T26-1 一体性を犠牲にすること
我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。

フリードリヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」

今回は、テキスト第二十六章から「一体性を『犠牲』にすること」という一節をご紹介します。
あらゆるものが分離しているように見える世界
1.「Look at the world, and you will see nothing attached to anything beyond itself.
この世界を見てください。あなたには、そのもの自体を超える何かの一部としてつながっているものは何ひとつ目に入らないでしょう。
All seeming entities can come a little nearer, or go a little farther off, but cannot join.
個々に存在するように見えているものはどれも、少し近づいたり、少し遠のいたりすることはできても、ひとつに結びつくことはできません。」

私たちの目にする物事はすべてほかとのつながりを持たないばらばらの分離した状態にあるように見えます。
人体内世界でも同じ
これと似た状況が人体の中でも認められます。
体液の中を浮遊する細胞はいくらでもありますが、たとえば、血管内の血液の中の赤血球は、水の中を泳ぐ魚のように一見したところ分離状態にあり、はたらく細胞で擬人化されているように、もし赤血球が自意識を持ったなら、自分は他の細胞から分離して独立した生き物だと信じることが可能です(ほかの固定した状態の臓器の細胞等だって細胞壁で仕切られて、自分はほかの者たちから切り離された独房に閉じ込められて、房内で刑務作業をさせられる形で働かされていると思うかもしれません。)。
けれど、赤血球が分離しているというのは錯覚でしかありません。
人間の身体が自分だと信じることは、赤血球が自意識を持って自分は独立した生物だと言い張るのに等しい狂気の沙汰です。
私たちは今、このことを想像して笑うことができています。
虚構でも感情移入の度が過ぎれば現実と信じ込む狂気に陥るのは可能
しかし、他のエッセイでたびたび述べているように、ナノサイズのカプセル内視鏡で自分の体内を探検する状態を長年続けるなら、体内世界の中にいる小さな存在が自分だと信じるようになることもありえなくはないどころか、偽りの自分と固く自己同一化するのもむしろ当然だと理解できるはずです。
この世界で生きる私たちは、自意識を持って暴走した赤血球のような存在であり、この自意識つまりエゴを持つ私たちは、本当は笑い飛ばされるべきありえない妄想、突飛な狂気の想念だということです(もちろん、私たちとしては承服しかねるところですが…)。

テキスト第二十六章
I. The 'Sacrifice' of Oneness
一 一体性を「犠牲」にすること
1. In the "dynamics" of attack is sacrifice a key idea.
攻撃の「力学」において鍵となる概念は、犠牲です。
It is the pivot upon which all compromise, all desperate attempts to strike a bargain, and all conflicts achieve a seeming balance.
この犠牲という概念を基軸に、あらゆる妥協や取り引きが必死に試みられる結果、あらゆる葛藤が表面上バランスの取れた状態に達します。
It is the symbol of the central theme that somebody must lose.
犠牲という概念は、誰かが損失を被らねばならないという中心的なテーマを象徴するものです。
Its focus on the body is apparent, for it is always an attempt to limit loss.
犠牲という考えが、その焦点を身体に合わせていることは歴然としています。というのも、身体はつねに損失を限定しようとするものだからです。
The body is itself a sacrifice; a giving up of power in the name of saving just a little for yourself.
自らを身体とみなすことは、あなた自身のためにごくわずかなものを取っておくために力を放棄することなので、身体そのものが犠牲です。
To see a brother in another body, separate from yours, is the expression of a wish to see a little part of him and sacrifice the rest.
兄弟は自分の身体とは分離した別の身体の中にいるとみなすことは、彼のほんの一部分だけを見て、残りは犠牲にしたいという願望の表れです。
Look at the world, and you will see nothing attached to anything beyond itself.
この世界を見てください。あなたには、そのもの自体を超える何かの一部としてつながっているものは何ひとつ目に入らないでしょう。
All seeming entities can come a little nearer, or go a little farther off, but cannot join.
個々に存在するように見えているものはどれも、少し近づいたり、少し遠のいたりすることはできても、ひとつに結びつくことはできません。
2. The world you see is based on "sacrifice" of oneness.
あなたの見ている世界は、一体性を「犠牲」にすることで成り立っています。
It is a picture of complete disunity and total lack of joining.
この世界は、完全なる不統一であり、ひとつに結びつくということが完全に欠落した状態を描写したものです。
Around each entity is built a wall so seeming solid that it looks as if what is inside can never reach without, and what is out can never reach and join with what is locked away within the wall.
それぞれの個体の周囲は見かけ上とても頑丈な壁で囲まれているので、その内側にあるものが外側に達することは決してできないし、外側にあるものが壁の内側に閉じこめられているものに到達してひとつに結びつくことも決してできないように思えます。
Each part must sacrifice the other part, to keep itself complete.
それぞれの部分は、自分自身を完全に保つために、ほかの部分を犠牲にしなければなりません。
For if they joined each one would lose its own identity, and by their separation are their selves maintained.
というのも、各自は分離していることによって自分自身を維持できているのに、もしそれらがひとつに結ばれたなら、各自は自分自身のアイデンティティーを失ってしまうことになるからです。

3. The little that the body fences off becomes the self, preserved through sacrifice of all the rest.
身体で囲いこむ小さな部分が自己となり、この小さな自己は残りのすべてを犠牲にすることで維持されます。
And all the rest must lose this little part, remaining incomplete to keep its own identity intact.
逆に、残りの全部はこの小さな部分を失わざるをえないので、全体としての完全性という自らのアイデンティティーを完全に保つことができないままになってしまいます。
In this perception of yourself the body's loss would be a sacrifice indeed.
身体で囲われた小さな自己を自分自身だと知覚するなら、たしかに身体を喪失することはまさに犠牲と言うべきでしょう。
For sight of bodies becomes the sign that sacrifice is limited, and something still remains for you alone.
というのは、身体が見えることが、その犠牲が限られたもので、まだ何かがあなただけのために残っている印になるからです。
And for this little to belong to you are limits placed on everything outside, just as they are on everything you think is yours.
そして、このわずかなものをあなたが所有するために、ちょうどあなたが自分のものだと思っているものすべてに制限が課されるのと同じように、外側にあるすべてのものにも制限が課されることになります。
For giving and receiving are the same.
というのも、与えることと受け取ることは同じだからです。
And to accept the limits of a body is to impose these limits on each brother whom you see.
そして、身体という制限を受け入れることは、その制限をあなたの見る兄弟一人ひとりに押しつけることになります。
For you must see him as you see yourself.
なぜなら、あなたは必ず自分自身を見るように兄弟のことを見るからです。
4. The body is a loss, and can be made to sacrifice.
身体とは、失うことであり、犠牲にされうるものです。
And while you see your brother as a body, apart from you and separate in his cell, you are demanding sacrifice of him and you.
そして、あなたが自分の兄弟は身体であり、あなたから切り離された彼の独房の中にいるとみなしているかぎり、あなたは兄弟にも自分にも犠牲を要求しているのです。
What greater sacrifice could be demanded than that God's Son perceive himself without his Father?
神の子に自分には父がいないと知覚するように求めるよりも大きなどんな犠牲がありうるでしょうか。
And his Father be without His Son?
そして、父なる神にわが子はいないと知覚するように求めることも同様ではないでしょうか。
Yet every sacrifice demands that they be separate and without the other.
それなのに、すべての犠牲は、神と子を引き離し、互いに相手のいない状態にあることを要求するのです。
The memory of God must be denied if any sacrifice is asked of anyone.
もし少しでも犠牲が誰かに求められるなら、必ず神の記憶が否定されることになります。
What witness to the Wholeness of God's Son is seen within a world of separate bodies, however much he witnesses to truth?
ばらばらに分離した身体で構成される世界の中では、どんなに真理を証言しようとも、神の子が欠けることのない完全な存在であることを語るどんな証人も見向きもされないでしょう。
He is invisible in such a world.
そんな世界の中では、彼は相手にされないからです。
Nor can his song of union and of love be heard at all.
それに、一なる結びつきと愛についての彼の歌声もまったく耳を貸してもらえないでしょう。
Yet is it given him to make the world recede before his song, and sight of him replace the body's eyes.
それでも、彼には、自らの歌声を前にしてこの世界を退かせ、肉体の目を自らの視覚に取って代わらせる力が与えられています。

5. Those who would see the witnesses to truth instead of to illusion merely ask that they might see a purpose in the world that gives it sense and makes it meaningful.
幻想を支持する証人の代わりに真理を支持する証人を見ようとする者たちは単に、世界に意味を与えて有意義なものにするひとつの目的を世界に見出したいと求めているだけです。
Without your special function has this world no meaning for you.
あなたの特別な役割がなければ、この世界はあなたにとって何の意味も持ちません。
Yet it can become a treasure house as rich and limitless as Heaven itself.
それでも、この世界は、まさに天国と同じくらい豊かで限りない宝庫となることができます。
No instant passes here in which your brother's holiness cannot be seen, to add a limitless supply to every meager scrap and tiny crumb of happiness that you allot yourself.
この世界では、いかなる瞬間も、あなたの兄弟の神聖さを見ることができないままに過ぎ去ってしまうことはありません。あなたの兄弟の神聖さを見ることで、あなたが自分自身に割り当てた一つひとつの取るに足らない幸せの貧弱な切れ端や小さなかけらに、無尽蔵に供給される幸せが付け加えられるようになるのです。
6. You can lose sight of oneness, but can not make sacrifice of its reality.
あなたは自分がひとつであることを見失うことはできても、自分がひとつであることが現実であることを犠牲にすることはできません。
Nor can you lose what you would sacrifice, nor keep the Holy Spirit from His task of showing you that it has not been lost.
しかも、あなたには、自分が犠牲にしようとするものを失うことができないし、あなたが犠牲にしようとするものが失われてなどいないことをあなたに示すという聖霊の任務の邪魔をすることもできません。
Hear, then, the song your brother sings to you, and let the world recede, and take the rest his witness offers on behalf of peace.
ゆえに、あなたの兄弟があなたに歌ってくれるその歌を聞いてください。そうして、この世界を退かせて、平安のためにその兄弟の証言が与えてくれる休息を取ってください。
But judge him not, for you will hear no song of liberation for yourself, nor see what it is given him to witness to, that you may see it and rejoice with him.
ただし、その兄弟を価値判断して裁こうとしてはなりません。というのも、裁こうとするなら、あなたには自分自身のための解放の歌がまったく聞こえなくなって、あなたがそれを見て彼とともに喜べるようにと彼に託された証拠を見ることもできなくなってしまうからです。
Make not his holiness a sacrifice to your belief in sin.
罪に対するあなたの信仰心に、あなたの兄弟の神聖さを犠牲にさせてはなりません。
You sacrifice your innocence with his, and die each time you see in him a sin deserving death.
そんなことをすれば、あなたは自分の潔白さを彼の潔白さとともに犠牲にすることになり、あなたが彼に死に値する罪があるとみなすたびにあなたも死ぬことになってしまいます。

7. Yet every instant can you be reborn, and given life again.
しかし、一瞬ごとに、あなたは生まれ変わって再び生命を与えてもらうことができます。
His holiness gives life to you, who cannot die because his sinlessness is known to God; and can no more be sacrificed by you than can the light in you be blotted out because he sees it not.
兄弟の神聖さがあなたに生命を与えてくれるので、あなたが死ぬことはありえません。なぜなら、神はあなたの兄弟に罪がないことを知っており、兄弟にあなたの内なる光が見えないからといって、あなたの内なる光が消えてしまうことがないのと同じように、兄弟の神聖さがあなたによって犠牲にされることなどありえないからです。
You who would make a sacrifice of life, and make your eyes and ears bear witness to the death of God and of His holy Son, think not that you have power to make of Them what God willed not They be.
あなたは、生命を犠牲にして、自分の目や耳に神とその聖なる子の死を証明させようとしていますが、神が意図しなかった姿に神と子を作り変えてしまう力を自分は持っているなどと思ってはなりません。
In Heaven, God's Son is not imprisoned in a body, nor is sacrificed in solitude to sin.
天国においては、神の子は、身体の中に幽閉されることも、孤独の中で罪の犠牲にされることもありません。
And as he is in Heaven, so must he be eternally and everywhere.
そして、彼が天国においてそうであるならば、彼は永遠に、そして、いかなる場所においても、そうであるに違いありません。
He is the same forever.
神の子は永遠に同じものだからです。
Born again each instant, untouched by time, and far beyond the reach of any sacrifice of life or death.
神の子は、一瞬ごとに生まれ変わり、時間によって影響されることなく、いかなる生命の犠牲や死にも手の届かないはるか彼方にいるのです。
For neither did he make, and only one was given him by One Who knows His gifts can never suffer sacrifice and loss.
というのは、生命と死のどちらも彼が作り出したものではなかったし、彼はそのうちの生命だけを、自らの贈り物が絶対に犠牲や損失を被ることがありえないと知る神によって与えられたからです。
8. God's justice rests in gentleness upon His Son, and keeps him safe from all injustice the world would lay upon him.
神の正義が優しく神の子の許に留まり、この世界が彼に押しつけようとするあらゆる不正から子を安全に守ってくれます。
Could it be that you could make his sins reality, and sacrifice his Father's Will for him?
神の子の罪を現実のものにして、彼に対する父の大いなる意志を犠牲にすることがあなたにできるなどということが、はたしてありうるでしょうか。
Condemn him not by seeing him within the rotting prison where he sees himself.
たとえ兄弟が自分は朽ち果ててゆく牢獄の中にいると思いこんでいるとしても、あなたまで彼がその通り身体という牢獄の中にいるとみなすことによって、彼に有罪の宣告をしてはなりません。
It is your special function to ensure the door be opened, that he may come forth to shine on you, and give you back the gift of freedom by receiving it of you.
その牢獄の扉を確実に開け放たれたままにすることこそ、あなたに与えられた特別な役目です。あなたが役目を果たせば、彼は牢獄から出てきてあなたを照らし、あなたから自由という贈り物を受け取ることによって、あなたに自由を贈り返すことができるようになります。
What is the Holy Spirit's special function but to release the holy Son of God from the imprisonment he made to keep himself from justice?
聖霊の特別な役目とは、聖なる神の子が自分自身を正義から離しておこうとして自ら作り出した幽閉状態から彼を解放することにほかなりません。
Could your function be a task apart and separate from His Own?
あなたの役割が、聖霊が担う役割とは違う別の任務だということがありうるでしょうか。


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