T27-2 癒されることへの恐怖


Healing takes courage, and we all have courage, even if we have to dig a little to find it.
たしかに癒しには勇気がいる。けれど、私たちはみんな、勇気を持っているのよ。たとえ私たちがそれを見つけるために少しばかり掘り出す必要があるとしてもね。

トーリ・エイモス_1203062836

Tori Amos
トーリ・エイモス





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今回はテキスト第二十七章から「癒しに対する恐れ」という一節をご紹介します。

本節の9.のあとの10.〜12.は、Original Edition以降FIP 1st Editionまでは削除されており、2nd Editionで戻されているもので、公開されている媒体によっては削除されたままのものや[ ]でUrtextを引用するものがあります。
本稿では、[ ]で引用しています。


「癒しに対する恐れ」

「癒し」には、他者を癒すことも自分が癒されることも含みます。

8.「The Holy Spirit knows your healing is the witness unto his, and cannot be apart from his at all.
 これに対して、聖霊は、あなたが癒されることは兄弟が癒されることを示す証拠であり、あなたの癒しが兄弟の癒しと別のものであることなどまったくありえないと知っています。」

赦しによって一なる大いなる心のみがあり、分離は幻であったという気づきとともに去らされる結果として癒しが訪れるので個別の心である自他の癒しは同じものです。


癒しの代価


エゴに従う場合の代価は兄弟の安息を犠牲にすること

エゴに従うかぎり、分離を前提に抜け駆け的に救われることが癒しとなるので、他者である兄弟の癒しが犠牲として支払う代価となります。

分離幻想を信じるエゴからすれば、兄弟の安息を犠牲にしてこそ自分は安息を得られるという意味になるからです。

すなわち、エゴに従う者たちには、他者が犠牲になったり苦痛に喘いだりするのを尻目にかけて、自分の心が晴れるように感じられ、自分が無力で弱いという認識が何よりも、他者が苦しむのが正当なことである根拠を示しているように思えます。

他者が絶え間ない罪悪感の刺すような痛みに苦しむさまを見ることで、その他者は奴隷だとしても、自分は自由であることを証明するのに役立つというのです。

この観点からすると、自他分離が癒されることは、せっかくの自分の安息のタネを奪うものであって自らの安息を損なう脅威ということになります。


聖霊に従う場合の代価は兄弟に安息を捧げること

これに対して、聖霊に従うなら、上記のように、赦しによる自他分離が錯覚であるとの認識が癒しをもたらすのだから、逆に兄弟を救うことが捧げるべき代価ということになります。

「8. The "cost" of your serenity is his.
 あなたが安息を得るために支払う『代価』は、あなたの兄弟の安息です。

 This is the "price" the Holy Spirit and the world interpret differently.
 この『支払い』について、聖霊とこの世界とでは違ったふうに解釈します。

 The world perceives it as a statement of the "fact" that your salvation sacrifices his.
 この世界は、この代価の支払いは、あなたの救いは兄弟の救いを犠牲にしてのものだという『事実』を説明したものとして知覚します。

 The Holy Spirit knows your healing is the witness unto his, and cannot be apart from his at all.
 これに対して、聖霊は、あなたが癒されることは兄弟が癒されることを示す証拠であり、あなたの癒しが兄弟の癒しと別のものであるなどまったくありえないと知っています。

 As long as he consents to suffer, you will be unhealed.
 兄弟が苦しむことに同意しているかぎり、あなたは癒されないでしょう。」

分離は錯覚で心はひとつに結ばれているということがわかっている聖霊からすれば、兄弟に安息を与えることなくして自分だけ安息を得ることはできないという意味になるからです。

聖霊に従う者には、他者は自分なので、他者が苦痛に喘ぐことで自分の心が晴れるはずもなく、他者が幸せで安らいでこそ自分も安息を得られるし、他者が奴隷であるなら、それは自分も奴隷であることの証しだということになります。





偽善のように感じるときはつねに、はたらく細胞で考えてみる

このことは、エゴに支配された個別の自己の観点から見るかぎり、単なるきれいごとであるように錯覚してしまいがちなので、いつものように、はたらく細胞の観点に助けてもらうことが必要です。




左手の細胞たちが、いつも自分よりも優先される存在としてライバル視している右手が負傷して感染症にかかってダメージを受けている状況を喜ぶとしたら、それは狂気の沙汰です。

この観点からすると、自他分離が癒されることは、自らに安息を与える歓迎すべき祝福となります。





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テキスト第二十七章

II. The Fear of Healing
二 癒しに対する恐れ



1. Is healing frightening?
 癒しは恐ろしいものでしょうか。

 To many, yes.
 多くの者にとってはその通り、恐ろしいものです。

 For accusation is a bar to love, and damaged bodies are accusers.
 というのは、傷ついた身体は罪を糾弾するものであり、非難することは愛に至る妨げとなるからです。

 They stand firmly in the way of trust and peace, proclaiming that the frail can have no trust and that the damaged have no grounds for peace.
 罪を咎める者たちは、脆弱な者にはいかなる信頼も抱くことはできないし、傷ついた者には安らぎを得る根拠がまったくないと宣言して、次のように言って信頼と平安に至る道を断固として阻みます。

 Who has been injured by his brother, and could love and trust him still?
 いったい誰が、自分の兄弟によって傷つけられながらもなお、その兄弟を愛し信頼することができようか。

 He has attacked and will attack again.
 彼はすでに攻撃してきたのだから、きっとまた攻撃してくるに違いない。

 Protect him not, because your damaged body shows that you must be protected from him.
 あなたの傷つけられた身体が何よりあなたが彼から保護されるべきことを示しているのだから、彼を守ることなんかない。

 To forgive may be an act of charity, but not his due.
 許してやることは慈悲深い行いかもしれないが、それは彼が正当に受けるべき報いではない。

 He may be pitied for his guilt, but not exonerated.
 彼が罪悪感を抱いているとすれば、彼に同情の余地はあるかもしれないが、彼を罪悪感から放免してやるには及ばない。

 And if you forgive him his transgressions, you but add to all the guilt that he has really earned.
 それに、もしあなたが彼の罪科を許したところで、かえってあなたはただ彼が実際にこれまで蓄えてきた罪悪感をいっそう募らせることになるだけだ、などというのです。

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2. The unhealed cannot pardon.
 癒されていない者には赦すことはできません。

 For they are the witnesses that pardon is unfair.
 というのは、癒されていない者たちは、免罪するのは不公平だと証言する証人だからです。

 They would retain the consequences of the guilt they overlook.
 彼らは、罪を見逃しても、罪の結果は保持したままでいようとします。

 Yet no one can forgive a sin that he believes is real.
 しかし、実在すると自分が信じている罪を赦すことは誰にもできません。

 And what has consequences must be real, because what it has done is there to see.
 そして、結果を持つものは実在するに違いありません。なぜなら、それがなしたことが目に見える形でそこに存在しているからです。

 Forgiveness is not pity, which but seeks to pardon what it thinks to be the truth.
 赦しは哀れみをかけることではありません。哀れみをかけるのは、ただ自分が真実に違いないと思っていることを見逃してやろうとすることでしかないからです。

 Good cannot be returned for evil, for forgiveness does not first establish sin and then forgive it.
 悪に対して善で報いることはできません。なぜなら、赦しはまず罪を確立しておいて、そのあとで、その罪を許すことではないからです。

 Who can say and mean, "My brother, you have injured me, and yet, because I am the better of the two, I pardon you my hurt."
 いったい誰が、「私の兄弟よ、あなたは私を傷つけました。それでも、私たちふたりのうちで私のほうがあなたより善良な人間なので、私の受けた傷について私はあなたを許してあげましょう」などと本気で言えるでしょうか。

 His pardon and your hurt cannot exist together.
 彼が赦されることと、あなたが傷ついていることとは両立できません。

 One denies the other and must make it false.
 赦しと罪は、一方が他方を否定して、それを偽りにするはずだからです。



3. To witness sin and yet forgive it is a paradox that reason cannot see.
 罪を目撃しておきながら、その罪を赦すことは、理性には理解不能な矛盾です。

 For it maintains what has been done to you deserves no pardon.
 その理由はこうです。まず、罪を目撃したと証言することは、あなたに対してなされたことはまったく容赦するに値しないと主張することです。

 And by giving it, you grant your brother mercy but retain the proof he is not really innocent.
 つぎに、その罪に赦免を与えることによって、あなたは自分の兄弟に慈悲を施しはしても、その兄弟が本当のところ潔白ではないという証拠を残して取っておくことになるからです。

 The sick remain accusers.
 病人は罪を糾弾し続けます。

 They cannot forgive their brothers and themselves as well.
 彼らには、自分の兄弟を赦すことができないし、同じように自分自身を赦すこともできません。

 For no one in whom true forgiveness rests can suffer.
 というのは、真の赦しを心に抱く者は誰も、苦しむことなどできないからです。

 He holds not the proof of sin before his brother's eyes.
 真に赦す者は、自分の兄弟の目の前に罪の証拠を突きつけたりしません。

 And thus he must have overlooked it and removed it from his own.
 したがって、真に赦す者はすでにそんな罪の証拠には見向きもせず、それに目もくれなかったに違いないのです。

 Forgiveness cannot be for one and not the other.
 赦しが、一方のためにはなるが、もう一方のためにはならないということはありえません。

 Who forgives is healed.
 赦す者は癒されます。

 And in his healing lies the proof that he has truly pardoned, and retains no trace of condemnation that he still would hold against himself or any living thing.
 そして、彼が癒されることで、彼がすでに真に赦しており、彼がもはや憑き物が落ちたように自分自身を含む生きとし生けるものを咎めようとする非難の気持ちをなくしていることが証明されます。

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4. Forgiveness is not real unless it brings a healing to your brother and yourself.
 赦しは、それがあなたの兄弟とあなた自身に癒しをもたらさないかぎり、本物とはいえません。

 You must attest his sins have no effect on you to demonstrate they are not real.
 兄弟の罪が実在しないと実証するためには、あなたはその兄弟の罪が自分に何の影響も及ぼしていないことを証明しなければなりません。

 How else could he be guiltless?
 これ以外にどのようにして、彼が無罪になれるでしょうか。

 And how could his innocence be justified unless his sins have no effect to warrant guilt?
 そして、彼の罪が彼に罪悪感を抱かせるのを正当化するいかなる結果も生じていないというのでなければ、どうして彼が潔白であることを正当化できるでしょうか。

 Sins are beyond forgiveness just because they would entail effects that cannot be undone and overlooked entirely.
 罪とは赦しの及ばないものです。それはまさに、罪が完全に取り消すことも無視することもできない結果を必然的に伴うものだからです。

 In their undoing lies the proof that they are merely errors.
 その結果を取り消せることで、罪が単なる誤りでしかないことが証明されます。

 Let yourself be healed that you may be forgiving, offering salvation to your brother and yourself.
 あなたが赦す者となって自分の兄弟と自分自身に救済を差し延べられるように、あなた自身を癒してもらってください。



5. A broken body shows the mind has not been healed.
 身体に不具合が生じていることは、心が癒されていないことを示しています。

 A miracle of healing proves that separation is without effect.
 癒しという奇跡は、分離は何の結果ももたらしていないことを証明します。

 What you would prove to him you will believe.
 自分が兄弟に証明しようとすることを、あなたは信じることになります。

 The power of witness comes from your belief.
 証明する力は、あなたの信念から生じます。

 And everything you say or do or think but testifies to what you teach to him.
 そして、あなたが言ったり、行ったり、思ったりすることのすべてが、あなたが彼に何を教えているかを証明します。

 Your body can be means to teach that it has never suffered pain because of him.
 兄弟のせいで身体が苦痛を味わったことなど一度もないと教えるための手段として、あなたは自分の身体を用いることができます。

 And in its healing can it offer him mute testimony of his innocence.
 すなわち、あなたの身体が癒えることで、あなたの身体は兄弟に、彼が無罪であることを無言のうちに証言できるのです。

 It is this testimony that can speak with power greater than a thousand tongues.
 この無言の証言こそ、千人が言葉で証言するよりもずっと大きな力で物語ることができるものです。

 For here is his forgiveness proved to him.
 というのは、この無言の証言によって、彼が赦されていることが当人に対して証明されるからです。

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6. A miracle can offer nothing less to him than it has given unto you.
 奇跡は、奇跡があなたに与えたものに劣るものを、あなたの兄弟に差し出すことなどできません。

 So does your healing show your mind is healed, and has forgiven what he did not do.
 だから、あなたの赦しは、あなたの心が癒されて、兄弟がなしてなどいなかったことをすでに赦していることを示します。

 And so is he convinced his innocence was never lost, and healed along with you.
 そうして、あなたの兄弟も、自分の潔白さが一度も失われていなかったことを確信し、あなたと一緒に癒されることになります。

 Thus does the miracle undo all things the world attests can never be undone.
 こうして奇跡は、この世界が絶対に帳消しにすることはできないと証明するどんな物事でも元通り取り消してしまいます。

 And hopelessness and death must disappear before the ancient clarion call of life.
 そうすると、古来より朗々と響き渡る生命の呼び声を前にして、絶望と死は消滅せざるをえません。

 This call has power far beyond the weak and miserable cry of death and guilt.
 この呼び声は、死と罪悪感の弱々しくて惨めな叫びをはるかに凌ぐ力を持っています。

 The ancient calling of the Father to His Son, and of the Son unto His Own, will yet be the last trumpet that the world will ever hear.
 父から子へ、そして、子から彼自身の子への古来の呼び声は、これからこの世界が耳にすることになる最後の宣布となるでしょう。

 Brother, there is no death.
 兄弟よ、死など存在しないのです。

 And this you learn when you but wish to show your brother that you had no hurt of him.
 そして、あなたが自分の兄弟に、自分が彼から一切傷つけられてなどいなかったと示すことだけを願うようになったとき、あなたは死が存在しないと学びます。

 He thinks your blood is on his hands, and so he stands condemned.
 あなたの兄弟は、自分の手にあなたの血が付いていて、そのために自分は有罪判決を受けるものと思っています。

 Yet it is given you to show him, by your healing, that his guilt is but the fabric of a senseless dream.
 しかし、あなたは、自分が癒されることによって、彼が抱いている罪悪感は無意味な夢が紡ぎ出したものでしかないと彼に示してあげられるのです。



7. How just are miracles!
 奇跡は、なんと公正なものなのでしょう。

 For they bestow an equal gift of full deliverance from guilt upon your brother and yourself.
 というのは、奇跡は、罪悪感からの完全な解放という贈り物を、あなたの兄弟とあなた自身に等しく授けてくれるからです。

 Your healing saves him pain as well as you, and you are healed because you wished him well.
 あなたの癒しは、あなたと同じように兄弟を苦痛から救います。そして、彼が健やかになることをあなたが願ったがゆえに、あなたは癒されます。

 This is the law the miracle obeys; that healing sees no specialness at all.
 これこそ、奇跡が従う法であり、その法とは、癒しは特別性を一顧だにしない、というものです。

 It does not come from pity but from love.
 奇跡は、哀れみからではなく、愛から生じます。

 And love would prove all suffering is but a vain imagining, a foolish wish with no effects.
 そして、愛は、すべての苦悩は空疎な想像で、何の結果も伴わない馬鹿げた願望でしかないことを証明します。

 Your health is a result of your desire to see your brother with no blood upon his hands, nor guilt upon his heart made heavy with the proof of sin.
 あなたの健康は、あなたがその手を血に染めていない自分の兄弟を見たいと願い、罪の証拠によって兄弟の心に罪悪感が重くのしかかるさまなど見たくないと願った成果なのです。

 And what you wish is given you to see.
 そして、あなたが願うことは、あなたに与えられて見えるようになります。

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8. The "cost" of your serenity is his.
 あなたが安息を得るために支払う「代価」は、あなたの兄弟の安息です。

 This is the "price" the Holy Spirit and the world interpret differently.
 この「支払い」について、聖霊とこの世界とでは違ったふうに解釈します。

 The world perceives it as a statement of the "fact" that your salvation sacrifices his.
 この世界は、この代価の支払いは、あなたの救いは兄弟の救いを犠牲にして成就するものだという「事実」を説明したものとして知覚します。

 The Holy Spirit knows your healing is the witness unto his, and cannot be apart from his at all.
 これに対して、聖霊は、あなたが癒されることは兄弟が癒されることを示す証拠であり、あなたの癒しが兄弟の癒しと別のものであることなどまったくありえないと知っています。

 As long as he consents to suffer, you will be unhealed.
 兄弟が苦しむことに同意しているかぎり、あなたが癒されることはないでしょう。

 Yet you can show him that his suffering is purposeless and wholly without cause.
 しかし、あなたは兄弟に、彼の苦しみは無意味でまったく何の原因もないものだと示すことができます。

 Show him your healing, and he will consent no more to suffer.
 あなたが癒されたことを彼に示してください。そうすれば、彼はもうこれ以上、苦しむことに同意しなくなるでしょう。

 For his innocence has been established in your sight and his.
 というのも、彼が潔白であることがあなたの目にも彼の目にも明確になったからです。

 And laughter will replace your sighs, because God's Son remembered that he is God's Son.
 そして、笑い声があなたたちのため息に取って代わるでしょう。なぜなら、神の子は自分こそまさに神の子だと思い出したからです。



9. Who, then, fears healing?
 そうだとすれば、いったい誰が癒しを恐れるというのでしょうか。

 Only those to whom their brother's sacrifice and pain are seen to represent their own serenity.
 恐れる者がいるとすれば、それはただ、自分の兄弟が犠牲になったり苦痛に喘いだりすることで自分の心が晴れるものと思っている者だけです。

 Their helplessness and weakness represent the grounds on which they justify his pain.
 彼らには、自分が無力で弱いことが、兄弟が苦しむのが正当なことである根拠を示しているように思えます。

 The constant sting of guilt he suffers serves to prove that he is slave, but they are free.
 絶え間ない罪悪感の刺すような痛みにその兄弟が苦しむさまは、その兄弟は奴隷だとしても、自分たちは自由であることを証明するのに役立つというのです。

 The constant pain they suffer demonstrates that they are free because they hold him bound.
 彼らが絶えず味わう苦痛は、彼らが兄弟を拘束しているがゆえに彼らが自由でいられることの証明だというわけです。

 And sickness is desired to prevent a shift of balance in the sacrifice.
 そして、このような犠牲のバランス状態が崩れるのを妨げようとして病気が待望されることになります。

 How could the Holy Spirit be deterred an instant, even less, to reason with an argument for sickness such as this?
 病気を支持する論拠がこの程度のものでしかないとすれば、どうしてそんな理由のために聖霊が一瞬どころかそれより短い時間でさえ躊躇したりするでしょうか。

 And need your healing be delayed because you pause to listen to insanity?
 それに、あなたが狂気に耳を傾けるために立ち止まっているからといって、あなたの癒しを遅らせる必要がどこにあるでしょうか。

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10. [Correction is not your function.
 修正は、あなたの役目ではありません。

 It belongs to One Who knows of fairness, not of guilt.
 修正は、罪悪感ではなく公平さを知る聖霊に属する役割です。

 If you assume correction's role, you lose the function of forgiveness.
 もしあなたが修正という役割を引き受けようとするなら、あなたは赦しという役割を見失ってしまいます。

 No one can forgive until he learns correction is but to forgive and never to accuse.
 修正は赦すことにほかならず、糾弾することではないと学ぶまでは、誰にも赦すことはできません。

 Alone, you cannot see they are the same, and therefore is correction not of you.
 ひとりきりでは、あなたには修正と赦しが同じだとは理解できません。したがって、修正はあなたに属する役割ではありません。

 Identity and function are the same, and by your function do you know yourself.
 アイデンティティーと役割は同じものなので、あなたの役割によって、あなたは自分自身を知ることになります。

 And thus, if you confuse your function with the function of Another, you must be confused about yourself and who you are.
 したがって、もしあなたが自分の役割と聖霊の役割とを混同するなら、あなたは自分自身と自分の本質とを混同しているに違いありません。

 What is the separation but a wish to take God's function from Him and deny that it is His?
 分離とは、神の役割を神から簒奪してそれが神のものであることを否認したいという願望以外の何だといえるでしょうか。

 Yet if it is not His, it is not yours, for you must lose what you would take away.
 しかし、もしそれが神のものでないなら、それはあなたのものでもありません。というのも、あなたは自分が奪い取ろうとするものを必ず失うことになるからです。



11. [In a split mind, identity must seem to be divided.
 分離した心のなかでは、アイデンティティーは必ず分割されたものとして見えることになります。

 Nor can anyone perceive a function unified which has conflicting purposes and different ends.
 しかも、矛盾する意図と異なる目的を持ちながら統一された役割を知覚することは誰にもできません。

 Correction, to a mind so split, must be a way to punish sins you think are yours in someone else.
 そのように分離した心にとって修正は、あなたたちが自分のものだと思う罪をほかの誰かの中で罰するための方法であるに違いありません。

 And thus does he become your victim, not your brother, different from you in that he is more guilty, thus in need of your correction as the one more innocent than he.
 そうして、その人はあなたの兄弟ではなくあなたの身代わりのスケープゴートとなり、彼のほうがより罪深いという点であなたとは異なり、したがって、彼よりも潔白な存在であるあなたによる修正を必要としているということになります。

 This splits his function off from yours and gives you both a different role.
 このことが彼の役割をあなたの役割から切り離し、あなたたち双方に違った役割を与えます。

 And so you cannot be perceived as one, and with a single function that would mean a shared identity with but one end.]
 そのため、あなたたちは、ひとつの目的だけを持つアイデンティティーを共有していることを意味する唯一の役割を持つ、一なるものとして知覚されることができなくなってしまいます。
 


12. [Correction you would do must separate, because that is the function given it by you.
 あなたがなそうとする修正は必ず分離となります。なぜなら、それがあなたが修正に与える役割だからです。

 When you perceive correction is the same as pardon, then you also know the Holy Spirit's Mind and yours are one.
 あなたが修正は赦免と同じだと知覚するなら、あなたはまた聖霊の大いなる心とあなたの心はひとつだと知ることになります。

 And so your own Identity is found.
 こうして、あなたが持つ真のアイデンティティーが見出されます。

 Yet must He work with what is given Him, and you allow Him only half your mind.
 しかし、聖霊は聖霊に渡されたもので働かざるをえませんが、あなたは聖霊にあなたの心の半分しか使わせません。

 And thus He represents the other half and seems to have a different purpose from the one you cherish and you think is yours.
 そのため、聖霊はその半分を代表し、あなたが大切にして自分のものだと思いこんでいるほうの半分とは違う目的を持っているように見えます。

 Thus does your function seem divided, with a half in opposition to a half.
 こうして、あなたの役割は分割され、半分がもうひとつの半分と対立しているように見えます。

 And these two halves appear to represent a split within a self perceived as two.]
 そして、これらのふたつの半分は、ふたつのものとして知覚されるひとつの小さな自己の内部の分裂を表しているように見えます。



13. Consider how this self-perception must extend, and do not overlook the fact that every thought extends because that is its purpose, being what it really is.
 このような自己認識が、どんなふうに拡張せざるをえないか考えてみてください。その際には、拡張することが思考の目的であり、思考の本来の性質なので、どのような思考もみな拡張してゆくという事実を見落とさないでください。

 From an idea of self as two, there comes a necessary view of function split between the two.
 自己をふたつのものとして見る考え方からは、そのふたつの間で役割が分裂していることを当然視する見解が生じます。

 And what you would correct is only half the error, which you think is all of it.
 そして、あなたが修正しようとするのは、誤りのうちの半分だけなのに、あなたはその半分が全部だと思っています。

 Your brother's sins become the central target for correction, lest your errors and his own be seen as one.
 あなたの誤りと兄弟の誤りが同一のものだとみなされないように、あなたの兄弟の罪だけが修正すべき的の中心となります。

 Yours are mistakes, but his are sins and not the same as yours.
 あなたの誤りは間違いでしかないけれど、彼の誤りは罪であってあなたの誤りと同じではないというわけです。

 His merit punishment, while yours, in fairness, should be overlooked.
 彼の誤りは処罰に値するとしても、あなたの誤りは公平に見るかぎり、見過ごされるべきだというのです。

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14. In this interpretation of correction, your own mistakes you will not even see.
 修正をこのように解釈するなら、あなたは自分自身の間違いを見ようとすらしなくなるでしょう。

 The focus of correction has been placed outside yourself, on one who cannot be a part of you while this perception lasts.
 修正の焦点は、あなた自身の外側に、つまり、この知覚の仕方が続くかぎりはあなたの一部であるはずがない、ほかの誰かに定められることになります。

 What is condemned can never be returned to its accuser, who had hated it, and hates it still as symbol of his fear.
 非難の対象とされたものが、それを糾弾した者の許に戻されることは絶対にありえません。彼は自分が非難したものを憎んできたのだし、今でもそれを自分の恐怖を象徴するものとして憎んでいるからです。

 This is your brother, focus of your hate, unworthy to be part of you and thus outside yourself; the other half, which is denied.
 これがあなたの兄弟です。あなたの憎しみの標的にされて、あなたの一部であるにふさわしくないとしてあなた自身の外側に置かれて、拒絶されている側の半分です。

 And only what is left without his presence is perceived as all of you.
 そして、兄弟の存在を除いた残りの部分だけが、あなたのすべてだと知覚されることになります。

 To this remaining half the Holy Spirit must represent the other half until you recognize it is the other half.
 それが自分のもうひとつの半分なのだとあなたが認めるまで、聖霊は、あなたが自分だと知覚しているこの残りの半分に対して、他の半分を象徴しなければなりません。

 And this He does by giving you and him a function that is one, not different.
 そこで、聖霊は、あなたと兄弟に異なる役割ではなく同一の役割を与えることによって、もうひとつの半分も自分なのだとあなたに気づかせるのです。



15. Correction is the function given both, but neither one alone.
 修正は、あなたと兄弟の双方に与えられている役割ですが、どちらか一方だけに与えられているものではありません。

 And when it is fulfilled as shared, it must correct mistakes in you and him.
 そして、あなたと兄弟の役割が分かち合われることで成就したときには、その役割はあなたと兄弟の間違いを必ず修正することになります。

 It cannot leave mistakes in one unhealed and set the other free.
 その役目は、あなたと兄弟のうちの一方の間違いを癒されないままにして、他方だけを解放することはできません。

 That is divided purpose, which can not be shared, and so it cannot be the goal in which the Holy Spirit sees His Own.
 一方を癒さないまま他方だけを解放するようなことは、分裂した目的であり、共有できないので、そんな役割は聖霊が自分のものとみなす目標にはなりえません。

 And you can rest assured that He will not fulfill a function that He does not see and recognize as His.
 だから、あなたは、聖霊が聖霊自身の役割とみなすことも認めることもないような役割を聖霊が果たそうとするはずがないと安心してよいのです。

 For only thus can He keep yours preserved intact, despite Your separate views of what your function is.
 というのは、こうすることによってのみ、聖霊は、あなたたちが自分の役割について別々に分離した見方をしているにもかかわらず、あなたの役割を無傷のまま保ち続けることができるからです。

 If He upheld divided function, you were lost indeed.
 もし聖霊が分割された役割を支持していたなら、あなたは本当に道を見失ってしまっていたでしょう。

 His inability to see His goal divided and distinct for you and him, preserves yourself from the awareness of a function not your own.
 聖霊には自らの目標が分割されて、あなたと兄弟にとって別個のものになっているとみなすことなどできません。このことが、自分のものではない役割を自分のものと意識しなくて済むようにあなた自身を守ってくれます。

 And thus is healing given you and him.
 こうして、癒しがあなたと兄弟に与えられます。

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16. Correction must be left to One Who knows correction and forgiveness are the same.
 修正は、修正と赦しが同じだと知る大いなる存在である聖霊に任せなければなりません。

 With half a mind this is not understood.
 心の半分だけでは、このことは理解できません。

 Leave, then, correction to the Mind that is united, functioning as one because it is not split in purpose, and conceives a single function as its only one.
 だから、修正は、ひとつに結ばれている聖霊の大いなる心に任せてしまいなさい。聖霊の統一された心は、目的は分裂していないし、たったひとつの役割を自らの唯一の役目と捉えているがゆえに、一なるものとして機能しているからです。

 Here is the function given it conceived to be its Own, and not apart from that its Giver keeps because it has been shared.
 この役割は聖霊独自のものとして考案されて聖霊に与えられたものですが、この役割は分かち合われているので、その大いなる与え主である神が保っている役割と別のものではありません。

 In His acceptance of this function lies the means whereby your mind is unified.
 聖霊がこの役割を引き受けることによって、あなたの心は統一されることが可能になります。

 His single purpose unifies the halves of you that you perceive as separate.
 あなたがふたつに分離したものとして知覚している心の半分同士を、聖霊のたったひとつの目的がひとつに結び合わせるからです。

 And each forgives the other, that he may accept his other half as part of him.
 そして、あなたの心の半分同士は、各自が自分のもう一方の半分を自分の一部として受け入れられるように、相互に相手を赦すことになります。


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