幻想世界には、私たちの人間界だけでなく、動物や昆虫や植物や鉱物の生きる世界も私たちの暮らす世界と同じところにレイヤーとして覆い重なって存在しています。



輪廻転生が人間としての生まれ変わりだけで済む保証はどこにもありません。

仮に仏教の六道輪廻の考え方のように、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道をぐるぐる廻るのだとして、それぞれに別の世界を用意しなくても、この世界そのものが六道を内に蔵していると言えるでしょう。

人間界での地獄絵図も凄惨極まるものになりますが、畜生道の悲惨さも相当なものです。

私たちは不快というだけで、ゴキブリや蚊をなんの躊躇もなく抹殺しますが、殺されるほうの虫たちからすれば、ただ与えられた本能に従って一生懸命生きているだけなのに、突然、巨大な生き物に毒をかけられたり、叩き潰されたりするわけで、たまったものではありません。

私たち人間は自由意志の錯覚を味わわせてもらえますが、動物たちはあてがわれた肉体の本能の赴くまま自分以外の外敵と競い争う修羅の世界を生きることしかできず、肉体を持って生きることそのものが苦役といえます。


他方で、たとえ地獄のど真ん中であっても、そこにイェシュアが行くなら、そこはすぐさま天国のような場所に様変わりしてしまうだろうということも簡単に予想できます。

天国を反映する真の世界は、この世界を破壊して消滅させなければたどり着けないどこか遠くにある場所や次元の異なる異世界(次元が異なるのは真の世界ではなく天国です)なわけではなく、エゴから聖霊にガイドを変えて贖罪を達成することで、この世界が地獄から天国を反映する真の世界へと変容し、真の世界からはすぐに天国に移行するということでした。

単に観点が変わるだけで、同じ世界が天国を反映する真の世界にも変わるわけで、この世界が地獄だという事実はむしろ、私たちにとって、天国に到達するのが遠い夢物語ではないことを示す福音ともいえるわけです。

T13-7 真の世界の幕開けの冒頭の地獄の三尺三寸箸をご覧いただければと思います。





世界の基盤

世界は、罪の不変性、つまり、罪が実在するという観念を基盤にしています。

罪ってなに?T19-2 罪から逃れる途はあるのか?をご覧ください。

実在と実在の不在に名前を付けた影がこの世界では二極対立の様相を呈するということは再三述べています。

罪は潔白さの対概念であり、潔白さの欠如という不在状態に名前を付けて罪と呼んでいるだけです。

潔白さと同等の実在性をもって、潔白さに対立する罪があるということができるでしょうか。

本節では、私たちの抱く信念が正しいかどうかを判定する基準が示されます。

「6. Test everything that you believe against this one requirement, and understand that everything that meets this one demand is worthy of your faith.
 あなたの信じているすべてのことを、この誰かが得るために誰も失わない、というただひとつの必要条件に照らしてテストしてみてください。そして、このひとつの条件を満たすものならどれもみな、あなたの信頼を置くに値することを理解してください。

 But nothing else.
 しかし、それ以外のものは、まったく信頼を置くに値しません。」

これは愛に基づく豊かさマインドであり、人体内で、各細胞が自分の役目を果たしている局面を切り取ったら、その細胞は何かを手放しているように見えても、全体としての人体は利益を得ており、全体の一部である細胞も得をしているという真理を現しています。


救済とは?

救済は、全体から部分を切り取って、誰かの犠牲や損失があるという錯覚を誇張して罪を不変のものとする間違った信念から脱して、誰かが得をすることで誰かが損をするということは不可能だという観念を大いなる愛をもって理解することです。

「12. Salvation is rebirth of the idea no one can lose for anyone to gain.
 救済とは、誰かが得をすることによって誰かが損をすることは一切ありえない、という想念が復活することです。

 And everyone must gain, if anyone would be a gainer.
 だから、もし誰かが得をするなら、誰もがみんな必ず利益を得ることになります。

 Here is sanity restored.
 こうして正気が回復されます。」



本文の解説

次の文章は少しわかりづらいです。

4.「So if he chooses to believe one thought opposed to truth, he has decided he is not his Father's Son because the Son is mad, and sanity must lie apart from Both the Father and the Son.
 だから、もし子が真理に相反する思いをひとつでも信じることを選択するなら、彼は、神の子は狂っているのだから自分は父なる神の子ではないし、正気は父と子の両方から離れて存在するに違いないと決断したのです。

 This you believe.
 あなたは神と子が狂っていると信じているのです。」

文脈的に、神の子に対して子が父と異なる思いを抱くことはありえないという流れで続いているところ、同じ文章の中なのに、"he"と"the Son"を使い分けています。

この文章は、神の子が狂気の分離幻想に惑わされて真理に反する思いを抱くことによって、自分の狂気を神と神の子に投影して、自分を神と神の子から分離した架空の存在と同一視する決断をしたという趣旨を述べるものです。

"he"は、このように決断した狂気に陥った神の子を指し、"the Son"は、自分は正気だと思っている"he"から狂気を投影して押し付けられた「神の子」像ということになります。





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テキスト第二十五章

VII. The Rock of Salvation
七 救済の礎石



1. Yet if the Holy Spirit can commute each sentence that you laid upon yourself into a blessing, then it cannot be a sin.
 もしあなたが自分自身に有罪を宣告して科したどんな刑罰をも聖霊が祝福に変更できるとすれば、あなたの犯したものが罪であるはずがありません。

 Sin is the only thing in all the world that cannot change.
 罪とは、全世界の中でも変えることのできない唯一のものだからです。

 It is immutable.
 罪は不変です。

 And on its changelessness the world depends.
 そして、この罪の不変性の上に、この世界は成り立っています。

 The magic of the world can seem to hide the pain of sin from sinners, and deceive with glitter and with guile.
 この世界の魔術には、罪人たちに罪の苦しみがわからないように隠して、人目を奪う煌びやかさや狡猾さで騙し通すことができるように見えます。

 Yet each one knows the cost of sin is death.
 それでも、誰もが罪の代償が死であることを知っています。

 And so it is.
 だから、現にその通りになっています。

 For sin is a request for death, a wish to make this world's foundation sure as love, dependable as Heaven, and as strong as God Himself.
 というのも、罪というのは、死を求める請願であり、この世界の基盤を愛のように確実で、天国のように信頼できて、神自身のように力強いものにしたいという願望だからです。

 The world is safe from love to everyone who thinks sin possible.
 この世界は、罪を犯すことが可能だと思うすべての者たちを、愛に脅かされることのないまま無事に守ってくれる場所なのです。

 Nor will it change.
 そして、このことが変わることはないでしょう。

 Yet is it possible what God created not should share the attributes of His creation, when it opposes it in every way?
 しかし、神が創造しなかったものは、神の創造物にあらゆる面で相反しているというのに、そんなものが神の創造物の持つ属性を分かち合うことができるでしょうか。



2. It cannot be the "sinner's" wish for death is just as strong as is God's Will for life.
 死を求める「罪人」の願望が、生命に対する神の大いなる意志と同じくらい力強いものであるはずがありません。

 Nor can the basis of a world He did not make be firm and sure as Heaven.
 それに、神が作ってなどいない世界の基盤が、天国と同じくらい強固で確実なものであるはずがありません。

 How could it be that hell and Heaven are the same?
 どうして地獄と天国が同じものでありうるでしょうか。

 And is it possible that what He did not will cannot be changed?
 そして、神が意図しなかったことが変えられないなどということがありうるでしょうか。

 What is immutable besides His Will?
 神の大いなる意志以外に変えられない何があるというのでしょうか。

 And what can share its attributes except itself?
 そして、神の大いなる意志そのもの以外の何が神の大いなる意志の属性を分かち合えるというのでしょうか。

 What wish can rise against His Will, and be immutable?
 いったいどんな願望が神の大いなる意志に歯向かって、不変なるものになりうるというのでしょうか。

 If you could realize nothing is changeless but the Will of God, this course would not be difficult for you.
 もしあなたが、神の大いなる意志以外には不変なるものは何もないと理解できたなら、あなたにとってこのコースを学ぶことは難しくはなくなるでしょう。

 For it is this that you do not believe.
 というのは、あなたが信じていないのは、まさにこのことだからです。

 Yet there is nothing else you could believe, if you but looked at what it really is.
 しかし、もしあなたが、ただ神の大いなる意志が本当に何なのかよく考えてみさえすれば、あなたは神の意志以外には何も信じられなくなるはずです。

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3. Let us go back to what we said before, and think of it more carefully.
 私たちで以前に述べたことに一緒に立ち戻って、より注意深く考えてみましょう。

 It must be so that either God is mad, or is this world a place of madness.
 神が狂気に陥っているのか、それとも、この世界が狂気に満ちた場所なのか、そのどちらかであるに違いありません。

 Not one Thought of His makes any sense at all within this world.
 この世界の中では、神の大いなる思いはただのひとつとして、まったくいかなる意味もなしません。

 And nothing that the world believes as true has any meaning in His Mind at all.
 逆に、神の大いなる心の中では、この世界で真実だと信じられているどんなことも、まったく何の意味も持ちません。

 What makes no sense and has no meaning is insanity.
 意味をなさないことや意味を持たないものは狂気というべきです。

 And what is madness cannot be the truth.
 そして、狂気の沙汰が真理であるはずがありません。

 If one belief so deeply valued here were true, then every Thought God ever had is an illusion.
 もしこの世界でそんなにも大きな価値を置かれている信念のひとつでも真実であるとすれば、神が今まで抱いた大いなる思いはすべて単なる幻だということになります。

 And if but one Thought of His is true, then all beliefs the world gives any meaning to are false, and make no sense at all.
 逆に、もし神の大いなる思いのひとつでも真実であるとすれば、この世界が少しでも意味を付与しようとする信念はどれもみな偽りであって、まったく何の意味もなさないことになります。

 This is the choice you make.
 これは、あなたが下す選択です。

 Do not attempt to see it differently, nor twist it into something it is not.
 この選択肢を違うように見たり、それとは別の何かに歪めようとしてはなりません。

 For only this decision can you make.
 というのも、あなたに下すことのできる決断はこれしかないからです。

 The rest is up to God, and not to you.
 残りのことはあなたではなく、神が決めることです。



4. To justify one value that the world upholds is to deny your Father's sanity and yours.
 この世界が支持する価値をひとつでも正当化しようとすることは、大いなる父の正気とあなたの正気を否認することです。

 For God and His beloved Son do not think differently.
 というのは、神と神の愛し子とが違うように考えることはないからです。

 And it is the agreement of their thought that makes the Son a co-creator with the Mind Whose Thought created him.
 そして、神と子の思いが一致していることが、その大いなる子をして、その大いなる思いによって彼を創造した大いなる心との共同創造者とするのです。

 So if he chooses to believe one thought opposed to truth, he has decided he is not his Father's Son because the Son is mad, and sanity must lie apart from Both the Father and the Son.
 だから、もし子が真理に相反する思いをひとつでも信じることを選択するなら、彼は、神の子は狂っているのだから自分は父なる神の子ではないし、正気は父と子の両方から離れて存在するに違いないと決断したのです。

 This you believe.
 あなたは神と子が狂っていると信じているのです。

 Think not that this belief depends upon the form it takes.
 それがとる形次第では、神と子が狂気に陥っていると信じることもできるなどと思ってはなりません。

 Who thinks the world is sane in any way, is justified in anything it thinks, or is maintained by any form of reason, believes this to be true.
 この世界は捉えようによっては正気といえるし、この世界は考えようによっては正当化できるし、この世界は何らか形の理性によって維持されていると思う者は誰であろうと、神と子が狂気に陥っていることが真実だと信じているのです。

 Sin is not real because the Father and the Son are not insane.
 しかし、父と子は狂気に陥ってなどいないがゆえに、罪は実在しません。

 This world is meaningless because it rests on sin.
 実在しない罪に基盤を置いているがゆえに、この世界は無意味なのです。

 Who could create the changeless if it does not rest on truth?
 この世界が真理に基づいているのでなかったら、いったい誰が不変なるものを創造することができたというのでしょうか。

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5. The Holy Spirit has the power to change the whole foundation of the world you see to something else; a basis not insane, on which a sane perception can be based, another world perceived.
 聖霊には、あなたが見ている世界の基盤を丸ごと別のものに変える力があります。その別のものとは、狂っていない基盤であり、もうひとつの世界を知覚する正気の知覚はこの基盤に依拠しています。

 And one in which nothing is contradicted that would lead the Son of God to sanity and joy.
 そして、その正気の基盤の中では、神の子を正気と歓喜に導くことに反対するものは何もありません。

 Nothing attests to death and cruelty; to separation and to differences.
 その基盤の中には、死や残酷さを証明するものは何もないし、分離や相違を証明するものも何ひとつありません。

 For here is everything perceived as one, and no one loses that each one may gain.
 というのも、ここでは、あらゆるものがひとつのものとして知覚されるので、誰かが得るために誰かが失うということはないからです。



6. Test everything that you believe against this one requirement, and understand that everything that meets this one demand is worthy of your faith.
 あなたの信じているすべてのことを、この誰かが得るために誰も失わない、というただひとつの必要条件に照らしてテストしてみてください。そして、このひとつの条件を満たすものならどれもみな、あなたの信頼を置くに値することを理解してください。

 But nothing else.
 しかし、それ以外のものは、まったく信頼を置くに値しません。

 What is not love is sin, and either one perceives the other as insane and meaningless.
 愛でないものは罪であり、愛も罪もどちらもが他方のことを狂っていて無意味だと知覚します。

 Love is the basis for a world perceived as wholly mad to sinners, who believe theirs is the way to sanity.
 罪人たちにとっては、愛は完全なる狂気の沙汰と知覚される世界の基盤であり、彼らは、自分たちの罪深さを自覚することこそが正気に至る道だと信じています。

 But sin is equally insane within the sight of love, whose gentle eyes would look beyond the madness and rest peacefully on truth.
 しかし、愛の目には、それと同じくらい、罪は狂気として見えています。愛の優しい眼差しは、狂気の沙汰を通り越して、穏やかに真理の上に留まっています。

 Each sees a world immutable, as each defines the changeless and eternal truth of what you are.
 愛も罪もともにあなたが何者なのかについて不変かつ永遠の真理をそれぞれに定義しているので、両者はどちらも世界を不変のものと見ています。

 And each reflects a view of what the Father and the Son must be, to make that viewpoint meaningful and sane.
 そして、いずれも、父と子の真の姿がどのようなものであるに違いないかについての観点を反映し、その観点を意味のある正気なものにしようとしているのです。

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7. Your special function is the special form in which the fact that God is not insane appears most sensible and meaningful to you.
 あなたの特別な役目は、自分たちにとって最も有意義に理解できるような特別な形で、神が狂気に陥ってなどいないという事実を示すことです。

 The content is the same.
 形は違っても、中身は同じです。

 The form is suited to your special needs, and to the special time and place in which you think you find yourself, and where you can be free of place and time, and all that you believe must limit you.
 あなたの特別な役目は形としては、あなたの特別な必要性や、あなたが自分自身がいると思っている特別な時間と場所に適合するように調整されますが、その形の中では、あなたは時間と空間や自分を制限しているに違いないと信じるあらゆるものから自由になることができます。

 The Son of God cannot be bound by time nor place nor anything God did not will.
 時間や場所、あるいは、神が意図しなかったようなどんなものによっても、神の子が束縛されるはずがありません。

 Yet if His Will is seen as madness, then the form of sanity which makes it most acceptable to those who are insane requires special choice.
 とはいえ、もし神の大いなる意志が狂気だとみなされているとしたら、できるかぎり狂気に陥った者たちでも受け入れやすいような正気の形を特別に選ぶことが必要となります。

 Nor can this choice be made by the insane, whose problem is their choices are not free, and made with reason in the light of sense.
 しかも、狂気に陥った者たちが抱える問題は自らの選択を自由にできないことなのだから、分別に照らした理性的判断として、この選択をなすことを狂気に陥った者たちに期待することはできません。



8. It would be madness to entrust salvation to the insane.
 狂気の者に救済を託すなど、まさに狂気の沙汰です。

 Because He is not mad has God appointed One as sane as He to raise a saner world to meet the sight of everyone who chose insanity as his salvation.
 神は正気を失っていないので、神と同じように正気である唯一の存在に、自分の救いとして狂気に陥ることを選択したどんな者にでもわかるくらい正気な世界を見せるよう任命しました。

 To this One is given the choice of form most suitable to him; one which will not attack the world he sees, but enter into it in quietness and show him he is mad.
 この聖霊には、狂気を選ぶ者たちの一人ひとりに最も適した形を選ぶことが任されています。その形によって聖霊は、各自が見ている世界を攻撃することなく、ただ静かにその世界の中へと入りこんで、その人に自分は気が狂っているのだとわからせてくれます。

 This One but points to an alternative, another way of looking at what he has seen before, and recognizes as the world in which he lives, and thought he understood before.
 聖霊はただ、別の選択肢を指し示すだけです。それは、狂気を選択した者たちがそれ以前に目にしてきたもの、自分が住んでいる世界として認識して、それまでよくわかっているつもりでいたものについての別の見方です。

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9. Now must he question this, because the form of the alternative is one which he cannot deny, nor overlook, nor fail completely to perceive at all.
 いまやその人は自分がいると思っていた世界に疑念を抱かずにはいられません。なぜなら、そのもうひとつの選択肢の形は彼には否定できず、無視することも、少しも知覚しないままでいることなどまったくできないものだからです。

 To each his special function is designed to be perceived as possible, and more and more desired, as it proves to him that it is an alternative he really wants.
 一人ひとりにとって、彼が担う特別な役割は、果たすことが可能なものだと知覚できるように設計されています。だから、彼が自分が真に望んでいるのはこのもうひとつの選択肢のほうだとわかってくるにつれて、彼はもうひとつの選択肢をよりいっそう望むようになります。

 From this position does his sinfulness, and all the sin he sees within the world, offer him less and less.
 こうした観点から見るようになると、その人の罪深さや彼がこの世界の中で目にするすべての罪が彼に差し出すものがどんどん減ってきます。

 Until he comes to understand it cost him his sanity, and stands between him and whatever hope he has of being sane.
 最後には、彼は、罪を信じることが彼にその代償として自分の正気を失わせて、自分が持っていたはずのあらゆる正気でいる望みを妨げてきたのだと理解するに至ります。

 Nor is he left without escape from madness, for he has a special part in everyone's escape.
 それに、彼には狂気からの逃げみちが残されていないわけではありません。なぜなら、彼には、みんなが脱出するために担うべき特別な役割があるからです。

 He can no more be left outside, without a special function in the hope of peace, than could the Father overlook His Son, and pass him by in careless thoughtlessness.
 大いなる父が、薄情にもわが子に気づかずにうっかりわが子の傍らを通り過ぎてしまうことなどありえないのと同様に、平安への希望の中で特別な役割を担うことなく神の子が外に取り残されるようなこともありえません。



10. What is dependable except God's Love?
 神の大いなる愛以外のいったい何を当てにできるでしょうか。

 And where does sanity abide except in Him?
 そして、神の中以外のいったいどこに、正気の住処があるというのでしょうか。

 The One Who speaks for Him can show you this, in the alternative He chose especially for you.
 神を代弁する大いなる存在である聖霊は、神があなたのために特別に選んだ選択肢の中で、神の愛だけが正気で頼りになると示すことができます。

 It is God's Will that you remember this, and so emerge from deepest mourning into perfect joy.
 あなたがこうしたことを思い出して、最も深い悲嘆の淵から浮上して、この上ない喜びに至ることこそ、神の大いなる意志なのです。

 Accept the function that has been assigned to you in God's Own plan to show His Son that hell and Heaven are different, not the same.
 神の計画の中であなたに割り当てられた役割を受け入れなさい。神の計画は、地獄と天国は異なるものであって同じものではないことを神の子に示すためのものです。

 And that in Heaven They are all the same, without the differences which would have made a hell of Heaven and a heaven of hell, had such insanity been possible.
 そしてまた、神の計画は、天国においては、天国を地獄に変えたり地獄を天国に変えたりするような狂気の沙汰を可能にしてきた差異などなく、あなたたちはまったく同じなのだと神の子に示すためのものです。

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11. The whole belief that someone loses but reflects the underlying tenet God must be insane.
 誰かが損をするという信念全体は、その根底に潜む神は狂っているに違いないという教義の反映にすぎません。

 For in this world it seems that one must gain because another lost.
 その理由はこうです。すなわち、この世界では、誰かが失うがゆえにほかの者が得るように思えます。

 If this were true, then God is mad indeed!
 もしこれが真実であるとすれば、神は確かに狂っていることになるからです。

 But what is this belief except a form of the more basic tenet, "Sin is real, and rules the world"?
 しかし、こんな信念は「罪は実在し、世界を支配している」という、より根本的な教義が別の形で現れたものにほかなりません。

 For every little gain must someone lose, and pay exact amount in blood and suffering.
 なぜなら、少しでも誰かが得るなら、必ず誰かが損をして、血と苦しみでもって、きっちりとそれに見合う支払いをしなければならないということだからです。

 For otherwise would evil triumph, and destruction be the total cost of any gain at all.
 さもなければ、邪悪なものが勝利を収めることになり、いやしくも、何かを得ることで全体として支払うことになる代償は破滅だということになってしまうからです。

 You who believe that God is mad, look carefully at this, and understand that it must be either God or this must be insane, but hardly both.
 神が狂っていると信じているあなたは、このことを念入りに検討したうえで、こんな信念と神のどちらか一方が狂っているだけであって、両方が狂っているわけではない、ということを理解しなければなりません。



12. Salvation is rebirth of the idea no one can lose for anyone to gain.
 救済とは、誰かが得をすることによって誰かが損をすることなどありえない、という想念が復活することです。

 And everyone must gain, if anyone would be a gainer.
 だから、もし誰かが得をするなら、誰もがみんな必ず利益を得ることになります。

 Here is sanity restored.
 こうして正気が回復されます。

 And on this single rock of truth can faith in God's eternal saneness rest in perfect confidence and perfect peace.
 そして、この真理の一枚岩の上に、完璧な確信と完璧な平安のうちに、神の永遠の正気に対する信頼が留まることができます。

 Reason is satisfied, for all insane beliefs can be corrected here.
 あらゆる狂気の信念がここで修正されるので、理性は満足します。

 And sin must be impossible, if this is true.
 そして、もしこのことが真実であるなら、罪はありえないに違いありません。

 This is the rock on which salvation rests, the vantage point from which the Holy Spirit gives meaning and direction to the plan in which your special function has a part.
 これこそ救済が基盤を置く礎石です。聖霊はこの見通しの利く観点から、あなたが特別な役割においてその一翼を担う計画に意味と方向性を与えます。

 For here your special function is made whole, because it shares the function of the whole.
 というのも、あなたの役割は全体の役割を分かち合っているので、ここにおいて、あなたの特別な役割が完全なものにされるからです。

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13. Remember all temptation is but this; a mad belief that God's insanity would make you sane and give you what you want; that either God or you must lose to madness because your aims can not be reconciled.
 あらゆる誘惑は、次のようなものでしかないと覚えおきなさい。それは、どのような誘惑も狂気の信念であり、神が狂気に陥れば、あなたは正気になって自分の望みのものを与えられるが、神とあなたの目的を調和させることはできないので、神かあなたのいずれかが狂気に屈せざるをえないという信念です。

 Death demands life, but life is not maintained at any cost.
 死は生命を要求しますが、生命は何らかの代償を払って維持されるものではありません。

 No one can suffer for the Will of God to be fulfilled.
 誰ひとりとして、神の大いなる意志が成就されるために苦しむことはありえません。

 Salvation is His Will because you share it.
 あなたが神の大いなる意志を分かち合っているがゆえに、あなたが救われることは神の大いなる意志なのです。

 Not for you alone, but for the Self that is the Son of God.
 救済はあなたひとりのためのものではなく、神の子である大いなる自己のためのものです。

 He cannot lose, for if he could the loss would be his Father's, and in Him no loss is possible.
 神の子が損失を被ることはありえません。というのは、もし神の子が損をすることがありうるとしたら、その損失は父なる神の損失ということになりますが、神が何らかの損失を被るというのは不可能なことだからです。

 And this is sane because it is the truth.
 そして、それが真理であるがゆえに、これこそが正気なのです。


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Ino
2015/03/22 (Sun) 16:05

紹介

百 花 繚 乱 http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/

言 霊 百 神 http://futomani.jp/

  • To 松山 健 Matsuyama Kenさん
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 ken
2015/03/23 (Mon) 21:02

Re: 紹介

Inoさん、ご紹介、ありがとうございます。

  • To 松山 健 Matsuyama Kenさん
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 ken
2015/03/26 (Thu) 10:35

Re: No title

コメント、どうもありがとうございます。
文字サイズの変更ボタンをつけてみました。
しばらくはこのデザインで行ってみようかと思っておりますので、背景画像のほうはご辛抱いただければと思います。
携帯用画面も見ていただいたようですが、携帯用画面をPCで表示すると、背景が黒なので目も疲れないと思います。携帯用画面の文字サイズも大きめに変更しておきました。
今後ともご意見いただけると助かります。よろしくお願いします。

  • To 松山 健 Matsuyama Kenさん
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