T31-7 救い主のヴィジョン

2015年04月24日
テキスト第31章(最後のヴィジョン) 2

人間が地上を変革しうるのは、霊界から探知し得た事柄を、地上に移しいれることによってである。この点にこそ、人間の使命がある。感覚的な地上世界は霊界に依存している。創造的諸力が隠されているあの世界に関与することによって初めて人間は地上で本当に有効な働きをすることができる。それゆえにこそ、霊界への参入を望むべきなのである。



ルドルフ・シュタイナー(「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」より)








心で見なければものごとはよく見えないってこと。大切なことは目に見えないんだよ。



Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, comte de Saint-Exupéry
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(「星の王子さま」より)





There is no aphrodisiac like innocence
罪穢れのない無垢さほど、人々を惹きつけてやまないものはほかにない。

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Jean Baudrillard, Simulacra and Simulation
ジャン・ボードリヤール






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テキスト第31章から救い主のヴィジョンをご紹介します。


悪魔の誘惑に心惹かれるのも奇跡を求める衝動ゆえ

悪魔の誘惑とは、本当の自分ではない偽りの自己でありたいという願望であり、それは地獄にとどまって惨めなままでいたいという願望です。

誘惑に屈するなら、それは呪いとなり、打ち克つなら、それは祝福となります。

誘惑に心惹かれるのは自然な心情です。

T1-7 妄想の生まれてくる過程、1.では、身体的な衝動は奇跡を求める衝動が肉体的に歪曲して発現したものだということが説明されます。

私たちが誘惑に駆られる心情を抱く根源は、愛を求める奇跡衝動あってゆえです。


誘惑に負けることー呪い

ただし、本来の正常な回路が破綻し、抵抗のない短絡した回路に大量の電流が流れることで、ショートした電気機器は故障し、火災等の事故が生じるように、誘惑に打ち勝つことは本来の抵抗のある回路に電流を通し、端末の本来の役目を果たすことに相当するのに対し、誘惑に負けることは回路がショートし、端末が役目を果たさずに故障して害悪を惹起することに相当します。

冒頭のボードリヤールの名言のように、無垢さほど強い催淫性を持つものはありません。

無垢さは、混じり気のない愛のエネルギーを放射するので、どんなに穢れて目詰まりした端末ですら、関心を惹きつけられ、下劣な欲求というきわめて歪んだ形ではあれ、無垢さによって強く誘引されます。

これは、アバターという端末の回路からすれば当然のリアクションではあるが、アバター自体がショートさせるための欺瞞装置なのだからアバターという短絡回路を通さず聖霊という本来の回路にエネルギーを流すべしという仕組みです。

これは、他者の非難、攻撃は愛を求める哀訴であり、返すべきは反撃ではなく愛に基づく助けであり、他者は自分が振り上げた剣を振り下ろさずに背けることで自分と相手を一緒に救う機会を与えてくれる救い主なのであり、他者には自分が傷ついていることを思い知らせて罪悪感を抱かせようとするのではなく、相手の攻撃によって微塵も傷つくことのない自己の本質を示して罪悪感から解放することだという聖霊の3大レッスンと共通の原理ですので、じっくり考えてもらうとよいと思います。


誘惑に打ち克つことー祝福

救い主のヴィジョンとは、自らの目と目にするものとの間に一切の自己概念を介在させることなく、自らの本質である光を当てて見るものを真にありのままの姿として見て、自分が目にするすべてのものの中に自らの潔白さを見ることによって、自分の目にする万物が自分自身の救いであることを見ることです。

救い主のヴィジョンは、個人としての自分自身や他者が、自己概念を抱いて自分として肩入れして感情移入して一体視しているアバターがどのようなものかということは関知せず、自己概念に惑わされることがないので、自分や他者の来歴に曇らされないありのままの現在の自他、世界を見ます。
 

私が目にしているものの意味は何だろうか

救い主のヴィジョンは価値判断をするものではないので、ただ「私が目にしているものの意味は何だろうか」と尋ねるだけです。

救い主のヴィジョンで見れば、私たち偽りの自己像たちは神から「私の子を自由にしなさい」と告げられているのであり、この呼びかけに応えて私たちが仮面を外すことで、神の子は夢の中の架空の登場人物になりきって我を忘れる狂気から脱することになります。


なお、誘惑に屈することと、人生からの挑戦に応じることは、外見的には区別が困難ですが、誘惑に負けずに克服したような見かけをしながらも、実は人生からの呼びかけに答える勇気が持てずに逃げを打ったという事態もありえ、この点を意識しておくことはとても重要ですので、レッスン272「どうして幻が神の子を満足させられるだろうか」のオスカー・ワイルドの名言とエッセイを御覧ください。


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テキスト第三十一章

VII. The Savior's Vision
七 救い主のヴィジョン



1. Learning is change.
 学習することは変化することです。

 Salvation does not seek to use a means as yet too alien to your thinking to be helpful, nor to make the kinds of change you could not recognize.
 救済は、今のところはまだ、あなたの考え方とあまりにも異質すぎて役立たない手段は用いようとはしないし、あなたが認識できないような種類の変化を生じさせようともしません。

 Concepts are needed while perception lasts, and changing concepts is salvation's task.
 知覚が存続する間は、さまざまな概念が必要であり、概念を変えることが救いの任務です。

 For it must deal in contrasts, not in truth, which has no opposite and cannot change.
 というのも、救いが対処しなければならないのは、いかなる対極も持たず変化のありえない真理ではなくて、真理の中には存在しない対照的な物事だからです。

 In this world's concepts are the guilty "bad"; the "good" are innocent.
 この世界の概念においては、罪のある者は「悪」であり、「善」なる者に罪はありません。

 And no one here but holds a concept of himself in which he counts the "good" to pardon him the "bad."
 そして、この世界では誰もが、自分の「悪」を許すために自らの「善」を数え上げるという自己概念を抱きます。

 Nor does he trust the "good" in anyone, believing that the "bad" must lurk behind.
 また、この世界の誰もが、いかなる人の「善」の背後にも「悪」が潜んでいるに違いないと信じているために、他者の「善」を信用しようとはしません。

 This concept emphasizes treachery, and trust becomes impossible.
 こんな概念は不信に軸足を置いているがゆえに、信頼することは不可能となります。

 Nor could it change while you perceive the "bad" in you.
 しかも、あなたが自分の中に「悪」を知覚しているかぎり、この概念が変わることはありえません。

名称未設定

2. You could not recognize your "evil" thoughts as long as you see value in attack.
 攻撃することにあなたが価値を見出しているかぎり、あなたは自分の「悪い」思いに気づくことができません。

 You will perceive them sometimes, but will not see them as meaningless.
 あなたはときには自分の「悪い」思いを知覚することはあっても、それを無意味なものだとはみなさないでしょう。

 And so they come in fearful form, with content still concealed, to shake your sorry concept of yourself and blacken it with still another "crime."
 したがって、「悪い」思いの内容は依然として隠されたまま、それらの思いは恐ろしい形をとってやってきては、あなたの惨めな自己概念を揺さぶって、さらに別の「罪」によってその自己概念をより暗黒化します。

 You cannot give yourself your innocence, for you are too confused about yourself.
 あなたは、自分で自分に潔白さを与えることはできません。というのも、あなたは自分自身についてあまりに混乱しているからです。

 But should one brother dawn upon your sight as wholly worthy of forgiveness, then your concept of yourself is wholly changed.
 しかし、兄弟のひとりでも、完全に赦されるに値する者としてあなたの目に見えはじめるようになったなら、そのとき、あなたの自分自身についての概念は完全に変わります。

 Your "evil" thoughts have been forgiven with his, because you let them all affect you not.
 あなたの「悪い」思いは、その兄弟の「悪い」思いと一緒に赦されたのです。なぜなら、あなたはそれらの「悪い」思いが自分に影響を与えることを一切容認しなかったからです。

 No longer do you choose that you should be the sign of evil and of guilt in him.
 あなたはもうこれ以上、自分を兄弟の内なる邪悪さや罪悪感を示す生き証人にしようとする選択をしなくなります。

 And as you give your trust to what is good in him, you give it to the good in you.
 そして、あなたが兄弟の中の善良さを信頼するようになるにつれて、あなたは自分の善良さも信用するようになります。



3. In terms of concepts, it is thus you see him more than just a body, for the good is never what the body seems to be.
 概念的な面で、あなたはこのように彼を単なる身体以上の存在と見ることになります。というのは、善良さとは、決して身体がどのように見えるかということではないからです。

 The actions of the body are perceived as coming from the "baser" part of you, and thus of him as well.
 身体の作用はあなたの「低級」な部分、したがって、同じように兄弟の「低級」な部分から来ると知覚されています。

 By focusing upon the good in him, the body grows decreasingly persistent in your sight, and will at length be seen as little more than just a shadow circling round the good.
 兄弟の善良さに焦点を合わせることによって、身体は、あなたの視界の中での存在感を次第に失ってゆき、とうとう、その善良さの周囲を取り巻く、単なる影と変わらない程度のものとしか見られなくなります。

 And this will be your concept of yourself, when you have reached the world beyond the sight your eyes alone can offer you to see.
 そして、あなたの肉眼だけがあなたに見せている光景を越えた世界にあなたが到達したとき、この善良さが自分自身についてあなたが抱く概念となるでしょう。

 For you will not interpret what you see without the Aid that God has given you.
 というのも、あなたは自分の見るものを、神が与えてくれた聖霊の大いなる助けを受けずに解釈しようとはしなくなるからです。

 And in His sight there is another world.
 そして、聖霊には、もうひとつの世界が存在しているのが見えています。

名称未設定

4. You live in that world just as much as this.
 あなたは、この世界に生きているのと同じように、その世界にも生きています。

 For both are concepts of yourself, which can be interchanged but never jointly held.
 なぜなら、両方の世界はいずれも、あなた自身についての概念だからです。ただし、両方の概念を交換することはできても、両方の概念をひとつに結び付けて抱くことは絶対にできません。

 The contrast is far greater than you think, for you will love this concept of yourself, because it was not made for you alone.
 ふたつの概念の相違はあなたが思っているよりもはるかに大きなものです。というのも、この真の自己概念はあなたひとりだけのために作り出されたものではないがゆえに、あなたはこの自己概念を愛するようになるからです。

 Born as a gift for someone not perceived to be yourself, it has been given you.
 あなた自身であるとは知覚されていない誰かのための贈り物として生まれたこの真の自己概念が、あなたに与えられたのです。

 For your forgiveness, offered unto him, has been accepted now for both of you.
 というのは、兄弟に差し延べられたあなたの赦しは、いまやあなたと兄弟のために受け入れられたからです。



5. Have faith in him who walks with you, so that your fearful concept of yourself may change.
 あなたが抱く恐怖に満ちた自己概念が変わるように、あなたとともに歩む兄弟のことを信頼してください。

 And look upon the good in him, that you may not be frightened by your "evil" thoughts because they do not cloud your view of him.
 そして、彼の中に善良さを見るようにしてください。そうすれば、あなたは自分の「悪い」思いによって怯えさせられることがなくなります。なぜなら、あなたが邪悪な思いで兄弟に対する自分の見方を曇らせることがなくなるからです。

 And all this shift requires is that you be willing that this happy change occur.
 そして、この変化が起こるために必要なのは、この喜ばしい変化が起こってほしいという意欲をあなたが持つことだけです。

 No more than this is asked.
 あなたの意欲以上のものは求められていません。

 On its behalf, remember what the concept of yourself that now you hold has brought you in its wake, and welcome the glad contrast offered you.
 あなたがこの変化を意欲するために必要なのは、あなたが今抱いている自己概念が自分に何をもたらしてきたか、その悲惨な軌跡を思い出して、自分に差し延べられているそれとは対照的な喜ばしい真の自己概念を歓迎することです。

 Hold out your hand, that you may have the gift of kind forgiveness which you offer one whose need for it is just the same as yours.
 優しい赦しという贈り物があなたのものになるように、手を差し出してください。そして、その贈り物を自分と同じように必要としている人に差し延べてください。

 And let the cruel concept of yourself be changed to one that brings the peace of God.
 そして、あなたの惨めな自己概念を神の平安をもたらしてくれる自己概念に交換してもらいなさい。

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6. The concept of yourself that now you hold would guarantee your function here remain forever unaccomplished and undone.
 あなたが今抱いている自己概念は、あなたのこの地上での役割がいつまで経っても果たされず、成就されないままになることを確かなものにしようとしています。

 And thus it dooms you to a bitter sense of deep depression and futility.
 したがって、あなたが今抱いている自己概念は、あなたを深刻な憂鬱と自分が役立たずだという苦々しい思いを抱くように運命づけます。

 Yet it need not be fixed, unless you choose to hold it past the hope of change and keep it static and concealed within your mind.
 しかし、あなたが自己概念を変化する見込みのないものとして自分の心の中に変わらないまま隠し続けることを選ばないかぎり、あなたの自己概念をそのまま固定化させておく必要などありません。

 Give it instead to Him Who understands the changes that it needs to let it serve the function given you to bring you peace, that you may offer peace to have it yours.
 そんな選択などせずに、その自己概念を聖霊に渡してしまいなさい。聖霊は、あなたの自己概念がどのように変化すれば、あなたに与えられている自分たちに平安をもたらすという役目を果たすうえで役に立つかよく理解しています。聖霊に渡せば、あなたは平安を自分のものにするために平安を差し出せるようになります。

 Alternatives are in your mind to use, and you can see yourself another way.
 今のあなたの自己概念に置き換わる別の選択肢が、あなたが活用できるようにあなたの心の中に存在しているので、あなたは自分自身を別の見方で見ることができます。

 Would you not rather look upon yourself as needed for salvation of the world, instead of as salvation's enemy?
 あなたは、自分自身を救済の敵としてではなく、世界の救済のために必要とされる存在だとみなしたくはないでしょうか。



7. The concept of the self stands like a shield, a silent barricade before the truth, and hides it from your sight.
 自己概念は、真理の前に盾のように立ちはだかる沈黙の防塞となって、真理をあなたの視界から覆い隠しています。

 All things you see are images, because you look on them as through a barrier that dims your sight and warps your vision, so that you behold nothing with clarity.
 あなたに見える物事はどれも心の抱く印象でしかありません。なぜなら、あなたは自分の視界を薄暗くさせて、自分のヴィジョンを歪めてしまう障壁を通してそれらを見ているので、あなたには何ひとつ明瞭に見えてはいないからです。

 The light is kept from everything you see.
 あなたの見るすべてのものから光が遠ざけられています。

 At most, you glimpse a shadow of what lies beyond.
 よくてせいぜいのところ、あなたは、その向こうにあるものの影を垣間見ることができるだけです。

 At least, you merely look on darkness, and perceive the terrified imaginings that come from guilty thoughts and concepts born of fear.
 悪くすれば、あなたはただ闇を見つめるばかりで、罪悪感に満ちた思いや恐怖から生み出される概念から生じてくる恐ろしい空想を知覚することになります。

 And what you see is hell, for fear is hell.
 つまり、あなたは地獄を見ているのです。というのは、恐れこそが地獄だからです。

 All that is given you is for release; the sight, the vision and the inner Guide all lead you out of hell with those you love beside you, and the universe with them.
 あなたには解放されるために必要なすべてが与えられています。視界やヴィジョンや内なるガイドがみんな揃って、あなたの傍らにいるあなたの愛する者たちと一緒に、そして、全宇宙も彼らと一緒に、あなたをこの地獄から連れ出してくれるのです。



8. Behold your role within the universe!
 この宇宙におけるあなたの役割をよく理解してください。

 To every part of true creation has the Lord of Love and Life entrusted all salvation from the misery of hell.
 大いなる愛と生命の主である神は、真の創造物のすべての部分に、地獄の悲惨さからの救いのすべてを託したのです。

 And to each one has He allowed the grace to be a savior to the holy ones especially entrusted to his care.
 そして、神は各自に対して、特別に彼がその救済の任に当たるようにと託された神聖な者たちの救い主となる栄誉を授けています。

 And this he learns when first he looks upon one brother as he looks upon himself, and sees the mirror of himself in him.
 彼がひとりの兄弟を自分自身を見るように見て、兄弟の中に映し出された自分自身を見るようになってはじめて、彼はこのことを学びます。

 Thus is the concept of himself laid by, for nothing stands between his sight and what he looks upon, to judge what he beholds.
 こうして、その人の自己概念が放棄されます。というのは、彼が見るものを価値判断するために彼の視覚と彼の見るものとの間に介在するものは何ひとつなくなるからです。

 And in this single vision does he see the face of Christ, and understands he looks on everyone as he beholds this one.
 そして、このひとつのヴィジョンの中に彼はたしかにキリストの顔を見ます。そして、彼は、自分がキリストの顔を見るとき、自分はすべての人たちを見ているのだと理解します。

 For there is light where darkness was before, and now the veil is lifted from his sight.
 というのも、以前には暗闇があったところに光が射し、いまや彼の視界からヴェールが取り除かれたからです。

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9. The veil across the face of Christ, the fear of God and of salvation, and the love of guilt and death, they all are different names for just one error; that there is a space between you and your brother, kept apart by an illusion of yourself that holds him off from you, and you away from him.
 キリストの顔にかけられているヴェール、神と救済に対する恐れ、罪悪感と死への愛着などのすべては、たったひとつの誤りに付けられたさまざまに異なる名前にすぎません。その誤りとは、あなたと兄弟の間には空間が存在しており、兄弟をあなたから切り離し、あなたを兄弟から遠ざけておくあなた自身という幻の姿によって分離が維持されているという錯覚です。

 The sword of judgment is the weapon that you give to the illusion of yourself, that it may fight to keep the space that holds your brother off unoccupied by love.
 裁きという剣こそ、あなたが錯覚した幻の自己像に自ら与える武器です。幻の自己像は、その裁きという剣を使って、あなたの兄弟を切り離して寄せつけずにいる空間が愛に満たされて塞がってしまわないように戦います。

 Yet while you hold this sword, you must perceive the body as yourself, for you are bound to separation from the sight of him who holds the mirror to another view of what he is, and thus what you must be.
 しかし、あなたがこの裁きの剣を握り締めているかぎり、あなたは身体が自分自身だと知覚せざるをえません。というのは、自分の兄弟を裁きの剣で切り離すあなたには、彼が、本当の彼である別の姿、つまり、本当のあなたの姿を映し出す鏡を掲げているのがどうしても目に入らないからです。

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10. What is temptation but the wish to stay in hell and misery?
 誘惑とは地獄に留まって惨めなままでいたいという願望でしかないのではないでしょうか。

 And what could this give rise to but an image of yourself that can be miserable, and remain in hell and torment?
 そして、こんな願望には、惨めになったり地獄に留まって苦悶するあなた自身の姿以外には何も描き出せないのではないでしょうか。

 Who has learned to see his brother not as this has saved himself, and thus is he a savior to the rest.
 自分の兄弟をこんな姿として見ないことを学んだ者は、自分自身を救ったのであり、それゆえに、彼はほかの者たちの救い主となります。

 To everyone has God entrusted all, because a partial savior would be one who is but partly saved.
 神は一人ひとりに全員を託したのです。なぜなら、一部分しか救わない者は、部分的にしか救われることがないからです。

 The holy ones whom God has given you to save are but everyone you meet or look upon, not knowing who they are; all those you saw an instant and forgot, and those you knew a long while since, and those you will yet meet; the unremembered and the not yet born.
 神が救うようにとあなたに与えた聖なる者たちとは、あなたが出会ったり見かけたりするすべての人たち、自分が誰なのか知らずにいる人たちのことにほかなりません。それは、あなたがほんの一瞬見かけて忘れてしまった多くの人びとや長年に亘る知り合いやあなたがこれから出会うことになっている人たち、あなたが覚えていない人たちやまだ生まれてすらいない人たち、そうしたすべての人々です。

 For God has given you His Son to save from every concept that he ever held.
 というのは、神は、わが子がこれまでに抱いたあらゆる概念から救うために、神の子をあなたに与えたからです。



11. Yet while you wish to stay in hell, how could you be the savior of the Son of God?
 しかし、あなたが地獄に留まりたいと思っているかぎり、どうしてそのあなたが神の子の救い主になれるでしょうか。

 For holiness is seen through holy eyes that look upon the innocence within, and thus expect to see it everywhere.
 というのは、神聖さは内なる潔白さを見ているがゆえに、潔白さをあらゆるところに見ようとする聖なる目を通して見えるものだからです。

 And so they call it forth in everyone they look upon, that he may be what they expect of him.
 したがって、聖なる目は、自らの目を向けるすべての者たちが潔白であることを期待するがゆえに、目を向けるすべての者たちの中に潔白さを呼び起こすのです。

 This is the savior's vision; that he see his innocence in all he looks upon, and see his own salvation everywhere.
 これが救い主のヴィジョンです。すなわち、彼は自分が目にするすべてのものの中に自らの潔白さを見て、あらゆるところに自分自身の救いを見るのです。

 He holds no concept of himself between his calm and open eyes and what he sees.
 救い主は、自らの穏やかに開かれた目と自らが目にしているものとの間に、自己概念を一切介在させません。

 He brings the light to what he looks upon, that he may see it as it really is.
 彼は、それを真にありのままの姿として見ることができるように、自分の見るものに光をもたらすのです。

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12. Whatever form temptation seems to take, it always but reflects a wish to be a self that you are not.
 それがどのような形をとるように見えても、誘惑はつねに、本来のあなたではない自己になりたいという願望の反映にほかなりません。
 
 And from that wish a concept rises, teaching that you are the thing you wish to be.
 そして、そんな願望からある概念が生まれ、あなたは自分がなりたいと思う通りの存在だと教えます。

 It will remain your concept of yourself until the wish that fathered it no longer is held dear.
 その概念を生み出した願望がもうそれ以上大切に抱かれなくなるまでは、それがあなたの自己概念であり続けます。

 But while you cherish it, you will behold your brother in the likeness of the self whose image has the wish begot of you.
 しかし、あなたがその願望を抱いている間は、あなたは自分から生まれた望み通りの姿をした自己の似姿としての兄弟を見ることになります。

 For seeing can but represent a wish, because it has no power to create.
 というのは、見るという作用には創造する力がないので、願望を表わすことしかできないからです。

 Yet it can look with love or look with hate, depending only on the simple choice of whether you would join with what you see, or keep yourself apart and separate.
 ただし、見るという作用は、あなたが自分の目にするものとひとつに結ばれたいか、それとも自分自身を引き離して分離したままでいたいか、という単純な選択次第で、愛をこめて見ることもできれば、憎しみをこめて見ることもできます。



13. The savior's vision is as innocent of what your brother is as it is free of any judgment made upon yourself.
 救い主のヴィジョンは、あなた自身に対する価値判断にまったく縛られていないのと同じように、あなたの兄弟が何者であるかということについても関知しません。

 It sees no past in anyone at all.
 救い主のヴィジョンは、誰の中にもまったく過去を見ることはありません。

 And thus it serves a wholly open mind, unclouded by old concepts, and prepared to look on only what the present holds.
 したがって、救い主のヴィジョンは、古い概念によって曇らされることなく、完全に開かれた偏りのない心に奉仕するものであり、現在が保持しているものだけを見る用意ができています。

 It cannot judge because it does not know.
 救い主のヴィジョンは、知るものではないので、価値判断することができません。

 And recognizing this, it merely asks, "What is the meaning of what I behold?"
 自分は知るものではなく価値判断できないとわかっているので、救い主のヴィジョンは単に「私が目にしているものの意味は何だろうか」と尋ねるだけです。

 Then is the answer given.
 そうすると、その答えが与えられます。

 And the door held open for the face of Christ to shine upon the one who asks, in innocence, to see beyond the veil of old ideas and ancient concepts held so long and dear against the vision of the Christ in you.
 そして、扉が開かれて、あなたの中にあるキリストのヴィジョンを否定しようとして、本当に長い間大切に抱かれてきた古い想念や古来の概念のヴェールの向こう側を見たいと潔白さの中で求める者にキリストの顔が輝きを注げるようになります。

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14. Be vigilant against temptation, then, remembering that it is but a wish, insane and meaningless, to make yourself a thing that you are not.
 それゆえに、誘惑はあなた自身を本来のあなたではないものに変えようとする狂った無意味な願望でしかないこと忘れずに、誘惑に対して警戒を怠らないでいてください。

 And think as well upon the thing that you would be instead.
 それだけでなく、あなたが本当の自分の代わりに、どんなものになりたいと思っているのか、よく考えてみてください。

 It is a thing of madness, pain and death; a thing of treachery and black despair, of failing dreams and no remaining hope except to die, and end the dream of fear.
 あなたがなりたいと思っているのは、恐怖の夢を終らせるには死ぬ以外には何の希望も残されていない挫折の夢で作りあげられた裏切りと暗黒の絶望、苦痛と死かならなる狂気の存在なのです。

 This is temptation; nothing more than this.
 これこそが誘惑であり、これ以上の何ものでもありません。

 Can this be difficult to choose against?
 こんなものを選択しないでいるのは難しいことでしょうか。

 Consider what temptation is, and see the real alternatives you choose between.
 誘惑とは何なのかよく考えて、あなたがそのふたつの間で選択することになる真の選択肢を見てください。

 There are but two.
 選択肢はふたつしかありません。

 Be not deceived by what appears as many choices.
 さまざまな選択肢があるように見えても、それに騙されてはなりません。

 There is hell or Heaven, and of these you choose but one.
 あるのは地獄か天国だけだからです。そして、あなたはこの二つの選択肢の中から一つだけ選ぶことになります。



15. Let not the world's light, given unto you, be hidden from the world.
 あなたに授けられている世界の光を、この世界に隠したままにしていてはなりません。

 It needs the light, for it is dark indeed, and men despair because the savior's vision is withheld and what they see is death.
 世界はその光を必要としています。というのも、この世界は本当に暗黒の場所であり、人々には救い主のヴィジョンが与えずにおかれるために、彼らが目にするのは死だけなので、みんな絶望しているからです。

 Their savior stands, unknowing and unknown, beholding them with eyes unopened.
 彼らの救い主は、救いを求める人々を閉じたままの目で眺めているので、彼らのことを知ることも、彼らから知られることもないままになっています。

 And they cannot see until he looks on them with seeing eyes, and offers them forgiveness with his own.
 だから、救い主が見える目で人々を見て、自分自身を赦すことで彼らに赦しを差し延べるまでは、彼らには見ることができません。

 Can you to whom God says, "Release My Son!" be tempted not to listen, when you learn that it is you for whom He asks release?
 神が解放するように求めているのが自分のことだと学んだとき、神から「私の子を自由にしなさい」と告げられているあなたが、神の告げることに耳を貸さないようにという誘惑に負けてしまうことなどありうるでしょうか。

 And what but this is what this course would teach?
 そして、このコースが教えようとしているのは、ただこのことだけです。

 And what but this is there for you to learn?
 これ以外にあなたに学ぶべきどんなことがあるというのでしょうか。


名称未設定



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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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Kino  

09

kenさん、こんにちは。少し取り組みに間が空いてしまっていますが、この度はテキストの全紹介を2年間ちょうどという記念すべきタイミングで迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。

私にはこのブログの内容や更新速度も、人の業とは思えぬ異次元の出来事のようで、この世界が幻想だという気づきの一端を垣間見させて頂いた想いでおります。いつも有難うございます。

今後記事にエッセイが加わっていくとのこと、こちらも一読者として本当に楽しみにしています。幻想世界の忙しさと折合いながら、無理なくご更新下さいね。ゆっくりした歩みになり恐縮ですが、共に進んでいけたらとの想いでおりますので、何卒今後とも宜しくお願い致します。

2015年04月28日 (火) 16:42

 ken  

Re: 09

Kinoさん、こんにちは。

コメントありがとうございます!
Kinoさんには、開設当初から、質問をいただくなど色々助けていただきました。ありがとうございました。

There Is No Spoonはブログ形式でできあがってきましたが、一般のブログのように新着記事ほど鮮度が高くて価値があるという内容ではありません。

しばらく前から、記事の表示の順序の時系列を逆転させてトップページに目次をまとめて、ホームページ的な体裁にシフトチェンジをしています。

読者のみなさんにはコメント欄をご自分の学習メモ代わりに使ってもらえればと思っています。

Kinoさんもご自由に使ってくださいね。

また、これまでの記事にはたくさん誤字・脱字があります。
このサイトを通して奇跡のコースをより多くの方々に分かち合ってもらえるために、各記事がより読みやすくなるよう、誤字等に気づかれた場合に、その該当記事のコメント欄に誤字の場所を指摘してもらえるとありがたいです。

誤字を見つけるぞ、という意識で読むのは、テキスト等を集中して読むための動機付けにもなるかもしれません(笑)。

それでは、今後ともよろしくお願いします!

2015年04月28日 (火) 21:31
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┣  テキスト第17章(赦しと神聖な関係) (8)
┣  テキスト第18章(夢の消滅) (9)
┣  テキスト第19章(平安の達成) (9)
┣  テキスト第20章(神聖さのヴィジョン) (8)
┣  テキスト第21章(理性と知覚) (9)
┣  テキスト第22章(救いと神聖な関係) (7)
┣  テキスト第23章(自分自身との戦い) (5)
┣  テキスト第24章(特別であるという目標) (8)
┣  テキスト第25章(神の正義) (9)
┣  テキスト第26章(移行) (10)
┣  テキスト第27章(夢を癒す) (8)
┣  テキスト第28章(恐れを取り消す) (7)
┣  テキスト第29章(目覚め) (9)
┣  テキスト第30章(新たなる始まり) (8)
┗  テキスト第31章(最後のヴィジョン) (8)
ワークブック・パート① (237)
┣  レッスン1〜10 (11)
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ワークブック・パート② (159)
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用語解説 (8)
祈りの歌 (15)
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