M27 死とは何か(神は、愛の神なのか死神なのか)


The real question is not whether life exists after death. The real question is whether you are alive before death.
死後に生命が存続するのかしないのか、それは真の問題ではない。真に問うべきなのは、あなたが死ぬ前に生きているのかどうかだ。



OSHO

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About death
死について





My third story is about death.
私が3つ目に話すのは死についてです。

When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."
私が17歳のとき、私は「もし君が毎日をそれがまるで人生最後の一日であるかのように生きるなら、必ずいつの日か君は、これが間違いなくその通りだとわかるだろう」という言葉にどこかで出会ったのです。

It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
私はこの言葉に感銘を受け、その日以来、33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしてきました。「もし今日が最後の日だとしても、私は自分が今からやろうとしていることをするだろうか」と。

And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
「違う」という答えが何日も続くようなら、私には自分が何かを変える必要があるのだということがわかります。

Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life.
自分はまもなく死ぬと想起することが、私がこれまで人生で大きな選択に直面するつど決断を下すために用いてきた最も重要なツールなのです。

Because almost everything - all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important.
なぜなら、外野からの期待やプライド、かっこ悪く失敗することへの恐れなどのほとんどすべて…こんなものは、死を前にすれば、本当に大切なものだけを残してただ消え失せてしまうからです。

Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose.
自分は死ぬのだと思い出すことこそ、自分には失うものがあるという思考の罠に陥るのを避けるための私の知るかぎり最善の方法です。

You are already naked.
私たちは、みんな最初から裸です。

There is no reason not to follow your heart.
自分の心に従わない理由などありません。

About a year ago I was diagnosed with cancer.
1年ほど前、私はがんと診断されました。

I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas.
朝7時半に画像診断を受け、私の膵臓に腫瘍が明確に見つかったのです。

I didn't even know what a pancreas was.
私は膵臓がどんな働きをする臓器なのかすら満足に知りませんでした。

The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months.
医者は私に、私のがんはほとんど治癒の見込みのない種類のがんなので、持って3か月から半年だろうと告げました。

My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die.
主治医は私に自宅に戻り身辺整理をするように助言しました。つまり、医師から暗に死ぬ準備をしなさいと言われたのです。

It means to try to tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months.
これが意味するのは、自分の子どもに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。

It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family.
それは、自分の家族が安心して暮らせるように、あらゆることにけりを付けなければならないということです。

It means to say your goodbyes.
それは、別れを告げなさいということです。

I lived with that diagnosis all day.
私は一日中、診断結果のことを考えました。

Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor.
その日の午後に生体組織検査を受けました。喉から内視鏡を入れて胃を通って腸に達し、膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。

I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery.
麻酔を受けていたのでわからなかったのですが、その場に付き添っていた妻が言うには、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したというのです。というのも、手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだとわかったからだということでした。

I had the surgery and I'm fine now.
私は手術を受け、今では元気です。

This was the closest I've been to facing death, and I hope it's the closest I get for a few more decades.
この経験は、私が人生で死に最も接近したひとときでした。私としては今後何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。

Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:
死線をくぐる経験をしたからこそ、私は今、以前は頭だけの理解で死が有益な概念だと思っていたときよりもいっそう確信を込めて、つぎのことをあなたがたに言うことができます。

No one wants to die.
誰も死にたくはありません。

Even people who want to go to heaven don't want to die to get there.
たとえ天国に行きたいと思っている人間でさえ、天国にたどり着くために死にたいとは思わないでしょう。

And yet death is the destination we all share.
それでも、死は私たち全員が最後に行き着く先です。

No one has ever escaped it.
死から逃れた人間は一人もいないのですから。

And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life.
それは、あるべき姿なのです。なぜなら、きっと死は、生命の最高の発明に違いないからです。

It is Life's change agent.
それは生命を変化させる担い手です。

It clears out the old to make way for the new.
死は、古いものを消去して、新しいものが生まれる余地を作ります。

Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away.
今はまさに、あなたがたは新しい存在ですが、今からそう遠くない将来、あなたがたも徐々に年老いて、消えゆくのです。

Sorry to be so dramatic, but it is quite true.
とても深刻な話をして申し訳ないですが、それでも、これはありのままの真実です。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
あなたがたの時間は限られています。だから、ほかの誰かの人生を生きることに自分の人生を浪費しないでください。

Don't be trapped by dogma -which is living with the results of other people's thinking.
ドグマにとらわれてはなりません。それは他人の考えに従って生きることと同じです。

Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice.
他人の意見というノイズに自分の内なる声をかき消されてしまわないようにしてください。

And most important, have the courage to follow your heart and intuition.
そして何より大切なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。

They somehow already know what you truly want to become.
あなたがたの心や直感は、自分が本当は何になりたいのか、もう知っているはずです。

Everything else is secondary.
ほかのことはすべて、二の次でかまわないのです。





farewell message
送別の言葉


When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation.
私の若いころ、「全地球カタログ」という名前のすばらしい雑誌がありました。それは、私たちの世代にとってのバイブルのような本でした。

It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch.
この雑誌は、ここからそう遠くないメンローパークでスチュワート・ブランドという人が創刊し、彼はその詩的なセンスによって、この本に生命の息吹を吹き込みました。

This was in the late 1960s, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors and Polaroid cameras.
これはまだパソコンがなく、デスクトップ・パブリッシングが可能になる前の1960年代後半の話です。ですから、この雑誌は、タイプライターやハサミ、ポラロイドカメラで製作されていました。

It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: It was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.
グーグルが生まれる35年も前の話ですが、「全地球カタログ」は、言ってみれば、グーグルのペーパーバック版といったところでした。「全地球カタログ」には夢と希望があり、洗練されたツールやすばらしいアイデアで満ち溢れていました。

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue.
スチュワートと彼の仲間たちは数号にわたって「全地球カタログ」を出版し、それから、この雑誌でやりたいことをほぼやり終えてから、彼らは最終号を世に送り出しました。

It was the mid-1970s, and I was your age.
これは1970年代半ばのことで、当時、私はみなさんと同じくらいの年頃でした。

On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous.
スチュワートたちの出版した最終号の裏表紙には、早朝の田舎道の写真が載せられていました。冒険好きな人なら、きっとヒッチハイクしているときに出会うはずの景色です。

Beneath it were the words: “Stay Hungry. Stay Foolish.”
その写真の下には、こう言葉が記されていました。「ハングリーであれ。愚か者であれ。」と。

It was their farewell message as they signed off.
これが彼らが送ってくれた別れのメッセージでした。

Stay Hungry. Stay Foolish.
控え目で小利口になったりせず、貪欲に、思い切って馬鹿げたことに挑戦し続けるんだ! と。

And I have always wished that for myself.
私自身、ずっといつもそうありたいと願ってきました。

And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.
そして今、大学を卒業して新たな道を歩み出すあなたがたに、私からこの言葉を捧げます。

Stay Hungry. Stay Foolish.
ハングリーであれ。愚か者であれ。

Thank you all very much.
みなさん、ご清聴、ありがとうございました。



Steven Paul Jobs
スティーブ・ジョブズ (2005年米スタンフォード大学の卒業式でのスピーチより)



「お前の悪いところは、単純なことだが、時間はたくさんあると思いこんどることだ……」
「永遠に続くと思っとらんのなら、何を待ってるんだ? なぜ変わることを躊躇するんだ?……」
「そんなことをグズグズ言っとる時間などないんだぞ、バカめ……」
「今何をしていようと、これが地上でのお前の最後の行為になるかもしれんのだぞ。最後の戦いになるかもしれんのだ。もう一分お前が生きられると保証できるような力は、何一つありはせんのだからな」

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Carlos Castaneda
カルロス・カスタネダ(「イクストランへの旅」より)



No man enjoys the true taste of life, but he who is ready and willing to quit it.
人生から立ち去る準備ができてそれを厭わない境地にある人を除いては、誰も人生の真の味わいを愉しんではいない。



Lucius Annaeus Seneca
ルキウス・アンナエウス・セネカ






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今回は、教師のためのマニュアルから死についての一節をご紹介します。



死はない

奇跡のコースは、死はないと言います。

コースでは、「invulnerable」(傷つくことのない)という言葉がよく出てきますが、この言葉には「不死身」という意味もあります。

私たちが傷つくことがない理由は、罪が無いからということです。

そして、私たちに罪が無いというのは、私たちが犯したと思いこんでいる「罪」は、原初の分離も含めて、自分で投影した幻想を知覚しているにすぎないからでした。

そして、私たちは、この幻想の世界の中にばらばらに分離して隔絶した身体をまとって生きているように思いこんでいるけれど、本来の自分は大いなる自己であるひとりの神の子だけであるということでした。

この神の子は永遠の存在なので、当然、投影しているこの幻想の世界の中でのアバターにすぎない幻想のひとつである身体の「死」によって影響を受けるはずもなく、死ぬこともありえないということになります。



もちろん人間に死はある

コースの死はないという観念を自分が人間であることを真実とする前提で捉えると、まるで人間としての自分が死なないかのような解釈になるかもしれません。

コースが幻想世界の中で人の子が不老不死になることをもって神の子に死はないということを言うのだとしたら、おかしなことになります。

世界は幻想で無であるということなはずなのに、そして、分離は錯覚であるはずなのに、個々に分離した人間が個別に不死なる神の子であるということになり、世界は幻想ではなく実在であるし、分離は真実ということになってしまいます。

コースが言うのは、人の子として生き死にする世界そのものが幻想で無なのだから、死も当然幻想だということです。



ゲームのキャラクターや物語の主人公の死を自分の死と取り違えないこと

「6. "And the last to be overcome will be death. "
 『ゆえに、最後に克服されるべきは死である』。」
で引用されているのは、コリント人への第一の手紙15章26節(1 Corinthians 15)の
“The last enemy to be defeated will be death. “
「最後の敵として滅ぼされるのは死である」です。





「8. You are invulnerable because you are guiltless.
 あなたには罪はないので、あなたが傷つけられることはありません。

 You can hold on to the past only through guilt.
 あなたは、罪悪感を通してしか、過去にしがみつくことができません。

 For guilt establishes that you will be punished for what you have done, and thus depends on one-dimensional time, proceeding from past to future.
 なぜなら、罪悪感は、あなたがなしたことに対して罰を受けるであろうことを確かなものにし、そうすることで、過去から未来へと進む一次元的な時間に依存することになるからです。

 No one who believes this can understand what ' always ' means, and therefore guilt must deprive you of the appreciation of eternity.
 このようなことを信じていたのでは誰も、『つねに』とは何を意味するのか、理解することができません。その結果、罪悪感はあなたが永遠を正しく認識できないようにしてしまうに違いありません。

 You are immortal because you are eternal, and ' always ' must be now.
 あなたは永遠なるものなので、不死身です。そして、『つねに』とは今に違いありません。

 Guilt, then, is a way of holding past and future in your mind to ensure the ego's continuity.
 このように、罪悪感は、エゴの継続性を確保するために、あなたの心の中に過去と未来を留めておく方法ということになります。

 For if what has been will be punished, the ego's continuity is guaranteed.
 というのは、もしこれまで存在してきたものが未来に罰せられるようになるとすれば、エゴの継続が保証されることになるからです。

 Yet the guarantee of your continuity is God's, not the ego's.
 しかし、あなたの継続性を保証するのは神であって、エゴではないのです。

 And immortality is the opposite of time, for time passes away, while immortality is constant.
 そして、不滅性は時間とは対極にあるものです。なぜなら、時間は過ぎ去るのに対して、不滅性は変ることなく持続するものだからです。」(テキスト 第十三章 I. Guiltlessness and Invulnerability 一 無罪性と不滅性



神と死

この一節では、神の概念と関連させて死について論じています。

この世界の中に生きているかぎりは、死という現象が「存在」するのは確かであり、「神は死んだ」と宣言することは論理的なことですらあるといえるかもしれません。

そうして、この世界での神の属性は、「死神」のそれを指すようになります。

これに対して本節は、死とは、誤った知覚によって幻想の世界へと運びこまれた幻にすぎないということを一つひとつ丁寧に説明し、真の神は死神などではなく、愛に溢れる神であることをじっくり説明してくれています。


ぜひ、ゆっくりと読んでいただければと思います。


もうすぐ死にます



韓国ドラマ「もうすぐ死にます」(原作ウェブトゥーン)は、うまくいかない自分の人生を悲観して、「俺にとって死とは終止符を打つための道具にすぎない...」と遺書を残して自ら死を選んだ主人公が、地獄に行く前に「死」から、死を軽んじて道具のように扱ったことへの罰として、あと12回死ぬことを命じられ、12人の人間として死を迎える転生を体験するというお話です。

全8話と短いので、ぜひご覧になってもらえればと思います。

私たちは、自分の命は自分自身であり、自分が持っている、自分の所有物であるかのように感じます。

だから、所有権者であり所有対象物でもある自分の決断によって自由に生命を放棄する権利が自分にはあると考えます。

この〜であり、〜を持つという表現は、コースでよく出てくるので、聞き覚えがあると思います。

そう、王国そのものである神の子の表現です。

神の子は、すべてであり、すべてを持つという、実在と所有の一致する王国が神の子であるとコースはつねに語ります。

神の子がすべてであり、すべてを持つ一者である生命そのものであり、私たち個別の人間は、幻想世界の中で狂気に陥った神の子が、すべてではなくすべてを持たない存在が自分だという錯覚を体験するためのアバターとして身をやつす幻想の生き物であるということでした。

この仕組みを前提に考えると、実在する一なる生命の反映とはいえ、幻想世界に生きる幻想の生き物の私たちが持つ生命の所有者は、私たちではなく、私たちになりきっている神の子だということがわかります。

つまり、私たちが自分には自分の命を捨てる自由があると考えていることは大いなる勘違いだということです。

聖霊の3大レッスンが教えてくれるように、自分の救い主であり愛を返すべき兄弟たる他者に対して非難・攻撃の極致である殺害をしてはならないのと同じように、自分だと思っている人間に対しても、殺害をしてはならないし、兄弟を慈しむように自分自身も大切にして敬うべきということになります。


考えてみれば、これは当然ではないでしょうか。

エゴ・身体というアバターへの肩入れが錯覚であり、自分が人間だというアイデンティティーの誤りを正しく神の子に戻すべしというなら、どうして依然として自分だと思うアバターだけは特別扱いして卑下して愛を向ける対象から除外できるでしょうか。

ほんとうに正しく神の子にアイデンティティーを合わせるなら、私たちが自分の目玉も胃腸も等しく大切に思い労わるように、姿や役割は違えど、兄弟たちは等しく大切な自らの分身だという慈しみの心を抱くはずであるし、その対象には、同じように自分自身も入っているはずです。

人間、生きていれば、死にたくなることが何回かあっても、それは当然です。

そんなときに持ち堪えられる土台づくりの大きな助けになることは間違いありませんので、「もうすぐ死にます」をご自分自身でも、そして家族や友人等大切な人たちにも観てもらっていただければと思います。









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Section 27
第27節

What Is Death?
死とは何か



1. Death is the central dream from which all illusions stem.
 死とは、そこからあらゆる幻想が生じる中心的な夢のことです。

 Is it not madness to think of life as being born, aging, losing vitality, and dying in the end?
 生命のことを、生まれ、歳を取り、活力を失い、そして、最後には死んでしまうものだと考えるのは狂気の沙汰ではないでしょうか。

 We have asked this question before, but now we need to consider it more carefully.
 私たちは以前にも、この質問をしたことがありました。しかし、今回は、私たちは、より注意深くこの質問について考えてみる必要があります。

 It is the one fixed, unchangeable belief of the world that all things in it are born only to die.
 この世界の中に生まれるどんなものも死を免れないというのは、この世界で変わることなく固く確信されているひとつの信念です。

 This is regarded as "the way of nature," not to be raised to question, but to be accepted as the "natural" law of life.
 世界に生まれたものが必ず死ぬことは、「自然の摂理」とみなされて、疑問にさらされるどころか、生命の「自然な」法則として受け入れられています。

 The cyclical, the changing and unsure; the undependable and the unsteady, waxing and waning in a certain way upon a certain path,--all this is taken as the Will of God.
 変わり続けて不安定で当てにならず一定しない、決まりきった通り道の上を決まりきった方法で満ちては欠けてゆくことの繰り返し、こんなことのすべてが神の大いなる意志だと解釈されています。

 And no one asks if a benign Creator could will this.
 そして、はたして恵み深い創造主がこのようなことを意図できただろうかとは、誰ひとり問おうとはしません。



2. In this perception of the universe as God created it, it would be impossible to think of Him as loving.
 神が宇宙をこのようなものとして創造したと認識するなら、そんな神を愛に満ち溢れる存在だと考えることなど不可能なはずです。

 For who has decreed that all things pass away, ending in dust and disappointment and despair, can but be feared.
 なぜなら、あらゆるものを塵に成り果てて落胆と絶望の中で去り行くように運命づけた存在を恐れずにいられるはずがないからです。

 He holds your little life in his hand but by a thread, ready to break it off without regret or care, perhaps today.
 神は、あなたのちっぽけな生命を、たった一本の糸だけでその手の内に握っており、何の悔いも憂いもなく、ひょっとすると今日にでも、その糸を断ち切ってしまう用意ができています。

 Or if he waits, yet is the ending certain.
 すぐにではなく、もし神が待ってくれることがあったとしても、終わりがやってくるのは間違いありません。

 Who loves such a god knows not of love, because he has denied that life is real.
 そのような神を愛する者は、愛を知らないのです。なぜなら、彼は生命が実在することを否認してしまっているからです。

 Death has become life's symbol.
 死が生命を象徴するものになってしまっています。

 His world is now a battleground, where contradiction reigns and opposites make endless war.
 彼の世界は、いまや戦場と化し、その場所は矛盾が支配し、対極同士が終わることのない戦いを繰り広げています。

 Where there is death is peace impossible.
 死のあるところに平安があることなど不可能だからです。



3. Death is the symbol of the fear of God.
 死は、神に対する恐怖が象徴として形をなしたものです。

 His Love is blotted out in the idea, which holds it from awareness like a shield held up to obscure the sun.
 死という想念の中で、神の大いなる愛は消え去り、死は、日差しを遮るために掲げられた盾のように、神の愛を自覚できなくさせてしまいます。
 
 The grimness of the symbol is enough to show it cannot coexist with God.
 その象徴の不気味さは、死が神と共存できないことを十分に示しています。

 It holds an image of the Son of God in which he is "laid to rest" in devastation's arms, where worms wait to greet him and to last a little while by his destruction.
 死は、破滅の腕の中に「葬られ」ている神の子の肖像を掲げています。破滅の腕の中では、彼が朽ち果てるまでの少しの間でも彼を喰らって生きながらえようと、うじ虫たちが彼が来るのを待ち受けています。

 Yet the worms as well are doomed to be destroyed as certainly.
 しかし、そのようなうじ虫たちも同じように、確実に滅ぼされることを運命づけられています。

 And so do all things live because of death.
 だから、たしかに、すべての者たちは死のために生きることになるのです。

 Devouring is nature's "law of life."
 他者をむさぼり喰らうことは自然の「生命の法則」だというわけです。

 God is insane, and fear alone is real.
 神は狂気に陥っており、恐怖だけが本物となります。



4. The curious belief that there is part of dying things that may go on apart from what will die, does not proclaim a loving God nor re-establish any grounds for trust.
 死ぬことを運命づけられたものの一部分が死にゆく者とは別に存続するという奇妙な信仰は、愛に溢れる神を証明することにはならないし、そのように信頼する根拠を少しも立て直してはくれません。

 If death is real for anything, there is no life.
 もし死が少しでも本当にあるなら、生命はまったく存在しないはずです。

 Death denies life.
 死は生命を打ち消すからです。

 But if there is reality in life, death is denied.
 逆に、もし生命が実在するなら、死は否定されるはずです。

 No compromise in this is possible.
 このことについては、一切、妥協の余地はありません。

 There is either a god of fear or One of Love.
 ありうるのは、恐怖の神か愛の神、そのどちらかだけです。

 The world attempts a thousand compromises, and will attempt a thousand more.
 この世界は、数えきれないほどの妥協を試み、さらに無数の妥協を重ねようとするでしょう。

 Not one can be acceptable to God's teachers, because not one could be acceptable to God.
 神の教師にとっては、そんな妥協はただのひとつとして受け入れられるものではありません。なぜなら、そんな妥協はひとつたりとも神には容認できないものだからです。

 He did not make death because He did not make fear.
 神は死を作りはしませんでした。なぜなら、神は恐怖を作らなかったからです。

 Both are equally meaningless to Him.
 死も恐怖も同じように等しく、神にとっては意味をなしません。



5. The "reality" of death is firmly rooted in the belief that God's Son is a body.
 死の「実在性」は、神の子は一個の身体であるという信仰に固く根ざしています。

 And if God created bodies, death would indeed be real.
 そして、もし神が身体を創造したのなら、死はなるほど実在することになるでしょう。

 But God would not be loving.
 しかし、その場合、神は愛に満ちた存在ではなくなるはずです。

 There is no point at which the contrast between the perception of the real world and that of the world of illusions becomes more sharply evident.
 この点ほど、真の世界での知覚と幻想の世界での知覚との間のコントラストがくっきりと明らかになることはほかにありません。

 Death is indeed the death of God, if He is Love.
 もし神が愛であるならば、死とはいかにも神の死にほかならないことになります。

 And now His Own creation must stand in fear of Him.
 そうなれば、いまや神自身の創造物は、神に対する恐怖の中で立ちすくむしかなくなります。

 He is not Father, but destroyer.
 神は大いなる父ではなく、破壊者となります。

 He is not Creator, but avenger.
 神は創造主ではなく、復讐者となってしまいます。

 Terrible His Thoughts and fearful His image.
 神の思いは恐ろしいものであり、神の肖像は恐怖に満ち満ちたものとなります。

 To look on His creations is to die.
 神の創造物を目にすることは、死を意味することになります。



6. "And the last to be overcome will be death. "
 「ゆえに、最後に克服されるべきは死であろう」。

 Of course!
 もちろん、その通りです。

 Without the idea of death there is no world.
 死という観念がなかったら、いかなる世界も存在しえないでしょう。

 All dreams will end with this one.
 すべての夢は、この世界とともに終わりを迎えるでしょう。

 This is salvation's final goal; the end of all illusions.
 これこそが救済の最終目標です。それは、あらゆる幻想の終わりです。

 And in death are all illusions born.
 つまり、あらゆる幻想の生みの親は死なのです。

 What can be born of death and still have life?
 いったい死から生まれていながら、それでいてなお生命を持つことができるものなどいるでしょうか。

 But what is born of God and still can die?
 反対に、はたして神から生まれていながら、それでいてなお死ぬことのできるものなどいるでしょうか。

 The inconsistencies, the compromises and the rituals the world fosters in its vain attempts to cling to death and yet to think love real are mindless magic, ineffectual and meaningless.
 死にしがみつきながらも愛は実在すると考えようとする虚しい試みとして、この世界がさまざまな矛盾や妥協や儀式を奨励することは、何の効果もない無意味な心ない魔術だというほかありません。

 God is, and in Him all created things must be eternal.
 神は在ります。そして、神の中にすべての創造されたものが永遠に実在するに違いないのです。

 Do you not see that otherwise He has an opposite, and fear would be as real as love?
 そうでなかったら、神は対極を持つことになり、恐れは愛と同じく実在することになってしまいます。あなたはこんなこともわからないのでしょうか。



7. Teacher of God, your one assignment could be stated thus: Accept no compromise in which death plays a part.
 神の教師よ、あなたの唯一の任務は次のようなものだと言えるでしょう。それは、折り合いをつけるうえで死が一枚噛んでいるような妥協を何ひとつ受け入れないことです。

 Do not believe in cruelty, nor let attack conceal the truth from you.
 無慈悲さを信じてはなりません。同じように、決して攻撃があなたから真理を隠すのを容認してはなりません。

 What seems to die has but been misperceived and carried to illusion.
 死ぬように見えるものは、ただ誤って知覚されて、幻想へと運びこまれていただけだったのです。

 Now it becomes your task to let the illusion be carried to the truth.
 いまや、幻想が真理へと運ばれるようにすることがあなたの任務となります。

 Be steadfast but in this; be not deceived by the "reality" of any changing form.
 断固として次のスタンスだけは崩さないでください。それは、「現実」に見えるものがどのように形を移り変わらせようとも、それによって絶対に惑わされないようにすることです。

 Truth neither moves nor wavers nor sinks down to death and dissolution.
 真理は、動くことも、揺らぐことも、衰えて死へと落ちこんで消滅してしまうこともありません。

 And what is the end of death?
 それでは、死の終わりとは何なのでしょうか。

 Nothing but this; the realization that the Son of God is guiltless now and forever.
 それは、神の子は今も、そして、これからも、永遠に罪なき者であると悟ることにほかなりません。

 Nothing but this.
 死の終わりは、これ以外の何ものでもありません。

 But do not let yourself forget it is not less than this.
 しかし、これ以下でもないということを自分に忘れさせないようにしてください。




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