S1-5 はしごの終わり

祈りの歌 0




はたらく細胞の世界観で見ると、身体の内部世界のひとつの細胞が自分独自の利益追求を考えず、私心のない状態にあることが身体全体が健康で自然な状態であることがよくわかります。

これに対して、身体全体の一部の個である器官や細胞が「私」という自意識を抱く状態は、癌細胞に類する不健康な状態です。

神の子についても、全体の一部が自分が残りから分離した「私」という自意識を持つ状態は、エゴという狂気に憑りつかれた不健康状態だということができます。

「2. Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator.
 意識という知覚のレベルは分離以後に心の中に取りこまれた最初の分裂でした。この意識が、心を創造するものではなく、知覚するものに変えてしまったのです。

 Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.
 意識は、正確にはエゴの領域として位置づけられるものです。

 The ego is a wrong-minded attempt to perceive yourself as you wish to be, rather than as you are.
 そのエゴとは、あなた自身をありのままに知覚せずに、あなたがそうありたいと願う姿として知覚しようとする心の間違った試みのことです。」(T3-4 誤りとエゴ


つまり、私たちが個別に人間という身体を持つ存在が「私」だと信じている状態は狂気の沙汰だということです。

本節では、この狂気を罪の傲慢さと呼び、正気の状態を謙虚さと呼びます。

大いなる自己に正しくアイデンティティーを据えると、自分がすべてを持ち、自分がすべてでもあることになるので、「」という概念は無用となり、侮り見下すべき他者はいなくなるので、傲慢であることは不可能となり謙虚でいることしかできなくなります。

すなわち、すべてが自分であるなら、自分(=すべて)の一部をとみなすことは無用どころか狂気の沙汰だし、自分のエゴ・身体は真の自己がたまたま一体化して操縦しているアバターでしかないので、つまり、世界を覗くためにたくさんあるカメラの中でたまたま意識の焦点を合わせるために使われることになったカメラが自分という人間だったということでしかないので、自分のアバターを介して接する世界のすべてが神聖な自分自身であり、自分以外の人間は別バージョンの自分だということがわかるので、謙虚にならざるをえません。

未来の病気治療でナノサイズのカプセル内視鏡で自分の身体内を探索しているときに、内視鏡が自分だと感情移入して勘違いして、自分を攻撃してくるように思えたり、自分の気に入らないリアクションをしてくる体内の細胞や器官を攻撃し始めたとしたら、それは狂気の沙汰というほかないでしょう。

本来、神の子が正気であるなら、私たち個々の人間は、この内視鏡と同じような位置づけをされるべき存在のはずです。

この観点からすれば、もはやたまたま自分として操縦しているにすぎないアバターだけの利益を求める祈りなど、自分の身体の中の右足だけに異常に愛着を持って、右足に過剰に血流を増やして他の臓器に栄養を送るのを阻害して結果的に身体全体の健康を損なうことと同じくらいの狂気の沙汰であり、幻を求めるものでしかないと実感するので、自分が真に兄弟と共有しているもののためにしか祈ることができなくなります。

こうして、自らのうちにキリストがいることに気づいたら、祈りは、自分だと思うキャラに欠けていてそのキャラの持ち合わせていない何かを求めることではなく、今は意識の及ぶ範囲が自分だと思うキャラの知覚に制限されてはいるものの、本当の自分は、すべてを与えられ、すべてであることへの感謝を捧げ、本当の自分である全体に奉仕するために自分を捧げる、祈り本来の姿に戻ることになります。





1.- V. The Ladder Ends
 はしごの終わり



1. Prayer is a way to true humility.
 祈りは、真に謙虚になるための道です。

 And here again it rises slowly up, and grows in strength and love and holiness.
 ここから再び、祈りはゆっくりと上昇し、力と愛と神聖さを増してゆきます。

 Let it but leave the ground where it begins to rise to God, and true humility will come at last to grace the mind that thought it was alone and stood against the world.
 祈りが神に向けて昇り始めた地上から、ただ祈りを離れさせてください。そうすれば、自分がひとりきりで世界と対峙していると思っていた心に神の恵みをもたらすために真の謙虚さがついに訪れてくれるでしょう。

 Humility brings peace because it does not claim that you must rule the universe, nor judge all things as you would have them be.
 謙虚さがもたらすのは平安です。なぜなら、謙虚さはあなたが宇宙を支配しなければならないと主張することも、あなたがこうあるべきと思う通りに万物を裁くこともないからです。

 All little gods it gladly lays aside, not in resentment, but in honesty and recognition that they do not serve.
 その心は、ただ率直に見てすべての卑小な神々は何の役にも立たないことに気づくことによって、何の怒りも意も抱くことなく、喜んで、卑小な神々を脇に退けます。



2. Illusions and humility have goals so far apart they cannot coexist, nor share a dwelling place where they can meet.
 幻想と謙虚さは、あまりにかけ離れた目標を持つので、両者は共存できないし、両者が合流できるような居場所を共有することもできません。

 Where one has come the other disappears.
 一方が訪れた場所から他方は消え去るからです。

 The truly humble have no goal but God because they need no idols, and defense no longer serves a purpose.
 真に謙虚な者には、神以外の目標はありません。なぜなら、彼らはいかなる偶像も必要としないし、防衛はもはや目的の役に立たないからです。

 Enemies are useless now, because humility does not oppose.
 はいまや無用となります。なぜなら、謙虚な者は何かに反対することがないからです。

 It does not hide in shame because it is content with what it is, knowing creation is the Will of God.
 謙虚な者は恥じて身を隠すようなことはしません。なぜなら、謙虚な者は、創造は神の大いなる意志だと知っているので、ありのままの自分でいることに満足しているからです。

 Its selflessness is Self, and this it sees in every meeting, where it gladly joins with every Son of God, whose purity it recognizes that it shares with him.
 謙虚な者は、大いなる自己が自分だと自覚して無我の境地にあるので、謙虚な者は、どんな出会いにおいても大いなる自己を見ます。すべての出会いにおいて、謙虚な者は、神の子のどの側面とも喜んでひとつに結ばれます。謙虚な者は、どんな兄弟と出会おうとも、彼が持つ神の子の清らかさに気づくので、兄弟と神の子の清らかさを共有するからです。



3. Now prayer is lifted from the world of things, of bodies, and of gods of every kind, and you can rest in holiness at last.
 いまや祈りは物事や身体やあらゆる種類の神々からなる世界から上昇し、あなたはついに神聖さの中に安らぐことができます。

 Humility has come to teach you how to understand your glory as God's Son, and recognize the arrogance of sin.
 謙虚さは、あなたに神の子としての自らの栄光をどのように理解して、罪の傲慢さに気づけばよいか教えるために訪れたのです。

 A dream has veiled the face of Christ from you.
 これまでは夢がキリストの顔にヴェールをかけてあなたから見えないようにしていました。

 Now can you look upon His sinlessness.
 今では、あなたはキリストの罪のなさを眺めることができます。

 High has the ladder risen.
 すでにこの高みにまではしごを昇りきったのです。

 You have come almost to Heaven.
 あなたはもうほとんど天国に手の届くところまで来ています。

 There is little more to learn before the journey is complete.
 旅路を完結する前に、これ以上学ぶことはほとんどありません。

 Now can you say to everyone who comes to join in prayer with you:
 もうあなたは、あなたとともに祈りに加わろうと訪れる者たちみんなに、次のように言うことができます。


I cannot go without you, for you are a part of me.
あなたがいなければ、私は進むことはできない。というのも、あなたは私の欠かせない一部だからだ。


 And so he is in truth.
 そして、その通り、兄弟は本当にあなたの一部なのです。

 Now can you pray only for what you truly share with him.
 もうあなたは自分が真に兄弟と共有しているもののためにしか祈ることができません。

 For you have understood he never left, and you, who seemed alone, are one with him.
 なぜなら、あなたは兄弟が一度も去っておらず、自分は孤立していると思っていたけれど、自分と兄弟はひとつなのだと理解したからです。



4. The ladder ends with this, for learning is no longer needed.
 ここで、はしごは終わります。というのも、もうこれ以上、学びは必要ないからです。

 Now you stand before the gate of Heaven, and your brother stands beside you there.
 今、あなたは天国の門の前に立っています。そして、あなたの兄弟はそこであなたの隣に立っています。

 The lawns are deep and still, for here the place appointed for the time when you should come has waited long for you.
 天国の芝生は深くて静かです。というのも、ここは、あなたが訪れる時のために定められた場所であり、この場所はあなたの到来を長く待ちわびていたからです。

 Here will time end forever.
 ここで時間は永遠に終わります。

 At this gate eternity itself will join with you.
 この門において、永遠そのものがあなたとひとつに結びつくでしょう。

 Prayer has become what it was meant to be, for you have recognized the Christ in you.
 祈りは、本来意図された通りのものとなりました。というのも、あなたが自分の内なるキリストに気づいたからです。


次


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 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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