P3-III 支払いの問題
Do what you love.
あなたの愛することをしなさい。
Do what makes your heart sing.
あなたの心が歌い出すようなことをしなさい。
And NEVER do it for the money,
そして、決してそれをお金を得るためにしてはなりません。
Go to work to spread joy.
喜びを広げるために仕事に行くのです。

Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン

心理療法から「支払いの問題」をご紹介します。
持てる者と持たざる者
「5. It has well been said that to him who hath shall be given.
持てる者にはさらに与えられるであろうというのは至言です。」
「持てるもの・・・」は、有名な「持てる者にはさらに与えられて増々富む。されど、持たざる者は、その持てるものをも取られるべし」(マタイによる福音書25:29)です。
この一文は、しもべに預けられたタラントの話に続く言葉です。
マタイによる福音書(口語訳)
タラントの寓話
このお話には3人のしもべが登場します。
3人のしもべには、それぞれの能力に応じて主人から異なる額が渡され、最初の者には5タラント、2人目には、2タラント、3人目には1タラントが預けられました。
タラントは、タレント:才能の語源ともいわれ、当時のお金で、1タラントが6000デナリ(1デナリが当時の労働者の日給に相当する)とされるので、召使いたちに託されたお金がきわめて大金であったことがわかります。
最初のしもべと2人目のしもべは、商売や投資をして、それぞれ主人から預けられたものを二倍に増やしました。
主人は、2人のしもべを称賛しました。
「25:21
主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
25:22
二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。
25:23
主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。」
3人目のしもべは地中にお金を埋めて保管しました。
「25:24
一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。
25:25
そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。
25:26
すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
25:27
それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。
25:28
さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
25:29
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」
この話に込められた寓意
このお話は、素朴に読んでいくと、主人が自分のことを残酷な主だと愚弄した3人目のしもべに対する怒りに任せて、このしもべを罰した主人のエゴ丸出しの対応のようにも読めます。
しかし、実は、この話は、天から与えられたものを活用して拡張する神の法と、自分勝手な解釈で与えられたものを投影して使わずに仕舞い込んでしまうこの世界の法則について語るものです。
「5. It has well been said that to him who hath shall be given.
持てる者にはさらに与えられるであろうというのは至言です。
Because he has, he can give.
彼は持っているがゆえに、彼は与えることができるからです。
And because he gives, he shall be given.
そして、彼が与えるがゆえに、彼はさらに与えられることになるからです。
This is the law of God, and not of the world.
これは神の法であり、この世界の法則ではありません。」

神の法とエゴの法則
神の法は「自分が拡張するものは、自分にとっての現実となる」というものでした。
光が拡張しても光源から光が去ってしまうことはなく、拡張先の光は光源と同じものであり、光は拡張することで輝き続けることができます。
つまり、自分を与えることが光が自分自身であるために必要であるし、与えれば与えるほど増えることになります。
この神の法は、幻想であるこの世界に反映されると、「自分の投影するものを自分は信じる」というエゴの法則に変容されるということでした(T7-2 神の法)。
光が拡張ではなく投影されると、つまり、光の拡張先に暗雲が立ち込めてスクリーンとなって遮られると、その先に光は届かず闇が生まれ、光がエゴというスライドを通ってスクリーン上に生み出す影が本物に見えるようになります。
本来、光が拡張した先は光なので、自分自身ですが、投影の場合、光は投影先のスクリーンで拡張をせき止められてしまい、スクリーンに映っているのは光の反射と影であって拡張した光ではないので、投影したものが現実になることはありえません。つまり、投影したものが本物だと信じることができるだけです。
1人目と2人目のしもべを等しく褒めた主人
さて、1人目のしもべは、与えられた5タラントを10タラントに増やし、2人目のしもべは2タラントを4タラントに増やしました。
1人目のしもべの貢献のほうが大きいはずですが、1人目と2人目のしもべに対する主人の言葉は同じで、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』というものです。
ここで、主人を光源、しもべを光線に置き換えて考えてみましょう。
1人目と2人目のしもべは、主人から託された光を拡張させました。
本来、主人である光源の本拠地である天国では光源は全方位に放射するものですが、しもべたちのいるこの世界では、しもべたちは、光源から反映される無数の光線の中のほんのわずかな一条の光を携えているだけです。
それでも、1人目と2人目のしもべは、光の本質に照らして与えれば与えるほどより多く与えられるという真理を示し、光線として光を拡張するという本来の役目を果たしました。
そもそも主人は、しもべたち各自の能力に応じて預けるタラントの額を異なるものにしていたのであり、主人は、自分に対して、より大きな投機的利益を返してくれることを見返りとして期待して、しもべたちに求めていたわけではなく、各自の個性に応じた形で光の拡張を達成してくれることだけを求めていたわけです。
だから、1人目と2人目のしもべたちが、「わずかなもの」である自分に与えられた天与の資質について、他者より優れていると驕ったり、劣っていると不満を抱いたりせずに、自分に配られたカードを最大限に活用して神の法に「忠実であった」ことを主人は褒めているのです。
3人目のしもべを咎めた主人
これに対し、3人目のしもべは、タラントを土中に埋めて活用しない、つまり、光を拡張させずに暗雲の中に包み込んで闇を生み出し、本来自らが担う光線としての役目を放棄しており、このしもべは、神の法に不忠で、この世界のエゴの法則に忠実であったわけです。
3人目のしもべは、自分が持っているものは限られたものなので、与えるなら自分は失うことになるという間違った信念を抱いてこの誤解を主人に投影して、主人のことを「まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人」と表現し、自分が主人から分離していて主人から搾取されるだけの存在で、いかに大金を預けられても、かえって紛失や盗難のリスクを背負うし、商売をして失敗でもしようものなら元も子もないので、現状維持でいたほうがましだというさもしい発想をしました。
1人目と2人目は自分と主人の利益を分離して考えなかったのに対して、3人目は自分の利益と主人の利益は別だと考えていたわけです。
この利害についての捉え方、自他分離か自他一体かの発想の相違が本節のテーマの理解にとって重要になります。
心理療法での支払いの問題
さて、本節のテーマは、心理療法での支払いの問題です。
"payment"と "cost"
「支払い」と「損失・代償」の相違が重要です。
お金のために癒そうとして、代償として支払いを要求するなら、癒しを「買う」関係となるので、癒しは成就しません。
けれど、関係性の当事者同士で、一方の必要を他方が満たすことは関係を神聖にするので、これが「支払い」という形でなされるような場合には、お互いに何の代償も損失もないことになります。

3. III. The Question of Payment
支払いの問題
1. No one can pay for therapy, for healing is of God and He asks for nothing.
誰も治療に対して代金を支払うことはできません。というのも、癒しは神に由来するものであり、神は何も求めないからです。
It is, however, part of His plan that everything in this world be used by the Holy Spirit to help in carrying out the plan.
しかしながら、神の計画を成し遂げるのに役立つように、この世界の万物が聖霊によって活用されることは、神の計画の一部として組み込まれています。
Even an advanced therapist has some earthly needs while he is here.
たとえ進歩したセラピストですら、この地上にいるかぎり、ある程度の現世的な必要を持っています。
Should he need money it will be given him, not in payment, but to help him better serve the plan.
もし彼がお金を必要とするなら、彼にはお金が与えられるでしょう。それは報酬として与えられるのではなく、彼がよりよく計画に奉仕するのを支援するためです。
Money is not evil.
お金は悪いものではありません。
It is nothing.
お金は無だからです。
But no one here can live with no illusions, for he must yet strive to have the last illusion be accepted by everyone everywhere.
しかし、この世界にいる者は誰でも、まったく幻想を抱かずに生きることはできません。というのも、彼はなお、あらゆる場所のあらゆる人々が最後の幻想を受け入れられるように全力を尽くさなければならないからです。
He has a mighty part in this one purpose, for which he came.
彼にはこの唯一の目的を果たすうえで重要な役目があり、そのために彼はやってきたのです。
He stays here but for this.
彼が地上に留まるのは、ただこのためだけです。
And while he stays he will be given what he needs to stay.
そして、彼が留まる間は、彼が留まるために必要とするものが彼に与えられるでしょう。
2. Only an unhealed healer would try to heal for money, and he will not succeed to the extent to which he values it.
お金のために癒そうとするのは、癒されていない癒し主だけです。そして、彼がお金に価値を置くならその程度に応じて、彼は癒しに成功しないでしょう。
Nor will he find his healing in the process.
しかも、癒しのプロセスにおいて、彼自身が癒されることもないでしょう。
There will be those of whom the Holy Spirit asks some payment for His purpose.
もっとも、聖霊の目的を果たすために聖霊からある程度の代価の支払いを求められる者たちもいるでしょう。
There will be those from whom He does not ask.
他方で、聖霊から何も求められない者たちもいるでしょう。
It should not be the therapist who makes these decisions.
このことを決めるのはセラピストであるべきではありません。
There is a difference between payment and cost.
お金を支払うことと代償を払って損失を負担することは同じではありません。
To give money where God's plan allots it has no cost.
神の計画がお金を差し出すべきものと定めるところでお金を出すことは、損失にはなりません。
To withhold it from where it rightfully belongs has enormous cost.
逆に、お金を払うのがふさわしい場面でお金を払わずにいると、甚大な損失を被ることになります。
The therapist who would do this loses the name of healer, for he could never understand what healing is.
お金のために癒そうとするセラピストは癒し主と名乗れなくなるでしょう。というのも、彼には癒しが何なのか決して理解できないからです。
He cannot give it, and so he does not have it.
彼は癒しを与えることができないので、彼が癒しを得ることはありません。
3. The therapists of this world are indeed useless to the world's salvation.
この世界のセラピストたちは、世界の救済にとって何の役にも立ちません。
They make demands, and so they cannot give.
彼らは要求するので、彼らには与えることができないからです。
Patients can pay only for the exchange of illusions.
患者は、幻想を幻想に交換するためにしか支払うことができません。
This, indeed, must demand payment, and the cost is great.
実際のところ、これは支払いを要求することなので、損失は大きなものになります。
A "bought" relationship cannot offer the only gift whereby all healing is accomplished.
「買われた」関係には、すべての癒しを成就する手段となる唯一の贈り物を差し延べることができません。
Forgiveness, the Holy Spirit's only dream, must have no cost.
聖霊の唯一の夢である赦しには、いかなる代価もかからないはずです。
For if it does, it merely crucifies God's Son again.
というのも、もし代償を要するなら、それは単に神の子を再び磔刑にするだけだからです。
Can this be how he is forgiven?
神の子を再び磔にすることで、どうして彼が赦されることになりうるでしょうか。
Can this be how the dream of sin will end?
どうしてこれが罪の夢を終わらせる手段になりうるでしょうか。
4. The right to live is something no one need fight for.
生きる権利は、誰もそれを得るために戦う必要などないものです。
It is promised him, and guaranteed by God.
生きる権利は誰にでも約束されているのであり、それも神によって保証されています。
Therefore it is a right the therapist and patient share alike.
したがって、セラピストも患者も等しく生きる権利を共有しています。
If their relationship is to be holy, whatever one needs is given by the other; whatever one lacks the other supplies.
もし彼らの関係を神聖なものにしようとするなら、何であれその関係の一方の必要とするものを他方が与え、何であれ一方が欠くものを他方が供給することです。
Herein is the relationship made holy, for herein both are healed.
こうすることで、その関係は神聖なものとなります。というのも、こうすることで両者は癒されるからです。
The therapist repays the patient in gratitude, as does the patient repay him.
セラピストは感謝することで患者に報い、同じように患者も感謝でセラピストに報います。
There is no cost to either.
お互いに何の損失もありません。
But thanks are due to both, for the release from long imprisonment and doubt.
代償を払う必要はありませんが、途方もない時間に亘る幽閉と疑念から解放してくれたことついて、両者は互いに感謝を捧げ合うに値します。
Who would not be grateful for such a gift?
これほどすばらしい贈り物を与えられながら、誰が感謝せずにいられるでしょうか。
Yet who could possibly imagine that it could be bought?
それにしても、いったい誰が、幽閉と疑念からの解放を買い取ることが可能だなどと想像できるでしょうか。
5. It has well been said that to him who hath shall be given.
持てる者にはさらに与えられるであろうというのは至言です。
Because he has, he can give.
彼は持っているがゆえに、彼は与えることができるからです。
And because he gives, he shall be given.
そして、彼が与えるがゆえに、彼はさらに与えられることになるからです。
This is the law of God, and not of the world.
これは神の法であり、この世界の法則ではありません。
So it is with God's healers.
神の癒し主たちも同様に、この世界に属してはいません。
They give because they have heard His Word and understood it.
彼らは神の大いなる言葉を聞き、それを理解したがゆえに与えるのです。
All that they need will thus be given them.
したがって、彼らが必要とするものはすべて、彼らに与えられるでしょう。
But they will lose this understanding unless they remember that all they have comes only from God.
しかし、自分たちが持つものはただ神のみに由来することを彼らが覚えておかなければ、彼らはこの理解を失ってしまうでしょう。
If they believe they need anything from a brother, they will recognize him as a brother no longer.
もし彼らが自分がある兄弟から何かを得る必要があると信じるなら、彼らはその人のことをもはや兄弟とは認識しなくなるでしょう。
And if they do this, a light goes out even in Heaven.
そして、もし彼らがそう信じたら、たとえ天国にいたとしても、光は消え去ってしまいます。
Where God's Son turns against himself, he can look only upon darkness.
神の子が自分自身に敵対するような場所では、彼はただ闇しか見ることができないからです。
He has himself denied the light, and cannot see.
彼は自分で光を拒んだので、見ることができないのです。
6. One rule should always be observed:
つねに遵守すべきひとつのルールがあります。
No one should be turned away because he cannot pay.
それは、その人が代価を支払えないという理由で、誰のことも拒んではならないというルールです。
No one is sent by accident to anyone.
誰の許にも偶然に送られてくる者はひとりもいません。
Relationships are always purposeful.
どの関係性にも、つねに目的があります。
Whatever their purpose may have been before the Holy Spirit entered them, they are always His potential temple; the resting place of Christ and home of God Himself.
聖霊がその関係に入りこむ前の関係性の目的がどのようなものであったにせよ、どの関係もつねに、キリストの憩う場所であり神自身の家である聖霊の神殿となりうる可能性を秘めています。
Whoever comes has been sent.
訪れる者は誰もみな遣わされたのです。
Perhaps he was sent to give his brother the money he needed.
もしかしたら訪れる者は、兄弟にその人が必要とするお金を与えるために遣わされたのかもしれません。
Both will be blessed thereby.
その場合、訪れる者が兄弟にお金を与えることで、ふたりは祝福されるでしょう。
Perhaps he was sent to teach the therapist how much he needs forgiveness, and how valueless is money in comparison.
もしかしたら訪れる者は、そのセラピストが赦しを必要とする程度がどれほど大きなものか、それに比べてお金はいかに無価値であるかをそのセラピストに教えるために遣わされたのかもしれません。
Again will both be blessed.
その場合、それを教え教わることで、同じように両者は祝福されるでしょう。
Only in terms of cost could one have more.
一方が他方より多くを持つことがありうるとすれば、それは代償という観点から見た場合だけです。
In sharing, everyone must gain a blessing without cost.
共有という観点から見れば、誰もが代償を払うことなく祝福を得ることしかできません。
7. This view of payment may well seem impractical, and in the eyes of the world it would be so.
支払いに関するこのような見方が現実離れしているように思えるのも当然です。この世界の見方で見るかぎり、きっと非現実的に思えるに違いありません。
Yet not one worldly thought is really practical.
しかし、世界の常識は本当は何ひとつ現実的なものではありません。
How much is gained by striving for illusions?
幻想を追い求めたところで、いったいどれほどのものを得られるというのでしょう。
How much is lost by throwing God away?
神を捨て去ることによって、どんなに多くを失うことになるでしょうか。
And is it possible to do so?
それに、神を捨て去るなど可能なことでしょうか。
Surely it is impractical to strive for nothing, and to attempt to do what is impossible.
無を追い求めて不可能なことをなそうと試みることは、間違いなく非現実的なことです。
Then stop a while, long enough to think of this:
そこで、しばらく立ち止まって十分に時間をとって、次のことを考えてみてください。
You have perhaps been seeking for salvation without recognizing where to look.
自分はどこを探せばよいのかわからないまま救済を探していたのかもしれない、と。
Whoever asks your help can show you where.
あなたの助けを求めてやってくる者は誰でも、あなたに救済のありかを示すことができます。
What greater gift than this could you be given?
はたしてこれ以上に偉大な贈り物をあなたはもらうことができるでしょうか。
What greater gift is there that you would give?
あなたが与えたいと思う贈り物で、これ以上に偉大なものがあるでしょうか。
8. Physician, healer, therapist, teacher, heal thyself.
医師よ、癒し主よ、セラピストよ、教師よ、自分自身を癒しなさい。
Many will come to you carrying the gift of healing, if you so elect.
もしあなたがそうすることを選ぶなら、多くの者たちが癒しという贈り物を携えてあなたの許にやってきてくれるでしょう。
The Holy Spirit never refuses an invitation to enter and abide with you.
入ってきて自分の許に留まってほしいという招待を聖霊が拒むことは決してないからです。
He will give you endless opportunities to open the door to your salvation, for such is His function.
聖霊は、あなたの救済のための扉を開くための数えきれない機会をあなたに与えてくれるでしょう。というのも、それこそ聖霊の役割だからです。
He will also tell you exactly what your function is in every circumstance and at all times.
聖霊はまたあなたに、あらゆる状況とあらゆる時間におけるあなたの役割が何なのかを正確に告げてくれるでしょう。
Whoever He sends you will reach you, holding out his hand to his Friend.
聖霊があなたに送ってよこす者たちはみな、自らの大いなる友に向けて自分の手を差し出しながら、あなたの許に訪れるでしょう。
Let the Christ in you bid him welcome, for that same Christ is in him as well.
あなたの中にいるキリストに彼を迎え入れてもらいなさい。というのも、その同じキリストが彼の中にもいるからです。
Deny him entrance, and you have denied the Christ in you.
彼が入ってくるのを拒むなら、あなたは自分の中のキリストを拒んだのです。
Remember the sorrowful story of the world, and the glad tidings of salvation.
世界という悲惨な物語と救済という喜ばしい便りのことを思い出してください。
Remember the plan of God for the restoration of joy and peace.
喜びと平安を回復するための神の計画を思い出してください。
And do not forget how very simple are the ways of God:
そして、神の道を歩むのはどんなに平易なことか忘れないようにしなさい。
You were lost in the darkness of the world until you asked for light.
あなたが光を求めるまでは、あなたは世界という闇の中で道に迷っていました。
And then God sent His Son to give it to you.
そこで、神は光をあなたに与えるためにわが子を送ったのです。
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