T30-3 あらゆる偶像を越えて
If you tell the truth, you don't have to remember anything.
あなたが真理を語るなら、あなたは何も覚えておく必要はない。

Mark Twain
マーク・トウェイン

今回はテキスト第三十章から「あらゆる偶像を越えて」という一節をご紹介します。
偶像崇拝とはすべてを投げ捨てること
1.「Idols are limits.
偶像とは制限です。
They are the belief that there are forms that will bring happiness, and that, by limiting, is all attained.
偶像とは、幸せをもたらすさまざまな形が存在するので、制限することによってのみ幸せを得られるという信念です。
It is as if you said, "I have no need of everything. This little thing I want, and it will be as everything to me."
それはまるであなたが、『私にはすべてのものなど必要ない。私が欲しいのはこのわずかなものであり、これが私にとってすべてに等しいものとなるはずだ。』と言うようなものです。」
この文章を読むと、偶像を求めることは馬鹿げたことに思えるはずです。
けれど、私たちが追い求めているのは、こんなことです。

意識という枠づけによる夢物語の上演
おもしろい小説や映画はたくさんあるけれど、どれを読んだり観たりするか選ばなければ楽しめない、たくさんのコンテンツの中で他を排除制限して、どれかに集中しなければならないと。
全体であるものの中の一部の選り好みと残り全部の排除です。
前節T30-2 意志の自由では、意識という現象によって、私たちは、全体のうちのごくごく一部に自分を同一化させてエゴに縛られるという仕組みに触れました。
カーナビやグーグルマップ等の地図サービスやアプリでは、地球全体から、日本の特定の地方の●市●町●丁目●番地まで縮尺を切り替えて、画面で表示できる範囲を変えられます。
私たち人間が持つ自己意識は、この縮尺がたとえば、車(身体)の周囲50m程度の広さの画面表示で固定されたカーナビと車のフロントガラスから見える光景だけをもとに世界を眺める観点だけで構成されます。
「7. Thoughts seem to come and go.
思いというものは、来ては去ってゆくもののように思えます。
Yet all this means is that you are sometimes aware of them, and sometimes not.
しかし、これが意味するのは、あなたが思いを意識しているときもあれば、意識していないときもあることだけです。
An unremembered thought is born again to you when it returns to your awareness.
忘れていた思いは、その思いがあなたの意識に戻ったとき、あなたにとって再び生まれることになります。
Yet it did not die when you forgot it.
しかし、あなたがその思いを忘れていたときでも、その思いは消滅していたわけではありません。
It was always there, but you were unaware of it.
その思いは、つねにそこにあったのですが、ただあなたがその思いに気づかずにいただけです。」
私たちは、思考が自分の心に去来するように思います。
けれど、本来無限であるものを意識によって制限して限られたごく一部の区画だけを画面表示するカーナビの地図のように、そして、地球や地面は変動することなく固定したままだけれど、車が移動することで、運転手には自分のほうに景色が近づいたり去ったりするように見えるように、個別の心が意識を移動させることで、つねにそこにあるままの思いが意識の中に入ったり出たりするだけです。
分離幻想の現れとしての時空間
私たちが他者との間に保ちたいと願う隔たりという同じひとつの分離幻想が、意識の枠外に投影されると、それを時間として考え、枠内に近づくと、それを空間として考えるということでした。
「For time and space are one illusion, which takes different forms.
なぜなら、時間と空間はひとつの幻想であって、それがさまざまな形をとっているだけだからです。
If it has been projected beyond your mind you think of it as time.
もしそのひとつの幻想があなたの心の外側に投影されると、あなたはそれを時間として考えます。
The nearer it is brought to where it is, the more you think of it in terms of space.
その幻想がそのありかである心により近くもたらされると、あなたはそれを空間という観点で考えるようになります。」T26-8 救いはもう、済んでいる 1.)
時間や空間の変動、つまり、過去の想起や未来の想像や場所の移動等によって、自分ナビの地図表示の枠である意識の中に思いが入ったり出たりするわけです。
神の大いなる思いである神の子という想念は、いかなる変化も超越して永遠にあり、生まれ出るのを待ち受けているわけではありません。
地図アプリの縮尺をマクロの最大に切り替えれば本当は地球全体を把握できるのに、顕微鏡のようにマイクロな、どアップで焦点を合わせた狭い領域にフレームが切り取られているために、地球全体の存在など思いもよらず、見えている町の一部だけが世界のすべてだと信じる顕微鏡レベルの視野狭窄が起こっているだけです。
この視野狭窄は、世界を映すカメラとして、車(身体)のフロントガラス(肉眼)から見える光景を用いているために起こっています。
身体というアバターを介して世界を見るかぎり、五感の及ぶ範囲しか知覚できないので、地図を身体を中心としたごく狭い範囲の画面に限定するエゴという意識に縛られざるを得ません。
この観点では、本当の自分が地球全体だとしても、そのことに気づくのは無理です。
戦場の上空へ
奇跡のコースは、私たちが戦場のさなかに身を置いて、いわば蟻の目で地上を這うような視界しか持てずにいるところを、徐々に戦場から高度を上げて上空から見えるように視座を上昇させてゆくカリキュラムです。
聖霊が目指すのは、五感による歪んだ知覚ではなく、そして、大気圏内の雲の下で偶像によって変動する天候に左右されるような視界ではなく、宇宙空間から人工衛星カメラで観測するように、曇りのないキリストのヴィジョンによる正しい知覚の導入です。
車のフロントガラスから眺めるかぎり、地上を走る車の数だけ無数の世界があるように思えますが、衛星カメラから見ると、ひとつの地球しかないことがわかります。
エゴナビのときには、縮尺が蟻の目の視野に固定されていたけれど、聖霊ナビでは、この衛星カメラによって鳥の目どころか星の目まで視野が広がり、視座を地上から天空まで自由に行き来させることができるようになるわけです。
つまり、身体が自分だと信じて五感での知覚にしがみついているかぎり、人間の数だけ自己があり、その数だけ世界があるようにしか思えないけれど、キリストのヴィジョンで知覚すれば、神の子という大いなる自己=現実しかないということが明らかになります。

テキスト第三十章
III. Beyond All Idols
三 あらゆる偶像を越えて
1. Idols are quite specific.
偶像は、きわめて具体的なものです。
But your will is universal, being limitless.
しかし、あなたの意志は無限であるがゆえに、普遍的なものです。
And so it has no form, nor is content for its expression in the terms of form.
したがって、あなたの意志は何の形も持たず、形によって表現できるような内容もありません。
Idols are limits.
偶像とは制限です。
They are the belief that there are forms that will bring happiness, and that, by limiting, is all attained.
偶像とは、幸せをもたらすさまざまな形が存在するので、どれかに絞り込んで限定することによってしか幸せは得られないという信念です。
It is as if you said, "I have no need of everything. This little thing I want, and it will be as everything to me."
それはまるであなたが、「私にはすべてのものなど必要ない。私が欲しいのはこのわずかなものであり、これが私にとってすべてに等しいものとなるはずだ。」と言うようなものです。
And this must fail to satisfy, because it is your will that everything be yours.
しかし、こんなことであなたが満足できるはずがありません。なぜなら、すべてのものをわがものにすることこそが、あなたの意志だからです。
Decide for idols and you ask for loss.
偶像を選ぶなら、あなたは喪失を求めているのです。
Decide for truth and everything is yours.
真理を選ぶなら、一切があなたのものとなります。

2. It is not form you seek.
あなたは形を探し求めているわけではありません。
What form can be a substitute for God the Father's Love?
どんな形も、父なる神の大いなる愛の代わりになるはずがないからです。
What form can take the place of all the love in the Divinity of God the Son?
どんな形が神の子の神性の中にあるすべての愛に取って代わりうるでしょうか。
What idol can make two of what is one?
どんな偶像が一なるものを二つにできるでしょうか。
And can the limitless be limited?
そして、無限なるものを制限できるでしょうか。
You do not want an idol.
あなたは偶像を望んでなどいません。
It is not your will to have one.
偶像を持つことはあなたの意志ではないからです。
It will not bestow on you the gift you seek.
偶像は、あなたが探し求めている贈り物をあなたに与えてはくれないでしょう。
When you decide upon the form of what you want, you lose the understanding of its purpose.
あなたが自分の望むものの形を決めようとするなら、あなたは自分が何を意図してそれを望んでいたのかわからなくなります。
So you see your will within the idol, thus reducing it to a specific form.
そうなると、あなたは偶像の中に自分の意志を見出すようになり、そうすることで、自分の意志をある特定の形にまで減縮してしまいます。
Yet this could never be your will, because what shares in all creation cannot be content with small ideas and little things.
しかし、絶対にこんなことがあなたの意志であるはずがありません。なぜなら、あらゆる創造を分かち合う存在がつまらない考えや取るに足らない物事で満足できるはずがないからです。
3. Behind the search for every idol lies the yearning for completion.
あらゆる偶像の探求の背後には、完全になることへの憧れがあります。
Wholeness has no form because it is unlimited.
完全性は、無限であるがゆえに、いかなる形も持ちません。
To seek a special person or a thing to add to you to make yourself complete, can only mean that you believe some form is missing.
自分自身を完全にしようとして、自分に付け加えるための特別な人物や物事を追い求めることが意味しうるのは、単にあなたが自分には何らかの形が欠けていると信じていることだけです。
And by finding this, you will achieve completion in a form you like.
そして、自分に欠けている形を見つけることによって、あなたは自分が好む形での完成を達成することになります。
This is the purpose of an idol; that you will not look beyond it, to the source of the belief that you are incomplete.
これこそが偶像の目的です。すなわち、あなたが偶像を超えてその奥にある自分は不完全だという信念の源まで見ないようにさせることです。
Only if you had sinned could this be so.
あなたが本当に不完全でありうるとしたら、それはあなたが罪を犯した場合だけです。
For sin is the idea you are alone and separated off from what is whole.
というのは、罪とはあなたがひとりきりで、全体から切り離されているという想念だからです。
And thus it would be necessary for the search for wholeness to be made beyond the boundaries of limits on yourself.
そうだとすれば、完全になるための探求は、自分自身に課した制限の境界線の向こう側で行う必要があるはずです。

4. It never is the idol that you want.
あなたが望んでいるのは決して偶像などではありません。
But what you think it offers you, you want indeed and have the right to ask for.
しかし、あなたは偶像が自分を完全にしてくれると思っています。たしかに、あなたが完全になることを望んでいるのは事実だし、あなたには完全になることを求める権利があります。
Nor could it be possible it be denied.
それに、完全になることが、あなたに対して拒絶されることはありえません。
Your will to be complete is but God's Will, and this is given you by being His.
完全になろうとするあなたの意志は神の意志にほかならず、この意志は神のものであるがゆえに、あなたに与えられているからです。
God knows not form.
神は、形というものを知りません。
He cannot answer you in terms that have no meaning.
神は、意味をなさない言葉であなたに答えることはできません。
And your will could not be satisfied with empty forms, made but to fill a gap that is not there.
そして、そこにありもしない隔たりをただ埋めるためだけに作られた空疎な形で、あなたの意志が満足できるはずがありえません。
It is not this you want.
あなたが望んでいるのは、こんなものではないからです。
Creation gives no separate person and no separate thing the power to complete the Son of God.
創造が、分離した人物や分離した物事に神の子を完成させる力を与えることはありません。
What idol can be called upon to give the Son of God what he already has?
神の子がすでに持っているものを彼に与えるために、どんな偶像を当てにすればよいというのでしょうか。
5. Completion is the function of God's Son.
完成することこそが神の子の役割です。
He has no need to seek for it at all.
神の子は、自らの完成を探し求める必要はまったくありません。
Beyond all idols stands his holy will to be but what he is.
すべての偶像を後にすれば、ただありのままの自分であろうとする神の子の神聖な意志があるだけです。
For more than whole is meaningless.
というのも、完全なるもの以上になることは無意味だからです。
If there were change in him, if he could be reduced to any form and limited to what is not in him, he would not be as God created him.
もし彼の中に変化があったり、もし彼がどんな形にであれ縮小させられて、彼の中には存在しない何かに制限されうるとしたら、彼は神に創造されたままの神の子ではなくなってしまうでしょう。
What idol can he need to be himself?
神の子が自分自身であるために、いったい彼にどんな偶像が必要だというのでしょうか。
For can he give a part of him away?
というのも、彼には自分の一部を手放そうにも手放しようがないからです。
What is not whole cannot make whole.
完全でないものが、何かを完全にできるはずがありません。
But what is really asked for cannot be denied.
しかし、真に求められるものが拒まれるはずがありません。
Your will is granted.
あなたの意志は叶えられているからです。
Not in any form that would content you not, but in the whole completely lovely Thought God holds of you.
もっとも、あなたの意志が叶えられているのは、あなたを満足させることのない何らかの形においてではなく、神があなたに対して抱いている完全に愛に満ちた大いなる思いの中でなのです。

6. Nothing that God knows not exists.
神が知らないものは、何ひとつ存在しません。
And what He knows exists forever, changelessly.
そして、神の知るものは永遠に変わることなく存在します。
For thoughts endure as long as does the mind that thought of them.
というのは、思いは、それを思考した心が存在するかぎり存続するものだからです。
And in the Mind of God there is no ending, nor a time in which His Thoughts were absent or could suffer change.
そして、神の大いなる心においては、終わりというものはないし、神の大いなる思いが不在になったり、変化を経験したりできる時間もありません。
Thoughts are not born and cannot die.
思いは、生まれるものではないし、死ぬこともありえません。
They share the attributes of their creator, nor have they a separate life apart from his.
思いは、それを思考した創造者の持つ属性を分かち合うのであり、その創造者から分離した別個の生命を持つわけではありません。
The thoughts you think are in your mind, as you are in the Mind Which thought of you.
あなたが思考する思いはあなたの心の中にあります。同じ仕組みで、あなたはあなたのことを思考した大いなる心の中にいます。
And so there are no separate parts in what exists within God's Mind.
したがって、神の大いなる心の中に存在するものには分離した別々の部分は存在しません。
It is forever One, eternally united and at peace.
それは永遠にひとつであり、永遠にひとつに結ばれていて平安なままです。
7. Thoughts seem to come and go.
思いは去来するもののように思えます。
Yet all this means is that you are sometimes aware of them, and sometimes not.
しかし、これが意味するのは、あなたがその思いを意識しているときもあれば、意識していないときもあることだけです。
An unremembered thought is born again to you when it returns to your awareness.
忘れていた思いは、その思いがあなたの意識に戻ったとき、あなたにとって再び生まれることになります。
Yet it did not die when you forgot it.
しかし、あなたがその思いを忘れていたときでも、その思いは消滅していたわけではありません。
It was always there, but you were unaware of it.
その思いは、つねにそこにあったのですが、ただあなたがその思いに気づかずにいただけです。
The Thought God holds of you is perfectly unchanged by your forgetting.
神があなたについて抱いている大いなる思いは、あなたが忘れていたからといって、まったく変わっていません。
It will always be exactly as it was before the time when you forgot, and will be just the same when you remember.
神のあなたへの思いは、いつでも、あなたが忘れたときよりも前とまったく変わらないままだし、あなたがそれを思い出したときもまったく同じままです。
And it is the same within the interval when you forgot.
そして、あなたがそれを忘れていた間も、まったく同じままなのです。

8. The Thoughts of God are far beyond all change, and shine forever.
神の大いなる思いは、いかなる変化もはるかに超越して永遠に輝いています。
They await not birth.
神の大いなる思いは、生まれ出るのを待っているわけではありません。
They wait for welcome and remembering.
神の大いなる思いは、思い出してもらって歓迎されるのを待っているのです。
The Thought God holds of you is like a star, unchangeable in an eternal sky.
神があなたに対して抱く大いなる思いは、果てしない空にある星のように不変なるものです。
So high in Heaven is it set that those outside of Heaven know not it is there.
それは天国のあまりに高いところに配されているために、天国の外側にいる者たちには、それがそこにあるとはわかりません。
Yet still and white and lovely will it shine through all eternity.
それでも、その不変の星のごとき神の思いは、すべての永遠を通じて、静かに純白の素晴らしい輝きを放ち続けています。
There was no time it was not there; no instant when its light grew dimmer or less perfect ever was.
それがそこに存在しなかったことなど一時もないし、その光がそれまでよりも暗くなったり完璧でなくなったりしたときも、一瞬としてありません。
9. Who knows the Father knows this light, for He is the eternal sky that holds it safe, forever lifted up and anchored sure.
大いなる父を知る者はこの光を知ります。というのも、その父こそが、この光を安全に保ちながら、永遠に高く掲げて確実に支えている果てしない天空だからです。
Its perfect purity does not depend on whether it is seen on earth or not.
その完璧な清らかさは、それが地上から見えようと見えまいと、そんなことによっては影響されません。
The sky embraces it and softly holds it in its perfect place, which is as far from earth as earth from Heaven.
その空は、その光を抱擁し、その光に最適のところに優しく保っています。そこは、地上が天国から遠く離れているのと同じくらい地上から遠く離れたところです。
It is not the distance nor the time that keeps this star invisible to earth.
地上からこの星を見えなくしているのは、その間の距離でもなければ時間でもありません。
But those who seek for idols cannot know the star is there.
ただ偶像を探し求める者たちだけが、そこに星があるのを知ることができないのです。

10. Beyond all idols is the Thought God holds of you.
あらゆる偶像を越えたところに、神があなたに対して抱く大いなる思いがあります。
Completely unaffected by the turmoil and the terror of the world, the dreams of birth and death that here are dreamed, the myriad of forms that fear can take; quite undisturbed, the Thought God holds of you remains exactly as it always was.
それはこの世界の混乱や恐怖、この世界で夢見られている誕生と死の夢や、無数の形をとって現れる恐れによってもまったく影響されていません。神があなたに対して抱いている大いなる思いは、一切動じることなく、まったくこれまでつねにそうであった通りであり続けます。
Surrounded by a stillness so complete no sound of battle comes remotely near, it rests in certainty and perfect peace.
戦いの響きが少しも近づけないほどの、あまりに完璧な静けさに囲まれて、神があなたに対して抱く大いなる思いは確信と完璧な平安のうちに安らいでいます。
Here is your one reality kept safe, completely unaware of all the world that worships idols, and that knows not God.
偶像を崇拝し、神を知らない世界のことなどまったく気づきもしないまま、ここに、あなたの唯一の真の姿が安全に保たれています。
In perfect sureness of its changelessness and of its rest in its eternal home, the Thought God holds of you has never left the Mind of its Creator Whom it knows as its Creator knows that it is there.
自らの不変性を完璧に確信し、自らが永遠の住まいに安らぐことに完璧な確信を抱いているので、神があなたについて抱く大いなる思いは、その創造主の大いなる心を離れたことは一度もありません。その大いなる思いは、自らの創造主がその大いなる思いがそこに存在することを知っているのと同じように、自らの創造主のことを知っています。
11. Where could the Thought God holds of you exist but where you are?
神があなたについて抱く大いなる思いが、あなたのいる場所以外のいったいどこに存在できるというのでしょうか。
Is your reality a thing apart from you, and in a world which your reality knows nothing of?
本当のあなたがあなたとは別の物体であったり、本当のあなたが何も知らない世界の中に存在したりするものでしょうか。
Outside you there is no eternal sky, no changeless star and no reality.
あなたの外側には、果てしなく続く空も、不変の星も、いかなる現実も存在しません。
The mind of Heaven's Son in Heaven is, for there the Mind of Father and of Son joined in creation which can have no end.
天国の子の心は天国の中にあります。というのも、父の大いなる心と子の心とが終わりのない創造の中でひとつに結ばれているのは天国においてだからです。
You have not two realities, but one.
あなたは本当の自分を二つ持っているわけではなく、ただ一つ持っているだけです。
Nor can you be aware of more than one.
それに、あなたは本当の自分をひとつ以上自覚することはできません。
An idol or the Thought God holds of you is your reality.
偶像か、または、神があなただと捉えている大いなる思いか、そのいずれかが本当のあなたなのです。
Forget not, then, that idols must keep hidden what you are, not from the Mind of God, but from your own.
したがって、偶像は本当のあなたを、神の大いなる心からではなく、あなた自身の心から隠し続けなければならないということを忘れないでください。
The star shines still; the sky has never changed.
星は今も輝いていて、天空は一度も変わったことがありません。
But you, the holy Son of God Himself, are unaware of your reality.
ところが、まさしく聖なる神の子に違いないあなたのほうは、自分が本当は誰なのか知らずにいるのです。

