M22 癒しと贖罪は別のもの?

2013年07月04日
マニュアル21~30 0

Praying is to heal the soul.
祈ることは魂を癒すことだ。

Surrendering your pain to God is your greatest salvation.
あなたの苦痛を神に引き渡すことは、あなたの最も偉大な救いとなる。



Anonymous
作者不詳





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癒しと贖罪の関係についての一節です。


癒しと贖罪は別もの?

言葉のイメージとしては、癒しと贖罪は違うもののように感じますが、結論としては、癒しと贖罪は同じものだということです。

赦すことが癒すことになると。

そして、癒しは、誰が癒しを必要としているのか、それを神の教師が気づく結果として起こるということです。

その誰かというのは、目の前の病人として見えているその人ではなく、教師自身でもなく、自分たちの本当の姿、大いなる自己としての神の子です。

エゴ・身体と同一化しているアイデンティティーの誤りを修正する普遍的な気づきによって癒されるということです。




7.「It is not up to God's teachers to set limits upon Him, because it is not up to them to judge His Son.
 神の教師が勝手に神に制限を課しうるはずがありません。なぜなら、神の子を裁くことは神の教師たちに任されてはいないからです。

 And to judge His Son is to limit his Father.
 そして、神の子を裁くなら、それは、子の大いなる父を制限することになります。

 Both are equally meaningless.
 いずれも、同じように無意味なことです。

 Yet this will not be understood until God's teacher recognizes that they are the same mistake.
 しかし、神の教師が神の子を裁くことも神を制限することも同じ間違いだと気づかないかぎりは、これが無意味であることは理解できないでしょう。」

私たちは、神を制約するなど傲慢で自分には畏れ多いと謙遜して、自分が神に制限を課しうるなどとは考えません。



しかし、他者や自分は神とは切り離された劣った存在だという意識があるので、自分や他者は裁き放題、幽閉し放題にしています。


神の子に人の子の皮を被せて裁くことは実は傲慢なこと

これは、自分や他者の本質が神の子であることを忘れ、神に等しい神の子を裁くことで神を制限することであり、謙虚でいるつもりが、実は傲慢になってしまっていることを示しています。

「Yet this will not be understood until God's teacher recognizes that they are the same mistake.
 しかし、神の教師が神の子を裁くことも神を制限することも同じ間違いだと気づかないかぎりは、これが無意味であることは理解できないでしょう。」

この一文を理解するなら、味方だけでなく敵の登場人物も含めて、他者として自分の人生に登場してくれている兄弟たちがどれほど尊い存在か、どれほど大切にして愛すべき存在か気づき、価値判断して裁こうとなど思えなくなるはずです。






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Section 22
第22節

How Are Healing and Atonement Related?
癒しと贖罪はどのように関連しているのだろうか。



1. Healing and Atonement are not related; they are identical.
 癒しと贖罪は、関連しているわけではありません。両者はまったく同一のものなのです。

 There is no order of difficulty in miracles because there are no degrees of Atonement.
 奇跡に難しさの序列がないわけは、贖罪には程度というものが一切ないからです。

 It is the one complete concept possible in this world, because it is the source of a wholly unified perception.
 贖罪こそ、この世界で観念しうる唯一の完全な概念です。なぜなら、贖罪は完全に統合された知覚の源だからです。

 Partial Atonement is a meaningless idea, just as special areas of hell in Heaven are inconceivable.
 部分的な贖罪というものを考えることは意味をなしません。それはちょうど、天国の中に地獄という特別な区域があると思い浮かべることなどできないのと同じことです。

 Accept Atonement and you are healed.
 贖罪を受け入れるなら、あなたは癒されます。

 Atonement is the Word of God.
 贖罪こそ、神の大いなる言葉です。

  Accept His Word and what remains to make sickness possible?
 神の大いなる言葉を受け入れたなら、病気を可能にする何があとに残るというのでしょうか。

 Accept His Word and every miracle has been accomplished.
 神の大いなる言葉を受け入れたなら、すべての奇跡は成就します。

 To forgive is to heal.
 赦すことは、癒すことだからです。

 The teacher of God has taken accepting the Atonement for himself as his only function.
 神の教師は、自分の唯一の役割として、自分のための贖罪を受け入れることを引き受けたのです。

 What is there, then, he cannot heal?
 そうだとすれば、彼に癒せないものなどあるでしょうか。

 What miracle can be withheld from him?
 どのような奇跡が、彼に与えられずにおかれうるでしょうか。



2. The progress of the teacher of God may be slow or rapid, depending on whether he recognizes the Atonement's inclusiveness, or for a time excludes some problem areas from it.
 神の教師の進歩は、彼が贖罪とは包括的なものだと認めるか、それとも、贖罪の包括性から、しばらくの間いくらかの問題だけは除外しておこうとするかによって、緩慢なものにもなれば、急速なものにもなります。

 In some cases, there is a sudden and complete awareness of the perfect applicability of the lesson of the Atonement to all situations, but this is comparatively rare.
 贖罪のレッスンがどんな状況にも例外なく適用できることに突如として完全に気づくような場合もないとは言えませんが、このようなことはかなり稀です。

 The teacher of God may have accepted the function God has given him long before he has learned all that his acceptance holds out to him.
 たとえ神の教師が神から自分が授かった役目を引き受けたとしても、彼が役目を受容することで彼に提示される課題のすべてを彼が学び終えるまでには長い時間がかかるかもしれません。

 It is only the end that is certain.
 確実なのは、目的地だけです。

 Anywhere along the way, the necessary realization of inclusiveness may reach him.
 道を進む途中のどこかで、贖罪が包括的なものであることについての必然的な気づきが彼の許に訪れるでしょう。

 If the way seems long, let him be content.
 もし道のりが長く思えるとしても、彼はそれで満足すればよいのです。

 He has decided on the direction he wants to take.
 彼はすでに、自分の進みたい方向に進む決断を済ませているのですから。

 What more was asked of him?
 それ以上の何が彼に求められていたというのでしょうか。

 And having done what was required, would God withhold the rest?
 そして、彼が求められたことを果たしたにもかかわらず、神が残りのことを与えずにおくということがありうるでしょうか。



3. That forgiveness is healing needs to be understood, if the teacher of God is to make progress.
 もし神の教師が歩みを進めたいなら、彼は赦すことが癒しになると理解しなければなりません。

 The idea that a body can be sick is a central concept in the ego's thought system.
 身体が病気になりうるという考えは、エゴの思考システムの中でも中核的な概念です。

 This thought gives the body autonomy, separates it from the mind, and keeps the idea of attack inviolate.
 この身体が病気になりうるとの考えが、身体に自律性を与え、身体を心から切り離し、攻撃するという考えを無傷のままに保つことになります。

 If the body could be sick Atonement would be impossible.
 もし身体が病気になることができるとすれば、贖罪は不可能になってしまうでしょう。

 A body that can order a mind to do as it sees fit could merely take the place of God and prove salvation is impossible.
 身体が自らが適当だと思う通りになすように心に命ずることができるとすれば、それはただ身体が神の座を奪い取って救済が不可能になったことを証明することにしかなりません。

 What, then, is left to heal?
 そうなれば、癒すべきものとして何が残るというのでしょうか。

 The body has become lord of the mind.
 身体が心の主となってしまっているのです。

 How could the mind be returned to the Holy Spirit unless the body is killed?
 身体を死なせないかぎり、心は聖霊の許に戻れないことになります。

 And who would want salvation at such a price?
 しかし、いったい誰が、身体を死なせるという代償を支払ってまで救われたいと望むでしょうか。



4. Certainly sickness does not appear to be a decision.
 たしかに、病気になることが決断することであるようには見えません。

 Nor would anyone actually believe he wants to be sick.
 それに、実際に、自分が病気になることを望んでいるなどと誰も信じようとはしないはずです。

 Perhaps he can accept the idea in theory, but it is rarely if ever consistently applied to all specific forms of sickness, both in the individual's perception of himself and of all others as well.
 もしかしたら、その人は、仮説としてであれば、このような考え方を受け入れることはできるかもしれません。しかし、病気は自ら望んだ決断だという考えが、自分自身だけでなくすべての他者が個人として罹る病気の具体的な発現形態のすべてに一貫してあてはまる真理として受け入れられることはまずないでしょう。

 Nor is it at this level that the teacher of God calls forth the miracle of healing.
 それに、そもそも神の教師が癒しという奇跡を呼び起こすのはこのレベルにおいてではありません。

 He overlooks the mind < and > body, seeing only the face of Christ shining in front of him, correcting all mistakes and healing all perception.
 神の教師は、小さな心「とともに」身体を看過して、自分の目の前に輝くキリストの顔だけを見て、あらゆる間違いを修正し、すべての知覚を癒します。

 Healing is the result of the recognition, by God's teacher, of who it is that is in need of healing.
 癒しは、神の教師が癒しを必要としているのは誰なのか気づいた結果として起こります。

 This recognition has no special reference.
 この神の教師の気づきは、特別な誰かや何かを指し示すものではありません。

 It is true of all things that God created.
 それは、神の創造したすべての物事に関してあてはまる真実です。

 In it are all illusions healed.
 この普遍的な気づきによって、すべての幻想は癒されます。



5. When a teacher of God fails to heal, it is because he has forgotten Who he is.
 神の教師が癒すことに失敗するなら、それは、神の教師が自分が本当は誰なのかを忘れてしまっていたせいです。

 Another's sickness thus becomes his own.
 こうして、ほかの人の病気は、彼自身の病気となります。

 In allowing this to happen, he has identified with another's ego, and has thus confused him with a body.
 こんなことが起こるのを容認することによって、神の教師は他者のエゴと同一化して、そうすることで、自分は身体だと混同してしまっているのです。

 In so doing, he has refused to accept the Atonement for himself, and can hardly offer it to his brother in Christ's Name.
 他者のエゴと同一化して自らを身体と混同することで、神の教師は、自分のために贖罪を受け入れることを拒んだのです。だから、そんな彼には、キリストの名において自らの兄弟に贖罪を差し延べることが満足にできなくなってしまっています

 He will, in fact, be unable to recognize his brother at all, for his Father did not create bodies, and so he is seeing in his brother only the unreal.
 それどころか、彼は、自分の兄弟にまったく気づけなくなるでしょう。というのも、彼の大いなる父は身体を創造しなかったのだから、彼には自分の兄弟が架空の姿としてしか見えていないからです。

 Mistakes do not correct mistakes, and distorted perception does not heal.
 間違いが間違いを修正することはありません。だから、歪んだ知覚が癒すことはありません。

 Step back now, teacher of God.
 神の教師よ、今こそ、後ろに下がりなさい。

 You have been wrong.
 あなたはこれまで間違ってきたのです。

 Lead not the way, for you have lost it.
 あなたは道を見失っているのだから、道を先導してはなりません。

 Turn quickly to your Teacher, and let yourself be healed.
 すぐに自分の大いなる教師の方に向き直って、自分自身を癒してもらいなさい。



6. The offer of Atonement is universal.
 贖罪は普遍的に差し延べられています。

 It is equally applicable to all individuals in all circumstances.
 贖罪は、どんな状況にあるどんな個人にも、等しく適用できます。

 And in it is the power to heal all individuals of all forms of sickness.
 そして、贖罪のこの普遍的な適用可能性の中にこそ、あらゆる病態からすべての個人を癒す力があります。

 Not to believe this is to be unfair to God, and thus unfaithful to Him.
 これを信じないことは、神を誤解することであり、したがって、神に対する不忠です。

 A sick person perceives himself as separate from God.
 病人は自分自身を神から分離した存在として知覚しています。

 Would you see him as separate from you?
 あなたは彼のことを自分とは隔絶した存在として見たいのでしょうか。

 It is your task to heal the sense of separation that has made him sick.
 彼を病気にしてしまっている分離の感覚を癒すことこそ、あなたの任務なのです。

 It is your function to recognize for him that what he believes about himself is not the truth.
 その人が自分自身について信じこんでいることは真実ではないと、その人の代わりに気づいてあげることこそ、あなたの役目です。

 It is your forgiveness that must show him this.
 あなたの赦しがその人に、彼の信じこんでいることが真実でないと明かしてくれるに違いありません。

 Healing is very simple.
 癒しはとてもシンプルなものです。

 Atonement is received and offered.
 贖罪は、受け取られ、そして差し延べられます。

 Having been received, it must be accepted.
 すでに受け取られているのだから、贖罪は受け入れられているに違いありません。

 It is in the receiving, then, that healing lies.
 そうだとすれば、受け取ることの中にこそ、癒しがあります。

 All else must follow from this single purpose.
 ほかのことはすべて、このひとつの目的に引き続いて起こるに違いないのです。



7. Who can limit the power of God Himself?
 神だけが持つ力を制限することなど誰にもできません。

 Who, then, can say which one can be healed of what, and what must remain beyond God's power to forgive?
 そうだとすれば、誰が何から癒されることができるのかであるとか、何が神の赦しの力をもってしても及ばないままに違いないかということを、いったい誰が語ることができるでしょうか。

 This is insanity indeed.
 これこそまさしく狂気の沙汰です。

 It is not up to God's teachers to set limits upon Him, because it is not up to them to judge His Son.
 神の教師が勝手に神に制限を課しうるはずがありません。なぜなら、神の子を裁くことは神の教師たちの責務ではないからです。

 And to judge His Son is to limit his Father.
 そして、神の子を裁くなら、それは、子の大いなる父を制限することになります。

 Both are equally meaningless.
 いずれも、同じように無意味なことです。

 Yet this will not be understood until God's teacher recognizes that they are the same mistake.
 しかし、神の教師が神の子を裁くことも神を制限することも同じ間違いだと気づかないかぎりは、これが無意味であることは理解できないでしょう。

 Herein does he receive Atonement, for he withdraws his judgment from the Son of God, accepting him as God created him.
 この気づきによって、神の教師は贖罪を受け取ります。なぜなら、神の教師は神の子に対する自分の裁きを取り下げ、神の子を神が彼を創造したままの姿で受け入れることになるからです。

 No longer does he stand apart from God, determining where healing should be given and where it should be withheld.
 神の教師はもはや、どこに癒しが差し延べられ、どこに与えずにおかれるべきか決定することによって、神から孤立することはありません。

 Now can he say with God, "This is my beloved Son, created perfect and forever so.
 いまや、神の教師は神とともに、「これこそ、完璧に創造され、永遠に完全であり続けるわが愛し子なり」と言うことができるのです。


次


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 松山 健 Matsuyama Ken
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