T25-8 愛に戻される正義


Peace is more important than all justice; and peace was not made for the sake of justice, but justice for the sake of peace.
どんな正義よりも平和のほうがずっと重要だ。平和が正義のために作られたのではなく、正義が平和のために作られたのだから。



Martin Luther
マルティン・ルター





11.16 人としての経験を求める衝動の最初のレッスンは、正しくあることに対する警告として現れます。その警告は、あなたが幻想の思考体系を真実の思考体系で置き換えるとき、本当のあなたの真実を思い出させるために現れます。大義名分を見出す個の自分を忘れるよう呼びかけられていることを、あなたに思い出させるための警告です。あなたは正しくありません。他者は間違っていません。古い思考体系が新しいものにすっかり書き換わると、正誤の概念がなくなるため、こうした衝動は続きません。こんな衝動は、過渡期にあるだけです。その間だけ、人としての経験を求める衝動に関するこうした注意が必要なのです。

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イエス・キリスト(マリ・ペロン著「愛のコース 第二部 解説書」159ページ)

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正解が一番つまらんのや。

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杉本高文(明石家さんま)



It is compassion rather than the principle of justice which can guard us against being unjust to our fellow men.
我々が同胞に対して不公正になるのを防ぐことができるのは、正義の原理ではなく思いやりなのだ。



Eric Hoffer
エリック・ホッファー



現代は主知主義の時代です。この主知主義の基になる魂の働きは、人間の内面に深く関わることができません。だから、知的な人のことを冷たい人と呼んだりするのです。芸術を知的に理解したらどうなるでしょうか。芸術体験を妨害してしまいます。ですから芸術家は自分の作品が知性の力で受け取られたり、知的な象徴解釈を受けたりすることを嫌がります。何もかも解釈されてしまうときには、作品を制作する過程でその作品に生命を与えた創作者の魂の熱が失われてしまうからです。



Rudolf Steiner
ルドルフ・シュタイナー(「子どもの教育」より)

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I have always found that mercy bears richer fruits than strict justice.
私はつねに厳しい正義よりも優しい慈悲がより豊かな果実を実らせるのを目にしてきた。

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エイブラハム・リンカーン
Abraham Lincoln





It is nobler to declare oneself wrong than to insist on being right --especially when one is right.
自分の正しさにこだわって主張するよりも、自分の誤りを認めて告白する姿勢はより高潔だといえる。とりわけ、その人が正しい場合ほどそうだ。



Friedrich Nietzsche
ニーチェ

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はっきり言えば、第3の案を探す人は、公平かどうかにはさほど関心がない。それより何よりシナジーに強い関心を持つ。単に公平な、公正な、あるいは平等な解決策では満足できず、もっと多くを求める。公平だけを求めるなら、第3の案を探すマインドには達していない。
チャールズ・H・グリーンの的確な説明を引こう。「〈公平〉を求める気持ちは信頼関係の敵である。相互の信頼は相互依存を基盤として築かれるのであり、それには相手を尊重しなければならない……どちらが49でどちらが51を取るのかという交渉に労力を使っていたら、〈公平〉を追求するあまり信頼関係を壊すことになる」



Stephen R. Covey
スティーブン・R.コヴィー(「第3の案 成功者の選択」97ページ)

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今回は、テキスト第二十五章から「愛に戻される正義」という一節をご紹介します。

M19 正義とは何かを参考に読んでみてください。


正義は脇役。主役を張らせてはダメ

正義とは誤りを正す剣であり、愛に奉仕するしもべであり、道具です。

正義自体は主人、目的にはなりえません。

というのも、正義というのは象徴とされる天秤が如実に示すように対立する利害が適正なバランス状態で公正に調和することを指す概念であって、対立する利害の一段上に各自がともに目指す共通する幸福状態が必ずあるはずだからです。

単に正義を実現することが目的となるなら、妥協しかありえません。

異なる利害を調和させることで生まれるシナジーによる「第3の案」が奇跡を生むのであり、正義の究極の主人はつねに愛です。


道具の使命ーー本来の主人に奉仕できないことこそ、しもべにとっての最大の不幸

道具は何のために用いるかによって人を生かすことにも殺すことにもなります。

エゴが主人として支配するこの世界では、正義は、犯された罪、不正に対する憎悪に奉仕するために、処罰して正す武器であり、善意で用いようが悪意で用いようが必ず誰かを傷つけてしまう力となり、復讐と同義です。

これに対して、聖霊という主人に仕えるなら、正義は、誰にも罪を犯すことなどできず、すべての者は神の子であり潔白であるという真理に照らして、愛には愛で応え、攻撃にはその実体である愛を求める哀訴として同じく愛で応え、誤りには愛による修正で報い、という具合に、プラスであろうがマイナスであろうが、打たれた強さに応じた強さで赦しの音楽を奏でる癒しの楽器となって、罪への復讐から神の子を解放する祝福と同義になります。





「正しくあるよりも幸せであれ」

冒頭のエリック・ホッファーの言葉

It is compassion rather than the principle of justice which can guard us against being unjust to our fellow men.
我々が同胞に対して不公正になるのを防ぐことができるのは、正義の原理ではなく思いやりなのだ。

は、まさしく奇跡のコースのモットー「正しくあるよりも幸せであれ」(T30-Intro,1 新たなる旅立ち、1決断のルール)を語るものです。


私たちは、知らず知らずのうちに、正義中毒になっていることをつねに思い出して自戒すべきです。

奇跡のコースの学習法についても、正解を求め、権威による正当化を求めといった具合でエゴによって思考停止になってしまいます。

もっと間違いに寛容になって失敗を受け入れ、失敗とそれに伴う害悪を愛によって教訓を引き出しうる機会として歓迎し、祝福へと捉え方を変えられるようになりたいものです。




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テキスト第二十五章

VIII. Justice Returned to Love
八 愛に戻される正義



1. The Holy Spirit can use all that you give to Him for your salvation.
 聖霊は、あなたが聖霊に渡すどんなものでも、あなたの救済のために使うことができます。

 But He cannot use what you withhold, for He cannot take it from you without your willingness.
 しかし、聖霊は、あなたが聖霊に渡さずにおくものを使うことはできません。なぜなら、聖霊はあなたにその意欲がないのに、あなたからそれを取りあげることはできないからです。

 For if He did, you would believe He wrested it from you against your will.
 その理由はこうです。すなわち、もし聖霊がそんなことをしたなら、あなたは聖霊が自分の意志に反してあなたから強引にそれを奪い取ったと信じてしまいます。

 And so you would not learn it is your will to be without it.
 けれど、そうなると、あなたは、それを持たずにいることが自分の意志なのだと学べなくなってしまうからです。

 You need not give it to Him wholly willingly, for if you could you had no need of Him.
 もっとも、あなたは完全に自発的になってそれを聖霊に渡す必要まではありません。なぜなら、もしあなたにそれができていたなら、あなたに聖霊は必要なかったはずだからです。

 But this He needs; that you prefer He take it than that you keep it for yourself alone, and recognize that what brings loss to no one you would not know.
 聖霊が必要とするのは、ただ次のことだけです。それは、あなたがそれを自分ひとりだけで取っておくよりも、聖霊に受け取ってもらうことを選び、誰にも損失をもたらさないものが何なのか自分にはわからないと認めることです。

 This much is necessary to add to the idea no one can lose for you to gain.
 あなたが得るために誰かが損をすることはありえない、という想念に付け加える必要があるのは、これだけです。

 And nothing more.
 そして、これだけで十分です。

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2. Here is the only principle salvation needs.
 ここに救済が必要とする唯一の原理があります。

 Nor is it necessary that your faith in it be strong, unswerving, and without attack from all beliefs opposed to it.
 それに、あなたがこのことに対して抱く信頼が揺るぎない強力なものである必要もなければ、この信念に反対するあらゆる信念からの攻撃を免れている必要もありません。

 You have no fixed allegiance.
 あなたは確固たる忠誠心を持つ必要もありません。

 But remember salvation is not needed by the saved.
 ただし、救われている者には救いなど必要ないということは覚えておきなさい。

 You are not called upon to do what one divided still against himself would find impossible.
 あなたは、心が引き裂かれて自分自身に敵対したままになっている者にとっては不可能にしか思えないことを行なうようにと求められているわけではありません。

 Have little faith that wisdom could be found in such a state of mind.
 そんな心境で英知を見出せるなどと信頼してはなりません。

 But be you thankful that only little faith is asked of you.
 しかし、自分にはほんのささやかな信頼しか求められていないことに、あなたは感謝すべきです。

 What but a little faith remains to those who still believe in sin?
 いまだに罪を信じている者たちに、ほんのわずかな信頼のほかに何が残っているというのでしょう。

 What could they know of Heaven and the justice of the saved?
 彼らに、天国や救われている者たちの正義の何を知ることができるというのでしょうか。



3. There is a kind of justice in salvation of which the world knows nothing.
 救済に奉仕する正義は、この世界には見当もつかないような種類のものです。

 To the world, justice and vengeance are the same, for sinners see justice only as their punishment, perhaps sustained by someone else, but not escaped.
 この世界にとっては、正義と復讐は同義です。というのも、罪人たちは正義のことを単に自分たちが処罰されることであり、もしかすると自分以外のほかの誰かが罰を受けるかもしれないとしても、自分たちが処罰を免れることはないものとみなしているからです。

 The laws of sin demand a victim.
 罪の法則は犠牲になる者を要求します。

 Who it may be makes little difference.
 誰が犠牲者になろうが何の違いもありません。

 But death must be the cost and must be paid.
 しかし、その代償は必ず死であり、しかも、必ず支払われねばなりません。

 This is not justice, but insanity.
 こんなことは、正義ではなく、狂気です。

 Yet how could justice be defined without insanity where love means hate, and death is seen as victory and triumph over eternity and timelessness and life?
 とはいえ、愛が憎しみを意味し、死が永遠に不滅の生命に打ち勝って征服することだとみなされているような場所では、正気を失う以外にどうやって正義を定義できるでしょうか。

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4. You who know not of justice still can ask, and learn the answer.
 正義のことを知らないあなたは、それでもなお、尋ねることができるし、その答えを学ぶことができます。

 Justice looks on all in the same way.
 正義は、すべてのものを一様に見ます。

 It is not just that one should lack for what another has.
 誰かが持つためにほかの者が欠乏しなければならないとすれば、それは公正ではありません。

 For that is vengeance in whatever form it takes.
 というのは、どんな形をとろうとも、それは復讐だからです。

 Justice demands no sacrifice, for any sacrifice is made that sin may be preserved and kept.
 正義はいかなる犠牲も要求しません。というのも、どんな犠牲も、罪をそのまま温存して保つために捧げられるものだからです。

 It is a payment offered for the cost of sin, but not the total cost.
 犠牲は、罪の代償として差し出される支払いです。しかし、それだけで罪の代償の総額の支払いが終わるわけではありません。

 The rest is taken from another, to be laid beside your little payment, to "atone" for all that you would keep, and not give up.
 あなたが手放さずに取っておこうとするものすべてを「贖う」ために、あなたのわずかな支払いでは足りない分を穴埋めするために、残額はほかの者から取り立てられることになります。

 So is the victim seen as partly you, with someone else by far the greater part.
 だから、犠牲を被るのは、あなたは部分的で、ほかの誰かがはるかに大きな部分を占めるように見えます。

 And in the total cost, the greater his the less is yours.
 となると、総経費を勘定して、ほかの誰かの支払う代償が多ければ多いほど、あなたの支払いは少なくて済むことになります。

 And justice, being blind, is satisfied by being paid, it matters not by whom.
 そして、正義は、盲目であるがゆえに、支払いを受けさえすれば満足し、その支払いが誰によってなさるかは問題にならないというのです。



5. Can this be justice?
 こんなものが正義と呼べるでしょうか。

 God knows not of this.
 このような種類の正義など、神の知るところではありません。

 But justice does He know, and knows it well.
 それでも、神は確かに正義を知っており、それも正義のことを実によくわかっています。

 For He is wholly fair to everyone.
 なぜなら、神は誰にとっても完全に公平だからです。

 Vengeance is alien to God's Mind because He knows of justice.
 復讐は神の大いなる心とは相容れません。なぜなら、神は正義を知っているからです。

 To be just is to be fair, and not be vengeful.
 公正であることは、公平であることであって、復讐心を抱くことではありません。

 Fairness and vengeance are impossible, for each one contradicts the other and denies that it is real.
 公平でありながら復讐することは不可能です。というのは、公平さと復讐とはお互いに排斥し合い、他方が正しいことを否定するからです。

 It is impossible for you to share the Holy Spirit's justice with a mind that can conceive of specialness at all.
 あなたが、少しでも特別であろうという思いを抱くことのできるような心で、聖霊の正義を分かち合おうとしても、それは不可能です。

 Yet how could He be just if He condemns a sinner for the crimes he did not do, but thinks he did?
 しかし、もし聖霊が、実は罪を犯していないのに自分は罪を犯したと思いこんでいる者を罪人として咎めるとしたら、どうして聖霊が公正でいられるでしょうか。

 And where would justice be if He demanded of the ones obsessed with the idea of punishment that they lay it aside, unaided, and perceive it is not true?
 それに、もし聖霊が、処罰という想念が正しいと信じて疑わない者に、何の手助けもしないまま、強引に処罰という想念を捨てて、処罰は真実ではないと知覚するように要求したとすれば、いったいどこに正義はあるのでしょうか。

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6. It is extremely hard for those who still believe sin meaningful to understand the Holy Spirit's justice.
 いまだに罪に意味があると信じこんでいる者たちにとっては、聖霊の正義を理解するのはきわめて困難です。

 They must believe He shares their own confusion, and cannot avoid the vengeance that their own belief in justice must entail.
 彼らは必ず自分たちが混同していることを聖霊も同じように捉えているはずだと信じるので、彼らはどうしても、正義について復讐の意味合いをこめずに信念を抱くことができないからです。

 And so they fear the Holy Spirit, and perceive the "wrath" of God in Him.
 だから、彼らは聖霊を恐れ、聖霊が神からの「天罰」をもたらすと思ってしまいます。

 Nor can they trust Him not to strike them dead with lightning bolts torn from the "fires" of Heaven by God's Own angry Hand.
 だから、彼らには、神自身の怒りに満ちた手によって天国の「烈火」から引き裂かれた稲妻で聖霊が彼らを打ち滅ぼしたりしないということが信用できません。

 They do believe that Heaven is hell, and are afraid of love.
 彼らは確かに天国のことを地獄だと信じているし、愛のことを恐れています。

 And deep suspicion and the chill of fear comes over them when they are told that they have never sinned.
 そして、自分たちが一度も罪を犯したことなどないと告げられたりしようものなら、彼らは深い猜疑心と寒気のするような恐怖心に襲われます。

 Their world depends on sin's stability.
 彼らの世界は、罪の揺るぎなさに基盤を置いているからです。

 And they perceive the "threat" of what God knows as justice to be more destructive to themselves and to their world than vengeance, which they understand and love.
 そして、彼らは、神が正義として知ることの「脅威」は、自分たちなりに理解し愛着している復讐以上に、自分自身や自分たちの世界にとって、ずっと破壊的なものだと知覚しているのです。



7. So do they think the loss of sin a curse.
 だから、彼らは罪を失うことは災いであると思っています。

 And flee the Holy Spirit as if He were a messenger from hell, sent from above, in treachery and guile, to work God's vengeance on them in the guise of a deliverer and friend.
 だから、彼らは、まるで聖霊が地獄からの使者であるかのように、聖霊から逃れようとします。聖霊は、狡猾に裏切ろうと、友なる助け主を装いながら、彼らに対する神の復讐を執り行うために天から遣わされた存在だというのです。

 What could He be to them except a devil, dressed to deceive within an angel's cloak.
 彼らにとっては、聖霊は正体を偽って天使の姿に変装した悪魔以外の何ものでもありません。

 And what escape has He for them except a door to hell that seems to look like Heaven's gate?
 だから、彼らには、聖霊が彼らのために用意してくれている逃げ道も、天国への門に見せかけた地獄への扉にしか見えません。

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8. Yet justice cannot punish those who ask for punishment, but have a Judge Who knows that they are wholly innocent in truth.
 しかし、正義には、処罰を求める者たちを罰することはできません。むしろ、処罰を求める者たちには、彼らが真理においては完全に潔白であることを知る大いなる裁き主がついています。

 In justice He is bound to set them free, and give them all the honor they deserve and have denied themselves because they are not fair, and cannot understand that they are innocent.
 裁き主である聖霊には、正義のために、彼らを自由にすべき義務があるし、彼らが公平ではなく、自分たちが潔白だと理解できないせいで、彼らが当然受けるべきなのに自分自身に拒んできた栄光のすべてを彼らに与える義務があります。

 Love is not understandable to sinners because they think that justice is split off from love, and stands for something else.
 罪人にとって愛は理解できるものではありません。なぜなら、彼らは正義は愛から分離しており、愛以外の何か別のものを象徴していると思っているからです。

 And thus is love perceived as weak, and vengeance strong.
 こうして、愛は弱いものとして、復讐は強いものとして知覚されます。

 For love has lost when judgment left its side, and is too weak to save from punishment.
 というのも、愛は、裁きが愛の味方をしてくれないと失われてしまうような、あまりに弱すぎて処罰からの救いとして当てにならないものだということになるからです。

 But vengeance without love has gained in strength by being separate and apart from love.
 それに対して、愛なき復讐は、愛から切り離されて分離した状態にあることによって強さを増すことになります。

 And what but vengeance now can help and save, while love stands feebly by with helpless hands, bereft of justice and vitality, and powerless to save?
 そして、愛が正義と活力を奪われて、救う力もなく、無力に両手をぶらさげて弱々しく佇んでいるかぎり、もはや復讐以外のいったい何が力を貸して救うことができるというのでしょうか。



9. What can Love ask of you who think that all of this is true?
 こんなことがすべて真実であると思いこんでいるあなたに、大いなる愛が何を頼めるというのでしょうか。

 Could He, in justice and in love, believe in your confusion you have much to give?
 正義と愛の中にいる聖霊が、自分が与えるに十分なだけ持っていることについてあなたが当惑するのももっともだと信じたりできるでしょうか。

 You are not asked to trust Him far.
 あなたは、聖霊を心の底から信用するように求められているわけではありません。

 No more than what you see He offers you, and what you recognize you could not give yourself.
 あなたに求められているのは、聖霊があなたに差し延べてくれているものを見て、あなたが自分で受け入れられずにいるものに気づくことだけです。

 In God's Own justice does He recognize all you deserve, but understands as well that you cannot accept it for yourself.
 まさに神の正義のうちにあるがゆえに、聖霊は、あなたが当然に受けるべきものすべてに気づいていますが、同時に、あなたが自分ではそれを受け入れられないこともよくわかっています。

 It is His special function to hold out to you the gifts the innocent deserve.
 潔白なる者が受け取るにふさわしい贈り物を、あなたに対して差し延べることが聖霊の特別な役目です。

 And every one that you accept brings joy to Him as well as you.
 そして、あなたが受け取る贈り物の一つひとつが、あなたに喜びをもたらすように聖霊にも喜びをもたらします。

 He knows that Heaven is richer made by each one you accept.
 聖霊には、あなたがその贈り物をひとつ受け入れるごとに天国がより豊かになってゆくとわかっています。

 And God rejoices as His Son receives what loving justice knows to be his due.
 そして、愛に満ちた正義が神の子が当然に受け取るに値すると知っているものをわが子が受け取ることを神は喜びます。

 For love and justice are not different.
 というのは、愛と正義は違うものではないからです。

 Because they are the same does mercy stand at God's right Hand, and gives the Son of God the power to forgive himself of sin.
 愛と正義が同じであるがゆえに、慈悲は神の右腕となって、罪について自分自身を赦す力を神の子に与えるのです。

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10. To him who merits everything, how can it be that anything be kept from him?
 すべてを受けるに値する者が何も与えられないままになることがどうしてありうるでしょうか。

 For that would be injustice, and unfair indeed to all the holiness that is in him, however much he recognize it not.
 というのも、どれほど彼がそのことに気づかずにいようとも、神聖さに満たされている彼にとって、そんなことは不正義であり、実に不公平なことだからです。

 God knows of no injustice.
 不正義など、一切神の知るところではありません。

 He would not allow His Son be judged by those who seek his death, and could not see his worth at all.
 神の子の死を要求したり、神の子の価値を少しも理解できないような者たちによってわが子が裁かれるようなことを神が容認するはずがありません。

 What honest witnesses could they call forth to speak on his behalf?
 そんな者たちに、神の子のために証言するどんな正直な証人を呼び出せるというのでしょうか。

 And who would come to plead for him, and not against his life?
 それに、彼らの喚問するような証人のうちのいったい誰が、神の子の生命を危機にさらすためにではなく、擁護するために来てくれるというのでしょうか。

 No justice would be given him by you.
 あなたたちによって神の子に正義が与えられることはないでしょう。

 Yet God ensured that justice would be done unto the Son He loves, and would protect from all unfairness you might seek to offer, believing vengeance is his proper due.
 それでも、神は、その愛し子に正義が行なわれることを保証してくれたので、あなたが神の子に当然の報いであると信じて彼に差し出そうとするあらゆる不公正さから守ってくれるでしょう。



11. As specialness cares not who pays the cost of sin, so it be paid, the Holy Spirit heeds not who looks on innocence at last, provided it is seen and recognized.
 特別性は罪の代価の支払いを受けさえすれば、その支払いを誰がすることになろうが、そんなことは気にもかけません。同じく、聖霊も、潔白さに目が向けられて認識されることになるかぎり、ついにそれを見ることになるのが誰なのかということには関心を持ちません。

 For just one witness is enough, if he sees truly.
 というのも、もしその人が真に見るならば、たったひとりの証人だけで十分だからです。

 Simple justice asks no more.
 純然たる正義はそれ以上、何も求めません。

 Of each one does the Holy Spirit ask if he will be that one, so justice may return to love and there be satisfied.
 正義が愛の下へと戻ってそこで満足するように、聖霊は、その証人のひとりになるつもりはないかと一人ひとりに尋ねています。

 Each special function He allots is but for this; that each one learn that love and justice are not separate.
 聖霊が各自に特別な役目を割り当てるのは、ただ次のことのためです。それは、誰もがみな、愛と正義は別々に分離したものではないと学ぶことです。

 And both are strengthened by their union with each other.
 そして、愛と正義は相互に結びつくことによって増強されます。

 Without love is justice prejudiced and weak.
 愛が伴わなければ、正義は偏見となり弱みになります。

 And love without justice is impossible.
 逆に、正義の伴わない愛もありえません。

 For love is fair, and cannot chasten without cause.
 というのは、愛は公平であり、理由もなく懲らしめるようなことはできないからです。

 What cause can be to warrant an attack upon the innocent?
 どんな原因があろうとも、潔白なる者に対する攻撃を正当化することはできません。

 In justice, then, does love correct mistakes, but not in vengeance.
 それゆえ、愛が間違いを修正するのは、正義に適うからであって復讐のためではありません。

 For that would be unjust to innocence.
 というのは、復讐のために間違いを正そうとすることは潔白さに対する不公正となるからです。

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12. You can be perfect witness to the power of love and justice, if you understand it is impossible the Son of God could merit vengeance.
 もしあなたが神の子が復讐に値するなどありえないと理解するなら、あなたは愛と正義の力の完璧な証人になることができます。

 You need not perceive, in every circumstance, that this is true.
 あなたは、あらゆる状況においてこれが真実であることに気づかなければならないわけではありません。

 Nor need you look to your experience within the world, which is but shadows of all that is really happening within yourself.
 それに、あなたはこのことを、この世界の中での自分の経験の中に見出そうとする必要もありません。この世界での経験は単に、あなた自身の内面で真に起こっているすべてのことの影でしかないからです。

 The understanding that you need comes not of you, but from a larger Self, so great and holy that He could not doubt His innocence.
 あなたが必要とする理解はあなたからではなくて、より大きな真の自己から訪れます。この大いなる自己は本当に偉大で神聖なので、大いなる自己には、自らの潔白さを疑うことなどできません。

 Your special function is a call to Him, that He may smile on you whose sinlessness He shares.
 あなたの特別な役目は、自らの潔白さをあなたと分かち合っている大いなる自己に、あなたに微笑みかけてくれるよう呼びかけることです。

 His understanding will be yours.
 そうすれば、あなたは大いなる自己の理解をわがものとするでしょう。

 And so the Holy Spirit's special function has been fulfilled.
 そうして、聖霊の特別な役割は達成されたことになります。

 God's Son has found a witness unto his sinlessness and not his sins.
 神の子は自らの罪ではなくて、自らの無罪を証明してくれる証人を見つけたのです。

 How little need you give the Holy Spirit that simple justice may be given you.
 あなたが純然たる正義を与えてもらうために、あなたが聖霊に渡さなければならないものは何とわずかなものなのでしょう。



13. Without impartiality there is no justice.
 偏見のない公平さがなければ、正義はありえません。

 How can specialness be just?
 どうして特別であることが正当なことでありうるでしょうか。

 Judge not because you cannot, not because you are a miserable sinner too.
 価値判断して裁いてはなりません。それは、あなたも哀れな罪人のひとりだからではなく、あなたには裁くことができないからです。

 How can the special really understand that justice is the same for everyone?
 どうして、特別であろうとする者に、誰にとっても正義が同じものであることを真に理解できるでしょうか。

 To take from one to give another must be an injustice to them both, since they are equal in the Holy Spirit's sight.
 別の者に渡すためにある者から取りあげることは、両者にとって不公平なことに違いありません。なぜなら、聖霊から見れば彼らは等しい同じものだからです。

 Their Father gave the same inheritance to both.
 彼らの大いなる父は、彼らの両方に同じ遺産を授けたのです。

 Who would have more or less is not aware that he has everything.
 それよりも多く、あるいは、より少なく持とうとする者は、自分がすべてを持っていることに気づいていないのです。

 He is no judge of what must be another's due, because he thinks he is deprived.
 そのような者は、自分は奪われて恵まれていないと思いこんでいるがゆえに、他者が当然に受け取るべきものが何であるか正しく判断できる立場にありません。

 And so must he be envious, and try to take away from whom he judges.
 だから、彼は羨んで嫉妬せずにはいられないし、自分が裁きを下した相手から取りあげようとせずにはいられません。

 He is not impartial, and cannot fairly see another's rights because his own have been obscured to him.
 彼は公平ではなく偏っており、自分自身の権利が自分でもよくわからなくなっているために、他者の権利を公平に見ることができないのです。

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14. You have the right to all the universe; to perfect peace, complete deliverance from all effects of sin, and to the life eternal, joyous and complete in every way, as God appointed for His holy Son.
 あなたには全宇宙を求める権利があります。それは、神がその聖なる子に定めた通りに、完璧な平安に包まれ、罪が及ぼすあらゆる影響や結果から完全に解放され、そして、あらゆる面で喜びに満ちて完全なものとなって永遠の生命に至る権利です。

 This is the only justice Heaven knows, and all the Holy Spirit brings to earth.
 これこそ天国の知る唯一の正義です。そして、聖霊が地上にもたらすのはこれだけです。

 Your special function shows you nothing else but perfect justice can prevail for you.
 あなたの特別な役割があなたに示すのは、完璧な正義だけがあなたのために勝利を収めることができるということです。

 And you are safe from vengeance in all forms.
 だから、あなたはどんな形の復讐からも無事でいられるのです。

 The world deceives, but it cannot replace God's justice with a version of its own.
 この世界は欺くことはできても、自分独自に解釈する正義を神の正義に置き換えることはできません。

 For only love is just, and can perceive what justice must accord the Son of God.
 というのは、ただ愛だけが公平であり、正義が神の子に授けるに違いないものを知覚できるからです。

 Let love decide, and never fear that you, in your unfairness, will deprive yourself of what God's justice has allotted you.
 愛に決めてもらうがよいでしょう。そして、絶対に、自分が不公平になって、神の正義がすでにあなたに割り当てているものを、自分で自分自身から奪い去ってしまうのではないかと恐れないでください。


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2015/03/28 (Sat) 22:24

紹介

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