S1-4 他者とともに祈る

祈りの歌 0

あらゆる誘惑のなかでいちばん強い誘惑は、要するに本来の自分とはまるで異なったものでありたいと望み、かつ自分の到達できない、また到達してはならないような規範や理想を追うことです。



ヘルマン・ヘッセ



Be — don't try to become
在るのだ。なろうとしてはならない。



Osho
バグワン・シュリ・ラジニーシ



The value of persistent prayer is not that God will hear us, but that we will finally hear God.
根気よく祈るのは、それによって神が私たちの求めを聞き入れてくれるようになるからではなくて、私たちがどうにかしてついに神の声を聞けるようになるのに役立つからだ。

ウィリアム・マッギル_1202124522

William McGill
ウィリアム・マッギル



If there is any one secret of success, it lies in the ability to get the other person’s point of view and see things from that person’s angle as well as from your own.
もし成功の秘訣というものがあるとしたら、それは他人の観点を採用し、自分の立場だけでなく同時に他者の立場からも物事を見ることのできる能力である。

ヘンリー・フォード_1202124809

Henry Ford
ヘンリー・フォード



違う両親のもとに生まれたら‥‥

両親のことを話す人びとがよく口にする非難の言葉ががあります。「違う両親のもとに生まれていたら、今ごろ穏やかにつつがなく暮らしていただろうな」というものです。これは間違いです。違う両親を選ぶこともできたーーこれは本当です。でも、別の両親のもとに生まれても、まったく同じ経験をさせられていたことでしょう。なぜなら、それが本人の魂が求めていた経験だからです。



コリン・C.ティッピング(「人生を癒すゆるしのワーク」112ページ)



私たちがどんなエネルギーを経験するかを決めるのは、人間のレベルにある私たちではありません。肉体をもって生まれてくる前に、私たちの帰属する魂のグループが決めるのです。このグループにいる魂たちは、私たちが人間として生きる間、私たちとともに人間となるか、スピリチュアルなガイドとなります。
どんなエネルギーを経験するかが決まると、私たちは子供時代に必要な経験をさせてくれる両親を慎重に選び、また使命達成に欠くことのできない経験において、他の人々がふさわしいタイミングで現れ、それぞれの役割を演じてくれるよう段どります。そうして、私たちは人間の一生を通じ、使命を構成する感情やエネルギーを経験させてくれるドラマを繰り広げるのです。こうしたドラマは、私たちが幻想や赦し、癒やしを理解し、そうすることで自分の本当の姿を思い出すチャンスとなります。



コリン・C.ティッピング(「人生を癒すゆるしのワーク」122ページ)







他者を敵視した状態での祈りの段階にとどまる間は、祈りが共有されることはありえません。

というのも、敵同士になるには、両者が目的を異にしている必要があるからです。

各自が望むことが異なることが両者が衝突し、敵対することを可能にします。

この段階から次の段階に進むために必要な心構えの変化は、

私たちはひとりきりではなく一緒に進むのだと考えるようになることです。

そうなると、それまでは自分の利益のために祈っていたけれど、これからは自分と望みを共有するのだから、他者を祈りによって助けることができるようになります。

もっとも、他者と一緒に祈ることができたとしても、どうしても具体的な物事を求めてしまいがちになります。

その場合、目標を共有しているという錯覚を得ることはできます。

けれど、そのとき共有しているのは、原因のない結果であり、真に祈りを共有しているとはいえず、求めたものを得ることはできません。

したがって、一緒に祈る場合には、何をさておき、大いなる原因である神の意志を分かち合うようにしなければなりません。

というのも、すべての具体的な必要性に駆られての未熟な祈りの根本には、愛を求める呼び声があり、それが欠乏や必要というさまざまな形をとって姿を現しているだけだからです。

具体的な必要という形は、過去の成功体験や他者の成功事例という、自分の過去の知見に照らして自分を幸福にしてくれるはずだと信じて期待している偶像であり幻想です。

過去の自分や他者にとってはまさに大いなる愛を差し延べて神の意志とひとつになる真の祈りの成就であったその成功例での過去の自分や他者のニーズは、今の自分にとってふさわしい形であるとは限りません。

むしろ違うことのほうが多いでしょう。これが過去の成功パターンを繰り返して失敗してしまうケースや成功者の猿真似をしてもうまくいかないことのほうが多いゆえんです。

世上通用しているいわゆる「成功法則」は、成功者の成功事例に共通する要素を抽出した「成功の秘訣」を実践すればうまくいくという素朴な発想を基盤にしています。

もちろん、小手先のスキルに関しては先人の知恵の結晶を活用することなく無視して一から我流で編み出して同じ状態に達しようとするのは馬鹿げています。

しかし、こと自分の人生の本質にかかわる使命とも呼ぶべき事柄に関しては、目標設定はもちろん手段に関しても、(過去の自分も含めての)他者の影響に縛られずに、内なる声に忠実になる姿勢が求められるでしょう。




Here is the secret of Jesus’ life and work for God:
イエスがその生涯と働きを神に捧げることができた秘密がここにある。

He prayerfully waited for His Father’s instructions and for the strength to follow them.
それは、イエスが祈りを通して父なる神からの指示を受け取るのを待ち、神の指示に従う力が与えられるのを待って、神の意志をなしていたということだ。

Jesus had no divinely-drawn blueprint;
イエスは、あらかじめ神が記した行動計画表など何も持ってはいなかった。

He discerned the Father’s will day by day in a life of prayer.
イエスは祈りを生きることで、日々、父なる神の意志を見極めていたのだ。

Charles E. Hummel
チャールズ・E・ハンメル



真の祈りに必要なのは、このような過去の幻想の鎖から自由になること、つまり、自分でひとり決めしている現在の自分の欠乏状態を満たしたり、理想の自分になるために必要な具体的な物事に縛られることなく、具体的な物事は聖霊に捧げて忘れ、自分の具体的な求めと究極の本質である神の愛への憧れとの間を結ぶラインを思い描き、そこにある自分の魂のニーズとはどんなものなのだろうと考えてみることです。

そうすれば、かつての具体的な物事に縛られていた自分からすれば、「え、こんなにも素晴らしいものをこんなにもたくさん!?」と言いたくなるような思いがけない形で祈りへの答えが与えられることになります。

たとえば、多感な年頃の若者が自分の容姿が気に入らず、美容整形で自分の容姿を憧れの芸能人の誰それさんのようにしたいという願望を抱き、親に相談し、親も愛するわが子の悩みが解消されるならと協力関係にあるような場合を考えてみましょう。

彼ら親子は、腕のいい美容整形外科医師を見つけて失敗することなく思い通り手術に成功して、美しい容姿で自信満々で新たな人生を送れるようにと祈ります。

この祈りが具体的な物事に縛られた制限された祈りであったなら、仮に手術が成功したとして、当初は幸せに感じても、そのうち、外貌に対するコンプレックスが形を変えて吹き出してきて、今度は、別の部位の美容整形をしたいという欲求に囚われて、美容整形を繰り返す人生となって親も子供に泣きつかれて財産を使い果たし、困窮した余生が待っているかもしれません。

あるいは、手術が失敗して子供はより強い形で自分の容姿コンプレックスと向き合う機会に直面し、残りの人生を自宅に引きこもって過ごし、こんな容姿になったのは、相談したときに思いとどまらせるどころか応援した親のせいだと親を非難して、親子でいがみ合う人生が待っているかもしれません。

いずれも(前者は具体的な物事という形のニーズ自体の面では祈り通りの成功のように見えはしますが)この親子を幸せにはしていません。

この世界での人生があの世で魂が決めた筋書きを上演するためにあるとしたらどうでしょう。

すなわち、ゲーム世界に参入する前にプレイヤーが自分の操作するアバターの性別や容姿や能力等のさまざまなパラメーターを自分で選択してからゲームを始めるように、魂がこの世界に人間として参入するに際しても、自分の人生の青写真を決め、一緒にゲームをプレイする仲間たちとの約束を決めるだけでなく、それらの筋書きを効果的に実演できるように、自分がなりきる人間の性別や容姿や能力や性格等をすべて自分で決定してから人生を始めるのだとすれば、容姿コンプレックスの裏側には、必ず、何らかの魂の求める訴えが潜んでいるということになるはずです。

前世で美しい容姿を誇って生き、容姿に自信のない友人に醜いと心ない言葉をかけて貶して自殺に追い込んでしまったことを悔いた魂が自他一体の真理に到達する上で自分の外観に囚われて物事の価値を判断してしまう自らの魂の特性を矯正することを課題として組み込んでその人生を設計していたとしたら、美容整形を受ける願望は、この課題を学ぶ機会を自ら放棄する祈りとなります。

その場合、上に述べたような成り行きで、いずれにせよ、人生を通じて、より逃れようのない形でこの課題に直面することになりがちです。

この親子がなすべき祈りは、子供の容姿コンプレックスが美容整形で無事解消しますように、という具体的な物事の形ではなく、私たち親子はこの具体的な願望を通して神の愛に到達するために何を達成しようとしているのだろうと考え、ひとまず具体的な願望は聖霊に渡して、聖霊にこの問題についての神の意志を教えてほしいと求めることです。

聖霊の答えが、当初の願望の通り美容整形に成功することであることもあるでしょう。ただし、上記のような課題を抱える魂の場合には、これが真の祈りの成果となることは少ないかもしれません。

この課題の場合であれば、親子で協力して悩みに取り組み、子供が個性として自分の容姿を受け入れることができるようになり、今の容姿が好きだという異性からのアプローチを受けて交際しているうちに、容姿コンプレックスが消え去ってしまったというような成果が待っているかもしれません。


親ガチャ」という言葉があります。親ガチャとは、子どもがどんな親のもとに生まれるのかは運任せであり、家庭環境によって人生を左右されることをカプセルトイの「ガチャポン」やスマホゲームの「ガチャ」に準えた言葉のようです。

この世界での人生があの世で魂が決めた筋書きを上演するためにあるとしたら、親ガチャはありえないどころか、この発想は人生に真正面から向き合うことを困難にする悪魔の誘惑となります。きれいごとでも何でもなく、どんなに気に入らない家族でも、それが人と比べたら到底受け入れがたいとしても、不平不満を抱くのではなく感謝して受け入れるのがありうる唯一の正しいリアクションです。マクトゥーブ。


また、この世界での人生があの世で魂が決めた筋書きを上演するためにあるとしたら、自分の心の奥底から欲することについて、世間一般でのその目標の達成確率を考慮し、一般的にきわめて成功確率が低いからやめておこうというスタンスは誤りとなります。

俳優になるのを夢見て自分こそ打ってつけと信じる役のオーディションを受けようと考えている人が、競争率の高さにひるんでそもそも申し込み自体を諦めるなら、自分にとっての一本道を捨てて滅びに通じる広い門をくぐることになります。

マタイによる福音書7章13-14節は、「狭き門より入れ。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」と言います。

これは、救済がいかに困難なことか述べているものと解釈されることが多い聖句です。

たしかに、自分の魂の声を聴かずに世界の導きに従うなら救済から遠のくばかりだということを示しているのは事実ですが、狭い門に見せかける誘惑に負けてノイズに惑わされることなく進むなら、魂が指し示す入り口も、そこから続く道も、迷いようのない一本道である、つまり、傍から見るといばらの道にしか見えないけれど、当人にとっては、かえって歩むのが容易な道であるということを語っています。



はてしない物語の主人公バスチアンは、ファンタージエン国の救い主として、かつてのでぶでエックス脚で容姿にも運動にも勉強にも自信のない自分から、美しい王子様のような姿と万能の能力を得て以来、現実世界の本当の自分の記憶と引き換えに、エゴの権化のように、勇気や強さ、名声、権力を追い求め、ついには廃人になる寸前のところまで行き着きます。

物語の終盤、物語世界の友アトレーユの助けで生命の水を飲んで現実に帰る場面でのバスチアンの思いを語る一節を引用します。


―――
 だが、バスチアンは、ためらわずに水にとびこんだ。そして、水晶のように澄んだ水の中で、転げまわりはねまわり、水を吹きとばしはねかえして、きらきらととび散る水滴を口に受けて飲んだ。飲んで飲んで、渇きがすっかりおさまったとき、体中に悦びがみちあふれていた。生きる悦び、自分自身であることの悦び。自分がだれか、自分の世界がどこなのか、バスチアンには、今ふたたびわかった。新たな誕生だった。今は、あるがままの自分でありたいと思った。そう思えるのは、何よりすばらしいことだった。あらゆるあり方から一つを選ぶことができたとしても、バスチアンは、もうほかのものになりたいとは思わなかっただろう。今こそ、バスチアンにはわかった。世の中には悦びの形は何千何万とあるけれども、それはみな、結局のところたった一つ、愛することができるという悦びなのだと。愛することと悦び、この二つは一つ、同じものなのだ。
あとになって、バスチアンがまた自分の世界にもどってからずっと時がたち、やがて年老いてからも、この悦びはもう消え去ってしまうことはなかった。生涯のうちの最も困難な時期にさえ、かれにはこの心の悦びがあり、それがかれをほほえませ、まわりの人びとを慰めた。

―――
はてしない物語  ミヒャエル・エンデ作 上田 真而子 佐藤 真理子 訳 岩波書店



自分以外の何者かになるのではなく、とことんあるがままの自分になり、ありのままの自分として自分と自分の大切な人々を愛すること、これが曇りなく光を放つ世界の光としての役目を果たすことであり、神の子の救済のために私たちにできる唯一の貢献です。



立身出世して世間から評価されるようなひとかどの人物になろうとか、自分を見下したあいつを見返してやるとかいう動機は、目的に突き進む原動力としては活用できますが、それが人生の目的にまで据えられてしまうと地獄を生きることになります。

この世界の他者、兄弟たちからの評価や称賛を得ようと発奮するのは素朴な感覚ではありますが、お門違いというのがおそらく真実です。

この世界の兄弟たちは、世界という舞台に上がって一緒に劇を演じている共演者たちであり、各自の役目は自分の役目を演じ切ることでともに劇を素晴らしいものにする貢献をすることあって、他の演者から評価されようとおもねることではありません。

舞台に立つ役者が意識すべきなのは、客席の観客のはずです。

自分の役目を放棄して、客席の観客たちを置いてけぼりにして、舞台上のほかの登場人物たちにウケることばかり願っている役者にはブーイングがくることでしょう。

私たち人間がこの世界を生きることが、あの世に待機する無数の魂たちにとって自分も立ちたいと願う舞台に上がって演じることであるとすれば、私たちは魂たちにとって憧れの俳優のようなものだということもできます。

この観点から言えば、私たちの人生は、あの世で待機する無数の魂たちに試聴されているライブ配信のようなものだと考えることができます(レッスン255「今日、私は完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ」)。

そのように考えると、私たちは、自分の演じる劇からの学びを無数の魂たちと分かち合うかけがえのない機会を得ているのであり、私たちの役目は、彼らが自分が参入して演じることができなかった人生劇場を演じることを通じて、多くの魂の成長やカルマの解消に貢献できるような体験を提供することにあるということになります。

この観点を持つと、平凡なものにしか思えなかった自分の人生がひとつの人生劇場として無数の視聴者たちに見られていて、自分はその劇の主役であるという自覚を持つことになります。

これまでの人生を振り返ってみて、自分の人生というコンテンツは、視聴者たちが見て学びを得られたり、感情を揺さぶられたり、少なくとも面白味を感じてもらえるような劇であったか思い返してみましょう。

起こってくる不幸な出来事にしか思えないことを全部他人や環境のせいにして不平不満を募らせたり、他人に当たり散らすばかりの見ているのがうんざりするだけで、視聴者が離れていって過疎化しているのではないかと思うような自分でも見たくない駄作だと思うなら、発想転換のチャンスです。

そのまま不平不満まみれで劇が続き、そのまま終わるとしたら、それこそだれも見向きもしないクソコンテンツ(笑)で終わってしまいますが、後半での巻き返しがあるなら、前半のクソ具合がひどければひどいほど、劇に味わいを与える前振りとして生きてくることになります。

共演者たちにウケることではなく、あの世の観客たちにウケることを目指してみましょう。

ライブ配信サービスで、視聴者が興味をもってチャンネル登録してくれて応援ボタンやコメントをくれたり、改善意見をくれたりするように、私たちの人生劇場を視聴しているあの世の魂たちも、私たちの人生を視聴して、「この人の生き方、面白い!登録して応援しよう!」と、応援団になってくれたら、孤独ではないし、いろんなアイデアや元気が湧いてきて、ものすごいパワーが得られるとは思わないでしょうか。

もしかしたら、あの世ですご影響力を持っているインフルエンサーが応援団についてくれるかもしれませんよ(笑)。




1.- IV. Praying With Others
 他者とともに祈る



1. Until the second level at least begins, one cannot share in prayer.
 少なくとも第二段階が始まるまでは、誰も祈りを分かち合うことはできません。

 For until that point, each one must ask for different things.
 というのは、この地点までは、誰もがそれぞれに異なる物事を求めてしまうはずだからです。

 But once the need to hold the other as an enemy has been questioned, and the reason for doing so has been recognized if only for an instant, it becomes possible to join in prayer.
 しかし、ひとたび他者を敵のままにしておく必要に疑問を呈したなら、そして、もしたった一瞬でも、そのように疑問を抱く理由を認識したなら、祈りにおいてひとつに結ばれることが可能となります。

 Enemies do not share a goal.
 敵同士は目標を共有していません。

 It is in this their enmity is kept.
 両者が目標を共有しないことによって、敵同士の敵意は保たれるわけだからです。

 Their separate wishes are their arsenals; their fortresses in hate.
 彼らが抱く分離した別々の願望が彼らの兵器庫であり、彼らの憎しみの要塞なのです。

 The key to rising further still in prayer lies in this simple thought; this change of mind:
 ここからさらに上に祈りが昇り続けるための鍵となるのは、次の単純な思考であり、それは心構えの変化です。


We go together, you and I.
それは、私たちは、あなたと私で一緒に進むのだということです。



2. Now it is possible to help in prayer, and so reach up yourself.
 いまや、祈りにおいて助け合って、あなた自身を上に昇らせることができるようになります。

 This step begins the quicker ascent, but there are still many lessons to learn.
 この段階からは、昇るスピードが速まり始めますが、なおも、学ぶべき多くの課題があります。

 The way is open, and hope is justified.
 道は開けており、希望の光を見出すことができます。

 Yet it is likely at first that what is asked for even by those who join in prayer is not the goal that prayer should truly seek.
 それでも、初めのうちは、たとえ祈りにおいて結ばれた者たちですら、祈りが真に求めるべき目標ではないものを求めがちです。

 Even together you may ask for things, and thus set up but an illusion of a goal you share.
 たとえ一緒に祈るにしても、あなたたちは物事を求めてしまい、そうすることで、単に自分たちが目標を共有しているという錯覚を作り出すだけかもしれません。

 You may ask together for specifics, and not realize that you are asking for effects without the cause.
 あなたたちは、一緒に具体的なものを求めていて、自分たちが原因のない結果を求めているのだと気づかないこともあります。

 And this you cannot have.
 そして、あなたたちは、このようにして求めたものを得ることはできません。

 For no one can receive effects alone, asking a cause from which they do not come to offer them to him.
 というのは、結果を生み出すことのない原因に対して、結果を自分に与えるよう求めながら、結果だけを受け取ることは誰にもできないからです。


3. Even the joining, then, is not enough, if those who pray together do not ask, before all else, what is the Will of God.
 したがって、もし一緒に祈る者たちが、何はさておき、神の大いなる意志とは何なのか尋ねるのでなければ、たとえ一緒に祈ったとしても、それだけでは足りません。

 From this Cause only can the answer come in which are all specifics satisfied; all separate wishes unified in one.
 すべての分離した願望をひとつに結びつけ、すべての具体的な事柄を満たす答えが訪れることができるのは、この神の意志という大いなる原因だけだからです。

 Prayer for specifics always asks to have the past repeated in some way.
 具体的な物事を求める祈りは、つねに過去を何らかの形で繰り返すことを求めています。

 What was enjoyed before, or seemed to be; what was another's and he seemed to love,–all these are but illusions from the past.
 以前に楽しんだこと、楽しそうに思えたこと、他者が持っていて、彼が気に入っているように見えたもの、これらはすべて過去からの幻想でしかありません。

 The aim of prayer is to release the present from its chains of past illusions; to let it be a freely chosen remedy from every choice that stood for a mistake.
 祈りが狙いを定めるのは、過去の幻想の鎖から現在を解放することです。それは祈りによって、ひとつの間違いがどんな形の選択肢として姿を現わそうとも、それに惑わされずに間違いを矯正する選択ができるようにすることです。

 What prayer can offer now so far exceeds all that you asked before that it is pitiful to be content with less.
 祈りが今与えることができるものは、本当にあなたが以前に求めていたどんなものも遠く及ばないものなので、それに満たないもので満足するなど話になりません。



4. You have chosen a newborn chance each time you pray.
 あなたが祈るときはいつも、あなたは新たな機会を選択してきたのです。

 And would you stifle and imprison it in ancient prisons, when the chance has come to free yourself from all of them at once?
 そうだとすれば、古来の牢獄のすべてからただちに自分自身を解放する機会が訪れたというのに、あなたはせっかくの好機を抑えつけて、その機会を牢獄に幽閉しようというのでしょうか。

 Do not restrict your asking.
 自分が求めることに制限を課さないでください。

 Prayer can bring the peace of God.
 祈りは、神の平安をもたらすことができます。

 What time-bound thing can give you more than this, in just the little space that lasts until it crumbles into dust?
 いずれ必ず崩壊して塵に帰すほんの小さな空間の中にあって、時間に束縛された物事が、神の平安に優るどんなものをあなたに与えられるというのでしょうか。


次

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