レッスン105「神の平安と喜びは私のものだ」


神の意志に従うことが、平安を得るための唯一の方法である。

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Henry Wadsworth Longfellow
ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー



数多くの断片をまとめて一個の全体にまとめあげることによっては英知は生まれない。



Jiddu Krishnamurti
ジッドゥ・クリシュナムルティ

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あなたは、全ての人と平等であると理解してください。他の誰かに比べて‘劣っている’のでも‘優れている’のでもありません。

例えば、一国の王様、そしてその息子といった存在と比べても、あなたはそれと同様の存在、それと等しい存在であるのです。わたし達の父なる神、その御国という「王国」は、この地上世界も含んでいるのですから。もしわたし達が自身の意識状態を高め、神の子としての真のアイデンティティを自覚する事ができれば、父の持てるものは全て、我々のものでもある事が分かるのです。そして、わたしたちの父に仕える存在が皆、わたしたちに必要な全てを満たそうと待ち構えているのだと自覚し、毎日を過ごしていけるのです。

これは、事実であるのです。誰でも、この事を実際に経験できるのです。ただ一つ為すべきは、信じる事です。この事を信じ、その意識状態でいる事です。

例えば一国の王子が、自身のアイデンティティを疑わないのと同じように、それを信じ込む事です。さて、「王子」という立場にある者として、その振る舞い方をあなた自身が学ばなければなりません。あなたの父が持てるものは全て、あなたのものであるという事。父があなたに与えた豊かさを、怖がる事なく自由に使っていく事。その富に限界はなく、その豊かさは尽きる事がありません。いつでもあなたのために、そこにあるのです。父の源は、永遠のものなのです。この意識状態を実現するべきなのです。

例えば、ある国の王子である者がお金を使う時、その供給源について心配する事があるでしょうか? あなたも、その王子と同じように感じながら過ごすべきなのです。王子の必要は、全て満たされます。彼が快適に過ごすため、喜びを感じるため、何かやりたい事があればそれを為すために、いつでもその必要は満たされるのです。彼は、いつでも父が、王が自分についてくれている事を知っています。そして父の王国は、全てを満たしてくれる事も。

同じくあなたにも、父なる神がついてくれているのです。全ての必要を父の王国が満たしてくれるという事を、あなたも学んでいかなければなりません。

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イエス・キリスト(Joseph Benner ジョセフ・ベナーキリスト意識と豊かさについて - 偽我の幻想から脱するために」52ページ)

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レッスン105です。

今日のテーマは、「神の平安と喜びは私のものだ」です。


豊かさマインドと欠乏マインド

7つの習慣」の第四の習慣「win-winを考える」の基盤は、豊かさマインド(Abundance Mentality)です。

豊かさマインドの反対は、欠乏マインド(Scarcity Mentality)で、多くの人は、欠乏マインドで生きています。

欠乏マインドは、世界の資源は有限で、人生は、限られたパイをみんなで奪い合うゼロサムゲーム(参加者全員の利得と損失の総和がつねにゼロになるゲーム 例:ポーカーやFX取引など)だとみなす世界観です。

この世界は、罪悪感から生まれた恐怖の暗雲に包まれた光が拡張を堰き止められ、暗雲をスクリーンにしてエゴのスライドを介して影を投じて生まれた幻です。

投影されたものは、実体のない無が何らかの形をとった影絵でしかありません。





実在を反映する光と実在の不在の影が織り成す影絵の世界

この世界は、天国に実在する愛、生命、平安、喜び、光、真理の反映だけでなく、それらの影として、それらの実在の不在、恐れ、死、争い、悲嘆、虚構が実在の対極として存在し、それらが二極対立している世界であり、天国という現実から離れて、空想の中で繰り広げるごっこ遊びの世界です。

天国では豊かさマインドが当然なのは言うまでもないとしても、幻想世界は幻想だから欠乏マインドになるのが当然というわけではありません。

むしろ、幻想であればこそ、好きなだけ想像し放題なわけで、幻であれば無限供給は可能だからです。

私たちがこの世界を欠乏マインドで見てしまうのは、本質が無である幻想の中では、まさに「ごっこ遊び」をするしかしようがないからです。

ゲームの舞台の運営側・ディーラーは、作り物であることを十分知ったうえでプレイヤーを楽しませている立場なので、幻をいくらでも作り出せることは認識できますが、プレイヤーのほうは、現実を忘れ切って作り物を本物と信じることができてはじめて幻想世界を本物として楽しめるわけです。

なので、実は何の制約もないところに、誰それはお医者さんで、誰それは患者さんで、住んでいる町はこうで、等々、舞台となる架空世界や登場人物やルール等をどんどん絞り込んで具体化して詳細に設定することによってはじめてごっこ遊びは成立することになります。


ゲームが成り立つにはルールが必要

つまり、ごっこ遊びにおいては、参加するプレイヤーがゲーム世界の約束事として決められたルールにみんなで同意し従わなければ、遊び自体が成り立ちません。

ですから、ゲームテーブルの上に乗ってくるのは、ゲームを終えてテーブルを去るまでの間、ゲームのディーラーから借り受ける現実を模した作り物の衣装や着ぐるみや舞台装置等のアイコンだけなので、この世界では、何かを得るにはそれを誰かが失わなければならないし、自分が持っているものを失わないためには、他者に奪われないようにしなければなりません。

この点で、幻想であるこの世界をゼロサムゲームと見ることは、この世界かぎりでは、つまり、世界というゲーム盤の上に立つかぎりは、素直な評価と言えるでしょう。

マトリックス・リローデッドでアーキテクトがネオに語った、過去の失敗例となったマトリックスのバージョン履歴で、何でも望み放題の楽園では人々は満足せずに眠り続けてくれず、オラクルの発見を契機として、思い通りにいかずたまにフィーバーする程度に思い通りになりそうでならないという具合の今の世界に作り上げられて、ようやくシステムが安定したという話を思い出してください。

無敵モードはつまらなさすぎるので、プレイヤーを飽きさせずにゲームセンターに縛り付けておくには欠乏マインドが役に立つということです。


ゲーム世界のルールはいつでも破れる決め事にすぎない

もっとも、作りものの世界で遊ぶためのお約束は、その世界に居続けるためには守る必要のあるルールではありますが、そこから去るためには、そのルールが自分の意に反してでも強制されるものではなく、自分が従うことを自ら望んで同意しているだけの単なるお約束でしかなく、いつでも反故(「ほご」約束をなかったことにする)にできることを思い出す必要があります。

したがって、要点は、世界というゲーム盤の上で遊び続ける気があるかどうかという意欲の問題となります。

ごっこ遊びを続けて、自ら神からの贈り物である平安と喜びを拒絶し返上して、欠乏マインドを抱いて争いと悲しみの世界を見続けている必要はないと気づき、ゲームから降りようと意図したなら、ゲーム盤上のまがい物を手放して、神の贈り物を受け入れる豊かさマインドを持つ必要があります。

本物の現実である天国は光の拡張する世界です。

光は光源から拡張しても、光源から去ることはありません。

与えること=光で照らすことは、光を維持し増大することです。

与えても与えても増えゆくばかりというのはまさに豊かさマインドです。

与えれば、与えたものを失うという信念を修正するには、実践が一番です。

物の所有によって、欠乏マインドが一見正しいような錯覚を覚えるので、まずは想念から始めるのが効果的です。


平安と喜びが得られるレッスン

今日のレッスンでは、自分の敵だと思う人を思い浮かべて、

「My brother, peace and joy I offer you,
私の兄弟よ、私はあなたに平安と喜びを捧げます。

That I may have God's peace and joy as mine.
そうすれば、私は、神の平安と喜びを自分のものにできるでしょう。」

と告げることによって、自分が与える平安と喜びが、与えることによって消えるどころか増えゆくばかりだという真理を実体験することをします。

ぜひこのレッスンによって本当に平安と喜びが得られることを実感してもらえればと思います。



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Lesson 105

God's peace and joy are mine.
神の平安と喜びは私のものだ。





1. God's peace and joy are yours.
 神の平安と喜びはあなたのものです。

 Today we will accept them, knowing they belong to us.
 今日、私たちは、神の平安と喜びが自分たちのものだと知ることによって、神の平安と喜びを受け入れます。

 And we will try to understand these gifts increase as we receive them.
 そして、私たちは、自分たちが神の平安と喜びを受け取るにつれて、これらの贈り物が増してゆくことを理解するように努めます。

 They are not like to the gifts the world can give, in which the giver loses as he gives the gift; the taker is the richer by his loss.
 神の平安と喜びは、この世界が与えることのできる贈り物とは似ていません。この世界では、与える者がその贈り物を渡すと、その人はその贈り物を失い、与える者の損失によって受け取る者はより豊かになります。

 Such are not gifts, but bargains made with guilt.
 そんなものは贈り物などではなく、ただ罪悪感をもってなされる取り引きでしかありません。

 The truly given gift entails no loss.
 真に与えられた贈り物には、いかなる損失も伴いません。

 It is impossible that one can gain because another loses.
 ほかの者が失うことである者が得られるなど不可能です。

 This implies a limit and an insufficiency.
 こう考えることは、制限と不足を当然の前提とします。



2. No gift is given thus.
 いかなる贈り物も、このようにして与えられることはありえません。

 Such "gifts" are but a bid for a more valuable return; a loan with interest to be paid in full; a temporary lending, meant to be a pledge of debt to be repaid with more than was received by him who took the gift.
 このような「贈り物」は、より価値ある見返りを得るためのつけ値でしかありません。それは、利息を付けて全額が返済されることを期待してなす貸し付けであり、その贈り物を手に入れた者がのちに受け取った額以上の返済をすべき借入であることを約する一時的な貸し付けです。

 This strange distortion of what giving means pervades all levels of the world you see.
 与えることの意味についてのこの奇妙な歪曲が、あなたの見るこの世界のあらゆるレベルに行き渡っています。

 It strips all meaning from the gifts you give, and leaves you nothing in the ones you take.
 この歪曲が、あなたの与える贈り物からあらゆる意味を剥ぎ取って、自分の手にする贈り物からあなたが何も得られないようにしてしまいます。



3. A major learning goal this course has set is to reverse your view of giving, so you can receive.
 このコースが定める主要な学習目標は、与えることについてのあなたの見方を逆転させることによって、あなたが受け取れるようにすることです。

 For giving has become a source of fear, and so you would avoid the only means by which you can receive.
 というのも、与えることが恐れを抱く原因になってしまっているので、あなたは自分が受け取れるようになるための唯一の手段である与えることを避けようとしてしまうからです。

 Accept God's peace and joy, and you will learn a different way of looking at a gift.
 神の平安と喜びを受け入れてください。そうすれば、あなたは贈り物についての違った見方を学ぶでしょう。

 God's gifts will never lessen when they are given away.
 神の贈り物は、それらを渡しきっても、決して減ることはありません。

 They but increase thereby.
 神の贈り物は、与えることによって増大するだけです。



4. As Heaven's peace and joy intensify when you accept them as God's gift to you, so does the joy of your Creator grow when you accept His joy and peace as yours.
 あなたが天国の平安と喜びを神から自分への贈り物として受け入れるにつれて天国の平安と喜びが増してゆくように、あなたが創造主の喜びと平安を自分のものとして受け入れるにつれて、あなたの創造主の喜びは増大してゆきます。

 True giving is creation.
 真に与えることは創造することです。

 It extends the limitless to the unlimited, eternity to timelessness, and love unto itself.
 真に与えることは、限りないものを無限へ、永遠を時のない状態へ、そして、愛を愛そのものへと拡張することです。

 It adds to all that is complete already, not in simple terms of adding more, for that implies that it was less before.
 真に与えることは、すでに全体として完全であるものに加えることであり、単により多くするためにつけ足すことを意味するものではありません。というのは、単につけ足すことは、つけ足される前は、それがより少なかったことを前提にしているからです。

 It adds by letting what cannot contain itself fulfill its aim of giving everything it has away, securing it forever for itself.
 真に与えることは、自らを抑えきれないものに、それが持っているすべてのものを与えきるという目的を果たせるようにすることによって加え、そうすることで、それが持っているすべてのものを永遠に自らのために確保できるようにするのです。



5. Today accept God's peace and joy as yours.
 今日、神の平安と喜びを自分のものとして受け入れてください。

 Let Him complete Himself as He defines completion.
 神が完成を定義する通りに、神が神自身を完成できるようにさせてください。

 You will understand that what completes Him must complete His Son as well.
 あなたは、神を完成させるものは、同じように神の子を完成させるに違いないと理解するでしょう。

 He cannot give through loss.
 神には、損失を通して与えることなどできません。

 No more can you.
 あなたにもそれができないのは同様です。

 Receive His gift of joy and peace today, and He will thank you for your gift to Him.
 今日こそ、喜びと平安という神の贈り物を受け取りなさい。そうすれば、神は、あなたから神への贈り物に対してあなたに感謝してくれるでしょう。



6. Today our practice periods will start a little differently.
 今日は、私たちの実習時間をこれまでとは少し違ったふうに始めることにします。

 Begin today by thinking of those brothers who have been denied by you the peace and joy that are their right under the equal laws of God.
 今日は、平等な神の法の下で彼らが当然持つ権利であるはずの平安と喜びをあなたに拒まれてきた兄弟たちのことを考えることで1日を始めてください。

 Here you denied them to yourself.
 兄弟に平安と喜びを拒むことで、あなたは自分自身に対して平安と喜びを拒絶していたのです。

 And here you must return to claim them as your own.
 だから、兄弟への姿勢を変えることで、あなたは、自分自身のものとして平安と喜びを享有する権利を主張し直さなければなりません。



7. Think of your "enemies" a little while, and tell each one, as he occurs to you:
 しばしの間、あなたの「敵」について考えてみてください。そして、それらの人たちがあなたの心に浮かぶたびに、一人ひとりに次のように告げてください。


My brother, peace and joy I offer you,
私の兄弟よ、私はあなたに平安と喜びを捧げます。

That I may have God's peace and joy as mine.
そうすれば、私は、神の平安と喜びを自分のものにできるでしょう。


 Thus you prepare yourself to recognize God's gifts to you, and let your mind be free of all that would prevent success today.
 こうして、あなたは自分への神からの贈り物を認識できるように自分自身の準備を整え、そして、今日成功することを妨げようとするあらゆるものからあなたの心を自由にさせるのです。

 Now are you ready to accept the gift of peace and joy that God has given you.
 もうあなたには、神があなたに与えてくれている平安と喜びという贈り物を受け入れる準備ができています。

 Now are you ready to experience the joy and peace you have denied yourself.
 もうあなたには、自分で自分自身に拒んできた喜びと平安を体験する用意ができています。

 Now you can say, "God's peace and joy are mine," for you have given what you would receive.
 もうあなたは「神の平安と喜びは私のものだ」と言うことができます。というのも、あなたは自分の受け取りたいものを与えたからです。



8. You must succeed today, if you prepare your mind as we suggest.
 もしあなたが私たちが提案する通りに自分の心を整えるなら、きっとあなたは今日成功するはずです。

 For you have let all bars to peace and joy be lifted up, and what is yours can come to you at last.
 というのは、あなたが平安と喜びに至るあらゆる障害を取り除いたので、あなたに属するものがついにあなたの許に訪れることができるからです。

 So tell yourself, "God's peace and joy are mine," and close your eyes a while, and let His Voice assure you that the words you speak are true.
 だから、自分自身に「神の平安と喜びは私のものだ」と告げて、しばらくの間目を閉じて、神の大いなる声に、あなたの言った言葉が真実だと確信させてもらいなさい。



9. Spend your five minutes thus with Him each time you can today, but do not think that less is worthless when you cannot give Him more.
 今日、あなたができるなら、毎回、5分間の時間をとって、このようにして神とともに過ごすようにしてください。ただし、あなたが神に5分間の時間を捧げられない場合でも、時間が短くなるために練習の価値が減ってしまうなどと考えないでください。

 At least remember hourly to say the words which call to Him to give you what He wills to give, and wills you to receive.
 少なくとも1時間ごとに、神があなたに与えようと意図し、あなたに受け取らせようと意図するものを自分に与えてほしいと神に呼びかけるこの言葉を言うのを忘れないようにしてください。

 Determine not to interfere today with what He wills.
 今日は、神が意図することを邪魔しないと決意してください。

 And if a brother seems to tempt you to deny God's gift to him, see it as but another chance to let yourself receive the gifts of God as yours.
 そして、もしある兄弟から彼に神の平安と喜びの贈り物を与えずにおきたくなるような気持ちにさせられてしまうようなときには、むしろその場面こそ、あなたが神の贈り物を自分のものとして受け取れる新たなチャンスにほかならないとみなすようにしてください。

 Then bless your brother thankfully, and say:
 そうして、あなたの兄弟に感謝をこめて祝福を捧げ、次のように言いなさい。


My brother, peace and joy I offer you,
私の兄弟よ、私は平安と喜びをあなたに捧げます。

That I may have God's peace and joy as mine.
そうすれば、私は神の平安と喜びを自分のものにできるでしょう。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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