S3-3 分離 対 結合

2019年02月18日
祈りの歌 第3章 0

最近、私たちは自分の強迫観念を嫌になるほど分析しますが、その分析結果を傷の癒しに用いるのではなく、傷を正当化するために使う傾向があります。

分析もある程度まで進めば、一定のパターンが見えてきます。例えば、「父は感情を分かち合ってくれなかった」、「母は私を虐待した」といった具合です。

そして、そうした体験が私たちの性格に及ぼした影響といったものも見えてきます。例えば、「男性を自分に近づけさせるにはどうすれば良いのかわからない」とか「権威ある存在はなかなか信頼できない」といった感じです。

しかし、実際の変化はこうした分析による理解からではなく、私たちの決断の結果として起こります。癒すという決断、変わるという決断です。私たちがなぜ怒っているのか、なぜ防御的になっているのかといったことは、究極的には重要ではありません。重要なことは、自分は癒されたいと決断し、神様に助けを求めることです。

役者が脚本の台詞を読むのと同じように、人生に対する新しい反応の仕方、つまり新しい台詞を選択することができます。こういうことを言うと、「それは否認だ!」などと怒る人がいるに違いありません。

しかし、ここで私が否認しているのは自分自身の中にいる詐欺師です。私たちが正直な感情を表したからといって、それが正直な私たちであるということにはなりません。怒っている私は、本当の私ではないのです。怒っている私を承認する必要はあるでしょうか。答えはイエスですが、ただしその怒りを越えるという目的のためにです。

一度自分の怒りを見出したならば、「アルコール依存症者匿名会」の人たちが言うように、まるで自分には異なった行動が取れるかのような「ふりをする」準備ができたのです。なぜかと言えば、それができるからです。私たちのエゴは、私たちが自分の個性であると考える架空の登場人物を作り上げました。

しかし、私たちは絶えずその個性を創造しており、選択すれば、絶えずそれを再創造することもできます。



マリアン・ウィリアムソン(「愛への帰還」169ページ)







usagi (1)

偽りの赦し

本節では、「偽りの癒し」、つまり、分離するための癒しについて語られます。

「真の癒し」を可能にするのは、他者とはまさに自分自身と同じだという理解であり、このような理解を抱く者には偽りの癒しをなすことはできません。

とくに身体の癒しは偽りの癒しになりがちですが、少しでも不平等性に基礎を置く癒しは、分離するための癒しです。

分離するための癒しは、学識と経験のある有能で賢明な誰か、優れた高みにある人物が、彼よりも劣位にある卑しい者に、もったいなくも癒しを授けてやるものであり、癒しを求める者は彼の手腕による恩恵に浴そうと、自らに癒しを施してほしいと頭を下げることになります。




真の癒し

真の癒しは、持てる者と持たざる者を分け隔てて、持つ者が持たない者に自分の持ち合わせを減らす尊い犠牲を払って施しを与えてやるというものではなく、他者を助けようとする者は、助けを求める者と自分は分離した別の存在に見えているだけで実はひとつの同じ「私」なのだという気づきによって分離感を解消し、自分たちが無限の豊かさを持つ源泉につながっているという理解によって、詰まっている水道管の詰まりを除去するように、自他分離の錯覚という障害によって源泉との経路が塞がっていた状態から、源泉から豊かさが無限に流れ込んでくる本来の状態に戻すという仕組みによって達成されます。

左手の助けになろうとする右手は自己犠牲を払って癒しを授けてやるわけではない

麻痺した左手が元通り神経伝達や筋力を回復できるように、健常な右手が左手をさすったり動かしたりとリハビリのために手当てしているとき、右手は自分を犠牲にして必要もない恵みを見知らぬ他者に施してやっているわけではありません。

その身体を持つ魂と同一の意志のまま同調していられる健常な右手は、麻痺によって自分と一体であることがわからなくなっている自分の一部である左手を自分のために元通り自分とひとつのものとして働くよう修復しようとしているだけです。

したがって、優秀な賢者と劣等な愚者という区別を前提に、賢者から愚者に癒しを授けてやるという観点は、癒そうとする右手自体もその身体を持つ魂の意志から解離した状態にあるようなものであり、真の癒しから遠ざかり、偽りの癒しによって分離の幻想をより深めることにしかなりません。




天使 (1)

3.- III. Separation versus Union
 分離 対 結合



1. False healing heals the body in a part, but never as a whole.
 偽りの癒しは身体を部分的に癒しはしても、決して全体的に癒すことはありません。

 Its separate goals become quite clear in this, for it has not removed the curse of sin that lies on it.
 この点に、偽りの癒しが分離した多様な目標を持っていることが実に明白に表れています。というのも、偽りの癒しは、身体にかけられた罪の呪いをまだ解いてはいないからです。

 Therefore it still deceives.
 それゆえに、偽りの癒しは依然として欺くのです。

 Nor is it made by one who understands the other is exactly like himself.
 しかし、他者はまさに自分自身と同じだと理解している者が偽りの癒しをなすことはありません。

 For it is this that makes true healing possible.
 というのも、他者は自分自身だという理解こそが、真の癒しを可能にするものだからです。

 When false, there is some power that another has, not equally bestowed on both as one.
 他者と自分がひとつであることが偽りだとしたら、ひとつのものとして両者に等しく授けられたのではない、他者だけが持つ何らかの力が存在することになります。

 Here is the separation shown.
 ここに分離が表れています。

 And here the meaning of true healing has been lost, and idols have arisen to obscure the unity that is the Son of God.
 そして、ここで、真の癒しは意味を喪失し、神の子がひとつに結ばれていることを覆い隠すために偶像が生まれたのです。



2. Healing-to-separate may seem to be a strange idea.
 分離するために癒すというのは、奇妙な観念に思えるはずです。

 And yet it can be said of any form of healing that is based on inequality of any kind.
 それでも、少しでも不平等性に基礎を置くかぎり、どんな形態の癒しも、分離のための癒しだと言えます。

 These forms may heal the body, and indeed are generally limited to this.
 これらの癒しの形態は身体を癒すことがあるし、実はむしろ、身体の癒しにだけ限定されているのが普通です。

 Someone knows better, has been better trained, or is perhaps more talented and wise.
 ある者はよりよく知っており、より修練を積んでおり、おそらくより才能に恵まれていて賢い。

 Therefore, he can give healing to the one who stands beneath him in his patronage.
 したがって、彼は、自分よりも下位に立つ特定の者を引き立てて支援してやることによって、その者に癒しを授けることができるのだと。

 The healing of the body can be done by this because, in dreams, equality cannot be permanent.
 身体の癒しはこのようにしてなされることができます。なぜなら、夢の中では、平等性は永続しないからです。

 The shifts and change are what the dream is made of.
 推移や変化こそ、夢を構成する素材なのです。

 To be healed appears to be to find a wiser one who, by his arts and learning, will succeed.
 首尾よく癒されるためは、技量と知識を備えたより賢い者を見つけることが大切なように思えます。



3. Someone knows better; this the magic phrase by which the body seems to be the aim of healing as the world conceives of it.
 より優れた知見を有するひとかどの人物、これが、世界がそう見ている通りに、身体を癒しの対象とみなすための魔法の言葉です。

 And to this wiser one another goes to profit by his learning and his skill; to find in him the remedy for pain.
 だから、賢者の学識と彼の腕前による恩恵に浴そうと、彼の許に他者は赴き、賢者を頼りに苦痛への治療を見出そうとします。

 How can that be?
 どうしてこんなことがありうるでしょうか。

 True healing cannot come from inequality assumed and then accepted as the truth, and used to help restore the wounded and to calm the mind that suffers from the agony of doubt.
 不平等であることを前提としたうえで、不平等であることを真実として受け入れて、不平等であること利用して、傷ついたものを回復させるのを助けたり、疑念に苦悩する心を宥めたりしようとしても、真の癒しが訪れるはずがありません。



4. Is there a role for healing, then, that one can use to offer help for someone else?
 それでは、癒しのために、ある者がほかの誰かを手助けするために担うことのできる役割は存在するのでしょうか。

 In arrogance the answer must be "no."
 傲慢であるなら、その答えは「ノー」であるに違いありません。

 But in humility there is indeed a place for helpers.
 しかし、謙虚であるなら、当然、助けようとする者たちには役割があると言えます。

 It is like the role that helps in prayer, and lets forgiveness be what it is meant to be.
 それは、祈るのを手助けして、赦しをそれが意図された通りにあらしめる役割と同じです。

 You do not make yourself the bearer of the special gift that brings the healing.
 あなたは、自分を癒しをもたらす特別な天賦の才を持つ者と位置づけるべきではありません。

 You but recognize your oneness with the one who calls for help.
 あなたはただ、助けを求める者と自分がひとつなのだと気づく必要があるだけです。

 For in this oneness is his separate sense dispelled, and it is this that made him sick.
 というのも、彼を病気にしていたのは自他分離の感覚であり、自他の同一性を認識することで、彼の自他分離の感覚は消え去るからです。

 There is no point in giving remedy apart from where the source of sickness is, for never thus can it be truly healed.
 病気の源のある場所とは別のところに治療を施しても無意味です。というのも、そのようにして病気が真に癒えることは決してありえないからです。



5. Healers there are, for they are Sons of God who recognize their Source, and understand that all their Source creates is one with them.
 癒しをなす者たちが存在するのは確かです。というのは、彼らは、自らの大いなる源に気づいた神の子どもたちであり、自分たちの大いなる源が創造したものはすべて自分たちとひとつだと理解しているからです。

 This is the remedy that brings relief which cannot fail.
 自らの父なる神が万物を創造したなら自分と万物はひとつに違いないという理解こそが、失敗のありえない救いをもたらす治療法です。

 It will remain to bless for all eternity.
 その治療は、すべての永遠なる存在を祝福し続けます。

 It heals no part, but wholly and forever.
 その治療は、一部を癒すのではなく、全体を永遠に癒します。

 Now the cause of every malady has been revealed exactly as it is.
 いまや、あらゆる病気の原因がありのまま正確に明らかになりました。

 And in that place is written now the holy Word of God.
 だから、その場所には、いまや聖なる神の言葉が記されています。

 Sickness and separation must be healed by love and union.
 病気と分離は、愛と和合によって癒されるに違いありません。

 Nothing else can heal as God established healing.
 それ以外の何ものも、神が癒しを確立したように癒すことはできません。

 Without Him there is no healing, for there is no love.
 神がいなければ、いかなる癒しも存在しません。というのも、そこには、いかなる愛も存在しないからです。



6. God's Voice alone can tell you how to heal.
 神の大いなる声だけがあなたに、どのように癒せばよいか教えることができます。

 Listen, and you will never fail to bring His kindly remedy to those He sends to you, to let Him heal them, and to bless all those who serve with Him in healing's name.
 耳を澄ましなさい。そうすれば、神があなたの許に遣わす者たちに神の優しい治療をもたらすことにも、そして、癒しのために神に奉仕するすべての者たちを祝福することにも、あなたは失敗しないでしょう。

 The body's healing will occur because its cause has gone.
 病気の原因が去ったので、身体の癒しが起こるはずです。

 And now without a cause, it cannot come again in different form.
 もはや原因がなくなったので、病気は形を変えて再び訪れることができません。

 Nor will death any more be feared because it has been understood.
 それに、もはや死は恐ろしくなくなるでしょう。なぜなら、死は理解されたからです。

 There is no fear in one who has been truly healed, for love has entered now where idols used to stand, and fear has given way at last to God.
 真に癒された者には、いかなる恐れもありません。というのも、いまや、かつて偶像が立っていた場所を愛が占め、ついに恐れが神に道を譲ったからです。


次

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It’s not how much we give, but how much love we put into giving. – Mother Teresa

 松山 健 Matsuyama Ken
この記事を書いた人:  松山 健 Matsuyama Ken

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