T7-4 真理の認識としての癒し
忘却はよりよき前進を生む。

ニーチェ

今回は、第7章から「真理の認識としての癒し」をご紹介します。
神の法とエゴの法則
M5 「癒し」の仕組みとは?、S3-2 偽りの癒し 対 真の癒し が参考になると思います。
天国では神の法が行き渡り、自分の拡張するものが自分の現実となります。
神の子はすべてでありすべてを持っているので、神の子が拡張するのは自分自身であり、拡張したものは実在し、神の子にとって自分であり自分が持っているものだとわかります。
この法がこの世界では、自分の投影するものを自分は信じるというエゴの法則に変容します。
この世界では、神の子は個々の人間というアバターに自己同一化して、すべてを持たず、すべてではない卑小な存在に成り切っているので、自分だと思うアバターの外には投影することしかできず、投影したものは「実在」せず、幻想の世界の中に幻としてそのアバターではないし彼の持つものでもない何かとして「存在」するだけなので、それが実在すると信じることしかできません。
エゴの法則が生み出す多様な幻想と癒し
この世界では、このエゴの法則によって虚構である分離とそこから派生する死や病い等々の幻想が生み出され続けています。
癒しは、真理の光に照らして、分離や病いが実在しない影であると見極める赦しによって、すべては愛に結ばれて一体であると知覚する奇跡が起こることで、実在しない分離や病いが解消する作用です。
つまり、虚偽を信じることで発現している症状を真理を認識することによって根本から解消することです。

自分独自の「意志」は贈り物ではなく呪いの罠
さて、次の6.では、重要なことが述べられています。
「6. To think you can oppose the Will of God is a real delusion.
自分が神の大いなる意志を妨げることができると考えることこそ、本当の妄想です。
The ego believes that it can, and that it can offer you its own "will" as a gift.
エゴは、あなたが神の大いなる意志に対抗できると信じています。そして、エゴは、エゴ独自の『意志』を贈り物としてあなたに差し出せるとも信じています。
You do not want it.
あなたは、そんなものを欲してはなりません。
It is not a gift.
それは贈り物などと呼べる代物ではないからです。
It is nothing at all.
それはまったくの無なのです。
God has given you a gift that you both have and are.
神がすでに、あなたに贈り物を授けてくれています。その贈り物は、あなたが持っているものであると同時に、あなた自身でもあるものです。
When you do not use it, you forget that you have it.
しかし、あなたがその贈り物を使わずにいると、あなたは自分がその贈り物を持っていることを忘れてしまいます。
By not remembering it, you do not know what you are.
あなたがその贈り物を思い出さずにいることで、あなたは本当の自分が何者なのかわからなくなってしまいます。」
私たちは、エゴが与えてくれる神の意志とは違う独自の意志を得る代償として、神が与えてくれた贈り物、本当の自分である神の子の記憶を失うわけです。
はてしない物語の後半でのバスチアンの歩み
はてしない物語の後半で、主人公バスチアンは、女王幼ごころの君に授かったアウリンの裏に刻まれていた銘「汝の欲することをなせ」に従ってファンタージエン国で、本当の自分とは違う美しい容姿や勇気や強さや有能さを得て、友を得、自信を得、名声を得、知恵を得、権力を得、つぎつぎと望みを達成してゆきますが、望みが叶うつど、自分がいた現実の世界の記憶を失ってゆきます。
エルフェンバイン塔で帝王になり損ねたあと、元帝王たちの都に足を踏み入れたあたりのバスチアンには、もうほとんど本当の現実世界での自分の記憶は残っていませんでした。
アウリンの銘が命ずるのは、望みをなすことを通じて、真の意志を見つけ、その意志をなせということだったということに、バスチアンは、アイゥオーラおばさまのところにたどり着くまで気づきませんでした。
そして、自分の真の意志が本当の自分ではない何者かになることではなく、ただありのままの自分として愛することだということに、生命の泉の水の中に飛び込んでようやく気づきます。
すべての記憶を失う寸前で帰り道を探しはじめ、友の助けを得て現実に帰ることのできた幸運なバスチアンに比べると、私たちは、すべての記憶を使い果たしてもう何も望むこともできず、自分が誰だかわからなくなった、元帝王たちの都の住人たちと同じです。
元帝王たちの都の住人たちは、望みを失い歳も取らず永遠に廃人として狂気の世界をさまよい続けますが、私たちのほうはというと、さらに厄介なことに、輪廻転生を繰り返すことで、夢の中で夢を見、物語世界の中にもう一つの物語世界を作り出すように、すべての記憶を使い果たしたあとも、偽りの望みに駆り立てられて狂気の迷走を続けています。
幻想を手に入れるための代償として得た幻想を消し去ることで真の記憶を取り戻す
本当の自分が神の子だという記憶を使い果たして自分が妄想した空想世界の生き物に成りきって何も覚えていない私たちですが、記憶と引き換えに願望を幻想という形で得てきたのだから、代償として得た幻想を消すことで交換した記憶を呼び戻すことができます。
つまり、本節で述べられるように、私たちは、忘れることによって、思い出すことができます。
この世界への転落は、天国の記憶を忘れて喪失することによって起こりました。
それに対して、この世界からの脱出は、この世界での学習による記憶を忘れることによってなされます。
というのも、実在するのは神の意志だけなのだから、幻想にできるのは実在を覆い隠すことだけで、真に消滅させることはできず、幻想が去れば、どこかから見つけ出さなくても勝手に実在する神の意志がよみがえるという仕組みだからです。

テキスト 第七章
IV. Healing as the Recognition of Truth
四 真理の認識としての癒し
1. Truth can only be recognized and need only be recognized.
真理はただ認識されうるのみであり、ただ認識されることだけを必要とします。
Inspiration is of the Holy Spirit, and certainty is of God according to his laws.
霊感は聖霊から訪れ、確信は神の法に則って神から訪れます。
Both, therefore, come from the same Source, since inspiration comes from the Voice for God and certainty comes from the laws of God.
それゆえ、霊感も確信も両方とも同じ大いなる源に由来します。なぜなら、霊感は神を代弁する大いなる声から来るし、確信は神の法から来るからです。
Healing does not come directly from God, Who knows his creations as perfectly whole.
癒しは、神から直接訪れるわけではありません。神は、自らの創造物が完璧に無傷なままだと知っているからです。
Yet healing is still of God, because it proceeds from his voice and from his laws.
それでも、癒しはなおも神に由来するものです。なぜなら、癒しは、神の声と神の法から生じるからです。
It is their result, in a state of mind that does not know him.
癒しは、神の声と神の法のふたつが、神を知らない心の状態にもたらす結果です。
The state is unknown to him and therefore does not exist, but those who sleep are unaware.
神を知らない心の状態など、神の知るところではないので、存在しません。しかし、眠りこんでいる者たちは、そのことに気づいていません。
Because they are unaware, they do not know.
彼らが自覚していないがゆえに、彼らは知らないのです。
2. The Holy Spirit must work through you to teach you he is in you.
聖霊は、あなたの中に聖霊がいるとあなたに教えるために、あなたを通して働かなければなりません。
This is an intermediary step toward the knowledge that you are in God because you are part of him.
これは、あなたが神の一部分であるがゆえに、あなたは神の中にいる、という知識に向かう中間の段階です。
The miracles the Holy Spirit inspires can have no order of difficulty, because every part of creation is of one order.
聖霊が呼び起こす奇跡には、難しさの序列はありえません。なぜなら、創造はいかなる側面もすべてひとつの階級に属しているからです。
This is God's Will and yours.
創造のすべての部分がひとつの階級に属することは、神の大いなる意志であり、あなたの意志でもあります。
The laws of God establish this, and the Holy Spirit reminds you of it.
神の法が創造のすべての部分がひとつの階級に属することを確立しています。そして、聖霊は、あなたにこのことを思い出させてくれます。
When you heal, you are remembering the laws of God and forgetting the laws of the ego.
あなたが癒すとき、あなたは神の法を思い出し、エゴの法則を忘れているのです。
I said before that forgetting is merely a way of remembering better.
私は以前、忘れるのは、ただよりよく思い出すための方法にほかならないと述べました。
It is therefore not the opposite of remembering when it is properly perceived.
したがって、それを正確に理解するなら、忘れることは思い出すことの反対ではありません。
Perceived improperly, it induces a perception of conflict with something else, as all incorrect perception does.
忘れることを間違って知覚すると、すべての間違った知覚が惹起するのと同じように、忘却も、ほかの何かと矛盾するような知覚を誘発します。
Properly perceived, it can be used as a way out of conflict, as all proper perception can.
しかし、何事も正しく知覚すれば使いみちが見つかるのと同じように、正しく知覚するなら、忘れることも、矛盾から脱出するための方法として活用することができます。

3. The ego does not want to teach everyone all it has learned, because that would defeat its purpose.
エゴが自分の習得したことのすべてを、誰にでも教えたいと望むことはありません。なぜなら、そんなことをすればエゴは自らの目的を挫くことになってしまうからです。
Therefore it does not really learn at all.
したがって、本当は、エゴはまったく何も学んではいないのです。
The Holy Spirit teaches you to use what the ego has made, to teach the opposite of what the ego has "learned".
聖霊はあなたに、エゴが「学習」してきたことの反対を教えるために、エゴが作ったものを使うことを教えてくれます。
The kind of learning is as irrelevant as is the particular ability that was applied to the learning.
学ぶためにどのような能力が用いられたかが重要ではないのと同じように、どんな種類のことを学んできたのかも重要ではありません。
All you need do is make the effort to learn, for the Holy Spirit has a unified goal for the effort.
あなたがなす必要があるのは、ただ学ぶために努力することだけです。なぜなら、聖霊にはそのような努力を捧げるべき統一された目標があるからです。
If different abilities are applied long enough to one goal, the abilities themselves become unified.
もしさまざまに異なる能力をひとつの目標のために十分に長く働かせるなら、それらの能力自体が統一されてゆきます。
This is because they are channelized in one direction, or in one way.
これは、それらの能力がひとつの方向に向けられて、経路としてひとつの道が形作られるからです。
Ultimately, then, they all contribute to one result, and by so doing, their similarity rather than their differences is emphasized.
したがって、究極的には、ひとつの結果をもたらすためにすべての能力が貢献することになります。そして、そうすることによって、それらの能力の相違点よりも類似点が際立ってきます。

4. All abilities should therefore be given over to the Holy Spirit, Who understands how to use them properly.
したがって、すべての能力を聖霊に引き渡すべきです。聖霊は、それらの能力をどうすれば適切に使えるかよく理解しているからです。
He uses them only for healing, because he knows you only as whole.
聖霊は、それらの能力をただ癒すためにだけ使います。なぜなら、聖霊はあなたをただ完全なものとしてのみ知っているからです。
By healing you learn of wholeness, and by learning of wholeness you learn to remember God.
癒しによって、あなたはすべてがひとつであり分裂も欠乏もない状態がどのようなものかを学びます。そして、完全無欠であることを学ぶことによって、あなたは神を思い出すことを学ぶのです。
You have forgotten him, but the Holy Spirit understands that your forgetting must be translated into a way of remembering.
あなたは神を忘れてしまっていますが、聖霊には、あなたの忘れる能力を思い出すための方法へと変換しなければならないことがわかっています。

5. The ego's goal is as unified as the Holy Spirit's, and it is because of this that their goals can never be reconciled in any way or to any extent.
エゴの目標は、聖霊の目標と同じように統一されています。そして、この理由から、エゴと聖霊の目標は、どんな方法によっても、また、どの程度にも、決して調和させることはできません。
The ego always seeks to divide and separate.
エゴはつねに分割して分離させようと努めます。
The Holy Spirit always seeks to unify and heal.
これに対して、聖霊はつねに統一して癒そうと努めます。
As you heal you are healed, because the Holy Spirit sees no order of difficulty in healing.
あなたが癒すとき、あなたは癒されます。なぜなら、聖霊は、癒すに際して難しさの序列などまったく見ることがないからです。
Healing is the way to undo the belief in differences, being the only way of perceiving the Sonship as one.
癒しは、相違があるという信念を取り消す方法です。それが神の子全体をひとつのものとして知覚するための唯一の方法だからです。
This perception is therefore in accord with the laws of God, even in a state of mind that is out of accord with his.
したがって、神の子全体をひとつであると知覚することは、たとえ神の心と調和していない心の状態においてのことであったとしても、神の法とは調和するものなのです。
The strength of right perception is so great that it brings the mind into accord with his, because it serves his Voice, which is in all of you.
正しい知覚の力は本当に強大なので、正しい知覚が心を神の心との調和へと導きます。なぜなら、正しい知覚の力は、あなたたち全員の中にある神の大いなる声に奉仕するからです。
6. To think you can oppose the Will of God is a real delusion.
自分が神の大いなる意志を妨げることができると考えることこそ、本当の妄想です。
The ego believes that it can, and that it can offer you its own "will" as a gift.
エゴは、あなたが神の大いなる意志に対抗できると信じています。そして、エゴは、エゴ独自の「意志」を贈り物としてあなたに差し出せるとも信じています。
You do not want it.
あなたは、そんなものを欲してはなりません。
It is not a gift.
それは贈り物などと呼べる代物ではないからです。
It is nothing at all.
それはまったくの無なのです。
God has given you a gift that you both have and are.
神がすでに、あなたに贈り物を授けてくれています。その贈り物は、あなたが持っているものであると同時に、あなた自身でもあるものです。
When you do not use it, you forget that you have it.
しかし、あなたがその贈り物を使わずにいると、あなたは自分がその贈り物を持っていることを忘れてしまいます。
By not remembering it, you do not know what you are.
あなたがその贈り物を思い出さずにいることで、あなたは本当の自分が何者なのかわからなくなってしまいます。
Healing, then, is a way of approaching knowledge by thinking in accordance with the laws of God, and recognizing their universality.
そういうわけで、癒しは神の法に則って考え、神の法の普遍性を認識することによって知識に接近する方法だといえます。
Without this recognition, you have made the laws meaningless to you.
この神の法の普遍性に気づかずにいるせいで、あなたは神の法を自分にとって無意味なものにしてしまっています。
Yet the laws are not meaningless, since all meaning is contained by them and in them.
しかし、神の法は無意味ではありません。なぜなら、すべての意味は神の法によって、そして神の法の中に含まれているからです。

7. Seek ye first the Kingdom of Heaven, because that is where the laws of God operate truly, and they can operate only truly because they are the laws of truth.
まず天の王国を求めなさい。なぜなら、天の王国こそ神の法が真に作用する場所であり、神の法は真理の法であるがゆえに、神の法は偽りなく作用することしかできないからです。
But seek this only, because you can find nothing else.
ただ天の王国だけを求めなさい。なぜなら、あなたは、ほかには何も見出すことはできないからです。
There is nothing else.
天の王国のほかには何もありません。
God is All in all in a very literal sense.
まさに文字どおりの意味で、神はすべての内にある大いなるすべてだからです。
All being is in him Who is all Being.
すべての実在するものは、大いなる実在全体である神の内にあります。
You are therefore in him since your being is his.
したがって、あなたは神の内にいます。なぜなら、あなたの実在は神の大いなる実在だからです。
Healing is a way of forgetting the sense of danger the ego has induced in you, by not recognizing its existence in your brother.
癒しは、あなたの兄弟の中にエゴの存在を認めないことによって、あなたの中にエゴが引き起こした危機の感覚を忘れる方法です。
This strengthens the Holy Spirit in both of you, because it is a refusal to acknowledge fear.
兄弟の中にエゴの存在を認めないことが、あなたたち双方の中にいる聖霊を強くします。なぜなら、そうすることでエゴが惹起した危機感を忘れ去ることが、恐れを承認するのを拒絶することになるからです。
Love needs only this invitation.
愛は、ただこの招待だけを必要としています。
It comes freely to all the Sonship, being what the Sonship is.
愛は、何の妨げもなく神の子を構成するみんなの許へと訪れます。それは、愛こそが神の子の本質だからです。
By your awakening to it, you are merely forgetting what you are not.
あなたが愛に目覚めることによって、あなたはただ単に、本当の自分ではないものを忘れてゆくだけです。
This enables you to remember what you are.
こうして偽りの自分を忘れることで、あなたは自分が本当は何者なのか思い出させるようになります。

