M21 癒しにおける言葉の役割とは?

マニュアル 0

Prayer does not change God, but it changes him who prays.
祈りを変えるわけではない。しかし、祈りは祈る者自身を変える。

Soren Kierkegaard
セーレン・キルケゴール




教師のためのマニュアルから、第21節をご紹介します。


癒しにおける言葉の役割についての説明です。

癒しを引き起こす要因は祈りなので、内容的には、祈りにおいて言葉がはたす役割の意味の説明にもなっています。




この一節では、コースはこう言っているとして、引用されることの多い
「They are thus twice removed from reality.
 したがって、言葉は現実から二重に引き離されているのです。」
との一文が出てきます。


言葉と心の中での祈りは、別もので、祈りにとって言葉は重要ではないということです。

それは、祈りというのは、つねに、ある種の体験を求めることであるところ、言葉は、求めた物事を象徴するものではあっても、物事それ自体は、望まれた体験を象徴しているにすぎないということです。



この一節を学ぶうえでは、祈りとはすでに自分がすべてを持っていることに気づかせてくれるよう聖霊に頼むことが参考になると思いますので、ぜひご一読いただければと思います。


祈りの歌(祈りの歌 目次)も参考にしてください。


「6. You who speak in dark and devious symbols do not understand the language you have made.
 意味が不明瞭で迂遠な符牒を用いて話すあなたたちは、自分たちの作り出した言語のことを理解してはいません。

 It has no meaning, for its purpose is not communication, but rather the disruption of communication.
 あなたたちの作り出した言語には何の意味もありません。というのは、あなたたちの言語の目的はコミュニケーションを図ることにあるのではなく、むしろコミュニケーションを混乱させて遮断することにあるからです。

 If the purpose of language is communication, how can this tongue mean anything?
 もし言葉の目的がコミュニケーションを取ることにあるとすれば、コミュニケーションを混乱させるだけのあなたたちの言葉が何を意味しうるでしょうか。

 Yet even this strange and twisted effort to communicate through not communicating holds enough of love to make it meaningful if its Interpreter is not its maker.
 しかし、そんなコミュニケーションにならない言葉でもって思いを伝えようとする奇妙にねじくれた活動ですら、もしその言葉を解釈するのがその言葉の作り主とは別の大いなる翻訳者であるなら、十分な愛でその言葉を意味あるものにすることができます。

 You who made it are but expressing conflict, from which the Holy Spirit would release you.
 そんな言葉を作ったあなたたちは、ただ心の葛藤を表しているにすぎませんが、聖霊は、そんな葛藤からあなたたちを解放してくれるでしょう。

 Leave what you would communicate to him.
 自分が何を伝えることになるのかは、聖霊に任せておきなさい。

 He will interpret it to you with perfect clarity, for he knows with Whom you are in perfect communication.
 聖霊がその言葉を完璧な明瞭さであなたに解釈してくれるでしょう。なぜなら、聖霊はあなたが完璧なコミュニケーションを取っている偉大な存在が誰なのか知っているからです。」(テキスト 第十四章 VI. The Light of Communication 六 コミュニケーションの光





Section 21
第21節



What Is the Role of Words in Healing?
癒しにおける言葉の役割は何だろうか



1. Strictly speaking, words play no part at all in healing.
 厳密に言うなら、癒しにおいて言葉は何の役割も果たしません。

 The motivating factor is prayer, or asking.
 癒しを引き起こす要因は、祈り、つまり、求めることです。

 What you ask for you receive.
 あなたが求めるものを、あなたは受け取ります。

 But this refers to the prayer of the heart, not to the words you use in praying.
 しかし、この求めが意味するのは心の奥底からの祈りであって、祈る際にあなたが用いる言葉ではありません。

 Sometimes the words and the prayer are contradictory; sometimes they agree.
 ときには、言葉祈りが矛盾することがあるし、ときには一致することもあります。

 It does not matter.
 でも、言葉祈りが一致するかどうかは重要ではありません。

 God does not understand words, for they were made by separated minds to keep them in the illusion of separation.
 言葉は分離した個別の心が、自分たちを分離の幻想の中に保っておくために作り出したものであって、は言葉を理解しないからです。

 Words can be helpful, particularly for the beginner, in helping concentration and facilitating the exclusion, or at least the control, of extraneous thoughts.
 とくに初心者にとっては、言葉は集中力を高めて、邪念を排除するのを促進したり、少なくとも邪念をコントロールするのに役立てることができます。

 Let us not forget, however, that words are but symbols of symbols.
 しかしながら、私たちは、言葉というものが、何かを象徴するものをさらに象徴するものだということを忘れてはなりません。

 They are thus twice removed from reality.
 したがって、言葉は、現実から二重に引き離されているのです。



2. As symbols, words have quite specific references.
 象徴であるので、言葉はきわめて具体的な対象と関連を持ちます。

 Even when they seem most abstract, the picture that comes to mind is apt to be very concrete.
 言葉が最も抽象的に思えるときですら、言葉が心に結ばせる像は、とても具体的なものになりがちです。

 Unless a specific referent does occur to the mind in conjunction with the word, the word has little or no practical meaning, and thus cannot help the healing process.
 その言葉が連結する具体的な対象が心に浮かんでこないかぎり、言葉は、ほとんど、あるいはまったく実際的な意味を持たないことになり、したがって、癒しのプロセスで役立つことができません。

 The prayer of the heart does not really ask for concrete things.
 心からの祈りは、本当は、具体的な物事を求めているわけではありません。

 It always requests some kind of experience, the specific things asked for being the bringers of the desired experience in the opinion of the asker.
 心からの祈りは、つねにある種の体験を求めているのであって、具体的な物事は、求める者の考えでは望ましい体験をもたらす媒体となることを求められているのです。

 The words, then, are symbols for the things asked for, but the things themselves but stand for the experiences that are hoped for.
 したがって、たしかに言葉は求めた物事を象徴してはいますが、その物事それ自体は、望まれた体験を象徴しているにすぎません。



3. The prayer for things of this world will bring experiences of this world.
 この世界の物事を求める祈りは、この世界での体験をもたらすでしょう。

 If the prayer of the heart asks for this, this will be given because this will be received.
 もし心からの祈りがこの世界での体験を求めるなら、この世界での体験が受け取れられるように、この世界での体験が与えられるでしょう。

 It is impossible that the prayer of the heart remain unanswered in the perception of the one who asks.
 心からの祈りが、求めた者の知覚において、答えられないままになることはありえないからです。

 If he asks for the impossible, if he wants what does not exist or seeks for illusions in his heart, all this becomes his own.
 もしその人がありえないことを求めたり、存在しない物を欲したり、心密かに幻想を探すとしても、それらのすべてが彼のものになります。

 The power of his decision offers it to him as he requests.
 彼の決定する力が、彼が求めた通りに、彼にそのものを与えるからです。

 Herein lie hell and Heaven.
 この決断力の中に、地獄と天国があります。

 The sleeping Son of God has but this power left to him.
 眠り続ける神の子に残されているのは、この力だけです。

 It is enough.
 それだけで十分です。

 His words do not matter.
 彼の言葉は重要ではありません。

 Only the Word of God has any meaning, because it symbolizes that which has no human symbols at all.
 ただの大いなる言葉だけが意味を持っています。なぜなら、の大いなる言葉は、人の抱く象徴がまったく持ち合わせていないものを象徴しているからです。

 The Holy Spirit alone understands what this Word stands for.
 ただ聖霊だけが、このの大いなる言葉が何を表しているのか理解しています。

 And this, too, is enough.
 そしてまた、聖霊さえの言葉の意味を理解してくれていれば、それだけで十分です。



4. Is the teacher of God, then, to avoid the use of words in his teaching?
 それでは、神の教師は、自分が教える際に、言葉を用いないようにすべきなのでしょうか。

 No, indeed!
 いいえ、まったくそんなことはありません。

 There are many who must be reached through words, being as yet unable to hear in silence.
 まだ沈黙の中で聞けるようになっていないために、言葉を通してメッセージを届けてもらわなければならない人たちがたくさんいるからです。

 The teacher of God must, however, learn to use words in a new way.
 とはいえ、神の教師は、言葉を新たなやり方で用いることを学ばなければなりません。

 Gradually, he learns how to let his words be chosen for him by ceasing to decide for himself what he will say.
 神の教師は、自分が何を言うべきか自分で決めるのをやめることによって、自分の語るべき言葉が選ばれるようにする方法を次第に学んでゆきます。

 This process is merely a special case of the lesson in the workbook that says, "I will step back and let Him lead the way."
 このプロセスは、ワークブックが「私は一歩引き下がって、聖霊に先導してもらうことにする」とレッスンで言っていることをただ別の形で表現しているにすぎません。

 The teacher of God accepts the words which are offered him, and gives as he receives.
 神の教師は、自分に与えられた言葉を受け入れ、そして、自分が受け取った通りに与えます。

 He does not control the direction of his speaking.
 神の教師は、自分が誰に向けて語るのか、その方向性をコントロールしようとはしません。

 He listens and hears and speaks.
 神の教師は、耳を澄まして、聞いたことを語ります。



5. A major hindrance in this aspect of his learning is the teacher of God's fear about the validity of what he hears.
 神の教師がこの方法で学ぶ際の最大の障害は、自分が耳にすることが本当に正しいのか彼が不安を抱いてしまうことです。

 And what he hears may indeed be quite startling.
 実際に、彼が聞くことは、きわめて驚愕するようなことであるかもしれません。

 It may also seem to be quite irrelevant to the presented problem as he perceives it, and may, in fact, confront the teacher with a situation that appears to be very embarrassing to him.
 彼の聞くことはまた、自分が知覚している問題について、彼が自分なりに解釈しているところからすれば、まったく的外れに思えるかもしれません。それどころか、彼にとって非常に困惑するように思える状況に教師を直面させることになるかもしれません。

 All these are judgments that have no value.
 このような彼の判断はすべて、何の価値もない判断だといえます。

 They are his own, coming from a shabby self-perception which he would leave behind.
 それらは、彼自身の裁きであり、彼が背後に置いてゆくことになる卑小な自己認識に由来するものなのです。

 Judge not the words that come to you, but offer them in confidence.
 自分の許に訪れる言葉を価値判断せず、それらの言葉を確信をもって与えてください。

 They are far wiser than your own.
 それらの言葉は、あなた自身の言葉よりもずっと賢明さを備えたものなのです。

 God's teachers have God's Word behind their symbols.
 神の教師たちの用いる象徴は、神の大いなる言葉を後ろ盾にしているからです。

 And He Himself gives to the words they use the power of His Spirit, raising them from meaningless symbols to the Call of Heaven itself.
 そして、神自身が神の教師たちの使う言葉に神の霊の力を授け、それらの言葉を無意味な象徴からまさに天国の呼びかけへと高めてくれるのです。


次

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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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